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「LGBTQがいじめ・差別から守られる法律を!緊急声明」

「LGBTQがいじめ・差別から守られる法律を!緊急声明」

https://note.com/lgbtq_houritsu/n/n56acf6a6d9d2

 

現在、与野党間で「LGBTQ」をめぐる法案についての議論が大詰めを迎えています。

しかし、法案は差別を野放しにし、性的マイノリティに関する世の中の動きを抑制し、むしろ「後退」させる懸念もある骨抜きの内容になっています。

性的マイノリティの約半数がいじめ被害を経験し(※1)、自死未遂の割合がシスジェンダー異性愛者に対してLGB(同性愛者や両性愛者)が6倍、トランスジェンダーが10倍という調査もあります(※2)。

こうした差別をなくすためには、性的指向性自認に関する「差別をしてはいけない」という基本的なルールを示すことが重要です。

しかし、自民党は「差別の禁止」ではなく「理解の増進」を掲げ、「LGBT理解増進法」の制定に向けて調整を進めています。

「理解増進」は、一見賛同しやすい響きですが、実際には差別を放置し、同性婚やパートナーシップ制度導入の動きを阻害、トランスジェンダーへのバッシングを助長するような、性的マイノリティがいじめや差別から守られない、むしろ性的マイノリティに関する世の中の動きを抑制、後退させる危険性すらある内容です。

与野党間での協議は、ゴールデンウィーク明けに終わる方向で議論が進んでいます。

今国会での法整備を逃してしまうと、性的マイノリティに関する差別をなくすための法律ができるのはいったい何年後になるか、予測不明です。

しかし、もしこのままの内容で法案が成立してしまうと、今後10年以上、法律の根本や大元の内容が大きく変わらない可能性もあり、むしろ「法律がない方がマシ」ということになりかねません。

2019年の全国意識調査では、性的マイノリティに対するいじめや差別を禁止する法律に対し、約9割の人が賛成しています。なぜ「差別の禁止」を法律に明記することができないのでしょうか。

性的指向性自認に関する差別的取り扱いの禁止を明記し、性的マイノリティがいじめや差別から守られるための法律の整備を求めます。

 

※1 宝塚大学看護学部日高教授「第2回LGBT当事者の意識調査(ライフネット生命委託調査)」2020

※2 「働き方と暮らしの多様性と共生」研究チーム「大阪市民の働き方と暮らしの多様性と共生にかんするアンケート 報告書」2019

 

LGBT理解増進法の3つの懸念

1.差別を「放置」する懸念

すでに80以上の国で、性的マイノリティに関する差別の禁止が法律で規定されています。

差別禁止の規定がなければ、例えばトランスジェンダーであることを理由に採用面接を打ち切られたり、ゲイであることで左遷やクビにされたり、学校から追い出されるといった、いま実際に起きてしまっている「差別的取り扱い」から当事者を保護することができません。

「障害者差別解消法」や「男女雇用機会均等法」「アイヌ新法」などでも、差別的取り扱いの禁止が規定されており、本当に差別をなくす気があるのであれば、大前提として取り入れなければならない条文です。

2.同性婚やパートナーシップ制度の導入を阻害する懸念

もしLGBT理解増進案が成立してしまうと、今後、同性婚の法制化や、または自治体のパートナーシップ制度の導入には、いつまで経っても「社会の理解が足りない」と言われ続け、「理解を広げることが先」など、言い訳としてこの法律が使われ続ける可能性があります。

法案では「理解」がいったい何を指すのか、どこまで広がれば「理解が足りる」のか、一切示されていません。地方自治体は、この法律をベースに施策を進めていくことになりますが、このままでは、自民党の考える「理解」に合致しないという理由で、例えば「同性婚」という言葉の入った啓発パンフレットは作ることができず、パートナーシップ制度導入などの広がりも阻害され、教育や労働、医療の現場の取り組みも制限されてしまう懸念があります。

3.トランスジェンダーへのバッシングを広げる懸念

自民党で開催された複数の会合で、トランスジェンダー女性に対するバッシングが行われたと聞きます。

例えば「いま私も女性になりたいと思えば女性になれる」という曲解や、海外のトランスジェンダー女性の写真を資料として提示し、「グロテスク」などという言葉も使って「女性の活躍、安全が脅かされる」とトランスジェンダー女性の実態を無視した、あまりに差別的な発言がされています。

このような認識のもと「理解」を広げる法律をつくるというのは、トランスジェンダーに対するバッシングを助長しかねません。

※5月6日(木)に緊急記者会見を行います。ぜひ一人でも多くの賛同をお待ちしております。

呼びかけ人

(以下略)

『緑豆の花』と主流秩序(その3)

『緑豆の花』――「意志を継ぐ」という感覚を持てる人とそうでない人の話(その3)

 

第3章 まとめ 「緑等の花」の魂を受け継いで

 

  • 「負ける側」と「グッド・ルーザー」

負けたいのではないが、負けるしかない。その負ける「側」に立った人にしかわからないものがある。主流秩序を前提(自然)としてしか考えられない人々にはわからない景色。「負ける側のその魂」のすばらしさを描いたのが物語『緑豆の花』」だということを書いてきた。

「グッド・ルーザー(goog loser)」という言葉がある。「潔く負けを認める人のこと」だが、もう少し深くは、負けた時にどういう態度をとるか、そこから何を学びその後どう生きるかで、何か大事なものを「敗北」から得る人こそ「勝者」という意味ととれるだろう。負けた時に人の本性が出る、そのときに素敵な人が「グッド・ルーザー」。

それを転じて考えれば、東学農民軍として蜂起した人々は、死んだ者も多くいるが、個人の人生時間・時代を超越しての『グッド・ルーザー』だったともいえるかもしれない。本稿の言葉でいえば、負ける側になることで見えた『緑豆の花』という景色の美しさと幸福感。緑豆将軍とともに理想の社会を目ざして、憎い奴らと戦う幸せ。負けるのに幸せ。あとのものたちに夢を託し、東学の戦いに参加したことを後悔しないでいさぎよく負けていった、負けっぷりのいい人たち。

 

  • 主流秩序に対して負ける側に行く道

子の物語『緑豆の花』が示し、観る者に問いかけるのは、人の生き方を分ける大事な分岐点をどう考え、どの道を選ぶかということだ。それは、東学農民の蜂起と敗北を受けてあなたは今を生きているのかという問いかけともいえる。商団の家長ソン・ボンギルが、娘ソン・ジャインの意志に反する選択をしたことをどうとらえるか。ペク・カが「人は実利で動く、人を踏みつけて上昇しろ」といったことをどう受け止めるか。命や金儲けよりも大切なものがあるということを分かるか、わからないか。この「理想を目指して戦い、負けつづけてきた側」の「希望」ってものがわかるか。

それは、今現代の社会において、私やあなたは主流秩序に従属しない、「抵抗・非協力・不服従」の道を見ようとしているか、していないかということにつながっている。そんなこと考えたことない、そんな道などみえない、負ける道など行きたくないという人は、今の日本では多いと思う。、それは、「体制、主流秩序、権力」と戦う運動や実践・生き方をしている人が少ないからだ。

だが世界を見てみれば、今日、この瞬間にも東学農民の蜂起、牛禁峠の虐殺と同じようなことは起こっている。負ける側に立って見えるものは、例えば、香港やミャンマーウイグル自治区チベットで、ベラルーシで、BLMのデモで、弾圧される側のひとは「緑豆の花」をみているのだ。そういうひとにしか見えないものがある。

  イガンの「あなたが死んでも安心してください。あなたの意思を引き継いで戦い続けます」という言葉が、2021年においても、ある人々にはひき継がれている。

その「目をとじれば見える景色」を、一度みたものは、もう「知らなかったとき」には戻れない。だから1894年以降、何度も世界各地で緑豆の花は咲き続けてきたし、今も、今日も、明日も咲くだろう。敗北の中で。

皆が、東学農民軍の蜂起・その顛末を知っているわけではない。牛禁峠の戦いを知っているわけではない。だが、そんな「知識」「情報」を知らなくても、面々と伝わってきたものについては知っている。それは言葉にしなくても伝わる関係であった、イガンとボンジュン、イガンとその母の関係のように。

私たちは、不利を承知で、死ぬことを承知で、サムレ(第2次蜂起のための集合場所)に参集した人々を知っている。無名の虐殺されたものたちの悲しみや怨念、戦って死んでいたものたちの「後に託す思い」を知っている。

歴史は基本、民衆が抑圧され続ける歴史である。権力側には組織された武力があるので被支配階級、民衆側は基本負ける。負ける運命なのだ。それが続いての歴史だ。実際、この物語の舞台となった1894年から95年においても、「悪い」のは日本軍だけではない。「清」も、強国に従属して保身を図る王族も日本軍に媚びていく両班たちも反吐が出るほど愚かしい。そしてそんな支配層の言うがままに動き、民を虐殺する官軍・討伐隊も民保軍も、恥ずべき人々だ。命令だからと思考停止し、ひどいことに加担する一人一人に責任がある。命令に従った下級の兵士たちも日本に協力した両班たちも地獄で炎に焼かれるべき罪びと(売国奴)だ。だが実際に死ぬのは蜂起した側であり、主流秩序にすがった者たちはそれなりに生き残ったり利益を享受する

 歴史は基本、民衆が抑圧され続ける歴史だが、その腐敗ゆえに永続はできない。時々、その体制が制度疲労にいたり矛盾が拡大し、内部から崩壊し、別のものになっていく。それが繰り返されてきた。その過程では常に、累々と無名の人々死体が積み重ねられていくのだが。義兵や緑豆将軍が目指した「身分制のない平等な社会、つまり民主主義のような世の中」を夢見た人たちは、勝つまでは負ける。だがそれは時代の先取りであり、民主主義が発芽する前の肥料となっていく生き方だ。

しかも、それは単に「後に発芽するのであって、その時は後悔や苦しみだけ」ということではない。その負ける時点においても、「緑豆の花」を見ているものは、身近なところでその「未来社会の芳醇な香り」を嗅いで生きているのだ。例えば「蜂起の場所に集まる人や蜂起を応援する人々を見るときに、そこでの人間の勇気や仲間意識や信頼関係を見るときに、「戦い続けます!」という後に続く者たちの決意を聞くときに、目指している未来社会は常にもうすでに「いま、そこ」にあるのだ。どんな社会にも不平等や差別はあるが、逆にどんな時代にも、生き方によって「理想社会」は今の生活に顔を出す。

 

  • 記録に残っていない名もなき人々

 この「緑豆の花」の作家(脚本家)チョン・ヒョンミン氏[1]はいう。私たちはこの無名の、まともな名前さえ持たず、武器といえば竹やりだけの民衆の「個別性をもったひとりひとり」「個々人というもの(個別の名のようなもの)」を知っていると。

記録として残ってはいないが、そこには顔を持ち、笑顔を持ち、呼称を持ち、人間関係を持った人生を生きていた個々の人がいたことを知っている。それを描いたのが物語『緑豆の花』なのだ。牛禁峠の戦いで死んでいった約2万名の人、ひとりひとりに、人生があり、理想に準じる気概があり、愛する人がいたことを描いたのだ。

だからこの物語『緑豆の花』の最後は言う。

これは忘れられた誰かの話だ。

あの熱かった甲午年(こうごのとし1894年)

人が天になる世を目指し

突っ走った偉大なる民たち

歴史は“無名の戦士”と呼ぶが

私たちは名を知っている

緑豆の花

彼らのおかげで私たちがいる

「人は天!」(人即天)

 

東学農民軍・義兵たちに対して弾圧・虐殺しまくった官軍・討伐隊や日本軍。同じことが今ミャンマーでも中国のウイグル自治区デモチベットでも、香港でも起こっている。日本でも難民や亡命したい人を受け入れず、非人間的に収容し本国に追い返す入管制度がまかり通っていたりする。

 短期的全体的には「勝利」はない。しかし、そこで戦っている一人一人は「すでに勝っている」ともいえる。それは≪やつら≫には見えない「緑豆の花という景色」が見えているから。「それ」を見ながら生きる喜びと誇りを知っているから。もう、「その生きる基準」がない生き方はできない。

「人は実利で動く(主流秩序に従って生きる)」というのだけではないと思って生きる人がいるということ、「勝てない」(主流秩序の上位に行けない、主流秩序の呪縛から離脱した人)側にしか見えない「緑豆という景色」を見た人たちの壮絶に幸福な人生の話であった。

 

  • “たましい”を受け継いで生きていく

私は、生き方の道は人によって異なると考えるが、ちゃんと生きている人は自分の“たましい”に向き合っていると考えている。私の言う“たましい”とは、「その自分にとって大事な生きる基準のようなサムシング、実利だけではないもの」のことであり、それは地球上のほかの命・自然全体とのつながりの感覚にかかわる、微細なものである(スピリチュアル・シングル主義)。

それは主流秩序どっぷりの人には感じられない。たが歴史においてどの民族、どの社会においても、そうした“たましい”的なものは概念化されている。呼び方は様々だがその「なにか」に触れてひとは繊細に豊かに、深く生きてきた。それは愛と呼ばれることもあれば誠実さ、勇気、誠意、神秘、共同体意識。信仰といった言葉で捕まえられることもあった。世界的にその共通性をいうならスピリチュアリティであろう。

その微細で崇高な精神・つながり感覚は、自己をどこまで拡張できるかということで、他者、多民族、過去や未来の人々、そして命あるもの・動植物や空気や水といった地球環境全体との交感と責任意識の装置の名称として表現されてきた。この感覚が分かる者たちは、自己を拡張して、過去の人々の戦いの苦闘の営みを尊重していこうとする意志、スタンスをもつのだ。

だがこの“たましい”感覚がないものは、過去の(広義の)先人・先祖たちの闘いを忘れて、いま自分さえ実利的によければいいとしか思えない。、「勝てば官軍」的な感覚を持ち、目の前の主流秩序に無批判にのってただ即物的快楽や利益に耽溺する。流行に乗って受けることをいうような「リベラル」や「人権尊重系」や「反体制的」なものも、そこに“たましい”的な微細な感覚がない場合、力による戦いになったり、「ミイラ取りがミイラになる」ように、またまた自分も主流秩序の上位者(利益享受者)になってしまう。

だからこそ、主流秩序の上位的な生存スタイル、つまり物質的に高度な消費をすること、勝つこと、強いこと、調子に乗ること、自己責任的であること、には警戒的にならねばならないのだ。

主流秩序(の上昇志向)に批判的になり、“たましい”的なものを大事にできないなら、いったいどこに自分の言動を「恥ずべきものにしない」とする倫理観がもてるだろう。その時代時代の主流秩序への従属を拒否し、「損な道」「負ける道」を選び、理想をもって格闘した死者たちの思いを継ぐ感覚は、自分の生き方をつながりにおいて責任をもって生きていくことになる。

こうしたスピリチュアルな感覚を示した作品が、私にとっての物語『緑豆の花』であった。

 

  • 連なっているものーー暴力に負ける側にとっての「非暴力」

権力者による支配・差別・弾圧に対して、「負ける側」にとってのグッド・ルーザーとなって“別水準の勝利”を得るには、自分が非暴力の存在になり、非暴力の思想・空気・関係・社会を広げていくことである。非暴力とは、「暴力を使わない」とか暴力に対して傍観していることではない。暴力の社会・暴力的人物と戦うことを非暴力というのだ。

たとえばキング牧師の非暴力直接行動は激烈なものであった。弾圧や逮捕、暴力被害(時には殺害されること)を覚悟でのデモや座り込みや不服従闘争であった。それは真摯な話し合いを拒んできたものに対して、交渉のテーブルにつかせるための環境づくりの、ある種“力づくでの”運動であった。キング牧師はそうした状況に至らしめるための直接行動を「建設的な非暴力的緊張感」を作るものと表現している[2]

こうした直接行動を担う人々がいて歴史は動いてきた。れはマルクス階級闘争で歴史が動いてきたと表すことと近い。緑豆将軍たちの戦いもこうした系譜の一つである。蜂起・一揆・民乱・革命的武力闘争・ゲリラ闘争と非暴力直接行動は連なっている。さらにその先に、主流秩序を解体していく多様な戦いが連なっている。DVやパワハラ・セクハラをなくすための活動、非正規差別をなくすなどの労働運動、LGBTQや少数派民族などへの差別を是正する戦い、フェミニズムナショナリズムヘイトクライムに対抗する運動等はその一部だ。

この戦い、こうした人々の営み。過去この系譜で戦いを積み上げてきた人々、その中での多くの敗北や死を忘れないならば、私たちは、イガンが言う「人間らしく生きた人」に名を連ねることができるだろう。

これをまとめている現在も、牛禁峠の戦いにおける虐殺のようなことが起こっている。ミャンマーのクーデターを起こした国軍は、市民を弾圧し多くのものを不当に逮捕し700人以上虐殺しているが、軍の報道官は「木が成長するためには雑草は根絶やしにしなければならない」と言って市民の抵抗を雑草に例えて虐殺弾圧を正当化している。デモに賛同した俳優や歌手など120人以上を指名手配し逮捕している。メディア人もネット民も逮捕されている。死刑判決も出されている。市民はそれでもSNSなどで情報を発信しデモを行って抵抗。軍はインターネットの接続遮断などもしている。

ミャンマーの人民に対して虐殺する軍隊・軍事政権は、経済的実利とも大きくつながってもいる。ミャンマー軍は実は経済的社会的利権を大きく持っている勢力であり、だからこそ、利権を奪われそうになることに抵抗してクーデターを起こした。外国企業はミャンマーで商売をするとなると軍と仲良くしないといけない構造となっている。日本企業・日本政府はそことつながっている。これはまさに物語『緑豆の花』の中の、日本軍や朝鮮官軍、商売人・軍商たちの生きざまと重なる。

では、こんな時代において、私たちひとりひとりは、現代においてどう生きるのか。物語『緑豆の花』が提起していることは何なのか。

もちろん現実は複雑で、空論、理想論を口にしているだけではだめだろう。渋沢栄一論語(道徳、理想)もいるが「そろばん」(実利で動くという経済面)も大事で、そのバランスで現実的な社会の前進、問題の解決を図ることを説いた。TVドラマ『ゴッドファーザー オブ ハーレム』でボンピー(黒人のギャングボス)に対してマルコムXは「目覚めよ」という。それは黒人がまともに生きていけるようにするためには、社会的政治的な意識を高めて黒人解放運動に協力連帯しろという意味だ。一方、孤立するマルコムは 本当に自分の政治的な目標を達成するためには、現実的にはギャングの力を使わないといけないと判断していく。

これはかなり普遍的な話で、実際の政治的成果を上げるには、おおむね「そろばん」的な面も入れた様々な妥協も必要、主流秩序にのりながらの『力を持つこと』が大事ということはある。だがそう言いながら自分が主流秩序の上位に行ったり、主流秩序の維持強化に加担する人が多い事を問題としたいというのが私の問題意識であった。そろばん大事という話の人は「負けていては実現出来ないでしょ」という方に目が向きがちだ。

それにたいして、私は、そのような現実的な形で社会問題を解決していく人は、それはそれで必要だが、一方で、負ける側から見えるものも大事ではないかということを今一度重視したいと思って、主流秩序論の切り口から問題提起している。『論語』的な面が非常に弱くなって主流秩序に囚われている人が多い中で、主流秩序を揺るがしたり解体していくための実践は、今ここで、未来社会を先取りしていくことなのではないか。その文脈で、DVを学び非暴力な存在になっていくというようなことを大事にしたいと思っている。

