「サイゼリヤ」でセクハラ被害受けた女性が自殺
以下のようにサイゼリアでひどいセクハラがありましたが、これは労働問題でもあります。当然、店長にも本社・社長にも責任があります。周りの人が早く動くべきでした。
ユニオンの存在を知らない人、セクハラやパワハラ、いじめへの対処の仕方、闘い方を知らない人が多すぎます。
そこが教育の一番の問題です。
2014年12月、東京のレストランチェーン「サイゼリヤ」に勤務していた女性(20代)が男性副店長からセクハラやパワハラ行為、ストーカー行為を受けて自殺した。
女性は2013年4月、専門学校に入学と同時にサイゼリヤでアルバイトを開始。 当時の女性店長から「定時社員」への提案を受け、201410月、女性は専門学校を中退しサイゼリヤの定時社員として勤務を始めた。
女性が定時社員となった直後から副店長(20代後半、身長180cm、妻子持ち)のセクハラが始まった。 その副店長は、被害女性の髪や耳を触ったり抱きつくなどの執拗なセクハラを行い、女性の給与明細に「私はあなたが好き」と手書きで書いて渡していた。
さらに女性の名前を記したうえで「行動はちゃんと見ています。わたしは○○(女性の名前)に対して諦めない!!」などと書いたものも渡していた。
また、トレーニングノートと呼ばれる連絡帳でも「自分は○○(女性の名前)関わったことを後悔してはいません。だって、すごく楽しかったから」と記していた。さらに、好きな従業員のランキングを書き、1位に被害女性の名前を書いていた。
さらに被害女性の自宅に押しかけるなどストーカー行為を繰り返し、2014年9月には肉体関係を強要した。
女性は関係を断とうとしたが拒否されて、逆に2014年12月に「一緒に死のう」と心中を持ちかけられ、翌日に自宅で1人で首をつって自殺した。
女性は罵倒や無視といったパワハラも受けていた。店長には妻子がいたが、正社員になりたいという希望を持った女性に対してセクハラを繰り返し、女性が反発するとパワハラ行為で女性を追い詰めたとみられる。
自殺した女性の遺族が、サイゼリヤと当時の上司に対し、総額約9800万円の賠償を求め東京地裁に提訴している。遺族は、「娘はパワハラの影響で、副店長との性的関係を拒否できなくなっていた」と主張。「店長は副店長の行為を知りながら放置していた」と訴えている。
ネットでの恋愛指南書の古臭さ
ぐっどうぃる博士 (恋愛カウンセラー) という人が恋愛について書いているサイトがあって、スマホなどで簡単にアクセスできるのでよく読まれているようです。
ちらっと見て、ある人たちにとって「役立つリアルな情報」「面白い情報」なんだろうなあとおもえましたが、まあ古臭い、主流秩序(ジェンダー秩序)に沿ったまま、それにいかに適応するかの話だなあと思いました。
一例として、「いくつになってもモテ続けたい!男性からのアプローチが絶えない「隙」の作り方」(http://netallica.yahoo.co.jp/news/20150719-00010004-rennaiu
、2015/7/19)の記事を使ってコメントします。
その記事では、20代後半になってくると女性は「若さが失われ、男性から興味を持たれなくなる」「結婚適齢期なので、男性が付き合うのに躊躇する」および「隙がなくなる」ことによってモテなくなるといいます。
「隙のない女性」とは、自分で楽しめる、自立している、男性を避けている、女性らしくない女性だと言います。
そして「隙のある女性」になるように勧めるのです。
笑えます。
「隙のない女性」がもてないのは、女性がじぶんの力で美味しいものを食べたり、旅行をしたり、日々を楽しんでいると、男性は女性を楽しませたいので、自分で楽しんでいる女性にたいし「自分が楽しませるのは無理」と思い、手を出さなくなるというのです。
だからモテたければ海外旅行には行かず、お洒落なファッションやブランド物のバッグを身につけないなど贅沢を止めないといけないと言います。そして高級でない食事や男性のちょっとした行為で喜んだり、笑ったり、楽しむような女性になれというのです。
次に、資格を取ろうとしたり、日々が忙しかったりする自立している女性、自分で何でも出来る女性は、男性が「この人は自分だけで楽しめるんだな」「僕が支える必要はなさそうだな」と感じて、近づかないといいます。
だから「重い」と感じられない程度で、男性に頼れる女性になれといいます。
第3に、恋愛で痛い思いをした経験や、男性に価値がないと思われるのではないかという不安から、自分を守り、男性を避けていようにみえる女性はモテないと言います。ですからその逆の、人なつっこくて、男性との関係で積極的な女性になるようにいいます。
