ソウルヨガ

主流秩序、DV,加害者プログラム、スピシン主義、フェミ、あれこれ

ウクライナもロシアも一つではない

 

 

みなさんは、あおり運転されたら、「誇りにかけて」戦うのか。ウクライナ政府(主流)のやりかたを一面的に美化すべきでない

ロシアもひとつではない。 ウクライナもひとつではない。国内には反体制派、非暴力主義者、反戦争の左翼というマイノリティ勢力がいる。

私はどちらの国にもいる、「マッチョ主義・武闘派路線(武力利用主義)」反対、戦争反対、侵略反対、ナショナリズム反対、の非暴力主義者と私は連帯したいとおもう。

非暴力闘争というかたちでの抵抗路線である。

そしてその思想で日本社会を生きようとおもっている。

ウクライナの人が決めるべき」という言い方で「ウクライナの武闘路線」を支持する人がいるが、それはウクライナをひと固まりとみる「国家主義的な誤った謝った視点」である。

各個人が諸事情から武器をとって戦ったり、武力型レジスタンス、ゲリラ的なテロ的な戦い方をする自由はあると思うし、事情によっては正当化できると思う。

しかし、ウクライナ国内の誹暴力主義者者たちや「多くの高齢者、子ども、女性、障碍者、そしてい男性、LGBTQ その他多様な人々」の中で武力闘争にかかわりたくない人に、「臆病者、非国民、裏切り者」と言って 攻撃することを批判したいと思う。

 

だから、武力闘争路線をとることで死者が増えていることを見て、この路線に反対する人がいるのに、「ウクライナ人が闘うことを決意した」というまとめ方はおかしいと思う。

結論。 マッチョ主義・武闘派路線(武力利用主義)は、多くの「弱者」の犠牲(死亡)をもたらすので、命をなんとか守るために、逃げたり、妥協してでも停戦になるような路線(時には無抵抗降伏)をとる方を私は支持する。

それは日本のあり方を考えるときにもそうするという意味。それは主流秩序に従属するというのではなく、連立方程式を考えて、総合的に自分の生き方を決めるということ。

それは、非武装中立(軍事大国路線をやめる道、日米軍事同盟をやめる道、日本から米軍基地をなくす道、自衛隊を災害救助隊に変える道、憲法9条を守る道)の路線をとるかどうかの問題。

ただし、ロシアや中国やミャンマーウイグル、香港、北朝鮮その他独裁国家的に管理されて、反体制派・自由に生きたい者たちが弾圧される社会も地獄と思う。

そういう中では、なんとか命を守りながら抵抗(非協力、不服従レジスタンス)して生きたり、国外に逃げたりするしかないと思う。