ソウルヨガ

主流秩序、DV,加害者プログラム、スピシン主義、フェミ、あれこれ

加害者臨床の第一人者、アラン・ジェンキンズ氏からの学び

 

2015年12月に加害者臨床の第一人者、アラン・ジェンキンズ氏のワークショップに参加した。
そのチラシに書いてあったことがよく分かった。

ほんの一部だが、私のメモ(チラシ内容利用)を紹介しておきます。

 

 

ジェンキンズ氏は、加害者の変化を促すナラティブ・セラピーによる加害者臨床の第一人者。代表的著作は『加害者臨床の可能性――DV・虐待・性暴力被害者に責任をとるために』(日本評論社、2014年(原著1990年)。

 

従来、ドゥルース・モデルなどの直面化アプローチが主流であったDV加害者臨床において、ナラティブ・セラピーの視点を取り入れることで、「セラピスト主体の直面化アプローチ」から「加害者本人が自分自身の暴力と変化への責任に直面化する」新たな手法を提示
世界の加害者臨床に大きな変化をもたらした。

 

ジェンキンズの主張
暴力が本人の責任以外の何ものでもないことの明確な提示と対応
外的な理由や影響など第3者的要因を認めることは、加害者本人を外的な影響を受ける無力な存在・受動者と認めることであり、変化することへの自己能力を認めないことになる。


セラピストの役割は、加害者本人が責任を持つことを阻むものに対して本人が直面し、挑戦することができるように促すこと
加害者自身がどのように暴力を行ったのか、
暴力を行った時の選択とその判断の理由、状況
暴力が妻、子ども自身に与えた影響
加害者が持つジェンダーの考え
などを詳細に話し合うことによって、暴力の責任、変化の責任が自分にあることを加害者本人が明確にすること、そうして変化することが大事

 

セラピストは往々にして「暴力の行為を否認し、責任転嫁する加害者」に「難しいクライアントという負のレッテル」を張って処理しがち


しかしジェンキンズは、「否認」「矮小化」の取り扱いこそが変化への道筋で大切であるという。否認、矮小化において加害者が「自分が悪くないこと、暴力的でないこと」を一生懸命説明・証明しようとすること、その行為の意味や理由を加害者本人が考え、答えられるようにすることが大事(それが変化につながる)


自分が暴力的でないことを証明しようとして何を訴えているのか、
それがその加害者においてなぜ重要なのか、
も同じ

 

我々セラピストが尊重のある関係を率先して実践すること、暴力に対して厳しい態度を取りながらも。加害者が被害者に対して行ってきた辱めの態度をとらないことが大事
尊重のある関係のかで、加害者自身が自分の責任と変化に直面化するようにしていくこと


セラピストが、外的に正しいことを押し付け反省させる、謝罪させるような上から目線の「セラピスト主体の直面化」をやめること

 

ジェンキンズのこの手法は、1990年以降、オーストラリア、カナダ、米国の加害者臨床に大きな影響をもたらした。様々なプログラムの開発に貢献した。


◆倫理的かかわりとは何か
ジェンダーンキンズは道徳的と倫理的を分けるが日本語感覚としては、様々な定義や用法がある中で、この区分は伝わりにくい。
しかし、ヒエラルキーとも含めて彼の言わんとすることを私は以下のように再整理。私の感覚と大きく重なっていると思っている。
簡単に分ければ、
モラル的=社会基準的、主流秩序従属的、外からの力に従属、自分で考えない
倫理的=シングル単位的、スピシン的、脱主流秩序的、自立/自律的/自由的

 

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もう少し詳しく言うと、
道徳的モラル的かかわりとは、 外部からルール、伝統的価値、ガイドライン、規範・肩にハメる、一定必要だが必要悪的、しないといけない、MUST,SHOULD
道徳は従順、周りのこと考えろ ルールへの適応ばかり

 

倫理的かかわりとは、 エシカル、いろいろな選択の中で可能性の中で自分で選んでいく、開かれたもの、MAY,MIGHT,内からの規範、外のモラルから離れてどな人になりたいのかその人が持っているものを引き出す、抑圧などへのプロテスト・抵抗を肯定的する視点、その抵抗の根拠となるもの、その人に中にある前向きなエネルギー。力に注目するもの。

 

つまり倫理的であれば、自分の適切な基準で判断するという主体的自立的生き方、シングル単位的生き方になり、間違った言動に対しては自ら良心の呵責を感じ、不当なことに抵抗し、適切な愛情関係をもって生きていくことになる
しかし逆の「道徳的」であれば、本人も援助者も主体的でなくなり、主流秩序に従属し、良心の呵責も感じず、愛情関係もいびつになり、身体パワーもなくなる


○非エンパワメント


自分には価値がない、 安定安全に生きるような力がないと思い込んでいる、世の中は危険だし、自分はそれに抗えない、生活に制限(我慢、忍従)をかけて生きていくしかない、


○暴力被害者は、自分も、モラル的(社会基準的、主流秩序従属的)に解釈して苦しんでいる状態、世間のスティグマ(負の烙印)を内面化、自分はだめ、価値がない、ステレオタイプなとらえ方で人と比較して自己を低く見る、道徳的な契約/価値観で縛られている

→そうした人への支援、かかわり


その人に、より自由な視点を持ってもらい、新たな解決につながるのが、倫理的な力への注目、ステレオタイプの見方を打ち破る抵抗の始まりをみいだすことが大事
倫理的な感覚が出てくるよう援助することが支援

 

 

その他いろいろあるが、これくらいにしておきます。私なりの吸収と利用は、加害者プログラムで実践していきたいと思っています。また次のDV関係の著作にまとめていく予定です。