- トランプ政権の悪影響が世界に広がる――「国際報道2025」まで批判を恐れて中立主義
第9回講義で「反ユダヤ主義」の問題、またメディアの偏りと使命についての考察を行っていることに絡むが、ここでも簡単にトランプ大政権をめぐる問題として、原則を、ある番組批判を通じて書いておきたい。
NHK『国際報道2025』の25年7月5日放送で、ハーバード大学へのトランプ政権の攻撃について、一部視聴者から批判があったようで腰砕けの中立主義の意見をキャスターたちが言っていた。「アメリカの国益を考えればハーバード大学留学生の措置は当然の判断だ」「ハーバード大のビザ停止はやむを得ない」「(トランプへの)批判ばかりしないで、支持者かやトランプ大統領が行ったことで助かっている人の意見を報道したら」[1]というような意見も紹介して、ハーバード大がリベラルに偏りすぎている事を、いくつかの調査などで示した後、トランプがハーバードを攻撃するのにも一理あるかのように言い、しかし番組は中立だ、といって判断を示すことから逃げる弁組構成をとっていた。
今回の番組のダメさの典型は、「これはどちらが正しく、どちらが間違っているという問題ではありません。」とまで言ってしまったところにある。
生物学的には性別は2つしかないといった教授が辞任させられたとか、ハーバード大学の教員の思想が、リベラル系が圧倒的に多いことなどを挙げたうえで、大学内の言論の自由についての調査だということで紹介したのが、全国の学生へのアンケートで、それによるとハーバード大学は250の大学の最下位だった。これをもって「トランプ大統領がリベラルに寄りすぎていると主張するのにはこうした背景もあるのかもしれません」と辻キャスターが言った。別のキャスターが「ハーバードの大学生がリベラルな意見は言いにくいと感じているんだとすると、学生を委縮させてしまう事にもなりますし、ハーバード大にも問題があったという事なんでしょうか」とふった。それに対して辻キャスターは「大学の方針かどうかはわからないが、大学内のえも言われぬ空気というものによるのかもしれません。いずれにしても、仮にリベラルによっていたとしても、政治からの圧力が正当化されるかどうかは別問題です。」などと言い、次のような言葉でまとめた。
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トランプ政権の政策に対して真っ二つに分かれる評価。これはどちらが正しく、どちらが間違っているという問題ではありません。個人個人がどちらの主張により重心を置くか、という問題です。もちろん、中間を選ぶという選択肢もあります。二項対立に縛られる必要もありません。 私たちはこれからもnewsを様々な視点、アングルからお伝えしていきます。そうすることで、国際ニュースを理解するうえで、皆さんのお役に立ちたいと思っています。 |
番組はトランプ政権の政策への批判の件も少し紹介したが、今回はトランプ擁護側の意見が多く出され、それにたいして番組が「私たちはどちらの側にも立たず、中立主義的に賛否両論を報道する」ということを示したのである。
だが、上記の調査で大学生がそういたtからと言って、本当に「言論の自由」がハーバード大で一番ないと言えるのか。差別を許さない大学という意味では最も良い大学かもしれない。その時に、差別を言いたい側には「言論の自由」がないところとなる。誰に聞いたのか。学生の選び方、学生の質、問いの出し方、いろいろ検討する余地がある。しかももし現状の学生の過半数が「ある意見」を言ったからと言って、その意見が正しいとは限らない。例えば日本で学生や市民にガザのことを聴いたときに、私とは違う意見が多数を占めるだろう。慰安婦問題でも沖縄基地問題でもそうだろう。私はメディアも大学ももっと、明確にリベラルの価値を押し出すところが増えるべきと考える。日本はあまりにそれがないではないか。街頭の調査で事の良しあしが決まるものではない。
また「反ユダヤ主義」という言葉でトランプ大統領はハーバード大を批判しているが、私は「反ユダヤ主義」を、人権を擁護し、差別に反対するという視点で「反ユダヤ主義という差別ははだめだ」と理解するので、トランプ大統領の使い方とは真逆で、ハーバード大などは人権を尊重し差別に反対するからこそイスラエルの殺戮行為を批判していると考える。したがってハーバード大学は「反ユダヤ主義」なのではなく、人種差別に反対し、ユダヤ人差別を含む人種差別や宗教差別に反対し、人権を擁護する地続きでガザへの攻撃を批判しているのである。
当たり前だがイスラエル批判が「反ユダヤ主義」ではない。このあたりまえを理解しない人がトランプの言葉に乗って、イスラエルの蛮行を擁護している状態である。つまり、「反ユダヤ主義」を批判するならハーバード大を擁護して当然で、イスラエルを批判しないといけなのに、そういうことを一部の知識人や活動家などは言うが、日本のメディアは無批判にトランプの言葉を紹介している。今回の「国際報道2025」でもこの点の批判はなかった。
上述のの学生新聞の調査で教職員の政治志向が約76%がリベラル、穏健が20%、保守が約3%であったということから、ピンカー教授の言葉を使って「政治的な多様性のなさが研究のをゆがめるリスク」があると紹介した。だが私はそうとは言えないという立場である。
