ソウルヨガ

主流秩序、DV,加害者プログラム、スピシン主義、フェミ、あれこれ

いつからあなたは軍の司令部になったのか

いつからあなたは軍の司令部になったのか

 

既に書いたことだが私は歴史から学び非暴力主義を選ぶ。領土の取り合いで戦争するなんてばからしい、戦争になったら逃げるのがいいというスタンスだ。

ロシアの蛮行はもちろん許されない。しかしそれに対抗するという物語で煽られるのも嫌だ。ウクライナの大統領は「武器をとって戦おう」「徹底抗戦しよう」といっている。ただの市民に火炎瓶闘争を呼び掛ける。大統領をはじめとして、政治家も、「男性は軍に参加しよう」と呼び掛けている。戦おうとしない男性は居心地がわるい。政治家・軍人たちも、メディアに出てくる国民も「ロシアは許せない。戦うのみ」「ロシアは出て行け!ウクライナの国を我々は絶対に守る」といった勇ましいことをいう。

私はおかしいとおもう。竹やりとバケツリレーで、鬼畜米英と本土決戦しろと言っていた日本と重なる。沖縄で投降せず、自爆したりがけから飛び降りた人々を思い出す。特攻隊になったり、人間魚雷になったり、といった玉砕路線を思いだす。

 

私は、不当な暴力や圧政に対して立ち上がって戦う民衆の歴史の側にたつ。負け戦でも命がけで戦った人々の側に立ちたいと思う。だから朝鮮で日本の支配とたたかった歴史を描いた「緑豆の花」に学び共感する。「レ・ミゼラブル」に描かれているような、「1830年ごろ専制君主政治に反対した学生や労働者階級の人たちが自由主義を唱え、パリにバリケードを建てた”7月革命”の戦い」にも共感する。ナチスと闘ったレジスタンス闘争にも共感する。

 

しかし、歴史の現実から学んだからこそ、現代においては、無謀な武力による戦いを美化せず、そうではない「非暴力の戦い方」を選ぶしかないと思う。ナチスが支配してきたら、ユダヤ人は早くに外国に逃げるのが良かった。そうして生き延びて戦うのが現実的とおもう。それは今の香港やロシアでも同じだと思う。そこにとどまって内部から闘うのももちろん必要。しかし一定以上の情勢になって、不当に投獄されて拷問されていくような段階になれば、逃げるのが良い。

 

今回のウクライナでいえば、ロシアの侵攻を止めるのは現状難しい。プーチンはもともと右翼であり極悪非道の弾圧者である。だからウクライナの政治家は、とりあえず軍による抵抗をやめて、交渉していくしかない。国民の命を守るにはそれしかない。

そのときに勇ましく「武器をもって抵抗しよう」と呼びかけるのは、私は命より国家を大事にする、人命を軽視する民族主義者、ナショナリスト的な「武闘派路線」に引っ張られている道だと思う。

オリバーストーンの映画『ウクライナ・オン。ファイアー』にはもちろん、ロシア側の歪んだ認識があふれているが、私は、映画にあふれていたように、でっち上げによる正当化、まさにこういう謀略的なことが双方に起っていて、平和的な状況を無理に暴徒化させ、事件をでっち上げて口実にし、対立をあおり、武力で戦うしかないように持って行っている歴史を見たということだ。ロシア側がそうであるのと同じように、ウクライナ民族主義的な右派・武闘路線もそうしたことをするのは当然だ。

歴史はそういうことが繰り返されてきた。戦争・政治には謀略はつきものだ。(だから私は戦争はもとより政治も嫌いになった。)踊らされる「熱狂する民衆」、つまり群衆も嫌いだ。

欠けているのは、ウクライナを守れとかナチから守れというようなことではなく、軍事力・武力で戦わないという思想である。暴力的闘いを正当化する理屈ではない。国を守れではなく、戦争をしない道を選ぶという生き方(日ごろからの学び)が欠けている。

ウクライナやロシア内の、反体制派、反戦争派の声があまりに軽視されている。ウクライナ内で、闘うのはやめようということが言えないようになっているように思う。それがおかしい。ロシア・プーチンがおかしいのは明白だが、だから命がけで巨大な軍隊と闘えというのもおかしい。

 

そして戦って、殺されたり町が爆弾で壊されて、「ロシアは酷い」といって泣くのは、おかしいと思う。それはわかっていた道だ。闘う道を選んだことの反省が欠けていると思う。ウクライナ内で非暴力闘争を言う人の声に耳を傾けなかったことへの反省が欠如していると思う。

