ソウルヨガ

主流秩序、DV,加害者プログラム、スピシン主義、フェミ、あれこれ

思った以上に、今の学生世代は、主流秩序に圧迫されている

 

思った以上に、今の学生さんの世代は、主流秩序に圧迫されている、と多くのレポートを読んで改めて思った。

大学15コマの授業で、いろいろ応答を行った。その後でも、主流秩序論への反論はある。でもそれが面白い。そのように思うのか、そうこだわるのか、そう思っているのか。
いろいろわかって面白い。

 

主流秩序という概念に出会い、揺さぶられて多くの学生が考え始めている。主流秩序を契機にこのように考えたりしている。
私から見れば、主流秩序の理解が間違っているものもある。浅いものもある。テキストを読んでいない人もいる。
が、それも含めて、現実の反論なので紹介していきたい。

 

主流秩序論は「こうした主流秩序の価値観にとらわれている人はダメで、さああなたも完全にこれから脱却していきましょう」というものではない。

主流秩序というものがあることに気づき、見つめ、自分の関わり、本音をさぐり、自分の生き方、自分はどのようにこれに支配されずに生きるのか、そのできることを、悩んで、0から100のグラデーションの中で考えるものである。

 

だから抽象的に考えているだけでもいいが、できれば具体的な一歩を期待している。それがある人は、なかなかスッキリといかない。だから面白い。

抽象論だと、テキストに書いてある言葉を使って適当にごまかせる。いわゆるきれいごとを書いて終われる。
自分の今、今日からの具体だとそうはいかない。

 

正義正論は、「主流秩序を批判し、自分が完全にそれとは別に生きること」として、そうならない人は皆、「ダメ、間違い、不正解」と批判して終わるというものではない。

正論と謬見(間違った意見)の間を問題にする、少しでもそこに真摯に生きることを考え、この世の不正義・少数派の苦しみに寄り添う姿勢があれば、その一歩に光を当てようとするものである。

 

学生さんたちの中にあるときには眠っていた、「ちゃんと生きたい」という思いの増幅器になればうれしい。

 

レポートということで一部の学生は「教科書や先生の意見に媚びてい書いている」面があるだろうが、それを差し引いても文面から伝わってくる告白と自己考察には本気が見え隠れしているとおもう。

 

正論を振りかざして、それ以外の99%を批判するのではなく、正論100%と謬見0%の間のすべてのパーセントの中に、大事なものをかぎ取ろうとするのが私の主流秩序論への思いです。

 

学生さんたちは、濃淡はあれ、「考え始めている」と思います。そこを皆さんに紹介することによって、きっとまたあなたの中にも何かが発動し始めると思っています。

4月には、また1ドルくらいで電子書籍で読めるようにしますね。