そんな私にとって、物語『緑豆の花』は私たちの通常の認識が届きにくい、つかみにくいものを、忘れてしまっているものを、目の前に展開してくれた。私にとっては、大切なものだったので、時間をかけて、ここに感想を記した。そしてこの作品を作り上げた人たちに感謝する。ぜひ視聴されることをお勧めする。

以上

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[1] 東亜大新聞放送学科を卒業した後、労働運動をしていたチョン・ヒョンミンは、民主党パク・インサン議員とハンナラ党イ・ギョンジェ議員の補佐官として働いていた経歴がある。約10年の間、国会議員補佐官で現実政治に足を踏み入れておいたチョン・ヒョンミン作家は、KBS脚本公募展に当選して、専業作家に転向した。(ネット記事「政治ドラマを専門とする作家 チョン・ヒョンミン『緑豆の花』 「鄭道傳を越えるか」2019-04-26 より)

[2] マーチン・ルーサー・キング『黒人はなぜ待てないか』(みすず書房、原著1965年)

 

 

韓国TVドラマ『緑豆の花』と主流秩序 (その2)

『緑豆の花』――「意志を継ぐ」という感覚を持てる人とそうでない人の話

 

第2章 激動の時代に登場人物たちが選んだ様々な「生きる道」

 

  • この歴史の中で選択を迫られた各人

この歴史的流れの中で、物語『緑豆の花』として描かれるのは、各立場で生きていく登場人物たちの「生きる道の選択」である。私は、この登場人物たちの選択を見ながら、主流秩序の中で人は(自分は)どう生きるかを考えることができた。

以下、物語『緑豆の花』を視聴していない人にもある程度わかるように、各登場人物の生き方を主流秩序との絡みで紹介していきたい。

***

  • 父が良かれと思って娘の生き方を否定してしまう誤り

人生で生き方を問われる瞬間というものがある。主流秩序に屈服してしまう選択もありえる。あるいはそれでいいのだと信じて疑問や躊躇なく主流秩序に沿った選択をするひとがいる。この物語では、例えばソン・ボンギルであったり、ペク・カであったりする。

***

商団の家長ソン・ボンギル(商団・全州旅閣の元主人 現在「都接長」)は、娘ソン・ジャイン(ソン客主:商団・全州旅閣の跡取り娘)を助け自分たちの商団が生き残るために、娘の東学協力を阻止し日本軍に協力(軍需物質を提供)することにしてしまう。行商人たちは都接長の言うことを聞いたため、娘とドッキ(娘を助ける部下)は東学農民軍への協力ができず、逆に商団は日本軍に加担することになってしまう。父は娘に「大人になれ、機会が訪れたときにつかんで巨商になれ」といい、大事な娘の命を優先したからこの選択は正しかったと思っている。

だがそれはドッキや娘の人生を狂わせる。娘は自分が誇れる生き方を妨害され、侵略者の虐殺に加担することになったのだから。その娘の父への絶望と怒りは大きい。親子の関係は破綻する。何を大事にするかで父は命や金儲けを選んだ。ある意味、金もうけに生きてきた父であり娘を何より愛する父にとって当然の合理的な判断と思えるものだった。だがそれは娘の“自分が人間らしく生きるという選択をした生き方”を否定することとなった。ソン・ボンギルは、自分の命や娘の命への脅しという危険があっても、娘の意思を尊重する選択もできた。だが脅しに屈してしまったし、それが商団の儲けになるので「現実的には娘のために取った良い選択だ」と判断した。だがドッキやジャインが蜂起に対する裏切り者ではないことを説明するためドッキは農民軍に赴き、そこで義兵となって結局死んでしまう。娘は東学農民軍の義兵たちが虐殺される状況を見ることとなる。娘もドッキも父ボンギルの「選択」によって人としての道を誤まってしまうことになった。仲間が虐殺される中で自分だけが助かる、しかもその虐殺に自分たちが加担してしまうなどジャインには地獄である。

 

  • 父ボンギルに欠けていたもの、みえなかったもの

父は見誤った。その原因は3つの問題として整理できる。

それは第一に、シングル単位的に個人の自己決定を尊重できなかったという問題である。父は娘や大事な部下を「自分と一体の家族」のように思い、そのためには自分が判断してもいい――自分が正しい選択をしてやるーーと考えた。家族単位的な感覚である。それは娘やドッキ個人の判断を何よりも尊重し、境界線を越えないというシングル単位的な感覚の欠如という誤りである。父はよかれとおもって娘の判断を尊重せず、自分の価値観を押し付けた。境界線を越えて娘の人生をコントロールしてしまった。悪い方向に。それによって愛している娘との信頼関係を失った。

娘は病気で血を吐いた父に向って言う。「血を出すのは早いわ。朝鮮人の血の付いたお金で棺を満たすから、もう少し待って。まだ死なないで」

第二の問題は、父が主流秩序的な価値観にどっぷりつかって、それから離れるという道が見えなかったという問題である。この場面でのソン・ボンギルにとっては、強い日本軍、それに従う官軍側について東学の蜂起と敵対すること――主流秩序に沿って生き残る道――しか見えなかった。まして目の前で自分の命も含めて大事な娘とドッキの命を脅され、逆に協力すれば助かるし儲かるとなれば、その強者に従属する、言いなりになることは生き残るためには「それしかない」不可避の選択肢と父には思えた。だが、それは、主流秩序に対して、「従属する以外の道があるということを知らない生き方」といえる。

平時に生きてるなかで、金もうけが大事、命は大事と思う人は多いであろう。だが命や金儲けより大切なものがある。娘は「愛する人(イガン)や仲間を裏切り、大義に背いてでも自分一人生き残りたい、できれば儲けたい」などとは思わない。むしろそれは身が引きちぎられる苦痛であろう。民の側に立ち、理想社会を目指して戦って愛する人や仲間とともに負けたかった、死にたかったであろう。つまり、そのように、「日本軍とそれに従属する王族・官軍に加担する主流秩序の道」以外の道――日本軍と戦う道――があるのだ。それが娘ソン・ジャインにとって「ちゃんと満足して生きる道」だった。

それが娘には見えていたが、父によって奪われた。父には、主流秩序に反してでも「人が生きる上で大切なものがある」ということを、自分の狭い価値観によってみることができなかった。東学の「人が平等な社会を」というような主張を、矮小化して「たんなるきれいごと」「無理な夢物語」「空論」としか理解できなかった。それゆえの悲劇であった。ソン・ボンギルが「現実的」と思って選んだ選択の代償は大きかった。

そして最後の第3の問題は、父に娘を深く信頼し誇りに思うという感覚が欠けていたことだ。娘とドッキが死ぬのを見たくなかったというボンギルの考えに欠けていたものは何か?それはペク・イガンの母ユ・ウォリが、息子を愛し信じるからこそ、息子が死ぬ可能性の高い戦いにいくことを止めないような思いだ。息子の戦いの道を深く尊敬するような思いだ。

イガンの母は、ナムさんが戦場に行くときに「イガンへの伝言はあるか」と聞かれて答える。「何もない。以心伝心でわかるから。私がどれだけ誇りにおもっているか。誇らしすぎてどれだけ幸せかわからない。」

 

  • ペク・カにわからなかった「人間らしく生きた人だけにわかること」

 ペク家の家長ペク・カ(イガンやイヒョンの父)も、根っからの「現実派・実利派、主流秩序どっぷり派」である。とにかく現実的に権力を握り、主流秩序を少しでも上昇したいというタイプである。身分制を内面化し、平気で身分の低いものを搾取し、本気で使用人を殴打できる。

ペク家長は、ペクの妻などがイガンの母ユ・ウォリを助けようとすることを阻止する。「トンビに協力したとみられていいのか」と怒り、ユ・ウォリを棒で殴打する。「いいかげんにしろ!やめろといったときに聞かなかったからだ。主人が言ったら従うべきだろ!(なぐり続ける)使用人が出しゃばるからこんなことになる!」 そして民保軍に媚びて、「こいつが悪質なトンビだ」といって差し出す。妻は「それてでも人の子か!」と泣き叫んで怒る。

またペク・カは息子イヒョンーー日本軍に加担してひどいことを繰り返して出世してきた状況――が悩んでいるときに、いう。「鬼になったと思ったのにまだ人間なのか?それで宰相になれるのか?」「上に昇っていくには踏みつけねばならん、ずっと踏み続けるんだ 階段でも人でも」。そしてイヒョンが「必要ならば父上も?」と聞いたことに対して、「昔のことなど気にするな。記憶は歳月には勝てない」という。そういう世界観なのだ。

その父ペク・カと庶子イガンが対話する場面で、主流秩序しか見えないペク・カと、理想をもって「主流秩序から離れる視点」を得たイガンの世界観の対比が明確になる場面があった。

(父に何を感じているかと聞かれたイガン)「吏房[1]にならず本当によかったと」、父「吏房にならず義兵になって何を得た?」、イガン「父さんに話しても理解できないはずです。人間らしく生きた人だけにわかることですから。」、父「人即天と騒いでいたやつらはみんな死んで、鬼と呼ばれたイヒョンは郡主になった。それをみたらどう生きるべきか答えがでないか?」、イガン「そこは獣の遊び場で 人の生きる世界じゃない」、父「“あれ”のまま生きるべきだった。この世は鬼や“あれ”で生きるしかない。名前では生きられないんだ」。

 つまり父ペク・カには本当に答えは明白で、それは「理想を言って主流秩序に反抗したものが死んで、主流秩序側に立ったものが出世したのだから、主流秩序に合わせるのがいいのは当然」ということなのだ。

だが、それはソン・ボンギルと同じく「主流秩序に沿わない生き方」――民の側に立ち、理想社会を目指して戦って愛する人や仲間とともに負けることで満足して生きる道――が見えないということだ。イガンにはその「道」が見えていた。それを「人間らしく生きた人にだけ見える道」と呼んだのだ。そして父にはわからないということもわかっていた。かつての自分にもその道が見えなかったから。

ここに示されていることは、この「主流秩序という構造がわかったうえで、それに従属しない選択肢も見えてくる感覚」が、わかる人とわからない人がいるということだ。主流秩序どっぷりの人には見えない選択肢。それをこの物語は「緑豆の花」という景色・概念として示した。

ペク・カには主流秩序にそう道しか見えないことが分かる別のシーンもあった。

日本公使館配下の人間になって非道なことをし続けるイファン(日本名「鬼」)に対して父ペクが言う。「(今の朝鮮は)日本人の世界だからなんと言われようと まっすぐ日本の協力者の道を進め。それで“宰相の父になる”という私の願いをかなえてくれ。この国はとっくに滅びているから朝鮮という国など気にするな。お前のような賢い奴が他国の味方になった時点で滅びていたんだ。国なんてものは幻に過ぎない。国の前に人がいて、人は実利が大事だ。余計なことは考えずに今のように生きろ。」

つまり、強いものに従う道でいいのだ、人は実利で動くしそれでいいのだ、だから侵略国であろうと日本を利用して儲けたり出世していいのだ、という哲学だ。

だが、これは、それしか見えていない限界ある思想であり、それが真実だと決めつけている点で正しくない。ペクには人間とはそういうものとしか思えない、それしか生きる基準がないという告白をしているにすぎない。

現実は、人は実利だけで動くものではない。父は「人は忘れるから気にするな」というが、実利や人の目が第一の基準ではない人がいるのだ。世間が忘れようと自分が自分を裏切れば、自分を許せなくなるという人はいる。ばれなければいいという人もいるが、ばれなくとも自分の基準で恥ずかしくない生き方をしようと思う人はいる。このギャップは、自分が何を大事に生きてるかという問題のギャップだ。

 

  • 「負ける生き方」――主流秩序に沿わない幸せ

物語『緑豆の花』では、ギリギリにおいて「不利な選択」をした人たちが描かれた。それは「馬鹿な生き方をしたね、こうなったらだめだよ」というためではない。「不利な選択」をした人たちに対して、尊敬と感謝と「意志を継ぐ」という応答として記録されたのだ。私もその気持ちで本稿を記している。その「不利・損な選択」を「負ける生き方」と呼んでもいいだろう。「負ける生き方」の豊かさを見ていこう。

***

イガンたち東学の義兵たちは、強力な日本軍と戦えば死ぬであろう選択肢を選んだ。それは悲しみでも絶望でも生きる気力の喪失の結果でもなぃ。それは誇りをもって生きる道だったから。

イガンはいう。

(牛禁峠の戦いの中で圧倒的に不利な状況になって撤退するかどうかにおいて)「戦い続けるか、選択は義兵にさせてください」とボンジュンに言う。そして接長たちの前でイガンは言う。

「解散して再起をはかるべきか、戦い続けるべきか、接長たちの考えは?」(別動隊長の考えは?の声に)「“犬の犬のフン”という名の接長は挙手を」(多くが手を挙げる)

「多いな。卑しいやつばかりだ」(皆の笑い)「俺は“あれ”だった。」(笑い)「今日死んだ隊員の名は“村の犬”だった。ひどい名だ。家畜だってそんな名で呼んだらだめだ。だがそれがこの世の現実だ。人の上に人がいて、下は家畜と同じ。だから戦った! 必死に戦ってついに、使用人も接長、両班も接長! 俺みたいな庶子も接長! 宮殿にいる王様も接長!! 解散して命は助かっても、接長ではなくなる。日本人が両班の代わりになり、また家畜のように生きる。だから俺は戦う!」「わずかだったが 人が平等に接する世界で生きてみたら、もう別の世界では生きられない! だから俺は戦う!たとえ一瞬でも人間らしく生きて、人間らしく死にたい!」 

つまり、イガンたちは、身分によって卑しめられる不平等社会(当時の主流秩序)に苦しんできた中で、はじめて人が平等に生きられる世界の空気を味わったのだ。戻れない。だから「負ける道」であっても突き進む。このことをボンジュン(緑豆将軍)は、身分社会を所与のものとして諦める世界から、別の世界への境界線を義兵たちは越えたと表現した。「境界は心の中にある。彼らはそれを超えたのだ」と。

***

「自分が死んでも、仲間たちが我々の遺志を受け継ぎまた戦い続け、いつかいい世の中になる」、その思いはともに戦う仲間にはわるものだった。共有されていた。

敗北後、皆がばらばらに逃げる中、将軍が捕まり囚人檻に入れられて移動させられているときに、健康診断と称して医者に扮したイガンが接近して将軍と次のような会話をする。

イガン「将軍」 将軍「生きていたのか」 イガン「かける言葉を考えていたのに 実際に会ったら頭の中が真っ白に… 情けない」 将軍「こいつ 言葉にしないと通じぬ関係か?これで十分だ」

イガン「将軍を救出すべきなのに 力がありません(泣)。緑豆の花が満開の世界をお見せしたいのに 正直 自信がありません。だけど 最善をつくして戦います」

将軍「緑豆の花は 既に何度も見た。」 イガン「はい?」 将軍「(蜂起のために集まった)参禮で、(決戦の)牛禁峠で、そして今、目の前にも」(イガン号泣)

イガン「たとえ見えなくても落胆しないでください。信じてください。いつでも、どこにいても、将軍の意志を継いだ緑豆の花が戦っていると」 

将軍「もちろんだ 信じておる だから喜んで逝く。」

そして一発の銃声がなる。遠くには別働隊のヘスンとポドゥリが「人即天」と書いた大幕をもって将軍を見送っている。それをみて緑豆将軍とともに連行されている側近のギョンソンがいう。「将軍、義兵たちが別れの挨拶をしています!」

 ヘスン絶叫「将軍 すみませぇぇーん!」

ポドゥリ 涙の絶叫「私たちが最後まで戦いまぁぁぁーす!」

側近ギョンソン「これで 安心して逝けます」 (囚人の隊列に頭を下げ見送るイガンやソン客主たち。)

***

このボンジュンたちを見送る「ヘスンとポドゥリ」の涙の絶叫は、理想社会を求めて戦い死んでいった多くの者たちの声だった。それは悲しみではなく、生きるエネルーに満ちた声だった。自分もすぐに死んで将軍を追いかけるという思いだ。本作の脚本家・チョン・ヒョンミン氏の思いは、このヘスンたちの絶叫にあり、イガンの「たとえ一瞬でも人間らしく生きて、人間らしく死にたい!」という叫びにあった。

負けていくとしても、自分が不利になるとわかっていても、自分の選択への確信と仲間と未来を信じて選んでいく生き方。牛禁峠の戦いでの次々死んでいく者たちのうめき声と積み重なる死体の上に、次につながる希望を受け継ぎ生きていくという思いは、本作品に満ち溢れていた。

例えば上記以外にもチョン・ボンジュン(緑豆将軍)が次のようにいうシーンもあった。

(密告されて捕まり連行される時、嘆きうずくまる民衆の前に出たときに)「みんな 顔をあげよ 顔をあげて 我々を見るのだ。みんなの目に 涙のかわりに我々を焼き付けろ。 悲しまずに記憶するのだ。我々を覚えている限り 2度負けることはない。」( 民から「緑豆将軍万歳!」の声)

***

私たちは、こうした各人たちの言葉のように、後に託して心置きなく死んでいけるという思い、そしてそれを受けて戦い続ける人々を知っている。「先に戦って死んでいったもの」に応答して生きていくという道を知っている。

 

  • 義兵となる道――獣にも劣る両班と戦うために義兵となる両班ファン・ッソクジュの生き方

インテリ両班であるファン・ッソクジュ(ファン進士(チンク))は、地元の名士であった。ボンジュンとは同門で親友だった。保守的な政治思想で開化(清の支配から離脱するために日本などに倣って文明化していく道)には否定的な考えだった。最初は階級意識が強く、両班以外を見下し、両班が社会を支配する身分制を正当化して傲慢な生き方をしていた。支配階級の思想に縛られた愚かな学者的エリートだった。そのため、妹の婚約者イヒョン(非両班)を妨害して策を練って戦場に行かせたりした。だが、日本の侵略を前にして、両班の誇りをもって「勤王兵(クナン)[2]」を結成して東学の第二次蜂起に合流する。自分がしてきたことの愚かさを悟っていく。

ファン・ッソクジュは言う。「(なぜ義兵として戦いに行くか) 真の両班になりたいからだ。弟子を戦場に追いやり、ヌクホン(勒婚)[3]された妹の苦しみにも背を向けるーー獣にも劣る両班と戦うためだ。戦わなければ先祖に顔向けができない。生きて帰ってきたら いい兄として生きる」

そのファン・ッソクジュは日本軍に負けて捕まって、(日本軍の手先になった)イヒョンに殺されるのだが、その最後の会話で次のように言う。

ファン・ッソクジュ「私は両班である前に朝鮮人だ。売国奴の声を聴くとすら恥ゆえ早く殺せ。」 

イヒョン「あの世で見ていろ。私が朝鮮を立て直すさまを」

ファン「ははは(笑)、どうかしている。お前にはこの地が朝鮮にみえるのか。」

イファン「そうだ 両班が滅ぼし、生まれ変わろうともがく国、それが今の朝鮮だ」

ファン「とんでもない。国が亡ぶときは内から滅びるという。確かに両班が朝鮮を滅ぼした。そして日本人に魂を売った輩が滅ぼした。ゆえに朝鮮はすでに亡びていたのだ。まさにおまえと私が亡国の元凶なのだ。」 

