ソウルヨガ

主流秩序、DV,加害者プログラム、スピシン主義、フェミ、あれこれ

「マイ・ディア・ミスター 私のおじさん」

『マイ・ディア・ミスター 私のおじさん』

 

『マイ・ディア・ミスター 私のおじさん』

マイ・ディア・ミスター ~私のおじさん~』は、韓国で2018年に放送されたTVドラマで、私(伊田)が最もお勧めするもののひとつである。

ままならない人生の不条理に耐えながら生きるおじさん三兄弟(パク・サンフン、パク・ドンフン、パク・ギフン)と、若くして人生の苦しみを一人で背負って生きているイ・ジアンが、お互いの人生を癒していく物語である。

人間なんて信じられなくなっていた主人公イ・ジアンの心が徐々に溶けていき、ついに涙が出るようになっていく、永久凍土に閉じ込められて長らく固く凝っていような「心臓」(こころ)が、優しい人(パク・サンフン)と出会い、かかわる中で、解凍されて生き生きとした血液が流れて赤みを回復して“どっくんどっくん”と動き出すようなドラマだ。

主流秩序との関係を少し話しておこう。この話は、日本でいえば「尼崎」のような庶民の下町で、うまく生きられない人々へ優しいまなざしを向けている。それは主流秩序の「上」に行けない負け組、生きるのが下手な人の嘆きに寄り添いつつ、酒を飲み、仲間と助け合い、なんとか生きている人々の“すばらしさ”を描いている。

逆に、主流秩序に乗って、上昇競争や上昇に血眼になっている人たちの“貧しさ”を描いて、主流秩序から離れることの魅力を描いた。

元女優で、今つぶれて自信なくなって、パニック障害的になって、動けなくなっていて寝込んでふさぎ込んでいた人が、落ちぶれた元監督(パク・ギフン)など、負け組(それを受け入れる下町)と出会い、成功しなくていいんだ、不幸に見えない、それでも幸せに生きていけるんだとわかって、息ができるようになっていくというような話もあった。

 

何と言っても一番のこのドラマの肝は、本当に本当に苦しくて人など信じられず、借金取りに殴られ搾取される地獄にいた21歳の女性(イ・ジアン)が、いいひとだが自分の思いを出せずにため込む系のエリ―トおじさん(パク・ドンフン)によって、そして彼の苦悩を知ることによって、「閉じ込められていた世界」から徐々に脱していき、人間らしい気持ちを取り戻していく過程だ。一見幸福そうなドンフンを盗聴することで、彼の隠された苦悩・絶望を知っていくイ・ジアン。そして今まで誰からも大切にされなかった彼女を大事にしてくれるドンフンのやさしさ、彼女を傷つけるものと戦ってくれるドンフンのやさしさに彼女は『解凍』され。永久凍土に閉じ込められていた状況から離脱できていくのだ。

が、同時に、この物語全体は、意外なことに、ドンフンも、イ・ジアンに負けないほどの苦悩を抱えているという点だ。それは表面的には分かりにくい。良い企業に勤め、給料も高く、美しく優秀な妻と子供を持っている男。だが彼はすべてを抑え込んでいた。大きなものに押しつぶされて生きていた。それが、イ・ジアンにかかわる中でようやくほどかれていくのだ。最後彼はようやく、ひとりになって泣ける。慟哭。イ・ジアンほどの地獄だからこそ、彼は自分の地獄に向き合えたのだ。そんな物語。

 

 

いい子だ

何でこんないい子を殴るんだ

家族を苦しめられたなら、俺でも殺す

 

また盗聴している先でのドンフンが、妻の浮気がらみでぼろぼろになっているとき、イ・ジアンが「どうってことない」とメールを送る。それに対してドンフンは、彼女には聞こえないが「ありがとう」とつぶやく。

それをきいて、そういうことを言ってtもらえて泣く イ・ジアン。

 自分が役に立ってるって思えて、はじめて人からちゃんと感謝され、受け入れられ、尊重されたイ・ジアン。自分がひどいことをしているにもかかわらず。

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以下のシーンの会話も、イ・ジアンを見捨てないドンフンの言葉に体中にじわーと熱いものが流れていく。

