ソウルヨガ

主流秩序、DV,加害者プログラム、スピシン主義、フェミ、あれこれ

「朝日新聞」の女子枠問題を提起する記事

  • 「女子枠」をめぐる議論【25年11月追記】――女子枠を逆差別だという意見が明示された記事

以下の記事は、社会に問題提起する意義がある記事だと思う。その中に「国公立大学の女子枠設置に反対する学生団体」(UT-SFFA)というものがあることを紹介している。トランプ時代の米国で一部保守派の学生がそういうことをしているので、日本でもそういう団体や運動があるんだなと思った。ネットの状況を見ているとさもありなんである。主張は、典型的なもので、主流秩序や能力主義自体に疑問を持たず、男性と女性を本質主義的に分けたうえで、性差別をなくしていこうという意識を重視せず、ダイバーシティの深い推進の感覚はなく、フェミニズムを間違った思想と思う意識があるもののようである。「結果の平等」を意識しないで、単純な「機会の均等」だけでいいという意見である。

そしてそういう主張がネットでもまあまああり、掲載されている調査でも類似の意見が多い(約6割が女子枠に反対)。

ただし、記事に出ていたUT-SFFAの代表は、実は矛盾したことを言っており、性別で考えるなと女子枠に反対と言いつつ、他の要素も見て、「『逆境指数』を用いればよい」という。これは、社会構造上、少数者や被差別の人の「逆境性」を意識してアファーマティブアクションをしていけという主張になり、女子枠の正当化につながる意見である。本気で彼がそう主張するなら、輪が交差性を深く理解する必要性を言うことともつながるので、ぜひこの人には、差別反対のスタンスで、其の主張を深化させてほしいと思う。

記事を見て、ちゃんと学ばないと、こういう「反フェミニズム」意識が広がる時代であると改めて確認された。

そして、話は飛ぶが、私は、1977年の川崎市の青い芝の会のバス乗車闘争を思い出す。当事者が声をあげて、主流秩序に挑んだのである。その存在を知らしめ、車いす障碍者を排除する社会にその差別性を突きつけたのである。少数者への差別と闘う運動に教誨するか、迷惑がるか、どの時代も、皆が問われている。当時は、バス運転手、会社は、受け入れず、車いす乗車に抵抗し続けた。「差別をなくす」ためには、主流秩序の下位に対する積極的な支援によって主流秩序の構造を揺るがしていくことが必要なのであるが、それを理解するには、知性や感性が必要である。この講義で扱う「弱者男性の主張をどう受け止めるか」や「トランスジェンダーと女性の安全の対立」その他、についての主流秩序論を踏まえた学びが必要である。

記事は、「もっと議論や説明が必要」という。それはそうなのだが、その「入り口」を言うだけでは、過去に、多くのことが社会運動で主張されてきたことを「しらないまま」に受動的に「説明・議論が足りない」と外部に責任を押し付けている。米国の公民権運動以来、この問題はずっと議論され、深い提起もなされてきているのである。昨日・今日提起された亜話ではない。学んでいない人を前提にするのはおかしい。

もっとそうした議論を広げ伝えていくことが必要とはいえるが、それは誰がどうやって行うのか。「自分抜きに、誰に言っているのか」と考える姿勢がメディアにも必要である。

 

「フォーラム)「女子枠」と向き合う:1 意義は」

朝日新聞 2025年11月30日 5時00分

 

 理工系分野に進む女子学生を増やそうと、大学入試で「女子枠」を設ける動きが広がっています。2025年度に実施される入試では、国公立の38大学49学部が理工系学部に女子枠を設けています。入試の公平さ、そして社会の多様性について、皆さんと考えます。

 ■利用した女性 工学部で存分に学んだ、入学後が大事

 女子枠で入学した人は、どう感じているのか。制度を利用して愛知工業大学工学部に入学し、今は愛知県北名古屋市内の機械製造会社で働く女性(25)に聞いた。

 「大学では性別に関係なく、学びたいことを学べました」と女性は振り返る。小さい頃から物づくりが好きで、組み立て玩具や図工の授業に夢中になった。中学校の授業でプログラミングや小物の製作実習をするうち、技術科の教員になりたいと考えるようになり、工業高校への進学を決めた。

 面談で教師に伝えると、「女が行くところではない」と言われた。親が「いいんじゃない」と背中を押してくれ、工業高校の機械制御科に入学。生徒80人のうち女子は3人だけだったが、気にせずに金属を削る実習などに励んだ。

 大学は工学系を志望した。たまたま見たパンフレットで、愛知工業大に女子向けの推薦入試があることを知り、出願した。

 大学では一般入試で入った同級生と互いに勉強を教え合った。女子枠で入学したことを伝えても「そうなんだ」と言われるだけで、1年ほど経つと思い出すこともなくなったという。

 「人のためになる研究」に関心があり、レスキューロボットをつくるサークルに所属した。3年次には全国の大学が集まるコンテストで最優秀賞を受け、ロボットの振動を分析した論文で学内表彰も受けた。

 勤務する企業は菓子包装機械を製造しており、顧客が使う機器を調整し、メンテナンスする部署にいる。「ほかに女性はいないけど大丈夫?」という声もあったが、機械を触ることができて顧客の声もじかに聞けることに魅力を感じ、この部署を自ら希望した。

 女性の平均に近い身長であることを生かし、菓子工場の生産ラインで働く女性たちが操作しやすいようにボタンの高さや位置を調整したり、モニターの位置をチェックしたり。充実した日々を送る。

 「『女子枠』は間口を広げるものなので、入った後に何をやるかが大事だと思います。私は入学して、やりたいことはやり尽くせました」と女性は言う。「『男だから、女だから』で周りの大人が子どもを縛るのはやめて欲しい。自分が選んで本人が幸せなら、やりたいことを見つけられるはずです」

 

 ■「反対」の学生 男性にもプレッシャーや不自由、能力尊重を

 「女子枠」に対して、「男性に対する差別では」と懐疑的な立場の人もいる。国公立大学の女子枠設置に反対する学生団体の代表は、「性別で枠を設けるのはおかしい」と疑問を投げかける。

 東京大学の男子学生が代表を務める「UT-SFFA」は、同大生を中心に約10人で活動している。今年5月に設立し、女子枠が違憲に当たるかどうかを検討するオンラインの勉強会を開いたり、女子枠が設けられている大学のオープンキャンパス会場付近でビラを配ったりするなどの活動をしてきた。

 3年ほど前、当時の東京工業大(現東京科学大)で女子枠を設けるというニュースを見て、「性別で区別する枠は合法なのか」と疑問に思ったのが原点だという。一般受験の定員を減らして女子枠を拡大する動きを知り、一般枠でぎりぎりで落ちた人と自分が重なるような感覚を抱いた。「受験生の一生に影響を及ぼす制度であり、もしかしたら自分が『被害者』になっていたかもしれない」

 小学生のときから塾に通い、中高一貫校に進んだ。高校3年時の受験では東大に届かずに他大に進学したが、諦めきれずに中退して東大を再受験することにした。親には頼らず、夏季講習や模試の費用など約50万円は働いて工面した。早朝に3時間ほどアルバイトをした後、午後9時まで図書館で勉強する生活だった。

 東大に入学すると、裕福な家庭出身の学生が多いと感じた。一方、男子学生の中には自分以外の親族で大学に行った人がいないという人がおり、就職情報を得るのに苦労している姿を見た。「男なら稼げるところに就職を」というプレッシャーを受けて自由に進路選択できない学生もいた。

 「進路を選ぶ際に理系を選びづらい女子がいるのは事実です。しかし、男性でも進路の面で不自由を抱えている人はいる」

 難関大に女子枠で入学した学生よりも恵まれていない男性はたくさんおり、「性別」で枠を決めるのはおかしい。属性ではなく個人の能力が尊重されるべきだ……。そんな思いで、団体を設立した。

 多様な背景を持った人が理工系で学ぶことの意義を認めた上で、学生はこう提案する。「性別ではなく、地方出身だったり、家が貧しかったり、障害があったり、そういう人に加点する『逆境指数』を用いればよいのでは」

 「女子枠を使って入学した人を責めるつもりはありません。大学を運営する年配の人たちが決めた『多様性』の数合わせのために、若い男性が犠牲になっているのです」

 

■「機会の平等を実質的に保障」という捉え方も 

桐蔭横浜大学准教授(憲法学)・茂木洋平さん

 女子枠制度について、「ロールモデルになる」などの肯定的な意見がある一方で、「男性差別では」という声も上がる。入試における平等などを研究する茂木洋平・桐蔭横浜大学准教授(憲法学)に聞いた。

     ◇

 性別で枠を割り当てるというのは、海外に例のない非常にラジカルな制度なので、広がりに驚いています。「機会の平等」を否定するものだとして、女子枠は差別だという議論が起こるのも自然でしょう。限定的とはいえ、男性に対して目に見える形で入学枠を獲得する機会を狭めているからです。

 批判の背景には「入試には公平性が求められる」という考えや能力主義への信奉がある。「生まれ持った能力と努力のみで評価されるべきだ」という立場と女子枠の考え方は相いれません。ただ、能力主義も一つの指標であり、絶対ではない。重要な社会目的がある場合は覆されることがあります。

 女性の社会的自己実現の障壁をなくすために、理工系で学ぶ学生の多様性を推進するという目的から考えると、女子枠について裁判所が違憲と判断することは難しいと考えます。

 憲法能力主義を絶対としておらず、正当な理由があれば性別による区分を設けることも許されます。性別による措置が全て許されないなら、男女共同参画の取り組み自体を否定することになります。形骸化した「機会の平等」を実質的に保障するものだと捉えることも可能でしょう。

 女子枠があっても、男性は別の方法で入試を受けられる。機会が閉ざされているわけではなく、差別的構造がつくられているとまでは言えません。地方と東京の格差や困窮家庭の問題については別に検討すればよいでしょう。

 一方で、「多様性」を推進しようとする大学側の発信も足りないと感じます。女子枠を通して、どのような社会を目指すのかを明確にすべきです。「入り口」だけに議論が偏りがちですが、理工系で学ぶ女子学生が増えれば、「出口」の産業界も女性が働きやすい環境が求められる。長時間労働なども見直され、個人が働き方、生き方を選びやすくなるのではないでしょうか。

 

 ■進学しやすくなる/まず教育改善

 アンケートは、女子枠を設置する大学について知っている、という人からの回答が9割近くに上りました。結果はhttps://www.asahi.com/opinion/forum/232/で読むことができます。

 ●世間の考えを変える 女の子がより進学しやすくなりますし、世間一般の考えを変えていくきっかけにもなると思います。(山口、50代)

 ●環境変われば 日本の理系分野で女性が少ない背景には、価値観や役割意識なども大きいと思う。海外からの理系留学生では女性比率が極端に低い印象はなく、環境が変われば状況も変わりうる。(愛知、男性、20代)

 ●結果の公平な評価を 入試は能力や努力の結果を公平に評価すべきであり、性別による枠を設けるのは逆に不平等だと感じます。理数分野への興味を育てる教育やロールモデルの可視化、職場環境の改善などが重要です。(東京、30代)

 ●若い世代に負担 安易な女子枠の設置には反対です。男尊女卑の前提のもとで恩恵を十分に受けてきた上の世代の男性たちはポストをほとんど手放さないまま、「多様性のため」と若い世代に負担を押しつけているように見えます。(大阪、女性、30代)

 ●理由の説明を なぜ女子枠が設けられるに至ったのか、丁寧に説明をしないと、男子生徒だけでなく女子生徒同士でも、不公平感や制度利用者への不信感を持つようになってしまうと思います。(千葉、女性、40代)

 ■《取材後記》6割が否定的、足りない議論

 アンケートでは、女子枠を設けることに否定的な人が6割を占めた。その理由について、どう考えたらいいのだろうか。

 改めて、女子枠を設ける国公立38大学の募集要項を読んでみた。設置意義や背景を説明しているのは5割程度。それも「多様性」を「尊重する」「推進する」といった、具体性のない言葉が並んでいるものも少なくない。

 理工系学部で学ぶ女性を増やす理由について、大学側の説明は十分だろうか。多様性という言葉が、便利に使われ過ぎてはいないか。賛成はできなくても、より多くの人が納得できるような社会の仕組みについて、さらに議論を重ねるべきだ。その支えとなるような記事を書いていけたらと思う。(関口佳代子)

     *

 せきぐち・かよこ 東京の下町出身。通った公立の小中学校には様々な階層の人がいた。近年、様々な国の人も集う地域になり、多様性を考える機会が増えた。

 ◇関口佳代子が担当しました。 

 ◇次回12月7日は「『女子枠』と向き合う:2」を掲載します。

女性の性的搾取と闘う精神を描いた韓国ドラマ『エマ』

  • 女性の性的搾取と闘う精神を描いた韓国ドラマ『エマ』

ユニークなフェミ的ドラマが、韓国の『エマ』だ(2025年製作、演出・脚本:イ・ヘヨン、Netflix独占配信、話数:全6話)。

軍事政権の1980年代初頭の韓国を背景に、論議を呼んだ官能映画「愛馬夫人」の撮影に臨むスター女優と新人女優の生きざまを描く。ようやく映画界に自由が少しもたらされる面がありつつも、売れればいいということで、「エマニエル夫人」の真似のようなエロだけを利用して金儲けしようとする空気があり、そこでは女優の人権などないに等しく、性的に屈辱的な搾取がなされていた。男性中心主義の映画業界のルールと権力者に女優が献上品として差し出される舞台裏の腐敗の中、生き残りと少しの誇りをかけて果敢に戦っていく二人とその仲間たち。

もっといいモノを作りたいという思いと、資本主義・商業主義の構造の中で制限される現実。官能映画『愛馬夫人』(Madame Aema 1982年)が誕生するまでの女優や制作スタッフの葛藤を描いた作品という面もある。

トップ女優のヒランは、胸の露出を強調するひどい脚本に異議を唱え、制作会社代表のク・ジュンホ(チン・ソンギュ)に抗議する。ヒランは「これまでは脱いできたけどもう脱がない!」と宣言する。が、契約上出演が避けられず、助演役に降格されてしまう。その後、新人監督クァク・インウ(チョ・ヒョンチョル)が大胆なキャスティングオーディションを仕切り、魅力的な新人じゅえ――無名だけど胸が大きいことも重要要素――を発掘する。誇り高きヒランはジュエにライバル意識をもちいじめるが、大きな権力構造の中で搾取されるという共通性から二人は徐々に、ともに戦う仲間となっていくのである。

売れるためには裸にならざるを得ない“現実”がある中で、生き残り、幸せと自由を手に入れようとするフェミ的な意気込みがにじみ出る作品である。売れるための「成人映画」を馬鹿にし揶揄するような隠れた批判精神もあるユニークで、面白い作品である。この映画の構想の元となったのは実際の韓国の成人映画『愛麻夫人』(1982で、。13作までシリーズ化された作品という。ただし、本ドラマはフィクションである。

クソのような制作会社代表のク・ジュンホが政治権力者たちに女優を差し出して金儲けするような状況、軍事政権を裏から支える南山(韓国のCIA)の横暴、夜の外出禁止令が続く社会状況なども描かれる。貧しいジュエが成功していこうとするときの苦難の道を結局は仲間の女性たちは応援する気持ちも描かれる。

ドラマ「僕達はまだその星の校則を知らない」第2話のダメさ

  • ドラマ「僕達はまだその星の校則を知らない」第2話のダメさ

いかは「ジェンダー論講義録 第12回」に加筆したものです。講義録は電子本として取りあえずは15巻出しました。印刷本(ペーパーバックPOD)には9月ごろには全部できると思います。少しお待ちください。

 

 

ドラマ「僕達はまだその星の校則を知らない」(25年放送)の第2話で、彼女にフラれたA君(高校生・男子)が、ふったBさん(女子)とその新しい「交際相手」C君に対して、ブチギレ、C君とつかみ合いの喧嘩をし、許せない、イジメレベルで傷つけられた、ぼくをフッたのは許せないと言っていた。

そこにスクール・ロイヤー(弁護士)がいじめ対策防止推進法を杓子定規に間違って解・適応し、フラれて傷付いたのであれば「いじめ被害になった」とみなせますといい、B/Cさんは加害者だというのである。

当事者A君もその気になって、自分はいじめの被害者だと言って、引きこもったりし、加害者への処罰を求めるようになる。弁護士や学校は、Bさん、C君をいじめ加害者として対応をはじめ、Bさんも自暴自棄になる。恋愛なんてしなければよかったと思う。

物語は、A君が少し余裕を取り戻し、フラれたことは許せないけど、いじめではなかったと言って終わることになる。先生は、いじめではないと言って、彼女を許したA君を立派だと言って終わる。

私は、大森美香さんの脚本に一番問題があると思う。いくらべ円越しに過去や障害特性があるとしても、弁護士が、余りにおかしなことを言いすぎるし、学校の先生も能力低いし、この第2話については、恋愛観が古いカップル単位のままで、全くダメであった。

問題点はいろいろあるが、デートDVにかかわる点だけをいうと、A君が最後までフラれたことを許せない、これはいじめと同じだ、傷付いたと言い続けたこと。その考えが間違いで、恋愛はフラれることがあるし、それは相手の暴力ではないので、「許す/許さない赦さない」という言葉を使う問題ではないのに、ドラマではそこはまったく深められないまま。

勝手に運命と思って好きになった、それでフラれただけで、怒り、相手がひどいと言い、暴力だ、いじめだという、その基本認識をまったく変えないまま終わっている。ただ彼女との恋愛がすばらしいものでく好きだったから、フラれて許せないけど、いじめではないというだけ。

