ソウルヨガ

主流秩序、DV,加害者プログラム、スピシン主義、フェミ、あれこれ

瀬戸内寂聴さん

 

この人、あまり深くなくて、肉も食うし、財界にも好まれるし、勲章ももらうし、あまり深い思想性はないけれど、ええかっこせず捨て身で素朴な俗人で、平気で教祖様のようになれるのですごいと思う。前言翻すことができる人。直観の人。
で、具体的な人を助けている。その実践性、結果は、素晴らしい。責任を引き受けている。


瀬戸内寂聴のドキュメント みた
 痛み 苦しみ それはいや だから極楽にいきたい  反戦  安保法反対

 

SEKAI NO OWARI   「Hey Ho」

 

すこし社会性の方向へということ

SEKAI NO OWARI 新曲 「Hey Ho」


ボロボロの思い出とか  バラバラに壊れた気持ちも  大事にしたから大切になった
初めから大切なものなんて無い  どこか遠い世界のことなど  「どうでもいいや」と呟いた
大事にしないとあぁこんなにも  大切なものなんて無いんだね 
嵐の海を渡ってく  世間は正義の雨を降らす  汚れる荷物笑えるくらいゴミみたい
でもどうしようもなく大切で 

Hey Ho Stormy seas  誰かからのSOS  ずっと耳を塞いできたこの僕に
wow wow wow wow  Hey Ho Stormy seas  誰かからのscream silent
この嵐の中、船を出す勇気なんて  僕にあんのかい?

例えば君がテレビから流れてくる  悲しいニュースを見ても
心が動かなくてもそれは  普通のことなんだと思う
誰かを助けることは  義務じゃないと僕は思うんだ
笑顔を見れる権利なんだ  自分の為なんだ 
君が誰かに手を差し伸べる時は  今じゃないかもしれない
いつかその時が来るまでそれでいい

Hey Ho Stormy seas  誰かからのSOS  きっとこのまま誰かを放っておけば
忘れてしまうだろう  Hey Ho Stormy seas  また聞こえるSOS
この嵐の中、船を出す勇気なんて  僕にあんのかい?

Hey Ho Stormy seas  誰かからのSOS  ずっと耳を塞いできたこの僕に
wow wow wow wow  Hey Ho Stormy seas
誰かからのscream silent  この嵐の中、船を出す勇気なんて
僕にあんのかい?

 

個性的 山田洋次監督のことば

 

ま、これも、主流秩序の話やね。

 

山田洋次監督 「個性的な作品を作りたいと思う作者は個性の弱い人です。」
朝日新聞 2017年1月3日


山田洋次のことば
  個性的であるとは、競争をたくましく勝ち抜いて目立つことではない。か弱く傷つきやすい人たちをあらゆる暴力からかばい、その命を深く愛(いと)おしみ、守り抜くところに、人の個性とその強靱(きょうじん)さがおのずと表れると映画監督は言う。童画家、いわさきちひろの仕事はそれを証すところにあったと。ゆかりの人びとが綴(つづ)った「ちひろさんを語る 18枚のポートレート」から。(鷲田清一

 

学生さんへの応答  芸術は政治を意識しないといけないのか?

 

学生さんからの質問に以下のように答えたことを紹介しておきます。

 

●主流秩序について、芸術を引き合いに出して、社会性がいる、政治的影響があるという先生の意見に、暗い気もちになります。昔は権力者の宣伝のための芸術もあったし、そういう政治的な作品もありますが、そうでない、純粋に美を目指した芸術もこの世にはあると信じています。自然を見て美しいと思うのと同じような、そんな芸術はありませんか?何を書くにも、歌うにも、勉強し二といけませんか?作品よりも作る人の意思が大切ですか? 

 

応答→ まず美についてはこれまでにも様々な議論があり、見解は一つではないです。世間ではむしろ、政治とは関係なく芸術はある、絶対的な美はあるという見解が多いでしょう。そしてもちろん、政治とは直接関係ない、絵画とかデザインとか、音楽とかもあります(私はMark Rothkoロスコ―が好きですが、其れにも背景にはいろいろな思想がある)。

 

私が言いたいのは、積極的に社会をよくするアーティストになってほしい、そういう作品をぜひつくってほしいということです。また直接的にはまったく政治とか社会問題とは関係ない作品もありますが、それがときには、何かから目をそらすために使われることもある、そういうことも考慮しようとことです。

 

映画「追憶」はそこがテーマでした。政治を嫌う彼(映画界にいながら楽しく遊んで暮らそう、政治は嫌いという)、それに対し、その彼を好きだけど、政治的な活動をする彼女、その間の葛藤、しかし、アメリカ映画界にもレッドパージという政治の影響が及び出し、否応なく巻き込まれて行きます。安保闘争で国会をデモが取り巻いていた時、野球場にはもっと多くの国民がいるといって、国民皆が反対しているのではないといわれました。


セカオワは、今回、「ハイホー」で他人の苦しみなんて関係ないといっていられないところまで来たといってこの歌をうたっています。いつも怖い顔をして政治のことばかり考えろと言ってるのではないです。いつも直接政治を歌ったり作品にしろと言っているのでもないです。

恋愛や失恋から何か深いテーマにつながることもできますが、浅い話だけで恋愛の歌だけでいいと居直ることで、何を社会的に発信しているのか、そういうことも考えるアーティストにと言っています。高い絵を金持ちに買ってもらうという行為(存在の仕方)には、政治性があります。西野カナさんがいてもいいけど、主流秩序とは無関係にはいられないです。

 

テキストでもレディガガやマドンナの主流秩序への加担性と反逆性の両面を指摘しています。身の丈にあった場所からでいいので、そこを深めれば、深いところで「井戸はつながっている」のではないでしょうか(間接介入の話を思い出してください)。村上春樹にはかなり政治性があると思います。戦争をする日本の大政翼賛会に利用された「芸術家、芸能人」は多かったし、ナチスに利用された芸術家もいました。

 

テレビに出ないと頑張っていたアーティストもいました。首相に呼ばれれば喜んで協力する人もいますが、断る人もいます。国家からの勲章についても同じです。美とはなにか、アートとは何か。何のためにその作品を作るのか。その作品はどういう影響を与えるのか。自分はそれによって主流秩序を上昇するのか、否か。これはアートだけでなく、研究とか学問も同じです。いま、軍事研究に近づく大学、学者が増えています。情けないことです。

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参考)テキスト:p201「Auschwitz以降、詩を書くことは野蛮である」、p103レディガガ


