ちらっと国会の議論を聞いたが、安倍首相が「ああいえば上祐」状態だった。
理屈はどこにでもつくという典型。
口が軽く、平気でうそも言う男だから、ぺらぺらと論争する。
彼の政治とはそういうものなんだ。
すこしでも、ことを改善するために、時には野党とも、腹を割って話し、妥協したり、ことを進めようとは思っていない。
こういう人とは、理屈の言い合いは無限にできるが、逆に言うと無限に続く。
私はだから主流秩序という基準を持ってくるし、スピリチュアリティというものが大事と思う。
スピリチュアリティ基準では安倍はほんとうにひどい人物となる。彼に「大事なもの」が見えていないということが指摘できる。違いは頭の賢さでなく、〈たましい〉の差なのだ。
また主流秩序の加担をする安倍に対して、私(たち)は主流秩序を変えようとしたり、主流秩序の下位を重視したり、主流秩序に反逆することを重視する。違いはそこではっきり出ている。
過去の政治なら、安倍のような人に対しては、理屈ではどうにもならないから、武力での戦いになったり、大衆運動、大衆団交など《力》の戦いが突破口となった。
今、そういうものが弱くなっているが、去年、反安保で、又反原発で、一部動いている。
ことは法律や理屈や合理性や科学では決まらないということがわかる人とわからない人がいる。
運動を嫌い、理屈で何とかなると思って主流秩序に加担している奴らが嫌いだが、そういう人がのさばっている日本社会だ。
野党がいいことを言っていても、官僚的答弁で答えないで逃げ続けるようなことを、許すのが今の主流メディアだ。
一方で、大学で立て看板を立てて授業を少し妨害したということで、逮捕まで行い、繰り返し全国の放送で報道される。そういう事をおかしいと思わない人が99.9%の社会。
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