まったくシングル単位感覚がない物語であった。自己中で、好きになったからといって相手が好きになるとか、好きになり続けるとかは当然ではないのに、DV/ストーカー加害者の発想で、「僕をフッた彼女がひどい」というだけ。教育的にはBさん、C君を「相手を傷つけたから謝りなさい」と指導するのではなく、逆にA君に、「シングル単位の恋愛論/人間関係論」を教えて、あなたの認識と態度はDVだよとわからせないといけないのである。

この脚本がテレビ局で通って放送されたという点で、まだ日本ではシングル単位の思考法も、デートDVの正しい認識も広がっていないと分かる。

脚本家の大森さんは過去には良い作品も書いているし、他の話では盗撮問題など新しい社会問題も入れていいところもあるようだが、この第2話では、シングル単位とカップル単位の違いの重要性がわかっていないことを露呈してしまった。

この講義の受講生の皆さんには、この実践的に重要な点を理解してほしい。

 

ジェンダーを考える力――学ばないと安易な結論にとびつく

  • ジェンダーを考える力――学ばないと安易な結論にとびつく

いかは、ジェンダー論講義録に書き足したものです。

 

以下の岡崎記者の記事を見て、違和感を持った。コメントの人の指摘も適格だが、それ以外にも、どうしてそういう論理展開になるのかなとすぐに感じた。

私が以下の記事に疑問を持ったのは、昔、ジェンダー論の基本を学んだときに、米国の女性アナウンサーと日本の女性アナウンサーの声の高さの差異の研究を知ったこと(米国の方が低い)、その後、私の講義でよくそれも資料として使っていたからである。そういう基本を踏まえているからである。

簡単に言うと、声の高さは生物学てなことだけに規定されているのではなく、育てられ方や社会の希望、社会の意識、社会での役割、職業・職場で求められることなど社会的要因、つまりジェンダーという社会的な性の側面があると認識すべきということである。女性の魅力や期待・役割がどうなのかにかかわる。女性への期待が、男性とは別に、声が高い方がいい、キレイ・かわいい方がいい、補助役割、明るい感じなどとして求められるなら、声も明るく高く、はしゃぐ感じや「その社会での女性らしい」というイメージに近い声や話し方が好まれるであろう。それを前提とすると、女性アナウンサーはそういう期待に応じた声や話し方になる。そういう期待に日米で差異があるということが、声の高さの違いということには関係している。

声の高さは、それは子供の可愛さと近い面があり、しっかりとした冷静さや論理性などは重視されないということが関係している可能性がある。首をかしげるというのも、赤ちゃんに近いのでかわいいと感じるという。日本社会では、女性には「かわいさ」が求められることが多く、そこへの批判的反省的な意識の人が少ないように思う。アニメ声的な人はそれは子供っぽい話し方という面があるので、もし大人になっていく中で、自分の「話し方や声」が、アニメっぽくなっていると知って、それは変えたいと意識したら変えていくであろう。しかし、「かわいいのでいい」と思っていると変えようとしないであろう。その様に社会に環境とそれへの自分のスタンス、パフォマンスの選択によって形成されていくのがジェンダーなのである。

私はディズニーランド好きの女性が大人になっても無邪気に、それを話し、そこに「子どもっぽいのではないか」という自分を省みる視点がないのを私は問題があると考え、それは「社会の幼稚化」と考えている。オタク化が全体化しているよう側面があると思う。

アニメを好きな人が多いこと、テレビなどでもアニメのような話し方のキャラを無批判にかわいいからということでよく出しているし、関心の持ちかた、会話の展開の仕方、興味あることなどが、幼稚化していると感じることが多い。若い女性は、そういう幼稚化と重なる女性の可愛さを無批判になぞっていることが多い。それを期待されているし、それでいいという意識が多いのは、自立とかジェンダー平等への意識が低い面があると思う。だから「かわいい」という言葉が日本では非常に多用され、それが国際的にも広がるような概念になったのである。推し活という点でも、大人になってもアニメやアイドル的なものばかりに注意を向けるのは、子どもっぽいことや「非政治化した状態」への批判の感覚がないことに関係していると思われる。ここの話は深めるべき点と思うが、いまはこの程度の直感的な記述にとどめる。

一言で言うと、日本社会は、大人になるということ、自立や思考力、政治的意識綾主体化より、子どもっぽいようなこと、趣味、かわいさ、非政治性などを重視する傾向が強いということである。

話を戻して、そういうことと女性の声の高さが関係しているのではないかという話である。男性もジェンダー化から逃れてはいない。社会の中で選択して行為遂行の積み重ねで自分というものはできていく。私は男性だが、話し方や声の高さなども、自然に備わったものではなく、一定意識しているし、社会的に規定されている面があると思う。あまり子どもっぽい話しかたをすると、低く見られると意識し、自分なりに、こうありたいという方向に自分の話し方を近づけている面がある。が、そこに小さいころから見てきた男らしさのイメージが絡む。女優、男優なども、作品・役・演技によって話し方や高さ、ふるまいは大きく変える。

社会的にどういう影響を与えるかや字部の振る舞いがどう受け取られる可能性があるかを意識したときに、女性アナウンサーに求められているものが男性とどう違うのかという問題がかかわる。米国のメディアにもジェンダーがあり、服装・化粧なども含め女性らしさを求められている面もあるが、しっかりしているという面が日本より重視されている面も影響しているであろう

。だから、「日本の方が、女性は自分らしく話をしている」とは単純には言えないのは明らかである。

「だから以下の記事の論理に私は違和感を持った。「自分らしい話し方」を自然だ、とみる本質主義を乗り越える必要がある。

以下の記者にはそういうジェンダー論の基礎的素養が欠けているので、他の研究視点の可能性が見えていなかったということではないのか。「思い込み」から脱するために、頭を柔軟かくし、他の文化や感覚の可能性も考えられるようになっていくことが大事である。

以下、記事に私のコメントを書きいれる。

***

女性候補の声の高さ、男性だけが気にする? 研究が示す無意識の偏見

朝日新聞編集委員・岡崎明子2025年7月12日

記者コラム「多事奏論」 編集委員・岡崎明子

 

 かつて英国のサッチャー首相は、就任前と後で「声」を大きく変えたことで知られる。ロンドン・メトロポリタン大のアン・カープ教授の著書「『声』の秘密」によると、権威を得るために、声の周波数を60ヘルツも下げたそうだ。その結果、女性の声の平均と男性の平均のちょうど中間あたりになったという。

 努力の跡は当時の映像からもうかがえる。首相になる前のサッチャー氏の声は柔らかく、優しい。私としてはこちらの方が断然、魅力的に思える。

 

伊田コメント→

カーブ教授の著作に影響をうけすぎているのかもしれないが、以下の議論の展開が社会学的な合理性を基準にすれば、おかしなことだらけである。

まず、この出だしで、「私としてはこちらの方が断然、魅力的に思える。」というのは、個人の感覚に過ぎないという自覚が欠如している記述と思った。人によって感覚はかわるし、男性の政治家も含め、どういう話し方がいいかも個人差がある。以下の展開をみると、この記事を書いた岡崎記者は「女性は女性らしい声の他亜傘やはなし方が好ましい」という感覚を持っていて、男性の話し方と女性の話し方に違いがあるのは当然と思ているようなフシがある。それはジェンダー論として前提にはできない。例えば、私・伊田は、サッチャーの政策・再発言内容・人権感覚にを踏まえて反対するだろうだが、声が低いことや話し方で批判する気はない。岡崎さんは「私は男性の話し方も、前のサッチャーのようなのが好ましい」と言いたいのか。男性は別の話し方でいいと言いたいのか。打がそんあことはは考えていないで「こちらの方が断然、魅力的」と話しているのだろうと思われる。そういう問い自体を自分で持つ必要があるテーマなのである。

 

 当時の英国の有権者も、散々な評価を下した。「不自然に異様に低く、人を見下す響きがある」「犬が死んだような口調で、投票する気にならない」と揶揄(やゆ)したという。パワーを得るための努力が、逆に攻撃材料になってしまった。では、日本ではどうなのだろう。

伊田コメント→

だれが攻撃しているのか。そこを考えないのがおかしい。「有権者も、散々な評価を下した」と言い切る、この単純さにはあきれる。著作に書いているからと無批判に受け取るのがおかしい。左派と右派で出は投票行動は変わる。サッチャーの評価も変わる。話し方で、こんな差別的な言い方をするるような意見が、マトモとは私は思わない。サッチャーを話し方も政策も含めて支持した人も多くいたのである。「魅力的でない」という感覚はとても従来の「女性はこうあるべき」というジェンダー意識にのった感想のように思える。

それは、外見、美人か「ブサイク」かで投票先を左右するようなものと類似的ではないのか。そういう人がいるのは「事実」である。男性候補者もグッドルッキングの方が人気を得やすい。そういう研究は多くある。しかし政治や選挙はそれでいいのか。

それを、前提視・自然視するようなかきぶりだ。「不自然に異様に低く、人を見下す響きがある」「犬が死んだような口調で、投票する気にならない」というような意見は、ほんの一部の感想にすぎないと判断すべきだ。不自然というが何が自然か。男性なら自然なのか。政治家をみるとき、マトモな人は政策を中心に見ていく。「見下す言い方」というのは男性・女性、声の高さの問題ではなく、損ヒトのの思想、人権感覚、人間関係の在り方が反映している。声を低くしても、「人を見下さない優しい感じ」は出せる。

 

 

 政治学を専門とする東大の鹿毛利枝子教授らがこんな論文を出している(https://doi.org/10.1017/S1468109922000354 )。20~50歳の414人の有権者に声の高さが異なる架空の女性候補のスピーチを聞いてもらい、投票したいかどうかを尋ねた。

 一般的に声が高い人は低い人に比べ「真実味や力強さに欠ける」との印象を持たれるという。そのため欧米では、声の低い政治家や候補を好ましいと感じ、信頼を置くという研究が多い。サッチャー首相だけでなく、米国のヒラリー・クリントン大統領候補もドイツのメルケル首相も、声を低くしたことが知られる。

 鹿毛さんの実験によると、日本の有権者は、欧米ほど声の高低に敏感ではなかったという。

 

伊田コメント→

まず鹿毛利さんの見解が正しいと限らないし、その研究の示唆するところがそれだけなのかも検討すべきである。だがここに出ている情報だけでも、私には違和感がある。政治という者がそもそもリーダー的なものを求めがちで、私はトランプのようなリーダーを好まないが、頼もしいという人もいる。それを基準に答えている人の問題は、声の高さ亜d家でなく、政治化yリーダーに何を求めるかにかかわる。私は男性の政治家にも優しい感じを求めるので、えらそうで断定的で攻撃的な言い方には批判的だ。だが声が低くても、男性的な話し方でも優しい感じは出せる。だから女性政治家で、落ち着いたトーンで低い声というのは、無理にこわもてで攻撃的な男性の話し方をしているとは断定できない。私はヒラリークリントンの声の高さが無理に低くしていてyくないと思ったことはない。そうなると岡崎さの主張とはずれてくるではないか。

岡崎記者は、「声が高い人は低い人に比べ「真実味や力強さに欠ける」との印象を持たれる」ということを批判するのか、それは人間の傾向として前提として考えていくのか。又声の高さだけでなくその話しかたや振る舞いも含めて、メルケルもヒラリークリントンも見ていくべきだし、彼女らが自分の「自立した」生き方として単に選挙用に演技したのではなく、自分が女性ジェンダーに従属しないスタンスを確立していく中で話し方や声を選んだとも解釈できる。すると評価も変わってくる。岡崎さんもジェンンダーびょうづを意識しているようなので、sの観点から女性が従来より低い声で話すこ女を好ましく見ることもできるはずである。

だが岡崎さん野記事は一貫して、女性政治家は自分の自然な声を選挙・政治様に無理に下げているという視点で書いているから、読んでいて、違和感だらけになるのである。ヒラリーやメルケルサッチャー、そしてハリスが自分で話しかたを選択しているということへの肯定的信頼や尊敬心が欠けているのではないか。

 

 

 「これは、私も予想外の結果でした」

 ところが男女別に分析すると、興味深い傾向が明らかとなった。女性有権者女性候補の声の高低にあまり影響されない一方で、男性有権者は低い声の女性候補を好んだという。

 「推測ですが、女性同士はふだんやりとりする中で、声の高低によって能力やリーダーシップが変わるものではないと実感している可能性があります。もしかしたら男性の方が、女性の声に影響を受けやすいのかもしれません」

 

伊田コメント→

ここも、鹿毛利さんの見解だけを紹介しているようだが、別の解釈もありうると思った。声の高低によって能力やリーダーシップが変わるものではない、とは言い切れない。又有権者の方も、女性らしさへの批判性やフェミニズム感覚がなく、「女性らしい話し方」の候補者を好ましく思っているのかもしれない。

そして男性も多くが「女性らしさへの批判性やフェミニズム感覚がない」がゆえに、日常では従来の性別役割や女性性を女性に求め、しかし政治家としては「男性のような強さをもとめる」から、上記のような統計の差異が出ているだけかもしれない。女性が女性の声で、「女性らしい高い声の出し方」に共感的とすればそれも声に影響をうけているともいえる。低いのも高いのも好きだからと言って、声に影響をうけてていないとは言えない。また男性でも、美人とか、っ若いとか、女性らしい感じだということで津評する人が多い現実もある。

つまりいろいろな評価が考えられるときに「男性の方が女性の声に影響をうけやすい」というようなことは言えないし、言ったとしてもそれで何を言いたいのかが問われる。私はこの調査の設計自体にも問題があると思うし、分析の評価にも疑問がある。

「男性の方が女性の声に影響をうけやすい」というのを、岡崎記者は「悪い意味で」とっているが、男性の方が政治家の冷静さを期待していると言う解釈もできる。「いや声の高さと冷静さは関係ない」という反論は、それなら声の高さを問題にする必要はないとみえるし、またそうとは言い切れないという反論を予想していないともいえる。そもそも「声の影響を受けること、声ン高さや話し方から相手を判断することは悪いことなのか。私は「話し方」を意識して入れているが、岡崎記者は「声の高さ」に絞っている。岡崎さんは最初、「前のサッチャーの話し方が魅力的」といってたではないか。そういうスタンスからすれば、男性の方がちゃんと声の変化を重視しているという論理展開もできる。つまり、様々なことが考えられるときに、岡崎記者は、「男性の方が女性の声に影響をうけやすい」からだめだ、女性は「声の高低は関係ないとしているから正しい」、という可能性だけを見ているからダメなのである。

しかも男女で本質的にそうした差異があるかのように、グループで見過ぎで、実は女性の中にも男性の中にもLGBTQの中にも、子の声や話し方でも多様なとらえ方があることを重視していない。ある調査で少しの差異があるから「学問的・統計的に有意な差異だ」というのは、「ある面」でしかない、少数を軽視している面もある。多数・少数だけで見るのは、すべてをとらえているのではなくただの傾向とか状況の一面を把握しているだけである。選挙で当選しなかったら、その当選しない人や政党への投票を軽視することと類似的であり、思考停止の典型である。そういう多数重視、主流秩序重視、

統計の少しの差をもっていろいろいう発想」を見直そう、少数の人の意見の存在をちゃんと見ようということを私は重視したいとおもう。

 

 

鹿毛さんの話を聞きながら、何人かの女性政治家の声を思い出した。確かに「初の女性首相候補」として歴代、名が上がった女性のほとんどは低めの声だ。

 彼女たちが意識して低い声を出しているのか、あるいは声が低いからその立場にいるのか、それはわからない。

伊田コメント→

女性首相候補は、いい悪いを別にして、おおむね実力があると思うが、それは政策や説得力含め総合力だろう。声が低いからという一要因でみるべきではないし、上記でヒラリーにrついていったように、しっかりした人格のありかたを自分で選び形成したと考えらっるので、女性の声の低さを否定的に見るべきではないというのが基本と思う。そういうときに、「女性政治家が意識して低い声を出しているが、それは無理している、男社会・男基準に合わせているだけ」かのような、この記事のとらえ方は一面的過ぎると思う。

 

 

 ただ鹿毛さんは、日本で女性の政治家が少ない理由の一つとして、プライベートでは「女性らしさを示すために声を高く」、政治の世界では「信頼されるために声を低く」といった、相反する期待が求められる社会規範も関係するのではないかと指摘する。男性は内でも外でも声が低い方が魅力的とされ、女性のようなダブルスタンダードに葛藤する必要はないとも言う。

 

伊田コメント→

ここも間違い。女性の政治家が少ない理由として、ここに焦点を当てるのはあまりに無理筋だ。男性に葛藤亜gないというのもキメツケだ。声の高い男性もかなりいる。男性も、声が高いとか、感情的とされるとだめと思い、様々な競争、パワーゲームをしている。「男性は自然と生きている、葛藤がない」わけではない。女性に二重の規範がかけられているというように見ることもできるが、それはまさにジェンダー秩序の問題であり、男性にもジェンダー秩序がかかっている。そこを批判的に見ていくというフェミ的なスタンスなら、多様な人が多様な声を出せるようにという指向性の主張は分かるが、その人の主観や「生物的な自然」というようには、「声の高さや話し方や振る舞い」はとらえられないという視点を踏まえていくべきである。上記の記事は「生物的な男女二分法、その差異の自然視があっての見解なので、違和感がある。

 

 

 そもそも声を低くすることは単なる音の調整ではなく、「生まれ持った声」というアイデンティティーを押し殺す行為だ。それは自己肯定感にもかかわる。

伊田コメント→

以上ですでに述べたが、「「生まれ持った声」というアイデンティティーを押し殺す行為」というのは一面的である。ここには本質主義への批判的な意識がかな薄いことがあると思われる。声は社会的なものの面がかなり強いのである。