身近な例 社会性あるアーティストや作品:
イエモン「JAM」、中島みゆき「誕生」、桑田「ピースとハイライト」、高橋優「素晴らしき日常」、ドリカム「さあ鐘を鳴らせ」、SHINGO西成「切り花の一生」、amazarashi「ラブソング」、欅坂46「サイレントマジョリティ」、
 チャップリン「独裁者」「モダンタイムス」、多くの社会的な映画、フンデルトバッサーの作品(=直線ではなく曲線、多様な窓)、  オノヨーコ(ピース)、ムンクピカソ(ゲルニア)、岡本太郎明日の神話)、其れにゲリラしたアーティスト集団「Chim↑Pom(チンポム)」
岡本太郎の「明日の神話」に風刺画を追加する様子 http://hara19.jp/archives/6635
アニマルライツついて発言する有名人たち、・・・

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NHK 「新世代が説く 日本のジレンマ」

 

若手研究者のトーク番組。
今年もやっていた。

 

刺激を受けるところもあったが、現実を知らない空論を平気で言うので危ないなと思うところがとても多い。聞いてられない。
空論とはこのこと。


人工知能が使えるところは使ったらいい。しかし使えないところあるし、そこでは人工知能に託すのは無理なのは明らかなのに。

慰安婦問題、沖縄問題、アニマルライツ、難民移民問題、世界の貧困問題、どうするの?


人工知能を設計するときに打ち込む条件によってその人工知能の判断が分かれる。
ネットのなかで多くの人が言っていることを優先すれば、トランプ的、ネトウヨ的な意見を言うようになるということも実際起きた。


囲碁やチェスというような単純条件を打ち込むだけのものと、思想的・立場的な問題の判断とは、次元が異なるのは当然。水俣病に対しての運動、その中の闘い方の差。そういうことを踏まえて、どうするのか、人工知能には何もできないというか、無茶なことしかできない。どっちにでも導くロボット・人工知能を作れる。

 

国、国土、国民、財産を守ることを優先するように条件を入れれば、他国に戦争も含めて勝つことが大事になる。日本が100人死んでも向こうがもっと死んで降伏すればいいという考えになる。

 

アニマルライツをどう考えるか、等、条件の入れ方によってどうにでもなる。地球の生態系、環境を守ることを大事にするなら人間を減らし、開発を減らしていけばいいということになる。肉は食べない方がよくなる。人間を殺せとなる。風の谷のナウシカなど、もうすでに多くの作品でこのテーマは考えられている、人工知能が解決を見つけるのではない。


高齢化のなかでの福祉国家の路線で、税金をどれくらいにして、どのような基礎的保証をするのかは政治でどうにでも判断できるし、国民の多数がどう受け入れるかによる。人工知能では、その設計の時点でどっちにでも行く。

 

つまり、人工知能では、大事な問題の多くは何も解決できない。もし人工知能任せのシステムになれば、戦争が起こったり、福祉が貧弱になって多くが死ぬ低福祉国家になるようなことにはなりうる。

 

で、あと、この番組自体の問題。主流秩序論でもすでに言及した問題だが、この番組の制作者や出演者たちが主流秩序の上昇への警戒などないから、私としてはあまり話にならない。若いということの愚かさをいつも思う。早くもう少し成熟してほしいなと思う。

その若さの愚かさにかかわるが、(私の若い時には同じような愚かさを持っていたが)、話し方がみないやらしい。早口に自分は賢いんですよということを自慢するような話し方を《自分を恥じ入ったり顧みること》なく、していて、その競争をしている。自分も昔はそういう面があったと思う。今はそうはなりたくないと思っている。

 

 

そしてどんな番組も、政府の審議会とかもそうだが、すべては人選で決まる。誰がその番組や審議会のメンバーを決めるのか。そこに政治性がある。従軍慰安婦問題でNHKの番組改ざん問題を発言する人を、この「日本のジレンマ」では登場させない。

丸大ハムとか、日本の食品会社を批判するヴィーガン活動家も登場させないし、発言しないように封じるだろう。NHK籾井会長とか安倍お抱えの女性の解説委員のおかしさを発言する人も、登場させない。

発言すればそこはカットする。そして二度と呼ばない。

 

主流秩序を上昇する人は、そこに配慮してそのタブーには触れない範囲で発言して、登場し続ける道を選ぶ。


新世代(若手)ということは、実は多くのことを知らず深くないので視聴者にもわかりやすい。普通の人と近い、素人的なことを平気で言える。自分の専門で少し勉強したことをとくとくといえる。だから底の浅い番組制作者と意見が合うのだろう。


そして新世代(若手)ということは、未来が長いので上昇志向になりがち。だから痛ましい。

 

インタビュー記事

 

私の考えや活動について、インタビューしてまとめてもらったものが、『人民新聞』2016年11月25日号と、2016年12月5日号に載りました。よければ見てやってください。

 

マルクス×フェミニズム×「生き方と実践」の視座から 『主流秩序のとらわれ』を問う」『人民新聞』2016年12月5日号

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「非暴力ルーム大阪 イダヒロユキさんインタビュー 加害者を変えることでDV被害をなくす 非暴力な社会をつくる」『人民新聞』2016年11月25日号

 

別れて子供を取り合うということ

 


グレイズアナトミー 12シーズン のはなしで、別れたカップルが子供を裁判で取り合う話を見た。

 

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裁判では相手がいかに親権者として不適切かを暴こうとする。その泥試合。実態ではなく、無理やりのこじつけ合戦。
そこには勝者はいない。

 

どちらも子供を愛するなら、両方がかかわるのが自然な流れだろう。


DVケースとか、「親子断絶防止法」の問題はあるが、本当に大事なものを見るレベルになれば、裁判で争うのは愚かしい。

そうではないレベルの人なら、違う話になるし、それが現実だという話ではあるが。

本当に相手(の変化)を見ることができればと思う。

スーザン・ギルマン『うまくいっている女の、かなり冴えた考え方』

 

むかしの文章を主流秩序の電子書籍にいれようと思っていたら、以下のような文章を見つけました。

 

14年前(2002年9月)にあるところに載せた小文です。

 

Let yourself go. (遠慮しないで自由になって)
                               イダ・ヒロ
待ってたぜーこんな本!!ってのが、出ました。フェミでシングル単位感覚がほーんともうパップパップと溢れている本。
スーザン・ギルマン著『うまくいっている女の、かなり冴えた考え方』PHP出版、です。

 

小気味いい。自由でエッチで、皮肉屋で、ユーモアがあって、欲望に忠実で、前向きで明るくて、生意気でパワフルで、女に優しくて、バカなペニスもちに負けてない。サラパレツキーの女探偵、ヴィクを思い出す。こんな友達が欲しい。LPCの感じに近い。

 

ニューヨーカーっぽい。『SEX AND THE CITY』に少し近い。『フレンズ』を笑える感じも少し。フツーの言葉で消化したフェミを語っている。もちろん全部が「正しい」とか「意見が同じ」ってわけじゃない。でもそんなの、とーぜんじゃん。

 

