ソウルヨガ

主流秩序、DV,スピシン主義、フェミ、あれこれ

労働運動の崇高な精神と悲哀を描いた「錐(きり)」

労働運動の崇高な精神と悲哀を描いた「錐(きり)」

 

 

韓国テレビドラマ『錐(きり)』をみた。ウェブマンガを原作とした韓国Ttvドラマで、2015年制作で、素晴らしい作品だ。

 

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る大型スーパーマーケット”プルミ・イルドン”で、経営側は、リストラのために、中間管理職たちに、労働者いじめめをさせる。


抵抗する者たちは労働組合を作り戦うが、事は簡単ではない。それは人間的な崇高な精神の面もあるが現実の前で立ちすくむ場面がたくさんある。

 

中間管理職のスインは、労働者いじめ、リストラに加担することを拒む。主流秩序への抵抗のスタンスだ。

 

彼は素人ながら労働組合を組織し、労働相談所長ク・コシンと共に、不当なリストラ攻撃に戦いを挑んでいくが。

 

けっして弱者が勝つ、分かりやすくスカッとする話ではない。現実をベースにしているので、むしろ、こんなに苦しいなら労働組合などで戦わずに、逃げたり、積極的に従属したり、あきらめたほうがいいとおもえるような状況だ。負けの連続。


きれいごとが通じない世界。

 

主流秩序に抵抗するより従属したほうがいい、それが弱者のリアルだという側面もあるという話。

 

それでも・・・、という、この暗黒社会での人の在り方を見つめた作品だ。

 

先端となって戦うもの。それは”錐”のようにとんがった部分だ。それは社会に風穴を開けることができるのだろうか。むしろたたかれて折れる部分なのか。

 

戦う労働者に過度に清廉潔白を求めるな
情けない弱者が情けない強者と闘うのだ。
完ぺきな弱者を助けるんじゃない


エリートでない人々をみくびるな。

エリートが手助けしなくても戦える。
信じろ

 

負けたとき、怖いのは誰もいないこと
そのときそばにいてやれ

 

人は裏切る。逃げる。


いや、「いいところに行けばいい人になれる」
それは本当か?

 

みな、必死で生きている。会社、主流秩序に加担するひどい中間管理職の人たちも。
それは拷問に加担した末端役人と似ている。

 

過去に自分を拷問した人を許せるか。どう接すればいいか。

加害者行為をしたものを許せるか。

 


韓国の、マルクス主義的左翼的な「古い」労働運動の側面と、素晴らしい精神の側面の両方がないまぜになっての、過渡期の苦悩の中での闘いの記録。

こんな作品がつくられる社会と、まったく見えない日本社会との差が浮き彫りになる。


もちろん、日本でも、個人加盟ユニオンなどは同じようなことをしているが、テレビドラマには絶対にならない。

この作品を見て、感じるところがある人がどれだけ日本にいるだろうか。

 

財務省官僚にも自民党政治家にもわからない世界。

彼らにはみえない。

財務省トップ セクハラ事件で、被害女性記者は名乗り出れないか

 

財務省のトップがセクハラしたとされる件で、財務省が被害女性記者に名乗り出てほしい、調査に協力してほしいといったことに対し批判が相次いでいる。

 

セクハラが分かっていない、記者の立場をわかっていない、財務省と会社の関係が分かっていない、個人攻撃される、守られないということでその批判はおおむね正当だ。

財務省側が名乗り出れないとみて攻撃した、恫喝だというのはそのとおりと思う。

 

 

そのうえでの意見。


記者・ジャーナリストが、取材中に財務省トップの相手に殴られたとしよう。この件を被害届を出して裁判にしたり、記事にして批判することは、無理だろうか。間違いだろうか。

 


取材源を明かしたということで記者生命は終わるか。いや終わらない。取材であろうとおかしなことは訴えてもいい。それでこの記者は信頼できないとなるか。会社は財務省にいじめられるか。ネットなどでたたかれ個人攻撃されるか。


様々な可能性はあるが、ここは東京新聞の望月衣塑子(いそこ)記者のように、立場を決めて、戦う記者になってほしいと思う。名前がさらされてたたかれるのは今の時代、避けられない。皆がそれができるとは思わないが、そうする記者がいてもいい。

 


被害を名乗り出れない人がいるのはわかるが、名乗り出て裁判してもいい。
今回は別のルートで、完全に名乗り出る以外の形で裁判したり、調査にかかわってもいい。もちろん、中立公正な第3者機関の調査で。