イヒョン「黙れー!」 

ファン「お前への謝罪はあの世でしよう。殺せー!パク・イヒョン!」

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ファン・ッソクジュの生きざまは、主流秩序の上位にいてひどいこともしたが、人生の後半で真実に目を向け反省し、路線を変更し、自分のあるべき姿に向き合い勇気をもって、「不利になる道」つまり、日本という勝ち組に従属しない道を選ぶのだ。彼に続く両班は少なかった。多くは、自分の身が大事で、「勤王兵(クナン)」の大義を捨てて保身に走った。王も日本軍の言いなりになって、途中から「蜂起しろ」と自分が言った東学農民軍を逆賊と規定し裏切るのだが、それを口実に両班は日ごろ言っていた建前とは乖離した、朝鮮という自国を守ることを捨てる道を選んだのである。「負け組の道」が見えたときに人の本性は現れる。

蜂起に集った人々

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ファン・ソクジュの妹、ファン・ミョンシムも、激動の時代の中で成長し、負ける道を選んでいく人だ。もとは良家・両班の女性なので「お嬢様」と呼ばれている主流秩序の上位のひとだったが、のちに主流秩序に抗して東学農民軍の蜂起に協力していく。

(イヒョンとの会話)ミョンシム「ペク隊長をどうするのだ」 イヒョン「東匪(トンビ)の運命はよくご存じでしょう」 ミョンシム「東匪と呼ぶでない。国のために戦った義兵だ。そなたたちには足元にも及ばぬ」

また、兄が義兵になって死体となって帰ってきて対面したときに「この世での願いをすべてかなえましたね」といって兄の生き方を肯定する。そして数年後 ソン客主の資金をベースに、子どもに無料で色々教える居場所「書堂」を運営して社会の民主化に努力していくのである。

***

物語『緑豆の花』では、ファンのような上位の身分の者だけでなく、官僚や官軍兵士や多くの農民が義兵となって蜂起に参集していった。ペク家に居候していた使用人的なナムさんや官軍のイ・ギュテ領官や下っ端役人・オクセなどは、自分の今の身分を捨てて、義兵となっていく。第一次蜂起に対しては、それに協力した観察使様(ファンチョルサ)や郡守などの官僚も一定いたが、そうした「東学=東匪(トンビ)」に協力的だった官吏は罷免・排除されていく。

物語では、オクセという刑房(ヒョンバン)という下級官吏は、東学に協力的な上司に言われて、自分も迷いながら義兵になっていく。その決断は命の危険がある中でも国と人々のために、安定した官吏身分を捨てて、王から逆賊と規定された側に身を投じることなので非常に勇気が要る選択だった。「損な道」とわかっているのに。行ったら死ぬとわかっているのに。ペク家のおじさん(ナムさん)も 特に戦うような武闘タイプではないが、オクセを見て自分も義兵になっていった。皆に死ぬからやめろと止められても従わなかった。

こうした義兵になっていった人々は、「損な道」の代わりに何を得ていたのだろうか。それは「人即天」という、人々が平等という、民主主義のような世の中を夢見ることを得たのだ。圧政に抵抗し怒りを表出できる自由と解放感。時代の先取りを体現する人々だった。ボンジュンが「緑豆の畑の肥料となりたい」と願ったように、両班や日本に差別され抑圧され搾取されている人々が、民主主義の発芽前の肥料となっていく道を選んだのだ。

 

  • 日本に加担する道に進む人々

一方、その逆に、変化する主流秩序に合わせてどんどん日本軍に加担して自分の身を守ろう、出世しようと思うものーー王族、官軍、討伐隊、民保軍、両班等――も多くいた。

官軍のドゥファン領官は、戦闘で倒れている兵士たちが本当に死んでいるか、とどめを刺していくという、日本軍がしていた「確認刺殺」を、自分もしていって日本軍に媚びて出世していく人物だ。ホン・元使用人も、イファンに拾われて日本軍の手先となって逃亡している義兵を見つけては殺していく。東学農民軍で別動隊メンバーだったのに、危なくなると逃亡して仲間を裏切ったキム接長(キム・ギョンチョン)は、その後も裏切り続け、最後は潜伏していたボンジュン(将軍)の居場所を日本軍に密告したような歌切り者の道を選んだ。

その他、自分の身を守るために、義兵を密告した人々が多くいた。両班の一部は、日本軍が朝鮮を支配していく中で、それに抵抗するどころかその言いなりになりつつ、東学の義兵を討伐する民保軍をつくって義兵を虐殺していった。

古臭い身分制にしがみつき愚かにも差別抑圧に安住する支配層は、恥を忘れて、強い日本に媚びていくのである。

このように激動の時代、主流秩序に対してどの道を選ぶのか、その分岐点での選択が、その人の生きる質を表す。史実に基づきながらのフィクションにおいて、そうした人間群像を描いたのが物語『緑豆の花』であった。

 

  • おろおろと日本に従属する朝鮮支配層

1894年の時点でも朝鮮は、昔ながらの王政、そのもとでの両班がいる停滞・腐敗した階級社会であった。その時点での王と朝鮮政府を掌握していた閔妃(びんひ)は、日本軍が勢力を延ばして朝鮮に進出しそうな時、密使を東学勢力に送り、挙兵することを求めた。それもあって両班の一部も 国と王を守るために挙兵。挙兵の名目は「斥倭」(日本を排斥すること)。だが脆弱な支配階級は、民の蜂起を当初は喜んでいたにもかかわらず、 日本に支配されると一転、東学農民軍を東匪(トンビ)=暴徒と規定し、討伐軍を作り、日本軍とともに日本のいうままに弾圧に走る。日本(井上薫)は王に圧力をかけて、東学農民軍の蜂起に対して暴徒と規定するように迫り、それを皆に伝える布告文「暁諭文(ヒョユムン)」を書かせた。義兵たちを暴徒・逆賊と規定し、解散を命じ、生業に戻れ、そうでないと殺すという内容。それを出さないなら王室を東学農民軍の背後勢力と見なすと脅されて言いなりになる。自分の命大事さに、国、民族、愛国の民を売る裏切り。

日本に腰砕けで言いなりになる中、暁諭文をベースに、官軍も日本軍の言いなりになっていく。朝鮮兵による討伐軍がつくられ、朝鮮兵士は日本軍の虐殺に加担していく。日本の手先となって義兵を殺戮していく両班の組織=民保軍もひどかった。

暴徒と規定して民を裏切る王も、それにしたがって義兵を虐殺していく両班や官軍兵士たちもまさに主流秩序に簡単に従属していったのである。

王はもともとは日本の支配を嫌って、日本に対して蜂起せよと密書を送っていたので、その思いをくみ取った者たちは 暁諭文を見ても、これは日本に書かされただけで王の真意ではないとみた。したがって国を思うものは「暁諭文」がでても、義兵になっていった。

だが、時流を見るような両班は、暁諭文が出たことでもはや「勤王兵(クナン)」ではなくなったと言って義兵となる道から逃げた。これも主流秩序に乗った態度である。危機で不利な道も見えて立場が問われる瞬間に人の深い正体は出る。

だがそうなっても、物語『緑豆の花』において上記したファン・ッソクジュたちは10人以下という少数になっても、そしてもはや「勤王兵(クナン)」とも呼べなくとも、蜂起の集合場所サムレにいく。死ぬ覚悟で。損な道を選ぶ人間。負ける道を選ぶ瞬間。

暁諭文をみてもイガンは将軍にいう。「王様のために戦うんじゃない。自分にとって大切なものを守るためにです。自分、自分の家族、自分の村、新しい世界を見せてくれた執綱所などを守るために戦う。王様が何と言おうと、サムレ(蜂起の集合場所)に集まった人たちこそが、将軍の言っていた本物の義兵です。」

 

  • 再び希望を持ち直すソン・ジェイン   

東学党の乱の中で、生き方、そして負け方・死に方を見出した人たちの生きざま、それは一度は諦めたソン・ジャイン(ソン客主:商団・全州旅閣の跡取り娘)にも、もういちど理想に向かって生きる覚悟をもたらす。

ソン・ジャインは金持ちの商売人の父のもとで育ち、金もうけを悪いこととも思わず、今の言葉でいえば、封建社会に対して資本主義的な社会に変革していくスタンスの持ち主だった。それは時代の要請を受けていた上昇期ブルジョワジーの側面を持っていた。だが、現実には、軍商として侵略する日本軍に結果的に加担し、武器・弾薬・食料など日本との交易で急成長していった。徐々に東学農民の戦いに共感していくものの、敗北の中で絶望してしまったこともあった。

そのジャインはイガンの言葉と生き方を見て再び希望を持っていく。

決戦で負けた後の逃亡中に出会ったジャインとイガンの会話

ジャイン「もう終わったのよ」 

イガン「一度負けただけで終わるのか。俺たちは日本と戦う義兵だぞ。一回負けてもまた戦えばいい。終わりじゃない。これが始まりだ。」

イガン(敗戦後 散り散りなって逃げる中、将軍とも生き別れのなか)「将軍の代わりに望みを叶える。義兵を一人でも助けて 売国奴を一人でも殺して 将軍に知らせる。将軍がいなくても戦い続けることを。将軍が死んでも志は死なないことを。将軍は遠くに逝くんだ(まもなく死ぬ)、餞別は渡せなくても 希望はあげたい。」

***

ジャイン「絶望していたの。牛禁峠(ウグムとうげ)の死体を思い出すと 生きる自信がなかった。でもこの敗北が終わりでないのなら また始めればいいのなら そうする(また戦う)。私もまた始めるわ。もう行って 思い切り戦って」

そうしてジェインはイガンの母に言う。「私もやってみようかと。新しい仕事を。義兵を。正確には義兵の資金源に」

 

  • 緑豆の畑の、一握りの肥やしになって死んでいく

物語『緑豆の花』はこのような「負けるものたちの幸せな生き方」を描いたものだ。

この物語のベースとなった史実・東学党の乱を率いたリーダー、ボンジュン(緑豆将軍)自身がもっていた世界観こそ、ここまで述べてきた「負ける生き方」そのものだ。

死刑が執行される最後のやり取りで、側近が「兄貴、お供できて光栄でした。一緒に死ねてさらに光栄です。ただひとつだけ“人即天”の世をみずに逝くのが心残りです」といったことに対して将軍は言う。「我々は甲午年(1894年)にすでに見た。目を閉じてみろ。そうすればみえる」「はい」(過去の民衆の立ち上がる数々のシーン、チョン・ボンジュン万歳という人々)

 また、イガンが将軍の骨を緑豆の畑に撒きながら将軍の言葉を思い出しているシーンでの将軍の言葉。

将軍「ムジョンで布告文宣布するとき、緑豆の種を撒いた。その種が芽を出し花を咲かせ 種が風に乗って飛んでいく。この村からあの山へ あの谷間から子の小川に…そうしてこの地が緑豆の花で埋め尽くされる日に 一握りの肥やしになって死にたかった」

***

蜂起・反乱・一揆などほとんどは敗北で終わる。かかわったものたちは殺される。にもかかんらず立ち上がる選択をする人々という生き方を、理解できないひとたちがいる。だが確実に理解できる人たちもいる。

それを信じているからこそ、そしてそのように戦ってきた先人たちが実際にいると知っているからこそ、この物語『緑豆の花』は作成された。そして視聴された。そして実際の自分の生き方に反映させて、今日、そのように生きている人たちがいる。将軍やイガンたちにはそれがみえていることだろう。

 

 

 

 

[1] イバン:下っ端役人

[2] 国王と王宮を守る軍隊

[3] 好きでもない人と強制的に結婚させられるもの。物語『緑豆の花』ではミョンシムは死んだ若い義兵と結婚ということにされた。

韓国TVドラマ『緑豆の花』と主流秩序

韓国TVドラマ『緑豆の花』の感想を主流秩序との関係でかなり長くまとめました。

3回に分けて紹介しておきます。本に入れるときには図表なども入ります。

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『緑豆の花』――「意志を継ぐ」という感覚を持てる人とそうでない人の話――「負ける戦いはしない」「結果がすべて」「保身が大事」ではなく、「勝てない側(敗ける側)にしか見えない景色」を人生に見るという話

  • はじめに

韓国のTVドラマ『緑豆の花』(2020年04月から放送、全24話)はすばらしかった。脚本はチョン・ヒョンミンで、現実政治や労働運動を体験した経歴の持ち主ゆえの世界観がちゃんと出ている。身分制や侵略などの現実への言及をちゃんと入れながら、人の生き方を深く問うた政治的社会的な「物語」で、なかなか日本の作品ではお目にかかれない骨太の作品となっている。私は主流秩序への多様なスタンスを浮き彫りにした作品と思ったので詳しく私の作品評価・感想を書いてみた。

これは忘れられた誰かの話だ。

あの熱かった甲午年(こうごのとし1894年)

人が天になる世を目指し

突っ走った偉大なる民たち

歴史は“無名の戦士”と呼ぶが

私たちは名を知っている

緑豆の花

彼らのおかげで私たちがいる

 

「人は天!」

(物語『緑豆の花』最終話より)

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第1章  物語『緑豆の花』のあらすじ、およびこの物語を考える「歴史の中での生き方」という枠組み

 

  • 私の人生の見方とこの作品の関係――無名で死んでいったものの意志(遺志)を継ぐということ

 

500年前、1000年前のひとのことなど 今はほとんど誰も知らないのと同じように、そしてミミズやセミや牛がどういう思いで生きて死んでいったかも知らないように、私の人生も、1000年後には消えている。TVドラマ『ゴッドファーザー オブ ハーレム』にみられるように、多くの「普通の人」は簡単に殺されたりあっさり人生が終わったりしていて、犯罪者も捜査されず捕まらず、闇にその真実、被害者の苦しみや悔しさ、理不尽さは吸い込まれていく。それくらい人の人生ははかない。生の輝きは線香花火のように一瞬だ。

だからこそ、この今日の一日を「無事に」、つまり大きな苦しみや痛みがないようにすごしていければいい、できれば少し輝かせて生きていければ御の字だ。ある日突然、人生が「終わる」ことを恐れずに。何か意味があるとか充実しなきゃ、活躍して金を儲けて皆に承認されなくっちゃなんて思わずに。そんなこと大したもんじゃない、生きているだけでいい、名声とか学問とか哲学とか意味など求めなくて、生きているだけでいい。そういう意見はある。半分は真実といえる。だが、足りない面、見えていない面がある。

それは「意志(遺志)のつながり」の中で“無名的に”生きて死んでいく喜びの感覚という面だ。こんな社会で、物語『緑豆の花』で描かれた人々のように、「人が平等になる社会=光」を夢みて闘いの中で生きて死んでいった人たちがいる。歴史の記録としては誰も名前も知らない。具体的に個々人のことは知らない。多くの人は「その人」のことを知らない。東学農民軍として蜂起に加わり、突撃して最初に撃たれたり切られて死んでいった多くの「反乱の農民」達。その思いを引き継いで次の時代、次の時代、そしてまた今の時代で戦い続ける人がいる。それを信じて死んでいったものたちがいる。そのつながりが見えるかどうか。それ はある個人の生き方を大きく左右する。

歴史に名が刻まれなくても、記録に残らなくても、個々人の人生において、どう生きるかは、自分の充足感、誇りある生き方・恥じない生き方、そして平等で平和な社会を夢見て意志を継いできたひとへの責任の点で重要だ。理想の社会を夢見ることの幸福感や充足感を知らない人には、その「意志を継ぐ光」は見えない。それが見えた時、人生は“たいしたもん”になる。主流秩序の上位に行くということではない、「たいしたもん」になる。「意志を継ぐ」という感覚を持てる人とそうでない人の人生の差を描いたのが、この『緑豆の花』だ。

保身・実利が大事、主流秩序にそっているしかないとおもう人は、それに従属する「恥」がわからない。そこから離れる自由の味、自由の解放感、がわからない。

このように、人生ははかなく好きに生きればいいという面と、不平等社会で悔しい思いをしてきた者たちの平等を求める意志(遺志)を継いでいくという両方を踏まえて、自分は、「緑豆の花」の後に続きたいと思う。それは、敗北と無名を引き受けて生きていくということだ。王族、両班、官軍、商人、日本軍への加担のような生き方をしないということだ。根源的に考えて、こうした「どう生きるかという選択」をしない人は、知らぬ間に主流秩序に加担しているということを理解していないと思う。私はいろいろ考えて生きてきて、最低そこは大事だなと思うようになったので、今後も根元的に考えて、大枠、大事なところを外れない生き方を選択していきたいなと思っている。

その意味では生きているだけでいいのではない。それは無責任であり、ひどいことへの加担者だ。歴史に、次の世代に、あとの世界に汚物を投げることだ。少なくとも自分のできる範囲で汚物をかたづけてそこを去れと思う。

以下の時代背景にあるような中で、そういう時代にどう生きるか、物語『緑豆の花』が考える材料を提供してくれるので、主流秩序とからめて具体的に考えたい

 

  • 時代背景と物語の展開の絡み(あらすじ・概論)

物語『緑豆の花』自体は想像的に創作されたものである。しかし大きな時代の流れや事件・歴史的人物など、一部は史実にもとづいて展開されている。その、物語の展開と歴史との絡みを少し整理しながら、登場人物たちの選択の、主流秩序へのスタンスを記しておきたい。以下、この作品を観ていることが前提だが、観ていない人にもある程度わかるように配慮して書いていきたい。

***

19世紀末の朝鮮。古阜郡[1]において、汚職役人ペク・カの長男ペク・イガンは庶子として蔑まれーー使用人である女性(イガンの母)が家長であるペク・カにレイプされて生まれた子――、弱者を殴って「民から搾り取る」ような父の汚れ仕事を手伝う最低の人間として生きていた。“あれ”という蔑称でみなに恐れられ、同時に見下されていた。自己肯定感の低い、自暴自棄的な生き方をしている。

一方、イガンの「腹違い」の弟で嫡子のイヒョンは、父親の期待を一身に背負い、日本留学を終えて科挙受験の準備中の優等生で、一家で使用人扱いされる「兄」のイガンにも優しい、思いやりと才能ある人間として生きていた。

またのちにイガンの人生に絡む、商団・全州旅閣の跡取り娘、ソン・ジャイン(ソン客主)たち(行商人)が行っている商売は、武力的自衛も含めて独特の世界を持っていた。

時代は、王室制度が19世紀時点でも続いており、貴族的な支配階級である「両班」(やんばん)はそうした身分体制を信じて、人間の上下を前提として生きていた。そして当時の社会にはあらゆるところに腐敗した政治や商売があった。

そんな中、将軍チョン・ボンジュンーー愛称は「緑豆将軍」――ら東学教徒が結成した反乱農民たちにより、民乱が勃発する。

イヒョンは尊敬する師匠・両班のファン・ソクジュ(ファン進士(チンク))の妹ファン・ミンヒョンとの結婚を予定していたが、彼女の兄ファン・ソクジュに妨害されて、過酷な討伐隊の兵士にされ、そこで地獄を見て人格が変わっていく。逆に、最低人間だったイガンはボンジュン・東学義兵の活動との出会いを通じて東学農民軍の義兵となり徐々に“あれ”の人生からまともに生きる道に入っていく。

