ソウルヨガ

主流秩序、DV,加害者プログラム、スピシン主義、フェミ、あれこれ

表現の自由とアートと慰安婦問題

 

忙しいのでまた後日少しまと纏めますが、私は従来から差別する自由(表現の自由)はない、ということで、表現の自由を、主流秩序との関連、主流秩序の弱者の権利との関係でとらえていました。


参考
「性暴力被害者の声に耳を傾けず主流秩序にいなおる森美術館」ポルノ被害と性暴力を考える会編『森美術館問題と性暴力表現』(不磨書房、2013年)所収 

 

 

愛知トリエンナーレ問題を単純に、なんでも表現していいというような単純な話でとらえていることこそ、ヘイト発言や会田誠の擁護につながるので、まあ、ちゃんと伝えていかないとなと思っています。

 

慰安婦問題自体でどういうスタンスをとるのか。いまの日本社会での主流秩序、安倍政権の次々と愚かしい極右的動き、その一つの韓国と事をかまえろというようなナショナリズム、そこに簡単に乗っていくメディアと大衆、それが今回のトリエンナーレ問題にも反映しています。

 

ただ、安倍政権の愚かさが今回のことでもーー「も」です―――世界には明らかになったので、特に嘆くことでも驚くべきことではないと私は思っています。今回のことがなくても、ダメダメな状態が今の日本社会ですから。矛盾がうきぼりになるのはいいのではないかと思います。その意味で津田さんの試みには、一定の意味はあったと思います。


それをもたらした意味は結果的にはありますが、まあ対応全体が、もともと浅いので、津田さん自身の問題の表れと言う面もあります。


それくらい、慰安婦問題は深い思想性や立場が問われます。怖がって黙っているのも、ましてや右翼的言説に引っ張られるのも、明らかにダメすぎます。

 

私は、主流秩序が差別や抑圧をもたらしていると考えるので、この秩序を揺るがしたり批判したりするものを評価し、そうではなく、主流秩序に従属しているようなものを批判します。
慰安婦問題自体をちゃんと勉強し、日韓合意を最初からおかしいものと批判していた立場からしか見えないものがあります。
日韓合意が少しでもいいものと思っている時点で、あまりに日本内の右翼に引っ張られていると思います。