ソウルヨガ

主流秩序、DV,加害者プログラム、スピシン主義、フェミ、あれこれ

学生さんたちのレポート紹介の本

 

『主流秩序にいかに囚われているか―――学生たちの実態と本音、そして少しの突破』(主流秩序論NO6、2016年3月、電子書籍Kindle版、アマゾン)を出しました。

 

f:id:hiroponkun:20160301224114j:plain

 

「アマゾン」のHPで「伊田広行」あるいは「主流秩序にいかに囚われているか」で検索してもらえると見つかります。


1ドル=114円で入手できるのでよかったら読んでみてください。

無料のアプリをPCやスマホに入れれば読めます。

 

以下、「はじめに」を紹介しておきます。

 

はじめに
本書は、2015年度にある大学で行った講義(ジェンダー論)に出されたレポートの一部を紹介するものである。この講義では主流秩序という概念を中心に議論を展開した。主流秩序というのは私の立てた考える枠組みで、それについては私の各著作を参照していただくということで、ここでは省略する。

 

「ある程度の予想はあったが、思った以上に今の学生さんの世代は、主流秩序に圧迫されているなあ」と多くのレポートを読んで改めて思った。
大学15コマの授業で、感想や質問が出されそれに対していろいろ応答を行った。その後でも、学生さんからの主流秩序論への反論や「私は中間という立場表明」はある。でもそれが面白い。そのように思うのか、そうこだわるのか、そう思っているのか。いろいろわかって面白い。たいへんだったんだなとも思った。学生さんたちの苦しみや生きづらさ、がんじがらめさ、そして被抑圧、狭く洗脳されたゆがみなどが伝わってきた。

と同時に、主流秩序という概念に出会い、揺さぶられて多くの学生さんたちが考え始めていることも伝わってきた。主流秩序論という思考道具を契機にこのように考えたりしている。
私から見れば、主流秩序の理解が間違っているものもある。浅いものもある。テキストを読んでいないなと思われる人もいる。
が、それも含めて、現実の学生さんの思想を反映した見解や反論・異論なので紹介していきたい。

本書で紹介する学生さんの多様な反応や意見は、他の人(読者のみなさん)にも、今の社会を考えたり、自分がどう生きるかを考えるときに参考になるかと思う。ジェンダー論を受講した皆さんにとっても、ほかの学生さんがどのように考えているのかを知るのはとても意義あることと思う。人の本音や歴史を聞くことは、多くの人にとって示唆に富むものであると思う。

 

主流秩序論は「こうした主流秩序の価値観にとらわれている人はダメで、さああなたも完全にこれから脱却していきましょう」というようなものではない。
主流秩序というものがあることに気づき、見つめ、自分の関わり、本音をさぐり、自分の生き方、自分はどのようにこれに支配されずに自由に生きるのか、そのできることを、悩んで、0から100のグラデーションの中で考えるものである。なかなか主流秩序から離れられない自分を見つめることに意義があると考えるものである。

だから抽象的に考えているだけでもいいが、できれば具体的な一歩を期待している。そのためにはまずは自分の囚われを見つめることである。それが書かれているレポートは面白い。しかし主流秩序にどう向かうかは、本気で自分の生き方の変革とつなげようと思うとなかなかスッキリとはいかない。
抽象論だと、テキストに書いてある言葉を使って適当にごまかせる。いわゆるきれいごとを書いて終われる。だが自分の今、今日からの具体的一歩だとそうはいかない。

「主流秩序を批判し、自分が完全にそれとは別に生きること」が正しいとして、そうならない人は皆、「ダメ、間違い、不正解」と批判して終わるといことに正論的な話はなりがちだが、私の主流秩序論は、そうはならないようにと思っている。つまり、正論と謬見(間違った意見)の間を問題にする、少しでもそこに真摯に生きることを考え、この世の不正義・少数派の苦しみに寄り添う姿勢があれば、その一歩に光を当てることでいいと思っている。なぜなら誰もが主流秩序に加担する加害性を持っていることを意識するからだ。   

この講義が、主流秩序という議論が、学生さんたちの中にある、ときには眠っていた「ちゃんと生きたい」という思いの増幅器になればうれしいと思っている。レポートにはその一部の手ごたえは感じた。

レポートということで一部の学生は「単位をとるために教科書や先生の意見に媚びて書いている」面があるだろうが、それを差し引いても文面から伝わってくる告白と自己考察には本気が見え隠れしているとおもう。

 

私から見れば、以下の学生さんたちの文章の中に、主流秩序にとらわれてしまっている側面をかぎ取ることは容易にできるが、同時に、矛盾しながらもなんとかちゃんと生きたい、不正には目をつぶりたくない、少しでも苦しむ人を助けたいという思いもまた嗅ぎ取れる。

だから「自分が正しいと思う地点100%の頂(いただ)き」から不十分な学生を批判するということではない。欠けている点・まちがっている点に焦点を当てて批判するのではなく、皆の言葉の中に、主流秩序から離脱しようとする前向きな気配をかぎ取りたいと思う。それを大事にしたい、希望をそこに見出したいと思っている。

 

だからこそ同時に、私は、主流秩序への加担について、自分を含めて厳しく見つめ、決して、坂を転げるように完全に100%主流秩序に従属していくような生き方(居直りの思考停止)を肯定しない厳しさを保持しようと思っている。具体的には、差別の正当化や加担、戦争する国家に加担すること、金もうけのためにはひどいことをしても平気という生き方を批判する。それは自分がちゃんと生きるためでもある。

 

正論を振りかざして、それ以外の99%を批判するのではなく、正論100%と謬見0%の間のすべてのパーセントの中に、大事なものをかぎ取ろうとするのが私の主流秩序論への思いである。


学生さんたちは、濃淡はあれ、「考え始めている」と思う。そこを皆さんに紹介することによって、きっとまたあなたの中にも何かが発動し始めると思っている。

 

なお、レポートの一部を紹介しているので、紹介した部分は、必ずしもその学生さんの一番言いたいことや結論というわけではないことを意識しておいていただきたい。私への反論や誤解、無理解にもいちいち反論はしないで、とにかくいろいろな意見、反応を紹介するのが本書の目的である。

 

なお、本書に掲載した文章は、掲載の許可を当該の学生さんから受けたもののみである。すごい実情がわかるとか、内容が素晴らしいのでぜひ紹介したいが、非常に個人的な内容のため出せないもの、本人が出すことを拒否したものもあり、それらは載せていない。残念だが仕方がない。掲載に協力してくださった学生さんには、ここで感謝の意を表したい。
またここに紹介したものは、ほんの一部である。すぐに第2弾も出すので、そちらも見ていただきたい。


∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