声だけでなく、「生まれ持った本当の私」とは何かというのが、哲学・思想・心理学などでもよくテーマになることがある問題で、真っ白に無規定・非社会的・純粋な「私らしさ」「私の本質」「本当の私」があるというのはかなりあやうい考え方である。近代主義的である。人間は社会関係の総体という言い方もあるように、かなり社会的な存在だということで、ジェンダーというものもその一つだ、だから社会構築主義的な視点がおおむね、共有されている。この岡崎さんの記事は、そういう視点が欠如している。

 

 

 もしある女性候補の演説を聞き、「何か頼りない」と思ってしまったら。そこには無意識の偏見が潜んでいるかもしれない。その偏見に気づくことは難しいからこそ、女性が政治に参加しやすくなる制度や仕組みが必要なのだ。

伊田コメント→

そういう解釈は、たくさんある検討すべき点のひとつと思うならわかるが、ここに絞るところが、まさにジェンダーを自然死している考え方で、説得力がない。

女性は、こういう話しかただという意識の中に、従来のジェンダー性役割があるのではないか、つまり男性候補者にも、岡崎さんはおなじ問いを投げかけるべきなのである。「頼りない」とは何なのか、色々考えるべきで、「女性の声の高い話し方を頼りないと思うべきではない」というのも、本当かと疑うべきなのである。例えば男性にたいして「子どもっぽく高い声だな」と思ったらダメなのか。そこに話の内容が論理的かフェイクがあるか、キメツケ的か、えらそうか、受容的か、人権意識があるか、非暴力的か、などいろいろ考えて、その人を判断するだろう。だが話しかたがうまい、人を操るのがうまい天才もいる。色々考えるべき時には、ある女性候補の話し方や化粧、服装、話の内容などで、この女性は女性ジェンダーに無批判なんだなという判断をすることもありうる。米国の共和党大会を見ていると一定の、共和党的な女性の服装や振る舞いもあった。同じことは男性にも言える。そういうところを捨象した一面的な判断が「女性の自然の声を抑圧するのはおかしい」という見解である。そして、何を言いたいのかがあいまいになっているのが、「女性候補の声の高さ、男性だけが気にする?」という表題である。私がここまで述べたことを自覚していないからこういう表題になっている。ポイントを置く点がおかしいのである。日本の女性政治家の声の高さへの批判視点や受け取る女性の感覚への批判視点の可能性が全くない表題である。

なぜ日本社会では女性の声は政治家だけでなく女性アナウンサーも、その他でも米国に比べて高いのか、そこには日本社会のジェンダ秩序への無批判性があるかもしれないという様々な角度から考えてこそ、「思考」である。この記事を読む限り、岡崎記者こそ、ひとつの見方にとらわれて、自分の無意識に自覚的でないのである。そこが分かっていないからこういう結論を書けるのである。表題も含め、この記事の論理展開には違和感が多かったのは、こうしたいくつもの問題があったからである

 

 

 声の印象にとらわれず、「リーダー=男性」という思い込みが崩れたときに、「鉄の女」でなくてもトップに立つ女性政治家が生まれるのかもしれない。

伊田コメント→

「リーダー=男性」という思い込みがなくなるのはいい。だがそれはまず、男性だけでなく女性有権者にもそういうべきである。次に、その思い込みがなくなるというのは女性がリーダーになるのが普通ということだが、そうなったときに「声の高い女性がリーダーになる」とは限らない。声の低い女性がひどいわけでもない。ところがこの文脈では、女性は無理して声を低くして男性のように低い声で冷たい言い方で振るわないといけないと、否定的にとらえ、ましてそれを「鉄の女」という言葉で表している。ここには、ヒラリーなどしっかりとした女性リーダーが「鉄の女」で、無理していて、女性本来の声を抑圧しているかのような捉え方が潜んでいる。だからこの最後の結論がおかしいのである。しかも何度もいうがサッチャ―が「鉄の女」と言われたのは、主な原因は、その政策が保守で、労働組合ストライキ案度を弾圧するスタンスをとって社会民主主義新自由主義の方向に、つまり弱肉強食の方に変えたからであり、弱者に冷たく、またフォークランド紛争で戦争をするなど、攻撃的だったからである。

考えてほしい。記者の岡崎さんは男にも「鉄の男」でなくてもいいとか「鉄の男」ではだめだという結論を言いたのか。それとも男は「鉄の男」的なのが自然だからいいというのか。女性で声がもともと低い人は、駄目なのか。サッチャーが「鉄の女」と言われたのは、その話し方が主因ではなく、上記したように非常に市場中心主義で弾圧的だったからであるという内容がある。そこを抜きにして、話し方・声の高さがらみでサッチャーを低い声で怖い感じだと批判しているのか。女らしくないと批判しているのか。どれも違うというだろうが、では何を目指しているのかが自覚できていない記事なのである。そうではないというだろうが、表題も、結論部分も趣旨が不明だ。文脈を読めば「女性は高い声が自然で、低い声のヒラリーなどは無理している」というような主張になるが、そこが自覚できていない、そういう読み取り方をされることが自覚できていないということがこの記事には潜んでいる。おおくの無自覚が絡んでいる。ジェンダーにかかわることを書くなら、社会構築性や「男にも言えるのか」とかも考えていくのは基本である。私は男性も女性も多くはジェンダー平等に敏感でなく、既存の状況に合わせていると批判的に見ているので、男性はだめだが女性は、女性の自然らしさを正しく見ているというような分析には、違和感を感じる。

以上、岡崎さんの記事を契機に、ジェンダーを考えるとはということの入り口の話を書いてみた。

 

 

この記事に対するコメントがあった。

三浦麻子大阪大学教授=社会心理学

2025年7月12日7時0分 投稿

【提案】

私ならこの記事には「女性候補の声の高さ、気にするのは男性だけ? 研究が示す無意識の偏見」という見出しをつけます. 今の見出し「日本では気にしない?」は,紹介されている鹿毛先生の研究で「日本の有権者は、欧米ほど声の高低に敏感ではなかった」ことを指していて,それもまた事実なのでしょうが,論文あるいは記事全体の主張と合っていない(かえって読者に伝わりにくくなっている)と思います.

 

伊田コメント→

三浦さんは控え気味に批判していますが、私は、上記の様にかなり根源的に批判しました。

女性候補の声の高さ、男性だけが気にする?」を「女性候補の声の高さ、気にするのは男性だけ?」と変えるだけでは、私は不十分と思います。「女性政治家・候補の声の高さ、国よって違うのはなぜか。そしてそれをどう評価できるのか。また男性と女性で評価が異なることをどう考えるか?ジェンダー平等になるときの女性政治家の声はどうなるのか」というような射程で考えるべきことなので、元の記事の表題は、射程の広さが見えていないことの告白になってしまっているのである。

 

 

 

 

 

竹中先生

 

竹中先生

 

「訃報 竹中恵美子さん 95歳=大阪市立大名誉教授」@毎日新聞

https://mainichi.jp/articles/20250703/ddn/041/060/003000c

 

毎日新聞2025/7/3 大阪朝刊

 

 戦後の女性労働研究のパイオニアとして知られる経済学者で、大阪市立大名誉教授の竹中恵美子(たけなか・えみこ)さんが1日、多臓器不全のため亡くなった。95歳。葬儀は近親者で営む。喪主は長男均(ひとし)さん。

 岐阜県出身。戦後になって女性に門戸を開いた大阪商科大(現大阪公立大)で学び助手、講師を経て1974年に教授。86年に国公立大で女性初の経済学部長に就任した。家事、育児、介護などの無償労働を女性に偏って担わせている社会システムの問題点を明らかにし関西の女性労働運動の理論的支柱として活躍した。

 大阪府立女性総合センター(現府立男女共同参画・青少年センター)の館長などを歴任。著書に「戦後女子労働史論」「女性論のフロンティア」など。夫は歴史学者の故姜在彦(カンジェオン)さん。

 

 

 

参政党の神谷代表“高齢女性は子ども産めない”発言について

参政党の神谷代表“高齢女性は子ども産めない”発言について

 

参政党の神谷代表は、25年7月3日の街頭演説で「高齢の女性は子どもが産めない」「働けと言い過ぎ」などと発言したことについて、適齢期に出産できる社会環境を政治の力でつくるという趣旨で発言したものだと説明し、まちがってない、撤回しないといっている。

「申し訳ないが高齢の女性は子どもが産めない。日本の人口を維持していこうと思ったら、若い女性に子どもを産みたいとか産んだほうが安心して暮らせるなという社会状況をつくらないといけないのに、働け働けとやり過ぎた」」などと述べた。

これについて神谷氏はXで「女性には適齢期があるから歳を重ねていけば出産ができなくなるのは生物として当然のこと。適齢期に出産できる社会環境を政治の力でつくろうと言ったことを叩く意味がわからない」と投稿した。

記者団から発言の真意について問われたときも、神谷代表は「生物学的に女性はどこかで限界が来る。適齢期に子どもが産める世代の女性に一人でもたくさん産んでもらえば出生率が上がっていく。そういう物理的、生物学的な話をしただけだ」などと語り、発言の撤回はしないといった。

***

この言い訳を表面的にとる人がいるが、まちがっている。神谷代表は男女共共同参画を批判するニュアンスを言おうとしていた。だからこの発言の一番の問題は、「ジェンダー平等、男女共同参画」を「女性に働け働け」と強制するものとみているとこと、および「女性を産む器械」のように見ている事なのである。「申し訳ないが」という言葉にも本音が隠れている。それは「ジェンダー平等を言う人は、女性に働けと言いすぎだ」と言って、伝統的な「片働き・専業主婦家庭・性別分業夫婦を批判してるのがおかしい」という、参政党の主張をどう判断するかという問題なのである。

働くことと子育てのバランスについては、「大学や高校出たら働くこともいいし、家庭に入って子どもを育てるのもいい」とオブラートに包んで神谷氏は話している。

るが、重点は、女性に子ども多く生んでほしい、だから専業主婦でも全然いいと、リベラルな女性の自立論、社会進出論に反対、いうところにある。

参政党は、24年の衆議院選挙でも公約で「日本の伝統的な家族観と世論を軽視した選択的夫婦別姓制度導入に反対。議論が尽くされず、社会に混乱を招くLGBT理解増進法と同性婚に反対する。」と言っている政党なのである。

25年参議院選挙でも、「選択的夫婦別姓同性婚には反対。日本の伝統的な家族観や歴史・神話教育を重視する」など、保守色を強く打ち出している。それを言わんがための「女性に働け働けというな」であり、「高齢女性は子供が埋めない」なのである。彼は口先では「もちろん女性の社会進出はいいことです。どんどん働いてもらえば結構」というが、それは党の政策としてはまったくそんなことはいっていないので、信じてはならない。

高齢女性は子供が埋めないという必要もないのに、「女性は子供を産むのが大事な役割」という感覚が強く、ジェンダーの多様性に敏感でないので、「産めない人、産みたくない人、パートナーがいない人、アセクシャルの人、働くことに生きがいを感じている人」など多様なことに配慮できず、上記のような乱暴で人を傷つけ、ジェンダー平等において働くことが自立の上で重要なのにそれを軽視して理解ができていない発言をしたのである。シングル単位論としては、働くことは非常に重要である。少子化問題と対立させるのがおかしい。社民主義システムの展望において少子化対策をすべきと私は思うが、参政党はまったく逆に、昭和に戻れという対策なのである。

参政党の総合的に言おうとしていることを政策も含めて理解しないといけない。口先の美辞麗句にだまされてはいけない。

これは「日本人ファースト、行き過ぎた外国人受け入れ反対」という参政党の政策は、「外国人差別でなく、アンチグローバリズムだ」、と言うように言い換えて、事実上外国人差別を煽る極右の排外主義戦略を見抜かないといけないという話につながる。

口さきで「差別する意図はない」といったから何でも許されるというものではない。

ウイシュマ・サンダマリさんを差別した、元維新の梅村みずほ参院議員を参政党に受け入れたのも、まさに右翼政党らしい。「食料自給率100%」というのも、ナショナリズム的で単純に大衆を煽るスローガンである。

支持者は、日本人の給料が30年間上がらず、実質賃金がマイナスで外国に経済で抜かれている事、外国人旅行者が多いことなどと「日本人ファースト」と結び付けているのだが、論理的でない。外国人が日本御停滞の下人ではない。しかし単純に「日本人のための政治をやってほしい」という思いを組織して人気を得るトランプと同じ戦略をとっているのである。正しく原因分析できずに間違った処方箋を洗脳されている人が参政党などを支持している。

 

YouTubeの公式チャンネルでは演説の該当部分の動画が見られなくなっているが、それは、すこしでも悪く取られるのは嫌だからその発言部分を隠してしまったのだが、批判が起こったので、「炎天下による機材トラブル」とこじつけた説明をしている。

これも見苦しい。

また、積極財政といって、財政悪化問題に責任を取らず、国債発行問題なし、実現不可能な「子育て家庭に、子ども1人当たり月10万円の教育給付金」というのもバラマキで、どうせ政権はすぐにはとれないからとにかく人気が出ればいいという発想で無責任な公約を出している。

私は与党も野党も、財政悪化に責任を取らず、バラマキする政策(減税も、給付金も)には反対である。

ワクチン接種問題でも、非科学的なことをばらまく政党である。

自民党の特に安倍政権を支持していたような『岩盤保守』の票が、いま、選択的夫婦別姓反対や日本人ファーストなどのどのスローガンで参政党や日本保守党に流れているということで、つまりは参政党は自民党よりも右の極右系政党である。

つまりすべてトランプ大統領のやり方を真似ているのである。トランプの戦略がうまくて、それが世界に波及し、欧州で反移民や反難民を訴える右派ポピュリスト政党が勢力を拡大しているのだが、そういうトランプ支持者的状況が日本でも広がって、参政党というとんでもない政党が躍進しそうな状況である。斉藤知事の応援の熱気のようなものが一部ではあるが参政党に起こっているのである。

参政党は憲法改正でも、天皇元首化など極右性を打ち出している。

参政党を極右政党というのは、間違いではないのに、はっきりとそういわないで、オブラートに包む戦略に、メディアが加担しているのも情けない。

ウィキには、この政党の思想として以下のようなことが書かれているし、私もそうだと思うが、多くの人はそう認識せず、騙されている状況である。

ウィキに載っているこ参政党の思想

右派ポピュリズム

保守主義

ナショナリズム

ウルトラナショナリズム

右翼反グローバリズム

陰謀論

排外主義

反ワクチン

有機農業推進

創憲

LGBT法

同性婚

男女平等

歴史修正主義

右派 - 極右・急進右派

ウィキの説明

「日本の国益を守り、世界に大調和を生む」という理念を掲げており、綱領や憲法草案では「天皇を中心に一つにまとまる平和な国」の形成などを主張している

2022年の参院選では、ナショナリズム反グローバリズムなどの保守的な主張に加え、反ワクチン反マスク層、有機食品支持層にも訴求した。2024年の衆院選以降は、減税などの経済政策を前面に掲げて支持拡大を図る一方で、報道機関によっては排外主義的な主張を打ち出しているとされることもある。党の主張には、日本政府やマスコミが「莫大な利益獲得を目的とする『あの勢力』に操られている」とする反グローバリズム系陰謀論や、GHQ陰謀論の要素も含まれているとされている。こうした特徴から、メディアや研究者によっては極右右派オーガニック右翼[陰謀論政党と分類されることがある。一方で、公式ウェブサイトや選挙公報ではそうした主張を控え、一般有権者にも受け入れられやすい政策を掲げることで、幅広い層へのアプローチを試みている。

憲法に関しては「改憲」ではなく「創憲」を掲げている。キャッチコピーは「投票したい政党がないから、自分たちでゼロからつくる」。参加型民主主義を掲げ、無農薬食品添加物の禁忌など、左派が取り組むことが多かったテーマで間口を広げて無党派層の参加を促している[73][37]。また、タウンミーティングや選挙ボランティアなどを通じて、支持者同士のつながりを強めている。財政面では、党費や政治資金パーティー、寄付などを通じて多額の資金を集め、全国に公認候補を擁立している。イメージカラーは橙色で、日本の歴史や伝統を「代々」受け継ぐという意味が込められている。

 

 

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トランプ政権の悪影響が世界に広がる――「国際報道2025」まで批判を恐れて中立主義

  • トランプ政権の悪影響が世界に広がる――「国際報道2025」まで批判を恐れて中立主義

第9回講義で「反ユダヤ主義」の問題、またメディアの偏りと使命についての考察を行っていることに絡むが、ここでも簡単にトランプ大政権をめぐる問題として、原則を、ある番組批判を通じて書いておきたい。

NHK『国際報道2025』の25年7月5日放送で、ハーバード大学へのトランプ政権の攻撃について、一部視聴者から批判があったようで腰砕けの中立主義の意見をキャスターたちが言っていた。「アメリカの国益を考えればハーバード大学留学生の措置は当然の判断だ」「ハーバード大のビザ停止はやむを得ない」「(トランプへの)批判ばかりしないで、支持者かやトランプ大統領が行ったことで助かっている人の意見を報道したら」[1]というような意見も紹介して、ハーバード大がリベラルに偏りすぎている事を、いくつかの調査などで示した後、トランプがハーバードを攻撃するのにも一理あるかのように言い、しかし番組は中立だ、といって判断を示すことから逃げる弁組構成をとっていた。