イヒョンとイガン、“いい人”と“悪い人”が入れ替わっていく。だが、ことは単純ではない。背景には、清に支配されつつの封建的で腐敗した王室体制を変革すべき必要性、先進的な文明開化に進んで近代化していた日本に追いつく必要という側面もあった。同時に、日本の侵略――植民地的支配への野望――もあった。したがって身分制社会の改革を現実的に進めるには、侵略者である日本という強いものに従って生き延びつつ進めるという現実路線という選択肢(開化派)もあった(イヒャンはこの路線ということで自分を正当化)。商売人は利益を目指すなら勝ち馬に乗っていく(それでいいという居直りと思考停止)。様々な人の思惑が絡み事態は複雑に進んでいく。

その中で、両班でも、外国の侵略と戦うために農民蜂起と連帯するものも出てくる(後期のファン進士(チンク)の路線)。イヒョンは両班への復讐の気持ちや朝鮮の近代化を重ねて日本軍支配に加担していく。商人は、儲けるのが仕事だと思考停止して日本軍に協力していく。

ペク家は両班にはなれない劣等感と上昇志向の家であった。衰退する王室政治の下、愚かな朝鮮官軍は、義兵となった農民たちには残虐を尽くすが、侵略支配してくる外国勢力(清と日本)とは戦わず、いいなりになる。日本は、日清戦争で勝って朝鮮を植民地にしていく過程に入っていく。それでも内部争いをしている朝鮮。御多分に漏れず、近代化という美名で劣等民とみて馬鹿にする侵略国に、加担(勝ち馬に乗る)する朝鮮人も多い。商団・全州旅閣は、日本との交易で急成長していく。

創作としての物語では、商団の若き責任者ソン・ジャイとイガンの恋や、宿敵となった兄弟の血ゆえの絆と哀しい運命をからませて、激動の時代の中での“敗北の生き方”が描かれる。

当時の情勢を描いた風刺画(日本と清が互いに釣って捕らえようとしている魚(朝鮮)をロシアも狙っている)

 

  • 東学党の乱」というものを朝鮮の民衆側から知る

私は受験的な日本史の勉強で「東学党の乱」というものを知ったが、すぐに内容を忘れ、言葉だけが記憶に残る程度だった。それが今回、物語『緑豆の花』を見て、物語に出てくる事件についてすこし調べて、その後の日本の朝鮮侵略韓国併合、という日本の黒歴史に続いていく1890年代の朝鮮の動きを学んだ[2]

以下、物語『緑豆の花』の展開の中心の「東学党の乱」とは何であったのかを記していく。だがこれは歴史のお勉強ということでなく、物語『緑豆の花』に絡めて、私が主流秩序との関係で生き方を考えていくという作業の一部である。だから私には退屈なものではなかった。侵略国・日本側の認識で書かれた「歴史」が、いかに偏ったものであったかを学ぶことでもあった。これは現代においての「慰安婦問題」への認識のゆがみに通じる問題である。

***

朝鮮政府内部の腐敗による農民軍の大規模反乱暴動・内乱である「東学党の乱」は、「東学農民運動」「東学農民革命」「甲午農民戦争(こうごのうみんせんそう)[3]」などよも呼ばれている。東学党の乱は1894年1月11日に発生、1895年3月29日に終焉。

閔氏政権の重税政策、両班たちの間での賄賂と不正収奪の横行、そして1876年日朝修好条規江華島条約)をはじめとした閔氏政権の開国政策により外国資本が進出してくる等がある中で、当時の朝鮮の民衆の生活は苦しい状況であった。

東学党は困窮する朝鮮農民を主体とする一派で、政府に対する経済改革要求から政治運動に発展し、暴動は全土に波及した。当時の朝鮮政府を掌握していた閔妃(びんひ)政権(李氏朝鮮)の腐敗に対する不満は、「東学党の乱」以前から噴出しており、1883年頃から各地で農民反乱が起こっていた。

このような中、1894年全羅道古阜郡で、役人の税金横領が発覚し、横領に異を唱えた農民が逮捕される事件が起きた。この事件により、同年春に、崔済愚の高弟で東学党の二代目教祖となった崔時亨が武力蜂起し、甲午農民戦争に発展した。反乱軍はチョン・ボンジュン(全琫準)という知将を得て1894年5月には全州一帯を支配下に置いた。

この民乱の指導者に成長したチョン・ボンジュンを含め、農民の多くが東学に帰依していたことから、この東学の信者を中心とした民乱が全国的な内乱に発展していった。

東学党の乱の始まりとともに広まったチョン・ボンジュンの檄文

チョン・ボンジュンは下層の役人であった。しかし、17世紀から普及し始めた平民教育で、チョン・ボンジュンのような非両班知識人が形成されていた。このボンジュンが発した呼びかけ文(檄文)が東学信者の手で全道に撒かれ、呼びかけに応じた農民で、数万の軍勢が形成された。彼らは全羅道に配備されていた地方軍や中央から派遣された政府軍を各地で破り、5月末には道都全州を占領するまでに至った。

これに驚いた閔氏政権は、5月30日に清国に援軍を要請。これに反応した日本は1894年6月2日に朝鮮出兵を決定し、同月4日に清国に対し即時撤兵を要求した。だが拒否され、天津条約にもとづき、日清互いに朝鮮出兵を通告。その後、日本と清は双方、派兵を正当化し、戦争状態に突入していく。

この状況に慌てた閔氏政権は、東学農民軍の提案を基に全州和約を作成し締結した。この和約で従来の地方政府が復活したが、同時に東学農民側のスタンスでの役所的な「執綱所」が設けられ、全羅道に事実上、農民権力による自治が確立した。つまりこの時点で一旦、農民の反乱は成功のうちに終結した。

しかし上記したように、この騒動の中で日清が覇権争いをすすめ、日清戦争に発展し、結局日本が朝鮮を支配していくこととなってきた1894年7月23日、日本軍が郊外の駐屯地龍山から漢城(ソウル)に向かい、朝鮮王宮を攻撃し占領した。日本は国王・高宗を手中にし、大院君を再び担ぎだして傀儡(かいらい)の新政権を樹立させた。そして新政権に牙山の清軍掃討を日本に依頼させた。そして25日に豊島沖海戦、29日に成歓の戦いが行われ日清は交戦状態となる。31日に清国政府が駐北京日本公使小村寿太郎に国交断絶を通告、8月1日に日清両国が宣戦布告をし、日清戦争が勃発した。

こうして外国勢力によって国が亡んでいく、という事態を前に、チョン・ボンジュンらは、2度目の蜂起を行っていくことになる。1度目は腐敗した閔妃政権の打倒を目指したものであったが、今度は日本軍が標的であった(排倭)。この第二次蜂起は、王からの隠れた要請の面もあった。大院君は名士豪族に密使を送って東学の扇動を命じたり、東学幹部に会って東学徒の召集を促したりした。大院君は、東学には数十万で大挙して漢城に来るように命じ、平壌の清軍と共に南北から挟み撃ちにして日本人を駆逐する策を実行するように指示したということである。

チョン・ボンジュンは日清両国が軍を派遣して間もない7月には既に第二次蜂起を起こそうとしていた。しかし、農民の収穫期ということや平和的な解決を望む東学の上層部の説得に時間が掛かり、第二次の蜂起をしたのは10月に入ってからであった。王室は、日本に支配されて言いなりになってしまっていたので、今度は日本に屈服した李氏朝鮮の傀儡政権と日本軍を相手にする反乱となった。

つまり第二次蜂起は、貧しい農民の、民主主義的な改革を求める乱の面、かつ侵略者から国を守る愛国主義的な面(斥倭)と、日本を放逐せんとする王政・大院君側の思惑が重なった面があるものだった。

第二次蜂起を起こしたときには、日清戦争は既に大勢を決していた。勢いを増した日本は障害物となった東学農民軍の討伐に乗り出す。蜂起した東学農民は権力側からは王室体制への反乱分子=逆賊=東匪(トンビ)と規定され攻撃される。1894年11月末に忠清道公州で農民軍と大日本帝国軍が衝突するが、近代的な訓練を受けた兵器のある日本軍と、武器もない農民の竹やり集団の戦いは日本軍の圧勝で終わる(多くの農民が虐殺される「牛禁峙(ぎゅうきんじ/ウグムとうげ)の戦い」)。この時、日本軍に支配されている王政側は民乱側を裏切り、日本軍とともに、農民義兵を攻撃した。牛禁峠の戦いの後、東学義兵の残党刈り(東匪トンビ狩り)を官軍が日本軍とともに行った。

その後、残兵も一掃されて、1895年に東学の民乱は鎮圧された。牛禁峙の戦いに敗れ捕縛されたチョン・ボンジュンは1895年初頭に漢城(現在のソウル)で処刑された。

逮捕された後のチョン・ボンジュン(1894年12月)

 

 

[1] 古阜郡は実際に甲午農民戦争が起こった場所。この物語は、架空の人物たちをこの場所の人物として設定して展開した。

[2] 朝鮮には、支配する国からの独立の戦いの歴史がある。朝鮮王国時代のを中心とした冊封体制からの離脱の運動、清に代わって支配を強めた日本にたいする独立の諸運動などがあるが、南北分断独立に至るまで、思想によるもの、民族主義社会主義的なものやその他など、複雑なものが多々あった。本稿では、それらには触れないが、東学党の乱の後、東学党の乱の歴史的な位置がわかるよう、以下、すこしだけさまざまなものがあったことを想起させる名称とメモを記しておく。

。日本は、日清・日露戦争を通じて朝鮮支配に近づき、日韓協約など様々な不平等条約を旧韓国と結んで朝鮮における影響力を強めた末、最終的に日韓併合条約締結に至って朝鮮を日本の一部に併合した(韓国併合)。1919年の三・一運動、「大韓民国臨時政府」発足、抗日運動で民族の代表機関だった臨時政府は一弱小団体に転落するがその後、金九などの活動により復権、暴力的ゲリラ抗日活動、間島事件、国外での独立組織結成、国内外で日本の要人への襲撃や破壊活動、社会主義思想団体、光州学生事件、金九による1932年1月8日天皇の暗殺を試みる桜田門事件上海天長節爆弾事件、中国による臨時政府支援、満州を中心とした多くの地域での遊撃隊による抗日闘争、光復軍、日本と交戦することの無いままの日本の第二次大戦降伏、戦後、米国とソ連によって朝鮮人民共和国の政府承認が拒絶され各占領地で軍政を布いて朝鮮が南北に分割統治される、各地での反対派による武装闘争、それにたいする弾圧(済州島四・三事件)、最終的に南北それぞれの選挙によって南北分断の独立達成。

[3] 甲午年(こうごのとし)とは1894年のこと。

•夏目三久アナと有吉弘行さんの結婚におけるジェンダー平等・シングル単位欠如の問題

夏目三久アナと有吉弘行さんの結婚で、夏目さんが今秋で引退、全ての仕事を辞めると宣言。伊田が少し見た「サンデージャポン」とか他のTVでは、有吉がそこまでの覚悟して彼女を守る決断したので責任を持つ感じがしてすごい、かっこいい、評価が上がる、夏目さんも派手な仕事を辞めて彼を支えるなんてすごい愛情だというような文脈で二人に肯定的な声ばかりだった。 

 

有吉さんの説明は、夏目アナが仕事を辞めて専業主婦になるときめたのは「みんなの話を聞いていると、離婚の理由ってすれ違いか価値観じゃない? 価値観の方は無理だとしても、すれ違いだけつぶしておくか、みたいな」「(夏目さんが)今まで頑張ってきましたし、これからはゆっくりと」(したらいい)ということだった。そして夏目さんもマツコから「ええ~!? 大丈夫? 我慢できるタイプ?」と念を押されると、「はい」と答えたり、「表に出る仕事の緊張感や重責は少しは分かっているつもりなので微力ながら安らげる場所を作れればいいのかなと思ってます」といったりしている。

 

つまり女性の側が夫を支える側になり仕事を辞めるということになっている。これは実は明治、大正、昭和と続いたかなり昔からの性別役割の発想であり、山口百恵さんの選択と類似のものだ。40年ほど前の時点でも私は山口百恵の選択を古臭いしもったいないなあと思った。時代は徐々に変化してきた面もあるが、まだこのメディア・芸能界の反応をみていると同じことがまた起こっているといえる。

 

シングル単位とジェンダー平等(フェミニズム)がまだまだ浸透していないということだ。

もう言い飽きているが、簡単にだがフェミ的なシングル単位の基礎的整理を示しておく。 

  有吉が言う「価値観の違いとすれ違い」を避けたいというなら、有吉が引退して夏目が働くということがあってもいいがそれは検討されていない。それは有吉が家庭の中で家事や育児だけをして夏目を支えるということは毛頭考えていないからだ。人生としてやりがいある仕事、収入の高い仕事をやめて日陰の家事育児だけをひっそりとするなど男性である有吉にはありえない。だとすれば才能があり、仕事もあり、高い収入もある夏目が自分の人生から仕事を排除するのは、あまりに非合理な選択だ。

 

こうなっているのは、カップル単位で考えて、誰かが働いて一家で収入あれば後は分業でいい、外で働かないのは楽なことだから妻を楽にさせてやりたい、妻子を守ってがんばって働き稼いで裕福な生活をさせるのが男としていい、妻を夫の高収入で養うのはいいことで妻も喜ぶ(セレブ妻!)、夫を支えるのが女性として美徳、といった意識が絡まっているからだ。

 

そこに欠けているのが、シングル単位だ。収入を持つという個人の自由の基盤、やりがい、などを考えれば、ジェンダーによってすごくワークライフバランスが偏るのではなく、個人単位で仕事・収入も、余裕も、家事や育児の時間も、ふたりの時間も持てるようにすればいい。だから個人単位で働く時間を減らして、各人がアンペイドワークもする。具体的には「すれ違い」にならないためには有吉も仕事を減らし夏目も仕事を減らし、家庭と仕事を両立させる人間らしい働き方をする、一人の収入は少し減らしてでも金第一ではない考えで生きていけばいい。二人の時間を作ればいいのだ。

 

そういう主流秩序から離脱したゆとりある生活をすればいいのだ。そう言うこと全部を含めてシングル単位の生き方という。それがないと、家族で分業して性別役割意識も絡まって非常に「男女」が偏った生活スタイルになる。夏目と有吉は、仕事ばかりの有吉と、ずっと家にいる夏目になる。仕事の特性上、短時間労働は無理だというのは、本気で主流秩序からの離脱、低収入もOkという視点も入れて考えていないからだ。有吉に犠牲が大きいというなら、まさにその言葉は夏目にも向くだろう。安らげる場所をつくるのは女性だけの役割ではない。各人が自分の仕事を減らすことを考えないのは自分に対しても相手に対しても不誠実だ。

 

誤解内容に言っておくが、輪は自由が大事と思っているので、各人の生き方はその人が決めればいい。夏目さんの生き方は夏目さんが決めればいい。仕事をやめて無収入になる選択もありだ。

だが社会構造としてジェンダー格差や差別がある中で、この家族単位による性別分業をなぞる行動は、女性の低賃金や非正規化、助成の出生・管理職が少ないなどの問題も温存する。個人としての自由、ワークライフバランス、社会への責任を考えるなら人は原則、働き税金を払うのが大事であり、今の日本社会ですぐにその指摘がないなかで、繰り返し「有吉さんの発想にはシングル単位、ジェンダー平等感覚がない」と指摘することは重要だ。

働くことに疲れたとか病気になったからしばらく仕事を休むというのは「男女」関係なく誰にでももちろんあってもいい。短期的には人に依存したり養ってもらうこともあっていい。しかし、基本は人に寄生したり養ってもらうのは不自由であったり危険だったり無責任だということは忘れないほうがいい。それがシングル単位だ。

 

夏目・有吉さんの問題は、日本社会で未だ古臭い発想にとらわれている人が多いことを如実に示した。男女共同参画、フェミやジェンダー平等が、主流視点や店やシングル単位も入れて深く理解されていない結果が、いまだ古臭いジェンダー不平等社会を温存し、有吉さんの発想、それを美化する人々、問題とおもえない人をもたらしている。

 

ず―と前の100年前、1918年に、もうこんなことと近いことは主婦論争として論じられていた。働く女性子育てについて、そして女性の社会的、経済的地位の向上の方法論をめぐって与謝野晶子平塚らいてう山川菊栄、など議論した。家族単位的な土俵で性別分業擁護の議論もあったが、すでに社会全体で女性の家事育児を担っていく方向、それによ手女性が自立する道の方向も指摘されていた。

 

山川菊枝は、男性が作り運用する法や制度【伊田が言う家族単位の諸制度】を疑うことなく受け入れてきた女性自身にも意識変革を求めた。「男が決める女の問題」(『女の立場から』所収)で、菊栄は鋭く問いかける。

 

 「私たちはいつ私たち自身の魂を形成する権利を彼らの手に委ねたか。そして私たちはいかなる理由によって、私たち自身の意思を無視して審議し決定せられた彼らのいわゆる教育方針なるものに従って、生ける傀儡(かいらい)となって果つべき義務を認めねばならぬか」

 

 そして現状を懐疑し、批判精神を持とうと訴える。

 「かく疑うことは私たちの自由でなければならない。私たちの若き姉妹よ、まずかく疑うことを習え。かく疑うことを知ったとき、そしてこの疑いをあくまで熱心に、あくまで執拗に追求することを学んだ時、そこには私たち婦人の救いの道が開けてくることを、ただそこにのみ開けてくることを覚らるるであろう」

 

NPO法人京都暮らし応援ネットワークの労働問題

紹介します。

 

NPO法人京都暮らし応援ネットワークの労働問題

 

当組合は、NPO法人京都暮らし応援ネットワークへの抗議文で書きましたように、よりそいホットライン事業を受託して運営しているNPO法人京都暮らし応援ネットワークに抗議しています。

 

この問題の背景には、NPO法人京都暮らし応援ネットワークが、労働者の権利を蔑ろにしているという態度があります。

 

まず、労働組合と誠実に交渉しないことは、労働者の団結権を侵害する不当な行為です。

 

Aさんが当組合に相談したきっかけは、一方的な労働条件の不利益変更を受け、変更前の条件で働こうとしたら、就業規則上の根拠条項も示されないままに懲戒処分の通告をされたというものでした。

 

11月12日の団体交渉では、山上義人副代表理事が、Aさんの労働条件を把握しないままに、不利益変更となる出勤調整命令をしていたことが明らかになりました。

 

Aさんは、正当な根拠のない不利益変更となる出勤調整命令であると思いながらも、可能な限り応じてきました。しかし、職員の給料を定められた期日に支払うためにはどうしても9月上旬の出勤調整命令には従うことができないと説明した上で出勤したところ、懲戒処分の通告を受けたのです。

 

NPO法人京都暮らし応援ネットワークは、定められた期日に給料を支払うことの重要性を認識していないように思われます。

 

というのも、Aさんが退職した後には、期日通りに職員の給料が振り込まれず、ようやく6日後になって振り込まれたからです。

 

しかも、予定通りに給料が振り込まれていないことを日中に把握しながらも夜になってから知らせ、いつ入金されるかもAさんが3日後に問い合わせてようやく教えられました。

 

