答が分からないことが答 「見舞い」 谷川俊太郎
「見舞い」 谷川俊太郎
入り江に向かうなだらかな坂道を下り
ホテルと見まがう新しい病院の一室で
もうすぐ死ぬかもしれないひとと
穏やかなひとときを過ごした
(問いかけたいことはもうなくなっていた
答が分かったからではなく
答が分からないことが答だと知ったから)
窓際のコップの中のハマナスの花
枕もとに散らばる子どもたちの写真
からだにつながれた機械の微かな吐息
硝子窓を透かして見える世界の切れはし
曼荼羅を描くのに足りないものはない
「……あのとき……あなたと……私は……」
切れ切れに言いかけてあとが続かない
だが青白い仮面のような表情の下に
見えない微笑みの波紋がひろがり
ベッドの上の病み衰えたひとは
健やかな魂のありったけで私を抱きしめた
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いい詩だ。いろいろなことを思う。
ところで、「問いかけたいことはもうなくなっていた」という言葉は、
谷川さんの詩の文脈での意味も分かるが、
それ独立のものとしてみると、より広い文脈でも様々なことを喚起させる言葉だ。
「問いかけたいことはもうなくなっていた
答が分かったからではなく
答が分からないことが答だと知ったから」
この感覚は、私が<スピ・シン主義>に至ったこと、そして主流秩序論に至ったこととつながっている。
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