社会学者の古市憲寿氏(32)らが安倍晋三首相と会食したことをめぐり、牟田和恵・大阪大学教授(60)が、「古市氏の権力へ近づいているスタンス」を批判的にツイッターに投稿した。
古市氏は,そんなことないと反論しているが、問題の意味が分かっていない。
主流秩序に鈍感で、知らぬ間に加担しているので、安倍首相と食事をすることが主流秩序的にどうなのかと考える視点がまったくないのだ。
それが見えていない人には、「批判が的外れ」にしか見えない。
だからこれは古市氏が言ったということでなく、今どきの「若者」――若者だけでなく政治的にものを見る枠組みがない人ならどの年代の人でも――ーが言いそうなことなのだが、
「自民党の何が悪いの。」「左だ右だとかいうのが古い。」「憲法を変えないと決めつけるのはおかしい」「慰安婦問題という古い問題にいつまでもこだわるのは政治的すぎる」などというようなことになる。
本当に左翼的な人の言い分が分からなくて古いとしか思えないのだ。それはこの社会のだれの、どの階層や社会集団の、どの様な状況に心や魂が動かされ、感動したり憤ったりするかという、自分の存在の位置がないからだ。一言でいえば立場性党派性がない。
古市さんはその典型だと思う。感性として何かに強く感じ入ってその感情を動力として研究したり生きたりしていないような人なのだ。 これはもちろん古市さんだけでなく多くのインテリ、研究者、評論家、政治家、弁護士なども同じだ。 そしてそういう人は結局、主流秩序を上昇することに目標を見出している。だからメディアに出る。メディアに出ている99%はダメキ系である。
こんなだから安部首相と一緒にご飯を食べるのが何が悪いかわからない。別にいいなりになるわけじゃないし、どんな人か話してみたい、という程度。
その時、沖縄の問題で安倍政権がどういう態度をとったかという感情と認識で安倍首相に会わない。 慰安婦問題で、原発問題で、共謀罪で、武器輸出で、特定秘密保護法で、憲法改悪で、核禁止条約で、モリカケ問題で、安保法制での安倍首相の取った態度を思い出さないし、憤らない。だから普通に笑てご飯を食べられる。軽く個人的なことを聞いて、こんなこと話してましたよとか言える。首相に会えたと内心得意げになれる。じぶんはh特別なのだと思える。
牟田さんの指摘は客観的にはそこにかかわっているのに、古市さんには意味が分からない。
そんな人だからこそメディアでも重用される。
権力から「偏っている」「あいつだけは絶対に出すな」というようには言われない、無味無臭程度の少し保守とか少しリベラルとか、中立とかがいい。萱野などその典型で、権力にすり寄っている。まして極右・ネット右翼から「味方」と思われるような人は自分を恥じたらいいと思うがそれが分からない。三浦さんなどその典型。 そんな人たちだからこそ、メディアに出ている。何故メディアに出られているかさえ考えない。自分には実力があるからと思っている。NHKの若手が集まり番組に出ている人たちなど、そんなのが多くて気持ち悪い。
真にちゃんとした人は、そのメディアの場にはいなくて、無名であちらこちらに存在している。
そんなことが分かっていない典型が古市や萱野さんたち。
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言及材料となった情報
ネットで物議の牟田阪大教授、こんどは安倍首相と会食の古市憲寿に茶々 12/17(日) 16:10配信