第4に、仕事が忙しすぎて外見に力を入れていない女性とか、男性にしっかり意見を言うとか議論するような女性は見た目や考え方が「女性らしくない」からモテないといいます。その理由は、「男性は女性らしさに恋をするので、この手の女性に恋愛心は抱きにくい」というものです。
女性らしくないという意味で、「お笑い芸人モードになっている女性」「哲学者のような話ばかりする女性」「自分が性の対象として見られるのがイヤで、こだわりの強いファッションをしている女性」もモテないといいます。
だからモテるためには「女性らしいファッション、女性らしい立ち居振る舞い、女性らしい考え方」をしなさいといいます。難しいことを言うな、おバカになれということです。
男性は、「隙がない女性」は「取りにいくのが面倒などうでも良い花」と思い、手に入りやすく、男性のことを尊敬し、すこしの事でも喜んでくれ、男性に人なつっこく接し、難しいことを言わず、女っぽくかわいい女性を好むというのです。
まとめとして「恋の教訓」を挙げているのですが、それは「自分で楽しむ事をやめ、自立をせず、それらを男性にやってもらう人懐っこい女性。そんな女性が、何歳になっても男性を惹き付ける」というものでした。
ほら、すごいでしょ。
40年前、30年前ではなく、いま、2015年にネットで読まれている情報ですよ。
まあ恋愛でも友人関係でも、「身の丈」にあった人とかかわるものですから、ぐっどうぃる博士さんが接する女性や男性は、こういう感じなのでしょう。
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ぐっどうぃる博士の別の記事も簡単にですが紹介しておきます。
「彼氏が出来ない理由が判明!男性を惹き付ける「性的な魅力」6つとは?」
男性を惹き付ける女性の魅力のひとつ、「性的な魅力」とは、
1.美しい顔、やせ気味のスタイルの良い体、 すっぴんが美しい女性
2. 10代後半から20代前半までの若さと健康
3. ビジネスモードにならず、旅行や習い事ばかりせず、女性らしい言葉を遣い、女性らしい立ち居振る舞いをし、うぶ毛のない白い肌、ふっくらとした柔らかさをもった、女性らしさがあること。露出した肌や、潤った唇、上目遣いの視線など。
4.マンネリでなく、新鮮さ、非日常と非現実があること。結婚のプレッシャーをかけたりしないこと。 キャバクラや不倫に見られる要素。
5.幸せにできそう感
男性は、男性[自分]の話で喜ぶ女性、、男性[自分]のプレゼントで喜ぶ女性といった、「自分が幸せにできそうな女性」に性的な魅力を感じる。
6.手に入りそうで入らない距離
お酒に酔っぱらって肩にもたれて来たり、自分の話を真剣に聞いてくれたりすると、男性はその女性が「手に入りそう」と感じ、恋愛対象として意識する。あるいは女性が冷たくなるなど「切なさ」があること。
男性を惹き付けるには、この6つの要素を磨き、性的な魅力をつくることだと指南します。
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「ぐっどうぃる博士」がいうには、女性は「自分を幸せにしてくれそう」な男性、つまり、自分を楽しませてくれる男性、素敵なプレゼントをしてくれる男性、仕事のできる男性、トラブルを解決してくれる男性、ファッションや会話のセンスがある男性に恋をする、とのことです。
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めっちゃ、「ぐっどうぃる博士」の個人的好みと経験が出ていると思うのですが・・(笑)。これを皆に当てはまる普遍的なことだと書ける感性・知性に驚きです。
それはおいておくとしても、こんなことが堂々と書かれ、おおく読まれる(彼はそれを仕事にして儲けている)。
そこ(こんなことを書くことや無批判に読むこと)に何の躊躇もない。それが現状です。
フェミはまだまだ少数のまま、影響力がないままです。
で、私は思うのです。
こういう風に書かれて反発するか、しないか、ではないかと。
たとえその内容が1%ぐらいは当たっている面があると思っても、
こんなふうに「女は女らしくしないとモテないよ」といわれたら、
「けっ!」とおもって、「アホか、このバカ男」と反発するのが何かが始まるときの出発点ではないかなと思うのです。
