戦争への転換点となった。
だが、日本中で多くの人が安倍政権のひどさに怒りを持った。そこに希望がある。暗黒社会のなかで自律した人が少しでも増えることが希望だ。
最低なのは、デモしたり集会したり、スタンディングするなどの意見表明をする者たちを批判する人たち。主流秩序に従属する者がまだまだ多い、この腐ったような日本社会。
その対現物としての自公政権。
福山議員の言葉には〈たましい〉があった。理屈もとおっていた。にもかかわらず、其れに心を動かされて強行採決をしないでいようとする自民や公明党の政治家がでないという情けなさ。これが日本の現実である。相手の言葉に真摯に対応するということがない。
産経新聞は、〈たましい〉のこもった福山の言葉を『長々と演説』として単なる抵抗作戦に過ぎないとしか見ないように書いていた。まさにサンケイ新聞である。自分の頭でかんがえて取材して記事を書く記者はいないのか。
ただ、今回の強行採決もひどいが、過去、国旗国歌法でも、教育基本法改悪でも、派遣法などの労働関連法でも、自民党はひどいことをしてきた。第一次安倍政権も小泉政権もひどかった。いままで怒らなかったのが悪い。いままでの自民党公明党を許してきたのがおかしい。
私は今回雨の中、長時間国会前や各地で声を上げた人を素晴らしいと思うが、
いままで主流秩序に綬属して生きてきた人が多いことがもっと根源的にひどいことだと思う。会社で派閥争いで敵を蹴落とすために謀略的なことをするとか、汚職に加担するとか、火の粉が降りかからないようにとパワハラする人を黙て放置する人とか、そのようなひどいことはたくさんある。
いまでも多くの人は安保法案のことなど気にかけずに生きている。そして安倍政権や橋下維新を支持したりしている。そのような主流秩序に従属する人、仕方ないといって何もしない人、無関心やナショナリズムに乗る人がいることは、
其れは安倍政権が戦争に向かうのと軌を一にしていると思う。
学者や宗教者は今回声を上げており、それはいいことだが、いままではどうだったのか、日ごろの生き方はどうなのか、とも問われる。
わるいのは安倍政権だけではないと思う。
記事を契機とした私のメモ。
- 安保法案は憲法違反。それが法律専門家の大多数の意見。
- この法律を強行採決で無理やり通すのは、「立憲主義」に反する、クーデター的行動
- 黒を白という手法で、砂川判決を無理矢理利用。
- 殺人はだめという法律があるときに、限定的な殺人についてはのべておらず、違法ではないというようなこと。
(論点検証 安保国会:2)合憲か違憲か、議論平行線 二つの「根拠」に異論噴出
朝日新聞(2015/09/05)
集団的自衛権の行使を政府が「合憲」とする根拠の「1972年見解」(要旨)/政府と野党の対立点
憲法解釈を変えて集団的自衛権の行使を認めた安全保障関連法案は合憲か、それとも違憲か。野党や憲法学者らは「憲法違反」と批判するが、政府は従来の解釈との整合性は保たれていると主張し続けている。参院審議で焦点となった「法的安定性」とは何か。論点を整理する。
集団的自衛権の行使がなぜ「違憲」と指摘されるのか。野党や憲法学者らは、日本が攻撃されていないのに、他国を守るために武力を使う集団的自衛権を認めれば、戦争の放棄を定めた憲法に反すると主張する。
さらに、戦後60年超にわたり個別的自衛権のみを認めてきた政府解釈を一内閣の閣議決定で変えたことは、憲法で政治権力を縛る「立憲主義」に反するとも指摘されている。
こうした批判に安倍政権は二つの「根拠」を挙げ、説明している。一つ目は1959年の砂川事件最高裁判決だ。判決はその一部で「自国の存立を全うするために必要な自衛の措置はとりうる」とし、憲法の下でも自衛権の行使を認めた。
安倍晋三首相は、判決が「個別的」か「集団的」かを区別せず、必要な自衛の措置を認めていると主張。6月26日の衆院特別委では「砂川判決は、集団的自衛権の限定容認が合憲である根拠たりうる」と訴えた。
