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NHK「アナウンサーたちの戦争」にみる、主流秩序に従属した人びと

  • NHK「アナウンサーたちの戦争」にみる、主流秩序に従属した人びと

 

「アナウンサーたちの戦争」(NHK2023年8月14日放送)をみた。基本的に、アナウンサーたちの戦争へのかかわりを調査したうえで再現したもので、いい番組だったと思う。しかしそこから浮かび上がる、当時報道にかかわった者たちの生き方は、まさに主流秩序に従属・加担した愚かしいものだった。そのことを確認し、未来の私たちの生き方への教訓を得たい。

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先ずは、番組内容紹介(NHKのHPより)

太平洋戦争では、日本軍の戦いをもう一つの戦いが支えていた。ラジオ放送による「電波戦」。ナチスプロパガンダ戦に倣い「声の力」で戦意高揚・国威発揚を図り、偽情報で敵を混乱させた。行ったのは日本放送協会とそのアナウンサーたち。戦時中の彼らの活動を、事実を元にドラマ化して放送と戦争の知られざる関わりを描く。

国民にとって太平洋戦争はラジオの開戦ニュースで始まり玉音放送で終わった。奇しくも両方に関わったのが 天才と呼ばれた和田信賢アナ(森田剛)と新進気鋭の館野守男アナ(高良健吾)。1941年12 月8 日、大本営からの開戦の第一報を和田が受け、それを館野が力強く読み、国民を熱狂させた。

以後、和田も館野も緒戦の勝利を力強く伝え続け、国民の戦意を高揚させた。同僚アナたちは南方占領地に開設した放送局に次々と赴任し、現地の日本化を進めた。和田の恩人・米良忠麿(安田顕)も“電波戦士”として前線のマニラ放送局に派遣される。一方、新人女性アナウンサーの実枝子(橋本愛)は、雄々しい放送を求める軍や情報局の圧力で活躍の場を奪われる。
やがて戦況悪化のなか、大本営発表を疑問視し始めた和田と「国家の宣伝者」を自認する館野は伝え方をめぐって激しく衝突する。出陣学徒を勇ましく送り出す実況を任され、ただ苦悩する和田を、妻となった実枝子が叱咤し目覚めさせる。そして館野もインパール作戦の最前線に派遣され戦争の現実を自ら知ることになる。戦争末期、マニラでは最後の放送を終えた米良に米軍機が迫る。そして戦争終結に向け動きだした和田たちにも銃口が迫る。

 

作・倉光泰子 (『PICU 小児集中治療室』 『今際の国のアリス』)
音楽・堤裕介 (『アバランチ』 『インフォーマ』)
語り・橋本愛 (和田実枝子役)
取材・網秀一郎 大久保圭
演出・一木正恵
制作統括・新延明

 

  • あまりにも“無垢なレベル”の報道人たちであった

 

このドラマによって、戦時中のアナウンサーたち(日本放送協会のラジオ、その後テレビも)の動きが分かって有益であった。それは、戦争にむけてどういう態度をとるべきなのかを考えさせるものだったし、主流秩序に加担した人たちの生きざまの問題を浮き彫りにしたからである。

戦争状況が近づくにつれて、事実を客観的に伝えるために平板に原稿を読むべきか、感情的に煽るように読むかで議論がおこったりしたが、戦時になっていくと、国民の意識を戦意高揚にもっていくように感情に訴えるような文章や読み方になっていったのである。

そこには、時代背景もあるが、メディアというものが民主主義にとって大事で、権力をチェックすることが使命だというような視点がない。非協力不服従という戦い方も知らない。そもそも戦争が多くの人を殺し殺される悪だという視点もなく、自国が勝つか負けるか、勝てばいいというナショナリズム的価値観しかない。当時から学問とか政治的には共産主義思想などがあり、戦争に反対する思想と運動もあったが、そういうのはだめだと国家が統制する中、簡単に洗脳・コントロールされ、民主主義や反戦争ということを学ぶ知性もないアナウンサーたちであった。

 

 つまり、戦前の日本放送協会で働くアナウンサーたちは、戦争という大きな出来事への深い思想性やメディアの使命を知らない、ない、ただの、原稿を読む雇われ人(サラリーマン)だった。それは、高学歴で賢さがあるとか、英語を話せるとか、読むのがうまいとかということと矛盾しない。人間としての生きかたのレベルで、子供のままで無垢な人、時代に簡単に翻弄されるような、レベルだったということだ。