どんな内容か、少し、紹介しよう。

男に媚びた時代遅れの雑誌を読まされていることに怒っている著者のスーザンは、女性がうまく世渡りするための実用的なアドバイスと、笑いが大事と考えている。


だから型破りな、元気の出る、気の利いた次世代の女性の生きる実用的ルール、底力を引き出す知的なマニフェストを作ろうとしたわけ。それがこの本。それも、夫探しやオーガズムだけでなく、恋やお金、友達、セックス、健康、ダイエット、食事、仕事、家族、セクハラ、信仰、政治、スポーツなど、全般にわたって語った本。

 

仕事では、もっと要求しよう、稼ごうという。男を捕まえるように、つんとすまして、ミステリアスに構え、相手の出方を待ち、自分を高く売ること。相手がちゃんと扱わないならNOをいうこと。歩ける靴を履き、やたらに大きなバッグを持ち歩かず、服のためにダイエットや整形手術を考えず、占い師に仕事の相談はしない。物体に謝らず、トイレでも我慢しない。そんな風になろうって。


20代は仕事では基本的に最悪で当然で、経験の時期。惨めな仕事にしがみつく必要はないが、一挙に理想的で創造的なことはできない。泣き言を言わずに下済みから学ぼう。

友達では、恋人の次というような残り物扱いせず、女友達の悪口は言わないようにし、自分や仲間を古い価値観で袋叩きにするのを止め、友達の彼氏には手を出さず、自画自賛しあい、「魔女連盟」とか「お茶とホットケーキ売春団」といった名の女のネットワークを作ろうという。

 

知らない奴との初デートは、就職面接と美人コンテストとスピーチ大会をあわせたような淘汰のプロセスもんで、リスクあるから疲れて嫌って当然。愛国的軍事雑誌を読むような奴とか、絶対避けるべき男はいるけど、そうでないならチャレンジするしかないが、デートの本当の目的は、誰かステキな王子様に出会うことではなくて、友達に話す笑いの種を見つけることだし、バカから何かを学ぶことにある。

 

男なしでイケるのは「あばずれ」とされるが、オナニーは自分とのふれあいを深め、自分の体を知り、コントロールできることで、大好きな人とのセックスだ。91歳のおばあちゃんがいうには「わしらに自分の体を触って欲しくなかったら、神様は腕をもっと短く作っただろうよ」。オナニーのことを、「指を歩かせる」とかのほかに、「ボタンを押す」「共和党に入れる」とか、いいかえちゃおう。

 

女性のセックスの理由を多くの人は、①愛し合っているから、②赤ちゃんを作るため、③あばずれだから、④ほとんど意識がないから(わけがわからず)の4つとしか考えてないし、「寝ない理由」を「責任感があるから、純潔だから、慎み深いから」とみている。でも、セックスの本当の理由は、無数にある。自己確認、人類学的興味、懐柔、注意を払ってもらうため、赤ちゃん、お金、カタルシス、話のネタ、しゃれたおもちゃ、落ち込み、ダイエット、捨てられないため、酒酔い、断るよりラク、逃避、興奮、空想、恐怖、大人ぶる、元気を感じたい、求められたい、プレゼントをもらうため、美容、お礼、就職、親密さ、愛、仲直り、人に好かれたいから、メロドラマ、哀れみ、ナチュラルハイ、郷愁、ヒマ、友達からのプレッシャー、相手がホットだから、抱きしめて欲しいから、人を喜ばすため、パワーを感じるため、証明、反動、復習、自己教育、スポーツ、親へのあてつけ、バイブの電池切れ、楽しいし気持ちよくなれるから、などなど。

 

「独身女はみんなみじめ」とか「いい男は若くてかわいい子がお好き」「真の愛は瞬時のもの。運命の人に出会えばすぐわかる」「男の子は好きな子をいじめる」「バレンタインデーを一人で過ごす人には価値がなく、哀れみに値する」「レズビアンは楽」「ストレートは楽」「愛は真の恵みである」なんていう、恋愛の神話はぜーんぶまちがっている。

 

なーんて話がこの後もいろいろ続くんだけど、こんな要約じゃ、この本の面白さは伝わらない。その語り口の楽しさにあるんだから。

 

で、その語り口のうしろに見え隠れするちゃんとした思いが僕は好きだ。「アメリカ文化はますますビジュアル化してるけど、その利にあずかるべきは、モデルじゃなくて、カメラ やコンピューターのうしろにいる女たち。」

「某有名女子大の女子大生たちが『プレイボーイ』にヌードを出したこと。動機は何かって? 決まってるじゃない。知能が高いだけじゃないことを世の中に知らせるため。『頭がいいだけじゃないのよ』って。いやーね。私たち聡明な女神は『脱がないと、単なる天才数学者じゃないとわかってもらえない』なんて女に思わせる風潮に疑問をもたないと。」

 

「女の最大の武器が本当に「美しさと性的魅力」なら、「お金を返して」といいたいわ。だって何世紀もの間、女は・・かなりバカらしいことを信じさせられてきたんだもん。纏足したり、真鍮の輪をはめて首を長くしたり、豊胸手術をしたり、「女の武器」を磨くためにどれだけ体を痛めつけてきたことか。それで何か得るものがあった?お給料が上がった? 政治に声を反映できた?洗濯を手伝ってもらえた? もっといえば、それで世の中はよくなったかしら?人種差別がなくなった?平和が訪れた?確かに美しさには男をそそる力はあるけど、それは箱入りドーナツにだってある。私たち、もっと望みを高くもたない?賞味期間をもう少し長くしてさ。」

 

「若いストレートの女性たちが、今こぞってフェミニストバッシングに走るのはなぜだろう?」「アフリカ系アメリカ人は『あらー、どうしましょ。白人に嫌われちゃう』なんていって、人種差別についての発言を控えたりしない。・・・でもストレートの女たちは違う。『フェミニストだって言ったら、男に愛されない』と本気で思うのだ」

 

僕は、最近〈たましい〉を大事にしたいと考えてるんだけど、そこでも自分で押さえておきたいと思っているのが、「俗、闇、悪、笑いの大事さ」ってこと。きれいな正義を語るいい人になんかなりたくねーと思って、そのバランスを探してる。で、このスーザンの本では、そのあたりのバランスがいい感じなんだよね。

「いい人」でいるなんてダメだー、ペニス・ジョークいいじゃん、ポリティカルコレクトネスというガードルは窮屈、アラニス・モリセットのように大声で怒りを表明すればいいじゃないかって。型――いい子であれ悪い子であれ――にはまることを拒否し、自分らしくある勇気をもっている人が魅力的だって。

 

「自分の問題を笑い飛ばせることほど、革命的なことはない。ユーモアは――いつもそうあるべきなんだけど――私たちの究極的な力の道具、私たちの第一の武器だ。革新的プリマドンナにとって、自分たちのことや世の中のことをくそまじめに考えることほど、命取りになることはない。はっきりいえば、自分の存在に、アホらしさのきらめきや、喜劇性が見えない人には、何かを守ったり、治めたりする仕事は向かない」