今回の番組のダメさの典型は、「これはどちらが正しく、どちらが間違っているという問題ではありません。」とまで言ってしまったところにある。

生物学的には性別は2つしかないといった教授が辞任させられたとか、ハーバード大学の教員の思想が、リベラル系が圧倒的に多いことなどを挙げたうえで、大学内の言論の自由についての調査だということで紹介したのが、全国の学生へのアンケートで、それによるとハーバード大学は250の大学の最下位だった。これをもって「トランプ大統領がリベラルに寄りすぎていると主張するのにはこうした背景もあるのかもしれません」と辻キャスターが言った。別のキャスターが「ハーバードの大学生がリベラルな意見は言いにくいと感じているんだとすると、学生を委縮させてしまう事にもなりますし、ハーバード大にも問題があったという事なんでしょうか」とふった。それに対して辻キャスターは「大学の方針かどうかはわからないが、大学内のえも言われぬ空気というものによるのかもしれません。いずれにしても、仮にリベラルによっていたとしても、政治からの圧力が正当化されるかどうかは別問題です。」などと言い、次のような言葉でまとめた。

トランプ政権の政策に対して真っ二つに分かれる評価。これはどちらが正しく、どちらが間違っているという問題ではありません。個人個人がどちらの主張により重心を置くか、という問題です。もちろん、中間を選ぶという選択肢もあります。二項対立に縛られる必要もありません。

私たちはこれからもnewsを様々な視点、アングルからお伝えしていきます。そうすることで、国際ニュースを理解するうえで、皆さんのお役に立ちたいと思っています。

 

番組はトランプ政権の政策への批判の件も少し紹介したが、今回はトランプ擁護側の意見が多く出され、それにたいして番組が「私たちはどちらの側にも立たず、中立主義的に賛否両論を報道する」ということを示したのである。

だが、上記の調査で大学生がそういたtからと言って、本当に「言論の自由」がハーバード大で一番ないと言えるのか。差別を許さない大学という意味では最も良い大学かもしれない。その時に、差別を言いたい側には「言論の自由」がないところとなる。誰に聞いたのか。学生の選び方、学生の質、問いの出し方、いろいろ検討する余地がある。しかももし現状の学生の過半数が「ある意見」を言ったからと言って、その意見が正しいとは限らない。例えば日本で学生や市民にガザのことを聴いたときに、私とは違う意見が多数を占めるだろう。慰安婦問題でも沖縄基地問題でもそうだろう。私はメディアも大学ももっと、明確にリベラルの価値を押し出すところが増えるべきと考える。日本はあまりにそれがないではないか。街頭の調査で事の良しあしが決まるものではない。

また「反ユダヤ主義」という言葉でトランプ大統領ハーバード大を批判しているが、私は「反ユダヤ主義」を、人権を擁護し、差別に反対するという視点で「反ユダヤ主義という差別ははだめだ」と理解するので、トランプ大統領の使い方とは真逆で、ハーバード大などは人権を尊重し差別に反対するからこそイスラエルの殺戮行為を批判していると考える。したがってハーバード大学は「反ユダヤ主義」なのではなく、人種差別に反対し、ユダヤ人差別を含む人種差別や宗教差別に反対し、人権を擁護する地続きでガザへの攻撃を批判しているのである。

当たり前だがイスラエル批判が「反ユダヤ主義」ではない。このあたりまえを理解しない人がトランプの言葉に乗って、イスラエルの蛮行を擁護している状態である。つまり、「反ユダヤ主義」を批判するならハーバード大を擁護して当然で、イスラエルを批判しないといけなのに、そういうことを一部の知識人や活動家などは言うが、日本のメディアは無批判にトランプの言葉を紹介している。今回の「国際報道2025」でもこの点の批判はなかった。

上述のの学生新聞の調査で教職員の政治志向が約76%がリベラル、穏健が20%、保守が約3%であったということから、ピンカー教授の言葉を使って「政治的な多様性のなさが研究のをゆがめるリスク」があると紹介した。だが私はそうとは言えないという立場である。

さらに上記したある生物学者が2023年辞任させられたという話だが、それはキャロル・フーベンという学者が「性別は生物学的には男女二つしかない。生殖細胞の種類によって決まる」と発言したことによるものであったらしい。詳しいことはわからないが、どの文脈でなんのためにこれを言ったかであると思う。トランプたちがLGBTQを差別するために非科学的なことを言う時に、それを擁護する分脈で言ったのなら批判されて当然である。私は、マトモな大学なら、LGBTQの人権を尊重することは前提で、様々な研究がなされるべきと考える。だからこの生物学者のことをもってハーバード大がダメだとは言えないと考えるが、番組は、この問題の背景を調査して、見解を述べるのではなく、ただ、ピンカー教授のそうした記事を無批判に紹介するだけであった。

***

さて、まさにメディアの主流秩序への従属の典型例なのでコメントした。

評価が真っ二つに分かれるときに、「どっちも偏っている」「二項対立はだめ」と言うのが正解なのか。「分断ではなく対話を」と言って済ませるのが正しいのか。ミャンマーで命がけで軍事政権と戦っているときに、「分断はよくない」というのか。悪いのは軍事政権でしょと私は思う。「あなた」(この番組、私個人、テレビ局、新聞報道各社)は《自分》のスタンスとして、この対立する2つの立場や意見に対して、どういうように考え、どういう意見を持ち、どちらを批判しどちらを擁護するのかを示すべき場合があると私は考えている。時にはどっちかの立場を取らないといけない時があるのは当然なのである。

とたえば、親が子供を暴力的に指導することに反対するか、賛成するかの時に、自分はどちらでもない、どっちが正しいかの問題ではないと言って逃げていいていいのかという話で、問題によっては真っ二つに分かれるくらいの大事な問題で、片方の方が正しいというべき時はある。ガザの住民を虐殺するイスラエルは完全に批判されるべきである。この「国際報道2025」という番組で、BBCやABC,CNN,AP通信、アルジャジーラ、フランスやドイツやオーストラリアの報道など世界のざまな報道を紹介すれば、そうした多くのまともなテレビ局は、明確なスタンスがあるからこそ、イスラエル批判の報道が多くなるのである。それは「偏りすぎて駄目」なのではない。日本のほとんどの報道機関が明確にイスラエル批判をしないこと、日本政府の姿勢を批判しないことの方が問題なのである。

「国際報道2025」でも、トランプ大統領批判が多くなるのは、各国のまともな報道が国連や国際法、人道、人権といった基準で報道するからである。

私はこの講義を通じてトランプ批判を多くするが、それは私が大事と思う「人権」という基準から判断するからである。世界のマトモな報道機関のニュースがトランプを批判することが多くなるのも同じである。トランプ大統領の行っている政策や言動は酷いもので、科学と人権と民主主義などを判断基準とする私としては、トランプ政権を批判する側に立つということである。学生の皆さんはどっちの立場に立つのか自分で判断すればいい。しかし、どっちもどっちだで終わらせるのは、考えていることにはならないし、結局主流秩序への加担になると私は言っているのである。どっちもダメだで逃げるな、ごまかすな、総合判断で主流秩序の前で自分のスタンスを確立して意見を言おうと言っている。主流秩序に従属する人が多い日本社会ではそこが欠如していることが多いので、そこを強調している。

私は24年の大統領選挙前の米国の民主党大会と共和党大会を見て、相対的に明らかに民主党のほうがまともと思った。選挙を前にして、「どちらが正しく、どちらが間違っているという問題ではありません。』というのは、逃げているだけで、考えていない。選挙ではましなほうを選ばないといけない。選挙以外でも、どちらが正しいか言うべき時がある。兵庫県知事選の時、黙っていてフェイクやデマを放置したメディアには責任があるのだ(これについては第14回講義でネットとメディアと公益通報問題として詳しく扱う)。

典型は戦争に反対か賛成かの時に、「これはどちらが正しく、どちらが間違っているという問題ではありません。」というのか。メディアでも、キャスター個人としても言うべき時はあるのである。トランプ大統領の時代において、メディアの姿勢は鋭く問われている。第二次世界大戦の時の様な過ちを又繰りかえすのか、メディアは国家の下部組織に成り下がるのかということである。

***

私のこの講義全体で伝えているのは、意見の対立があるとき、その間、中間、穏健主義が必ず正しいとは言えないということである。科学や人権を基準に明確にダイバーシティ(異なる意見の平和的な共存)の上での民主主義的な議論が大事で、力で相手をつぶすような暴力に反対ということである。だがトランプの思考や物言いに影響された人はただ、トランプを応援し、批判を「偏っている」「左翼だ」と切り捨てるだけである。それは群衆化された状態でよくないというのが私の主張である。

だからメディアも、賛否の両論を示すのはいいが、その上で、では自分はどう考えてどういうスタンスをとるのか、この弁組やこのテレビ局はどういうスタンスでこれに臨むのかを示し帝国と、それを通じて民主主義社会の一員としてのメディアの責任を全うすることが必要と考えている。

だが今回、すこしの視聴者からのよくある批判(トランプ支持者的状況の人からの批判)にうろたえて、番組として「中立ですよ」と言い訳するような構成になっていた。そこがダメなのである。そうした姿勢が主流秩序への従属のスタイルなのである。批判が来ても、自分達はこういうスタンスで報道していくと示して、何を基準に、何を大事に見て、どう考えるのか、示すのが、責任ある気骨ある姿勢である。トランプの人権侵害、国際法違反、国連憲章無視、国連軽視、環境問題軽視は批判されて当然だというべきなのである。移民差別は「反ユダヤ主義」と同じく差別だからダメだと批判すべきなのである。そうでないと、ロシアへの批判もイスラエルへの批判もイランやアフガンの国内弾圧への批判も、中国の香港弾圧・宇井繰り自治区弾圧への批判も、チベット弾圧批判も、天安門弾圧批判も、ミャンマー軍事政権への批判何もできなくなる。

だが、この番組含め日本では、どのテレビ局も平気でロシアは許せないと批判しているではないか。防衛研究所の人間を出してきて、軍事的にこうなっている、勝つためにはこうしないとといけない、軍事的に勝たねばだめなので西側諸国はウクライナを支援しないといけない、妥協による停戦を目指すべきでないといったような偏った軍事主義の話を延々と垂れ流してきたではないか。ダブルスタンダードだらけである。

そうしたことを客観的に考えないで、自分達のダブルスタンダードのスタンスが見えていないで、主流の空気を読み、嫌われないよう、批判されないよう、「私達したちは中立です」と言って逃げるのがダメな報道の在り方である。それでは戦争に近づくときにはまたまた当然、NHKは軍の広報に成り下がるであろう。

日ごろ、世界の様々なニュースを紹介している価値ある番組だからこそ、すこしの批判に腰砕けになているのを見て残念に思った。皆さんは、こうした、深く考えずに保身に走り、主流秩序にすぐに屈服する弱い人間にならないで、自分をしっかり確立し、批判が来ようと、少数派になろうと、権力者から攻撃されようと、自分がただ良いと思うことを主張する勇気ある人間になってほしい。

だがトランプ大統領は力で相手を押しつぶし、恐怖政治を拡大し、敵を嘲笑する状態を世界に拡散している。そんな時代に、自分はどうするのが、みなさんには問われている。

***

小さい話だが、ここでホリエモン批判の話も入れておこう。トランプ大統領の2016年からの世界への悪い影響の一例として、判断基準がトランプ大統領になって、それより、人権重視、DEI重視の意見は皆「極左だ」「リベラルすぎる」「ウォークだ」「共産主義だ」とレッテルを貼ってすますことが横行している。愚かにもほどがある状況だが、何度もそういうものを見聞きすると、無知な人ほど、そのレッテル貼りを真似る。それで正しいことを言っている気になる。日本でも「反日」というような言葉を簡単に使う人が増えているのも同種の思考停止の典型だ。NHKでもかつて岩田解説委員が堂々と使っていた。

で、小さな話というのが、25年の参議院選を前にして、TBS系報道番組「news23」で党首討論が放送された。キャスターの小川彩佳が、コメの適正価格をめぐり、石破茂首相の回答内容が多岐にわたり想定より長かったので、小川が「なるべく、簡潔にお答えいただけたらありがたいんでんすけども…」と指摘した。これに対し、石破首相が「そんな簡単な話じゃないですよ」と、腕を組みながら不機嫌そうな表情で逆ギレ気味に言い返し、小川が「分かっております」と応じる様子が放送された。

私は石破の姿勢がダメだなと思ったが、まあ自民党はコメ政策で今まで展望なきダメな減反政策・価格調整政策をしてきて矛盾ある立場なのですっきり言えないのであり、石破の煮え切らない意見が長くなって、怒るところも有権者にみて貰えばいいので、小川キャスターの発言はなんの問題もないと感じた。

ところが、ホリエモンこと堀江貴文氏は、Xで「笑。余計なこと言わなきゃいいのに。まあでも左翼だから言いたくなっちゃうのか」と書いた。

少しでもリベラル系だと「左翼」と侮蔑的にレッテルを貼る「ネトウヨ」「ネット民」と同じく、ホリエモンもこういう言葉を使う。トランプ大統領と同じである。そういえば、週刊誌の広告に、「石破左翼政権」とかいっている右翼の言葉が載っていた。石破政権は左翼なんだって。

馬鹿な人たちは、ホリエモンなどのコメントを読んで、自分も同じような思考になり、同じような言葉を使い、同じような意見を書きこむのである。これがトランプが世界に与えた影響であり、ホリエモンも「俺も言っていいだろう」とトランプをまねて言っているのである。情けない時代である。

 

[1] 他にもテロップなどで「番組が反トランプに偏り過ぎ。なぜ当選したのか本質を見ないままに批判してどれだけの意味があるのか」「関税の自主権はすべての国に認められている権利。自国に不利だからといって反対するのはアメリカへの主権侵害」等の批判の意見も多く紹介された。こうした声がテレビ局に多く届いてビビっている感じが伝わってきた。

『アドレセンス』が示す「今の子供たちの状況」と、それへの「私たちに問われている課題」

  • 英国Netflixドラマ『アドレセンス』

講義録に載せた一文です。ご参考までに。

 

 

『アドレセンス』が示す「今の子供たちの状況」と、それへの「私たちに問われている課題」―――私は、主流秩序やデートDVの教育をして対応したいと思う

 

Netflixによる『アドレセンス』はみるべき価値のある作品と思う。

ドラマの紹介として示されているのは、以下。

わずか4話のこのドラマは、同じ学校に通う女子生徒を殺害した容疑で13歳のジェイミー・ミラー(オーウェン・クーパー)が逮捕されたことにより、世界が一変する一家の物語。

ジェイミーの父親役を演じる、共同制作者のひとりでもあるグレアムはNetflixの公式ガイドサイトである『Tudum』に、このドラマについて次のように語っている。

「ギャングやナイフを使った犯罪についてのドラマ、あるいは母親がアルコール依存症だったり、父親から身体的な虐待を受けたりしている子どもについてのドラマを作ることもできました」

「ですが、私たちはそうではなく、この一家を見ることからこう考えてほしかったのです。『なんてことだ、これは私たちにも起きるかもしれないことだ』、と。ドラマの中で起きることはごく普通の家族にとっての、最悪の悪夢です」

『なぜいま、こんなことが起きているんだろう?何が起きているんだ?なぜこんなことになったのだろう?』と」思って作られたのだと。

***

このドラマをどこから評価するかは人によっていろいろだ。私はこの講義のテーマと絡んで、こういう教育が必要だということが浮かび上がったとみる。

というのは、このドラマは、ある意味、普通の家庭で、駄目なところも少しあるが、みんなそんなもんだろう、という面があるので、見る人によると、「解決策が見えない、非常に厳しい状況を浮き彫りにした、恐ろしいドラマ」とみるのである。「子供が持つ未熟さと凶悪性の結びつきが物凄くリアルに描かれている」と書いている人もいた。

だが、私は、不安定な思春期の問題とだけ見ることには反対で、大人だって、インセル関係での対立があるし、性的なことや暴力もいじめもあるし、ジェンダーと絡んだ性についての未熟な意識もあるので、決して13歳の男子だけの問題ではない、と考える。

そして学校の先生がてこずり、子どもの状況に、追いつけていないことも示されていた。昔ながらの「力での支配」をしているし、子供たちの中のいじめや力関係、そこでの主流秩序をつかんでいない、無力で時代遅れな教師たちという描かれた方をしていた。そうでない教師もいると思うが、全体として、世界の教育が、ネット・SNSがらみの新しい状況、根深い深刻な主流秩序に囚われている状況に対応できていないのはそうだと思う。

そこを見極められてないと、「どうしようもない、恐ろしい状況」としかとらえられない。

しかし私は、「万能、唯一の完全解決策」とは言わないが、かなり中核にかかわる課題として、本気で主流秩序にかかわる教育が必要と思ってこの講義で提起している。そしてそれとも絡むが、デートDV教育も不可欠と思っている。「アドセンス」を見て、その意義を再確認した。

『アドレセンス』では13歳の男子が、「13歳男子の世間」の価値観をもろに受けて、外見が良いのがよい、モテるのがよい、浅はかなネット情報を信じる、男はこう、性的なことはこう、こういう時にはこう怒っていい、自分は不細工でモテない、嘘をついてもいい、イジメるかイジメられるかだ、などを無自覚に身につけて、キレてしまってしまう、いまの状況が写し取られていた。これは例外的なケースではなく、多くの人となる状況と思えた。紙一重で、こうなる。

彼には、『それが「当たり前」ではない』という教育、父親のような口調や考えではないコミュニケーションの練習などが必要だったと思う。そうならないよう、多くの人がネット情報への対処、ジェンダー含めた人間関係のあり方の学びをして、シングル単位的で非暴力の関係を築けるようになっていってほしいと思っている。