そういう人間が、戦争という主流秩序に積極的に加担していってしまう悲劇が描かれたのである。

 

具体的には以下のようなシーンがあった。

軍部が戦意高揚を図るように原稿を読めと言ってくる。

それを受け入れていく人が言う。

「決戦の時に俺たちは重要な役割を任せられたんだ」

それに疑問を感じた川添アナは言った。「でも少し前まで誰もアメリカを憎んでなかったでしょ、むしろ映画や音楽で私たちは焦がれ大好きだった。なのに敵への憎しみをあおるように原稿を読めというのか。国民に憎しみを植えついえるなんて恐ろしいことですよ」

だが、館野守男アナが反論する。「そうさせたのはアメリカだ。それに、今やアナウンサーは国家の宣伝者、アジテーターなんです。マイクが運ぶのは国家の意思だ!」

それに対してだれも反論しない。

そうして社の方向は決めらていった。

 

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開戦だと聞いて、身震いするように喜び、敵に勝つのだと意識を高ぶらせ、勝ったと言って喜んでいる状況であり、国民もそれに煽られて、勝った勝った、バンザーイと喜んでいた。

戦争が殺し合いであり、日本が事件をでっちあげて不当に侵略している事、兵士や民間人が死ぬということが分かっていない。戦争に勝たねばならない、悪いのは米国という構図に乗っているだけ。戦争反対の思想がないということは、何という知的レベルの低さかと今の基準でい言えば思うが、それが当時の実体であった。民主主義や共産主義を学ぶような人は一部にとどまっていた。

 

「鬼畜米英と煽っていいのか」というような人や、米国という大国と戦争して勝てるわけがないと思う人も一部いたが、そういうことがおおぴらには言えなくなる中で皆が沈黙し、愚かな大本営発表を信じるだけの人々という状況になっていき、メディアは新聞記事をもそうだが、それに積極的に加担していった。ヒトラーの演説で大衆が熱狂しているのを見て、そういうのを目指すような状況だった。全体主義的な政治への批判性などがなかったのだ。

こういう時、戦争にな他のだからラジオ局も一緒になって戦い、国民の戦意を高揚させないといけないという単純な考えだけがあった。「お国のために役割を全うする」というところで思考停止し、天皇バンザーイのレベルであった。

 

  • 現代への教訓

いまウクライナでも、ロシアでも、この1940年代の日本の社会状況と同じレベルのことが起こっている。インターネットがこれだけ発達し、民主主義という概念が世界的にひろがっていても、である。戦争の実相、その結果をちゃんと学んでいなくて、ナショナリズムへの批判性が十分に涵養されていないのである。今のロシアやウクライナを見ていると、大衆のレベルは、80年前と変わっていない。

今日の日本の主流秩序状況にどう向き合うかという観点で考えると、主流秩序に流されていくときの言い分はいつも同じだということを確認していくべきである。

すなわち、会社・自分の身分(食い扶持)を守るために、「きれいごとではやっていけない」「家族という守るべきものがある。だから時勢に逆らえない」、「自分はただの社員で、上の言うことをするだけ、原稿読むだけ」などといって、戦時体制に屈服あるいは積極的に乗っていき儲けていくとか出世していくのである。それは戦後に責任を取らないという姿勢にもつながっていく。

歴史を見れば、多くの人間というものはいつもこの程度である。現代でも、主流秩序に合わせる人はおなじことを言う。

だが、会社を辞める手もあるし、異論を言っていく余地もあるのだ。主流秩序に抵抗した人は歴史上、多くいた。選択肢がないのではなく、選択して、主流秩序に加担する道を選んでいくのである。それを「長いものに巻かれる」という。

アナウンサーだから少しは、真実を伝えたいという意識のひともいたのだが、当時、放送協会は、取材するようなメディアではなく、ただ原稿を読むだけという位置づけだった。新聞は、もう少し意見というものがあったが、徐々に制限され、異論を言うものが追い出され、組織全体として、軍部の一部と同じような動きをしていった。

何が真実を調べるとか、政権や軍部の嘘を暴くとか、戦争への賛成と反対両論を書くとか、ナショナリズムの検討とか、軍艦マーチなどの軍歌で人を煽っていいのかとか、考えることはできたが、そういうことをせず、芸能人や芸術家や学者も、多くは、戦争体制に加担していった。其れが仕事だ、生きていくため目には必要だと言い訳して。売れるものを作る、読者や視聴者が喜ぶものを提供するという理屈で、時代に呼応し、相互作用で、戦意高揚の流れを作っていったのである。

