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「それが真実の力です」―――『新米史官ク・ヘリョン』

「それが真実の力です」―――『新米史官ク・ヘリョン』:日本の政治家・官僚・メディア人に、この”史官”の気概がわかるのか

 

2022年8月19日

 

朝鮮史には、王宮で起こる出来事や発言のすべてを公平な目線で記録して後世に残す役割を担った”史官”がいた。正確には時代によっていろいろあるようだが、おおむね以下のようなもの。

(出所:OC90.歴史の記録者?(サグァン史官) | 韓国朝鮮 歴史のトリビア (ameblo.jp)

https://ameblo.jp/ichigayasongho/entry-12640992134.html

 

高麗時代には藝文春秋館、春秋館、史館などの名称だったが、1401年(太宗1)に春秋館と改称された後、朝鮮末期まで継続され、1894年(高宗31)甲午改革のとき議政府所のピョンサグク編史局に改編された。 

 

記録するものを「史草」という。国王や世子(せじゃ:次の王)の動向を始め、重臣会議などを同行・参加して記録した。発言だけでなく各種見聞・秘密・百官の人物評なども書いた。

 

その「史草」をベースに、編集して『春秋館時政記』や王が死んだ後に王の時代をまとめた「朝鮮王朝実録」など、上位の記録書となった。

 

基本的に国王のいるところや会議などどこにでも参加し記録するのであるからそれ自体がすごい。

そして歴史について残る大事なものであったので、史官が記録する史草と春秋館書類の質・量を保証するために、

文書の抹消・漏洩・翻案を行った者は厳罰とする、

国王の史草・実録閲覧禁止、

史草者の名前不記載(もしくは記載)など、

史官を守るルールが設定されたという。

 

特に注目されるのは、国王が「史草の中身をみることができない」というところだ。本当のことを書けるように、あとで文句を言われたり書き換えさせられないために、公平に記録するための処置だ。

改ざんも変更も認められない。どんな内容か、外部に漏洩してもだめ。

 

 もちろん現実には、それが権力者によって守られなかったこともあるというが、この原則自体がすごいし、そのやぶられた記録が残っているというだけでも、すごい。

 

上記ブログによると、

実際には、これらのルールを破る以下のような事例があったという。

 

①史官の直筆を好まない国王・大臣・承旨らによる史官の弾圧、

②国王の横暴で断続的に入侍が停止される事態の発生、

③1393年(太宗2)都合の悪い史草を提出した史官が罪に問われる事件が発生、

④1393年太祖が史料を閲覧、

⑤1468年(睿宗1)「世祖実録」の編纂時に悪筆した大臣の報復を恐れて史官が史草を改竄し罪を負う事件が発生、

 

⑥1498年(燕山君4)キムイルソン(金馹孫)が、金宗直が書いた「弔義帝文」史草を納入したことで朝鮮王朝屈指の大事件『士禍』が発生、

⑦1545年(明宗1)乙巳士禍に言及した史官が犠牲になった事件、
⑧党争に関連して宣祖実録,憲宗実録,景宗実録の編纂で士官が弾圧を受けた件、
など。

 

当然、政治家、権力者はすべてを聞かれたり書かれたり、陰謀や不正を書かれたくないので、どの時代も、すごい圧力があったりルール破りもあっただろうが、施政の善し悪し、人物評価、不正も横暴も何もかも書く、公正に事実を残すという上記原則がいちおう確立していたことがすごい。

 

だから国王・執権官僚の専横、不正を密かに牽制して儒教が標榜する仁徳政治の実現に貢献した部分も有るということだ。

 高麗•朝鮮王朝は豊富な歴史研究史料を残しており、世界随一の『記録国家』としての異名があるという。

 

****

さて、私はこの事実を知らなかったが、韓国ドラマ『新米史官ク・ヘリョン』をみて、そういう職務・組織・ルールがあったのだと知った。

ブコメ仕立てのよくできた話で、歴史的事実と異なる「女性が初めて史官になった」設定なので、創作物(フィクション)なのだが、その中で、王宮で起こる出来事や発言のすべてを公平な目線で記録して後世に残す役割を担った”史官”の心意気というのも大事なテーマとなっていた。

 

それは現代政治に対する、製作者たちの心意気が出ているものであった。

 