ジェンダーと暴力についての実践的な学びの一例として、この作品は見る価値がある。

とくに第三話で、ジェイミーと心理療法士のブリオニーとのセッションでの浮かび上がる「何か」には示唆的なものが多い。

ジェイミーの揺れ、反発、自虐性、隠蔽、隠しきれないもの、そういうものが浮かび上がる。演技ではあるがシナリオをがすぐれているのだろう、やがてジェイミーが思いもかけない面を無自覚に自分でも分かっていないものを露わにする、そして心理療法士も過去に何か暴力的なものに傷つけられたことがあるのだろう反応を見せる。浅井定型的な質問では浮かび上がらないものが、徐々に流れの中で見えてくる。十代前半の少年が女性蔑視的な思想や攻撃性に染まっている実態が浮かび上がって来る。

 

ドラマ第4話では親の悩みも会描かれている。自分はがんばってきた。どこがダメだったのか。出来るだけのことはしてきたつもりなのに。という苦悩。

それはそうなんだろう。特別に「悪い家庭、悪い親」ではない。だが、変えるべき余地はある。私から見れば、親と教師の責任は大きい。システム的に問題を把握したとき、そこが状況を変えるポイントだからだ。

まずは私たちの前に大きくたちはだかっている「壁」を知らねばならない。そのうえでその「壁」とどう戦うのかを考えなくてはならない。この講義はその課題を扱っている。

 

Netflixシリーズ『アドレセンス』予告編

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(C)Netflix

2025年/イギリス/全4話(51~65分)/原題:Adolescence

 

 

軍事費5%の圧力で喜ぶのはだれか

  • 講義録の一部紹介
  •  
  • 軍事費増大は米国から「押し付けられる」ものか

私が昔から言っている「軍事費増大の圧力」について基本の考え方をここで書いておく。

25年6月、トランプ政権は、日本などに大幅な軍事費増大増額を求めてきた。

 。「米国第一」を掲げ、安全保障をめぐる同盟国との関係が「不公平だ」と主張して不満を見せるトランプ大統領は、アジアや欧州へも圧力を強めている。

トランプ政権は、中国による大規模な軍拡や北朝鮮の核・ミサイル開発を理由に挙げ、アジアの同盟国が欧州・北大西洋条約機構NATO)にならうべきだ、「より公平な負担の分担は、同盟国と米国民の利益となる」と述べた。

NATOは、ロシアの脅威とトランプ氏の復権・圧力を受け、従来の防衛費を国内総生産(GDP)比で3・5%に引き上げたうえ、防衛関連・インフラなどのより広い範囲の支出に1・5%を充てる計5%を、新たな防衛費の基準とすることを検討している。

***

これに対して、関税・輸出入問題と同じく「米国からおしつけられた負担」ととって「とてもそんな増額できない」と財政負担の重さで困ったり反発する人もいるであろう。軍拡反対論者、平和主義者、非暴力主義者というスタンスから、反発する人もいるであろう。

だが逆に、もともと日本の軍事力増大を求める「軍拡論者、好戦論者、保守主義者、右翼、極右、防衛省関係者、日本ファースト、愛国主義者、ナショナリスト、排外主義者、民族主義者」(軍拡派Aとする)は、この「米国からの要請」を好機ととらえて、いまでさえ急速にDGP2%水準へ向けて大幅な防衛費増額をしている(2027年度の防衛費をGDP比2%に増やす方針で毎年大幅に増額中)のに、一層の増額を求めていくであろう。防衛費増額は、そうした「軍拡派A」にとって政治的勝利(政治的な勢力拡大)であるので、団結して大軍拡を進めるであろう。

また実は、日本の大幅な防衛費増額(対GDP3%以上)を喜ぶ別の勢力もいる。それが、防衛費関連で儲ける者たち、利権を得る者たちである(これを軍拡派B,とする)。米国が求めるのは米国の武器関連を日本が購入することであろうが、武器購入でもその手続き・流通関係関連で日本でも設ける者たちがいる。また日本の国内にも軍事関連産業があり、当然防衛省はそこも使うので、日本国内で儲かる者たちがおり、そことつながって利権・リベート・キックバック・接待などを得る者たちがいる。

こうした軍拡派AとBは、重なっていることもあるが、結論はトランプ政権の要求を内心では大喜びしており、これを好機ととらえて裏で暗躍しているということである。

こう考えると、裏でのロビー活動などでも、米国の共和党・右派系に、「日本への軍事費増額を求める」要請をしている事だろう。

そういう人たちがいるので、今後警戒しないといけないのは、日本の世論の形成・誘導において、「軍拡派A/B」が自分の本音をおくびにもださず,「本当は財政の事もあって米国からの防衛費増額は困るから少し嫌だけど、米国と同盟国だし、確かに中国やロシア、北朝鮮が攻めてくるかもしれないし、抑止効果もあるだろうし、世界的に皆が3・5%ぐらいは最低水準になってきているから日本も増額はしょーがないよね」という空気を作って、「交渉して、米国にもがまんしてもらって、間をとって、せめて軍事費をGDP比2.5%にとか、3%で米国と交渉しよう」といって、まるで、2,5%なら日本の勝利だみたいな話をする、そういう話の進め方である。

の本のGDPは巨大で、2%も巨額過ぎるのであり、増額は全く必要なく、危険性を増大させることにしかならない。軍拡をしたくて仕方ない人びとの思い通りになって、戦争を近づける選択をすべきでないと私は考える。

皆さんは、今後数年の日本社会の議論の状況を見て、テレビに出てくる人がどういう言い方をして結局、軍事費増大を進めるのか、抵抗したり減らす方向を主張するのかよく見てほしい。多くは2%への増額を根本批判せず、2%以上に少し増やすのは仕方ないというだろう。

なお、トランプ政権の話の進め方はディールであるので、最初にガツンと大目にいって(トランプはこの間、なんの合理的根拠もなく、5%と言っている)少し妥協したように見せて目標を獲得するという作戦をよく取る。だから、米国防総省のパーネル報道官が「NATOの同盟国が防衛費支出をGDP比5%とする基準の設定に動いているので、日本を含むアジアの同盟国が欧州のペースと基準に迅速に追いつくよう行動するのは当然のことだ」というような言葉に影響されて、「2%では少ない」なんて思うのはまったく愚かだと自覚しないといけない

日本は戦争する必要はないし、日米軍事同盟は不要で破棄すべきだし、自衛隊は災害救助隊にすべきだし、財政は大幅赤字なので軍事費はなくして災害救助隊に回すだけでいいのである。戦争や軍拡で儲けたい輩に騙されてはならない。米国には、米軍基地から出ていってもらって、まったくおもいやり予算も出す必要などないのである。

米国が日本御国内に米軍基地を置く持ち治外法権的に特権をもってふるまっているのも問題である。軍事負担をもっと増やせ、思いやり予算を増やせというなら、米軍はもう日本から出ていけばいいと交渉すればいい。日本から米軍基地を引き上げるのは米国は嫌なので、日本は平和国家としてもっと米国基地を減らす方向で交渉すべきと思う。私のスタンスと違う人は決まり文句で「お花畑の意見」というが、そういっている者が実は根源的に考えていないだけなのでいくらでも議論はできる。

だが生き方や思想の問題なので、簡単には理解し合ったり妥協できたりしないであろう。しかし、平和主義・非暴力主義・非武装系のスタンスも入れて様々な可能性を選択肢に入れて議論すべきは当然ではないのか。世界最悪の赤字国歌で軍事費を2%以上にするなどありえないという現実主義を話し合わねばならない。

すでに軍拡派ABと利害が重なる自衛官自衛隊関係者、制服組、防衛省関係者)が日本社会でのさばり始めている。テレビには、防衛研究所の人間が多く出て、世論を「暴力主義、軍事発想」で誘導している。国会の議論などを経ずに多くの安全保障関連」の事が裏で勝手に進められて行っている。前の戦争の反省から「背広組(文官)」が制服組を統制する体制をとってきた戦後日本の「文民統制シビリアンコントロール)」は、形骸化しているともいえる[1]

石破首相は、制服組トップの吉田圭秀統合幕僚長と月4回程度意見交換している。吉田氏と中谷元・防衛相との会談はさらに多い。「吉田氏は1日に何度も大臣室に入ることもある。そういう中で「ワンシアター(一つの戦域)」構想などが進められている。

 防衛庁時代を含め、3度目となる防衛省トップを務める中谷大臣自身、陸自出身の元制服組である。24年10月の就任後、同じ防大24期生の番匠幸一郎元陸将と半沢隆彦元空将を防衛相政策参与に任命した。

こうした傾向は安倍政管で進んだ。安倍政権下で河野克俊氏は4年半、統幕長を務め、安倍氏の唱えた自衛隊明記の改憲案について「ありがたい」と発言した。自衛隊OBの岩崎茂元統幕長は3月、台湾行政院(内閣に相当)の政務顧問に就任したりしている。

欧米では、軍の指揮官は政治的中立性を維持し、政治指導者の政策決定に絶対的に服従しなければいけないとされているが、日本は自民党政権が長いこともあり、自衛隊自民党・右翼保守主義者とが強く結びついている。制服組がコントロールするということが形骸化し、制服組は『自衛隊のオペレーション(部隊運用)はそが我々にしかできない聖域だ』と考えて自民党国防族と結託してのさばってきているのである。

その結果、「文民統制」の見直し(後退)が進められてきた。例えば、2009年の防衛参事官制度の廃止である。これは、自衛隊防衛省の重要事項は、防衛参事官という局長級以上の背広組だけで構成する会議で決めていたが、制服組は不満をもち、これを廃止したのである。また2015年に背広組の局長をトップとする内局の「運用企画局」を廃止し、自衛隊の部隊運用を制服組が統括する「統合幕僚監部」に一元化した。これにより、運用については制服組幹部が防衛相や首相に直接連絡し、指示を受ける仕組みとなった。

このように日本では制服組が力を拡大して軍事国家へ近づいて行っている。戦争がしたくてたまらない人が増えている。そのプロセスで軍事思考のみの人の勢力拡大や利権や金儲けや政治的勝利を得ようとする人々が群がっている。

こうした流れの中に、2008年の田母神俊雄空幕長(当時)が政府見解とは異なり、過去の日本の侵略行為を正当化する論文を発表したことや、17年に南スーダンPKO派遣部隊の日報の隠蔽事件なども起こった。自衛隊汚職も起っている。自衛隊員の靖国神社への集団参拝、陸自部隊が前の戦争を「大東亜戦争」と呼んだ事件もあった。24年には靖国神社トップの宮司に大塚海夫元海将が就任した。まともで冷静でバランス感覚ある自衛隊幹部もいるようだが、おおきくはやはり軍隊である。

***

つまり自衛隊は全体として右翼勢力的になっており、中立性や文民統制憲法66条)を軽視しているのである。

以上を踏まえて根源的に考える議論が必要である。別のところで述べるが、台湾有事で勇んで参戦する愚を犯してはならないし、どこかに「攻撃されそうだから先制攻撃」してはならない。力による平和、軍事力による抑止効果などを「現実的」といって思考停止して戦争に近づく愚かさを見直すべきである。別のところで紹介した小倉利丸氏の議論のレベルで、考えていく人が増えてほしい。

 

 

 

[1] 「(フロントライン 政治)日本式「文民統制」は今 自衛隊の役割拡大、「制服組」に発言力や存在感」(朝日新聞、2025年6月22日)

専業主婦批判ができない記者の限界

以下の記事も同類である。論点として、家族単位か個人単位かが指摘されている点は、大きな前進である。しかし、この記事でも是枝俊悟さんは自分の意見を明確には示していない点がダメである。

しかも、是枝氏の発言ににじみ出ているのは、「第3号被保険者制度」の廃止の意見は『ジェンダー意識を変える象徴』ととらえて、フェミニズム批判のニュアンスがあることである。フェミというイデオロギーのために、いま役立っている「弱い人を亜漬ける網」を壊すのかという批判になっている。これはフェミニズムの誤解であるが、そこが分かっていない。

そして意見は明確には示さないスタンスでありながら、弱者に役立っているから「第3号」制度は残すべきと言っているニュアンスも結局ある。

「個人にすれば、夫婦の一方が弱った時、もう一方が支えることはより困難になります」という理解も間違いで、個人単位だからこそ、家族状況に関係なくその弱った個人は助けられるのである。是枝さん自身が家族単位発想から抜け切れていないという誤りであり、社民主義が理解できていない。

私から見れば、他の総合解決の方向の意見が大きく異なると感じた。だが記事ではそういうことも明示されない。論者の意見を並べ、記者として、また新聞社としての方向性は全く不明である。両論併記、いろろろな意見の紹介、記者の「取材後記」もジェンダー問題と指摘するのはいいが、深めていないままである。典型は記者→識者・政治家に「専業主婦」へのスタンスが決まっていない問題である。下Bン足から考える視点が欠如している。故人の自立、個人単位のWLBの中で、どうして「働かないで税金や保険料も扶南しない」ようなことを原則的な在り方と考えられるのか、世界では通じない話である。病気やその他の事情で働けない人は、社会保障の個人単位化でカバーすべき話である。「いわゆる専業主婦」への批判を明確に言えないのか。それはトロフィーワイフ問題や米国などのトランプ支持者的状況に対応する「トラッドワイフ」問題などかんがえていないことの反映である。カップル単位に考えないことの必要性の理解の欠如である。記者自身委顔z久谷発想、日本の空気や現状に引っ張られて、「多くの庶民の苦しみ」への解決策が見えないから「主婦を批判する不女性の自立論や個人単位化にも躊躇‥」となるのであり、勉強不足である。国民へのアンラーン(脱学習、古飯s気の学び落とし)と新しい世界化の提示というようなことができていない。大正時代からの議論(主婦論争)を勉強したうえで自分の意見を確立するということができていない。

厳しいことを言うようだが、不十分と言わざるを得ない。だがそれはこの記者たちだけのものでなく、みながそうなのである。

結論は、北欧型の社民主義をベースとした個人単位化を徹底すべきとは全く見えない記事である。「問題の本質」にまだまだ迫れていない。これが日本の「ましなほうのメディア」であり、識者の多くであり、政治もそれに類似で、中長期の根本改革の議論さえ起らないままポピュリズムが暴走するありさまである。

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フォーラム)年収の「壁」の正体は:2 問題の本質

朝日新聞、2025年5月18日 5時00分

 

お茶の水女子大学准教授(政治学)・豊福実紀さん

大妻女子大学教授(労働経済学)・永瀬伸子さん

 残業や全国転勤などの企業の命令に「無限定」

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 ■他制度でカバーされぬ弱者、網から漏れる恐れ 大和総研主任研究員・是枝俊悟さん

 3号制度が過去「男は仕事、女は家庭」という役割分担を強化してきたのは事実でしょう。しかし、今もそうなのでしょうか。現在では、出産した女性の6割ほどが、産休・育休を経て元の職場に復帰するようになりました。

 出産後も女性が仕事を続けると、離職した場合と比べ、世帯の手取り収入が生涯で最大1.7億円増える。そう政府が試算を出したように、正社員として働き続けることに比べれば、3号制度や配偶者控除の魅力は薄れています。

 むしろ様々な事情で働けない人を保護する側面が大きくなっているように思います。働かないのか、働けないのか、理由を問わないのは3号制度の長所でもあり、病気や不妊治療など、他の制度でカバーされにくい事情も包括的に保護できます。

 ジェンダー意識を変える象徴として3号制度をなくすため、いまカバーされている弱い人が網から漏れることを許容するのか。それが問われるべきだと思います。

 一方で、3号になるには第2号被保険者の配偶者でなければならず、結婚という枠組みに入らなければ保護されない。未婚率が上がり、単身で育児をしている人も少なくないなか、今の枠組みで国民の理解を得られるのかも議論されるべきでしょう。

 現在の3号制度をめぐる議論の核心は、社会保障を個人単位にするのか、世帯単位にするのかということです。個人にすれば、夫婦の一方が弱った時、もう一方が支えることはより困難になります。その上で、なお3号制度をなくすべきかどうか。どのような年金制度が望ましいかという視点で、若い世代が話し合って決めるべきではないでしょうか。

 

■もう負担限界 「既婚女性はパート」の思い込み

 アンケートでは、年金の第3号被保険者制度は「現在も10年後も不要だと思う」と答えた人が約半数でした。結果はhttps://www.asahi.com/opinion/forum/220/で読むことができます。

  • 子どもに障害 子どもに重度の障害があります。ほぼ夫婦で何とかするしかない状況が続いており、限界です。この状況で新たに年金を負担するように言われても、働くことも支払うこともできません。(埼玉、女性、50代)
  • 離婚したら困る もし離婚するようなことがあれば自分が困ると思い、正社員を探して社会保険も払い、扶養家族からはずれた。2年前、離婚することになり、判断は正しかったと思っている。(千葉、女性、60代)
  • みんなが一律に 壁を撤廃して、みんなが一律で税金や社保などを支払う世の中になればいいのにと思います。(東京、女性、50代)
  • 働ける時間減る 時給は毎年上がっているのに、上限(年収の壁)がずっと同じでは必然的に働ける時間が減る。それ以前に既婚女性が働く=パートという世間、特に男性の思い込みが大きいのが問題。(兵庫、女性、50代)
  • 個々に応じて 長時間労働ができない個々の事情に対して控除や給付をする仕組みを作り直すべきだと思う。労働者の配偶者に家事労働をさせなければ成り立たない仕事をさせているなら、家事労働相当分の金銭も雇用主である企業が負担すべきだと思う。(海外、女性、40代)
  • 不公平な制度 単身世帯の2号被保険者という立場からすると、なぜ他人の配偶者(3号被保険者)の保険料まで負担しなければならないのか理解できない。不公平な制度だと感じる。(愛知、女性、30代)

