ソウルヨガ

主流秩序、DV,加害者プログラム、スピシン主義、フェミ、あれこれ

政権批判する先生はダメなのか ②


第5に、Aさんが「70年たってまったくそのことを知らない世代にも背負わせるというんですか?某国は千年経っても忘れないとか言っているんですよ?」というのは、「戦争をしていない今の世代にも謝罪させるのか」「いつまで謝罪させ続けるのか」「屈辱的な謝罪はもうやめよう。それは自虐史観だ」というよくある反論のひとつと類似しているので、この点について応えておきます。

 

私は、不当な謝罪を背負わされているとは思っていません。私は、直接、戦争をしていません。当時生きていません。しかし、戦争に反対の立場で、歴史を見て、日本が行った戦争は侵略戦争で間違いだと思っています。ですから当時侵略された国に対して侵略国が謝罪することに何の違和感もありません。そうしてこそ、ともに戦争をしない関係を作っていけるのです。ともに未来に対して戦争しないようにという思いで、謝罪をするのです。なぜかたくなに謝罪を嫌がるのでしょうか?そこが私には不思議です。責任の取り方については後で触れます。

 

また「背負わされる」ということのなかに、「金をむしりとられる」というような被害感情を持っているかのように感じる部分があります。それについては次のことと絡めて答えます。

 

第6に、Aさんの「あなたの先祖に、昔僕の先祖が500年前殺されてます。まだ許していません。一億円ください」といったら、「まあ加害者が決めることではないし」といって払ってくれるんですかね?」という意見に応えておきます。

 

この意見の中には、「昔のことで不当なお金を請求されている」、という被害感情が見え隠れしていますね。まず、慰安婦支援側はそのように個人的利益のためにいやらしく金を請求しているのではないです。運動側被害者らが求めているのは、日本政府が、「慰安婦」への加害と被害の事実とそれに対する責任を明確な形で認めること、公式に謝罪をすること、そして、その謝罪の証としての国家による賠償と、「慰安婦」問題の真相究明と、義務教育課程の教科書への記述などの再発防止措置などです。そして、「慰安婦」の被害実態を否定しようとする言説に対して日本政府が敢然と反駁することを求めています。

 

それは未来に向けて同じようなひどいことが起こらないために過去を直視すること、正しいことを未来に伝えていくことを求めているのです。これは平和運動なのです。

ですから「国民基金」が金を出すといっても、運動側はそれを拒否したのです。単なる金が目的ではないのです。しかし右翼の情報は、「商売女たちが不当にも金を要求している」というものです。Aさん、どうか、慰安婦側の誠実な要求に耳を傾けてください。

 

以上の基本がわかれば、「あなたの先祖に、昔僕の先祖が500年前殺されてます。まだ許していません。一億円ください」というような例と慰安婦問題の要求を同一に見ることはできません。まったく適切なたとえではないといえます。このような「たとえ」をしてしまうところにAさんのゆがんだ認識が出ています。

 

なおもし私が「あなたの先祖に、昔僕の先祖が500年前殺されてます。まだ許していません。一億円ください」と言われたら、先祖といってもどんどん広がるし、あなたの先祖も広がっているので、そしてまたとても昔なので、私があなたに謝罪する必要もないし、一億円払う必要もないと思います。その事実の認定も、賠償額の認定でも、その説明では理解できません。私にわかるように証明してくだされば考えます」と言います。ただし、もし相手が、過去、ある人が別の人に暴力をふるったことについて、そういうことがないように非暴力の大切さを訴えるなら賛成します。

 

第7に、私が「暴力については被害者側が許しを決めるのであって、加害者がもう許せというのはまちっている」ということについての理解です。ここは非常に大切なことであり、人権意識の水準の問題かつ「責任の取り方」の問題ですからぜひ真剣に考えてください。

 

