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主流秩序、DV,加害者プログラム、スピシン主義、フェミ、あれこれ

神奈川新聞「偏っているがそれが大事」

 

神奈川新聞が頑張っているという記事を紹介します。
神奈川新聞の『時代の正体―権力はかくも暴走する』というシリーズがいいらしい。ネットで読める。
http://www.kanaloco.jp/keyword/identity/


たとえば放送法の問題でも以下のような記事。
http://www.kanaloco.jp/article/139974

 

「偏っている」との批判に対し、担当デスクが署名入りで反論した文章がおもしろい。
「批判について」http://www.kanaloco.jp/article/127964
私が偏っていることが結果的に、あなたが誰かを偏っていると批判する権利を守ることになる


反響
http://www.kanaloco.jp/article/131900
http://www.kanaloco.jp/article/132098

 

本がでています。
神奈川新聞「時代の正体」取材班 (著)『時代の正体――権力はかくも暴走する』(現代思潮新社2015/8/31)

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神奈川新聞の「ええ、偏っていますが、何か」
安保法制を報じるシリーズ「時代の正体」が突きつける新聞の「公正」「不偏不党」
辰濃哲郎  web論座  2015年12月21日

「ええ、偏っていますが、何か」


 自分が購読している新聞に、安保法制に反対ばかりで「偏っている」と批判したところ、ホームページ上でこんな風に開き直られたらどう思うか。


安保関連法が参院で可決・成立したあとも、国会前で抗議の声を上げる人たち=2015年9月19日、東京都千代田区

 

 ご存知の方も多いだろうが、神奈川新聞が1年以上にわたって続けている『時代の正体―権力はかくも暴走する』というシリーズが「偏っている」との批判に対し、担当デスクが署名入りで反論した文章だ。


安保法制に反対する若者のグループ「SEALDs」(シールズ)や憲法学者らの思いを紹介し、米軍基地建設のために埋め立てられる沖縄・辺野古ヘイトスピーチの現場などを記者が訪ね歩き、時代の空気とそれに抗う人々の風景を描いた。

 

安倍晋三政権が進めた安保法制を「暴走」と指弾して正面から立ち向かった企画だ。集団的自衛権を容認する閣議決定を下した直後の昨年7月から始まり、現在も続いている。つい先日、「平和・協同ジャーナリスト基金賞」の奨励賞を受賞した。


 記事はまず、こう始まる。

 「偏っているという受け止めが考えやスタンスの差異からくるのなら、私とあなたは別人で、考えやスタンスが同じでない以上、私が書いた記事が偏って感じられても何ら不思議ではない。つまりすべての記事は誰かにとって偏っているということになる」

 

 さらに安保法制をごり押しした安倍政権を「憲法という権力に対する縛りを為政者自らが振りほどき、意のままに振る舞うさまは暴走の2文字がふさわしかった」と批判する一方で、「私たちは何を見落とし、何を書き逃してきたのか。時代の正体なる大仰なるタイトルはその実、時代を見通す目を持ち得なかった自分たちのふがいなさの裏返しにほかならず」と、それを許したジャーナリズムの担い手である自身を嘆く。


 異論を封じ込めようとする風潮に対して「民主主義の要諦は多様性にある。(中略)それぞれが違っているからこそよいという価値観が保たれていなければならない」と説き、最後は神奈川新聞記者として決意を込める。

 

 「だから空気など読まない。忖度しない。おもねらない。孤立を恐れず、むしろ誇る。偏っているという批判に『ええ、偏っていますが、何か』と答える。そして、私が偏っていることが結果的に、あなたが誰かを偏っていると批判する権利を守ることになるんですよ、と言い添える」

 

 地方紙とはいえ、メディア界のテーゼとも言える「公正」「不偏不党」に、ここまで切り込んだ新聞社が、かつてあっただろうか。…以下続く

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メディアにおける「公平公正」とは何か?(上)
ジャーナリズムを縛る「魔法の呪文」
山田健太 2015年12月23日

 

偏向」というマジックワード


 偏向している――これはいまの日本のメディアにとって、ほぼ間違いなく大きなダメージを受けるマジックワードだ。なぜなら、その中身はよくわからない曖昧模糊としたものにもかかわらず、この間、TBSもテレビ朝日も、この偏向報道批判の矢面に立たされ、その対応に苦慮してきたといえるからだ。

 

 もちろん、こうした「攻撃」はテレビにだけ向けられているわけではない。沖縄の県紙である琉球新報沖縄タイムスにも、官民合わさった執拗な偏向報道批判が続けられている。

 

 さらに言えば、朝日新聞をめぐる慰安婦報道批判も、焦点はウソかホントかという記事の真実性ではあるものの、ある種の偏向批判といえなくもない。


放送法遵守を求める視聴者の会」の意見広告

 

 そしてなおかつ、こうした批判には、政府からの抗議や行政指導、政治家や政権党からの批判や要請と、様々な形で重なり合っている側面が多いことに注意が必要である。

 実際、11月に一部全国紙(読売・産経)に掲載された放送法違反の意見広告では、政府により強力な取り締まりを求める内容になっているし(別図)、市民団体による沖縄地元紙の糾弾活動では政治家が深く関与している。

 

 こうした状況の中で、いったい偏向しているとはどういうことなのか、改めて日本のメディアにおける「公平公正」とは何かについて考えてみたいと思う。

 

報道批判の3つの流れ
 まず、いま世間に渦巻いているいわゆる公平論議を整理してみる必要がある。そうすると、大きく3つの流れがあることが見えてくる。
 その第1は、上で触れたまさに「偏向報道批判」としてまとめられるものである
以下続く
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