ソウルヨガ

主流秩序、DV,加害者プログラム、スピシン主義、フェミ、あれこれ

戦争法反対6

 

 

いまだからこそ、粘り強く、覚えておくこと。教育基本法改悪のこと、秘密保護法のことを覚えていることのように。

 

○世界中どこでも磁性体は戦争に行ける。

○どんな武器でも運べる。

○後方支援といっても、戦争そのものの一部。

○政府が総合的に決めるからなんでもあり。

○不十分点がわかっても、法案修正の上での次回国会への再提出でなく無理やり今国会で通す。どさくさで反対が大きくならないうちに通す作戦。通せば国民は黙る忘れるという考え。

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(論点検証 安保国会:3)後方支援は戦争参加か否か 「武力行使の一体化」巡り応酬

 

朝日2015年9月6日05時00分

後方支援をめぐる論点

 

 

安全保障関連法案では、戦闘中の他国軍に対し、自衛隊による「後方支援」が可能になる。参院審議では、支援といっても実質は戦争参加と同じだとの指摘に加え、弾薬提供など支援内容が広がることや、自衛隊員の安全確保策が明記されていない法案があることも質疑の焦点となった。

 

 審議中の法案のうち重要影響事態法案と国際平和支援法案は、戦争中の他国軍への自衛隊の後方支援を可能にするものだ。直接日本が武力攻撃を受けていなくても、「日本の安全に関わる事態」や「国際社会の平和や安全を脅かす事態」と政府が判断すれば、世界中で他国軍を支援できる。

 

 野党は他国軍への補給活動は、戦闘に欠かせない「兵站(へいたん)」だと指摘。憲法が禁じる「武力行使の一体化」にあたり、「日本が他国の攻撃対象になる恐れがある」と批判してきた。

 

 7月29日の参院特別委で共産党小池晃氏は自衛艦が米軍ヘリに給油する例を挙げ、こう追及した。「空母(型の自衛艦)で給油されたヘリが飛び立って攻撃し、戻ってくる。米軍と一緒に自衛隊が戦争をやっているとしかみえない」

 

 これに対し安倍晋三首相は「(他国の武力行使と)一体化しないというのは憲法の要請だ。後方支援を実施していく上では、戦闘現場にならない地域を実施区域に厳格に指定していく」と答弁。活動場所が戦闘の現場でなければ「一体化」にはならないと説明した。

 

 政府は、活動現場の近くで戦闘が始まれば、すぐに活動を中止すると説明する。あらかじめ広い地域を指定するより、他国軍のニーズの高い場所に自衛隊を派遣する結果、戦闘現場に近づくことになる。

 ■補給、弾薬の定義追及

 後方支援の補給・輸送活動も論戦の焦点になった。

 野党は、新たに補給が可能になった「弾薬」の定義を問題視。社民党福島瑞穂氏は7月30日の特別委で「弾薬は(提供できない)武器ではないのか」と質問。中谷元防衛相は「弾薬は一般的に武器と共に用いられる火薬類を使用した消耗品」と定義を示した。

 

 野党側はその後、「ミサイルは弾薬か」などとどこまでが弾薬に含まれるかを追及。「核兵器化学兵器、毒ガス兵器は輸送可能か」(8月5日、民主・白真勲氏)との質問も出た。

 

 中谷氏は一連の質問に「法律上一つ一つ明示的に除外する規定がなく、(除外の)必要があるとは考えていない」と説明。法的には可能だが、政策判断として実施しないと強調した。核兵器の輸送については、首相も「国是として非核三原則を表明している」と強く否定した。

 

 ■隊員の安全確保策焦点

 

 集団的自衛権の行使要件となる「存立危機事態」で、他国軍を後方支援する自衛隊員の安全確保策も論点となった。

 民主の福山哲郎氏は8月25日の特別委で「米軍等行動円滑化法案には(隊員の)安全確保の規定がない」と指摘。中谷防衛相は「(活動の)一時休止・中断や実施区域の指定に関する規定はない」と認めた。

 

 重要影響事態法案や国際平和支援法案は、支援活動中の自衛隊員が戦闘に巻き込まれそうになったら、活動を一時休止・中断すると明記している。首相は「安全確保について配慮した上で必要な支援を行う趣旨を含む」と答えた。だが野党は「法律で明確に規定すべきだ」と反発し、政府見解を求めている。

 (小野甲太郎)

     ◇

 次回は「日本の安全は高まるか」がテーマです。

 