Aさんは上記の主張(「まあ加害者が決めることではないし」といって払ってくれるんですかね?)のように非常に不当なことで文句をつけられているというように矮小化してとらえているように思われます。しかし、慰安婦運動側が求めていることはもっと崇高なことです。

 

ひどい右翼報道が言っているような「金目当て」ではありません。


私の講義で伝えたかったことは主流秩序という暴力肯定の社会に対して、私たち一人一人が非暴力な存在になろうという話でした。
そのためには、私たち誰もが自分に暴力的な側面があるかもしれないと自戒を込めて自分を見つめ、日々自分の偉そうさとかひねくれた見方とか、決めつけとか、偏見をなくす努力を続けることが大事です。声を荒げていないか、攻撃していないかに謙虚になることです。相手の言い分に耳を傾け、異なるものが共存できるように排外主義にならないことです。

 

しかし、トランプ氏や極右勢力、ネトウヨヘイトスピーチ勢力、歴史修正主義者たちが言うような、他民族攻撃、移民攻撃、排外主義、歴史の事実否定がいまおおくなっています。そしてAさんがどんな人かはわかりませんが、その主張内容は、上記右翼勢力と類似して、暴力的であることにお気づきでしょうか。

 

それはYAHOOなどのネット検索でよく上位に出てくる産経新聞の阿比留瑠比氏が書いている内容をなぞっているにすぎない意見です。阿比留瑠比氏の意見は、はっきり言って極右的でまちがった情報を平気で入れ込んだ低劣な意見です。しかしそれが堂々と日本社会に存在し、それをうのみにした不勉強な人が妄言を吐いている状況です。

 

たとえば、自民党桜田義孝氏が従軍慰安婦について「職業としての売春婦だった。それを犠牲者だったかのようにしている宣伝工作に惑わされすぎだ」と先日発言しましたし、橋下・元大阪市長慰安婦問題で暴言を吐きましたが、同じです。ネットや産経新聞などの保守系右翼系情報だけを根拠にまちがったことを言う人が多いので、真実と信じてしまっている人がいますが、とにかくちゃんと勉強していないのが現実です。

 

それが私の認識です。反論もあるでしょうが、慰安婦支援側のほうからはそれに対して説得力ある議論がなされており、私は慰安婦支援側の主張が正当だと考えているものです。

 

そして話を戻しますが、私たちが暴力的にならないように生きていくということは、加害者側からもう許してもいいころだろう、いつまで謝らせるんだ、というようなことを言うのはおかしいのです。

 

しかし、昨年末の日韓政府間の「合意」は1965年の韓日条約に続き、またも日本軍性奴隷制の被害女性たちを置き去りにしたままの、日韓政府による一方的な政治的・外交的談合で、日本は金を出すからもうこの問題は終わりにしようという取引をしたものです。


日本政府は自国の法的責任を認めず、被害者支援のための財団を韓国政府に設立させることで被害女性たちに対する名誉回復事業を被害国に押し付けました。また少女像の撤去を「合意」履行の交換条件のように出して、日本政府に対する抵抗の声を封殺しようとしています。それが「蒸し返すな」ということです。

 

「もう蒸し返さない」という点と「少女像の撤去」という2点がとれたと思って安倍政権は喜んだのです。事実安倍首相は、年末に「ここまでやった上で約束を破ったら、韓国は国際社会の一員として終わる」、「今後、(韓国との関係で)この問題について一切、言わない。次の日韓首脳会談でももう触れない。そのことは電話会談でも言っておいた。昨日をもってすべて終わりだ。もう謝罪もしない」といっています。

 

これは非常にひどい態度で、DV 加害者が「もう暴力の過去は水に流せ」というのと同じなので講義の中で言及しました。暴力、DV を論じる文脈でこの問題に言及したのは私は正当だと思っています。したがってAさんの「教員の個人的な偏った意見を不特定多数の人の耳にいやおうなく入ってしまう場で発言するのは不適切だ」という意見には同意できません。

続く(次回ラスト)