だから、このドラマを見て思ったことを以下メモっておく。

朝鮮史の現実は決してこの理想通りではなかったにせよ、制度としてそういう志向があったことは誇るべきことだろう。

そしてその精神は、実は、現代における公的文書管理の法律の精神につながっている。

 

 

「史草」を残す史官たちが所属する組織=芸文館は、権力から独立したものという気概で、王様にさえ文書は見せないし、内容も公平に事実を書く。王などが出て行けと言っても出ていかない。ヘギョンをはじめとして、史官たちは、濃淡はありつつも、そこに誇りを持って勇気をもって、歴史の史官・先輩たちに恥じぬようがんばっている。

だから内容記録の内容を見せろとか、部屋に入るな(同席するな)とか言われても抵抗する。

 

これを見て、直ぐに、日本の公的文書への態度との差を思った。「公文書などの管理に関する法律」があっても法律自体が全く不十分だし、しかも驚くべきことに守られない。

安倍政権では改ざん、破棄、隠ぺい、などが平気でなされた。

 

  宮廷の政治など記録は王様でも見られないということとの何という差か。権力に都合よく使われないよう、圧力がかからず公平に記録されるように必死で守る朝鮮の史官たちに比べて、日本では権力におもねったり、自分たちの責任を問われることを恐れて、どれほど多くの文書を隠蔽や破棄している事か。記録を残さないというようなことがオリンピック関係でもコロナ関係でも多く見られた。

 

全ての文書を電子データで保管するようにすべきなのに、破棄していいルールを多く作りしかもそれも守らず早めに破棄している。

 

いま米国のトランプ元大統領が機密文書を持ち出した問題で、てんやわんやであるが、

米国には、それなりの法律があり、今までそれなりに守られてきた。日本より制度が整っているので、30年後は公開されるし、そのためにかなり保存されている。

今回知ったが、ホワイトハウスにはシュレッダーがおかれていないという。

日本ではシュレダーでどんどん破棄するが、米国ではそれが安易にできないように、大統領の関係はメモでもなんでもすべて持ち出せない。シュレッダーがおかれない。それほど公文書を残すことに努力が積み重ねられている。

 

公文書問題の基本理念は、公文書は国民の財産だということだ。トランプは特異な異常者だから無茶苦茶するが、これまで他の大統領はそれなりに表立ってはルールを守ってきた。 トランプは機密解除をしたというが、大統領でなくなってからとかもう無茶苦茶である。機密解除できない文書も持ち出しているようだ。

トランプと安倍元首相とプーチンはは平気でうそをつく点で非常に似ている。

公文書管理の思想は、うそを言うかどうかにもかかわる。平気で文書を破棄したりうそを言えるのは、歴史に判断を任せようという大きな政治の観点がない。

なにをしても勝てばいい、まずいことは隠せばいいというこざかしい政治家や軍人、役人には、過去m全て燃やしたりシュレッダーにかけてきた。抑々記録を作らなかったり、作っても「ない」と言ったりした。第二次大戦末期、どれだけ戦争犯罪になるような記録が燃やされたことか。

恥ずかしい限りである。

まともな右翼で日本の国を愛する誇りある人なら、そうした行動を非難すべきであろう。歴史に恥じない行いをするならば右翼でも左翼でもまともだが、人に知られてはまずい証拠を消してばかりの政治家や軍人にはあきれる。

しかしそうした人が多くなり、官僚までそれに毒されている。

安倍・菅政権でその腐敗は頂点に達している。

 

再度いう。右翼でも保守でもいい。歴史に恥じないことをすればいい。だがトランプにもプーチンにも安倍にもそうした人格者の面がない。むしろKGB的な、なんでも汚いことをし、隠し、破棄し、うそをつけばいいというような感覚だ。ヒトラーと同質のレベルの人物たちだ。

 

だから国会を開かないし、まともに論戦しないし、相手の意見に耳を傾けていい意見をとりいれようともしない。民主主義を一番破壊したのは安倍であり近年の自民党だ。

自分の仕事への誇りという観点がない。

そうした米国や朝鮮に比べて、日本はあまりにお粗末だと思える。 

 