■<視点>活動転換、本質に迫る議論を

 「手榴(しゅりゅう)(手投げ)弾は弾薬か」。共産党議員の質問をきっかけに野党は連日、様々な「弾薬」の名を挙げて質問した。後方支援の2法案に個別の武器や弾薬を除外する規定はない。法理論上は核兵器の輸送もできる。ただ、現行の周辺事態法も同様で、民主党政権も改正しなかった。

 

 問題点を訴えやすいテーマだが、各論の指摘だけでは法案の全体像は見えてこない。一方の政府も、野党の追及に「総合的に判断する」とはぐらかしを続けている。法案で自衛隊の活動がどこまで変わり、将来の安保政策にどう影響するのか。本質に迫る議論をすべきだ。

 (小野甲太郎)

朝日バッシングのおかしさが明らかになった 1

 

「韓国人従軍慰安婦を強制連行したというのは朝日新聞のでっち上げだった。慰安婦強制連行などなかった。朝日によって世界に誤解が流れた。朝日は国賊だ」

として、朝日バッシングが昨年巻き起こりました。毎日新聞までこれに乗って、朝日から毎日に乗り換えるようなパンフまで配りました。

 

しかし、この朝日攻撃事件の以前にも後にも、多くの本・資料でそうしたキャンペーン自体が間違いであることが示されています。しかし今だ、産経などは慰安婦問題でうそをまき散らし、不勉強なバカな議員等はそれを信じて発言し、ネトウヨも信じ込んでいます。橋下や安倍がその典型です。

 

その人たちにもわかるほどわかりやすい記事が出ました。

右派メディアは朝日新聞と記事を書いた植村記者を国賊と罵倒してきましたが、産経新聞の方が朝日以上に「強制連行だ」とはっきり書いていたのです。強制連行と書いても間違いではないし、挺身隊と書いても間違いではなかったのですが、「産経、読売、正論」をはじめ、多くの人はちゃんと勉強もせずに、強制連行の記述は間違いと思い込んでいます。

そしてそれは朝日新聞だけが書いた、朝日だけが悪いと思っています。

でもそうではなかった。朝日よりも先に1991年12月7日付けの産経が、「日本軍が韓国人慰安婦を強制連行した」と書いていたのです。とすれば産経などのキャンペーンは間違いでした。国賊サンケイ新聞だというべきでした。

 

だからこの慰安婦問題を先頭になって書いている2人の極右的記者、阿比留、原川は、その事実を突き付けられて何も言えなくなりました。事実上間違いを認めました。しかし、このことは全く広がっておらず、どのメディアも訂正記事を出していないし謝罪もしていません。

以下、2回にわたってのLITERA記事を紹介します。

それを読めば一目瞭然です。

 

 

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産経新聞従軍慰安婦報道」のみっともない真実(1)

慰安婦問題で右派からリンチ受けた元朝日・植村記者が産経の阿比留記者に反撃! 産経側の失態を次々と暴露

LITERA 2015.09.25

http://lite-ra.com/2015/09/post-1528.html

 

阿比留瑠比『歴史戦 朝日新聞が世界にまいた「慰安婦」の嘘を討つ』(産経新聞出版

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 朝日新聞がいわゆる「吉田証言」に関する従軍慰安婦関連の記事を取り消したことに端を発した昨夏の報道問題では、右派メディアやネット右翼たちが執拗に“朝日バッシング”を繰り返した。なかでもそのスケープゴートにされたのが、過去に従軍慰安婦の記事を2度執筆した、元朝日新聞記者・植村隆氏だ。

 

 植村氏の記事は朝日が虚偽だと認めた「吉田証言」とは無関係だが、右派メディアは、植村氏が1991年に元慰安婦の証言テープの内容を含むスクープ記事を出したことについて「事実上の人身売買であるのに強制連行されたように書いた」などとして、「植村は捏造記者だ!」と個人攻撃に血道をあげた

 

 そして、同時期の「吉田調書」報道の一部訂正や、安倍官邸と自民党が“朝日潰し”の動きを誘導したことで、植村氏は一連の朝日報道問題の“アイコン”に仕立て上げられた。非常勤講師を務めている北星学園には脅迫が殺到、さらに本人だけでなく娘にも殺害予告が届くなど、“リンチ”とも呼べる状況が続いたのである。

 