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これは現在、ネットで、フォロワーが多いほどいい、受けること(バズること)を言うのがいい、という発想と同じである。何を自分が発出したい、創造したいのかではなく、受けるもの、儲かるものを作る・提供するというのである。承認欲求を満たすために生きているのである。

そんなレベルで生きている人が、北朝鮮やロシアや中国の人々を批判できるであろうか。そもそも、戦前の日本軍国主義ナチスファシズムを批判できるのか。

だが、そういうように考えないのである。考えず、歴史から学ばず、ただ、いまの時代に流され、何が受けるか、いま何を言えば時流に乗れて、政府に受け入れられ、メディアで活躍できるのか、つまりは、どうすれば主流秩序の上位に行く「成功者になれるのか」だけを考えているのである。

戦時のアナウンサーやメディアを振りかえって学ぶべきはそこであろう。だが、現代において、そういうことを言う人は限られている。

 

  • 「電波戦」と「歴史戦」

第二次大戦時と同じレベルで、いままたナショナリズムになって、軍備増強で安全保障を言う人が多くなっている。

当時、アナウンサーたちは、どんどん軍事体制に組み込まれ、軍事の一部と化していったが、そこにやりがいや展望を見出し、戦争自体への批判性など全く持っていなかった。プロパガンダに加担することに疑問をもたず、「電波戦だ」といって積極的に戦争に加担し、海外にも出かけて報道というところで戦争の一部を担った。真実を報道するのでなく、軍部の言う大本営発表をただ広げた。内心、過大な報道がある、嘘があると思っていても、そこに疑問を呈したり抵抗することもなく、ただ、加担し続けた。

そして国民の多くも、「勝利した」という報道を聞いていて万歳と言っていた。戦争後半から「玉砕せり」という放送などもするようになったが、それは真実を伝える報道でなく、敗北や手段自決を美化した言葉だった。特攻隊という無謀な作戦も、冷静に考えるとおかしいが、美化されていった。本土決戦などというのは負けているからの事なのに、真実など全く追求しないままだった。

「虫眼鏡で調べて、望遠鏡で伝える」とか、言っていたくせに、戦争体制になるとそういう姿勢をかなぐり捨てて、大軍発表を、戦意高揚の口調で読むだけと居直っていったのである。真実の報道などという誇りも理念も矜持もないただのサラリーマンだった。それはナチスの官僚アイヒマンと重なるものだった。

いまでいえばトランプの側に立って、フェイクニュースを出すFOXのようなメディアであることに疑問を持たず、「仕事だ」と思ってやってしまっているということである。

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私は、当時、「電波戦」といい、戦争のための報道と位置づけ、大衆を感動させ誘導することに意義を見出していることを知って、近年の日本の一部で使われている『歴史戦』という言葉を思い出した。

『歴史戦』というのは、右翼たちが「反日」などと同じく、使いだした言葉で、産経新聞が意識的に、慰安婦問題などで韓国や中国などと戦うという中での、歴史認識をめぐる戦いだということで使いだしたものである。韓国や中国は慰安婦とか、侵略とか、南京大虐殺とか嘘を言ってくる、それに対して、日本が誇りを取り戻せるよう、「真実」を世界に広めねばならない、そういう歴史評価をめぐる情報戦を「歴史戦」といって、世論を煽って誘導してきたのである。もちろんその背景には、安倍首相を担ぎ上げる日本会議など右翼勢力があった。

 

私が驚いたのは、NHKまでもが、岩田明子解説委員のもと、この言葉を使って解説しており、まるでそれが「普遍的に認められた、当然の状況説明の言葉」であるかのように使っていたということである。岩田氏は、安倍首相のお気に入りで有名となった人で、彼女はメディアの役割を、政権党を支援することだと考えていた人である。

今回の番組を見て、歴史は繰り返されていると思った。NHK内部には、岩田氏の活躍などを苦々しく思う人もいたようだが、退職するまで彼女はNHKで「政権中枢の情報をとってくる」ということで重用されていた。日本のマスメディアの多くが権力チェックするメディアではなくなっている象徴であった。

