群馬県立近代美術館への抗議文
群馬県立近代美術館に抗議文を送りました。ささやかな意思表示です。
:群馬県高崎市綿貫町992-1 群馬の森公園内 TEL:027-346-5560 / FAX:027-346-4064
抗議文
群馬県立近代美術館が、県立公園群馬の森にある朝鮮人労働者の追悼碑を模した作品について、開催直前に展示を取りやめたことに抗議します。
私は大学の講義で「主流秩序論」という形で。いまの社会の「長いものにまかれる生き方でいいのか」ということを問いかけ、ひとりひとりが自分の頭で考えて生きる必要を訴えています。
(参考 拙著 『閉塞社会の秘密──主流秩序の囚われ』(アットワークス、2015年4月)
今回の決定の背景には県が、右翼圧力に屈して朝鮮人労働者の追悼碑の設置許可の更新をしないとしたことがあるのは明らかです。
ネットにはネトウヨ的な妄言が氾濫している時に、それに恐れをなして追従したということです。
憲法を順守し、表現の自由を守り多様な意見の平和的共存のために、ネトウヨ的な差別・ヘイト言説に対抗する責務があるのに、その真逆をしてしまったということだと思います。
歴史的にはこうして戦争や犯罪に加担する多くの官僚、組織がいましたが、今回も同じ轍を踏んでしまったと思います。
中島みゆきの言う「手放してはならないはずの何か」を群馬県立近代美術館はいともたやすく手放したのだと思います。恥を感じる自覚もなく。
様々な作品で、ある主張があれば反対するものがいて当然です。反対があるから展示しないとなれば、主張ある作品、エッジな作品はすべて展示しない(できない)ことになります。まったく無害無味無臭で誰からも異論がないものだけを展示するというのでしょうか。それが誇りある美術館での仕事と言えますか。
誰か一人でも反対すればだめなら、そもそも絶対的に誰からも反対されない作品などないともいえます。
異論も含めて展示するとか、賛否を議論する場を作る、検証の場を作ることこそ大切です。
事前検閲で撤去させるのはおかしいです。誰でも訴訟できるのですから上記したように「反論があるから展示しない」はおかしいので、訴訟は理由になりません。
貴美術館のなかのスタッフにも異論はあるのではないでしょうか?それが見えないこともおかしいです。全体主義国家ではないはずなのに、今回の決定はそのような国家の呈です。 恥を知ってほしいです。
以上