 それから1年後の今年8月4日、“朝日バッシング”の急先鋒だった産経新聞紙上に、植村氏のインタビュー記事が掲載された。

 

 インタビューしたのは、産経新聞政治部編集委員・阿比留瑠比記者。第一次政権時代から安倍首相べったりの論陣を張り、NHKの岩田明子記者とともに“安倍首相の助さん格さん”といわれている人物だが、阿比留記者はこの間の朝日叩きにも異常な執念を燃やし、植村氏に対しても、「(植村氏の)この誤った記事が慰安婦問題に火が付いた大きなきっかけとなった」(産経新聞2014年8月8日付)「植村氏もそうですが、朝日の方々は本当に誰も反省しない。『自分が悪かった』『自分の責任だ』との思考が欠落しているのではないかと思うほどです」(産経新聞出版『「正義」の嘘』所収)などといった批判を浴びせてきた。    つまり、今回のインタビューは、朝日問題勃発から1年、産経がエースの阿比留記者を投入し、植村氏を徹底的にやり込めてやろうとオファーしたらしい。実際、記事は1面、3面、27面を使ったもので、その内容も〈【植村元記者に聞く】「テープ聞いたの一度だけで記事書いた」〉〈【インタビュー詳報】証言テープ「僕は持っていない」〉という見出しをみてもわかるように、徹底して朝日と植村氏をこきおろすものだった。

 

 ところが、その紙面記事掲載から約1カ月後、“対決”は意外な展開を見せる。産経が8月29日からWeb版で全10回に分け、超長文の「インタビューの詳報」を改めて公開したのである。

 

この“詳報”は、産経側がインタビューに際して植村氏に「記事とは別に『一問一答』を載せる」ことを約束した結果で、会話をほとんどそのまま載せることになったらしい。

 

 そして、録音テープを一字一句書き起こしたようなその文章を読んでみると、産経紙面版とは180度正反対のやりとりが展開されていたのだ。

 取材している側であるはずの産経の慰安婦問題に対する不勉強、取材不足、思い込みが次々露呈。阿比留瑠比記者は、植村氏から逐一矛盾を指摘され、反論できずにたじたじになっていく−−−−。

 

 それでは、そのハイライトをお伝えしよう(以下、一問一答は産経新聞Web版からの引用/一部省略あり)。

 

 ──そもそも、取材当日、やってきたのは阿比留記者と外信部の原川貴郎記者のふたりだったが、実は、植村氏へのインタビュー申し入れは別の記者の名前で行われていた。植村氏がOKを出すと、当日、いきなり阿比留記者が現れたという。インタビューは本番に入る前に、植村氏の“逆質問”から始まった。

植村「突然、その、えーっと、取材担当者が変わったというのはなんか理由があるんですか」 原川「特にないんですよ。たまたまいただいた日にちというのがどうしてもその記者の取材が入っていて動かせないということで。そういう経緯です」 植村「ふーん」 原川「それじゃあもう一人、原川の他に誰を取材に行かせるかということで阿比留記者になったと…」 植村「なんとなく裏読みする人がいてですね、阿比留記者が最初から申し込んだら植村が断るんじゃないかと」 阿比留「はは」

 率直に言えば産経側は“騙し討ち”を狙っていたわけだが、植村氏がなぜ最初にこの質問から入ったのかというと、「植村は産経から逃げ回っている」という言説がネット上に出回っているからだった。産経も紙面で植村批判を繰り返し、昨年12月には〈【朝日慰安婦報道】植村氏は産経の取材を受けよ〉との見出しで、あたかも植村氏が産経の取材から逃げているかのような印象を与える記事まで載せていた。

 

 しかし、事実はそんなことはなく、植村氏は過去に文書での回答はしているし、1月には会見で会った当の阿比留記者から「取材をさせて欲しい」と言われ、その場でOKまでしていたのだが、いくら待っても正式な取材依頼が来なかったという

 

そのことを植村氏に追及された阿比留記者は「その後は植村さんにスポットをあてる理由が特になかった」などとシドロモドロに。一方、植村氏は「せっかく阿比留さんが来たんで、これは私にとっても、とっても大事なチャンス」とやる気満々。植村氏の“逆質問”はさらに続く。

 