現実は過酷で空論をいっていられる段階ではない。だから今は逃げる、無抵抗で降伏してでも戦わないことである。今のロシアは支配占領したときにひどいこともするだろうが国際的な目もあるので完全な暴力的支配をしないだろう。プロパガンダに利用されようと、まずは、ロシアの力を使ってでも病人や高齢者や障碍者の命を助けるべきだ。

 

シリアにしろ、ウイグルにしろ、チベットにしろ、香港にしろ、パレスチナにしろ、過酷な状況に置かれているのに無視されてきた場所は多くあった。出来るだけそこから逃げてほしいと思う。生き延びてほしいと思う、そして怒りをためて息長く、主流秩序に抵抗する道を見つけていってほしいと思う。

ウクライナの政治家は、そして国民は、闘いたくない人を認め、逃げることを第一にすべきである。上層部は、もう抵抗路線を見直す時期であると思う。戦わずに投降しても良いというべきである。投降することは恥ではないというべきである。

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日本の報道を見ていて強烈に違和感を感じるのは、まるで自衛隊(軍隊)幹部が、今行っている戦争の戦略・戦術会議を開いているかのような視点で、「今ロシア軍はキエフ北東20キロまで来ている」「ウクライナの南部戦線で、この都市が陥落した』「前線ではげしく抵抗しているが、空爆によって戦況は不利になっている」「電気水道が止められあと数日しかもたない」といったような「報道のありかた」である。

 

いつからあなたは、わたしたちは、戦争軍隊の幹部になったのか。兵士を駒とみて一定数が死ぬのは前提で、それでも、総合的に勝てるかどうかを考えるのが軍人の戦略視点である。国土のどこをどう守るか、取るか、取られてとかを論じるのは、それは昔から、「どこどこの城を奪われた」とか、「奪い返した」と言っているような視点である。まったく今、私たちに必要な視点ではない。

ばかかとおもう。我々は軍事ゲームで領土取り合い合戦をしているのではない。どの都市にも老人や子供と言った住民がいる。3つの都市は取られたが、何とかそこでとどまっている、というような視点はおぞましい。

領土が大事なのではない。軍事的に勝つことが大事なのではない。

命や生活を守ることが大事なのである。

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 最後に、今ロシア国内では情報統制されて、国民の多くは洗脳され、その結果、プーチン支持がまだ高いと言われている。それを苦々しく報道している。それに対して反プーチン反戦争で一部闘っている人がいる(でも、反体制メディア)が弾圧されていると報道し、そういう声が大きくなることに期待している。(この状況を【A】という)

 

私はそれを聞いて、立場が変わればそういうことを言うが、自分たちが見えていないなと思う。すなわち、【A】を日本に当てはめれば、安倍政権や維新政治に加担しているメディアがあり、多くの国民を洗脳しているではないか。その結果安倍や維新の支持率が高くなったのであり、それは、プーチン支持が高いのと同じだ。それに対して、メディアの報道がおかしいといい、反体制的な意見を言う人を日本では無視したり、うっとうしく見つめ、イタいひとだと馬鹿にしているではないか。つまりロシアでプーチン支持が高く、反体制が少数でとどまっているのは、日本でも米国でも同じなのである。(程度の違いだけ)

安倍など自民党政治家は、ロシアやウクライナ民族主義者と同じく、領土を重視し、「国土と国民の財産を守るために軍事力を強化していくべきだ」といっているではないか。その結果日本は世界で有数の軍事大国になっている。

プーチンを批判するなら、安倍など自民党も批判すべきだが、今、ほめそやされているのは、「命がけで国を守る戦いをすること」=ウクライナ応援 であって、安倍たちの世界観と非常に重なっている。

私にとって自明のことが、多くの人には自明でなく、まるでジョークのように、プーチンと同じ発想にたって、ロシア侵攻を批判している。

武器をとれというウクライナ指導者を美化しているが、それはロシア国内で「正しい軍事作戦に従事しろ」と プーチンがいっていることと重なるではないか。

反軍隊、反戦争、反ナショナリズムでこそ、プーチンと闘えるのである。

勝てる戦争ならしてもいい、軍事力を強化して国土を守ねばならないし、自由陣営を守らねばならないというのが軍人の発想である。

尖閣列島を取られたら軍事力で取り返すべきと思っていないか。あなたは、メディアや自民党右翼に操られてそうなっていないか。

 

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