 

 

楽しい語り口の一端を少し紹介しておくと・・・
女・子どもは、生意気だ、大口を叩くなと家族・親戚から抑圧されてきたけど、次のように反撃してやろうと例示されたものは、こんな感じ。

 

「まだ結婚しないの?」 ⇒ 「そ、やりまくっている」
「太ったわね」 ⇒ 「いいセックスしてるからね」


「それで、いつ、ちゃんとした仕事につく気なの」 ⇒ 「エロチックダンスのどこが、ちゃんとしてないの」


「もう若くないんだから」 ⇒「げっ。それが悪いことみたいな言い方じゃん。」
「もう若くないんだから」 ⇒「だから愛人はみな年下なの」


「もう若くないんだから」 ⇒「そうね。でも叔父さんがその勢いでふけていったら、すぐおむつに逆戻りだね。」


「孫の顔はいつ見られるのかしら?」 ⇒ 「さあね。お母さん、いつ腰骨折るの?」

 

キャリアウーマンが、「どうして子どもを作らないの?」と聞かれたら、「あなたの子どもを雇っているから」と。

 

「私達は、これまでと違った方法で、勇気を出して、自分のすることに責任をとらないといけない。でもそれがどうだっていうの? 大人らしく責任をとることよりすばらしいことが、他に何かある?」

 

これが、「うまくいってる女の、かなり冴えた考え方」。

いい題だよね。ここでの紹介の100倍は面白いから読んでみて!

 

なお、類似傾向で少しカタメのいい本は、『シングルという生き方』カルメン・アルボルク著(水声社)。これもおすすめ。

シングル単位、DV,毒親問題のドラマ 「お母さん、娘をやめていいですか?」

 

1月13日から始まる、ドラマ10「お母さん、娘をやめていいですか?」が、DVやシングル単位論を学ぶ上でわかりやすい教材になりそうだ。

 

母は、愛情という名で、フリルのついた支配をしていく。ニコイチ、母娘一心同体、スクランブルエッグ的関係の母娘が、娘への支配/呪縛であることを浮き彫りにしていく。

呪縛って言葉、怖い。

 

これは毒親もの(ACもの)の典型で、井上由美子作のドラマ。

www.nhk.or.jp

 

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ちょうど、デートDVの学習を講義でやっているので、参考ドラマとしてすすめてみようと思う。
***


関連するが、以下の短い文章は、学生さんが《自分が主流秩序にとらわれていること》を見つめた文章。親も含め、世間、社会の常識に縛られてなかなか自由になれない若者たちの苦しさを何とかしたい。それがDV論、ジェンダー論、主流秩序論だ。
***

私はこれからもこの主流秩序的なものに支配されて生きていくし、決して抵抗をすることは出来ないと思う。なぜなら、いつだって私が生きてきた世界においてはコミュニケーション能力のある人の方が、立ち位置が上であり、今後もそれが続いていくのだろうということが何となくわかるからである。
「それなら、私自身がコミュニケーション能力を上げる努力をすればいいんだ」という前向きな意見もあるかもしれない。しかし、私は生まれつき大人しい性格であるため、今からコミュニケーション能力を付けよう(明るくなろう)としても無理だという一種の諦めを感じている。
「大人しいながらも頑張って生きよう」これがこの主流秩序的なものに対する私の姿勢である。
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ドラマ紹介

早瀬美月(波瑠)と母の顕子(斉藤由貴)は恋人同士のように仲のよい母娘だった。
美月は完璧な母のサポートで順調に育ち、女子高の英語教師になっていた。家を新築しようとしている時、住宅メーカーの担当者、松島(柳楽優弥)が不思議な人懐っこさで二人と親しくなる。顕子は彼を気に入り、美月とつきあうように背中を押す。美月は松島と初めてのデートに出かけるが、顕子がその二人を尾行する・・・

 

 

落合恵子さんの半生

 

朝日新聞で半生を語るインタビュー記事(全12回)。フェミ感覚が見えます。

 

 

(人生の贈りもの)わたしの半生 作家・落合恵子:7 71歳
2016年12月20日16時30分
日曜夜のラジオ番組「ちょっと待ってMONDAY」でパーソナリティーを務めた落合恵子さん。女性スタッフのみで制作する点に共感し、約10年ぶりでマイクに向かった=1987年8月、東京都新宿区の文化放送
 ■フェミニズムと出会い、やっと深呼吸
 ――フェミニストですね。
 海外の情報も含めてフェミニズムに触れたのは1970年代前半、「同じようなことを考える人がいるんだ」と。文化放送アナウンサーとして、企業で働く一社員として、女性であることで求められる役割がとても息苦しかった日々に出会ったんです。退 社し、クレヨンハウスを始め、フェミニズムに関する本を次々に読み、小説もシングルマザーや性暴力などをテーマとし、やっと少しだけ深呼吸できるようになりました。
 ――86年、再びラジオパーソナリティーとして10年近く離れていた古巣に復帰しました。
 「ちょっと待ってMONDAY」という日曜夜の2時間生放送です。元同僚から「女性スタッフだけで番組を作りたい」と相談され、企画制作にもかかわりました。MONDAYには「MAN DAY」つまり「男性優位の日々」を掛け、戦争やセクシュアルハラスメントなど、女性の視点で硬派な特集も組みました。ゲストの故野坂昭如さんに「まだそんなに前に出る必要はないよ。おじさんたちがまず先に闘うから」と言われたこともありました。
 ――88年度に日本婦人放送者懇談会賞を受賞。89年、女性の本の専門店を開きました。
 「ミズ・クレヨンハウス」は、フェミニズムに入門したい女性、さらに男性も学んでほしいと開かれた空間にしたんです。でも故ナンシー関さんに「どうしても引いてしまう」と書かれた(笑)。わかるなと思うのは、あらゆる運動体は共感する者同士で固まり、ニューカマーを一見歓迎するようで実ははじく面があるから。「女性の」と銘打たねばならないのは、いまだ差別が残っている証拠。本来「ミズ」などいらない社会でありたいんです。
 私は、「フェミニズムはアンチナショナリズム」と考えます。これは米国人作家で活動家のグロリア・スタイネムの言葉で、性別や職業、人種などで分断されない社会を作ることだと。私は集団の中で、より声の小さい人たちに目が行き、そうした人たちが放置されることに腹が立つんです。
 ――更年期を扱った「メノポーズ革命」出版が99年。
 それより前に海外のフェミニズム論で自分の更年期に触れたものを読み、いつか書いてみたかった。私たちは体の変化も含め、あらゆる「タブー」を破って表に出そうとした世代。言葉にすることで心配が減っていったんです。それでも私が何かの番組で「閉経したら、真っ白なソフトデニムが不安なくはけてうれしい!」と発言すれば、男性キャスターが驚く。災害支援で生理用品の提供を呼びかけても、メディアは女性に関しては押し入れの奥に入れがちです。
 苦い思い出もあります。母が健在だった頃、母親が子どもを遺棄した報道に「私は一度もそんなこと思わなかった」と彼女が言った。私は「遺棄は許せないが、どうしようもなくそうしてしまう女性もいる。なぜ父ではなく母ばかり責められるのか。追い詰められた母子の避難所をもっと作らねば」と理詰めで反論した。母は、私の「ありがとう」の一言を待っていただけなのかもしれないのに……。
 (聞き手・高橋美佐子)=全12回
人生の贈りもの)わたしの半生 作家・落合恵子:5 
2016年12月16日16時30分