 ■《取材後記》

 祖母は母が幼い頃に離婚した。生きていくために再婚せざるをえなかった祖母を見て育った母は公務員になり、私に経済的自立の大切さを繰り返した。一方で、専業主婦の母を見て育ったり、仕事と育児の板挟みになったり、「私が辞めるほうが自然」と家庭に軸足を移した女性の友人も少なくない。

 自分が選択した。そう思っていても、キャリアへの価値観は世代を超えて引き継がれ、選ばされている面も大きい。その根底にあるのが制度だ。婚姻時に姓を変える割合が女性に偏るのと同様、3号のほとんどが女性であり、問題の本質はジェンダーである。若い世代にどんな社会を残したいのか。変えていくのが、私たち大人の責任だと考えている。(大貫聡子)

     *

 おおぬき・さとこ 2003年入社。週刊朝日編集部や熊本総局を経て、くらし科学医療部。20年に韓国に語学留学。法律や制度に潜む差別に関心がある。

 ■《取材後記》

 3年ほど前から専業主婦の声を聞き続けている。きっかけは育休中、平日の公園でみかけた女性たちだった。幼稚園帰りであろう子たちを連れている彼女らがどんな生活をしているか、私は想像できなかった。たまたま仕事を続けてこられた私は、専業主婦と交流する機会がほとんどなかったから。

 話を聞くと、多くは配偶者の転勤や家事負担の偏り、子どものケアなどの事情があり、「専業主婦は時間やお金に余裕がある」という偏見に悩まされていた。「専業主婦」「3号」と大きな主語で語るのは簡単だ。でも内実は様々な事情を抱えた人たちであり、社会の側に変わるべき面も多々あることを今後も伝える必要があると考えている。(金沢ひかり)

     *

「年収の壁」とジェンダー、家族単位

講義録第6回 に加筆したものを、掲載しておきます。

「年収の壁」とジェンダー、家族単位

2025年段階で以下のように「浅く解説」する記事はあるが、記者も、識者(学者)も「自分の意見、こうすべきだという対案、解決策」を示さない。意見がないようなのは、実は深く考えていないのである。

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年金3号を維持してきたのは誰なのか? 政治の責任を考える

朝日新聞 聞き手・大貫聡子 2025年5月17日

「130万円の壁」で板挟みになる女性たち

 「130万円の壁」の正体はーー。性別役割分担を強化していると批判を浴びる年金の第3号被保険者制度は、どのように導入され、維持されてきたのか。お茶の水女子大学の豊福実紀准教授(政治学)に聞いた。

       ◇

 第3号被保険者制度や所得税配偶者控除について、ジェンダー平等の観点から批判の声があがっていますが、そもそも両方とも「夫が給与所得者で妻は専業主婦もしくはパート」という世帯の増加とともに、低中所得者層の負担軽減を意識して導入されました。そのため、長く政権与党を務める自民党だけでなく、中道・左派とされる野党も、単に廃止して負担を増やすことには反対の姿勢を示してきました。

 小泉政権下で配偶者特別控除の上乗せ分が廃止された時も、当時の最大野党であった民主党共産党などからは「増税だ」という批判が上がりました。

 いま人手不足を背景に経済団体や労働組合の中央組織からも第3号被保険者制度を廃止すべきだという声が出ていますが、大切なのは「廃止した先にどんな社会を目指すのか」です。長く性別役割分担世帯向けの政策をとってきた国で、個人を支援する政策に切り替えるのは簡単ではありません。

 1970年代にジェンダー平等の観点から所得税の課税単位を世帯から個人に変更したスウェーデンでは、男性が主な稼ぎ手であるブルーカラー世帯に不利になると受け止められ、大きな反発を招きました。そのため政府は低所得者向けに所得税を減税し、公的保育を拡充、女性の就労を支援するため公務員として積極的に雇用するなど、個人への支援を拡大した。その財源の中心は増税した消費税などで、国民の重い税負担と引き換えでした。

 米国のように公的支援が手薄い国もあります。税負担は軽く、市場原理の中で能力ある女性は活躍できる半面、国内の経済格差は大きい。

 日本は、いったいどちらを目指すのか。与野党とも、提案する政策に世帯と個人を支援するものが混在している状況です。税負担とセットにして国民に選択肢を示すべきだと思います。

年金の「第3号被保険者制度」

 1985年にできた制度で、配偶者が会社員などの2号被保険者で自らの年収が130万円未満なら、3号として国民年金の保険料を支払わなくても老後に基礎年金を受けられる。3号の保険料は、会社員ら2号被保険者全体で負担している。

 対象者675万人(2024年5月)のうち、98%が女性。夫婦共稼ぎの増加に加え、パートなど短時間労働者にも厚生年金の適用を進めていることもあり、1995年度の1220万人をピークに減少している。

 昨年秋以降、経済界や労働団体から3号制度の廃止を求める提言が相次ぎ、厚生労働省は5年に1度の年金制度改革の関連法案の付則に初めて検討規定を設ける方針を決めた。改めて3号制度の実態を分析した上で、検討する場を設置することを想定している。

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蒸気と同じ記事を書いた記者のもう一つの記事。こちらの方は、すこし永瀬氏の意見が明確に示され、対案も出している。だから「ましな記事」である。

ただし私から見れば、不十分である。個人単位型で総合的に改革することを言わないので、例えば子供を個人として考える」というのではなく、「子どもを持つ女性が自立できる賃金を得られるようにする」というような言い方になっており、これはまだ家族単位的な発想が残っている面がある。中心にすべき考え/原則は、子どもを持つか持たないか、いるかいないか、男性か女性か、そういうことを関係なしに制度を設計することが必要なのである。

育休や時短勤務なども、子どもの権利として考えて、誰かがケアする必要があり、それが学校や学童や保育所であり、育休であったりするのである。母子をセットで考える危険性に敏感なるケア論でなくてはならない。ケアは子供の権利であり、社会的労働である。だから血縁者でなくても高齢者や子供をケアするときには社会的な再生産労働を担うとして賃金などが保障されるのである。子供がいない人にも、ボランティア休暇など、公平性が必要である。

また女性の賃金を上げるというのも、家族単位発想の年功賃金を批判・解体し、個人単位の職務給にしないといけないがそういう指摘もない。家族単位系の手当もなくす必要がある。民法夫婦別姓などの改革との連動も書かれていない。ワークライフバランスも個人単位にしないといけない。年金だkでなく税と年金含め社会保所全体の個人単位化が必要である。それは結婚制度の特権の廃止である。男性の労働自体を残業しない個人単位型にしないといいけない。その他、今回の第6回講義で示したような制度と考え方の統合的な個人単位化と、そのための基盤としての高負担の社会民主主義の連帯社会にするという話にしていく必要があるが、以下の意見もそのような全体から見れば非常に狭い部部の指摘にとどまっている。今なら所得税を上げることを含め、財政問題にも言及し、ポピュリズム的な円税志向、手取り増やせ論を批判すべきであるが、それもない。

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突出して低い日本女性の賃金 経済の停滞や少子化にも影響

朝日新聞、聞き手・大貫聡子 岡林佐和2025年5月17日

年代別にみた女性の第3号被保険者の割合

 夫が稼ぎ手で、妻は扶養内で働く。こうした性別役割分担世帯を優遇してきた第3号被保険者制度。女性のキャリアに詳しい大妻女子大学永瀬伸子教授(労働経済学)に問題点を聞いた。       

 残業や全国転勤、配置転換などの企業の命令に「無限定」に従う正社員の夫と、家事育児を担う被扶養配偶者の妻。こうした夫婦のあり方を推奨する日本型雇用慣行と第3号被保険者制度は、性別による役割分担を推進し、日本経済の停滞や少子化の一因となっています。セットで見直すべきです。

 1980年代、正社員は未婚女性と、妻を扶養する男性のものだった。一方、低賃金だが労働時間が比較的自由になり、企業側にとって社会保険を負担せずに済む「パート労働」は主婦のものでした。

 しかし2000年代以降、規制緩和で非正規雇用が増え、主婦のものであったパート労働が配偶者のいない男女や、本来ならキャリアの基盤を築くべき若者にも広がりました。

 また近年は、女性の労働力人口が増える一方で賃金構造は変わっておらず、女性の低賃金が全体の賃金を押し下げる要因となっています。労働力調査などを元に推計したところ、大卒男性の中年期の年収中央値が800万円程度なのに対し、大卒女性は170万円程度でした。英国や米国と比較しても日本の女性の賃金の低さは突出しています。

 こうした環境で、低賃金で子どもを持つことを考えづらかったり、たとえ正社員であっても依然として「無限定」な働き方を求められ、子育てをしながらの継続に難しさを感じて離職したりする女性は少なくありません。

 子育て期に配慮が必要なのは、配偶者の有無や正社員であるかどうかとは関係ない。3号だから保護するのではなく、育児をする男女への保護を拡充し、そうした事情がない場合は社会保険料を支払うとともに一人前の給料を得るようにすべきです。

 2040年までに現役世代が約1千万人減少するとされるなかで、女性の賃金向上は日本経済の最も大きな課題です。

 女性活躍推進法で、正社員の中の女性管理職比率を増やしたとしても、 そもそも女性が正社員を続けにくい働き方がある。男女問わず雇用者が子育ての時間を持てるとともに、子どもを持つ女性が自立できる賃金を得られるようにする改革を考える必要がある。

 そうしなければ、女性の低賃金は解消されず、子どもを持たない選択をする女性は減らないでしょう。その結果、日本の未来は明るくなりえません。正社員と非正社員の二重構造を解消することが、子どものコストを負担できる社会構造のためには不可欠です。若い女性が十分に自立できる年収を持てると期待できる社会を、「社会保障」として考えるべきです。

年金の「第3号被保険者制度」

  1985年にできた制度で、配偶者が会社員などの2号被保険者で自らの年収が130万円未満なら、3号として国民年金の保険料を支払わなくても老後に基礎年金を受けられる。3号の保険料は、会社員ら2号被保険者全体で負担している。

 対象者675万人(2024年5月)のうち、98%が女性。夫婦共稼ぎの増加に加え、パートなど短時間労働者にも厚生年金の適用を進めていることもあり、1995年度の1220万人をピークに減少している。

 昨年秋以降、経済界や労働団体から3号制度の廃止を求める提言が相次ぎ、厚生労働省は5年に1度の年金制度改革の関連法案の付則に初めて検討規定を設ける方針を決めた。改めて3号制度の実態を分析した上で、検討する場を設置することを想定している。

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日本のメディアのダメな事例

講義録第7回に加筆したものをのせておきます。

  • 日本のメディアのダメな事例

 

この講義では、人権とか民主主義を基準に物事や自分の生き方を考えている。その観点で、ネット情報も絡んだトランプ支持者的状況の問題を見てきた。そういう中、全くダメな記事があり、そこには日本社会の「ダメさ」が反映していると思うので、反面教師的に簡単に取り上げておきたい。

25年5月の記事で、米国にいる日本人留学生が、政治デモにも参加していないのに、「滞在資格」を取り消しされそうになってびっくり、どういう基準でやっているのか、という記事があった。

対象記事

「速度違反で米国「滞在資格」取り消し? 日本人留学生が直面した危機」

毎日新聞2025/5/17 )

米大学院に留学中の日本人留学生、恩田賢(すぐる)さん(41)は4月、大学職員からのメールで米国の滞在資格が取り消されたことを突然知らされた。

 トランプ政権下の米国で、外国人留学生の滞在資格が取り消される事案が相次いでいたが、事前警告もなく、寝耳に水だった。思い当たる節はなかったが、記憶をたどるなかでようやく思い付いたのが、3年以上前の交通違反と魚釣りを巡るルール違反だった。

 「昨日、国土安全保障省があなたのSEVIS記録を取り消したことが分かりました」

・・・略・・・

 大学職員と一緒にSEVISのシステムを調べたところ、取り消し理由について「過去の犯罪歴」との記載があった。

 恩田さんは逮捕されたこともなければ、デモなどの政治的な活動に参加したこともなかった。

・・・略・・ 

 地元のラジオ局「KSL」の記者に連絡すると、すぐに取材をしてくれた。

 <犯罪歴があるという理由で、15日以内に日本に帰るように言われている。しかし、彼には2枚のスピード違反切符と2019年の魚釣りに関する違反しかない

 

 

(以下、報道が広がり、米国当局、国土安全保障省の担当者から 「(恩田さんの)記録を見直し、現状を変更した」という連絡がきて、なんとかこの人の留学が続けられることになった、米当局がAIを利用して機械的に留学生の情報をチェックするこらこういう誤りが起こったのではないか、という記事)

 

***

この記事は、「わるいことしていないのに、AIが間違って機械的に過去の軽微なことで、日本人留学生の滞在許可を取り消すことになりかけた」という記事である。

私はこれを読んで、私は何という愚かな記事かと思った。民主主義の観点から、トランプ政権が、恣意的に思想チェックして、パレスチナ問題について意見を言うような学生(および言いなりにならないリベラルな大学など)を米国から追い出す(攻撃し補助金を出さないなど)という、大問題(思想の自由、学問の自由の侵害)を何ら批判せず、その基準を「前提」に、「私は、政治デモに参加していないから追い出さないでください」と言って助かったというのである。政治にかかわらないので、私だけは帰国させないでというのは、情けなすぎる。自分は政治デモに参加していなくても、参加した学友たちを米国から追い出すなという主張をすべきではないのか。そしてむしろ、自分もトランプの反DEiIなどに対して政治的な意見表明をすべきでないのか、沈黙は加担である。こんあひどい米国になっているのに政治にかかわらないで自分だけ助かろうとするなど恥ずかしい生き方であると思う。

強者に媚びて自分だけ助けてというこの姿勢は、日本政府が、トランプ関税や国際法無視、地球環境規模の環境や貧困問題などを正面からら批判して国際連帯して科学と理性と正義を取り戻そうとするのでなく、「日本だけは関税を下げてください」、と米国トランプに媚びる姿勢と同じである。恥を知れと言いたい。AP通信がホワイトハウスからいじめられているときに、私の会社だけはいじめないでね沈黙するメディアと同じではないか(なお米国ではハワイとハウスと果敢に戦っているメディは多い)。

この記事を書いた記者とそれを掲載した毎日新聞は、恥恥じ入るべきであると思う。

 

 

フェミ作品:韓国ドラマ「おつかれさま」(英題:When Life Gives You Tangerines)

  • フェミ作品:韓国ドラマ「おつかれさま」(英題:When Life Gives You Tangerines)

2025年の最新作だが、とても面白く、フェミ的である。1950年代の済州(チェジュ)島から2025年のソウルまで、主人公ふたりとその周囲の人々の4世代にわたる人生を、ジェンダー・家族問題として描く作品だが、その描き方が独自でセンスがとてもいい。

宣伝HPには「済州島に生きる気丈な少女と誠実な少年。挫折と成功を繰り返し生きていくふたりの人生の物語は、世代を超えても続いていく力が愛にはあると教えてくれる。」とあるが、それだけでは収まらない、かなり力量ある製作者の作品だと感じた。

メインは“海女の娘”と“魚屋の息子”の壮大な一代記ということなのだが、私は特に、主人公エスンの母親の描き方がいいと思った。エスンが早くに父親を亡くしたあと、海女をして何とか生きていた母親も肺を患って若くして命を落とすが、その具骨で愛情深い生きざまがじわじわと沁みてくる。美しくもなく貧乏で、荒い性格で、でも、エスンを大学に行かせるために必死で働くが、潜水病を発症し、29歳で心を残りを抱えて死んでいく。こうして貧しい時代に女性たちは必至で生き抜いてきたのだということを典型的に伝えてくれる。

エスンの夫になる彼、グァンシクの一途さ、愚直さも、フェミの精神を伝えてくれる。通常なら、いら立って怒ったり、DVしたり、離れたり、酒に逃げたりする。だがそれは安易である。低いレベルの作品の展開は、レベルの低い人が出てきて間違った対応をとるし、偶然性の乱用がある。それはドラマ制作では予定調和である。たとえば、ダメな脚本は、崖から落ちても殺されても撃たれても、都合よく人が死んでいなかったり、大事なことが盗み聞き出来たり、実は過去に関係があったなど偶然が功を奏したり、ちゃんと相手を抑制しないから反撃をくらったり、嫉妬束縛、人間不信の言動が多い。つまり間違った対応をとるからそうなるというはなしの進め方は、間違った対応を取らないと違う展開になるので、レベルの低い展開となる。

だが、視聴者も納得できるレベルの高い作品はそういう安易な手法はとらない。良い人ややさしい人が、全力で、細心の注意も払い、合理的で、頑張った、そういう中の選択や試みがあってもそれでもうまくいかないことはある。そういういいひとや合理的である人の、それでもうまくいかないような事や非合理や不条理やその中での展開にこそ、説得力や次の時代を切り開く希望がでてくる。

この「おつかれさま」というドラマは後者のレベルだから、安心してみていられる。それは、「マイ・ディア・ミスター~私のおじさん~」のようなレベルの、ちゃんと生きる人たちの話のイメージと重なる。

 

で、すこし調べると、監督キム・ウォンソクは、なんと「マイ・ディア・ミスター~私のおじさん~」「ミセン-未生-」「シグナル」の監督だった。そして脚本は、「椿の花咲く頃」のイム・サンチュンだった。つまり私がすばらしいと思った作品を作ってきた人たちだったので、このドラマの、私の感性とのレベルの合致度に納得した。

