ソウルヨガ

主流秩序、DV,加害者プログラム、スピシン主義、フェミ、あれこれ

私の反戦論とジェンダー 

 

 

このブログで再録した私の反戦論にもあるように、

私がル=グィンから学び、戦争・暴力問題でたどり着いたのは、やはりジェンダーにかかわって「反マッチョ」つまり、「“勇敢に国の旗のために戦う”に対して、勇敢に戦わずに«国境»を越えて逃げる」というスタンスであった。

そこを理解しない人が多いということが、今回の状況でよくわかった。

 

また日本のフェミニストも、あまりウクライナ問題では発言していないような印象を持つ。

女性やフェミ系でも 非暴力型左翼でない人は多いということだろう。

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フェミであれ、左翼系言論であれ、リベラル系、であれ、「ナショナリズム反対」という人が少ないと感じる。ましてマスメディアや、学生の多くなどは、憲法を忘れ、自国ファーストとか、領土を守るために軍事力強化は当然と考えている。

 自国民族第一主義に反対である。国ではなく地球・世界の連帯として、平和な社会を目指して非暴力主義で抑圧と闘う。異なる者たちとも、平和共存の路線で生きていく。

被抑圧民族の自決権は認めるが、現代においては基本的に非暴力主義でしか勝ち目はないだろうと思う。

また反・主流秩序、ファミニズム、ジェンダーダイバーシティ、弱者の視点で生きていこうと思う。

したがって、「ウクライナが国を挙げて、ロシアと軍事的に戦うのが唯一・当然の道」「ゼレンスキー大統領は祖国防衛のヒーローで国民のために正しい選択をしている」ということに賛成できない。

 

憲法ナショナリズムを乗り越えている。

 

、〔前文〕

日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。

そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

 

〔戦争の放棄と戦力及び交戦権の否認〕

第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 

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いまさら、日本国憲法を持ち出さざるを得ないのは、憲法を忘れ、その精神に反することをいう人が圧倒的に多数になっているからである。右翼が憲法を改悪したいのは分かるが、多くの人びとが、「自覚なく右翼的になっている」ということである。

そして憲法の精神を言うとお決まりの言葉が「頭がお花畑」である。

自分の頭で考えない人よ、恥を知るべし、である。

 

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