無理だというのは、一面的な決めつけと思う。

 

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「ネット右翼でした」

 

以下のエッセイ、今の若者の右傾化が分かる面がある記事。


https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180402-00000003-ryu-oki


ネット右翼でした」 沖縄に暮らし、記者になって思うこと

 

4/2(月) 11:19配信
 

編集局内にある文化部教育班のブースで原稿を書く塚崎昇平記者=3月27日午後、那覇市天久の琉球新報社


ネット右翼でも変わることができるんだということを示したかった」と話す塚崎昇平記者=3月27日午後、那覇市天久の琉球新報社

工事資材を搬入する車両にプラカードを掲げ抗議する市民ら=2018年2月16日午前、名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブゲート前(塚崎昇平撮影)

「止めよう新基地建設!みんなで行こう、辺野古へ。8・23県民大行動」に参加した琉球大学大学院在籍当時の塚崎昇平記者=2014年8月23日午後、名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブゲート前

ヘリコプター発着場(ヘリパッド)建設に反対し、抗議の座り込みをする市民らを囲む機動隊員=2016年10月20日、東村高江の米軍北部訓練場メーンゲート前(塚崎昇平撮影)(画像の一部を処理しています)

資材搬入を阻止しようと座り込み、警察に強制的に移動させられる市民ら=2017年6月7日、名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブゲート前(塚崎昇平撮影)(画像の一部を処理しています)

飛来したオスプレイにプラカードを掲げて抗議する市民=2016年12月23日、東村高江の米軍北部訓練場メーンゲート前(塚崎昇平撮影)

(写真:琉球新報社) 2018年3月25日、琉球新報に掲載された1本の記事がインターネット上で話題を集めました。公式サイトに掲載された訳ではありませんが、新聞記事の写真がツイッターフェイスブックで拡散され、個人ブログなどで紹介する人も続出し、賛否両論を巻き起こしたのです。


話題となった記事は、入社2年目の塚崎昇平記者(26)が書いた「ネット右翼でした」というタイトルのコラム。琉球新報の記者が「ネット右翼」だった過去を告白する内容は、ネットでの反応を見る限り大きな関心を呼んだようです。「記者ですが」というコーナーは2017年6月4日から毎週日曜日に掲載している記者のコラムです。記者たちの素顔を垣間見ることができると好評で、開始以来42回を数えます。

なぜ「ネット右翼」だった彼が琉球新報の記者になったのでしょうか。どのような心境の変化、葛藤があったのでしょうか。「伝えきれなかった思いがまだあるはずだ」と思い、塚崎記者にインタビューしました。


ネットで考えを固めていた高校時代

―なぜコラムに「ネット右翼だった」ということを書こうと思ったのですか。

題材については教育担当(当時)として教科書問題のことなど幾つか候補がありました。その中で自分にしか書けないことは何だろうと考えました。そういえば、琉球新報社内で「自分はネット右翼だった」と公言しているのは私ぐらいだなと思ったんです。であれば、なぜ自分が「ネット右翼」だったのか、そして、考えが変わったのはどうしてなのか、ということを伝えたいと考えました。

―「記者ですが」は冒頭、「学生時代、私は『ネット右翼』だった」と書き出しています。なぜ、自分を「ネット右翼」と定義したんですか。

ネット右翼」という言葉も定義はきちっと定まっているものではないと思います。ただ私が思う「ネット右翼」の定義としては、現場に行かないで、例えばインターネット上の情報で自分の考えを固め、「右」的な考えをネットで発信するというものではないかと考えました。そういう意味で、自分は「ネット右翼」だったと思っています。例えば、ネット上などでよく言われているように「中国や北朝鮮を抑えるため、沖縄には基地が必要だ」という意見などです。日本政府はそう説明しますが、私も過去、それを無批判に受け入れていました。


ファクトチェックされていない情報うのみに

―影響されたネット上の情報というのはどのような内容ですか。

ファクトチェックを受けていない根拠のない情報や、個人の考えがそのまま載ってしまっているブログなどです。ある意味、事実と反する情報でもネットではそれなりに影響力を持つ場合があります。ネットだけでなく、本を読む際にも自分に都合のいい情報だけを集めていたように思います。