現代に至っても、安倍政権以降は文書の違法な廃棄、改ざんがなされ続けている。赤木さんがそれに苦しんで死んでも、それに続いて真実を語るものが出てこない。

其れは腐っているとしか言いようがない。

どこかの国を独裁国家だ(でも日本は民主国家だ)という資格などまったくない。

***

ドラマでは、史官が言う。

「絶大な権力も数十年で衰退するが、筆の力は1000年後も生き続ける」

その観点で、「原本を残す」。どれは後世に判断を委ねるためだ。

 

これを聞いて、「たかが数十年の権力」という視点を安倍政権に思いあてた。

私たちは、私は、目の前の政権におもねるのでなく、100年、1000年の思いで、自分のなすべきことを考えることのできる存在なのだ。歴史に判断をゆだねれば、文書の改ざんや破棄や嘘答弁など、犯罪者レベルの事だとわかるであろう。

だがそれが全く分からないような人たちが跋扈している。

腐っている。

***

以下、ドラマの内容をフォローする(ネタバレ的になる)ので、まだドラマを見ていない人は注意。

 

正しく書くべきところ、時の権力者が記録を書き換えさせた。

20年前の前の王が変わった時期に関する記録が誤りだということ。

だから、今、心あるものは、修正実録を作ろうと目指す。つまり、記録するのは史官だが、史局を治める官僚は時流や党派に影響されることがある。だから実録の内容に誤りがあると王命を受けて修正実録が作られるのだ。

其れができるかどうかの闘いのドラマである。

 

20年前、歴史を書き換えることに抵抗したキム奉教は殺された。正しい方の記録を出せと言われたが命をかけて隠した。後の時代に真実を伝えるために。

その思いを受けて今の史官達も命がけで権力に対抗して真実を残そうとする。過去の不正を暴こうとする。命を危険にさらしても。

 

歴史の現実では、実際どこまでできたかわからないが、そのような気概を持つ者たちがいたというのは、一面、事実だろう。それをベースにしたフイクション物だ。その史官たちの勇気に感銘を受けて作られている。

 

この気概が現代の日本の官僚にあるか。メディア人や政治家に、100年後を考えて真実のために命をかけるものがどれほどいるか。

野党は情報にアクセスできないので仕方ない。しかし自民党政治家や官僚は真実の情報にアクセスできる。だが、隠す方に加担している。安倍万歳、国葬だと騒いでいる。まさに韓国歴史ドラマの悪徳官僚と同じではないか。

大谷ではないが、「マンガや!」である。

安倍政権のもとモリカケ桜文書を破棄したり改ざんする官僚、口をつぐむ官僚。嘘を言う者たち。

この汚物にまみれた者たちはこの物語を見て恥じるがいい。恥じる「良心」の軸さえないだろうが。 このドラマを見ないだろうし見ても感じないだろう。

スピリチュアリティ・生き方の問題だ。主流秩序に対する生き方の問題だ。

 

ドラマでは、佐議政(ミン・イクヒョン)の謀略・陰謀・謀反で、無実の人たちが殺され権力交代が行われた。王も、王が進めた、曙来院(ソレウォン)という、身分関係なく皆が外国の学問を平等に学ぶ場もつぶされた。

 

20年前の不正を今さら蒸し返すなとおもうひとも、今の主流秩序に合わせる人ももちろんいる。

だが、真実を前に黙ることができない人たちがいる。キム奉教の遺志を受け継ぎたい、またたとえ自分が死んでもまた後に続く人がいると思って生きる人たちがいる。

  佐議政の息子である史官・ミン奉教(ミン・ウォン)は、史官の任務・公正を重んじる人だが、自分の父を断罪するかどうかで悩む。父の不正を明らかにするのか、口をつぐむのか、立場が問われる。迷うが決心してヘリョンの所に行く。

 

そのミン奉教がいう。

「昔、読んだ本がある。『絶大な権力も数十年で衰退するが 筆の力は1000年後も生き続ける』とあった。それを読み史官をめざした。すぐには何も変わらぬが、いつか私も筆誅を加えられたらと。そんな情熱があったのだ」

そう言って史官としてせねばならぬことをすると決意する。

 