さらに上記したある生物学者が2023年辞任させられたという話だが、それはキャロル・フーベンという学者が「性別は生物学的には男女二つしかない。生殖細胞の種類によって決まる」と発言したことによるものであったらしい。詳しいことはわからないが、どの文脈でなんのためにこれを言ったかであると思う。トランプたちがLGBTQを差別するために非科学的なことを言う時に、それを擁護する分脈で言ったのなら批判されて当然である。私は、マトモな大学なら、LGBTQの人権を尊重することは前提で、様々な研究がなされるべきと考える。だからこの生物学者のことをもってハーバード大がダメだとは言えないと考えるが、番組は、この問題の背景を調査して、見解を述べるのではなく、ただ、ピンカー教授のそうした記事を無批判に紹介するだけであった。
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さて、まさにメディアの主流秩序への従属の典型例なのでコメントした。
評価が真っ二つに分かれるときに、「どっちも偏っている」「二項対立はだめ」と言うのが正解なのか。「分断ではなく対話を」と言って済ませるのが正しいのか。ミャンマーで命がけで軍事政権と戦っているときに、「分断はよくない」というのか。悪いのは軍事政権でしょと私は思う。「あなた」(この番組、私個人、テレビ局、新聞報道各社)は《自分》のスタンスとして、この対立する2つの立場や意見に対して、どういうように考え、どういう意見を持ち、どちらを批判しどちらを擁護するのかを示すべき場合があると私は考えている。時にはどっちかの立場を取らないといけない時があるのは当然なのである。
とたえば、親が子供を暴力的に指導することに反対するか、賛成するかの時に、自分はどちらでもない、どっちが正しいかの問題ではないと言って逃げていいていいのかという話で、問題によっては真っ二つに分かれるくらいの大事な問題で、片方の方が正しいというべき時はある。ガザの住民を虐殺するイスラエルは完全に批判されるべきである。この「国際報道2025」という番組で、BBCやABC,CNN,AP通信、アルジャジーラ、フランスやドイツやオーストラリアの報道など世界のざまな報道を紹介すれば、そうした多くのまともなテレビ局は、明確なスタンスがあるからこそ、イスラエル批判の報道が多くなるのである。それは「偏りすぎて駄目」なのではない。日本のほとんどの報道機関が明確にイスラエル批判をしないこと、日本政府の姿勢を批判しないことの方が問題なのである。
「国際報道2025」でも、トランプ大統領批判が多くなるのは、各国のまともな報道が国連や国際法、人道、人権といった基準で報道するからである。
私はこの講義を通じてトランプ批判を多くするが、それは私が大事と思う「人権」という基準から判断するからである。世界のマトモな報道機関のニュースがトランプを批判することが多くなるのも同じである。トランプ大統領の行っている政策や言動は酷いもので、科学と人権と民主主義などを判断基準とする私としては、トランプ政権を批判する側に立つということである。学生の皆さんはどっちの立場に立つのか自分で判断すればいい。しかし、どっちもどっちだで終わらせるのは、考えていることにはならないし、結局主流秩序への加担になると私は言っているのである。どっちもダメだで逃げるな、ごまかすな、総合判断で主流秩序の前で自分のスタンスを確立して意見を言おうと言っている。主流秩序に従属する人が多い日本社会ではそこが欠如していることが多いので、そこを強調している。
私は24年の大統領選挙前の米国の民主党大会と共和党大会を見て、相対的に明らかに民主党のほうがまともと思った。選挙を前にして、「どちらが正しく、どちらが間違っているという問題ではありません。』というのは、逃げているだけで、考えていない。選挙ではましなほうを選ばないといけない。選挙以外でも、どちらが正しいか言うべき時がある。兵庫県知事選の時、黙っていてフェイクやデマを放置したメディアには責任があるのだ(これについては第14回講義でネットとメディアと公益通報問題として詳しく扱う)。
典型は戦争に反対か賛成かの時に、「これはどちらが正しく、どちらが間違っているという問題ではありません。」というのか。メディアでも、キャスター個人としても言うべき時はあるのである。トランプ大統領の時代において、メディアの姿勢は鋭く問われている。第二次世界大戦の時の様な過ちを又繰りかえすのか、メディアは国家の下部組織に成り下がるのかということである。
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私のこの講義全体で伝えているのは、意見の対立があるとき、その間、中間、穏健主義が必ず正しいとは言えないということである。科学や人権を基準に明確にダイバーシティ(異なる意見の平和的な共存)の上での民主主義的な議論が大事で、力で相手をつぶすような暴力に反対ということである。だがトランプの思考や物言いに影響された人はただ、トランプを応援し、批判を「偏っている」「左翼だ」と切り捨てるだけである。それは群衆化された状態でよくないというのが私の主張である。