また、半年ほど前のことになりますが、ある職員が発熱してPCR検査を受けたことに伴い延べ3日の稼働が休止されたときも、Hコーディネーターは「2,3日なら休業手当を支払う必要はない」と述べ、別のコーディネーターも、「統括コーディネーターのHさんが言うのならそうだ」と言い張りました。

 

後日、Aさんは、労働基準監督署に問い合わせをして休業手当の支払義務があることを確認した旨を藤喬代表理事に伝え、無事に休業手当が支給されたということがありました。

 

人間らしい生活と労働の保障を求めることを目的に掲げているNPO法人京都暮らし応援ネットワークにおいて、労働者の権利を蔑ろにする運営がまかり通っていることに対し、ユニオンぼちぼちは強く抗議いたします。

 

 

NPO法人京都暮らし応援ネットワークへの抗議文

紹介します。

 

NPO法人京都暮らし応援ネットワークへの抗議文

 

この間、ユニオンぼちぼちは、組合員のAさんの働き方をめぐって、「NPO法人京都暮らし応援ネットワーク」と交渉をしてきましたが、不誠実な対応が続くので、抗議文を公開することにいたしました。ぜひご一読下さい。

 

NPO法人京都暮らし応援ネットワーク(代表理事 藤喬)は、一般社団法人社会的包摂サポートセンター(代表理事

熊坂義裕)が厚生労働省補助金を得て実施している、24時間年中無休の何でも電話相談「よりそいホットライン」事業を受託して運営している団体です。

 

「よりそいホットライン」については下記のホームページをご覧下さい。

https://www.since2011.net/yorisoi/

 

そこで非常勤事務員として働いてきたAさんは、他の掛け持ちしている仕事と両立できるように、自分で出勤日を決めてよいという約束で働き始め、実際にそのような働き方を1年半ほど続けてきました。しかし、Aさんの上司に当たる職員から「Aさんからパワハラを受けている」という訴えを受けた理事会によって、2020年5月以降、Aさんは理事から出勤調整を強いられるようになり、生活に多大な支障をきたすようになりました。

 

理事会は、訴えを受けて「ハラスメント問題委員会」を立ち上げたそうですが、Aさんは、どのような行為がパワハラに当たるのか理事会に説明を求めたものの、説明はありませんでした。出勤調整によって多大な苦痛が生じていることについても繰り返し訴えましたが、理事会は「暫定的・一時的な措置」と言って始めた出勤調整を続行しました。

 

Aさんは、全従業員の給与支払いを担当しており、9月は曜日配列などの都合から、指定された出勤日ではどうしても給与支払いの作業を完結することができず、事前に告知をした上で、やむを得ず指定日以外に出勤しました。

 

そうするとAさんに、10月12日付で「服務規律違反について」という文書が「弁明書の提出を求めます」というファイル名で送られてきました。

 

弁明書提出を求めます

 

服務規律違反について」では、「当法人のハラスメント委員会は、こうした事態を重く受け止め、再発の防止を含めて、『服務規律違反』の可能性があると認識し、職員就業規則45

条の懲戒処分の検討を行っています」と書いてあったものの、懲戒処分の理由として適用する就業規則の適用条項が示されておらず、こわくなったAさんは、以下の弁明書を提出しました。

 

弁明書

 

その後、Aさんは当組合に相談し、11月12日に第一回団体交渉を開催することになりました。団体交渉では、理事会の立ち上げた「ハラスメント委員会」には規約がなく、パワハラ行為の事実認定はおろか、事実関係の聞き取りすら行われていなかったことが明らかになりました。理事会は、人間関係のコンフリクトを解決することに主眼を置いたと理由を説明しました。

 

それに対して、当組合は、パワハラを受けたと主張する職員の希望を先に聞き、空いた日程をAさんに選択させる出勤調整はバランスを欠き不公正ではないかと指摘しましたが、藤喬代表理事と山上義人副代表理事は「不公正ではない」との主張を繰り返しました。

 

また、聞き取りを行わずに出勤調整を強いたことは一方的な労働条件の引き下げではないかという指摘に対しては、「出勤調整は命令であり問題ない」との認識を理事会は示しました。

 

そして給与の支払いを遅らせるわけにはいかないとやむを得ず出勤したAさんに対して「服務規律違反について」という文書を送ったことは問題があると当組合は指摘しましたが、理事会は「処分を検討すると言っただけで、実際は行っていないから問題がない」と述べました。当組合が「処分を検討すると言われただけでも労働者にとっては恐怖なんですよ。よりそいホットラインでは『会社から処分を検討していると言われた』という相談があったとき『処分されたらまた電話下さい』と回答するように指導しているんですか」と言っても、藤喬代表理事は黙ってばかりで「謝罪することもやぶさかではない」と言ったものの、結局不当であるという認識には至らず、交渉は決裂しました。

 

その後、解決に向け、組合から下記のような合意項目の案を送りました。

 

■解決に向けた合意項目の案

(1)NPO法人京都暮らし応援ネットワークは、正当な根拠なくA組合員を「ハラスメント加害者」として扱うなど人格を否定するような行為を行ったこと、公正さを欠く不適切な出勤調整を行ったこと、それによって多大な苦痛を与えたことに対して謝罪する。

(2)A組合員が業務上やむを得ず92日(水)および93日(木)に出勤したことに対して、就業規則の適用条項を示さずに懲戒処分を検討しているとして弁明書の提出を求めたことは不適切であったことを認め、撤回し謝罪する。

(3)A組合員の名誉と尊厳を回復するために、経緯を説明する文章を組合と共に作成し、全従業員に対してメールで送付する。

(4)今後、適切な環境においてA組合員が働けるように、一般社団法人社会的包摂サポートセンターとも協力しながら、情報提供のあり方など改善していく。

(5)不適切な出勤調整その他理事たちから人格否定を受けたことにつき、平均賃金の3ヶ月分を目安として慰謝料を支払う。

 

それに対して、129日にあった理事会から下記のような回答がありました。

 

「■20201112日の団体交渉で明らかになった点」について

「出勤調整は、「被害」の訴えをしたコーディネーターの出勤希望を先に尋ね、空いているところをAさんが埋めるという形で行われていた。」など、いくつか異論はあるが表現を修正して了としたい。

「■解決に向けた合意項目の案」について

(1)「公正さを欠く不適切な出勤調整を行った」など、表現について訂正が必要だが、概ね合意できる。

(2)合意できない。

(3)(2)と(5)を削除した内容で文案を再作成することになる。

(4)合意できる。

(5)合意できない。特に「その他理事たちから人格否定を受けたことにつき、平均賃金の3ヶ月分を目安として慰謝料を支払う。」は、いつどの理事から人格否定を受けたのか何も明らかにされていない。しかも平均賃金の3ケ月分の慰謝料を支払う財政的裏付けも法人にはない。

 

「正当な根拠なくA組合員を「ハラスメント加害者」として扱うなど人格を否定するような行為を行ったこと」に対する反論がないにもかかわらず、出勤調整が公正であったとの主張が繰り返され、また「弁明書」を求めた件についても撤回と謝罪が拒否されました。出勤調整の正当さが主張できないのに、調整方法や懲戒処分の検討が公正・正当であるとする理事会の主張は合理的ではありません。

 

しかも、9日の回答をきちんと文章にして一週間後を目安に送るという約束を理事会はしたものの、12月22日になっても文章は来ず、組合から催促して来た回答は以下のようなものでした。

 

1221日(月)の法人理事会の結論をお伝えします。

貴組合が作成した【経緯を説明する文章の案】を修正したり、作成することは法人

としてすべきではない。との結論となりました。」

 

これは、こちらが求めていた「回答」と呼べる代物ではなく、NPO法人京都暮らし応援ネットワークの理事会は、この問題に向き合うことを放り出したのだという印象を受けます。

 

理事会は、A組合員に与えた苦痛に対して向き合い、組合と誠実に交渉することを避け、自分たちの正当さばかりを主張して、その根拠を一切示さないという態度に終始してきました。人間らしい生活と労働の保障を求めることを目的に掲げ、どんな悩みにもよりそうよりそいホットライン事業を受託しているNPO法人京都暮らし応援ネットワークで、一労働者の権利を無視するようなことが平気で行われているのです。

 

ユニオンぼちぼちは、このような「NPO法人京都暮らし応援ネットワーク」の態度に対して抗議いたします。

 

 

 

 

2020年4月、福岡県5歳餓死“ママ友”によるDV的支配・虐待事件

久しぶりに書きます。

以下の文章の前提には拙著「DVと虐待」の話があります。

 

2020年4月、福岡県5歳餓死“ママ友”によるDV的支配・虐待事件

2020年4月、福岡県、ママ友が母親を精神的に支配し、子どもを虐待・餓死させる事件。021年3月逮捕、DVに似た「支配/被支配の中の虐待事件」

 

2020年4月に福岡県・篠栗(ささぐり)町で、母親とその友人”ママ友”によって子供の碇(いかり)翔士郎(しょうじろう)ちゃん(5)が十分な食事を与えられず餓死した事件が起こった。2021年3月、翔士郎ちゃんの食事を制限して低栄養状態にして死なせたとして、母親の碇利恵容疑者(39)とママ友の赤堀恵美子容疑者(48)が保護責任者遺棄致死容疑で逮捕された。以下に示すように、この事件は、DVに似た「支配/被支配の中の虐待事件」という特長を持っている。県警は、赤堀容疑者は子供の親ではないが、碇家の家計を事実上握っていたため赤堀容疑者にも衰弱した翔士郎ちゃんを保護する責任があったとして同容疑を適用した。

 

*経済的困窮、支配と虐待への経緯

両容疑者は2016年4月、子どもを同じ幼稚園に通わせる保護者として知り合い、懇意になった。県外から転入してきた赤堀容疑者は保護者の間で孤立していたが「(碇容疑者の)子供が園内で問題を起こしている」「住民が(碇容疑者の)悪口を言っている」などのトラブルをでっち上げて不安をあおり「自分は味方だ」「信用していいのは私だけ」と言って碇容疑者に接近した。ママ友・赤堀容疑者はトラブル介入や子育てなどを通して次第に碇容疑者の家庭に入り込み、子育てなどに介入するようになり、家計まで握るようになった。碇容疑者はトラブルを解決したと装う赤堀容疑者の指示通りに動くようになっていった。

碇容疑者は周りの人から子煩悩にみられていたため、皆はその変容ぶりに驚きをもっていた。ある保護者は「碇さんはやんちゃでいつも笑顔の翔士郎君をにこにこ見つめていた。子供たち3人とよく遊び、夫との仲も良さそうだった。それなのに赤堀(恵美子)容疑者と付き合いだしてから人が変わってしまった」と語った。 

脂肪事件の約2年前の2018年5月ごろ、碇容疑者に「あなたの子どもが他の子に砂を投げた。示談してあげる」などと言われ、母親は、赤堀容疑者が作った「私たち2人が、幼稚園の別の保護者の親族から裁判で訴えられている」という架空のトラブルを信じ、「暴力団と関係がある知人に仲裁してもらおう」「この問題のバックにはヤクザがいて話をまとめてもらう」などといわれて、実際にトラブルを解決してくれたと思ってトラブルの示談金名目で50万円を赤堀容疑者に払った。母親はこれを機に赤堀容疑者に信頼を寄せていき、徐々に指示通りに動くようになっていった。

 

このころ、他のママ友たちは、両容疑者(ママ友赤堀と母親・碇)が事実でないことを事実であるかのように触れ回るために、この二人から離れていった。2018年ごろから両容疑者は2人だけで行動するようになり、周囲が声をかけにくい雰囲気になった。言い換えれば、碇容疑者は、赤堀によって周囲との関係を次々と断ち切られていった。結果、この二人は孤立し、仲が深まっていった。お互いの家を頻繁に行き来するようになったり、赤堀容疑者が碇容疑者の子供を幼稚園に送迎するようになっていった。

なお、赤堀容疑者は地元のスーパーなどでは文句を言ってくる有名なクレーマーで、従業員はレジで遭遇するのを恐れていたという。赤堀容疑者は自分では「ユウナ」と名乗り、年齢も30代だと偽っていた。新聞取材において複数の保護者が、赤堀容疑者について、「人の悪口ばかり言っている」と証言した。そういう人物であった。

また赤堀容疑者は「親族が裏切っている」という趣旨の話もして18年6月ごろから碇容疑者と親族の関係が悪化するようにも仕向けた。

 

次にママ友は、母親に対し、「(碇容疑者の)夫が浮気している」とうそを吹き込み、碇容疑者に信じ込ませ、「児童手当がもらえるから養育費はいらない」といって離婚を促した。そして2019年5月に離婚させ、その過程やその後に、嘘の浮気調査費用や、架空の離婚訴訟の費用として金を要求して碇容疑者から多額の金をだまし取った。赤堀容疑者は、ある保護者を碇容疑者の前で「ボス」と呼び、暴力団と関係のある「ボス」が碇容疑者の元夫の浮気調査をしているとして、浮気調査費の名目で碇容疑者から金をだまし取った。

5月の離婚後、赤堀容疑者から「(元夫に慰謝料を請求する)裁判に勝つためには質素な暮らしをしないといけない」「裁判で勝てば多額の慰謝料が入る」などと言われ、2019年8月ごろから赤堀容疑者が指示した過酷な食事制限に従っていった。ママ友は「子どもが太っていたら、夫との裁判で養育費や慰謝料が取れない」というような理屈を何回も吹き込んだ。

 

赤堀容疑者は碇容疑者に他の保護者が悪口を言っていると偽り、関係を悪化させることもした(孤立化というDV 手口)。つまり、夫、友人、親族などから離れさせられた。離婚もして孤立した碇容疑者は唯一の相談相手の赤堀容疑者の言いなりとなり、要求されるがまま貯金を取り崩したり、車を売却したりして金を工面し赤堀容疑者に渡した。また赤堀容疑者に勧められるまま2019年9月に生活保護を申請した。手当の申請手続きも赤堀容疑者が手伝った。

碇容疑者は、19年10月から翔士郎ちゃんが死亡する20年4月までの7カ月間で生活保護児童扶養手当(月20万円程度)などに加え、家賃滞納による強制退居で支給される臨時の引っ越し費用など計約230万円の公的扶助を受給。それらは赤堀容疑者がすべて受け取るようになっていった。元夫からの養育費も赤堀が母親から受け取っていた。三男が亡くなった後の2020年5月には事後払いの約20万円の葬儀代を含む50万円以上が口座に振り込まれた。これら収入の大半は、元夫に慰謝料を求める裁判や浮気調査の費用という名目で赤堀容疑者がだまし取った。

結局、貯金なども含めて合計1200万円程度を赤堀容疑者にとられることになった。碇容疑者は消費者記入から数百万円を借りる状態となった。碇一家は、料金が払えず通話ができなかったり、電気やガスを止められるほどに困窮していった。疎遠だった中学時代の同級生に借金を申し込む電話をするようになった[1]。赤堀容疑者は碇家には一部の金(パンなど)しか使わず、残った金で服やブランド品などを買っていた。

こうした事実のために、今回(2021年3月)の虐待死亡事件の逮捕とは別に、県警は2020年12月、碇容疑者の元夫との裁判の手続き名目で、碇容疑者から現金12万円をだまし取ったとして赤堀容疑者を詐欺の疑いで逮捕。2021年1月には元夫の浮気調査費用などの名目で碇容疑者の預金通帳のほか、児童手当生活保護費として支給された現金など約187万円をだまし取ったり、盗んだりしたとして詐欺と窃盗の疑いで再逮捕されている(いずれも起訴)。

 

虐待とDV的支配

碇容疑者は、長男、次男、三男の翔士郎ちゃんの4人で篠栗町マンションに暮らしていた。

ママ友・赤堀容疑者は、2019年8月ごろから一家の食事の量や回数を減らして低栄養状態にしていった。一家の食事は数日おきに赤堀容疑者が運んでくる菓子やパンや米のみにされ、わずかの米でのおかゆなどを分け合っていた。母親・碇容疑者と3人の子どもは日に日に痩せていった。赤堀は、監視カメラ10数台で見張っていると言い、「ボス(共通の知人)が食べすぎと言っている」「ボスが見張っている」などと信じ込ませて、やくざ的な大物が背後にいるかのように思わせ、脅し、食事を管理し続けた。赤堀容疑者は母親に対して、「言うことを聞かないと、離婚した元夫にやくざを送り込む」とも言って脅していた。

またコロナ禍が矛盾を激化させた面もあった。長男と次男は学校給食でなんとか栄養を確保できていたが、翔士郎ちゃんが亡くなる約1カ月半前の2020年3月初めにコロナウィルス感染拡大により学校が休校になった。そのため碇家の家庭内の食事配分はさらに厳しくなり、翔士郎ちゃんの衰弱が進んだ。

 

赤堀容疑者は翔士郎ちゃんが長男と次男に比べて、言うことを聞かないことがあるとして、兄2人よりもご飯の量を少なくしたり食事を抜いたりするよう碇容疑者に指示したこともあった(例えば長男は茶碗一杯のごはん、次男は少し減らし、三男は茶碗半分あるいはごはん無し)。2020年4月には赤堀容疑者から食べ物が届かなくなり、碇容疑者は友人から食べ物を譲ってもらっていたが、家族全員が何も食べられない日もあった。

、最終的には3男の翔士郎ちゃんが20年4月18日に餓死(低栄養での衰弱死亡)した。翔士郎ちゃんはあばら骨が浮くほど痩せており、体重は10キロ前後で、同年齢の平均の半分ほどだった。

翔士郎ちゃんが亡くなる前には10日連続で水しか与えられていなかった。司法解剖胸腺の萎縮も確認された。虐待など強いストレスを受けた場合にみられる所見で、福岡県警は翔士郎ちゃんが食事を抜かれるなどの虐待を日常的に受けていたとみている。

 碇容疑者は調べに対し「赤堀容疑者は(翔士郎ちゃんを)たたいたり、日常的に怒鳴りつけたりしていた」と供述した。子供が言うことを聞かないと罰として食事を抜くことや押しれに閉じ込めるように指示されてもいた。赤堀容疑者は、幼稚園に通わなくなった翔士郎ちゃんを家で留守番させるよう碇容疑者に指示した。しかし留守番中、翔士郎ちゃんが外出したり、お菓子を無断で食べたりしたため、赤堀容疑者は「しつけ」と称して食事をさらに減らすよう指示し、虐待がさらにエスカレート。たたいたり押し入れに閉じ込めたりすることもあった。赤堀容疑者は、碇容疑者や翔士郎ちゃんに対し「食べ過ぎたらいけない」などと指示し、守らなければ碇容疑者を屋外に長時間立たせたり、睡眠をとらせなかったり、罰を科すこともしていた(DVの面)。食事制限などで子供に歩行困難の症状がでたことを母親が赤堀に伝えたが赤堀は対処しなくていいよう指示したこともあった。

 

赤堀容疑者は仕事に出る碇容疑者に代わって幼稚園の送り迎えをしていたが、20年1月に翔士郎ちゃんは退園した。翔士郎ちゃんが幼稚園に持っていく弁当は、前日の夕食を半分残したものなどで、19年10月ごろには幼稚園から痩せた理由を聞かれた。それで翔士郎ちゃんが痩せていることを園に知られるとまずいと考え、幼稚園をやめさせるように赤堀容疑者から言われて、母親は3男を退園させた。その後、男児の育児状況を把握するため保育園への入園を勧めた町に対し、母親の碇利恵容疑者は「役場が関与するのは嫌だ」と拒絶していたが、その背景には、赤堀恵美子容疑者が、碇容疑者に行政側と接触しないよう指示していたことがあった。

