ソウルヨガ

主流秩序、DV,加害者プログラム、スピシン主義、フェミ、あれこれ

新幹線内無差別攻撃事件  助けに入った人がいたという希望

●新幹線内無差別攻撃事件  

助けに入った人がいたという希望、

「とにかく逃げろ」が唯一の教訓ではないという話

 

 

このブログを読んでくださっている人は知っているかもしれないが、世間的には、私が主流秩序論とからめて「カツアゲなど事件を見たときの時の介入の在り方」を大学の講義で話し、以下の電子書籍でも紹介していることをしらない。


参考:伊田広行編著『主流秩序にいかに囚われているか―――学生たちの実態と本音、そして少しの突破』(電子書籍、2016年3月発行)

 

 

今回、新幹線無差別攻撃事件に絡めて少し書いておく。

 

小島一朗容疑者(22)が隣席の女性を切り付け、通路を挟んで向かい側の女性にも襲いかかり、それを見た2列後ろにいた会社員の男性・梅田耕太郎さん(38)が逃げるのではなく、自分が止めに入った。逃げた人を批判しないなどの配慮から、メディアでも、ほかの人は何をしていたのかという指摘はほとんどない。

それどころか「梅田さんは容疑者に立ち向かった結果、刺激して「最悪の事態」を招いてしまったかもしれない」という見方を紹介する報道まであった。

 

 

 

しかし、この状況を振り返るならば、みなが逃げれば被害者がゼロということはあり得ない。梅田さんが逃げていたら、最初二人の女性やそのほかの近くにいた人が切りつけられていて被害者はさらに多くなったろう。

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ということは、梅田さんがいたから、最初の二人の女性が助かり、ほかの被害にあう可能性の高かった近くにいた女性や子供や老人などが助かったといえる。梅田さんが身を挺してほかの人を守ったということになる。

 

だから、こういう事件を振り返るときに、「下手に介入したら危険だ、とにかく逃げるのがいい」というような総括をしてその情報を広めるのはおかしいと思う。

 

もちろん、やみくもに自分の命の危険を顧みずに必ず直接介入すべきだといっているのではない。

 

 


まず結果から見てもとっさに助けに入った梅田さんは素晴らしい勇気ある人というべきである。
今回は刃物を持った加害者だし、多くの人は事情も分からないので、直接介入はむつかしいケースといえる。逃げる人がいるのは当然で、それは非難されることではない。

 

 

が、できれば何かできたことがあったら「したらよかった」という教訓は得られる。

まず、一般論は、誰か一人目が勇気をもって介入したら、2人目、3人目という介入があることが望ましい。直接介入でなくても間接介入でも、できることをするのがよい。それが望ましい。

 

事情が分からなければ、ある程度距離をとったうえで、周りの人に、何が起こっているのか、状況を聞く。そして今回ならだれが加害者で、だれが被害者かを把握できたら理想的。
ある程度距離をとって、誰か事情が分かっている人が、「止めに入ったある男性(梅田さん)がやられているので、男の人数人で助けに行ってください」ということもできるだろう。

 

今回は加害者が刃物を持っているし狭いし、防具などもシートしかないからむつかしいが、助けに入った人が孤立して殺されたのは痛ましい。とても残念だ。ご家族はつらいだろう。

 

できれば、止めに入った人が一人いたらすぐに二人目も入って、周りの人が分業して、乗務員を呼びに行ったり、周りに声をかけて「数人で行こう、協力よろしく」と言って男性数人人を集めて助けに行く、また離れたところから大声で話しかける手もある。

 

助けられる人を増やすことができれば、梅田さんは助かったかもしれない。被害を増やさないために、ドアのところでロックをかけて閉じ込めるということができればいいが、構造上そういうことはできないようだ。

 

 

繰り返すが今回は誰にもどうしようもなかったと思う。むつかしかったと思うが、今後に教訓を残す必要はある。

もう少し状況が介入しやすいものならばできることを即座に判断できる人が多いほうがいい。もう少し状況が分かるときには、勇気ある一人目を孤立させないような対応を回りが取れたらいいと思う。


だから「とにかく逃げなさい」ということを教訓にするのは間違いと思う。

 

 

即座に、自分の身を守りながらも、なにかできることを判断できる(考える)ような人が増えてほしい。そういう社会になってほしい。

 

考えていないと迷ってしまうはず。考えておくことで行動に結びつきやすくなる。
それが、今回亡くなった梅田さんをはじめ、過去、突入して亡くなったり怪我した人の勇気を受け継いでいく道と思う。

 

「関係ない人のためにかかわっていくのは馬鹿だ」というような人が多くなっているので、そうしたことを言っておきたい。

 

簡単に書いたが、スーパーマンでなくても、間接介入がいろいろ出来うるんだよという話である。

一人目が行くときも、できれば複数で行く、遠くから声をかけなにかを投げる、非常ボタンを押す、何か壁を作って防御する、老人や子供を優先的に逃がすよう誘導係を引き受けるなど、やれることを日頃から考えておく人が増えてほしい。

 

 

「カツアゲ場面」を見たときの例で、そういうことをひごろから考えておくと、職場でいじめやセクハラ上がったときとか、電車で痴漢だという声が上がった時とか、痴漢で苦しんでいる人がいるときとか、学校でいじめがあるときとか、いろいろ、応用が利くという話である。

 

職場で組合【ユニオン】が存在価値を失っているという場合があるがそれは御用組合になって活動しない場合である。
むしろいま問題なのは、組合という形での連帯意識が非常に低下していることである。誰かが頑張って個人の苦境を問題とする、支援するようなユニオン活動をしているときに、自分がユニオンに加入しないのが当然というような人が多いが、一人目二人目が頑張っているときに、どうしてそれを放置して自分は加入しないで、冷たく見ているのかと思う。

そういう人が「ユニオンに入っても意味ない」などというのを聞くのは悲しい。

 

今回の新幹線事件のような事件とユニオンの話は別と思うかもしれないが、深いところでつながっている。


一人目の勇気ある行動を見て「私やあなた」は何を感じるかだ。「馬鹿なことをしているといって冷笑して逃げて自分の身を守る」ような人の言葉はもう聞き飽きた。

 

それが主流秩序を意識して生きるということの一例である。


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