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小説を書き始めたころの落合恵子さん。同じ女性たちが屈辱感を味わっている姿に黙っていられず、それが執筆のテーマになった=本人提供

 ■女性への差別、小説の形で「告発」
 ――文化放送退社後、1976年にクレヨンハウスを設立し、作家活動も本格化します。
 会社に勤めながらエッセー「スプーン一杯の幸せ」を書き、退社後はルポを月刊誌に載せたこともあったんですが、小説に切り替えました。悪意がなくても記事で特定の個人やグループを傷つけ…

「女子力」 問題


おしゃれとか、家事をうまくやるとか、気配りできるとか、そんなときに「女子力高い」と、男子をほめることに使う場も増えています。

 

そもそも性は多様性です。「男女二分法で本質主義的に男女の特性をとらえる」のが完全に間違いなので、男性が従来の女性のしてきた掃除や洗濯や料理などをちゃんとするのはいいこと思うし、シングル単位的に見て当然と思うけれど、

そもそも、そういうのを「女子力」と呼ぶところに、古いジェンダー秩序の名残があります。

 

 

子どもを育てる・愛するのを母性と呼ぶのが間違いであるのと同じく、正しくは《女子力》ではないです。女子力という言葉の、古いジェンダー秩序従属意識を自覚しないとだめでしょう。
これはジェンダー論の基礎です。


「女子力」だけがあって「男子力」はないのもおかしなことで、女性に男子力があっても多くは褒められない。もちろん、古いジェンダー意識の人は男性の女子力高いことも批判するでしょう。昔から「女みたいなことするな、なさけない」と批判されてきました。

今でも女性に、料理ができない、がさつだと「男みたいじゃダメ!」「もっと女性らしくしなさい」と言われるのと同じ。

 

なお、どんな言葉も意味は変化するし、揶揄に使うとか、文脈によって変わってきます。言い方にもよります。女子力高いねーというのは、「ほめ言葉」にもなれば「批判的な言葉」にもなります。だから、少なくとも今私は女性に対して、女子力高いねーというような言い方では褒めません。

ほめるってのも、文脈によります。

 

 

ビョーク、音楽業界における女性差別についてのコメント


紹介しておきます。学生さんに、スティングの「アートは政治性を持っている」という意見を紹介したら、アートに政治性を持ち込むことに反対、という意見を言う学生も、一部います。日本社会は権力への批判性が非常に低下しています。授業でも政治的発言を嫌がる学生がいます。異なる意見の共存に慣れていないで、安倍支持というような人が多いです。

 

 

ビョーク、音楽業界における女性差別についての長文のテキストを公開。全文訳を掲載
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http://nme-jp.com/news/31335/

 

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Photo: PRESS

ビョークは音楽業界における女性差別についての長文のテキストを公開している。
ビョークは現地時間12月16日にヒューストンの「デイ・フォー・ナイト」フェスティバルに出演し、ビョーク・デジタル名義で音楽とヴィジュアルを組み合わせたDJパフォーマンスを披露している。


しかし、ビョークは現地時間12月21日、自身のDJセットへのメディアによる批判について、女性が直面しているパフォーマンスの受け止められ方についての性差別に言及して、長文のテキストをフェイスブックで公開している。
https://www.facebook.com/bjork/posts/10154812739376460


日本語の全文訳は以下の通り。
「おチビのメディアさんへ


幸せな冬至の日になりますように。
みんなも知っているように私はキャリアの大半で性差別に対して不平をこぼしたことはなかったし、なんとかうまくやってきた。でも、すごく大きなポジティヴな流れが広がってるのを感じてるし、ポジティヴな変化を伴う流れを感じてる。


だから、一つだけ言及しておきたい。
先週末、テキサスで行われたフェスティバルで二度DJをしたの。わたしのお気にいりのミュージシャンたちがDJをするマジカルなイベントだった。エイフェックス・ツイン、アルカ、ワンオートリックス・ポイント・ネヴァー、マトモス……挙げていったらキリがないわね。

 


私たちのほとんどは大半他の人の曲をかけたけれど、そこに最近作っているもののトラックを差し込んだりもした。


公の場でのDJを始めて1年弱なんだけど、みんなはまだ慣れ始めた感じで、ファンの人々は私の音楽の遍歴を公開し、私が私でいることを歓迎してくれた。それがすごく楽しいし、私のなかのオタク的な部分が他の人の楽曲のパーツを数週間にわたって編集したりしてて、私にとっては最も崇高な音楽との間にこれまでと違う調和を生み出すことができてる。


でも、いくつかのメディアは私が『パフォーマンス』をせずに、机の後ろに『隠れてる』のを理解できないみたいね。男性に対してはそうじゃないのに。それで、これって性差別だと思ったの。この騒々しい1年の最後だけれど、済ませてしまいたくない。だって、今、私たちは革命的なエネルギーの真ん中にいて、大きな変化にふさわしい存在だと思うから。


価値あることになると思う。


いずれにせよ、
音楽業界において女性は恋人について歌うシンガーソングライターとしてしか認められていない。主題を原子から宇宙、政治性、マニアックなマス(数学的)・ビートの編集とか、恋人以外のことにしたら批判される。ジャーナリストは何かが欠けてると思うんでしょうね……まるで私たちの使える用語はエモだけみたいに。

 


女性がよく書く主題ではないことを分かった上で私は『ヴォルタ』と『バイオフィリア』を作った。政治的な視点で『ヴォルタ』では妊娠中の自爆テロ犯やフェロー諸島グリーンランドの独立について歌った。『バイオフィリア』では教育的な視点で銀河や原子について歌った。でも、私が破局について歌った『ヴァルニキュラ』までメディアからちゃんと受け入れられることはなかった

 

男性は様々な主題を扱うことができる。SFだったり、時代物だったり、喜劇やお笑いだったり、作り込まれたサウンドスケープの中で音楽オタクとして彷徨うこともできる。でも、女性はできない。胸を切り開いて、人生における男性や子供について心を傷めなければ、私たちは観客をだましてしまうことになる。


ベクデル・テスト(※コンテンツにおけるジェンダーバイアスを測定するテスト)も真っ青ね。

 