 

事件後、一家が暮らした部屋から碇容疑者が書いたとみられるメモが複数見つかった。「翔ちゃん、きょうも食べれんかったね。ごめんね」と書いてあった。満足に食べさせられない碇容疑者が母親としての気持ちを持ち矛盾を抱えていた様子が見て取れる。

赤堀容疑者は、碇容疑者を言葉巧みに夫や知人から分断・孤立させ、様々な手法で支配していった。赤堀容疑者は、碇容疑者が近くに住む親族から支援を受けないように接触を禁じていた。碇容疑者は、赤堀容疑者に周りとのトラブル、夫のことや子育て方法など様々なことを言われ、背後にいる大物の人物への恐怖や赤堀容疑者自身への恐怖と洗脳などによって精神的に支配されて、逆らうことができなくなるマインドコントロールされている状態(≒DV被害と類似)となっていた。

警察は餓死的なほどやせていたので事件を疑って三男の死後、捜査を開始した。碇容疑者は20年6月以降に事情聴取を受けて初めて元夫の浮気調査や裁判が赤堀容疑者のでっち上げだったと知った。それほどママ友を信頼しきっていた、あるいは騙され続けていた。逮捕後、碇容疑者は県警の調べに「だまされていた。絶対に許せない。母親として守ってやりたかった」「赤堀容疑者に逆らうことができなかった。母親として守ってやれればよかった」「洗脳が解けてとても苦しい」と、後悔の言葉と苦悩を口にした。

だが、逮捕までの期間、子どもが危なくなった時期や死後も赤堀容疑者を一定期間信頼し続けた様子があり、精神的支配は警察からの話を聞いて洗脳が解けるまで長く続いていた。

 

たとえば、ママ友・赤堀容疑者は4月の男児死亡後も母親から生活費を搾取し続けた。搾取された生活費には公的扶助として支給された男児の葬儀代約20万円も含まれていた。

また男児が死亡する前に自宅で意識不明の危篤状態に陥った際、母親の碇容疑者は119番せずにまずママ友に連絡していた。20年4月18日、翔士郎ちゃんが急にうずくまり動かなくなったとき、碇容疑者はママ友に電話し、駆けつけたママ友が、この時は「翔士郎ちゃんが息をしているから」ということで通報しないように指示し引き揚げた。その後3~4時間後に翔士郎ちゃんが息をしなくなった後再び母親はママ友に電話し、駆けつけたママ友とその夫が、午後10時過ぎに119番したが既に意識はなかった。碇容疑者が危急の事態を前にしても的確に判断できないほど赤堀容疑者に心理的に支配されていたとみなせる。

DVという観点で考えると、母親は「子供への虐待を見させられていた」、「虐待に加担させられていた」という面があり、この子供にかかわる面でも、母親は「ママ友にDV的支配をされていた」といえる。

この全体像からは、”ママ友”赤堀容疑者による母親への精神的・経済的な支配、ママ友・赤堀容疑者が主たる虐待者・支配者で、母親の碇容疑者はそれに従わされていた被害者の面もある関係で、そのなかで子供を虐待していった「受動的な虐待加害者」という性質が見て取れる。[2]

 

行政のかかわりの失敗

母親とママ友が食事制限をし始めた8月の後の新学期、2019年9月に、長男、次男が通う小学校から「体重が大きく減っている」という情報、三男が通う幼稚園から「母親と連絡が取れない」という情報などが行政・篠栗町や福岡児童相談所に寄せられた。小学校や幼稚園が家庭訪問を行ったがまだ児相や要対協の対応はなかった。

翌月の10月ごろから三男が幼稚園を休みがちになったがまだ対応しなかった。11月に通園しなくなってようやく、子どもたちの体重の減少や母親との連絡が取りづらいことなどから「要保護児童対策地域協議会」(要対協)で見守り対象とした。しかしこの時点でも虐待を発見できないままであった。

 

 篠栗町こども育成課は、碇容疑者一家に支援が必要と判断し家庭訪問をしたが、赤堀容疑者がこれに抗議し、支援を断ったことがあった。それにたいして適切に対応しないまま時間が流れてしまった。

翔士郎ちゃんは当時通っていた幼稚園を同11月ごろから欠席するようになった。異変に気付いた町などは碇容疑者に翔士郎ちゃんの登園を促そうとしたが、碇容疑者とはなかなか連絡が取れず、赤堀容疑者が「(碇容疑者は)体調が悪い」と割って入り、退園の手続きを進めた。

 翔士郎ちゃんが20年1月に正式に退園すると、町や県の児童相談所などの関係機関でつくる要対協は、翔士郎ちゃんの健康状態や育児状況を把握するため、同町の別の保育園に入園を勧めることを決定。しかし、翌2月、碇容疑者から町に「役場職員が面接に入るのが嫌だ。役場の関与がない施設を探そうと思う。今回はキャンセルする」と連絡があった。碇容疑者は退園や入園拒絶の理由について「(翔士郎ちゃんが)痩せていることについて、食事のことなどをいろいろ聞かれるのが嫌だった」と述べている。

 

篠栗町こども育成課や児童相談所、学校、生活保護担当課などは、2019年9月から事件で死亡する2020年4月までの間に合計40回程度にわたり碇容疑者や翔士郎ちゃんの家庭訪問や電話相談を行っていたというが、実際は非常に不十分なものであった。児相は2020年に2回訪問しただけであった。2019年9月~2020年4月に町など各機関が分担して家庭訪問を計19回実施、町役場の職員は母親と3回、三男とは5回ほど面談し、電話相談が17回、学校や幼稚園の家庭訪問、生活保護担当課の面談もあったということであるが、内容が乏しく、横の連携がなく、DV的な関係や虐待を見抜く質がないもの、子どもの健康状態や安全性・虐待被害を適切に調べないものであった。

つまり翔士郎ちゃんに会えたのは5回で、その際、赤堀容疑者による妨害を受けたこともあったがーー職員が「母親と話をしている時に間に入ってきたり、家庭訪問を行った際になぜ来たのか?と言ったりーー、そ子に問題を見抜くことができなかった。

 

2020年1月に三男が幼稚園を退園したあと、近所から児相への通報――朝8時くらいから4~5歳くらいの子供が一人で外に出ているーーがあって、福岡児童相談所がようやく1回目の家庭訪問をしたが不在(応答がなかった)ということで、不在票を投函するだけで帰った。母親はその後電話で「訪問時に具合が悪くて出られなかった。朝は具合が悪くて寝ていて、子供が外に出ていることに気づかなかった」と言ったので、児相は電話で指導したという。だが電話の話だけに終わりそれが事実かも確認しないままにした

それは実質、当時の真の状況を調査しないまま、虐待を見逃したということである。本当に体調が悪く寝ていたのかもしれないが、実は起きていても児相に子供を見られたくないために居留守を使ったのかもしれない。母の体調が悪いのが事実としてもそれは子供に対してはネグレクト状態であるので危険性は高かった。客観的にはこの時点でも低体重になっていたので、病院に行かせるとか、絶対に会って調べるべきであった。

 

2020年2月に近隣住民から「母親が大声でしかる声が聞こえる」「母親が子供を残して外出することがある」との虐待(心理的+ネグレクト)の疑いの通報があったので碇容疑者の家を警察が訪問するも、3人の子どもに外傷は確認できず、「異常なし」の判断をした。そして3月5日に児相に虐待の疑いがあると通告した。

その通告を受けて、児相は2020年3月11日、2回目の家庭訪問をしたが、危険性はないと判断して帰ってしまった。福岡児相の森本浩所長は事件後の記者会見で、3月11日の訪問で「差し迫った危険ははないと判断」したと説明したが、それが間違いや問題とすることはなく児相の対応を正当化していた。

だが、子どもは最終的にやせ細って死亡したので、死亡【4月18日】の1か月前の3月11日に「会って」いたのに「危険性はなかった」という児相の弁明はおかしい。「顔や頭部にあざ・きずはなく、顔色がいいので、差し迫った危険性はないと判断した」というが、またまた見えるところだけのあざや傷だけが判断基準で、これでは精神的な虐待などは見逃されてしまう。しかもインターホン越しと少しのチラ見だけだったと思われる。こうした説明で済むと思っているところに、従来と同じレベルでしか対応できていない問題が浮かび上がる。

また母親の碇容疑者の親族が、男児が死亡する約1カ月前から4回、福岡児童相談所男児らを引き取りたいなどと相談していたことが、事件後メディアによって判明した。児相は、碇容疑者らが逮捕された翌日の記者会見では、この「3月12日~4月、碇容疑者の親族が3人の子どもの安否を心配する相談を4回していたこと」は公表しておらず、事実(対応失敗)の隠蔽と言える。これの意味するのは、親族が危機感を持っており、児相が適切に調査のうえで、親族に三男を預けていたらこの虐待死は避けられたということである。この点だけでも児相の対応失敗の責任は重い。

 

2020年3月12日、碇容疑者から「金を貸してほしい」と無心された親族が児相を訪問。親族は、碇容疑者に「経済的に困っているのなら、子供たちを預かろうか」と提案したが受け入れられなかったとして児相に対応を求めた。この時、児相は3月11日の家庭訪問で翔士郎ちゃんら子供3人が元気だったことを確認したと伝えた。 3月31日に親族が再び児相を訪れた際、児相は関係機関と見守りを続けると説明した。碇容疑者は家賃滞納による強制退去で3月下旬に転居。碇容疑者と連絡が取れない親族は、4月8日に「子供たちを自分が引き取れないか」と相談し、転居先を教えてほしいと求めたが、児相は「個人情報で教えられない」と回答した。翔士郎ちゃんはその10日後に死亡した。この経緯を見れば、児相は単位不作為というだけでなく、客観的には「親族のなんとかしたいという動き」を妨害し続けた、かなり「積極的」に不介入を選んでしまった、虐待死を招いた点で大きな責任がある失敗をしていた、といえる。

 

児相は3月3日の記者会見ではこの事実を隠していたが、メディアに暴かれて3月5日にようやく福岡児相の森本浩所長は、親族から複数回相談があったことを認めた。しかし「個人情報にかかわるため積極的に公表しなかった」と言い訳した。しかしそれ「個人情報」という人権に反するものでないため、非論理的な言い訳でしかない。むしろ親族の提案を拒否したという自分たちの失敗を隠蔽した犯罪的な態度であるといえる。親族が当該家族に接触できず心配している場合、児相は(親族に言った)「個人情報なので教えられない」ではなく、まず自分たちが実態を把握することに加えて、親族から詳しく聞き取り、親族と一緒になってこの「危機的な状況にあった碇一家、特に三男の命」を助けるべきだったのである。「個人情報なので教えられない」などといって親族の努力を否定する対応の選択は、人権意識も能力もない人にしかできないものである。

またこの時、児相所長は、児相としては翔士郎ちゃんの家庭は見守り対象の中で一番軽微な事案のCケースと判断していた、兄2人が通う小学校など関係機関で見守りを進める程度のかかわりだったことを明かした。これは児相が大きく現実判断を誤っていたことを示している。しかし児相所長はそれを自分で認識できない。福祉にかかわる基礎的な能力が欠如している。

 

、さらに児相は、全く不十分な「確認」であったにもかかわらず、20年3月に家庭訪問して以降は、児相として訪問予定はなかったという。その直後に餓死的に死んでいるのである。愚かと言わざるを得ないなほどの無能である。

なお児相は、3月12日の親族からの相談については粕屋保健福祉事務所に連絡したが、その後の3回の相談については関係機関に連絡していなかった。横の連携が大きく欠如していた。

警察は一般的に傷あざが中心の対応【それも見直していく必要アリ】だが、児相はネグレクトで保護できるので、体重チェックなどで虐待がないか見ていく責任と権限がある。近隣からの情報、過去の経緯、警察からの通告もあったのであるから、児相は適切に子供たちと会って虐待被害がないかをしっかり調べるべきであったが、体重も調べていない。つまり虐待を調べなかった。これで危険性はないという判断できるわけがない。児相訪問時、インターホン越しに子供をみたという情報もあり、ドアのところで少しだけちらっと見ただけという情報もあるが、適切に家の中の状態や、子どもの状態、顔以外の服の下の見えないところの身体の調査、体重測定、精神的な状態などを何も調べなかった。1月段階でも、3月段階でも保護すべきレベルであったのにしなかったことは明確である。

 

またこの3月の訪問で児相は母親にも会えていない。その時に代わりに対応したママ友・赤堀容疑者が「この一月ほど、母親は体調が悪くて起き上がることができないので児相に会えない」といった。このとき以外にも、何度も碇容疑者の自宅に出入りしていた赤堀容疑者が確認されている。そして「(碇容疑者は)対人恐怖症だ」などと抗議して追い返したり、一家への連絡は自分にするように主張したことがあった。これらに異常を感じることができないとは、支援者失格である。また碇容疑者も「(行政のかかわりは)迷惑だ」などと行政側の接触を拒むようになっていたのであるから、その背景を調べるべきであった。

子供の実の親が寝ていて世話もできない状態だとか、対人恐怖症的であるなら、それも大問題(少なくともネグレクトは明白)であるので、しっかりと会って調査し、何が問題か、どういう支援が必要か検討すべきであった。そもそも、母親(碇容疑者)が急激に痩せて体調を崩すようになったのも、赤堀に食事を極端に制限されたりしたためであった。だが、よくわからない「知人」が出てきて、「連絡は自分にしろ」などよくわからないことを言ったのに、実態を調べず、3月の訪問では児相職員はそのまますごすごと帰ってしまった。そしてその後何もしなかった。

 

この、その後何もしないことが一番の問題で、結局1か月後に死んでしまうのである。低体重だけでも見つけて、それは虐待とみなせるので、一時保護できていたらこの悲劇は避けられた。行政側は得体のしれない赤堀容疑者が翔士郎ちゃんを幼稚園に送迎したり、碇容疑者が滞納した給食費を納めたりした時期があり、それを認識しながら、善意で一家の世話をしている知人と認識していたという[3]親子の極度の貧困状態や不健康状態や被支配状態も見抜けず、実態を調べず、危険性を感じられないというありさだった。

こうした不十分な対応であったので、餓死する1か月前の3月に「危険性はないという判断をし、その後も何も対応しなかった、それは問題なかったとすること」は、対応の失敗(判断の誤り)を認めない姿勢でしかない。

 

そもそも、2019年御9月にすでに子供3人とも低体重になったという連絡があったのである。そして痩せたことがばれないように、幼稚園に行かせないようになりついには退園させていたのである。おかしな知人も介入していた【それはすさまじいDV的支配であった】。家族全員が食事も満足にとれない極貧状態であった。それなのに「顔色良かった、危険性なかった」というのはおかしい。子供に対しても母親に対してもちゃんとみていなかっただけであり、児相や町の職員に危機感も能力も欠如していたというしかない

翔士郎ちゃんの死後、ようやく長男と次男は児相に保護された。遅すぎた。

以上の様々な対応の不手際は野田市や目黒区事件と非常によく似ている

赤堀容疑者は職員と碇容疑者の話に割って入ったり、「なぜ来たのか」と聞いてきたのであるから、おかしいと感じるべきであった。ママ友に金銭をほとんどとられ、異常な食事制限を母親が受け入れていたということは、母親が正常な判断力を奪われていたということ[4]であるので、周りの支援者がそれを見抜くべきであった。

 

碇容疑者は2019年12月、生活保護の手続きの際、県の保健福祉事務所に「親族は離婚に反対したので関係が悪化している」と訴え、親族に生活保護費の受給を伝えないよう求めた。こうした点においても、「離婚に反対とはどういうことか」「親族から孤立しているのか」「親族族はどう見ているのか」「なぜこれほど貧困化しているのか」「赤堀容疑者のかかわりがおかしい」などと問題意識を持ち異常を感じて、生活保護課は関係機関と情報を共有して実態を調べるべきであった。

3人の子供の低体重化以外にも、夫と離婚させる孤立化、母親と連絡を取りにくかったこと、幼稚園を退園したこと、児相への対応で赤堀容疑者が出てくることがあったこと、母親とママ友の児相・要対協などへの敵対的な態度、経済的困窮状態、母親の体調が悪いという情報、ママ友がクレーマーであったことなども、重要な「DVや虐待可能性が高い危険信号」であったが、関係機関はそれらにすべて適切に対応しなかった。連携が全く不十分で、各機関が情報を総合して危機を察知する能力に欠けていた。児相等は支配/被支配関係を感じ取って、ママ友がいないところで、母親から状況(精神的経済的に支配され、食事制限などの身体虐待があったこと、子どもへの虐待を見せられていたこと等)を聞き取るべきであった。

 

だが、児相や自治体などでつくる要対協の、生活実態を正確に把握しようと動きも見受けられない。危険度認識も間違っていた。過去、何度も言われてきた「各関係機関の連携」は今回も決定的に不十分だった。

結果的に虐待を見抜けず、はハイヤと赤堀から児相に対して敵対的な対応を取られていたにもかかわらず適切な対ができなかった。赤堀容疑者の母親への支配を見抜いての「被害者としての母親の救助」というかかわりもできていなかった。母親が「信頼する友人」ということで赤堀の同席を望んだということだが[5]、そこに支配関係を見抜くべきであったので、これは、目黒区や野田市のDVを見抜けなかったことと同質の「DVと虐待の連関における支援の失敗事例」である。ママ友・赤堀容疑者と母親が同罪・共犯とみるべきではなく、ママ友が主犯、母親が従犯という主従関係を認識すべきである。

4月13日、つまり三男死亡の直前(5日前)には、県の祉保健福祉事務所職員が家庭訪問したが、碇容疑者の「(子供たちは)元気にしている」の言葉を聞いただけで、子どもの安全・健康状態を確認することなく引きあげている。上記児相と同様の問題、連携不足がここにも出ている。

 

関係者は情報を共有し、何としても、2019年9月に低体重とわかってから早い段階から「病院に連れて行くなどで健康確認をするべき」であった。それを2019年内にできないどころか2020年になってもそれを全くしないまま、つまり体重チェックなどをしないまま、4月の死亡まで安全確認できず、結果的に虐待餓死という悲惨な状態まで放置してしまった。碇容疑者が支配されている状況にも支援・介入できないままであった。ネグレクトなどを感じていたにもかかわらず、また通報があったりおかしな状況であることが見えるはずであったのに、ことごとく適切な介入をしないまま事件の日を迎えてしまった。

 

今回の事件でも、虐待やDVに対する近年の失敗事例(目黒区、野田市事件)から学んだという改善の兆候――虐待の裏にDVがないか常に敏感に感じ取り調べることの重要性、DV被害者への支援をすること、危険性の見落としをしないようにすること、必ず会ってちゃんと調査すること(目視確認)、各機関の連携、各部門の情報を持ち寄り総合的に検討できる要対協を最大限活用すること――がみられない。今回も、行政側が適切に対応していれば救えた命であった。

 

