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日本とドイツの映画=社会のレベルの違いーー『新聞記者』と『はじめてのおもてなし』

日本とドイツの映画=社会のレベルの違いーー『新聞記者』と『はじめてのおもてなし

 

参議院選挙だ。立憲やれいわや共産や社民などの良い候補が多く当選してほしい。
そんな中、安倍政権の愚かさを浮き彫りにしようとする意欲作映画『新聞記者』が公開され 多くの人が見ているようだ。伊藤詩織さんのレイプ被害事件を扱うなどその内容の方向性自体は全くまともなので、こうした政治を扱う映画がつくられ多くの映画館で公開され、一定の人が見ていることは喜ばしい。


ただ映画の質としては低くて少しがっかりした。話が単純で深みがない。脚本家と監督の力量の問題である。韓国ドラマのほうが数倍、政治・権力・腐敗・汚職をより深く面白いレベルで扱っている。メディアの問題を扱った作品でも『共犯者たち』(韓国政権の言論弾圧の実態をあばいたドキュメンタリー映画)などがある。エンターテイメントドラマでも、例えば最近見たものとしては『秘密の森~深い闇の向こうに』が、深く人間を描いていて面白い。「悪い奴」も複雑で二面的で悩みがあるのだ。そして「よい奴」もダメなところがあり、悪い奴と重なるところがあり、悪い奴の良いところも見るし、だれが悪い奴かも簡単にはわからない。


残念ながら『新聞記者』には登場人物の深みがなく、権力のだめさというすでに知っている情報をなぞっているだけなので、安倍的でない側の豊かさが見えない。
安倍的なものの真逆とは何なのか。そこを浮き彫りにするのが例えば韓国ドラマでは『マイ・ディア・ミスター 私のおじさん』だ。政治的ではないが、安倍を嫌う人の心意気が見事に映像となっている。

 

さて、人種差別主義者トランプにしっぽを振る安倍(政権、自民党)、それをあまり批判しない日本のメディアや人々という状況に対して、ドイツがメルケル(トランプに苦言を呈するのでとランプが嫌う政治家)を抱え、移民問題に苦しみながらもなんとか踏ん張っている状況が分かるすばらしい映画がある。
それがはじめてのおもてなしだ。

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邦題はいけてないが、内容は小作品ながら素晴らしく、なんとドイツの興行成績で2016年で第1位になった作品だ。


移民を受け入れるべきという一応リベラルな人のスタンス、あるいはあるべき理想(自由と寛容)と思うことが一定の力を持つ中で、でも本音では‥というところをくすぐり、ドイツも日本と同じくだめ社会で主流秩序がつよく、ナチ・反ナチの動きもある中での普通の人のドタバタを通じて、移民を受け入れるということの豊かさを描く。


「安倍=トランプ」に寛容な人が多い日本では、移民問題にこの深さで向き合う度量がない。だからこういう映画は流行らない。それは民度の差である。

アニマルライツで意識が非常に低く、IWC脱退に無関心で鯨解禁と言い、韓国を敵視することにも無関心でマサコサンのファッションで盛り上がるメディアを見ていると、日本人のかなりが簡単に洗脳され、幼稚化=ナチ化しているとおもえる。


そうではない国民が多いから、反トランプともいえる映画『はじめてのおもてなし』がウケるドイツ。


日本の安倍的なものの貧弱さを浮き彫りにするドイツや韓国の映画・ドラマの豊かさを共有したいと思う。そして実は日本にも少数だがそこを共有する人がいる。『新聞記者』を大きく超える才能ある人々がよい作品を多く作りそれが受ける国にしていきたいと思う。

 

●映画紹介情報
難民の青年を家に受け入れたことをきっかけに変化していく家族の絆を描いたドイツ発のコメディドラマ。ミュンヘンの閑静な住宅街に暮らすハートマン夫妻。現在は教師を定年退職し、暇を持て余す妻のアンゲリカ、大病院の医長を務める夫のリヒャルトの2人暮らしだ。ある日曜日、子どもたちが顔を見せ、久しぶりに家族全員が集まったディナーの席でアンゲリカが「難民を1人受け入れる」と唐突に宣言。夫や子どもたちが猛反対する中、アンゲリカに押し切られる形でハートマン家にナイジェリアから来た亡命申請中の青年ディアロが住むことになる。そのことによりストレスが急上昇したリヒャルトは部下にあたりちらし、職場で孤立。一方のアンゲリカは、ディアロにドイツ語を教え、庭仕事を指導するなど、かつての輝きを取り戻していく。そんな中、歓迎パーティでディアロをもてなすはずが、アンゲリカの友達のせいで警察沙汰の大騒動へと発展してしまう。

●ドイツ映画が面白い
『僕たちは希望という名の列車に乗った』

 

●なお日本でも、素晴らしいドキュメント映画はある
『アリ地獄天国』『主戦場』

『作兵衛さんと日本を掘る』