でも、変化が広がってるのが分かる。私たちはそこに向かって歩んでる。だから、1年の終わりにみんなと共にこんなものは見限りたい。典型的な女性の主題である破局について私は歌ったけれど、来年はコスチュームを変えて、そんな役回りからは出ていけるようになるのを願ってる

 

エディット・ピアフマリア・カラス(私が観た彼女についてのドキュメンタリーでは恋人のオナシスに言及しないものはなかった。男性ミュージシャンであれば愛した女性への言及などないのに)はもう凍結したの。


2017年を変化の起きる年にしましょう。
すべての女性が多様であれる権利を。
さあ前へ。
メリー・クリスマス。
ビョーク
※公開後、一部表記を修正しました。
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「慰安婦問題」 全然解決になっていない

 

2015年12月28日に行われた慰安婦問題をめぐる日韓両政府の合意に対し、世界中で反対が続いている。


当事者(元被害者、支援者、韓国国民世論)の主張を無視して、韓国政府が日本(政府)の不法行為への責任を問わずに一方的に合意したためだ。正式に謝罪せず、金で賠償もせずに、あいまいに金バラマキで、34人が受け取らざるを得ない状況を作り、当事者を分断した。合意時点で存命だった被害者46人のうち34人が受け取りを表明したが、12人は受け取りを拒否し、政府と面会もしていない。

 

運動してきた人たちが納得せず、日本の右翼が喜ぶ解決がどうして解決といえるだろうか。

 

「合意」から1年のこの時点で、様々な軋轢が目立っている。

 

慰安婦と遺族が、日本政府相手に損害賠償請求
2016年12月、生存する元慰安婦11人と他界した元慰安婦5人の遺族が日本政府を相手にソウル中央地裁に損害賠償請求訴訟を起こした。
「民主社会のための弁護士の会」(民弁)は、国連などにより慰安婦問題が日本政府と旧日本軍によって行われた反人道的行為とみられていることから、日本政府が法的責任を認めなければならないという立場だ。 「慰安婦問題における人権侵害の重大性を考慮し、韓国の裁判所も日本に対する裁判権を認め、不法行為への責任を認めるものと期待している」
韓国政府に訴訟を起こすべきという意見もある。

 

朴槿恵(パク・クネ)政権の弾劾が決定したら、現政府がしたことは慰安婦問題も含めて見直されることは間違いない。次の大統領候補も「合意」反対が多い。

 

記者会見・・・合意は「外交の惨事」
旧日本軍の慰安婦問題をめぐる韓日の合意の無効を訴える韓国の市民団体が12月27日、ソウル市内で記者会見を行い、合意は「外交の惨事」であるとして無効にするよう訴えた。

記者会見の様子=27日、ソウル(聯合ニュース

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 同団体は「これまでの1年間、政府は被害者の強い反対と社会的な批判から目を背け、屈辱的な合意を履行することに没頭してきた。(被害者支援財団の)和解・癒やし財団の設立を強行し、慰労金にすぎない10億円で被害者を愚弄(ぐろう)した」と指摘した。
 また、「この合意は韓米日軍事同盟強化のため、日本の戦争犯罪に免罪符を与える措置」と主張した上で、「朴槿恵(パク・クネ)政権の代表的な外交惨事であるこの合意が強行された背景を徹底的に明らかにしなければならない」と訴えた。

 さらに韓国政府に登録されている被害者のうち存命者は39人と指摘し、「25年にわたり、被害者が要求してきた日本の国家的責任認定と公式謝罪、法的賠償、再発防止措置の履行がなされなければならない」と主張した。

 


韓国政府 式典も出来ない状況
対日交渉を担当した韓国外交部の当局者は27日、合意1年を記念する式典などは計画していないと伝えた。

 

●政府として発表できない、意見の一致も見いだせないため、白書の代わりに研究書


韓国女性家族部の姜ウン姫(カン・ウンヒ)長官は23日、聯合ニュースのインタビューに対し、合意前まで推進してきた慰安婦白書の発刊の代わりに、研究報告書をまとめる方針を明らかにした。政府の見解が示される白書ではなく、まずは民間の研究報告を整理した書物を刊行することになる。
 民間による研究は白書刊行に向けた基礎作業と位置付けられ、慰安婦合意2日後の昨年12月30日に総合報告書の草案が政府に提出された。政府はこれを土台に白書を刊行する計画だったが、今も進展が見られない。


 姜氏は、研究報告書は民間が作成したもので政府の見解と完全に一致するとは言い難く、まずはこれを整理して報告書の形で出すのが最も適切だとし、「昨年末の合意に関する部分も含め、研究報告書を補完している最中だ」と説明した。白書については「発刊するには政府も参加して完璧に意見の一致をみなければならない」と述べた。

 

 両国の外交史に刻まれる歴史的な合意をしてから1年になるにもかかわらず静かに対応するのは、合意への非難世論が依然として強いことを受けた措置とみられる。
 合意に基づき、日本政府が被害者支援財団「和解・癒やし財団」に拠出した10億円から支給する慰労金を受け取る意向を示した被害者は合意当時の生存者46人中、約74%の34人に達した。だが、慰安婦被害者が共同生活を送る「ナヌムの家」などの団体の支援を受けている被害者たちは受け取りを拒否しており、世論もなかなか好転しない。
 その上、朴槿恵(パク・クネ)大統領の弾劾訴追案が国会で可決され、朴政権の政策の検証論が浮上。世論調査政党支持率で1位に浮上した最大野党「共に民主党」の文在寅(ムン・ジェイン)前代表と秋美愛(チュ・ミエ)代表は慰安婦合意に対し否定的な見解を表明している。

 

●帝国の慰安婦」著者に懲役3年求刑 韓国検察
旧日本軍の慰安婦問題を扱った著書「帝国の慰安婦」で慰安婦被害者の名誉を傷つけたとして在宅起訴された朴裕河(パク・ユハ)世宗大教授(日本語日本文学科)の論告求刑公判が20日、ソウル東部地裁であり、検察は懲役3年を求刑した。