植村「あのー、私は、『歴史戦』(産経新聞出版)という本を読ませていただいて。ここに  阿比留さんの序文がありまして、ここを見るともういきなり植村の話が出てくるんです」 阿比留「ああ、質問のところですね」 植村「質問のところね。これ、阿比留さんの文章だと思うんですけど、『記事では(元慰安婦の)金(学順氏)は匿名となっていたが、親から売られたという事実への言及はなく、強制連行の被害者と読める書きぶりだった』というのが書かれていた。これについてちょっと最初に教えてほしいの。やっぱりこれだけの部数の本にこういうふうに書かれているということでね。これ、一体どういうことですか。『親から売られたという事実への言及がなく』というのはどういう意味ですか」

 

 ここは解説が必要だ。植村氏が書いた慰安婦に関する署名記事は2本ある。まず、1991年8月11日付朝日新聞(大阪版)に掲載された最初の記事は、元従軍慰安婦だった女性の一人がソウルに生存していることがわかったというもの。この女性は、後に日本政府に対して戦後補償を求める訴訟に加わり有名になった金学順さんだが、報道は韓国で慰安婦の実態調査をしている「韓国挺身隊問題対策協議会」(挺対協)が聞き取り調査をはじめ、聞き取りテープを公開したという内容だった。

 

 ふたつ目の記事は、この金さんが訴訟に向けて弁護団の聞き取りを受ける際に弁護団に同行し、金さんが語った生い立ちや慰安婦にされる過程を書いたもので、同年12月25日付の朝日新聞(大阪版)に掲載された。

 

 ここで問題になっているのは、ふたつ目の記事に関することで、金学順さんの経歴が縷々書かれているのに、金さんが母親に40円で「妓生を養成する家」(キーセン学校)に養女に出された(売られた)事実が触れられていないというものだ。キーセンとは韓国の芸者のことで、売春婦ではない。ところが、阿比留記者ら右派メディアは金さんがキーセン学校に通っていたのだから、自らの意思で売春婦にちがいなく、それを書かなかった植村氏の記事は意図的だと批判しているのだ。ところが、これに対して、植村記者がこうつめていく。

 

植村「ちょっと待って。要するにキーセンに売られたことが問題なんですか」 阿比留「私は重要なことだと思っているんです」 植村「キーセンに売られたということと慰安婦になったことがどう関わっていると…」 阿比留「例えば、売春婦という場合もありますけども、いわゆる軍関係じゃなくて。すでにキーセンに40円で売られた段階で、そういうふうになる可能性がですね、当時の朝鮮、日本でも似たようなものだったといいますか、あったわけですから、そういったことを個人の来歴の中ですね、どういう育ち方をしたかということについて重要だと私は考えました」 植村「可能性があるということで、個人の、まあ売春婦みたいな、可能性があるということでそういうのを書く必要があるんでしょうか」 阿比留「あのー、その人のですね、どういう立場でどういうふうな暮らしをしていたかということはやはり必要だと思いますね」

 

 当然のように「キーセンに売られたことを書くのは必要」と主張する阿比留記者。すると、この答えを受けて、植村記者は意外な事実を突きつける。

植村「ああ、そうですか。(言いたいことは)分かりました。じゃあ産経新聞は、親から売られたというのを当時、書かれていたんでしたっけ」 原川「キーセンについては、当時の訴訟を受けての記事などでは、そういうくだりはありませんね」 植村「個人の来歴を、もし仮に阿比留さんが必要だと思えば、当時、産経新聞は書くべきだったんですかね」 阿比留「私は産経が、過去の記事全部をチェックできているわけじゃないので分かりませんけれども、書いた方が正確であろうと思います」 植村「なるほどね。書いた方が正確だったと。分かりました。それはまあ、あの、意見ですね」

 

 “朝日植村は金さんがキーセン出身だったことを書け”“最初から金目当ての売春婦だったのではないか”などと主張していた産経も紙面ではこれに言及していなかったのだ。いや。産経だけではない。1991年12月6日の金学順さんらの提訴を報じた5つの全国紙は、どこも「キーセン学校」の経歴を書いていなかった。

 

 しかも、驚くべきは、植村記者に問われた阿比留記者が、「過去の記事全部をチェックできているわけじゃない」と回答したということだろう。

 そもそも、他社の慰安婦報道について批判するならば、最低でも比較するため、自社がどのように扱ったかぐらいは把握しておかねばならないだろう。だが、阿比留記者は自社の記事も読まないまま、朝日と植村記者を口撃していたのである。

 

