ソウルヨガ

主流秩序、DV,スピシン主義、フェミ、あれこれ

辺見庸のことば

 

辺見庸さんへの朝日でのインタビュー記事。辺見庸の言葉は主流秩序の状況への批判精神があるので基本的に賛成するところは多いです。


しかし、「従来型の予定調和の記事を壊していくことじゃないかな」「場違いな存在になる」という言葉はいいと思いますが、聞いている記者には伝わっていないと思います。


また若者たちの動きについても「けなして」いますが、それは足引っ張り(非共感的)の感覚で、もっと自分と違うスタイルや未熟と思うものへも寛容的であるのが非暴力的だと思います。辺見庸さんはやはり古い世代(60年代)の暴力的な活動家の発想が染みついた人だなあ、そういう語り方をする人だなあと感じます。DVとかには鈍感なタイプではないかなと思います。

 

またもっと過激に根源的にと言いながら、勇気とかでなくおずおずとした発言でいいと矛盾したことを言っています。自分の基準で「怒りの芯」がないというのは、ないものねだりで、自分が1937年なら抵抗できないということとも矛盾しています。今は60年代よりも怒りにくい時代なのだ、その中での「おずおずとした抗い方」をまず自ら体現しないといけませんが、もう語るだけの人になっていると思います。

 

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(インタビュー)時流に抗う 作家・辺見庸さん
朝日 2016年1月21日05時00分

 彼らは本気だ。安倍晋三首相は、夏の参院選改憲勢力による「3分の2」の議席を目指すという。一方で、国会前を埋めたあの夏の熱気はいまも残っているのだろうか。岐路となりそうな2016年を私たち一人ひとりは、どう生きるべきか。権力と個人の関係を問い続ける作家、辺見庸さんに聞いた。

 ――夏には参院選ですね。改憲が争点になりそうです。
 「まったく関心がないといったらうそになるけど、どちらかというと悲観的ですね」
 ――と、言いますと?
 「仮に安倍政権に退陣してもらったとしても、そのあとに何かが良くなるというのが見えません。安保法制で次のレールは敷かれてしまった。描いているのは、憲法をもっと融通無碍(ゆうずうむげ)なものにする緊急事態条項ですよね」
 ――大規模災害などに備えるための条項だとしても要らないものでしょうか。
 「ひょっとしたら、いまは安倍政権の退陣を求めているような勢力さえも、そういうレトリックに乗ってしまうんじゃないでしょうか。例えば尖閣諸島、あるいは北朝鮮をめぐる動きしだいでね。全体として翼賛化していくかもしれないと見ています」

 「ぼくは、未来を考えるときは過去に事例を探すんです。むしろ過去のほうに未来があって、未来に過去がある。そういうひっくり返った発想をしてしまう。いまの局面をなぞらえるとしたら、すべてが翼賛化していった1930年代じゃないですか? 南京大虐殺が起きた37年前後のことを調べて、つくづく思いました。人はこうもいとも簡単に考えを変えるのか、こうもいとも簡単に動員されるのか、こうもいとも簡単に戦争は起こるのか――と。現時点で、もう37年と同じような状況に入っているのかもしれません」

 

 「戦争法(安保法)なんて、突然降ってわいたみたいに思われるけど、長い時間をかけて熟成されたものですよね。A級戦犯容疑の岸信介を祖父に持つ安倍(首相)は、昭和史をいわば身体に刻み込んだ右派政治家として育ってきたわけでしょ。良かれあしかれ、真剣さが違いますよ。死に物狂いでやってきたと言っていい。何というのか、気合の入り方が尋常じゃない。それに対して、野党には『死ぬ覚悟』なんかないですよ。これからもそうでしょう。だから、やすやすとすべてが通っていくに違いない。むっとされるかもしれないけれども、国会前のデモにしても『冗談じゃない、あんなもんかよ』という気がしますね」

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 ――とはいえ、国民の声の大きさは、あなどれないのでは?
 「安保法制なんて、周辺事態法を成立させてしまった1999年から決まりきったことじゃないですか。日本が攻撃を直接受けていなくても、『有事』には米軍に物資輸送などの支援を可能にする法律です。あのときはいまの何倍も『これはやばいな』と焦りました。ぼくらが常識として持っていた戦後の民主主義、あるいは平和的な時間の連続といったものに、はっきりと割れ目が入った。この割れ目は広がるに違いないと直感しました。その後は、もう既定の事実です」

 

 ――SEALDs(シールズ)のような若者の行動は新鮮に映りましたが。
 「若い人たちが危機感を持つのは理解できます。ただ、あれは『現象』だとは思うけど、ムーブメント(運動)とは考えてません。まだスローガンみたいな言葉しか言えてないじゃないですか。ぼくはそこに何も新しいものを感じない。もっと迂遠(うえん)で深い思想というか、内面の深いところをえぐるような言葉が必要だと思います」

 

 「例えば米国や欧州でのサミット(主要国首脳会議)に反対するデモは、資本主義のあり方そのものに反対している。あまりにもむき出しで、びっくりしちゃうんですけどね。日本とは『怒りの強度』が全然違う。なぜ、国会前デモのあとに行儀良く道路の掃除なんかできるんでしょうかね」