現実の性欲、現実の恋愛感情、そこには、当然外見の要素が一定あることは事実でしょう。私はそれを含めて、『「結婚しないの?」に答える理論武装』という拙著などで恋愛の8要素とか、『はじめて学ぶジェンダー論』で結婚の7要素などを示しました。
でも、その現実に従属して媚びていくのか、それに違和感や反発を感じるのか、あなたはどうなの?と問いかけてきました。
それが私のジェンダー論でした。
主流秩序論はその集大成です。
主流秩序という、つよいものに従属する生き方は、恋愛論においても、「ぐっどうぃる博士のいうとおりだ」となるでしょう。
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東京での『ジョン・ラーベ』上映会
私は大阪でのものを見ましたが、東京の報告です。
7月20日午後、東京・日本教育会館大ホールで『ジョン・ラーベ~南京のシンド
ラー』大上映会が行われた。開場1時間前から当日売りの列ができ、800人のホー
ルはあっというまに埋まった。急遽用意した第2会場も200人で満席。100人以上
が入れずにお断りする事態となった。開会挨拶は土屋トカチさんが行い、続いて
永田浩三さんが映画の背景をわかりやすく解説した。135分の長編劇映画だった
が、映像や音響効果が素晴らしく、南京事件を「臨場体験」するあっというまの
時間だった。映画が終わると会場いっぱいに大きな拍手がおき、感動が広がっ
た。今回は「南京事件」がタブー視される風潮のなか、労組関係者や文化人が呼
びかけ実現したもの。上映会の大成功は「歴史修正・戦争できる国」の安倍政権
への一撃になったに違いない。(M)
↓写真速報
http://www.labornetjp.org/news/2015/0720shasin
↓動画(永田トーク14分)
財政再建問題にみるいいかげんさ
財政再建問題にみるいいかげんさ
財政再建問題は何年かに1回、問題になる。少し長く生きていると、もう同じことを何度も見ることになる。私の20代のときからこの話はある。年金制度の将来性の問題も同じだ。
大きく見れば問題があるのは明らかで、ギリシャを対岸の火事とみているのは愚かしい。
しかも、20年前より10年前は悪化し、10年前より現在が悪化している。財政赤字は大きく問題が行き詰まっている。国の謝金が1000兆円を超え、しかも増え続け、税収よりも歳出が大きく、借金返済、利子払いに追われ、しかも安倍政権は緊縮を目指さないし増税も避け、軍事費を増やしている。
しかし、愚かな安倍政権は財政問題には無関心で、高度成長神話にのって経済成長が問題を解決するという念仏だけを言い続けている。
おろかしい。
これが政治であり、メディアも愚かしいからあまり問題にしない。
しかし時々問題になり大騒ぎする。すべては政治的に利用されるだけ。
もうこうなっては必ず将来、ギリシャのように大きな危機に直面するが、仕方がない。どうしようもないことはある。問題はその時に、誰により大きな犠牲を押し付けるかの戦いはある。
にもかかわらず、私たちが準備すべき一番大事な点は、成長神話に乗った物質主義的な生活で生きるのをやめていくことだ。より少ない生活で、今後必ず来る「厳しい社会」「暗黒社会」を生き延びていくような生き方のスタイルを持つことだ。
上昇や忙しさを求めない、スローな、いい加減な生き方だ。戦争に加担しない生き方だ。
脱主流秩序である。
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以下は最近の記事だが、今回も基礎的財政収支の黒字化はできないどころか改善もむずかしいことは明白なのに、甘い見通しを述べている。毎度のことだ。できないとわかっているのにできるといって当面を乗り切る。愚かなことの繰り返し。
基礎的財政収支、赤字幅3兆円減 黒字化は困難か 20年度見込み
朝日 2015年7月23日05時00分
内閣府は22日、国の財政についての新たな中長期試算を示した。2020年度の基礎的財政収支(プライマリーバランス=PB)の赤字幅は、足元の税収増や歳出削減の効果で、9・4兆円から6・2兆円に減ると見込んだ。それでも政府が掲げる20年度の黒字化は達成が厳しい状況だ。
PBは、政策にかかる予算を借金に頼らず税収でまかなえるかを見る指標。15年度の赤字幅は15・4兆円となる見通しだ。今年2月の試算では、安倍政権が目指す実質2%の経済成長を前提にしたケースで、20年度の赤字額は9・4兆円だったが、今回の試算では赤字額は3・2兆円減って6・2兆円になるとした。