しかも主人公オ・エスンを演じる主演が、「マイ・ディア・ミスター~私のおじさん~」IUであり、「ボーイフレンド」に出ていたパク・ボゴムも主演である。まあ韓国ドラマ、ベスト10に入れてもいいレベルのいい作品である。

なお、英題「When Life Gives You Tangerines」の意味は、「人生があなたにミカンを与えるとき」という感じだろう。「みかん」の意味は・・ということである。「人生で苦難にぶつかった時」を意味する「When life gives your lemons(,make lemonade.)」の「レモン」を、済州島の特産物「みかん」に置き換えたもので、レモンよりも甘さがあるところに希望が示されているという事だろう。

AED問題も怪しい――ネットでの「だまし」に操られないように

今書いている「講義録」に加筆したものを、紹介しておきます。

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  •  
  • AED問題も怪しい――ネットでの「だまし」(対立を煽るフェイク的分断策)に操られないように

2~3年ほど前から数人の学生がネット記事に絡んで、「AEDでセクハラと訴えられる」という問題を感想に書いてくることがあった。

それに対して、そういう記事を鵜呑みにするなというような返答を書いてきた。そして検証記事で、その根拠となるのが、10年ほど昔の誰かの伝聞で、確認できない、いい加減な情報であること、だからこういう根拠があいまいなものは反フェミの可能性が高いことなど伝えてきた。

 

だがこの問題は、いまの「反フェミ」の風潮で受けるので、根強く類似記事や情報が続いて出されている。

そして25年4月にも以下のような記事があったので、これはほぼ「フェミニズム攻撃のための、でっちあげだな」と思ったので、そのことをここで書いておく。

まず記事を紹介した後、私の見解を書く。なお、この「ENCOUNT」というサイトもひどいことにも触れる。

「男は触るな!」AED論争での一部女性意見に「理解できません」 車いすアイドルが語る投稿の真意

ENCOUNT 25年4/17

2018年、転倒した看板の下敷きになり脊髄を損傷 事故後は車いすでの生活を送っている

AED論争への思いをつづった仮面女子の猪狩ともか【写真:仮面女子・猪狩ともか提供】

 

 女性へのAED自動体外式除細動器)使用を巡り、男女間の分断が深刻化している。ネット上では「セクハラで訴えられるリスクがある以上、『女は助けるな』が正解」「男に触られるくらいなら死んだ方がマシ」といった極端な意見が拡散されており、男女での使用率に差があるとするデータも報告されるなど、実害も出ている。

そんななか、実際に男性から救助された当事者として、「私は放置されてたら今生きていなかった」「もし私にAEDが必要でしたら遠慮なく使ってください」と訴えたアイドルの投稿が大きな話題を呼んでいる。

アイドルグループ・仮面女子のメンバーで、事故により脊髄を損傷し車いす生活を送る猪狩ともかに、投稿に込めた真意を聞いた。(取材・文=佐藤佑輔)

 【動画】車いすアイドルの事故前と事故後の“脚の細さ”

SNSで『女性が倒れていても助けるな!』『女性にAEDを使うのはリスク高いから放置』といった声が散見されていて悲しい」「『触るな!』と言っている一部の女性の意見も正直理解できません。その言葉が多少なりとも、貴方以外の女性の命を危機に晒していることに気付けないのでしょうか?」

 今月13日、AED論争についての自信の見解をつづった猪狩の投稿は、1.3万件のリポスト、6.9万件もの“いいね”を集めるなど大きな反響を呼んだ。

 投稿の中で、猪狩は「AEDではありませんが私は脊髄損傷の事故に遭った際、男性に看板の下敷き状態から助けていただき、とても感謝しています。もしその男性が上記のような考えの持ち主でしたら、私は放置されて今生きていなかったかもしれません」と自身の体験を振り返りつつ、「私が命の危機にあった時、男性に触られたら恥ずかしいとか、下着を見られたら恥ずかしいなんて頭の片隅にもなかったです。ただ今の苦しみから救ってほしいということだけでした。どんな議論が巻き起ころうと私は命は何より尊いし優先されるものだと思います。助けを必要としている人がいたら無条件で助ける、そんな世の中であってほしいです。もし私にAEDが必要でしたら遠慮なく使ってください」と訴えている。

 一連の投稿には、「人命救助は最優先」「自分は迷わず助けますよ」「勇気ある発言ありがとうございます」といった称賛の声が多数上がっているが、一部からは依然として「リスクを背負ってまで救う価値など無い。女性が倒れていたら間違いなく無視する」「介抱を装いながら性加害するオスを減らしてから言えよ」といった分断をあおるような声も……。

 これらの声に対しても、猪狩は「命を救ってもらったのにも関わらず、怒ったり訴える人が圧倒的におかしいと私は考えています」「救命活動をした男性の人権も、命と同等に大切なものだと思います」「理想論だと思う人もいるかもしれませんが、こうやってSNSで発信することで少しでも世の中が変われば、生きるチャンスを頂けた私にとって本望です」と丁寧に応えている。  猪狩は2018年4月11日、ダンスレッスンに向かう途中で強風にあおられ転倒した看板の下敷きになり、その場を通りがかった男性数人に救助され救急搬送された。迅速な救助により一命は取り留めたものの、背骨を強打しており、脊髄損傷と診断。事故後は車いすでの生活を送っている。  

今回の投稿について、猪狩は「SNSで、女性へのAED使用を巡る一部男女の対立はよく目にしており、『救護活動を行わない』『男性は触らないで』などの投稿が目につくようになり、悲しい思いをしていました。命に関わるAEDのことだったので、男性に助けていただいた身として、発信しなければならないと感じ投稿しました」と経緯を説明する。 「AED論争は触られたくない女性と、そういう女性を救助した場合に社会的なリスクを負ってしまう男性がちゅうちょ、または放置してしまうということから発生していると思います。

最近ニュースになった、女性を介抱した男性がわいせつ行為で逮捕された件を受けて、なおさら『じゃあ女はもう助けなくていいね』となってしまい、社会全体が壊れていっているような気がしました。  助けるフリをして性加害をする男性、助けてもらった人に対して後から怒りを表す女性がいるのも事実ですが、それはその人がおかしいだけなんです。特に、一部の女性の『男は触るな!』という言葉はとても荒々しく攻撃的なので、これではモラルある99%の男性側が関わりたくないと思ってしまっても当然です。しかし、このような風潮になってしまうと救えるはずの命が救えなくなってしまいます」

  投稿の反響を受け、猪狩は「救命活動をする男性の人権はもちろん大切、同等に命も尊いものです。自分自身新たに命をいただけた身なので、この命を自分のためだけではなく社会貢献のために使っていきたいという思いで生きています。私は命の尊さを訴えるアイドルであり続けます」と話している。

 

→ 伊田の見解

 

まずこの記事を載せているサイト「ENCOUNT」で、この記事のすぐ下には、以下のいい加減な「反トランスジェンダー」(「反人権」「反リベラル」「反フェミ」)の記事を載せている。この記事はずっと出されていて、トランスジェンダーへの偏見をばらまく役割を担っているものである。これについては、「トランスジェンダーと女性の安全」の項目で先に批判的に触れたが、こういうものを載せ続けている点で、閲覧数が増えれば差別でも嘘でも何でも利用するというアテンションエコノミーの奴隷のようなスタンスがあるのがこのサイトENCOUNT編集部だと思う。

トランス女性がルール破り女性風呂入浴 “混浴”した女性はパニック状態「すごいぐるぐる回っちゃって…」

著者:ENCOUNT編集部2023.04.22

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では、上記のAEDの記事についてもコメントしておこう。

学生の質問・意見もに答えるところでも類似のことを書いたのだが、再度書いておく。

まず第1に、医療関係者などまともな人ならAEDを躊躇なくなく使うし、救助として使われた人は、セクハラなどとは訴えない。セクハラだと訴えられているという証拠は示されていない。ただネットでそういう事例があったと言われているだけである。ほぼフェイクであると判断してよかろう。だから上記記事の趣旨である、猪狩さんの「もし私にAEDが必要でしたら遠慮なく使ってください」というのは当然の訴えである。じっさい、猪狩さんは「私が命の危機にあった時、男性に触られたら恥ずかしいとか、下着を見られたら恥ずかしいなんて頭の片隅にもなかったです。ただ今の苦しみから救ってほしいということだけでした。」と書いているが、当然である。もし万が一、訴えられても弁護士を雇い闘えばいいだけである。負けるはずがないので安心してAEDを使えばいい。

 

第2に、この記事を含め、明確な検証できる証拠や証人の証言を書かないのに、それを信じる人が多いことが問題で、まさにそれが、トランプ支持者的状況で、ネットのいい加減な情報を鵜呑みにして、うまく操作されてしまうということである。AEDを使ったらセクハラになる、という情報を信じてしまう人はフェイク情報(嘘)を見抜くリテラシー力がないと言えるであろう。

 

第3に、猪狩さんは、ネット記事などを信じて「社会的なリスクを負ってしまう男性がちゅうちょ、または放置してしまうということから発生している」と書いているが、そうした事例はほとんどないと判断すべきである。こういう記事でネトウヨ的な人が「セクハラで訴えられるリスクがある以上、『女は助けるな』が正解」などと書いているのは、ただネットで匿名で書いているだけで、実際の行動で《従来は「ひと助け」をしていたが、記事を見て考えを変えたというような人》ではない。そういうまともな人なら、こんな、人権に無理解な言葉使いや主張をしないであろう。つまり、社会的事実として「セクハラになるからAEDを使わなかった」などという実際の事例があるのではなく、ただ、フェミ攻撃としてこういう言説がネットにあふれているというだけのことなのである。

 

第4に、つまりこれは、ネットで反フェミの意識を広げるためのフェイクニュースの一種であると判断すべきである。まさに今回の講義録で書いてきた「3-3-1 弱者男性論からの「反フェミ」の誤り、3-3-3 「女性の安全」の名を利用したトランスジェンダー排除言説状況の問題、3-3-4 女性運動・フェミニズム攻撃、アファーマティブアクション攻撃、困難女性支援法攻撃の問題」で扱ってきた反フェミの動きの一例とみなすべきである。 

 

第5に、だから今回一番言いたいことであるが、この記事の中で、「男に触られるくらいなら死んだ方がマシ」と言っているという「女性の存在」というのが怪しいとみなすべきである。この世の中には、もちろん例外的に、『絶対に男性に触れられたくないから、病院で男性の医者の手術も受けない』というような人がいるかもしれない。

しかし圧倒的に多数派は、病気で医療を受けないといけないときには、男性の意思の治療を受けるであろう。それはセクハラだとか性的暴力ととらえないであろう。だから心臓が停止するような緊急的な危機の時に、誰かに救助してもらう時に「男に触られるくらいなら死んだ方がマシ」というひとは、ほぼいない。だからこれはネットで、反フェミの議論をつくるために反フェミの勢力が作り上げた架空の意見であると考えられる。あるいはなりすましで、本当はそういう当該女性ではないネトウヨ的人物が「女性に成りすまして、フェミ女性への偏見をまき散らすために作って書き込んだ、フェイクの意見である」と考えるべきである。

今の学生さんなどは、ネットを見て、「フェミニストはこわい」とよく言うが、実際のフェミニストの文献を読んだり、生身のフェミニストの話を聴いたり、会ったりしないで、そう思っている人は、ネットの架空の「フェミニスト像」に騙されているのだと分かってほしい。

もちろん私は、フェミニストであろうと、トランスジェンダー活動家であろうと、一部、過激に相手を完全否定する暴力的な人、本質主義的かつキメツケ的に「男性だからダメ」というようにふるまう人もいるであろう。だから私は、「弱者男性問題」「キャンセルカルチャー問題」や「弱者の権利の乱用」問題でそのことを整理した。ジェンダー秩序で男性のマイノリティもしんどいことや、複雑な交差性を見ないといけないこと、本質主義のダメさは指摘してきた。

その上で言うのだが、この記事で出てくるような言い方、スタンスの人は実際にはほとんどいないと認識する。かなり男性嫌悪とか男性不信が強い人でも、この記事のような分脈でのこの物言いはしないであろう。

だからこの記事の以下のような言い方をする「フェミニスト的な女性」というのは、「女性やフェミ」をたたくために作り上げられた、ねつ造された「意見」であると考えるのが妥当である。このことは、女性の安全を尊重するとしても、まともなフェミニストなどは、トランスジェンダーをヘイトするような物言いをしないのが当然だという話と通じる。人間として良識があり、民主主義・ダイバーシティ・寛容の精神があり、正しい知識があれば、意見の違いがあっても相手を「憎しみをもって誹謗中傷し、罵倒するような感じ」の言い方はしない。以下で「オス』とか書くのはいかにも人間観がおかしい人で、捏造意見であることがにじみ出ているとみなせる。もし万が一、「介抱を装いながら性加害するオスを減らしてから言えよ」という人がいたら、そういう人は心の病気か何かと思って関わらなければいいが、実際は、この意見はつくられた悪意ある創作物であるとみなすべきである。

この記事で「女性の意見・態度」と言って書かれていることで、怪しいと思われる発言や記述

「男に触られるくらいなら死んだ方がマシ」

「介抱を装いながら性加害するオスを減らしてから言えよ」

『触るな!』と言っている一部の女性

「女性の『男は触るな!』という言葉

命を救ってもらったのにも関わらず、怒ったり訴える人

『男性は触らないで』などの投稿

触られたくない女性

AED使用を巡る一部男女の対立はよく目にしている

助けるフリをして性加害をする男性、助けてもらった人に対して後から怒りを表す女性がいるのも事実です

最近ニュースになった、女性を介抱した男性がわいせつ行為で逮捕された件

 

この記事で、「セクハラと言われるからAED使わない」というスタンスからの発言や記述

『女性が倒れていても助けるな!』

『女性にAEDを使うのはリスク高いから放置』

「リスクを背負ってまで救う価値など無い。女性が倒れていたら間違いなく無視する」

『救護活動を行わない』

女性を救助した場合に社会的なリスクを負ってしまう男性がちゅうちょ、または放置してしまう

逮捕された事件があったから、なおさら『じゃあ女はもう助けなくていいね』となってしまう

モラルある99%の男性側が関わりたくないと思ってしまっても当然

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第6に、まとめだが、以上を踏まえるならば、猪狩さんの主張の中心は正しいが、前提としてネットの記事を鵜呑みにし過ぎていると思う。反フェミニズムの可能性が高い情報への、操られないリテラシー力ある対応が欠如していて、結果的に「男に触られるくらいなら死んだ方がマシという異常な女性がいる」「命を救ってもらったのにも関わらず、怒ったり訴える人がいる」という偏見を広めている側面がある。あまりにネットの怪しい情報を拡散しすぎている。悪気はないだろうが、結果的にこの記事さえ、フェミ 対 反フェミの分断を激化させる効果がある。

 

第7に、だからこの講義を受けているみなさんは、躊躇せずに、助けを必要としている人がいたら無条件で助けてほしい。このAED問題と似たことは数年前からネットでよくあって、たとえば「倒れているおばあさんを助けたら逆に、この人から襲われたと訴えられた」というような情報を信じる学生がいたので、「だまされるな」もし訴えられても闘えばいいし、実際は打立てられることはほぼない」と言ってきたことと重なる。

今の時代、多くの人がネットの「釣り」情報、アテンションエコノミーで閲覧されそうな偽情報があふれている。嘘情報が多いのである。そういうのに「だまされるな」という話であり、第7回や第14回で扱うネットリテラシー問題をちゃんと勉強してほしい。この講義では第4回以降「いざというときに動ける人」ということを何度も言う。動けた人の事例も紹介する。ネットの愚かな情報に騙され、人間不信(無為の人)になるのでなく、チャンと自分の安全確保をしつつ、「ひと助けをしていきましょう。第4回講義で「カツアゲ」問題で、いかに生きるかを扱います。この講義は自分がどういう行動をとるかを確立していくために学ぶものです。

 

  • 「介抱した男性がわいせつ行為で逮捕」事件について

なお、上記記事で猪狩さんが言及している「最近ニュースになった、女性を介抱した男性がわいせつ行為で逮捕された件」というのは以下の事件と思われますが、それをこの「AED問題」の文脈で使うのは適切でないと思います。

「介抱しただけです」不同意わいせつ未遂の疑いで会社員の男(56)逮捕 事件の報道を見て出頭 札幌市

2025年 4月 8日

 今月4日夜、札幌市北区にある駐車場内で女性にわいせつな行為をしようとしたとして、56歳の男が逮捕されました。
 不同意わいせつ未遂の疑いで逮捕されたのは札幌市北区の56歳の会社員の男です。
男は今月4日、午後10時50分ごろ、札幌市北区新琴似7条12丁目にある駐車場内で、石狩市の10代後半の女性にわいせつな行為をしようとした疑いが持たれています。
警察によりますと、女性が帰宅途中に体調不良になり駐車場で休んでいたところ男が「大丈夫ですか」などと声をかけて体を触った際に性的な部分も触ろうとしたということです。女性は抵抗して逃げて無事でした。
男は4月7日、事件に関する報道を見て札幌北警察署に出頭したということです。
警察の調べに対し、「介抱しただけです」と容疑を否認しているということです。

 

 

まずこの事件の実態・真相はわからないが、少なくともわかることは、AED を使おうとして、「セクハラと訴えられた」ということではない。逮捕までされているので、警察が適切とすれば、かなり性暴力と認定できるようなことをしたからという事であろう。とすれば、今回の論点である「救助のためにAEDを使ったのに、不当にセクハラと言われた」ようなケースとは全く異なる。だからこの事件を猪狩さんが出したことは適切ではない。