 検察は、朴氏が同著で慰安婦について「売春」「(旧)日本軍と同志的関係」などと記述し、日本による強制連行はなかったと虚偽を記したと指摘。「史実を意図的に歪(ゆが)めて慰安婦被害者に消えない傷を与えた」として実刑を求刑した。
 一方、朴氏の弁護側は「被告は意見を示しただけで、名誉毀損(きそん)罪は成立しない」として無罪を主張した。
訴えられている朴裕河(パク・ユハ)世宗大教授は給与を差し押さえられた。
慰安婦被害者らは文中の表現34カ所が元慰安婦の名誉を傷つけたとし、2014年7月に1人当たり3000万ウォン(約285万円)の損害賠償を求める民事訴訟を起こした。
 ソウル東部地裁は先月13日、朴氏の著書が慰安婦被害者の名誉を傷つけ人格権を侵害したとし、原告9人に計9000万ウォンの賠償金支払いを命じる判決を言い渡した。
 判決で賠償金の支払いを求める仮執行が付されたことから、慰安婦被害者らは先月25日、朴氏と世宗大を経営する学校法人を相手取り、債権(賠償金9000万ウォン)の差し押さえおよび推尋(転付)命令をソウル西部地裁に申し立てた。法曹界関係者によると、ソウル西部地裁は今月1日にこれを認め、世宗大はこのほど朴氏に対し、賠償金の支払いが終わるまで今月から給与の一部を差し押さえると通知した。
朴氏は対抗して、自身のホームページで、「帝国の慰安婦」から問題視された34カ所を削除したファイルを無料でダウンロードできるようにした。

 

韓国 市民団体が新たな慰安婦像設置したが、4時間で撤去される

 

2016年12月28日 に、合意から1年となる28日、韓国の釜山では合意に反対する市民団体が、日本総領事館前に新たな慰安婦像を設置した。市民団体は31日に像の除幕式を行うと宣言していたが、自治体は公道への設置を許可していなかった。そうした中、市民団体が28日、突然像を運び込み警察の制止を振り切って設置を強行した。団体側は「韓国への慰安婦少女像の設置を行政機関が阻むとは、実にばかげたこと。日本政府の顔色をうかがっている」と批判する。

しかし、4時間後に撤去された。市民団体は像の周辺に座り込んだが、警察によって排除され4時間後に像は撤去された。ソウルでも日本大使館前の慰安婦像を囲み、合意に反対する集会が行われた。

 西部の忠清南道舒川郡でも、自治体と地元団体が少女像の設置場所をめぐり対立している。市民の参加で製作された少女像は公共施設が集まる場所にある広場への設置が認められず、この広場の一角に一時的に置かれている。

広場の一角に置かれている舒川郡の少女像=(聯合ニュース

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2015年12月に除幕した南部・済州島の少女像も、設置を推進した団体は日本総領事館前に置くことを計画していたが、済州市が外交問題などを理由に許可しなかったことから、結局は公園に設置された。

 現在、韓国国内の36カ所に少女像が設置されている。米国、日本の沖縄、カナダなど海外の11カ所にも慰安婦の記念碑や平和の碑が建てられている。

 

 ソウル市議会は先ごろ、旧日本軍の慰安婦被害者に関する記念事業や造形物の設置・管理などを支援する条例改正案を発議した。

 慰安婦被害者が共同生活を送る「ナヌムの家」(京畿道広州市)の安信権(アン・シングォン)所長は「韓日間の外交摩擦に飛び火しかねないことなどを懸念し、公共機関が最初から(像の設置に)反対するのは、あつれきを深めるだけ」だと指摘する。慰安婦問題は「世界が共感する女性、人権、歴史問題」だとした上で、「官民の審議委員会や議会の意見を聞いて建立場所などを決定すべきだ」と述べた。

 

 安氏は解決策の一つとして、公聴会と議会の投票を経て少女像を設置した米カリフォルニア州グレンデール市のケースを挙げた。また、少女像を設置するには自治体首長の意志が重要だとし、京畿道城南市など市が率先して市庁前などに像を建てた自治体もあると紹介した。

 2011年12月にソウル市の日本大使館前に設置された少女像のそばでは、韓日合意を受けた像の移転や撤去を心配する大学生たちが、すでに1年近くも交代で野宿をしながら見張りを続けている。像が安全だと確信できるまでやめないという

 

日韓慰安婦合意は“イベント”、韓国は無効を宣言できる」米歴史学者が指摘=韓国ネット「当然だ」「被害者が望むのなら無効にすべき」

 

2016年12月、韓国メディアは、米コネチカット大学のアレクシス・ダデン教授が、慰安婦問題をめぐる昨年末の日韓合意について、「無効を宣言することができる」と主張したと報じた。

ダデン教授は17日、元慰安婦らが共同生活を送る京畿道の「ナヌムの家」を訪れ、2015年12月28日の日韓慰安婦合意について「イベントのように合意が結ばれた」と指摘し、「共同記者会見以上の何ものでもない。法的にみると、新しい韓国政府が条項を変更しようとするなら、無効を宣言することができる」と主張した。

また、ダデン教授は「慰安婦合意では被害者の見解が排除された上、日本の国家責任に関する問題は扱われなかった」と説明し、「これは法的に無効を宣言する根拠になる」と述べた。さらに、「慰安婦合意は被害者にとって、全面的に受け入れられないもの」とし、「合意は被害者の見解を基に行われなければならない」と強調。その上で、「被害者は日本政府が加害国としての責任を果たすことを願っている。これなしには実質的な意味でいかなる合意も成し遂げられない」と訴えた。

 

ダデン教授は2015年5月、日本政府の歴史歪曲(わいきょく)と慰安婦問題に対する責任回避を批判する世界の歴史学者187人の集団声明を主導した功績が認められ、「第19回万海平和大賞」を授賞した。

 

慰安婦問題 韓国の最大野党代表が日韓合意撤回求める

慰安婦問題をめぐる日韓両政府の合意からちょうど1年となった28日、ソウルの日本大使館前で抗議集会が開かれ、最大野党の代表は「パク・クネ(朴槿恵)大統領は合意によって慰安婦たちの歴史を消そうとした」などと批判して、合意の撤回を求めました。
最大野党「共に民主党」のチュ・ミエ(秋美愛)代表は「合意の中では、慰安婦問題について日本政府が介入し主導したことが抜け落ちている」などと批判を繰り返しました。そのうえで、「パク・クネ大統領は合意によって慰安婦たちの歴史を国民の記憶から消そうとした。合意を無効化して再び戦争犯罪が起きないようにしなければならない」として合意の撤回を求めました。

韓国では、パク大統領の職務が停止される中、合意への批判も高まっていて、次の大統領選挙の結果しだいでは、合意が履行されなくなるおそれがあると指摘する声も出ています。


●韓国政府


財団は、「韓国国内の政治状況に関係なく、1人でも多くの元慰安婦の名誉と尊厳を回復するため支援事業を進めていく」としていて、パク・クネ大統領の職務が停止されても影響はないとしています。

ただ、次の大統領選挙への立候補が有力視される野党の議員らは合意を批判していて、選挙しだいでは合意が履行されなくなるおそれがあると指摘する声も出ています。

『僕と彼女と彼女の生きる道』

 

僕と彼女と彼女の生きる道』で、離婚後の親権をめぐる対立、親権をとれなかった後の父親の子どもへのかかわり方、を丁寧に描いていた。


失われた妻の夫への信頼と愛嬢、積もり積もった夫への怒りと不信感が、徐々に春の温かさに溶ける雪のように消えていくが、それには時間がかかる。そして雪の下から出てきたものは苦い。だがそこには新しい距離と関係が在る。

