ゼクシィCMの評価で前提としていた主流秩序の意味が分かるように、結婚秩序の意味と、不妊治療を頑張ってそれを人に伝える行為の持つ意味について、拙著から紹介しておく。
◆標準家族秩序(結婚秩序) 「結婚しているかどうか、子どもがいるかどうかなどで、標準的・典型的家族像にどれだけ近いかの秩序」……正社員で働き結婚し、子どもがいるという、理想の家族像に近い人ほど上位、そこから外れている程度の大きい人(例えば、子どもなし結婚→正規職事実婚→非正規結婚→非正規事実婚→同棲→離婚→独身→性的マイノリティ)ほど下位
『閉塞社会の秘密──主流秩序の囚われ』p41-42
別の例としては、ある女性が不妊治療をがんばって子どもを授かり、その体験記を出版して、その本が売れ、その著者である女性は講演を重ね、テレビ・雑誌・新聞などのメディアにもよく登場するというようなことがある。彼女は「夫の協力があって今がある」と輝く顔で語り、子どもを持てた幸せと、この過程(不妊治療と出産、育児経験)で自分が人間的に成長したことを語る(あるいは記述する)。その一つ一つは嘘ではなく本心からの言葉であろう。
しかし、それの持つ作用は、子どものいない女性は主流秩序の下位、お金や痛みを乗り越えて頑張って不妊治療をしてでも子どもをもつことが幸せや人間的成長への道だというメッセージである。独身の人、離婚した人、子どもがいない人の中には、今の子どもに関する主流秩序を前提にした焦りを感じる人が出てくるだろう。
不妊治療業界は彼女を持ち上げ、その結果、不妊治療している医者や病院、医療関係会社は儲かるであろう。多くの女性が不妊治療をしないといけないと思う圧力が高まっていくことは間違いない。
つまり著者であるこの女性は主流秩序を強化し、秩序の下位のものを苦しめる行為を無自覚にしているのである。またこの女性は、自分が不妊治療や出産というテーマで仕事を持てて経済的にも名声的にも利益を得るという形で「勝ち組」になっているのである。それは不妊治療業界との共犯関係を持つということでもある。下位のものを犠牲にして自分がのし上がる行為をしているということである。
少し古いが、私にとっては印象的だった大事な例も挙げておこう。1990年7月、神戸高塚高校で、石田さんという女子生徒が遅刻し、機械的に校門を教師が閉め、生徒が門扉と門柱の間に頭を挟まれ、頭蓋骨粉砕骨折で圧死した校門圧殺事件があったが、これは学校・教師だけの問題でなく、それに対しこのことを問題にするのでなく、遅刻はいけないと思い、こういうことに動揺することなく勉強しろという言葉に無抵抗で、粛々とその日の期末考査試験を受けた生徒たち自身の問題でもあった。つまり教師たちも生徒たちも、この学校システムという主流秩序の加担者であった。
事件について
教師は、遅刻対策として時間がきたら機械的に高さ1.5メートル、重さ約230キログラムの鉄製のスライド式の門扉を閉めるということをしており、事件当日も教師は時計を見ながら「4秒前」などと生徒に対してハンドマイクで叫んでいた。現場に付着した女子生徒の血液は警察の現場検証前に学校により洗い流され、教諭は搬送先の病院に行くこともなかった。当日の試験は予定通り実施され、教諭は試験監督も務めていた。この生徒たち自身の加担性をすぐに問題にしたのが、外山恒一『校門を閉めたのは教師か――神戸高塚高校校門圧殺事件』(駒草出版、1990年)である。