ドンフンにプレゼントしたサンダルを捨てたイ・ジアン。

「どうせつかわないでしょ。皆の前で明日 解雇してほしい。気まずい雰囲気の関係になったし」という イ・ジアンに対してドンフンが言う。

「首にはしない! そんな理由で解雇なんて幼稚だし、偶然会った時、気まずくなるのも嫌だ 心苦しい。ただでさえ 気まずい人間が多いのに、そんな相手を増やしたくない。それに耐えて生きてる俺が哀れだからな。学校で話したことのないやつの親に偶然挨拶すると、そいつとも友達になる。だから俺は 君のおばあさんの葬式にも行く。君も母の葬式に出てくれ。全て忘れろ。何も考えるな 俺も他の部下と同じように君に接する。君も態度を改めて、周りの人に親切にしろ。何を偉そうにみんなに気を使わせてるんだ。社員たちが君に冷たいのは確かだ。だが今後は俺が改めさせる。君には契約終了まで働いてもらうつもりだ。10年後でも20年後でも偶然会ったら笑顔で挨拶する。気まずくて避けるのではなく喜んで声をかける仲に。・・・そうしよう。・・・頼むから そうさせてくれ。・・そして サンダルを元に戻せ」

 

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通常ドラマには恋愛要素が入っているが、基本、この話は主人公二人の恋愛そのものの話ではない。

恋愛の話ではないが、恋愛でもいい。恋愛でなくてもいい。恋愛とそうでないものとの差が大事ではないといことだ。もっと素敵な、別の名前にしても良い、名前のない、豊かな、性別や年齢を超えて成り立つ《暖かく優しい関係性》なのだ。“好き”ということと恋愛っていうことの区別が必要なのだろうか。友情、仲間、家族、酒飲み仲間、サッカー仲間、近所、同僚、先輩後輩、先生と教え子、上司と部下、尊敬する人、ネットでの付き合い・・様々な関係性の中の底を流れる、微細で温かい胸中の気持ち。

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「殺人」の過去があると知られて 離れようとするイ・ジアンとドンフンの電話での会話。ようやくつながり、そしてもうつながらないという別れの挨拶のような、最後の会話のような。

イ・ジアンは前に、もう、何回も生まれ変わってきていて3万年にもなる、もう生まれ変わりたくないというようなことを言っていた。親切な人でも殺人の件を知って徐々に離れていくという話もあった。また上記した、「再度どこかで偶然出会ったら気まずくなるか、あいさつできて、お互いの親族の葬式に行く関係になるか」という会話もあった中での、最後の方の会話。

イ・ジアン「うんざりなんです 興味本位で騒ぐ奴らが。」

ドンフン「すまない」

イ・ジアン「どうして謝るんですか。・・・初めてだったのに・・4回以上助けてくれた人が・・・・私と似ている人・・ 私が好きになった人。

・・・私は来世でも生きていける 生まれ変わってもいい。もう平気です。・・・偶然会ったら笑顔で挨拶を?」 

ドンフン「ああ・・ おばあさんが亡くなったら必ず電話しろ」

イ・ジアン「もう切ります」

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逃げ続けてようやくドンフンがイ・ジアンを見つける。そこでの会話。それは、ほっとできることの確認の場。イ・ジアンは“おじさん”が自分と対等であり、自分に感謝していることを、全面的に信頼し、受け入れていることを、味方であり身内であり仲間であるということを、そしてお互いが幸せに生きていこうと言いあえる関係であることを、最終的に再確認する。そして、人間的なものとは何かを初めて味わい、彼女が人間的な扱いをされ、閉じ込められていた牢獄からそろそろと出てきた状態であることを告白する。

イ・ジアン「誰にでも優しくするからひどい目に遭うのよ」 

ドンフン「ありがとう。・・感謝してる。・・情けない俺の人生のことを聞いても味方してくれてありがとう。・・・ 幸せになるよ。 君は俺のせいで胸を痛めるな。俺も胸が痛くて見てられない。まだ子供なのに。・・・・・・君は大人の俺を憐れんでる 。それが辛くてたまらない。俺が幸せにならないと君は胸を痛め続ける。そんな君を思うと、俺も耐えられない 。だから俺が幸せになる姿を見届けてくれ。・・・どうってことない。・・・恥をかくことも後ろ指をさされることも、なんてことない。・・・幸せになれる。俺は大丈夫だ。幸せになる、絶対に。」

(泣くイ・ジアン)「・・・おじさんに幸せになって欲しかった」

(泣き続ける)

ドンフン「幸せになる」

(泣き続けるイ・ジアン)

