ソウルヨガ

主流秩序、DV,加害者プログラム、スピシン主義、フェミ、あれこれ

ドラマ『アンビリーバブル たった1の真実』

 

 

アメリカのネット配信ドラマ『アンビリーバブル たった1つの真実』(原題: Unbelievable)が非常に良かった。(ネットフリックスで見れる。)

 

『私の解放日誌』や『グッドファイト(第3・第4シーズン)』に匹敵する最も良質的な作品だ。

 

『アンビリーバブル たった1つの真実』は、2019年に配信された米国のドラマで、実話を基にしたレイプ事件を描き、性暴力被害者に対して、警察を筆頭にいかに世間が無理解かということを暴いた作品である。2008年に米ワシントン州リンウッドで発生したレイプ事件とその後の顛末を綴った記事「An Unbelievable Story of Rape」がベースになっている。

 

警察官だけでなく、弁護士、ケースワーカー、カウンセラー、養父母、養子相談員、学校、職場の上司や同僚、近くの友人たちが、いかに簡単に、無理解、避難者、差別者、いじめ加担者になるかが描かれる。

 

このドラマが示すように、被害者への鈍感な、二次加害的なかかわりは徹底して反省されるべきである。世間の無意識の思い込みに批判的になり、ジェンダー構造を学び、被害者の複雑な心理を理解し、被害者に寄り添い、被害者は多様であることを理解し、慎重にアプローチすべきという、このスタンスを被害者支援としては忘れてはならないことは言うまでもない。

 

だが、今の社会で、こうしたドラマを見て、警察などその登場人物たちを最低だと憤っているだけでは、それこそだめだろう。というのは、そうした「被害者の心理の無理解」「弱者への自己責任論的な冷たさ」はまさに日本社会でも主流なのであるから。

このドラマに出てくる人々は、米国のそれなりに進んだ制度を体現している。養父母もそれなりにやっている。カウンセラーも、弁護士も、裁判官も、警察も、決められたルールや手順にそって、それなりにやっている。今の日本よりもかなり、制度的なものは整っている。

言葉かけもそれなりに、愛しているとか、責めているわけじゃないとか、うそと言っているわけではないとか、自己決定を尊重したりしている。配慮すべき言葉としての言い方を、皆がある程度マスターしている。そもそも、米国では日本に先んじて、被害者が何度もつらいことを証言しなくて済むような工夫がなされている【それが十分機能しているかというと、ケースによるだろうが】。

だが、それでも、決定的に足りない。それは一人一人の質の問題だ。

だから、まして日本で、このドラマの登場人物を上から目線で批判できようか。日本でも一部改善はあるが、被害者の人権はまだまだ尊重されていない。配慮などなされず、ずかずかと鈍感に警察が取り調べしたりしている。だから性暴力被害者の多くは警察に被害を訴えていない。役所でも水際作戦的な排除が存在している。ぎゃくたいやDV→いじめにたいしての、学校や児相や行政の対応の不十分さは目に余ることが少なくない。

間違った情報をうのみにし、誰かひとりを標的にして叩く。それは教室でも職場でも地域でも存在し、そしてネット空間で、日々大きくなっている。

他人ごとではないのだ。

 

だがこのドラマには希望がある。二人の女性刑事、グレースとカレンがあきらめずに捜査を頑張り続けるのだ。そしてその周りの同僚も。

とくにグレースとカレンは年齢的地位的にはいわゆる「中年的な女性」あたりだが、日本での「女性の盛りを過ぎた、容姿も衰えた、権力がなく、無力的な存在」のようすではない。そういうジェンダー秩序を内面化して自らつまらなくなっている感じではないのだ。

もう年だし、かわいくないし、おばさんだし、戸板自虐的で無力的な感じではないのだ。

若い人から見てどうかというと、二人は“強い”。

自分のキャリアの中で得てきたものを身にまとい、媚びず、なよなよしていない。思ったことを言う。怒ったら怒りを表現する。いっぱい批判されてきたが、批判されてもめげない。相手の批判も、クールに受け止める。相手に気に入られようとしてソワソワしたりするようなこともない。人目とか気にして、好かれようとかしない。ただ、一生懸命仕事をする。酷い奴を逮捕するという目標に向かってがむしゃらに仕事をする。それだけ。

だがそこに、その人の人間性が出ている。何を大事にしているか、何にとらわれていないか。

私の言葉でいうと、主流秩序・ジェンダー秩序にとらわれていない。

そして過去の失敗や悔いをちゃんと身体に組み込んで生きている。

そういう二人だからこそ、二人の関係も、言うことは言う、べとべとしない、しかし、その活動の積み重ねを通じて、性暴力加害者への怒り、被害者への思いを感じ、尊敬と友情をかんじていくというようになっている。そのクールさが素敵だ。

そしてその努力が報われた時、仲間も、その仕事ぶりをほめる。

こんな仕事をしているから家庭にもしわ寄せがいく。だが、そこに歯まあまあ理解あるパートナーがいる。底もべたべたはしてないが、理解がある、応援がある。そして逮捕してほっとしたとき、体を休められる肩がある。

 

この社会はなかなか全体としてはよくならない。ロシアのウクライナ侵攻があるし、中国も人権弾圧するし、日本もひどいことはいっぱいある。だが、世界のあちこちで、ちゃんと仕事をして誰かを助けている人がいる。

それだけが希望だ。

そしてそれで充分だ。

 

そのことをうまく描いた作品だった。作ることに意志を感じられる作品だった。

(2022年5月)