一緒に史官の先輩のところに話をしに行く。

不正に関わっていた先輩も仕官たちの心からの話を聞き心が動きその後、史官たちの行動に賛成していく。

謀略、文書書き換えによって、前の王は「朝鮮を天主教(キリスト教)の国にしようとした」「宣教師を朝鮮に送れ」という密書を書いた、芸文館イェムンガンという売国的な場所を作った、ということで反逆者に仕立てられた。

 今の王様は、そうした謀略と謀反によって権力の座に就いた。この陰謀を暴くのか、歴史に蓋をするのか。 

ク・ヘリョンたちは、元史官で、今大臣になっている者に訴える。

「あなたは、今は高級官僚だが、当時十数年間は史官で、王も権力も恐れぬ覚悟で筆を握られていたはずです。当時の気概はもうお持ちではないのですか。キム奉教様は死罪になる前夜、死をもって真実を守りたいとおっしゃいました。我々はその信念に恥じぬ史官でありたいのです。どうか力をお貸しください」

 

***

ヘリョンは王に、歴史を調べ正しく書き換えてくださいとの上疏(上訴)をだした。最初は退けられる。

20年前に提出された史草は書き換えられたもので、それを証明する正しい史草が見つかりました。真実を伝えようとした史官は死罪となりましたが、私たちが誤った歴史を正しく後世に伝えます。歴史を使えるように命じたのは誰か、信念を曲げ権力に屈した史官は誰か、お調べください」

 

***

最終的な戦いの場でのやり取り。

 

在位20周年の祝いの場で、王に、真実をいうものが出てくる。

「私が前の王を陥れる偽文書を書きました。陰謀を起こした悪人は佐議政ミン・イクヒョンです」と。

王は怒って、黙れ、それ以上言う首を切り落とすと脅す。

 王が「史官は筆を止めよ」という。

 だが言うことを聞かず記録し続ける史官たち。

王は命令に背くものを切り捨てろという

そういう王に対しヘリョンは前にでていう。

 

「私を斬っても 筆は止まりません。

私が死ねば 次の史官が座ります。

その史官を殺せば また次の史官が座ります。

ここの史官を皆殺しにし、紙と筆を奪ったとしても

とめられません。

 話は人から人へ

師匠から弟子へ

老人から子へ伝わるのです。

それが真実の力です。」

 

 そして他の史官たちも王の前に進み出て訴える。

「王様 私達史官は引き下がりません!」

 

そして皆が「誤りを正して下さい」と懇願する。

それをまた記録する史官たち・・・

 

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物語としてもラブコメで楽しくみられる。しかし、この史官たちの気概には心打たれる。それから女性たちの自立、仕事への誇りがあるという設定は、フェミ的だ。

だからラブコメだが、トウォン大君(前の王の実子)が王様になって、ヘリョンが仕事を辞めて結婚して「はい、お妃様として上がり」ではないところが良い。最後まで結婚せず、それぞれが好きなことをして交際している。

 

***

。歴史の事実はいろいろだろうが、先にも書いたように、朝鮮史において、こうした「王様もチェックできない、公平に歴史を記録する職務」があったということには感服する。史官は正しい事実を後世に遺すことであった。

 

安倍と菅が、官僚の人事を握り、自分の思想に近い右派を官僚でも警察でも司法でも登用し、皆が政権に忖度や屈服する状況を作ってしまったことに照らし合わせると、うらやましい。

米国でさえ、大統領が変われば、すべては歴史的資料として持ち出せない。シュレッダーにかけられない。そういうルールで職員は働いている。

理想通りではないが、日本とは雲泥の差である。

記録し、資料を残し、後で歴史の判断材料とするということ、その長いスパンでものをみて自分の仕事に誇りを持つということ。

現代の公文書管理原則への、そうした歴史的出発点を見た思いだった。

実際、命を懸けてそうした職務を遂行した人が過去、世界にいた。

 

だが日本では モリカケサクラでも、コロナ対策でも、オリンピックでも、IR万博でも、国葬決定でも、統一教会の名称変更でも、そのプロセスが隠されたまま。官僚は資料を出さない。権力の犬である。恥を知れと言いたい。

日本では、特に安倍政権以降、意思決定のプロセスがどんどん隠される。

まさにドラマに出てくる「悪い政治家」のやりかたどおり。

マンガや!

***

『新米史官ク・ヘリョン』おすすめです。

 

ドラマ「新米史官クヘリョン」