皮肉なことに、NHKの「アナウンサーたちの戦争」という番組で、図らずもこのことが浮き彫りになってしまったのである。

NHKスペシャル「日本はなぜ戦争へと向かったのか」も含め、NHKには適切な反省の上に立つ良質な番組もある。だが、岩田解説委員の『歴史戦』ということを無批判にたれながしたNHKは、80年前の「電波戦を担うわれら」ということを繰り返したのである。罪はもちろん、いまの方が100倍重い。民主主義が未発達で無知だった当時と、民主主義やメディア論が進化した中での“あえて選択したスタンス”の違いである。

 

  • 過去のアナウンサーの轍を踏まないレベルに成長できるのか――「勝てる戦争へ」という人々

 

だが、この歴史で繰りかえされる、80年前の戦争等主流秩序へのむじあっくな加担問題は、NHKだけの話ではない。原発事故があっても責任を取らない人々、いじめがあっても調査しないとか調査結果を隠すなど嘘を言う教育委員会や学校など、戦争に加担した「ただの会社員」と同じレベルのことが繰り返されている。主流秩序の前で、加担する道を選んでいる自覚がなく流されている人々。

とくに台湾有事を口実に、集団的自衛権で、戦争体制を進めたい勢力が、ウクライナ戦争を利用する中、私たちは冷静に、過去のアナウンサーの轍を踏まないレベルに成長する必要がある。だから大学でこういうことを学んでいるのである。学ばない者は無知なまま、同じことをする。

よく考えてほしい。当時のアナウンサーで矛盾を戦争途中から感じ始めた和田信賢アナも、戦争末期に、負ける戦に若者を送りこむから悩むが、では勝つ戦争で、戦地に送り込んだ若者が生きて帰ってきたら悩まないのか。

そう、和田も、当時の人も、それなら悩まなかったろう。歴史を見ても戦勝国はあまり悩まない。正義の戦争と位置付けられ、勝てば官軍であり、経済も活発化し、英雄が生まれ、勝利の美酒に酔うのである。戦争犠牲者は、生聖戦の勇気ある犠牲者として奉られる。そこに反省は生まれにくい。「私たちの社会を守るためによく戦った」という美化・肯定だけがあるのである。

戦後日本が平和憲法をつくり、平和主義・非武装を選べたのは、原爆被爆経験を含め、悲惨な戦争の体験からであった。負けることにも意義があった。だが、「負ける戦いだったのに」という反省の仕方は、いま多い。「今度はそういう愚かなことにはならないように」というのである。ウクライナ戦争で出てくる防衛相関係の「学者」はその程度のことを言っているだけである。

戦争自体の否定ではなく、負ける戦争にならないよう、政治の一部として軍事的に戦う、強く成ろうという発想である。非暴力主義の思想的深見などみじんもない。

 

  • 戦後責任をとらないで「変身」した人たち、という問題

 

2023年、「アナウンサーたちの戦争」を見て、こうした色々なことを思った。当時のアナウンサーたちは愚かだった。だがそれを坤為地の日本で、描いて歴史を示したことには意義があった。

若者に「お国のため、天皇のために死ね」ということに苦しみを抱えたアナウンサーを美化する感じがすこしあったが、そこはこの番組の「弱さ」だと感じた。というのはその和田アナは、ただ悩み、担当に放送を病気を理由に離れただけで、積極的に抵抗しなかったからである。戦後もNHkで働き続けたからである。

まあ、だが、戦時中に玉砕を美化する、最後まで軍部と一体になって戦意高揚の役割に突き進んだ、館野守男アナよりはましだけど。

和田アナは抵抗せず、ただ悩み、病気になって逃げただけである。まあ、積極的加担の館野アナよりもましだけど。

辞職もしなかった 生きたいという若者の声を伝えもしない。日本の敗北の事実も報道せず大本営発表を伝え続けた。彼は苦悩したのだろう。しかし、それを言うことなく沈黙し、戦後も同業界にいつづけた。

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じつはそれが多数派だった。軍人も、政治家も行政・公務員、憲兵や警察、も、メディアも、学校の教師も、民間の団体も、戦後、自分が戦争に加担したことに口を閉ざし、「民主主義になっていく日本」で生き延び、知らぬ顔で、民主主義を語っていったのである。米国万歳となて行ったのである。