 まさに赤っ恥だが、これはまだ序の口。産経と阿比留記者は次々に失態をさらけ出す。

 次の論点になったのは、植村氏が最初に書いた記事の前文(リード)に〈「女子挺(てい)身隊」の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた……〉という文言があったことだ。日本国内では「挺身隊」といえば軍需工場などに勤労動員する組織のことを指していたことから、阿比留氏ら右派メディアは、植村氏がわざとこの両者を混同・誤用し、さらには「連行」という言葉を使って、人狩りのようなかたちの「強制連行」をイメージさせたと主張したのだ。

 

 だが、これについても植村氏は逆質問で、阿比留氏を追いつめていく。

植村「それからもう一つ。強制連行の被害者だという書きぶりだったと。これはどういうふうに」

 実は、植村氏の記事には「強制連行」という言葉はいっさい出てこない。植村氏自身も、金学順さんが(吉田清治証言にあるような)暴力によって無理やり連れ去られたという認識は当時もいまもないと一貫している。ただ、父親が死んで家が貧しかった金さんが「そこへ行けばお金が稼げる」と騙され、本人の意に反して戦場で売春行為を強制された事実は間違いないとの判断にはブレがなく、そのことは記事にもきちんと書いている。

 

阿比留「女子挺身隊の名で戦場に連行されたという、『戦場に連行』というふうにされると、連行にはそもそも強いるという意味がありますからね、強制連行を意味するんじゃないかなあと普通は読めるわけですね

植村「うーん、なるほどね。普通は読めると…。(言いたいことは)分かりました」

ところが、金学順さんが「連行された」という表現は、植村批判の急先鋒である東京基督教大学教授の西岡力氏も、産経の月刊誌「正論」の中で使っていたのだ。植村氏は、阿比留記者らにそのことを指摘する。

 

植村「この場合の連行というのは、原川さんどういう意味ですか。強制連行の意味ですか」 原川「ま、あの、強制連行というか、ま、あの、どこかに連れて行かれたんだろうなと…」 植村「だから僕もどこかに連れて行かれたんだろうかなという、原川さんと同じ考えで使ったんですよ」 阿比留「でも『戦場に連行』と書かれています」 植村「じゃあこの(西岡氏の論文中の)『連行』というのは強制連行の意味にとるんですか」 阿比留「それは西岡さんに直接聞いていただかないと、無責任に答えるわけにはいかない」

 

これまで植村氏の記事については植村氏に直接聞くこともなく、“無責任”に「強制連行の被害者と読める書きぶりだ」と批判し続けてきた阿比留記者が、西岡氏の論文については「本人に直接聞かないと」と言葉を濁した。

植村氏は、西岡氏がどういうつもりで書いたのかを聞いているのではなく、阿比留氏が西岡氏の文章にある「連行」という言葉をどう読むかと聞いているのだ。ついに、阿比留氏の論理破綻が始まった──。

 

植村「じゃあ最後に。『強制連行の被害者と読める書きぶりだった』とあるんですけど、私は何回も繰り返しているから阿比留さんももちろんご存じだと思うんだけど、だまされたって書いてはいるんだけど、これってやっぱり強制連行の被害者と読める書きぶりと、阿比留さんは判断される」 阿比留「やはりリード(前文)を読むとですね、『女子挺身隊の名で戦場に連行された一人が』と書いてありますので、これは強制連行というふうに普通、読めるんじゃないかと思います」 植村「読めるんじゃないかと。もう一つ質問させて欲しいんですが、ところで強制連行って書いたらまずいんですか」 阿比留「強制連行?   まあ、主語が問題ですよね」 植村「じゃあ僕がもし仮に強制連行と書いたとしてなんか問題があるんですか」 阿比留「要は主体がですね軍や官憲による強制連行であるか、あるいは民間の業者や、女衒その他もろもろが無理矢理引っ張っていったと。主語、主体が誰によるかによって全然話が違ってくると思うんですね」

 

 阿比留記者の理屈によると、「強制連行」と書くと、必然的に民間業者ではなく軍や官憲(警察)が関与したと読めるようになる。金学順さんについては軍や官憲が関与した事実はないのに、植村氏の記事ではあたかもそう読めることが問題なのだと主張し始める。

 

植村「なるほど。で、私の記事も軍や官憲が強制連行したみたいな書きぶりだったというふうに解釈されたの?」 阿比留「最初の女子挺身隊の名で戦場に連行されと書くと、軍や官憲が主体であろうと普通は考える。それは植村さんの意図がどこにあったかは、これから、後で話していただければいいんですけど。そう読み取れるということです」 植村「そうするとやはり金学順さん、軍や官憲じゃないのにあれを書いたから強制連行と読める書きぶりだったというふうに書いているわけだね」

