ソウルヨガ

主流秩序、DV,加害者プログラム、スピシン主義、フェミ、あれこれ

国葬に加担するな

国葬などいらない。法的に国葬ができるようにしてはならない。国葬というときに、国の指示通り、国葬イベントに加担してはならない。個人的な葬式はすんでいるので、安倍の死亡を悼むかどうかの問題ではない。

安倍の国葬は、安倍のためでなく、安倍の死亡を利用した政治勢力の道具でしかないのは明らかであり、そんなものに踊らされたり騙される愚かな国民であってはならない。

公文書改ざん問題で亡くなった財務省の赤木さんの死に対してこそ、国を挙げて、政権の政治がゆがみ、不正なことを強要して苦しめて申し訳なかったと謝罪して「国葬」的なものをすべきだろう。それをせずになぜ安倍だけするのか。

命を懸けて国葬反対と言って焼身自殺しようとした人の思いを軽視していいのか。その思いを聞かずに無視する空気(迷惑、事件・テロ扱い)は何なのか。同じ命の重みに対してのこの差別には愕然とする。一時はコロナで毎日250人以上が死んだ。ウィズコロナだ、経済だと言っての、命の軽視である。

自分で考えないから、人の死亡にも、メディアによって重みを示されないと痛ましいと感じることができなくなっている。戦争で敵が死ぬことに鈍感になるのと類似して。メディアが騒げば悲しみ、メディアが言わなければ悲しまない。

そんな中で安倍の死だけ重いものとし、美化し特権化するこの愚かさ。人間の格差付け。天皇→超上級国民(安倍はこのトップ)→上級国民→中級国民→下級国民→在日外国人→韓国、中国、北朝鮮 というような身分制的排外主義的ナショナリズム的主流秩序。

民主主義をつぶした安倍が、死んでもまた民主主義をつぶすことに貢献している。

国葬的な発想は、今後、戦争してそこで「殉死」した兵士を国をあげて美化し弔うような政治にも使われる。

朝鮮学校を差別して恥じない国のこの愚かさが国葬でも現れ出ている。

国葬の時にどういう態度をとるかは、主流秩序への向かい方ということでまた各人が問われる。安倍だけを特権化する猿芝居に加担することを無自覚に行うなと言いたい。

個人的に安倍の死亡を悼むなら個人的に悼むべきである。みんなで赤信号渡れば怖くないとばかりに、みながしているからと言って政治的芝居の演出家の思惑通りに舞台に上って踊るな、と思う。

付け足せば、国旗国歌に従属するかどうかと同じ問題。

 

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