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ドンフン「(浮気のことや盗聴のことなど)全部話して大丈夫だ。妻も俺も話すことにした。・・ 聞いてないのか。妻が携帯に向かって話したのに」 

イ・ジアン「聴けるわけない・・・・盗聴がバレたのに・・・・・私を恨んでないんですか」

ドンフン(ため息をついて、座って、ゆっくり話し出す)「その人のことを知ってしまえば・・・何をされても関係ない。 俺は君を知ってる」 

・・・

イ・ジアン「おじさんの声、・・・ 好きでした。・・・おじさんの言葉(ドンフン「いい子だな」)・・・考え方(ドンフン「知らないフリを・・」)・・・、足音、全部・・すきでした。・・・人とは何か、・・・初めて見た気分でした・・」 

 

 

 

 

 

 

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●主流秩序とのからみ

また主流秩序的な生き方のむなしさに関する以下のような会話もあった。センター試験で満点をとったが出家した男とドンフンとの会話。

 

ドンフン「今世は完全に失敗した。どう生きるべきなのか。」

出家した友人「(ここにくるのが)思ったより早いな。60歳ぐらいで弱音を吐くかと。俺が出家を決めた理由はお前だった。俺が世俗にいればお前みたいに真面目に生きて、模範的な人だと言われるだろう。でも死に際に恨めしがる気がしてな。」

ドンフン「自分を犠牲にすれば無難に生きていけるかと」

友人「何が犠牲だよ。戦場に出た勇士のつもりか。頑張ったつもりなのに報われず、幸せでもない。・・・犠牲になったと思いたいよな。お前のために犠牲になったとジソクに言ってみろ。きっと怒るぞ。親も子供も犠牲なんて頼んでいないさ。自分への言い訳に過ぎない。あきれるよ。人生はそんなもんだ。(お前の子供の)ジソクにもそう生きろと言えるか。それは嫌だろう。息子にさせたくない生き方をなぜ自分には強要する?まずおまえが幸せになれ。犠牲なんて言葉は出すな。・・・(お前の兄と弟である)サンフン先輩とギフンが何かやらかしてもおばさんは悩んでない。いつも二人の愚痴は言うけど胸を痛めてはいない。問題を起こさないお前を心配している。サンフン先輩とギフンは人に迷惑をかけても生きていけるからだ。・・・自分のことだけ考えろ。そうしていいんだ。」

 

先に人生の中で主流秩序に沿って生きることのむなしさを感じてしまった友人ギョムドクは今や僧侶になっている。それは「模範的に生きたとして、死ぬときには満足できず自分の人生を後悔するだろうとおもった」というのだ。

そして自分を出さずに我慢して犠牲的に生きていくしかない、それがうまくいく道だと思っている、それしかないと思って行き詰まっているドンフンにギョムドクが言う。だれも、犠牲なんて望んでいないし、子どもや親に犠牲を求めるか?と。だから自分を大事にしたらいいんだ、まずは自分が幸せになれと。

それも主流秩序に合わせるばかりでいいのかという問いかけだろう。

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もう一つ、主流秩序との絡みの話のシーン。

ドンフン「お前が出家した時、俺はほっとした・・ ライバルが減ったとおもった。俺は 万年2位だっただろ。でもおまえが頭を丸めるのを見て、思った。「こいつには負ける、 100% 撒ける」と。お前の覚悟が怖くなりソウルに戻って必死に頑張ってきた。だけど結局は完敗さ。

 ギョムドク「勝ち負けなど存在しない 。それぞれの人生だ」

ドンフン「世界一かわいそうな子が、俺を世界一かわいそうだとさ。生き方を間違えた。 負けたよ」 

ギョムドク「じやあこれから勝てばいい」

 

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以下の部分は、ドンフンがなぜ、イ・ジアンの「特技はかけっこ」としか書いていない、エリート的ではない「低学歴」の履歴書で彼女を採用したかの話。それはドンフンが、人生の途中から気づき始めた、生き方の話にかかわることだった。

人が主流秩序に囚われているときに追い求めていた「何か」--つまり自分を誇示できて幸福になると思うような、学歴やいい会社への就職や金持ちなど、主流秩序の上位に行くもの――が、いったん手に入ったとして、それが何であったのかわからないんじゃないか、それが本当の自分の内部からの力、自己肯定の力、自分が壊れないで幸せに生きていける力になるか、ならないんじゃないか、と問うている。