 

 ここで、植村氏はやおら1991年12月7日付の産経新聞(大阪版)の記事を取り出した。それを見て絶句する阿比留記者──。この続きはぜひ、次回を読んでほしい。 (野尻民夫

 

朝日バッシングのおかしさが明らかになった 2

 

 

 

産経新聞従軍慰安婦報道」のみっともない真実(2)

「韓国人慰安婦を強制連行」と書いたのは朝日でなく産経新聞だった! 植村記者に論破され阿比留記者が赤っ恥

2015.09.26   LITERA

http://lite-ra.com/2015/09/post-1529.html

 

 昨夏の朝日報道問題で「捏造記者」の濡れ衣を着せられた元朝日新聞記者・植

村隆氏と、「安倍晋三シンパ」の3本指に入る産経新聞の名物編集委員・阿比留瑠

比記者との"インタビュー対決"が話題になっている。

 

 と言っても、産経新聞紙上に掲載された記事のほうではなく、その後、産経の

Web版で公開された"インタビューの全文書き起こし"と見られるやりとりについて

だ。なんと、そこには、"ホーム"であるはずの産経の阿比留記者と同行した外信

部・原川貴郎記者が、"アウェー"の植村氏に論破され、くるしい言い逃れに終始

している模様が描かれていたのである。

 

 本サイトは前回、そのインタビューに至る経緯や、前半のハイライト部分を紹

介した。今回解説していくのはその佳境、いわば"KOラウンド"だ。引き続き、一

問一答を産経新聞Web版から引用(一部省略)しつつ、"対決"の様子を解説席から

お届けしていこう。

 

 ──産経側はかねてから、植村氏が1991年にスクープした慰安婦問題の記事に

ついて、"元慰安婦の金学順さんがキーセン(韓国の芸者)として人身売買された

ことを隠し、「女子挺身隊」として国家によって強制連行されたように書いた"と

主張していた。しかし実のところ、植村氏の記事には「強制連行」という言葉は

いっさい出てこない。だが、阿比留氏らはそれでも"植村記事の「女子挺身隊の名

で戦場に連行され」との記述は、軍や官憲の指示で「強制連行」が行われたとし

か読めず、虚報である"と言ってはばからない。

 

 そんななか、インタビュー中、植村氏が、1991年12月7日付の産経新聞(大阪版)

をおもむろに取り出し、阿比留記者に見せると……。以下はそのやりとりだ。

 

植村「一つお聞きしたい。そうしたら、阿比留さん、この記事はどう読む?」

阿比留「ああ、(記事は)間違っていますね」

植村「間違っている?」

阿比留「はい」

植村「どこが間違っているんですか?」

阿比留「『日本軍に強制的に連行され』という(部分)」

植村「これは産経新聞の記事ですね?」

阿比留「だから、うちが間違っているんですね」

植村「訂正かなんかやられたんですか」

阿比留「これは今日、初めて見ましたから訂正したかどうかはちょっと分かりま

せん」

 

 まるで、急激に青ざめていく阿比留記者の顔色が見て取れるかのようだ。植村

氏が示した産経新聞の記事には〈金さんが17歳の時、日本軍に強制的に連行され、

中国の前線で、軍人の相手をする慰安婦として働かされた〉とハッキリそう書い

てあった。これは金学順さんの記者会見での発言を元に書いたものだという。さ

らに、1993年8月31日付の産経新聞大阪本社版にはこんな記事も載っていた。

 

〈太平洋戦争が始まった1941(昭和16)年ごろ、金さんは日本軍の目を逃れるた

め、養父と義姉の3人で暮らしていた中国・北京で強制連行された。17歳の時だ。

食堂で食事をしようとした3人に、長い刀を背負った日本人将校が近づいた。「お

前たちは朝鮮人か。スパイだろう」。そう言って、まず養父を連行。金さんらを

無理やり軍用トラックに押し込んで一晩中、車を走らせた〉。

 

 日本軍が暴力によって現地の人々を強制連行していく──まるで「吉田証言」

のような話である。しつこいようだが、これは産経新聞の記事だ。

 