主流秩序に加担した犯罪的事実の隠蔽であり、自分の加担責任の隠蔽である。その象徴が靖国神社であり、A級戦犯でさえ戦後活躍したこと、B級C級などの戦犯も罪を問われたのは一部であり、しかも東京裁判は不当だというよな「いなおり」のレベルの「戦後」であった。「私は貝になりたい」と言って下っ端の兵士は、「なぜおれが責任を問われないといけないのか、命令に従ったtだけなのに」と悩んだ。

よくいわれるように「一億総ざんげ」で、結局だれも責任を取らないような「反省のレベル」だったのである。原発事故への無責任さと同じである。「仕方なかった」、「知らなかった」という言い訳である。ナチスユダヤ人虐殺に対しても、ドイツでも戦後、多くの人がそういったように。

むのたけじ氏は、珍しく、朝日新聞で自分がしてきたことを反省し、会社を辞め、戦後、戦争反対のジャーナリズムを立ち上げて責任を取ろうとした。打がそんな亜メディア人は、全くの例外的少数であった。

事実は、日本だけではないが、戦争末期になると、軍部などは、戦後に責任を取らされることを恐れて資料を廃棄した。証拠を消すのである。日本軍や仁保の官僚などは皆それをした。演出の一木正恵も言うように、日本放送協会にかかわった人達も、膨大な原稿を焼き、貴重なレコードを叩き割って埋めて、証拠を消した。犯罪者がそうるように。恥ずかしくない仕事を下なら、隠す必要もないはずなのに。

それの最たるものは、レイプや日本軍慰安婦関係、侵略・虐殺関係など戦争犯罪の証拠隠滅である。其れは組織的になされた。

だが今回、この番組ができたのは、隠していた歴史に対して、一部の人が、良心を少し取り戻し、「なかったことにするわけには行かないと考えた人が、一体何があったのか、何をしたのかを、心の奥底に封じ込めた記憶の闇から手繰り寄せ、語り残した」ためであった。それを作品委しようとする人たち亜ギア宝であった。主流秩序への道は常に、3つの選択肢なのである。

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この番組の最後に、この「責任」に関する情報も少し出された。すなわち、

「国家の宣伝者」を自認して勇ましく煽っていた館野アナも、インパール作戦の最前線に派遣され戦争の現実を自ら知り、何とか生き延びて、戦後アナウンサーをやめて、解説委員として活躍し、自分が取材したを伝えるようになったと言う。

だがそれは、むのたけじ氏のようには本気で自分の積極的な加担した責任に向き合わなかったという事であろう。「今やアナウンサーは国家の宣伝者、アジテーターであり、マイクが運ぶのは国家の意思だ」と言っていたのに、戦後ものうのうと生きるのは、戦後悩んで自殺したようなものも致し、職を辞したものもいたのに、無責任な人というほかない。多くの「言うことを極端に変えた」軍人や先生たちと同じであった。 

最初は館野アナと一緒に、情緒の力をもって戦争をあおったものの、戦争末期に若者を死にに行かせるような事に疑問をもった和田信賢アナも、NHKを辞めずに、もともとしたかった「オリンピックで大衆を熱狂させたい」というような放送をして亡くなっていったという。 

 その和田と結婚した女性アナ・大島実枝子は、戦後アナウンサーに復帰し、昭和が終わるころまでアナウンサーとして活躍したという。

その他、出陣学徒を勇ましく送り出す実況などをしていたほかのアナウンサー達は、戦地で死んだ者もいたが、生き残った者たちは、そのまま放送業界にいた。新聞でも学校現場でも警察でも、そうであったように。

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この番組は、客観的影響としては、戦争の愚かさを一定い示したし、戦時に加担したことを反省させる内容を持っていたので意義はあると思うが、内容としては、主流秩序への姿勢への追及とか責任を突き詰めるということはなく、甘いところで終わっているという面もあった。

 この番組の背景説明として示されているように、戦後、日本放送協会は、新たな組織に生まれ変わっった。表現の自由を保障する日本国憲法の下で、1950年に放送法が施行され、みずからの責任でニュースや番組の取材・制作・編集を行い、自主・自律を堅持する放送局としてNHK・日本放送協会は再出発した。だが、上記、岩田委員が『歴史戦』などと言い、安倍政権のちょうちん持ちのような報道を繰りかえしたところを見たとき、本当に、戦前とは別の組織に変わったと言えるのか、この番組は改めて日本社会に突き付けたと言えよう。

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