(建築物を建てるとき、構造として「内力」を「外力」より強くしないとだめ、そうしないとヒビが入ってそのうち倒壊するという話の後に)

「人生にも、外力と内力の戦いがある。内力が強ければ何事にも耐えられる。俺の友達に賢いやつがいて、将来有望だと言われていた。大学を卒業して間もなく突然、出家したんだ。彼の両親は ショックで倒れ 町中が大騒ぎになった。彼はこう言った。『何も持たない人になる』と。・・人は何かを手に入れようと散々苦労し、自分を誇示するためもがく。けど何を得たか気づかない。欲しいものを手に入れ万全だと思ってたのに、ヒビが入り始めると耐えられず、崩れ落ちる。

今まで俺を支えていた、基礎と思っていたものが本当の内力じゃなかった。全て偽物な気がする。・・はぁ・・・ だから無意識のうちに「自慢を並べ立てた履歴書」より、履歴書の特技に「かけっこ」とだけ書いた、そんな履歴書を書いた人が強く見えたのかもな。」

 

 

その他、素晴らしいシーンはいくつもある。人によっては、だるいドラマと思って興味を持てなず観るのをやめてしまう人もいると思う。でも丁寧に味わえば、大きなものを伝えてくれる名作と思う。

それはこの講義で一番伝えたい「人権」とか「差別/平等」とかにかかわる“感性”の問題だ。

このドラマの良さを感じない人に、何が伝わるのだろうかと思うし、逆に、こうしたドラマなどで大事なことへの感性を育ててほしいなと思う。

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身近な人を大事にするからこそ、つらいことがあっても、ドンフンはそれを知られたくないと思って寡黙/自己抑制的に生きている。それはイ・ジアンのつらい過去のことを知らない時点でも、次のようにいう言葉として、ジアンには伝わる。そしてそれは、相手が知らないところでも、ちゃんとしたことをする人、その人のためにその人を傷つけるような人に全力で怒ったり抗議したり戦うこととして表出する。承認欲求でなく、ただ、陰で、やるべきことをする優しい人。そんな人がいると知って、イ・ジアンの心は“弾力性=優しさ”を取り戻していくのだ。

知らないふりをするやさしさ

知らないふりをしてやる。

だから君も知らないふりをしてくれ。

知られなければ耐えられる。(自分しか知らなければ)なかったことにできる。

 

それでもどうしようもなくつらいことがある。自分が生きている価値はないと突きつけられるようなことがある。そんなとき、

「大丈夫 どうってことない」

そう言ってくれる人がいることのすばらしさ。

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人生の目標は何だろうか。個人としては、心が穏やかに、幸せになるということがそのひとつであることは、考えれば否定できないだろう。貴方は、「満たされ課感覚」を味わったことはあるだろうか。あなたには「よい縁」「尊い縁」があるだろうか。主流秩序に囚われることによって、それを見落としていないだろうか。

最後、イ・ジアンのおばあさんが言う言葉に、この物語の優しい精神が凝縮されて示されている。すべての人は実はつながっている。それがスピリチュアルな感覚だ。そして与えられたら、また与えるのだ。それがその人の人生の課題、使命なのである。

ばあさんとイ・ジアンの会話

おばあさん「(ドンフンの方を見て)良い縁よ。とても尊い縁よ。・・・・よく見てみると、どんな縁も全て、不思議で尊いものよ。・・・お返ししなきゃ。 幸せに生きることが恩返しになるのよ」

 

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イ・ジアンがおばあちゃんに「出会ってくれてありがとう。私のおばあちゃんになってくれてありがとう。(天国で、あるいはまた生まれ変わって)また会おうね。絶対会おうね」

という。

また会おうとと言える人がいる幸せ。

私のも、またあの世でも生まれ変わってもまた会いたいと思う人がいる それは幸せなことだろう。

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みんながお葬式でイ・ジアンに挨拶する。頭を下げる。そういう心を込めるということの素敵さ。寂しい葬式を人がいっぱいのものにしようとする兄(パク・サンフン)。「そういうことができて幸せだ、初めて意義あることができた」というサンフン。

お葬式で立派に花がいっぱい並ぶ。それはみんなの思い。イ・ジアン案がみんなに愛されてるという現れ。そういうお葬式は素敵だ。

今、「小さなお葬式」とかがある。 形式的なお葬式ではなく、心を込めるなら、本当に思う人が集まる小規模なものでいいだろう。でも大事なことは、「軽く、金をかけずに ちゃちゃとやってしまう」ということではなく、本当に心からその亡くなった人を悼む、その思いがあふれる葬式であるか、ということだ。規模ではなく、思い。 