 

 「安倍政権が現状をこれ以上悪くすることへの反発というのはあるでしょう。しかしどこか日本的で、むしろ現状維持を願っているような感じがしますね。例えば、日々食うにも困るような最底辺層の怒りや悲しみを担ってるわけじゃない。なかにはそういう人もいるでしょうけど、全体としては『何としても社会そのものを深いところから変革したい』という強いパッションが見えないんです」

 

 ――極端に言えば、いまの自分の暮らしが保たれることだけを願っているように見えると?
 「そういうことです。『怒りの芯』がない。それは言葉の芯とともにどこかに消失してしまったんでしょう。この傾向は70年代から幾何級数的に進んできたと思います。市場経済の全面的な爛熟(らんじゅく)って言うんでしょうか、それとともに言葉が収縮し、躍動しなくなったことと関係あるかもしれません」

 

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 ――市場経済と言葉が、どう関係するのですか。
 「この社会システムが必要なのは購買者・消費者としての人間であって、怒る人間とか変革する人間ではないということだと思うんです。『人間』を締め出していると言うんですかね。疎外ということです。ぼくらは歴史をつくる主体だと教え込まれて生きてきたけど、果たしてそうであったのか。歴史の主体ではなくて、歴史の対象なんじゃないでしょうか」

 

 「60年代には、抵抗とか反逆は美的にいいことだという価値観がありました。いまの若い人たちは全然違うようですね。表現の仕方は、我々の世代が目を白黒させるようなとっぴなものであっても全然構わない。ただ、それが時代のダイナミズムになっていくとは予感しえないんです。むしろ、悪い方に予感してしまう。何か他国による武力攻撃のようなことがあった場合、新しい国家主義的なものを簡単に受け入れてしまう可能性はありませんか? それに抗するバネがないでしょう。危ういものを感じますね」
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 ――ご自身はファシズムに抗(あらが)えますか。
 「ぼくの父親は1943年から中国に出征しています。法的プロセスによらない中国人の処刑などに、おそらく父親も直接、間接に関係したはずです。それを我々の先祖の時代の愚挙として片づけることはできないんですよ。記憶に新しい父親があそこにいた。そこに仮説として自分を立たせてみて、『じゃあ、自分だったら避けられたか』と問うてみるんです。あれだけ組織的な、誰もが疑わずにいた天皇ファシズム軍国主義のなかで、ぼく一人だけが『やめろ!』と言うことができたか。それは一日考えても二日考えても、到底無理だと言わざるを得ません。そういう局面に自分を追い詰めていく苦痛から再出発する以外にないと思うんです」

 

 「メディアに携わる人間もまた、よるべなき流砂のなかで手探りするしかありません。個のまなざしを持ちえるかどうか。そこだと思うんですよ。従来型の予定調和の記事を壊していくことじゃないかな」

 

 ――それは私たちも日々、努めているつもりです。
 「では、これはどうでしょう。昭和天皇が75年10月31日、国内外の記者50人を前に会見をしました。そこで戦争責任について尋ねたのは英紙タイムズの記者です。天皇は『そういう言葉のアヤについては(中略)よくわかりませんから、そういう問題についてはお答えができかねます』と答えた。広島の原爆については地元民放の中国放送の記者の質問に『気の毒であるが、やむを得ないこと』と答えている。朝日や毎日、読売はそんな質問をしていません。むしろ意識的に避けてあげたのでしょうか。しかも天皇の言葉に激しく反応してやしない。別に強制されたのではなく、ぼくたちはそういうことをやってしまうわけです」

 

 「01年のアフガン空爆のとき、朝日は社説で『限定ならやむを得ない』と書いた。それに抗議の声を上げた記者がいたことを、ぼくは知っています。あれは別に全社挙げての民主的な討論を経て書かれるわけじゃないですよね。しかし、それは違うんじゃないかって執拗(しつよう)に言い張ると『困ったちゃん』みたいに扱われる。場違いなわけです。ただ、場違いなことが、どれだけ大事なことかという気がします。ささやかな抵抗のほうが、国会前での鳴り物入りのデモよりも頭が下がります」

 

 「そうしたことを冷笑し、馬鹿扱いすることが、時とともに組織や社会をどれだけ悪くしていくことでしょうか。コンフォーミズム(大勢順応主義)の傾向はますます、きつくなっている。だから場違いなことを試みるってことこそ大事なんじゃないかな。衆議に従って、ではなく緊急動議的に発言していく勇気って言うんでしょうか。勇気なんて、あんまり好きな言葉じゃないけどね。おずおずとした発言でいい。かっこ悪く、ぶつぶつでいい。自分がそういうことに直面したときに、果たしてどれだけ誠実でいられるかという問題だと思うんです」
 (聞き手・磯村健太郎、高重治香)
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 へんみよう 44年生まれ。元共同通信記者。「自動起床装置」で芥川賞受賞。近く、日中戦争から今に至る日本の闇をつく「増補版1★9★3★7」刊行

 

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