 

本当にいろいろなケースがあるのだけれど、本当に、このくさなぎ君パパのように、子どもを深く愛する道に進む人がいる。

 

子どもの気持ちを思いやること、3人で暮らしたくても、もう暮らすことはできないこと、
小雪の複雑な気持ち、・・・・・・


切ない。

 

夫婦が、別れるけれど、対立だけでなく、理解しあい、子どものことを思って、別れるような成熟を望むし、それに近づこうとする人がいるのに、それを信じられないという人もいて、悲しい。見ようともしない。


過去があるから無理もない面があるが、とてもむつかしい現実。

 

切ない。

いい作品だ。

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沖縄の活動家・山城氏の釈放を求める刑事法研究者の緊急声明

 


前田朗さんのブログより、転載します。


山城博治氏の釈放を求める刑事法研究者の緊急声明


現在、全国の刑事法研究者に賛同者を募っている声明です。12月28日昼に第一次集約の予定。

山城博治氏の釈放を求める刑事法研究者の緊急声明

沖縄平和運動センターの山城博治議長(64)が、70日間を超えて勾留されている。山城氏は次々に3度逮捕され、起訴された。接見禁止の処分に付され、家族との面会も許されていない山城氏は、弁護士を通して地元2紙の取材に応じ、「翁長県政、全県民が苦境に立たされている」「多くの仲間たちが全力を尽くして阻止行動を行ってきましたが、言い知れない悲しみと無慈悲にも力で抑え込んできた政治権力の暴力に満身の怒りを禁じ得ません」と述べる(沖縄タイムス2016年12月22日、琉球新報同24日)。

この長期勾留は、正当な理由のない拘禁であり(憲法34条違反)、速やかに釈放されねばならない。以下にその理由を述べる。

 


山城氏は、①2016年10月17日、米軍北部訓練場のオスプレイ訓練用ヘリパッド建設に対する抗議行動中、沖縄防衛局職員の設置する侵入防止用フェンス上に張られた有刺鉄線一本を切ったとされ、準現行犯逮捕された。

同月20日午後、那覇簡裁は、那覇地検の勾留請求を棄却するが、地検が準抗告し、同日夜、那覇地裁が勾留を決定した。これに先立ち、②同日午後4時頃、沖縄県警は、沖縄防衛局職員に対する公務執行妨害と傷害の疑いで逮捕状を執行し、山城氏を再逮捕した。

11月11日、山城氏は①と②の件で起訴され、翌12日、保釈請求が却下された(準抗告も棄却、また接見禁止決定に対する準抗告、特別抗告も棄却)。さらに山城氏は、③11月29日、名護市辺野古の新基地建設事業に対する威力業務妨害の疑いで再逮捕され、12月20日、追起訴された。

 


山城氏は、以上の3件で「罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由」(犯罪の嫌疑)と「罪証を隠滅すると疑うに足りる相当な理由」があるとされて勾留されている(刑訴法60条)。


しかし、まず、犯罪の嫌疑についていえば、以上の3件が、辺野古新基地建設断念とオスプレイ配備撤回を掲げたいわゆる「オール沖縄」の民意を表明する政治的表現行為として行われたことは明らかであり、このような憲法上の権利行為に「罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由」があるのは、その権利性を上回る優越的利益の侵害が認められた場合だけである。政治的表現行為の自由は、最大限尊重されなければならない。

いずれの事件も抗議行動を阻止しようとする機動隊等との衝突で偶発的、不可避的に発生した可能性が高く、違法性の程度の極めて低いものばかりである。

 

すなわち、①で切断されたのは価額2,000円相当の有刺鉄線1本であるにすぎない。②は、沖縄防衛局職員が、山城氏らに腕や肩をつかまれて揺さぶられるなどしたことで、右上肢打撲を負ったとして被害を届け出たものであり、任意の事情聴取を優先すべき軽微な事案である。

そして③は、10か月も前のことであるが、1月下旬にキャンプ・シュワブのゲート前路上で、工事車両の進入を阻止するために、座り込んでは機動隊員に強制排除されていた非暴力の市民らが、座り込む代わりにコンクリートブロックを積み上げたのであり、車両進入の度にこれも難なく撤去されていた。

実に機動隊が配備されたことで、沖縄防衛局の基地建設事業は推進されていたのである。つまり山城氏のしたことは、犯罪であると疑ってかかり、身体拘束できるような行為ではなかったのである。

 


百歩譲り、仮に嫌疑を認めたとしても、次に、情状事実は罪証隠滅の対象には含まれない、と考えるのが刑事訴訟法学の有力説である。②の件を除けば、山城氏はあえて事実自体を争おうとはしないだろう。

しかも現在の山城氏は起訴後の勾留の状態にある。検察は公判維持のために必要な捜査を終えている。被告人の身体拘束は、裁判所への出頭を確保するための例外中の例外の手段でなければならない。もはや罪証隠滅のおそれを認めることはできない。以上の通り、山城氏を勾留する相当の理由は認められない。

 


法的に理由のない勾留は違法である。その上で付言すれば、自由刑の科されることの想定できない事案で、そもそも未決拘禁などすべきではない。また、山城氏は健康上の問題を抱えており、身体拘束の継続によって回復不可能な不利益を被るおそれがある。

しかも犯罪の嫌疑ありとされたのは憲法上の権利行為であり、勾留の処分は萎縮効果をもつ。したがって比例原則に照らし、山城氏の70日間を超える勾留は相当ではない。

 

以上に鑑みると、山城氏のこれ以上の勾留は「不当に長い拘禁」(刑訴法91条)であると解されねばならない。


山城氏の長期勾留は、従来から問題視されてきた日本の「人質司法」が、在日米軍基地をめぐる日本政府と沖縄県の対立の深まる中で、政治的に問題化したとみられる非常に憂慮すべき事態である。私たちは、刑事法研究者として、これを見過ごすことができない。山城氏を速やかに解放すべきである。

2016年12月27日

呼びかけ人(50音順) 
春日勉(神戸学院大学教授) 本庄武(一橋大学教授) 前田朗東京造形大学教授) 森川恭剛(琉球大学教授)

賛同人(50音順) 
足立昌勝(関東学院大学名誉教授) 内田博文(神戸学院大学教授) 大藪志保子(久留米大学准教授) 岡本洋一(熊本大学准教授) 垣花豊順(琉球大学名誉教授) 金尚均龍谷大学教授) 佐々木光明(神戸学院大学教授) 平井佐和子(西南学院大学准教授) 平川宗信名古屋大学名誉教授) 水谷規男(大阪大学教授) 宗岡嗣郎(久留米大学教授) 森尾亮(久留米大学教授) 矢野恵美(琉球大学教授) 吉弘光男(久留米大学教授) 他2人