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人生で本当の味方になってくれる人は何人いるだろう。 イ・ジアンはどん底だったからこそ、本当に味方になってくれる人を見つけることができた。それは幸せなこと。

 

やさしい。

ジョンヒ「正月はどこに?」 

イ・ジアン「・・・」

ジョンヒ「私も行く場所がない。1年に2回会いましょう、正月とお盆に」

イ・ジアン「はい」

ジョンヒ「よかった・・・その日に会える人がいれば 宿題は終了なの」 

 

 

イ・ジアン「おばあちゃんが死んだら連絡しろと言われ 心強かったです」

 それを言われたこと、そういわれていて覚えていること、そして実際に連絡できる人は強い。

 

ソウルを離れる前の、最後の食事

イ・ジアン「よくしてくれて感謝しています」

ドンフン「君は俺を救うために この町に来たんだな。 死にかけてる俺を君が生き返らせた。」

 イ・ジアン「私はおじさんに会い・・始めて生きた気がします」 

ドンフン「俺たち、本当に幸せになろう」

グラスを合わせる 2人

 

深い深いつながりを、狭い意味での恋愛と呼ぶ必要はない。 もっと深く、 人と人が信頼しあい、 心が近づいたということ、そのようなことはある。

このドラマが“恋愛ドラマではない”という意味はそこにある。

***

最後、イ・ジアンがソウルを離れるということで別れのシーン。みなが歩きながら見送り、徐々に人が減り、最後3人だけになる。

イ・ジアン「抱きしめても ?」

ドンフンは、以前は断わったが、今回は受け入れて抱きしめる。

恋愛ではないが、好きな気持ちや感謝や愛おしさが詰まった、恋愛であるような、魂の近づきであるというハグ。

そして最後、少し慣れて、イ・ジアンが言う。「ファイチン」

ドンフン「ファイチン」

とこんな愛の言葉がある。

主流秩序、競争、勝利 、物質的豊かさなど全く寄せ付けない 「ファイイチン」を見ることができた。

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ドンフンは、色々あった妻との電話で「 何かいるか」と聞く。妻は以前は、そういう言動にいら立っていて「そういうことをいちいち聞くな」 と言ってた。だが、今回、彼女がいう「ビールを」。

それでももちろん2人の間が元に戻ることはない。 彼女は米国にいる子供のそばにいって、また勉強するという。でもそれは夫婦の距離の取り方であった。

そうして1人になって ドンフンは初めて泣く。 心から泣く。 感情の扉を開く。 彼の「永久凍土」が解けたのだ。それは彼が次に行く必要なステップだった。おじさんの再生の物語。

***

「誰も知らない」の映画について、辛い映画だが子供達に意外と力があるとおもったというギフン。人には自分を癒し再生する力がある。人間はみんな自然治癒力がある。そこに希望があるという話をしていた。

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そして1年後、部下と一緒に退社して新しい会社を立ち上げたドンフンたちが、イ・ジアンとソウルで再会する。ジアンは「普通の若い女子社員」のように、普通にちゃんと生きていた。偶然に会えば、避けるのではなくちゃんと挨拶ができるような関係になろうという言葉通り、彼女は声をかけることができた。彼女が同僚の女性社員と普通に昼食に来るような感じで、元気そうであることを喜ぶドンフン。「活躍しているそうだな」「今度ソウルの本社に転勤になったんです」

昼休みなので短い立ち話ですぐに別れるのだが、別れ際、「握手しようか」とドンフンがいって、握手する2人。「ありがとう」と言うドンフン。「今度おごります 一度 そうしたかったんです」というイ・ジアン。

そして別れていくが、心の中で、ドンフンは思う。「普通に女の子の同僚と働き、昼食を食べるようになっているんだな。名前の字「至安」の通り、安らぎに至ったのか?」と。

それに対してジアンが心の中で答える。

「はい」

そしてもう一度。

「はい!」

 ***

番組の最後に、製作者から視聴者への言葉

「皆さんはいい人です やすらぎに至るまで ファイチン!」

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主流秩序に囚われず、他者の痛みに敏感な人になる、ということが描かれた傑作を、ぜひ見てほしい。

 

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