だからメディアも、賛否の両論を示すのはいいが、その上で、では自分はどう考えてどういうスタンスをとるのか、この弁組やこのテレビ局はどういうスタンスでこれに臨むのかを示し帝国と、それを通じて民主主義社会の一員としてのメディアの責任を全うすることが必要と考えている。
だが今回、すこしの視聴者からのよくある批判(トランプ支持者的状況の人からの批判)にうろたえて、番組として「中立ですよ」と言い訳するような構成になっていた。そこがダメなのである。そうした姿勢が主流秩序への従属のスタイルなのである。批判が来ても、自分達はこういうスタンスで報道していくと示して、何を基準に、何を大事に見て、どう考えるのか、示すのが、責任ある気骨ある姿勢である。トランプの人権侵害、国際法違反、国連憲章無視、国連軽視、環境問題軽視は批判されて当然だというべきなのである。移民差別は「反ユダヤ主義」と同じく差別だからダメだと批判すべきなのである。そうでないと、ロシアへの批判もイスラエルへの批判もイランやアフガンの国内弾圧への批判も、中国の香港弾圧・宇井繰り自治区弾圧への批判も、チベット弾圧批判も、天安門弾圧批判も、ミャンマー軍事政権への批判何もできなくなる。
だが、この番組含め日本では、どのテレビ局も平気でロシアは許せないと批判しているではないか。防衛研究所の人間を出してきて、軍事的にこうなっている、勝つためにはこうしないとといけない、軍事的に勝たねばだめなので西側諸国はウクライナを支援しないといけない、妥協による停戦を目指すべきでないといったような偏った軍事主義の話を延々と垂れ流してきたではないか。ダブルスタンダードだらけである。
そうしたことを客観的に考えないで、自分達のダブルスタンダードのスタンスが見えていないで、主流の空気を読み、嫌われないよう、批判されないよう、「私達したちは中立です」と言って逃げるのがダメな報道の在り方である。それでは戦争に近づくときにはまたまた当然、NHKは軍の広報に成り下がるであろう。
日ごろ、世界の様々なニュースを紹介している価値ある番組だからこそ、すこしの批判に腰砕けになているのを見て残念に思った。皆さんは、こうした、深く考えずに保身に走り、主流秩序にすぐに屈服する弱い人間にならないで、自分をしっかり確立し、批判が来ようと、少数派になろうと、権力者から攻撃されようと、自分がただ良いと思うことを主張する勇気ある人間になってほしい。
だがトランプ大統領は力で相手を押しつぶし、恐怖政治を拡大し、敵を嘲笑する状態を世界に拡散している。そんな時代に、自分はどうするのが、みなさんには問われている。
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小さい話だが、ここでホリエモン批判の話も入れておこう。トランプ大統領の2016年からの世界への悪い影響の一例として、判断基準がトランプ大統領になって、それより、人権重視、DEI重視の意見は皆「極左だ」「リベラルすぎる」「ウォークだ」「共産主義だ」とレッテルを貼ってすますことが横行している。愚かにもほどがある状況だが、何度もそういうものを見聞きすると、無知な人ほど、そのレッテル貼りを真似る。それで正しいことを言っている気になる。日本でも「反日」というような言葉を簡単に使う人が増えているのも同種の思考停止の典型だ。NHKでもかつて岩田解説委員が堂々と使っていた。
で、小さな話というのが、25年の参議院選を前にして、TBS系報道番組「news23」で党首討論が放送された。キャスターの小川彩佳が、コメの適正価格をめぐり、石破茂首相の回答内容が多岐にわたり想定より長かったので、小川が「なるべく、簡潔にお答えいただけたらありがたいんでんすけども…」と指摘した。これに対し、石破首相が「そんな簡単な話じゃないですよ」と、腕を組みながら不機嫌そうな表情で逆ギレ気味に言い返し、小川が「分かっております」と応じる様子が放送された。
私は石破の姿勢がダメだなと思ったが、まあ自民党はコメ政策で今まで展望なきダメな減反政策・価格調整政策をしてきて矛盾ある立場なのですっきり言えないのであり、石破の煮え切らない意見が長くなって、怒るところも有権者にみて貰えばいいので、小川キャスターの発言はなんの問題もないと感じた。
ところが、ホリエモンこと堀江貴文氏は、Xで「笑。余計なこと言わなきゃいいのに。まあでも左翼だから言いたくなっちゃうのか」と書いた。
少しでもリベラル系だと「左翼」と侮蔑的にレッテルを貼る「ネトウヨ」「ネット民」と同じく、ホリエモンもこういう言葉を使う。トランプ大統領と同じである。そういえば、週刊誌の広告に、「石破左翼政権」とかいっている右翼の言葉が載っていた。石破政権は左翼なんだって。
馬鹿な人たちは、ホリエモンなどのコメントを読んで、自分も同じような思考になり、同じような言葉を使い、同じような意見を書きこむのである。これがトランプが世界に与えた影響であり、ホリエモンも「俺も言っていいだろう」とトランプをまねて言っているのである。情けない時代である。
[1] 他にもテロップなどで「番組が反トランプに偏り過ぎ。なぜ当選したのか本質を見ないままに批判してどれだけの意味があるのか」「関税の自主権はすべての国に認められている権利。自国に不利だからといって反対するのはアメリカへの主権侵害」等の批判の意見も多く紹介された。こうした声がテレビ局に多く届いてビビっている感じが伝わってきた。