まず、14年度の税収実績が計画を上回ったことから、20年度も歳入が1・4兆円増えると見込んだ。16年度に予定する歳出削減の効果が続くと見て歳出も1・2兆円減る。これに復興事業の支出減(0・6兆円)を合わせて計3・2兆円減らせると見込んだ。
ただ、具体的な歳出削減策は決まっていない。実質2%という経済成長率の前提も、過去20年間の平均成長率が1%弱なだけに、楽観的だと指摘されてきた。
その甘い試算を実現できたとしても、20年度で6・2兆円残る赤字の解消は簡単ではない。政府は17年4月に予定される消費税の10%への引き上げ以外は増税を控える方針で、赤字幅の削減は経済成長と歳出カットで実現を目指すことになる。甘利明経済再生相はこの日の会見で「(目標達成に向けて)確実に取り組んでいきたい」と話した。
6月に閣議決定した政府の「経済財政運営の基本方針」(骨太の方針)では、一定の所得がある人に医療や介護の負担を多く求めるなどの歳出削減策が並ぶが、大半は「検討事項」にとどまる。国民の痛みを伴う改革をどこまで実現できるかは不透明だ。(生田大介、大内奏)
親が払わないから子供の給食中止は当然か
学校給食費の未納が3カ月間続いたら、給食の提供を停止するという件ですが、子どもと親を一体とみるカップル単位の観点が間違いです。子どもと親を切り離すこと(シングル単位)を原則とすべきです。
親に対して、徴税的に対応するなり、罰則を与えるべきです。
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給食停止、やり過ぎか 埼玉・北本市「未納なら弁当を」
川崎卓哉、三島あずさ
2015年7月4日05時16分
学校給食費の未納が3カ月間続いたら、7月から給食の提供を停止します。その間は弁当を持参させてください――。埼玉県北本市の中学校が6月、保護者に通知を出したところ該当する43人全員が納付するか、納める意思を示した。学校のやり方に「ほかの家庭は払っているのだから当然だ」という声があがる一方で、「親の責任を子どもにおしつけるのはやり過ぎだ」との声もあがる。
■「苦渋の選択」通知で効果
未納家庭の生徒への給食停止を決めたのは、北本市に四つある全市立中学校。生徒1人あたり月4500円の給食費の滞納総額は、4~6月分だけで約180万円(一部未納も含む)に上る。計画通りに食材購入ができなくなる恐れが出たため、4校の校長は「未納額がこれ以上膨らむ前に手を打とう」と措置に踏み切った。
同市は、給食費の管理を各校に任せる「私会計」方式をとる。未納の家庭に担任教諭が訪問し、生活が苦しければ給食費などが支給される就学援助の仕組みを説明したり、「一部だけでも納めて」と求めたりしてきた。それでも応じない未納の43人について、学校は「払えるのに払わない」事例だと判断した。
6月、保護者に配布した通知には「給食を停止する際にはお子様にも告知する」「『有料』なものに相当額の支払いをするのは社会のルール」などと明記した。すると、6月末までに全家庭が納付するか、納める意思を示した。このため、7月も引き続き全生徒に給食を提供している。
市教委によると、給食費未納問題は10年近く前から続いてきた。1年以上納めないまま卒業した例もあるという。元校長は、卒業生宅を督促に訪れた際、母親から「払えないのよ」と財布をたたきつけられたという。
『女装して、一年間暮らしてみました』
クリスチャン・ザイデル『女装して、一年間暮らしてみました』サンマーク出版2015
朝日新聞に紹介があったので興味を持ちましたが、まだ読んでいません。
ネットにあった読書感想はつまらないものでした。その人はフェミ視点がないから浅く的外れな事しか書いていませんでした。
この本が面白いとすれば、性差別の実感、性差別の解明がどれほどあるかとか、性別、ジェンダーというものへの深い考察があるかどうかだと思います。女性がいかに性的な存在にされているか、男性から女性になったから見えるのか、女性だから見えるのか、両方なのか。女性といっても外見や年齢などによっても違いがあるでしょう。
以下、この本の一部というところを紹介しておきます。
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テレビ業界で働いていたころから、僕はいやというほど男の醜さを目の当たりにしてきた。
常にほかの人よりも気の利いたコメントを発し、機知に富む(あるいはそう聞こえる)ジョークを飛ばさなければならない。誰もが実際以上に自分を大きく見せようと必死だ。そういう男たちを見るたびに僕は「痛々しい」と感じていた。腐った友情を捨てられない男や、自分と違う意見をもつ相手はこてんぱんにやっつけなければ気がすまないやつらも同類だ。そんな連中とは距離を置きたいと願うようになっていた。