[1] 碇容疑者の友人の言葉「(電話で)旦那と離婚して家賃が払えなくて大変だからお金を貸してくれないかという内容でした。その後、毎日1週間ほど、トータルで数百件になるのかな。泣きつくような人では無かったのでちょっとびっくりはしました」

[2] 他人を操って支配する人のことを「マニピュレーター(manipulator)」ということがあるので、赤堀容疑者は「マニピュレーター」であったともいえる。「マニピュレーター」とは、「マニピュレート(manipulate)」する人、つまり他人を思い通りに操ろうとする人のこと。マニピュレーターは、「相手の悪意を見抜かず信じるタイプ、自分で決めるのが苦手、受動性、自分が悪いと思い込みやすい特性(自責の念)、等の特徴のあるひと」に付け込んで、相手の弱点を巧みについたり不安や恐怖をかき立てるのがうまい、相手をだましたり傷つけることに罪悪感を覚えない、支配に快感を覚える等の特徴がある。ただし、家族とか子供の面倒を見る親友というイメージを使って家族単位的にコントロールしており、虐待とセットであるので、私はほかの事件との類似性を示すために、「DV的支配」とここでは呼んでいる。

[3]  メディアの取材に対し、町のある関係者は「善意の第三者と思っていた」と悔やんだという。

[4] 目黒事件で母親がDV夫にいわれて子供への食事制限していたこと、体重を記録し、100グラム体重が減ったことに喜ぶ状態になっていたというような異常状態であったことと非常に類似している。

[5] 困窮当事者の支援者が行政などとの面会で同席することはあり得る。申請主義などの中で当事者が行政などにうまく対応したり相談できないこと、権利行使がうまくできないことがあるので、当事者が支援者の同席を望むなら、役所や児相や警察が同席者を拒否することはすべきでないし、できない。しかし、それが本当に当事者の権利・利益を支援する「支援者/同行者/アドボケーター」であるのか、当事者を搾取したり支配している者であるのかを見抜かねばならない。それはDV加害者や毒親の同席に注意が必要であることと同じである。

『戦争に近づく時代の生き方について』

私が過去に書いた、戦争、暴力、ナショナリズム、責任の取り方、その一例としての慰安婦問題などにかかわる文章を集めてまとめた本を出しました。

 

『戦争に近づく時代の生き方について―――戦争/ナショナリズム/暴力に対する、非暴力/主流秩序の観点』

増補版・オンデマンド印刷書籍&電子書籍2020年9月

電子書籍  2016年3月)

 

アマゾン販売ページ

https://www.amazon.co.jp/gp/product/B08HW4F33V

 

紹介

 

本書は、私が過去に書いた、戦争、暴力、ナショナリズム、責任の取り方、その一例としての慰安婦問題などにかかわる文章を集めてまとめたものである。そして2020年にオンデマンド印刷書籍にするにあたって「慰安婦問題」などについて加筆を行った書籍である。視点は、非暴力主義、〈スピリチュアル・シングル主義〉、「主流秩序」の観点、未来の平和に向けて過去に対しちゃんと謝罪する責任、などである。

 

第1部は基本の考え方を3章にわけてまとめているが、少し長いので、第2部以下の方が短くて読みやすいと思う。どこから読んでもらってもかまわない。

 

改めて読み直すと、主流秩序という言葉は使っていなくとも、主流秩序論で言っていることと近いことをすでに述べていると思った。昔からこだわってきたことは、変わっていないなと思う。

 

安倍政権の下、集団的自衛権を認める解釈改憲特定秘密保護法・安保法制の強行採決などをして、事実上、憲法をないがしろにして戦争ができる国に突き進んでいる中、どのような意見を持ち、どのように生きるかが各人に問われている。本書は私なりの反戦の論理と思想である。

 

戦前、知識人の多くは、「戦争反対、平和支持」から戦争支持へ転向した。知識人とはそんなものだ。労働組合も政治家も人権系活動家も多くは戦争に加担していった。理屈はどっちにでもつく。“勢い”に流されるものは多い。

 

「戦前は十分な情報をもとに合理的判断をしなかったから負けた」というような、一見リベラルな「戦争批判的」な物言いも、では合理的判断で勝てると予想できるなら戦争をしてもいいのかという問いを抱えていない。「今の平和は多くの日本兵の犠牲の上に築かれている」というような美化は、多くの兵隊が愚かにも犬死させられた(餓死や病死も含めて)という事実や戦争に加担し残虐を極めて侵略した加害者責任を隠蔽/忘却している。

 

日本国家のために死んだものだけを弔うのはおかしい。過ちを繰り返さないために国境を越えて戦争で死んだものを弔おうとおもう。いっけんバラバラなものや異なる意見などの共存・相互の尊敬・多様性が大事である。その意味で、いまこそ戦争肯定論とともに、反戦論があること(平気で戦争反対、戦争に負けてよかったなどを言える雰囲気)が大事であり、多数派でない声などさまざまな声をあげられること、個人がそれを選ぶ勇気が大事である。とともに、特に「朝まで生テレビ」や国会のように声を荒げたり、したり顔で評論するのでなく、“沈黙”的な姿勢(その意味は本書で触れるが、それは主流秩序に従属することではない)を大切にしたいとおもう。

 

安倍首相と近い考えの人は、「戦争反対・憲法擁護・非武装平和主義」を唱える人たちのことを「現実的でなく単純で古臭い観念の持ち主だ」と馬鹿にしているところがあると思う。私は、戦争に反対するとか憲法を守れという意見がそう馬鹿で単純な意見でないということをわかってほしいと思っている。

本書で、たとえ意見が違っても、こうした戦争反対の意見があるということを知って、否定ではなく異なる意見の者たちの共存の道をともに歩けるようになってほしいと願っている。 

 

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目次

はじめに.... 2

第1部 ナショナリズム批判――〈スピ・シン主義〉の観点からの、私の反戦の論理   7

第1章 〈国境〉を越えられるか.... 7

1-1 ナショナリズムとアイデンティティ.... 8

1-2 〈国境〉を肯定するか否か.... 14

第2章 リアルな戦争.... 22

2-1湾岸戦争にみるナショナリズムの論理.... 22

2-2 戦争とは.... 26

2-3 戦争責任と謝罪.... 34

2-4 従軍慰安婦問題.... 40

第3章 私の選択する価値.... 44

3-1 保守主義への向かい方.... 44

3-2 〈日本〉への絶望を通過して.... 46

3-3 「現実主義」ではない、私の選択――逃げる非武装・非暴力主義   52

第2部  暴力と非暴力、責任の取り方、戦争に反対する生き方.... 80

第3部 大多数に見えていない日本のおかしさ.. 160

第1章 従軍慰安婦問題への向かい方に本性が出る.... 160

第2章 イラク人質問題を忘れない.... 266

文献.... 279

おわりに... 281

 

 

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『主流秩序社会の実態と対抗―――続・閉塞社会の秘密』  増補改訂版出版

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『主流秩序社会の実態と対抗―――続・閉塞社会の秘密』  増補改訂版出版

 

電子書籍で出していたもの(主流秩序社会の実態と対抗)が、紙媒体の本として購入できるようになりました。(プリントオンデマンド POD本)

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あるいはアマゾンで「伊田広行」で検索してもらうと出てきます。「オンデマンド (ペーパーバック)」と出ているものが紙媒体の本です。

 

Amazon内の書籍ページ

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書籍名

『主流秩序社会の実態と対抗―――続・閉塞社会の秘密』

 

著者 伊田広行 (イダヒロユキ) 

電子書籍 2015年12月

オンデマンド印刷書籍&電子書籍 2020年6月

 

355ページ

 

 

目次

目次

はじめに―――社会運動の低調の中で、普通の人はどう生きたらいいか.. 2

第1章  問題意識――見飽きた言説の次へ.. 8

1-1  これまでの語り方でOKか?.. 8

1-2 自分の人生を振り返って... 13

1-3 教員的・学者的なことへの疑問.. 22

第2章  主流秩序社会の実態... 39

2-1 主流秩序の基本的理解.. 39

2-2 知らぬ間に巻き込まれたり、寄り添うもの... 42

2-3 日々、私たちを主流秩序にそって再染色するメディア.. 53

2-4 暴力という主流秩序.. 90

2-5 インテリ的な人の主流秩序への加担.. 109

第3章 主流秩社会を生き抜く方法――対抗の視点 100のポイント――   140

3-1 非暴力主義... 140

3-2 アナーキズムの感覚... 155

3-3 スローの感覚... 175

3-4 スピリチュアリティと〈スピ・シン主義〉がわかる方向に近づけるか    182

3-5 思想としての脱主流秩序... 198

3-6 反インテリ・反専門家の感覚... 214

3-7 弱さ、つまづき、はみ出し、ポンコツ... 227

3-8 生き方の分類図... 246

3-9 実践、運動、アクティビティ... 255

3-10 疑問や批判にたいして... 264

3-11 「欲望を違うレベルに拡張する」という幸福... 275

3-12 下位/周辺から見える風景... 280

3-13 正体はその存在の仕方に現れる... 285

3-14 ちゃんと生きるコツ.. 297

3-15 自分が主流秩序の加担者になっていないかを意識する... 321

おわりに・・・「波風に対して、帆を高くあげよ」... 351

 

はじめに 2020年追記:

本書は分量が大きくなったので、電子書籍として2015年に3分割して出版した。しかし2020年にオンデマンドの印刷書籍として出版するに際して、加筆して増補版として1冊にまとめた。

本書は2015年に完成したものだが、その問題意識は2000年ごろから2010年過ぎがベースで、その答えとしてまとめたものの一部を『閉塞社会の秘密』として書き、そこに載せられなかったものを集めたものが本書である。2020年の現在においては、私の中では少し古くなっている。その初期の問いの答えは見えて、2015年から2020年まで主流秩序論として様々に展開してきたし、DV加害者プログラムなどの実践として活動してきたからだ。したがって本書を読んでその続きや具体化に興味を持っていただけたなら、主流秩序についての関係書籍(奥付の著書一覧)を見ていただきたい。とくに主流秩序・ジェンダー秩序について受講した学生さんたちのレポートを見ていただければ、この主流秩序という「メガネ」で社会と自分を考えることの有効性が伝わると思う。

 

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『「DVと虐待」対策・改善提言2020』という本ができました。

ひさしぶりに書くでー。


昨年から書き続けていた『「DVと虐待」対策・改善提言2020』という本を出しました。アマゾンで購入できます。私が今行っているDV加害者プログラムの内容を含めた、「DVと虐待」を一体のものとして対応すべき改善点を書き込みました。参照していただけ得れば幸いです。 

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伊田広行『「DVと虐待」対策・改善提言2020   ―――野田市小4女児虐待殺人事件を契機にした、DV加害者更生教育の経験からの「DVと虐待」への提言レポート』

2020年3月発行 電子書籍&POD版(ペーパーバック)

306ページ
アマゾンのHPで「伊田広行」で検索していただくと購入できます。
https://www.amazon.co.jp/s?k=%E4%BC%8A%E7%94%B0%E5%BA%83%E8%A1%8C&i=stripbooks&__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&ref=nb_sb_noss
アマゾン内の書籍ページ
https://www.amazon.co.jp/gp/product/B0863TM91C

f:id:hiroponkun:20200325011235j:plain

●目次
第1章 野田市事件の流れ
第2章  野田市虐待死事件で明らかになった問題点・不足点と改善点
2-1 関係者の無責任な醜態の数々と今後求められること
2-2 DVを理解していない母親バッシング問題
第3章 提言:加害者への長期更生プログラムの必要性 ――― 一時保護の解除の後のかかわり:加害者更生プログラムの経験から―――
3-1 加害者プログラムの必要性
3-2 加害者プログラムの内容
第4章 まとめ――必要な改善策の再確認及び提言
4-1 虐待対策の見直し
4-2 虐待に対するシステムの再構築
4-3 つねにDVの観点も入れて対処できるような意識の向上
4-4 児童虐待に関する組織・システムを変える――児相、市の子育て部門、警察、学校
4-5 関連の改革――情報共有、施設改革
4-6 責任ある対応――かならず調査する仕組み、結果責任をとらせる処分
4-7 DV対応の欠点の改善
資料  虐待事例、関連犯罪事件
●2018年、東京都目黒区・船戸結愛(ゆあ)ちゃん虐待死事件
付録資料 ――野田市事件の検証、法改正、現状の施策体系や いま進み始めている改革、などの情報
補論1 DVと面会交流――面会交流で子どもを殺した伊丹事件に関連させて
補論2 「受動喫煙」概念から考える「DVと虐待」――「間接虐待」と「受動的虐待加害」
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●内容紹介
本書はDV加害者プログラムの知見を虐待対策に入れ込むべきことを提起した書である。
千葉県野田市・心愛(みあ)さん虐待死事件は「DVと虐待」が絡み合っているにもかかわらず、DV側面に対する意識が低すぎたために起きてしまった事件であった。本書では「DVと虐待が関係しているケース」に対する対応の改善の提言を行う。まず、野田市事件の経緯を再確認し、現状の対応策の何が問題か、どういうことが足りなかったかを簡潔に記していく。メディアなどでの母親バッシングについても批判的に検討し、DV被害者の理解の重要性から見える結論、つまり、心愛さんの母親よりも責任あるものが誰なのかを特定する。そのうえで、筆者がDV加害者更生プログラムを行っている経験やジェンダーの観点を踏まえて、特に今後検討・実施されるべき重要な「DVと虐待」対応についての具体的改善策について提言していく。
虐待の本、DVの本はいろいろあるが、「DVと虐待が絡んでいるケース」を十分に失敗事例から学んで、DV加害者プログラムの視点までいれた提起した本はまだないと思う。
虐待関係者は、がんばっている人はもちろん多いが、DVの観点、特に加害者対策をどうししていったらいいのかがわからない人が多いと思う。
そこで、本書では、今の制度の良い点やうまくいっている点、がんばっている職員の実践に焦点を当てたり確認するのではなく、不十分性・不足点に関して、「このように考えて、このような制度・システムにしていくことがいいのではないか」ということを浮き彫りにしていく記述をした。すでに巷で指摘されている点もあるが、指摘されていない点も多く記述した。
日本社会で一挙にこれを実現するのは、人々の意識や政治(政権)と行政のレベルからして難しい点も多いが、できることから改善していくべきであること(同じような犠牲者を生みださないための緊急課題であること)は間違いないので、特にDV視点の導入、面前DV対策、DV対策自体の消極性の克服、加害者プログラム的なものを児童虐待対応にも導入すべきという点を中心に、現段階の「検証と対策」で欠けている点(避けられている重要な対策)、あるべき状態・意識・制度のポイントを提起した。
大きな枠組みを考える人が少ない中、DV分野の経験、とくに加害者教育プログラムの経験をベースに見えてきた問題やアイデアを指摘することにも意義があると思い記述した。虐待関係だけでなくDV関係の対策改善にも言及している。社会全体でようやく加害者対応の重要性が認識され始め、2020年においてDV加害者プログラムについても進展が見え始めている中、虐待対応の改善にもそれを反映したものが必要である。今後の「DVと虐待」をワンセットとした対応の改善において、および、虐待分野やDV分野の関係者・当事者の方々に、すこしでも本書の指摘が参考になることがあれば幸いである。
なお、目黒・結愛ちゃん事件も同様の問題を抱えているので、かなり詳しく「資料」の項で言及している。また補論で「DVと面会交流」に問題に関した論考も載せている。参照していただきたい。


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日本製鉄元徴用工裁判を支援する会の声明

日本製鉄元徴用工裁判を支援する会の声明



本日は、昨年10月30日に韓国大法院判決が出てから1周年です。日本の報道はゆがんでいます。
このような状況に対し、日本製鉄元徴用工裁判を支援する会と過去清算共同行動が、「直ちに強制動員被害者の人権回復を」との声明を出しました。

 

(声明)
韓国大法院判決1周年に当たって  直ちに強制動員被害者の人権回復を!

 

 

韓国大法院が元徴用工被害者の「強制動員慰謝料請求権」を認める判決を下して1年が経過しまし た。しかし、いまだに被害者は救済されていません。

韓国大法院は昨年 10 月30 日、日本企業が行った強制労働の不法行為責任を認め、植民地支配によっ て奪われた個人の尊厳回復を命じました。国際人権規範にも合致する画期
的な判決でした。日本の司法 は企業の不法行為を事実認定しながら被害者の請求を棄却しましたが、韓国の司法は植民地支配下の反 人道的な不法行為に対する「強制動員慰謝料請求権」は日韓請求権協定の対象外であるとして請求を認 めたのです。20 年以上にわたる被害者たちの闘いは報われました。

 

しかし、この判決に対し、安倍首相は、この問題は日韓請求権協定で「完全かつ最終的に解決済み」 、「国際法に照らしてありえない判決」と非難しました。そして、多くのメディアがこれに追随しました。その結果、韓国を「国と国との約束を破る国」などと罵倒するヘイトスピーチまがいの言説がこの国の中に蔓 延しました。さらに今年 7 月以降、安倍政権は大法院判決に対する報復措置として半導体材料の「輸出規 制」に踏み切り、「ホワイト国」除外をも強行しました。このように元徴用工らが日本の「植民地支配と侵略」によって「多大の損害と苦痛」を被った被害者であるという事実、朝鮮植民地支配の歴史に向き合う ことなく、ひたすら韓国を敵視する動きに憂慮を禁じえません。

 

日韓基本条約締結に際して、日本政府は過去の朝鮮植民地支配を「合法」とし、「賠償責任」を認めませ んでした。請求権協定による5億ドルの「経済援助」も「賠償」ではな く、韓国の「独立祝い金」である と言いました。しかし、条約締結 30 年後の 1995年、村山首相談話は、日本の植民地支配に対して「痛切 な反省と心からのお詫び」を表明しました。2002 年の日朝ピョンヤン宣言でも同様の見解を表明してい ます。安倍首相の発言は、これらの日本政府の見解にも反するものと言わざるを得ません。

 

 

一方、被告企業の日本製鉄も安倍政権の圧力に屈し、いまだに判決を履行していません。不法な強制動 員によって利益を得た当の企業が、自らの企業行動規範=「各国・地域の 法令を遵守」に反し、その責任 を果たさないことは許せません。かつて日本製鉄は、釜石訴訟において 1997 年、元徴用工遺族と和解をした経験も持っています。企業が決断するならば問題解決の道は開けるのです。

 

 

大法院判決の原告の一人故呂運澤(ヨ・ウンテク)さんは「日本製鉄は、法とか外交協定のような政 治的な決定の後ろに隠れずに堂々と前に出てこの問題について責任をとって下さい」との悲痛な言葉を残して亡くなりました。ただひとりの生存者原告の李春植(イ・チュンシク)さんは判決直後のインタ ビューに「原告は4人なのに、私一人で判決を受けたことがとても辛くて悲しい。一緒に判決を聞くこ とができなかったことが寂しくてならない」と答えました。被害者にとって長い長い1年が経過してし まいました。被害者にもう残された時間はありません。

 

大法院判決は日韓両政府が妥協の産物として結んだ日韓請求権協定が曖昧にして長年放置してきた強 制動員被害者の救済を命じました。被害者のために日韓両政府、そして強 制動員に関わった企業が知恵を 出し合って一日も早く問題解決を図ることを強く求めます。

 

