ソウルヨガ

主流秩序、DV,加害者プログラム、スピシン主義、フェミ、あれこれ

つじもと清美さん、国会議員として躍してほしい

 

 

先ほど「要 友紀子(かなめ・ゆきこ)」さんをお勧めしましたが、もう一人、

もちろん、昔から最も尊敬する政治家の一人である辻元清美さん(つじもと清美)も、今回、参院選比例代表に立候補したので、名前(つじもと清美)を書いてあげてほしいです。

立憲民主党共産党社民党、れいわ新選組 それぞれふえてほしいです。

 

戦争へ近づく時代です。ロシア侵攻の中で一層ナショナリズムに多くの人が取り込まれ、軍事主義に取り込まれ、憲法を大事にすることがむつかしいというとんでもない状況です。

だからこそ、魂のある政治家を一人でも増やしたいです。

 

米国ドラマ「サバイバー」があり、そのリメイク版韓国ドラマ「サバイバー 60日間の大統領」があり、国家のリーダーのむつかしさ、ある種のリアルを描いてます。

私は主流秩序論で民主主義政治や選挙の限界、メディアの主流秩序への従属を指摘し、これら政治を使う娯楽作品を通じても、だから政治はだめだな、と思わずにはいられません。政治には嫌悪感をもち、そこに私は期待できませんが、仕方ない。ましにするには、リアリズムの中での政治もいるでしょう。

 

選挙のときにはましな政治家を選ぶしかない。ただ大きな流れのなかで深い問題(主流秩序の中に取り込まれている)があるので、小手先で選挙頑張っても限界があります。

それでも、それぞれ他のところで皆が踏ん張ると同時に、選挙でも、できることをするしかない。

とりえず、立憲民主党という政党名でなく、辻元さんの名前を書いてもらうことがいいかなと思います。ご検討ください。

( 注:投票用紙は2枚あり、1枚目は都道府県代表を書く。

二枚目(白色)は全国比例代表を書くもので、政党名か、個人名を書きます。辻元さんという個人名を書くことでその人が当選しやすくなります)

 

 

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辻元清美さん「人の声をいっぱい聞ける今は学び直しのチャンス」

毎日新聞

2022/6/5 08:45(最終更新 6/5 10:11) 

 

辻元清美さん

 「小学校の低学年のころは転校ばかりでしたから友達もできないし、人前で自分の名前も言えない引っ込み思案の子どもでした」

 国会で多くの政治家と舌戦を繰り広げてきた論客の辻元清美さんからは想像もつかない。

影響を与えてくれた恩師たち

 「父の仕事の都合で、関西では覚えてるだけでも大阪の阿倍野、古市、玉造、堺、高槻、生野、新大阪と転々としました。今も年老いた両親と高槻に住み続けています」

 人見知りだった辻元さんの性格を変えたのは、小学校3年の時の担任に、いきなりプールに放り込まれたのがきっかけだった。「突然、性格が変わったんです。どんどん活発になっていって、学校が楽しくなっていった」

 校区の関係で大阪の名家の子どもたちばかりの小学校にも通っていたころ、学校から呼び出された。このレベルじゃ進学は難しいと母親が言われたのが悔しかった。

 「同級生は家庭教師や塾に通っていたけど、わが家は貧乏で通えない。仕方なく教科書をひたすら暗記しましたよ。いくら読んでもタダやしね。そうしたら成績がオール5になって、いつの間にか優等生になってました」

社会の不条理に挑んだ青春

 国際交流を目的に毎年多くの若者が参加するピースボートは、辻元さんが学生時代に立ち上げたNGO(非政府組織)だ。

 当時、予備校で英語教師として教べんを執っていた小田実氏(作家・評論家)との出会いが辻元さんにとって転機となった。

 「彼の著書『何でも見てやろう』を高校時代に読んで感銘を受けていたので、予備校に入ってすぐに会いに行きました。多くの社会問題に対して、何とかしたいという漠然とした思いが私なりにあったんでしょうね。小田さんの活動のお手伝いを経て、大学の同級生とピースボートを立ち上げました。経理関係から寄港国の交渉まで粘り強くやりましたよ」

 交流船を寄港させる交渉で各国の担当者と渡り合い、その中には後に中国の国家主席となる胡錦濤氏もいたというエピソードからも、物おじしない行動力がうかがえる。

思いもよらなかった政界進出

 「ピースボートの日々の仕事に疲れ果てていたんでしょうね。突然、じんましんが全身に発症しました。とにかく生活を変えないとあかんと思ってたんよね」

 社民党党首だった土井たか子さんに政界へ誘われたのはそのころだった。「当選するなんて思ってなかったけど、土井さんのアシスタントでもやって、じんましんを早く治そうという軽い気持ちやったのに、当選してしまった。国会議員になった途端にじんましんも消えちゃいました」

 高槻の自宅に戻れば、夜中でも断捨離を断行して捨て過ぎることも。「今の趣味といえるのは、断捨離しまくることと、うどんの食べ歩きかな」。遊説で全国を回る時や、ここ一番の勝負時には、必ずうどんを食べるという。

 「うどん食べると、なんか頭がようなる気がするねんな」

 今は全国を回ってさまざまな人の意見を聞けるのがとても刺激的だという辻元さん。予備校に通っていたあのころに戻ったと感じている。よくしゃべる高槻の辻元さんは、まだまだ休めそうにない。(取材・文 石原卓

つじもと・きよみ 1960年、奈良県生まれ。96年、衆議院選で初当選。NPO法、被災者生活再建支援法など数々の議員立法の成立に尽力。民主党鳩山由紀夫内閣にて国土交通副大臣を務め日本航空の再建にも取り組んだ。2021年の衆院選で落選。現在、立憲民主党参議院比例第20総支部長として、全国を飛び回る毎日を過ごしている。

 

 

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