ソウルヨガ

主流秩序、DV,加害者プログラム、スピシン主義、フェミ、あれこれ

いままでもこうだった 憲法解釈も政治

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自民党推薦の 憲法学者が「違憲」といたっために、「そもそも論」が少し起こっているが、当然、自民党の政治家諸君は学者が何を言おうと関係ないと言い、政治家で決めるという。今までもそうでした。戦前もそうでした。戦争が近づけば、政治に反対する者は疎んじられ、最後には退職させられたり逮捕されたりします。

 

憲法9条もこれまでなし崩し的に無理やり自衛隊を存続させ、軍隊化し、湾岸戦争に参加し、PKOに参加し、何度かの日米軍事ガイドラインで根踏み越え、イラク戦争にも参加し、昨年は集団的自衛権閣議決定しました。

 

以下のような意見も一定の説得力がありますが、そもそも砂川判決もだめな面があるでしょう。しかし一歩下がって砂川判決をベースにしても、今回の安全保障関連法案は違憲と言えます。

理屈はいろいろ言えます。

議論だけでいえば、違憲だという議論の方が強くなるでしょう。

しかし政治はそんなことをわきに置いて言いぬけて時間を稼いで採決してことをすすめます。手続きを積み重ねていくのです。

 

法律・司法とか民主主義といっても学問・知性といっても、その程度のもので、裁判なんてほんといい加減なものです。今までいかかに政治にすり寄ってひどい判決があったことか。

最後は多くの国民が反対運動をするかどうか、一人一人が反対の意思を持つかどうか で決まります。

しかし今の社会は主流秩序に従属した国民が多数で、暴挙を繰り返す安倍でも支持してしまう程度の人がそこそこ多いのです。で、メディアも程度は同じですから、週刊ポスト(2015・6・19)が暴いたように権力者と会食して安倍にすり寄ってしまっています。そうすると安倍は今しかないので、安全保障関連法案を通すでしょう。

そういうことを織り込んで自分はどう生きていくかを考え実行していく時代です。

 

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 朝日新聞

憲法学者が見た審査会 浦田一郎教授・駒村圭吾教授

2015年6月12日05時00分

 

 憲法学者から「違憲」と指摘された安全保障関連法案について、11日の衆院憲法審査会では、与党の議員が一斉に合憲を訴え、憲法学者の主張に反論した。これまでの政府・与党の主張や、この日の議論から浮かび上がる問題点はどこか。2人の憲法学者に聞いた。

 ■<考論>「自衛」抽象的に解釈 浦田一郎・明大教授

 自民の高村正彦氏は11日の衆院憲法審査会で、最高裁の砂川判決が「国連憲章は個別的自衛権集団的自衛権を各国に与えている」と述べていることを強調した。これにより、当時の最高裁判事集団的自衛権の概念が念頭にあったと説明している。

 だが、砂川判決で問題になったのは、日米安保条約に基づいて、米軍が日本に駐留し、日本が基地を提供する関係の妥当性だ。日本が武力行使ができるかどうかという集団的自衛権の話ではない。砂川判決にある「固有の権能」は、あくまでも個別的自衛権を示していると考えるべきだ。

 安全保障関連法案で問題だと感じるのは、「自衛」という言葉が抽象的に読み替えられていることだ。1972年の政府見解の言葉が、抽象的に解釈されている。高村氏や公明の北側一雄氏らは「従来の政府見解を現在の安全保障環境に当てはめた」とし、これまでの政府見解との連続性を強調している。だからといって、その結論が憲法の枠内に収まっているとは限らない。

 従来は、個別的自衛権集団的自衛権の間に明確な線引きがあった。我が国に武力攻撃があったかどうかという基準は客観的だった。ところが、昨年7月の集団的自衛権を容認する閣議決定では、自国の防衛は可能、他国のための防衛はダメ、という線引きに変わった。つまり、目的によって区別をすることになり、(ときの政権によって)主観的に判断されかねない。法的安定性は損なわれたと言わざるをえない。

 自衛の措置を考えるのは学者ではなく政治家だという発言もあった。だが、砂川判決は、政治の世界で話し合うべきだと言っているのであって、政治的に解決せよと言っているのではない。最終的には主権者である国民が判断することであり、憲法学者に専門家としての役割もあるだろう。

 (聞き手・笹川翔平)

 ■<考論>「法の支配」失う恐れ 駒村圭吾・慶大教授

 憲法は、その条文だけでなく、実務的な解釈の集合体として存在する。その意味で、1972年の政府見解はすでに「憲法の重み」を持っていると言える。

 この見解は、砂川事件最高裁判決が認めた「自衛の措置」について、許される範囲を明らかにしたうえで集団的自衛権の行使を否定した。「法理」として示された結論であり、政府・与党が主張するように日本を取り巻く状況に応じて変わり得るとは読めない。

 集団的自衛権の行使を可能にするためには、72年見解を覆すことが不可欠だ。集団的自衛権の行使を否定するために示された同見解の主要な部分を、行使容認の根拠として引き継いだ昨年7月の閣議決定は、根本的な矛盾を抱えている。

 このままでは国家の危機に際した時、政府の判断が迷走し、存立危機事態の認定を決断できないというおかしな状況が生まれるだろう。役に立たない法制を作ったという意味で、(いずれも弁護士で与党協議を主導した)自民の高村正彦氏や公明の北側一雄氏は、法律家としてだけでなく政治家としての職責にも背いたことになる。「お試し改憲」の一歩手前で、憲法アンタッチャブルではないことを示し、ガス抜きをする――そんなゲームをしているようにさえ感じる。

 集団的自衛権の行使が必要だと言うなら、具体的な現実の要請を示し、自衛隊員のリスクが増すことを語り、憲法改正を提起すべきだ。だが、政府・与党は知の塊である法を軽んじる反知性主義に陥っているばかりか、リアリズムを示すこともできていない。国民は自衛隊員が殉職しかねない状況でも本当のことを言わないのではと疑い、そんな政府には自衛隊を任せられないと感じ始めている。

 このまま憲法を無視した法制を成立させれば、安倍晋三首相が米議会で強調した「法の支配」も、国際社会の信用を失うだろう。

 (聞き手・二階堂友紀)