次に、この男性が本当に介助しただけなら、不当逮捕ということになる。それならこの事件報道記事自体が警察発表を鵜呑みにしたもので問題である。だが、その真実が今は分からない。その段階でこの事件を上記のAED記事で使うのがおかしい。

つまり、猪狩さんは「女性を介抱した男性がわいせつ行為で逮捕された件を受けて、なおさら『じゃあ女はもう助けなくていいね』となってしまい、・・」というようにこの事件を使っているので、それは、女性を介助しただけなのに不当にも女性にでっちあげられた事例として扱ってしまっている。

だが、表に出ている情報だけでは、この逮捕された人が冤罪で捕まったとは判断出来ないではないか。だから、やはり猪狩さんは、安易に最近の、実態がよくわからないニュースを、「反フェミの男性たちの視線」で見てしまいすぎているといえる。

***

この事件に関してある弁護士の意見が載っている情報[1]を見つけた。

弁護士の藤吉修崇氏は4月15日、自身のXを更新。“介抱しただけ”で男性が逮捕された報道について解説した。それによると、「それなりに踏み込んだ行為があった」から逮捕されたのだろうという意見である。「このニュース、なぜか『善意のヒーローが誤解されて捕まった』って話にしたがる人が多い。けど、その前提がちょっとズレてると思うので、弁護士である私が解説する」と投稿した。

つまり、このニュースを、『善意のヒーローが誤解されて捕まった』って話にしてしまう人こそ、都合よく、未確定な情報を使っているという指摘であり、納得できる。

この弁護士の意見を踏まえてもやはり、猪狩さんの使い方は、ネットの「反フェミ」的な人たちの『善意のヒーローが誤解されて捕まった』という理解に寄りすぎだと言えよう。

この事例が示すのは、猪狩さんのような人も、ネット情報の背景や嘘を見抜く力が欠如しrていて、反フェミの流れに巻き込まれているということである。

それは猪狩さん一人の事ではないだろう。だからこそ、多くの人が、ネットの歪んだ情報に操作されないような力をつけてほしいと思う。反フェミの文脈ですぐに読み込むな、そういう意見に影響されるなということである。

 

藤吉修崇弁護士の説明

まず、未遂とは「服に手を突っ込もうとした、押し倒して服をめくろうとした」など「目的に向けた『具体的な行動が始まっている』ことが前提となる」

。「今回、未遂で逮捕されてるってことは、それなりに踏み込んだ行為があったってこと」だ

また「出頭してるのに逮捕はやりすぎ」という声に対しても「これも現実とちょっと違う。出頭したから逃亡の恐れなしにはならない。本人が必死に『違うんです』と弁解してる時点で、おそらく被害女性の証言とあまりに食い違っていて、警察としては証拠隠滅や逃亡の可能性ありと見たのであろう」と見解を示した。
「『これじゃ誰も介抱できなくなる』論」については「AEDみたいに命に関わるような話ならともかく、酔っ払って座り込んでる見知らぬ女性を、見ず知らずの男が密着して介抱する必要な場面って実際そんなにあるか?」「離れて声かければよくね?」と意見を述べ、「安易に『誤解された可哀想な男』という物語に乗っかるのも危うい。警察が動いた背景には、報道に出ていない証拠や供述があるから。慎重に見守りたい」

 

 

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[1] 「“介抱”で逮捕報道を弁護士が解説「未遂で逮捕されてるってことは、それなりに踏み込んだ行為があった」」About NEWS 2025/04/17

「10月7日」の前に起っていたことーー映画「ノー・アザー・ランド」

  • 「10月7日」の前に起っていたことーー映画「ノー・アザー・ランド」
  •  
  • 以下も「講義録」の一部。
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メディアでは平気で、「ハマスの攻撃(大虐殺)への報復として」というように、23,-25年の「イスラエルハマスパレスチナ)戦争」の始まりが、23年10月27日のように言っている。しかし、その把握自体が、非常に党派的で、客観性から言って歪んでいる。

先にもみたように、基本は、イスラエル建国以降、イスラエルがどんどん領土を広げ、パレスチナ人を追い出し、残虐なことを繰り返してきた流れがある。イスラエルはさまざまな人権侵害、そして入植という国際法違反の行為を続け、表向きは時々イスラエル批判が行われるが、米国はイスラエルを完全に支え、世界各国もこの悲惨な状態を自裁に改善できないままだった。とくに、パレスチナではユダヤ人のヨルダン川西岸への入植が進み、国際合意を大きく超える形でパレスチナイスラエルの入植地が広がり、またイスラエルによる分離壁の建設により人々の往来が制限されてきた。

パレスチナの人々の家や土地はイスラエルにより一方的に破壊、接収され、抗議をするパレスチナの人々は拘束され、ときどき銃で撃たれたりしている。2022年は44名、2023年は11月15日現在までに97名の子供が、イスラエル軍および入植者との対立で死亡している[1]。さらにイスラエルの入植者により、家屋の窓ガラスを割られるなどの嫌がらせや、暴力が発生するが、これらの行為が取り締まられることもなく容認されてきた。2023年6月には、イスラエル入植者により、パレスチナ人の家やモスク、学校が放火されるなどの事件がわずか1週間で310件も発生している。

ガザはイスラエルによる16年に及ぶ「包囲網(Blockage)」により、自由な人・物流の往来が制限され、65%の人々は貧困ライン以下で生活し、63%の人々が食糧不足(food insecurity)で苦しみ、ガザの経済は「崩壊寸前(near-collapse)」であった。穏健な手法ではイスラエル人の入植、暴力に対する抗議は聞き入られず、ガザの人々の生活は困難を極める一方、中東諸国はパレスチナ問題への関心を失っていく状況にあった。ガザは、「天井のない監獄(prison without ceiling)」とこれまで言われてきたが、人々は物理的にも精神的にも追い込まれた状況下にいる。このままでは状況打開の糸口はないと感じ、ハマスは行動を先鋭化していった。それが「10月7日の奇襲攻撃」となった。

私は非暴力主義を基本とするものであり、ハマスの無謀な攻撃が結果としても悲惨な状況をもたらしているので批判するが、イスラエルの暴力も批判するので、「ハマスが悪い」「始まりはハマスの10月27日の攻撃」というのは間違っていると認識する。

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その、「10月7日」以前の状況を明確に伝えるドキュメント映画がある。

『ノー・アザー・ランド 故郷は他にない』(No Other Land、2024年製作、ノルウェーパレスチナ合作)である。第97回アカデミー賞長編ドキュメンタリー賞を受賞した。2024年・第74回ベルリン国際映画祭で最優秀ドキュメンタリー賞と観客賞も受賞した[2]

破壊される故郷を撮影するパレスチナ人青年と、彼の活動を支えるイスラエル人青年の友情を、2023年10月までの4年間にわたり記録したドキュメンタリーである。知識がない人にはわかりにくいこともあるだろうが、あまりにひどい「ヨルダン川西岸への入植の状況」が写し取られている。ニュースでは断片の情報・映像が見られるが、当事者が撮った実際の記録には、状況の全体の流れが示されているし、あらためて言葉がないほど、ひどいことをイスラエルがしていることが明確に記録されている。作りものではないので、スカッとする逆転劇があるわけではない。いつもながらのどよーんとした気持ちを抱えたまま映画を見終わるしかなかった。

こうした事実を知らないまま、イスラエルを支持する世界の多くの国や人々は、この犯罪に加担しているというしかない。いますぐ、国連やEUその他などが連携した国際的な軍事部隊をイスラエルパレスチナン尾国境に投入し、入植も、ガザ支配などもないようにし、早急にパレスチナ国家樹立をするしかない。だがそれをしないのだから、「報知」である。ウクライナには銀慈悲も軍備も訓練も大呂に投入しているのに、パレスチナにはそれをしないのは、差別である。

 

  • 映画「ノー・アザー・ランド」の希望

意義ある映画の内容を確認しながら、その意義を記しておきたい。

ヨルダン川西岸のパレスチナ人居住地区マサーフェル・ヤッタで生まれ育ったバーセル・アドラーは、イスラエル軍による占領が進む故郷の様子を幼い頃からカメラに収め、世界へ向けて発信してきた。

そんな彼のもとに、自国政府の非人道的な行為に心を痛めるイスラエル人ジャーナリストのユバル・アブラハームが訪ねてくる。同じ思いで行動をともにし、パレスチナ人とイスラエル人という立場を越えて対話を重ねるなかで、2人の間には友情が芽生えはじめる。しかしその間にも軍の破壊行為は過激さを増し、彼らが撮影する映像にも痛ましい犠牲者の姿が増えていく。

私は今までもドキュメント番組やnews特集などで、入植者とイスラエル軍のひどい蛮行を数多く見てきたが、執拗で継続的な嫌がらせと破壊と弾圧と殺人の状況の一部を写しとったこの映画には歴史的な価値があると思った。ずっと住んできた場所にあるパレスチナ人の家をつぶす。生活のなにもかもがある場をただ意味なく壊す。そしてその地に住めないようにするのだ。他にどこにいけというのか。井戸をセメントで埋め、学校や公園も重機で潰す。ただ普通に生活したいだけなのに、とつぜんやつらが来て家をつぶし、それを止めることができない、なぜならイスラエル軍兵士が銃をもって横にいるからだし、入植者も武器を持っているからだ。抵抗すればその場で殺されるのである。ありえないほどの状況である。テロで反撃したくなるのも分かるというものだ。ただ、不衛生な洞窟に居座ってその地を離れないという抵抗しかできない。

目の前で殴られたり、家をつぶされたりする苦悩と絶望が、。

彼等がしていることは国際法違反だし、人間としておかしいが、そう思うイスラエル人はここにはいない。イスラエル国内には、こうした蛮行に批判的な人もいる。しかし、イスラエルの主流は、こうしたひどいことをする人を止められない。それは大きく見て、イスラエル全体が犯罪的な国家になっているということだ。

戦争とは人間らしい人権御基準から見て、おかしなものなのである。そして戦争に準じる、占領や植民地主義的蛮行、ヘイト活動、移民排斥など全部おかしいな暴力なのである。そして入植という非合法な領地拡大ももちろん許されない暴力である。

ぜひ、軍隊や入植者(右翼思想の者たちがほとんど)の実態をみてほしい。あなたはこれを許すのか。そういう問いの前にいる[3]

お前の国がひどいことをしているとか、お前には帰るがあるとか、すぐにいなくなるだろう、簡単委は解決しないのにいい気なもんだ、というようなことをいわれて、通常なら気分が悪くなり離れる、関わらなくなる人が多いだろうが、イスラエル人ではあるが自分の頭で考え行動するユバルは、交流を続ける。イスラエル人クルーに対して、イスラエル軍人や入植者たちは、「お前は裏切り者だ」「任務の邪魔をするな」という罵声をあびせるのである。

私はここに、希望を見いだす。私たちは地球人として、国境(民族、国籍、立場)を越えて、主流秩序にとらわれることなく、関われるのである。マジョリティの中にいても、「嫌われる生き方」を選ぶことで、マイノリティになる、勇気ある人がいること、そこには、この講義で多くの思想家が示す「人としての道」の典型がある。

この作品は、バーセルとユバルを含む2人のパレスチナ人と2人のイスラエル人による映像作家兼活動家が共同で監督を務め、不条理な占領行為とそれに立ち向かう人々の姿を、当事者だからこそ撮影できる至近距離からの映像で描きだした。これが事実なのである。事実を知らないことを「無知」という。「オクトーバーセブン」からだけで考え、人質をとっているハマスが悪いというだけの話を受け入れている人は無知であり、人間としてダメである【主流秩序への加担】と、私は思う。

トランプも絡み、ウクライナと並んでガザ・ヨルダン西岸は世界の大問題なのだから、学生は、歴史を含め全体状況を学び、米国発の情報がいかない歪んでいるか認識してほしいと思う。米国内でも学生たちは、パレスチナ支援にたちがっている。米穀が皆イスラエルの非道を支持しているわけではない。被害者サイドと加害者サイドの人間でも、友情を持ているのである。○○人が大事なのではなく、地球人としてどう生きるかが大事なのである。

 

(C)2024 ANTIPODE FILMS. YABAYAY MEDIA

 

 

 

  • 【25年3月26日追記】「ノー・アザー・ランド」の監督への暴行と連行

イスラエルはこの映画への残虐な応答をした。アカデミー賞長編ドキュメンタリー賞を受賞したて注目がなされているにもかかわらず、この映画にかかわったものを脅し弾圧したのだ。信じられないほどの人権否定国であり、独裁的軍事国家である。

 パレスチナ自治区ヨルダン川西岸で25年3月24日、「ノー・アザー・ランド」の共同監督の一人でパレスチナ人のハムダン・バラル氏が、イスラエル人入植者らに暴行を受け、イスラエル軍に拘束された。西岸にある村を入植者の集団が襲い、バラル氏にも暴行を加えて頭部や腹部にけがを負わせた。現場にいた別の共同監督や目撃者の話として、AP通信などが伝えた[4]

 報道によると、西岸の村が入植者の集団に襲われた際に、バラル氏は頭や腹を負傷。救急車で搬送される途中でイスラエル兵に拘束、連行された。軍の基地に連れて行かれたようだという。

 バラル氏が拘束された際に近くにいた共同監督の一人、バセル・アドラ氏はAPに「アカデミー賞から戻ってきて以来、毎日私たちへの攻撃がある」と語った。「ノー・アザー・ランド」の別の共同監督、ユバル・アブラハムはX(旧ツイッター)に、布で顔を隠した集団が車のフロントガラスに石を投げつけてくる様子が映る動画を投稿し、「集団が共同監督のバラル氏(行方不明)をリンチした」と付記した。

 イスラエル軍は、この現場でイスラエル市民と「テロリスト」の間で投石が始まったことから軍と警察が制止し、パレスチナ人3人を拘束したと主張している。

 

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ほかに以下の映画も参照の事

もう一つ、ガザの実情、歴史を示すドキュメント映画。

2009年、イスラエルの侵攻直後のパレスチナガザ地区に足を踏み入れ、そこに生きる人々の姿を映し出したドキュメンタリー。

2008年12月末から2009年1月にかけて、イスラエルによるガザの大規模侵攻が起こる。監督のサミール・アブダラとケリディン・マブルークは、停戦の翌日にガザに入り、そこで両親や兄弟を失った子ども、目の前で家族を銃撃された男性、土地を奪われて逃げてきた人々などの証言を記録。

西洋の視点から単なる死亡者数という数字に還元されてしまう現地の人々を、顔のある個の人間として描いていく。また、パレスチナを代表する詩人マフムード・ダルウィーシュの詩が引用され、ガザの人々が生きてきた歴史と記憶を呼び起こしていく。

ガザの地で生きる人々の姿を丁寧に描き出し、同時にパレスチナ問題の背景にある西洋諸国のダブルスタンダードや構造的暴力を浮かび上がらせていく

タイトルの「ガザ=ストロフ(Gaza-strophe)」は、「ガザ(Gaza)」と「カタストロフ(Catastrophe)」をかけあわせたもので、1948年のイスラエル建国から続くパレスチナおよびガザの惨事(カタストロフ)を意味する。

映画の製作から10年以エル建国から続くパレスチナおよびガザの惨事(カタストロフ)を意味する。映画の製作から10年以上を経た2023年にもイスラエルによるガザ地区への軍事侵攻があり、変わらない状況が続く2024年10月、特集上映「パレスチナ映画特集」の上映作品として劇場公開。

2011年製作/92分/フランス・パレスチナ合作
原題または英題:Gaza-strophe, Palestine
配給:Shkran
劇場公開日:2024年10月11日


映画冒頭、「あと2回勝利すればガザからパレスチナ人を追い出すことが出来る」とユダヤ人のやり口をユーモアを交えて語る男性は、近年病院が爆撃されたことで必要な治療を受けられず亡くなったとのこと。

イスラエルパレスチナを殲滅しようとしているのは誇張でも何でも無い。
ガザの人々の、「なんとしてもこの土地にとどまる、家を壊されたらまた建てる、木を倒されたらまた植える」と繰り返す言葉の強さ。

幸いにも配給担当者のトーク付上映日に観賞することができた。
翻訳担当社の二口氏に、個人的に権力や財力があるわけでもない個人がこういう映画と見るたびに無力感に襲われるのだが、たとえ小さな個々人の意見や行動でも積み重なって国家を動かすことがあるように、1人1人出来ることを考えることが大切だという言葉に胸を打たれた。

なんとか全国上映迄こぎ着けて欲しい。「

 

 

[1]ハマスイスラエルの衝突 ――「勝者なき戦闘」をいかに解決するか?」

ハマスとイスラエルの衝突――「勝者なき戦闘」をいかに解決するか? | 記事一覧 | 国際情報ネットワークIINA 笹川平和財団

[2] 本編撮影後に起きたことが、スタッフのSNSで示されている。以下のメンバー4人の名前で検索するとでてくる。Basel Adra (パレスチナ人)、Rachel Szor (イスラエル人)、Hamdan Ballal (パレスチナ人)、Yuval Abraham (イスラエル人)

[3] 第7回講義で示される韓国映画『ソウルの春』や韓国TVドラマ『D.P』を見ても、私は改めて思うのが、軍隊というものを肯定する、「軍隊、軍人、政治家、学者」などは、私は大っ嫌いである。あなたはどうなのだろうか。

[4] 「「イスラエルが連行」報道 ドキュメンタリー映画監督」(朝日新聞、2025年3月25日)などより