植村「これも強制連行ですね。両方主体が日本軍ですけど、それはどうですか」

阿比留「間違いですね」

植村「間違いですか? ふ~ん。これがもし間違いだったら、『朝日新聞との歴史

戦は、今後も続くのだと感じた』って阿比留さんは書かれているんだけど、産経

新聞の先輩記者と歴史戦をまずやるべきじゃないですか。原川さんどうですか」

原川「私、初めて見ましたので、どういう経緯でこうなったか、どこまで調べら

れるか。これちょっと日付をメモらせてもらって」

植村「いや、あげますよ。調べて、間違いだったらそれがどうなのか、どうする

のかも含めて知らせてください。歴史戦というものは、もし歴史戦を皆さんがや

っておられるんであれば、たぶん真実のためにやっておられると思うんです。皆

さんがね。であれば、先ほど間違ったとおっしゃったことに対しても、謙虚に向

かうべきだと思います」

 

 なんのことはない。「朝日は世界中に慰安婦に関する嘘をばら撒き、日本を貶

めた」と批判している産経新聞こそが、「(金学順さんは)日本軍に強制連行さ

れた」とハッキリと報道していたのである。ちなみに、朝日には金学順さんに関

して「強制連行」と書いた記事はひとつもない。なぜなら、第一報を書いた植村

氏に、金さんが強制連行されたという認識がなかったからだ。

 

 そして、何より驚くのは、産経新聞慰安婦報道の先頭に立っている2人の記者

が自社の慰安婦報道についてほとんど把握していなかったという事実である。他

社に対して"歴史戦"を挑むというなら、まずは自社の報道ぶりを検証するのが最

低限の作業だろう。しかし、それどころか、阿比留記者らはまさに自分たちが批

判している植村氏の記事すら、きちんと読んでいなかったようなのだ。

 

 いったい、彼らは何と戦っていたのだろうか。真実を探索するという本分を忘

れ、"朝日叩き"それ自体が目的化しているとしか思えない。これはなにも、阿比

留記者個人だけの話ではないだろう。昨夏以来、ある雑誌は、こんなふうにして

「朝日慰安婦報道の検証」に気炎を上げていた。

 

「廃刊せよ! 消えぬ「反日」報道の大罪」(14年10月号)

「言い逃れは許されない 「慰安婦」報道の国辱責任」(14年11月号)

「決定版40ページ! 朝日慰安婦報道「有罪」論」(15年4月号)

「訂正1年 朝日は「慰安婦」を反省したか」(15年9月号)

 

 すべて、産経新聞社刊行の論壇誌「正論」の表紙に踊った見出しである。産経

新聞社は、自社の慰安婦「強制連行」報道を訂正せぬまま、しかも、社員記者た

ちは植村氏の記事をまともに読んですらいないまま、この1年間、ひたすら「廃刊」

「大罪」「国辱」「有罪」と、がなりつづけていたわけである。

 

 この時点ですでに勝負あったというのはおわかりいただけただろうが、上で解

説したのは、長い長いインタビューのほんの一部の入口に過ぎない。

 

 その後、インタビューは一連の植村氏からの"逆質問"が終わり、攻守が代わる。

ところが、阿比留記者らからの質問は本当に重箱の隅をつつくようなものばかり。

その典型が今年8月4日付の特大記事でも執拗に見出しに使われている「証言テー

プ」に関するものだ。阿比留記者らはこのテープの存在に異様にこだわり、「テー

プはいまどこにあるのか?」「テープを聞いたのは一度だけか?」「たった1回聞

いただけで記事にしたのか?」「テープには『挺身隊』という名前は出てきてい

るのか」という質問が繰り返される。

 

阿比留「それでですね、私ども、ちょっと不思議なのはですね、誰とも分からな

い、挺対協が出元とはいえですね、誰とも分からない、名前も分からない、証言

テープだけですね、しかも1回聞いただけでですね、このような記事にできるもの

かなあと不思議なんですね」

植村「うーん、なるほどね」

阿比留「記者の作法としてですね」

 

 阿比留瑠比は1966年生まれ、植村隆は1958年生まれ。記者としての経験は植村

氏のほうが明らかに長い。ここで植村氏が再び問うた。

 

植村「阿比留さん、僕の記事(1991年8月11日付朝日新聞大阪本社社会面記事)っ

て読まれたことあります? きちんと」

阿比留「きちんとと言うか、どの記事ですか」

植村「だから僕のその、批判されている記事」

阿比留「ああ、読みました」

植村「じゃあ、ちょっと見てみましょう…」

 

