『シン・ゴジラ』はつまらない「自衛隊宣伝映画」にすぎない。オコーナーの《たましい》との落差
『シン・ゴジラ』を高く評価する人がいるが、浅い哲学の、たんなる怪獣と戦う映画だ。
敵が攻めてきた、でも今の官僚的な日本の政治システムではだめだといって、今後はもっと機動的に戦かえるようにならないといけない、と訴える軍拡主義者・右翼の世界観と合致した、軍国主義化応援映画、自衛隊宣伝映画に過ぎなかった。
こんな底の浅い宣伝に加担する人も人だが、それを評価する人が信じられない。
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昔の映像にちょうど触れたので、このシンゴジラと真逆のレイヤーでのありかたのことを。
ボブデュラン30周年記念コンサートで、米国の保守派がシニード・オコーナーにブーイングをしたが、それに対して「WAR」をうたった彼女の心意気のようなものと正反対の、ブーイングする程度の人が増えている日本。 不寛容化、幼稚化している。
オコーナーは、なぜブーイングされたか。 1991年、アメリカでのコンサートで、戦争する米国の国歌斉唱をボイコットしたから。また1992年児童虐待問題で公然とローマカトリック教会を批判したから。そしてNBC生番組で児童虐待に抗議してローマ法王の写真を破り捨てる行為をしたから。
彼女はデュランの「アイ・ビリーブ・ユー」を歌う予定だったが、コンサート会場の一部ブーイングに抗議して、ボブ・マーリーの「ワオー」をアカペラで歌った。 そして
「悲しい人間の支配欲、児童虐待、この非人間的な隷属が 完全に排斥されるまで 世界中すべてが 戦争」
といった
それは美しい魂の叫びであった。
そういうものから遠いところにあるシンゴジラに見るノーテンキで底の浅い腐敗状況、日本のこの保守化。
ボブ・マーリー「ワオー」
http://www.zapkolik.com/video/bob-marley-war-564391
歌詞一部
ある人種が勝り ある人種が劣るという考え方が ついに そして永遠に葬り去られるまで
世界中すべてが 戦争 私は戦争だと叫ぶ
市民を1級市民と2級市民というように階級に分けて差別する国がなくなるまで
肌の色の違いが目の色と同じく何の意味もなくなる日まで
私は戦争だと叫ぶ
基本的人権が人種の差別なく誰にでも保証される日まで
私は戦争だと叫ぶ
西も東も 北も南も 世界中すべてが 戦争