2019 年 10 月 30 日 日本製鉄元徴用工裁判を支援する会
(連絡先)fax:03-3234-1006 mail:mitsunobu100@hotmail.com


強制動員問題解決と過去清算のための共同行動 (連絡先)住所:〒230‐0062
横浜市鶴見区豊岡町20-9-501 全造船関東地協労組気付
mail:181030jk@gmail.com

 

訃報 『フツーの仕事がしたい』の主人公の皆倉信和さん

訃報 『フツーの仕事がしたい』の主人公の皆倉信和さん

 

ドキュメンタリー映画『フツーの仕事がしたい』の主人公の皆倉信和さんが亡くなられたとのことです。49歳。心筋梗塞だということです。無理して働いておられたのだと思います。
映画を作った土屋トカチさんの文章とレイバーネット記事を紹介します。


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●あなたに会えてよかった、ありがとう!〜『フツーの仕事がしたい』皆倉信和さん逝去

10月19日(土)午前。ドキュメンタリー映画『フツーの仕事がしたい』の主人公、皆倉信和さんが心筋梗塞のため亡くなりました。享年49歳でした。仕事中、セメント出荷基地内で倒れているところを発見され、救急車で病院に搬送されましたが、一度も息を吹き返さなかったそうです。

 

年内に『フツーの仕事がしたい』の追悼上映会を都内で行います。詳細は後日発表予定です。争議解決から13年。映画公開から11年。映画の中でも、生死の境をさ迷った皆倉さん。突然のことで、言葉が出てきませんが、出会えたことに心から感謝しています。あなたの人生がギュッとつまった映画『フツーの仕事がしたい』。「フツーの仕事」がしたかった、皆倉さん。

 

あなたは異常な職場実態を、どうすれば変えられるのか、カメラの前で実践してくれまた。私はその生きざまを捉え、映画にしました。勇気づけられた労働者は、世界中にいます。これからも、あの世でもよろしく!
感謝を込めて。(土屋トカチ)

 


↓レイバーネット記事
http://www.labornetjp.org/news/2019/1026kaikura
あなたに会えてよかった、ありがとう!〜『フツーの仕事がしたい』皆倉信和さん逝去


土屋トカチ(映画『フツーの仕事がしたい』監督)

*写真=2008年6月5日『フツーの仕事がしたい』完成記念試写会 中野ゼロ視聴覚ホールにて 左:皆倉信和さん 右:土屋トカチ


 10月19日(土)午前。ドキュメンタリー映画『フツーの仕事がしたい』の主人公、皆倉信和さんが心筋梗塞のため亡くなりました。享年49歳でした。仕事中、セメント出荷基地内で倒れているところを発見され、救急車で病院に搬送されましたが、一度も息を吹き返さなかったそうです。

年内に『フツーの仕事がしたい』の追悼上映会を都内で行います。詳細は後日発表予定です。争議解決から13年。映画公開から11年。映画の中でも、生死の境をさ迷った皆倉さん。突然のことで、言葉が出てきませんが、出会えたことに心から感謝しています。あなたの人生がギュッとつまった映画『フツーの仕事がしたい』。「フツーの仕事」がしたかった、皆倉さん。あなたは異常な職場実態を、どうすれば変えられるのか、カメラの前で実践してくれました。私はその生きざまを捉え、映画にしました。勇気づけられた労働者は、世界中にいます。これからも、あの世でもよろしく! 感謝を込めて。(10月24日)
↓2019年8月23日、東京東部労組大久保製壜支部ストライキに駆け付けた皆倉さん。大久保製壜の労災事故に関して「自分も長時間労働で殺されかかったので思いがわかる」とアピールした皆倉さん。

 

チョ法相が大きな検察改革案発表後、辞任

チョ法相が大きな検察改革案発表後、辞任

 

チョ法相の辞任ばかり報道されてますが、韓国は文政権の中で、検察改革を進めています。韓国の映画やドラマで、過去、酷い拷問などが実際にあったことが時々出てきます。検察や警察の不正荷担・汚職的なこともよく出てきます。


チョ法相は、人権を重視して、この大きな改革案を発表した後に、役割を終えたとして辞任を表明したわけで、ただただ「辞めさせられた」ということではありません。もちろん、個人的な利権があることはよくありません。
後に載せている、チョグク法相の会見の内容を見ると、金成真面なことを言っています。家族に問題があるとしても、やった仕事はまともです。

 

********

 

チョ法相が検察改革案発表 別件捜査制限・出頭最小化など=韓国
2019/10/08 17:02  【ソウル聯合ニュース

 

韓国のチョ国(チョ・グク)法務部長官は8日、記者会見を開き、就任直後に打ち出した検察による直接捜査の縮小のほか、不当な別件捜査や長時間の聴取などを制限する内容を盛り込んだ「検察改革推進計画」を発表した。

 チョ氏は「人権尊重と節制した検察権の行使」を掲げたが、不正疑惑を巡り自身の家族が検察の捜査を受けているため、同氏が改革を進めることへの問題提起が続くとみられる。

 

 推進計画によると、検察改革に向けた「迅速推進課題」を決め、今月から関連規定の改定に乗り出す。改革を急ぎ、年内に完成させたい考えだ。迅速推進課題には検察の直接捜査部署の縮小や刑事・公判部の拡大、別の国家機関などへの検事派遣の最小化が盛り込まれた。検事の派遣は検察が影響力を拡大し、権力機関化する手段として用いているとの指摘を受けていた。
 一方、容疑事実の公表禁止のための「刑事事件公開禁止規定」を施行するほか、8時間以上の長時間の聴取、深夜の聴取も禁じる。
 捜査対象者らを検察に出頭させて聴取することも最小化する。

 

 また、検察への法務部による監察を強化する一方、不正が発覚した検事が懲戒処分を受けず依願退職することも防ぐ。

 特に、ソウル中央地検など必要最小限の3拠点にのみ「反腐敗捜査部」を設置する。従来の特捜部を廃止・縮小し、反腐敗捜査部に変えていく方針だ。

 捜査対象者の公開召還の禁止を定めた「刑事事件公開禁止などに関する規定」も今月中に制定する。

 法務部はこの日から検事長(高検と地検のトップ)の公用車利用を中止する内容の「検察捜査車両運営規定」の施行を始めた。

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<全文訳>チョグク法相「検察改革案の詳細内容会見」

 

尊敬する国民の皆さま、
今月8日、法相就任1か月に際して「国民と検察が一緒に進める検察改革推進計画」を発
表しました。今日は、12日の法務省最高検察庁の合意結果と、13日の与党・政府・大
統領府によるハイレベル協議の結果に基づいて「検察改革の制度化の成果」を申し上げ
ます。

 

まず、検察改革の第一に「大統領令」の改定事項として、特別捜査部の名称を廃止し部
署を縮小します。検察が本来の役割である「人権保護機関」へと再生するためには、検
察の直接捜査の縮小が絶対に必要です。

 

最近、最高検察庁特別捜査部を置く検察庁を3庁に縮小する立場を明らかにしていま
す。 このような社会的コンセンサスに基づき、法務省最高検察庁の意見を受け入れ
、現在7庁にある特捜部をソウル中央地検、大邱地検、光州地検の3庁のみ残して、残り
は全廃することを決定しました。

 

存続する3庁の特捜部の名称も反腐敗捜査部に変更します。これで1973年、最高検察庁
の特捜部設置に始まった特別捜査部という名称が約45年ぶりに廃止されます。名称変更
によって、これまで特捜部の捜査が一般刑事事件とは異なる「特別な捜査」を意味する
ように思われてきた誤った認識を正し、少数の特捜部を中心に運営されてきた組織文化
刑事部、公判部中心に立て直そうということです。

 

(現在特捜部の)捜査対象を「検事長(検事長・検事正)が指定する事件」と包括的に規定
している現行規定を改正し、公務員の職務関連犯罪、重要企業犯罪などに具体化しまし
た。特捜部が廃止される仁川地検、水原地検、大田地検、釜山地検の4庁では特捜部を
刑事部に変更し、民生事件をより忠実に捜査できるようにしました。

 

法務部は、これらの内容を盛り込んだ「検察庁事務機構に関する規定」の改正案を明日
閣議に上程する予定です。ソウル中央地検の特捜部など直接捜査部署の縮小、全国各
検察庁の刑事公判部を除く直接捜査部署の縮小についても、最高検察庁と協議して迅速
に推進する予定です。

 

次に、法務省訓令である「人権保護捜査準則」を、法務省令の「人権保護捜査規則」に
格上げして立法し、規範力と実効性を強化します。最高検察庁等、関係機関に意見照会
中で10月中に制定する予定です。

その内容は第一に、1回の取調べは計12時間を超過できず、取調べ後8時間以上の連続し
た休息を保障します。

 

第二に、深夜の取調べについては21時から06時以前の取調べと明示し、(被疑者・参考
人から)自発的な申し出がない場合、深夜の取調べを制限します。

 

第三に、不当な別件捜査を制限する規定を新設し、不当な別件捜査および捜査の長期化
に対する実効的統制策を設けます。

第四に、腐敗犯罪などの直接捜査の開始、処理等、主な捜査状況を管轄の高等検事長
報告し、事務監査により適法手続き違反の有無などを点検します。

 

第五に、電話、電子メールを捜査に活用する等、召喚捜査を最小化し、召喚後は不必要
な待機を禁止し、収容者等の事件関係者に対する過度の反復的な召喚要求を制限し、召
喚要求の過程を記録する等の規定を新設します。

 

第六に、事件関係者には親切、傾聴、配慮する姿勢で対し、侮蔑感を与える言行を禁止
するよう規定します。

上記のような人権尊重と慣行変化の内容を盛り込み、需要者である国民が肌で体感でき
る捜査慣行の変化を実現します。これを通じて、検察が真に人権を保護し、国民から信
頼される機関に生まれ変わります。

 

また、法務省は公開召喚の全面廃止、専門広報官制度の導入等、最高検察庁の意見を反
映し関係機関の意見を集めたうえで、被疑事実の公表禁止法案を10月中に確定する予定
です。

次に、検察に対する法務省の監察を実質化します。検察公務員の被疑事実が発生した時
には検察庁から法相に報告する規定を新設し、法務省の直接監察事由を追加して、検察
に対する1回目の監察権を拡大するという内容で「法務省訓令」である「法務部監察規
定」を10月に改正します。

 

検事の監察官任用を遮断するために、現行の「監察官任命対象者」から「検事」を削除
する内容で「大統領令」「法務省及びその所属機関の職制」を改定します。監察委員会
の実質的運営のために外部委員会の割合を現行の「2分の1」から「3分の2以上」に増や
し、非法曹人の割合を「2分の1未満」とする内容で、大統領令である「法務部監察委員
会規定」を制定します。

 

検事の依願免職事例の中で、重懲戒事案であるにもかかわらず法務省が不正事実そのも
のを認識できなかったために、重懲戒であるか否かの判断なしに依願免職となる事例が
ありました。

 

これを改善するため、依願免職制限事由の意見照会の際、当該検察庁に対して、真相が
確認された段階であっても「不正事実の調査中」と返信することを義務付け、回答内容
については法務省で重懲戒処分に該当するかを徹底的に究明し、重懲戒容疑のある依願
免職を厳しく遮断します。

 

一方、懲戒事案であるにもかかわらず検察が懲戒しない事例と、不当に依願免職を(強
制)された事例等、不備がある場合には法務省が2回目の監察権を積極的に行使し、検察
庁で行われている例規、訓令などを常時点検して、上位法令違反事例が発見された場合
は直ちに実刑措置します。

不正を犯した検察構成員に対しては、被害者に国家損害賠償請求が認められる場合、法
と原則に則って必ず求償権を行使し、不正行為者に対する実効性ある責任の賦課が行わ
れるようにします。

 

今日申し上げた検察改革の推進事項はすべて大統領令、施行規則、訓令等、法制化に関
する内容です。これらの法制化、制度化に劣らず、全国民が熱望する検察改革の方向は
、国民中心の検察組織文化の確立です。

 

大韓民国のすべての権力は国民に基づきます。いかなる権力も国民の上に立つことはで
きません。国民のための、国民中心の検察組織文化を絶対に定着させなければなりませ
ん。(検事の)期数、序列、上命下服中心の権威的組織文化を変えなければなりません。

 

検事と検事、検事と職員、取調官と被疑者・参考人の間でも、人権尊重の価値を実現し
ていかなければなりません。そのためにも、検察の構成員たちも意志と知恵を結集して
ください。法務省も検察の組織文化を変えるために、年内推進課題として発表した「人
事制度の改善」「透明で公正な事件配当および事務分担システムの確立」「前官礼遇の
根絶策」等、制度改善および組織文化の確立に支援を惜しまないつもりです。

 

「ロウソクを持つ国民は皆、自分がすべきことをしに来ただけだ」というある記事の見
出しに重い責任感を感じました。法務省法務省の仕事を、検察は検察の仕事をしろと
いう(大統領の)言葉を国民が先に自ら実践して私を目覚めさせてくれました。

 

最後まで私に与えられた仕事と召命に全力を尽くします。検察改革の法制化、制度化を
完成するためには絶対に法改正が行われなければなりません。国民の検察改革に対する
熱望も法律改正に集約されてきています。

 

公捜処の導入、検・警捜査権調整立法のためにできる限り頑張ります。私は検察改革の
踏み台になります。今日の努力が積み重なり、数年後の未来の検察が「人が先だ」を先
頭に立って実践する、国民と人権中心の検察になることを確信します。
今回だけは私を踏み台にして検察改革を確実に成功させるように、国民が最後まで見守
ってくださるようお願いします。ありがとうございました。

 

https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=1419787648173761&id=10000427
6173706
(以上、全文 Fb 郭 辰雄(氏) 昨日10月15日 8:09 より転載)
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韓国、検察・情報機関の権限縮小 構造改革
2018/1/14 18:50


【ソウル=鈴木壮太郎】韓国大統領府は14日、検察と情報機関の国家情報院の業務を切り出し、権限を縮小する構造改革案を発表した。文在寅ムン・ジェイン)大統領は、かねて両機関が強大な権限を背景に政治に不正介入していると主張してきた。改革案は文氏の大統領選での公約が色濃く反映された内容となった。
改革案によると、検察は捜査権限の多くを失う。1次的な捜査は警察庁傘下の「捜査警察」に移管し、検察が2次的捜査を担当する。直接捜査するのは経済など特殊分野に限定される。


政治家や高級官僚など高位公職者の捜査や起訴権限は、独立機関の「高位公職者不正捜査処」に移管される。検察による起訴の独占が崩れることになる。
国家情報院は共産主義活動を捜査する「対共捜査権」を警察に移管。名称を「対外安保情報院」に変更し、対北朝鮮と対外業務に特化する。


検察と国情院から業務が移管されることで、権限が強化されるのが警察だ。大統領府は警察を捜査を担当する「捜査警察」と治安や警備などを受け持つ「一般警察」に分離。さらに、地方の警察署を地方自治体の傘下に置く「自治警察」制への移行で、警察権力の肥大を防ぐとしている。


過去の積弊を断絶・清算し、3機関を国民のための権力に変える」。14日記者会見した曺国(チョ・グク)民情首席秘書官は強調した。31年前の同日は民主化運動をしていたソウル大生が治安当局による拷問で死亡した日で、韓国ではこの事件を扱った映画「1987」がヒットしている。


曺氏は映画を引き合いに「当時、検察と警察、安全企画部(国情院の前身)は協力して真実を隠蔽しようとした」と指摘。2012年の大統領選でも国情院がネットで文氏に不利な書き込みをしたことなどを例に「権力機関は国民の反対側に立っていた」とし、「ろうそく市民革命で生まれた文政権が悪循環を断ち切る」と強調した。
保守系野党「自由韓国党」報道官は同日、「積弊清算の美名の下に、大統領に都合がいいように権力構造を改編しようとしている」と反発した。

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「慰安婦」ではなく「日本軍性奴隷制度被害者」

慰安婦」ではなく「日本軍性奴隷制度被害者」

 

少女像巡る首長発言に抗議 元慰安婦、川崎で証言

 

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191006-00000008-kana-l14

最終更新:10/6(日) 9:50 カナロコ by 神奈川新聞

 

 

慰安婦として受けた被害を証言する李さん =川崎市中原区のエポックなかはら  旧日本軍慰安婦の韓国人女性、李玉善(イ・オクソン)さん(92)が5日、川崎市内で自らが受けた被害を証言した。

慰安婦の歴史を否定する言説がまかり通る中、市民団体の集会に合わせて急きょ来日。「日本政府はきちんと反省し、公的な謝罪と賠償をしてほしい」と訴えた。

 

 ソウル近郊で共同生活する李さんら元慰安婦ドキュメンタリー映画「まわり道」の上映会に合わせて来日した。主催の「川崎から日本軍『慰安婦』問題の解決を求める市民の会」によると、あいちトリエンナーレで平和の少女像の展示が相次ぐ脅迫で中止に追い込まれ、慰安婦の歴史を否定する首長の発言を知り、証言することを決意したという。

 

 満場の約180人が詰めかける中、李さんは「私たちは『慰安婦』ではない。日本人が勝手に名付けたもので、強制的に軍人の相手をさせられた強制労働の被害者だ」と訴えた。  14歳だった1942年7月、朝鮮半島東南部の蔚山で2人組の男にトラックに押し込められ、中国の慰安所へ連れて行かれた。

時折苦しそうな表情を浮かべながら「1日で40、50人の相手をさせられ、耐えられずに自ら命を絶つ人もいた。拒否すれば軍人に刀で刺し殺された。

慰安所は実際には死刑場のような所だった」と証言した。

 

 

 介助者に車いすを押してもらい、看護師同伴で来日した。上映会に先立つ記者会見では「安倍(晋三首相)に会いたい一心で来た。謝罪を直接求める。皆さんの力で会えるよう取りはからってほしい」と呼び掛け、「強制的な状況に置かれていたのだから謝罪と賠償を求めるのは当然。日本政府が強制したのではないと言い張るのは耐えられない」と思いを吐露した。

 

 歴史否定の発言は首長からも相次ぐ。慰安婦を象徴する少女像を巡っては、悲劇を繰り返さぬよう願って創作されたものであるにもかかわらず河村たかし名古屋市長が「日本人の心を踏みにじる」と敵対視。松井一郎大阪市長は「慰安婦の問題というのは完全なデマ」と発言、神奈川県の黒岩祐治知事も「事実を歪曲(わいきょく)したような政治的メッセージ」と曲解を重ねる。

 

 「少女像は私たち自身。歴史を記憶するための像になぜ反対するのか」と李さん。「自らやった悪いことをなかったと言い、私たちの身に起こったこともなかったと言う。許されないことだ」と語気を強めると「その結果が今の日韓の対立だ。歴史に向き合わずに政治的、経済的圧力をかけている」と断じた。

 

 記者会見を含め約1時間の証言を李さんは「日本政府は私たちが死ぬのを待っているとしか思えないが、死んでも問題はなくならない。次の世代が解明してくれる」と結んだ。元慰安婦の女性たちが共同生活を送る「ナヌムの家」の安信権(アン・シンクォン)所長によると「韓国では若い人の関心が膨らんでおり希望的雰囲気がある」といい、慰安婦」ではなく「日本軍性奴隷制度被害者」と呼ぶようになるなど人権意識の高まりを指摘した。

 

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