テレビドラマ『民衆の敵』が終わった。
韓国ドラマ『根の深い木』や『レディ・プレジデント』に遠く及ばない、日本の政治の質の低さを反映したものだった。
高橋一生が、大きな政治をするには濁った水も飲まないといけない、多数派のためには少数派の犠牲もやむを得ない、ということで、自民党的政治をいうのに対して、
篠原涼子は市民派地方議員が直接民主主義的なスタイルでやっていくといいつつ、普通の庶民は仕事に忙しくて政治のことなどよくわからないから代行的=パターナリズムナリズム的にやってあげないとダメというスタンスで対抗。
どっちも日本の古い政治状況の反映のまま。
何がないって、政治家でないひとによる社会運動、ひとりひとりの「戦い」の観点がない。
もっといえば、現場での主流秩序の解体という実践の観点がない。
高橋も篠原もパターナリズム、前衛党主義のまま。 「権力」観点が古いから。
まだ米国ドラマ『スキャンダル』のほうが権力の腐敗の絶望を見ているから、すごみがある点で、マシ。