ソウルヨガ

主流秩序、DV,加害者プログラム、スピシン主義、フェミ、あれこれ

1中は2中が怖いからナイフで自衛?--防衛、憲法をめぐる議論について

  • 1中は2中が怖いからナイフで自衛?--防衛、憲法をめぐる議論について

(2007年8月18日 ブログ)

 (拙著『戦争に近づく時代の生き方について―――戦争/ナショナリズム/暴力に対する、非暴力/主流秩序の観点』所収)

 

第一中学校(1中)と第二中学校(2中)がある。

1中では、「2中はガラが悪くて、不良がいて、いつ襲ってくるかわからないから、防衛力を強化しよう」という議論が出てきている。学校の中に武器(バット、ナイフ)を集め、武器を使って戦う練習をしておこうというのだ。そして通学途中で教われないよう、各人みんながナイフやミニバットを持っているようにしようというのだ。それが1中の自立・自衛だという。そしてもし襲われたら、こちらは正当防衛として、ナイフやバットで応戦するという。それが現実主義だという。

 

それからめっちゃ強いやつがいる第三中学校(3中)に、「もし1中が2中に襲われたらすぐに助っ人に来てくれるような話」をつけておこう、という話も持ち上がっている。そのかわり、3中にはお金を渡しておくというのだ。

それに最近、3中が、2中や4中と戦うかもという話が出ている。1中としては、そのときは3中と一緒に戦うべきだという。1中にとって、3中は同盟仲間だからと。

それに対し、1中のなかで、そんなのは解決にならないという意見がある。

 

まず、ナイフやバットで戦っても勝てるかどうかわからない。勝っても負けても、誰もが怪我しないということはありえず、死人が出るかも知れない。その場はやり過ごせても、憎しみをもたらし、また復讐が行われる。毎日がいつ襲われるかわからなくなって、ナイフどころかスタンガンとか、拳銃とか、武器をいっぱい持ち歩くような日常になってしまう。びくびくして通学しなくてはならなくなる。2中の友達とも遊べなくなる。それは解決じゃないという意見がある。

 

平和な日常は、武器とケンカではかえってやって来ない、そんな武力的な戦いは嫌だという意見がある。そんなのはこわいという。人を傷つけたくないという。

やられたらやり返す、殴られたら、殴り返すという発想は野蛮だという意見がある。自分は戦えない、という意見がある。

 

2中が本当に襲ってくるかどうかわからないという意見もある。襲ってこないよう、日ごろから、どの中学校とも仲良くやっていけばいいじゃないかという。

1中には、私は、殴られても殴り返さない、ナイフで脅されても、こっちはナイフを出さないような生き方をしたいという人がいる。

ナイフを持ち歩かず、武力ではないカタチで、対峙していく、関わっていくという考えの人がいる。

 

逃げるという選択肢を弱虫と思わない人がいる。殴られても、殴り返さないという強さがあると思う人がいる。

殴られても、その場ではそのままやられ、逃げて、その後、法律や制度を使って、加害者と非暴力的に戦っていくという手もあると思う人がいる。

 

「もしやられて死んでしまったらどうするんだ」という人に対しては、やられないように日ごろから努力するが、もしやられたら、それはそれでしかたないと考えるひとがいる。

極端な事例を言えば、ナイフで刺すか、刺されるかの2つしかないとき、逃げるがそれでもだめなら刺されるほうを選ぶという人がいるのだ。勝つか負けるかでなく、引き分け、逃げる発想である。

 

武器を持ち歩かないからこそ、そして「1中は武器で戦わないと宣言しておく」からこそ、かえって安全が高まるという意見の人もいる。各学校が、武器を使わないという宣言を出して、平和な街にしていこうという意見の人がいる。

 

障がい者とか、女性とか、ケンカが苦手な人、からだの小さな人、運動神経の鈍い人などは、いくら武器を持って練習してもやっぱり不利だから、そうした人には、ナイフやバットで練習しても現実的に安全じゃないという意見がある。

 

その人たちを守るために、強いやつに武装してもらって通学路を警備してもらうという意見もあるが、常に完全に警備するのは無理だし、どこかで1中と2中が出会えば大喧嘩になるので、そんな武装と警備自体が嫌だという意見がある。

 

ケンカになれば、やはり弱い人は犠牲者になる。1中にも、2中にも、誰かは殴られ、刺される人が出てくる。それは憎しみの連鎖、復讐の連鎖を生むだけだという意見だ。

「3中と同盟になる」というのは、3中がいつも正しいとは限らないし、結局、戦いの連鎖が広がるから、辞めたほうがよいという意見もある。

 

★★★★

僕は、そのような、暴力をつかわずに生きてゆきたいという人がいるのを知っている。

もしナイフを出されてもこっちは武器を持って反撃しないという生き方は、本当にある。

空理空論だと、鼻で笑うのは、よしたほうがよい。

****

武装をやめて、平和な街づくりを目指すという考えは、一つの選択肢だ。

やられて、やられっぱなしでいいのか、自分の学校や家族や友達や国を守ろうとしないのか、誇りはないのか、戦わずに逃げるのは卑怯者だ、根性なしだ、笑いものになるだけだ、という意見がある。

 

ふー。 

ほんとうに、やられても、やりかえさないという生き方もあるんだよ。

それはすごく、勇気のいることだけどね。

暴力を嫌悪し、きれいな心の人がいる。

以上の話を拡大すれば、国民みなが、拳銃をもつとか、警察官を増やして強大な監視国家にするとか、軍隊を持って憲法9条を変えるとか、集団的自衛権を行使するとか、核武装するとか、まあ、いろいろある。 

どっちを選ぶかってこと。

皆さんはどう考えますか。

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