 植村氏の記事は新聞記者として訓練を受けた人なら誰でもわかるような基本的

セオリーに則って書かれている。植村氏はまず、当時のソウル支局長から聞いた

「ソウルにいる元朝鮮人従軍慰安婦の女性が語り始めたらしい」という情報を元

に、以前から取材で知り合っていた挺対協の尹貞玉・共同代表に取材を申し込ん

だ。ところが、証言者はマスコミの取材を受けることを拒否しており、名前も教

えられないと言われた。だが、挺対協が聞き取りをしたテープは聞かせてもらえ

るということになり、植村氏は、元慰安婦の証言テープを聞いた上で、尹代表の

話を元に記事を書いた──という経緯である。

 

 したがって、記事はこの経緯に沿って(1)元慰安婦の女性がソウル市内に生存

し、挺対協が聞き取り調査を始めた、(2)挺対協は女性の話を録音したテープを

記者に公開した、(3)以下、挺対協の尹代表らによると……という構成になって

いる。つまり、テープはあくまでも尹代表らの話の真実性を裏付ける材料のひと

つに過ぎず、記事は尹代表らの話を元に書かれているということだ。もし、この

報道が"記者の作法として"許されないのだとしたら、警察の発表記事などいっさ

い書けないことになってしまう。いまや産経の「顔」とまでいわれる阿比留記者

が、それを知らないはずはないのである。

 

 もうひとつの争点(?)である「慰安婦」と「挺身隊」の混同・誤用問題も、

植村氏の話には説得力がある。これは朝日新聞社も昨年8月の検証記事では混同が

あったと認めているが、植村氏の主張によれば、そもそも当時の韓国では「慰安

婦」という言葉は一般的でなく、この問題に関心のある学者も調査団体の関係者

も、あるいは元慰安婦の人たち自身も、みんな「挺身隊」という言葉を使ってい

たというのだ。「挺身隊」は韓国語で「チョシンデ」という。金学順さんが名乗

り出たときも、「チョシンデハルモニ(挺身隊のおばあさん)がついに名乗りを

上げた」と言われたそうだ。なにより、韓国の慰安婦問題に関する調査団体が

「韓国挺身隊問題対策協議会」と名乗っていることからしても明らかだ。

 

 当然、当時は日韓の新聞の多くが「挺身隊」という言葉を使っていた。1991年

9月3日付産経新聞大阪本社版には〈『挺身隊』の名のもとに、従軍慰安婦として

狩りだされた〉と、ほとんど植村氏の記事と同じ表現が使われている。読売も、

毎日も例外ではない。にもかかわらず、植村氏だけがバッシングされ、新しい職

場に「辞めさせろ」「殺せ!」といった抗議や脅迫が届くといった事態が起きて

いるのだ。いかに異常なことかがわかるだろう。

 

 しかし、植村氏は「他紙も間違っているではないか!」とは非難しない。それ

は、どの会社のどの記者も、その時代時代で真実を追求しようと一生懸命に取材

し、記事を書いた結果だからだ。実際、阿比留記者らをそう諭す場面もある。

 

 だが、一方の阿比留記者らは、植村氏が韓国語ができ、韓国の留学経験もある

韓国の専門家だから一般の記者とは違う、といった訳のわからない理屈を展開し

ようとしたり、阿比留記者も原川記者も実は元慰安婦を直接取材したことがない

ということが明らかになったり(理由は「韓国語ができないから」。植村氏も

「通訳を使えばできるよ」と当然のツッコミを入れている)、とにかく読みどこ

ろ満載の"インタビュー対決"なのだ。

 

 しかも、産経がみっともないのは、8月4日付の紙面で〈「強制連行」「挺身隊」

本紙も過去に使用〉とこっそり記事を載せている点だ。元朝日記者の植村氏から

の指摘でわかったということにはいっさい触れず、謝罪も訂正もしていない。朝

日新聞に対して「廃刊してお詫びしろ」と迫っていたのに、自分たちの誤報に対

するこの態度はいったいなんなのか。

 

 しかも、これは「産経は正義、朝日は廃刊しろ!」と叫んできた右派知識人や

ネトウヨたちも同罪だ。

 

 そもそも朝日新聞バッシングは最初から右派メディアと官邸によって恣意的に

仕掛けられたまったく中身のないものだったのだ。「国賊」という言葉は、朝日

ではなくバッシングを仕掛けた連中にこそぴったりの形容詞である。

(野尻民夫)