男とはこうあらねばならない。女はこうふるまうものだ、などといった堅苦しい偏見に抵抗するための手段として、僕は女性に変身することを思いついた。性別という壁に対する個人的な抵抗運動だ。革命と言っても過言ではない。そうすることで、自分がもつ偏見も明らかになることだろう。まわりの人々も巻き込むことになるかもしれないが、望むところだ。
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著者が女装をして電車に乗ったときの話。
すると横のほうで三人の背広姿の男たちが立ち上がった。それまで彼らは女性の話をしていたのだが、僕の顔を見たとたんに口を閉ざした。僕に気づかないふりをしながら、横目でじろじろとながめてくる。
身に覚えがある。僕もそうしていたから。じろじろ見られる女性がどう感じるのか、初めてわかった。小声で友人と話している限り、その女性の耳には何も聞こえないはずと男の僕は思っていた。チラ見しても気づかない、何を考えているのかなんてわからない、ちょっとぐらい聞こえてもだいじょうぶ。そう思い込んでいた。でも錯覚だった! 性別の垣根を越えてみて、初めてわかった。女性は動くアンテナ。すべてを感受できるのだ。
女性になることで、僕のアンテナは“送信”から“受診”に切り替わっていた。常に何かを発信していなえればならないという男の習性が消えていた。
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年寄りに比べて若い人たちのほうが寛容だ、と僕は思い込んでいた。道徳や礼儀にうるさい人々とは違い、「カジュアルな、ときにはだらしないとすら思える服装をした」気さくな人々は、僕のことを受け入れてくれるだろう、と期待していた。でも、逆のほうが多かった。圧倒的に多かった。
一見“自由に”生きている人々に限って、心ない言葉を投げてくる。ほとんどが男だ。高齢者のほうが僕に寛容で、興味を示してくる。男女とも、高齢になればなるほどオープンになる。それに、寛容さが求められる職業(セラピストや俳優)に就いている人に限って、極度に了見が狭いのもショックだった。自分の世界観を壊したくないからだろうか? いずれにせよ、もっともらしいことを言いながら僕を拒絶する。
苦しかった。いったい何を信じて生きていけばいいのだろうか?
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寺尾紗穂『原発労働者』
以下の紹介を読んで、この人はまともだろうから、この本も面白いだろうなと思った。この視点で社会問題を見ればすべてが違ってくる。どこから何を見るかを「立場性」とか、昔は「階級性」とかいっていた。
2015年7月12日05時00分
音楽家でエッセイストの寺尾紗穂さんには、歌詞に原発労働者が登場する「私は知らない」という作品がある。この歌も本書も、誕生のきっかけは樋口健二さんの『闇に消される原発被曝(ひばく)者』だという。この約30年前の本を読み衝撃を受けた翌2011年、福島で原発事故が起きた。
原発推進側の安全神話と隠蔽(いんぺい)体質が批判されるなか、原発労働者の話は聞こえてこない。彼らは通常、どんな仕事をしているのか。劣悪な労働環境は樋口さんの時代よりも改善されたのか。事故後、福島の下請け労働者はどうしているのか。「それが知りたい。私は樋口さんの仕事を引き継ごうと思ったんです」
思い立つと、すぐ行動に移す。会えた元原発労働者らから、日常的なデータの改変、効率化で増えた「使い捨て」の非熟練者や謎の外国人労働者、労災認定の却下など、理不尽な労働現場の実態を聞き出す。それだけでなく、寺尾さんは彼らの人生にも向き合う。背景には「ひとごとではなく、わがこと」と感受できる想像力が人一倍ありそうだ。
学生時代に東京・山谷で出会った「元土方さん」に感銘を受け、ホームレスを支援する音楽イベント「りんりんふぇす」を続ける。戦争にも関心を抱く。東大大学院時代の論文は著書『評伝 川島芳子』(文春新書)に。近刊『南洋と私』(リトル・モア)では戦前のサイパンが主題という。戦争でも原発でも、寺尾さんの視線の先には弱者がいる。
「経済性や合理性というのは、命の問題や人間の尊厳と対立するトピック。そのことを、頭ではなく、目の前に座っている人の言葉や存在から考えていきたい。いまある自分はただの幸運にすぎないですから」
(講談社現代新書・821円)