もう一つの「根拠」は、72年に当時の田中内閣がまとめた政府見解だ。
72年見解は、砂川判決で認めた「必要な自衛の措置」について、「外国の武力攻撃による急迫、不正の事態に対処する必要最小限度の範囲で認められる」としている。政権は今回の解釈変更後も、見解の「基本的論理」は引き継ぐと説明。72年見解は結論部分で「集団的自衛権の行使は憲法上許されない」としているが、政権は北朝鮮や中国の軍拡で安全保障環境が変化し、限定的な集団的自衛権なら合憲と主張する。
しかし、砂川判決を合憲性の論拠とする理屈については、山口繁・元最高裁長官が朝日新聞の取材に対し「当時の最高裁が集団的自衛権を意識していたとは到底考えられない」と指摘。多くの憲法学者も根拠にならないと批判している。
72年見解をめぐる政権の理屈についても、憲法学者の長谷部恭男早大教授が、6月4日の衆院憲法審査会に自民推薦参考人として出席した際、「法的な安定性を揺るがす」と指摘。「個別的自衛権のみ許されるという(9条の)論理で、なぜ集団的自衛権が許されるのか」と批判した。
■法的安定性、「維持」変えず
安保法案と憲法の関係について、礒崎陽輔首相補佐官は7月26日の講演でこう語った。「考えないといけないのは我が国を守るために必要な措置かどうかで、法的安定性は関係ない」
礒崎氏は直後に発言を撤回したが、政権が強調する解釈変更の正当性を揺るがすものだった。これを機に野党は、参院審議で「法的安定性」の問題を追及。特に焦点となったのは72年見解の作成経緯だった。
72年見解は、当時の社会党議員と吉国一郎内閣法制局長官との国会質疑を文書化したものだ。
民主の広田一氏は8月25日の参院特別委で、吉国氏は「日本が攻撃されていないのに国民の生命が根底から覆ることはない」と答弁していたとして、「他国が武力攻撃されている段階で日本が自衛権を行使することはない、と明々白々に述べている。勝手な憲法解釈は違憲だ」と指摘した。
これに対し安倍首相は「それは当時の認識だ。必要な自衛の措置は時代によって変わってくる」と答弁。安全保障環境の認識が変われば、集団的自衛権も行使できると反論した。
民主の福山哲郎氏は7月28日の特別委で、小泉内閣が閣議決定した04年の答弁書に言及。答弁書は吉国答弁と同様、集団的自衛権は自衛のための限定的なものを含めて「憲法上許されない」との認識を示していた。福山氏はこれを踏まえ、昨年の閣議決定は72年見解だけでなく04年の答弁書からも逸脱すると指摘。「法的安定性は維持されていない」とただした。
横畠裕介内閣法制局長官はこれに対し、かつては政府も限定的な集団的自衛権を「認められないと解してきた」と答えつつ、「当時は考え方が固まっていなかった」などと説明。昨年に閣議決定した「日本の存立が脅かされる明白な危険」などの要件を満たせば、行使は可能とする考えを繰り返した。
しかし、72年見解の読み方を百八十度変えつつ「法的安定性」は保たれていると主張する政権の姿勢を、山口・元最高裁長官は「こんなプラスとマイナスが両方成り立てば、憲法解釈とは言えない」と批判する。(石松恒)
◇
次回は、自衛隊が世界中で他国軍の「後方支援」をできるようになる問題を考えます。
■<視点>「憲法上疑義なし」か
安倍政権はこれまで、180時間超に及ぶ国会審議で何度も「法案は違憲だ」と指摘されたが、「合憲だ」「法的安定性は保たれている」といった答弁を繰り返してきた。
衆院憲法審査会で憲法学者から違憲性を指摘されても、政権は「憲法解釈の最高権威は最高裁」とかえりみようとしなかった。だが、元最高裁長官にも「違憲」と断じられ、反論の余地はなくなりつつある。
法案の成立は、国会が「憲法上疑義なし」と判断することを意味する。安倍政権と連帯責任を負う重みを、与党議員も含めた国会全体で問い直してほしい。(石松恒)