防衛大学校の方が書いた本や防衛省が発行している防衛白書なども読んで、自分の考えをまとめていました。ネットだけで情報を得ていたわけではありませんが、自分の考えを補強するために本なども読んで「私の意見は論文に基づいた考え方だ」と誇示していた、ということに近いかもしれません。


「ミリタリー好き」が入り口に

―自分が「ネット右翼」だと感じたのはいつごろからですか。

小学生のころはイラク戦争に反対していた覚えがあります。明確なきっかけはありません。高校時代までは大分県で暮らしましたが、今考えると高校の後半ぐらいからいわゆる「ネット右翼」のようなことをしていたと思います。自衛隊の航空ショーに出向くなど戦闘機や戦車などミリタリー(軍事)に関するものに興味がありました。いわば「ミリタリーおたく」です。「ミリタリー好き」から安保への興味につながりました。「ネット右翼」になったのも、自分の場合はミリタリー好きが関係していたのかと思います。

―「沖縄には基地は必要だ」という考え方を持っていたと言っていましたが、「沖縄に基地は必要ない」という意見があることは知っていましたか。

それはもちろん把握していました。私が琉球大学に入学するために沖縄に来たのは2010年4月で、現在8年目になります。米軍普天間飛行場の県内移設に反対する県民大会(2010年4月25日)の前後だったと思います。その当時は民主党政権で、いったん白紙にされた米軍普天間飛行場の移設先について、数日ごとに新たな候補地が示されていくような時期でした。

せっかく自民党政権が苦労して名護市辺野古に移設先を決めたのに、なぜひっくり返すようなことをするんだろうと感じていました。


「沖縄には米軍基地が必要だ」を確かめるため

―進学を機に沖縄へ。琉球大学に進学した理由は何ですか。

「沖縄には米軍基地が必要だ」と思っていたので、それを自分の目で確認したいという気持ちがありました。政治や国際関係を専攻し、最初は「ネット右翼」のスタンスを維持していました。自分なりに正しいと思っていた国家論を振りかざしていましたね。

友人からは「地に足が付いていない」とよく言われていました。「おまえは沖縄に根ざしていない。沖縄にいる意味はないのではないか」というような内容のことを言われた記憶もあります。大学時代の友達に会うと今もからかわれますね。「あのおまえが琉球新報に?」と言われることも少なくありません。


琉球新報の論調に怒りさえあった

琉球新報に入社しましたがメディア志望だったんですか。

なんとなくマスコミに入りたいと思っていました。イラク戦争の時、米軍と共に行動しながら取材している記者のテレビ番組を見た時に、マスコミに興味を持つようになりました。いろいろな人に話を聞くことは楽しいだろうなと思い、新聞記者になりたいと考えるようになりましたが、直接のきっかけは思い出せません。ただ当時、琉球新報への入社は考えてもいませんでした。

―当時、琉球新報についてはどのように思っていましたか。

ちょうど大学時代に東日本大震災があり、米軍の「トモダチ作戦」に共感を覚えていました。琉球新報は「トモダチ作戦」について米軍が自分たちの宣伝活動に使っているのではないか、と思われるような論調で報道していると受け止めていました。「現場の人たちは頑張っているのに何を考えているんだ」と怒り、そういう思いを自分のツイッターに書き込んだ記憶があります。


「論破してやろう」と辺野古・高江へ

―「記者ですが」に、「考えが変わり始めたのは友人と訪ねた辺野古や東村高江の現場を目の当たりにしてからだ」とあります。大学時代には辺野古や高江の現場をよく訪ねたんですか。

はい。大学3年だった2012年の夏、ヘリパッド(ヘリコプター発着場)造成に対する反対運動が行われている東村高江の現場に足を運びました。座り込んで反対運動をしている人たちが何を考えているんだろう、ということに興味がありました。ただ、あわよくば、座り込みをしている人たちの考えを論破してやろうという思いもありました。

座り込んでいる人に声をかけ、活動をしている理由について尋ねると「生活を守るためにヘリパッドを造らせない」ということでした。米軍が沖縄に駐留していることについて、座り込んでいる人が「米軍の力に頼るのは疑問がある」と言ってきました、それに対して私は「中国の公船が尖閣諸島の近くに入ってきているし、北朝鮮もミサイルを打ち上げている。米軍の力があるからこの程度で済んでいるのではないか」と反論しました。そうしたら、後方で話を聞いていた高江に住む男性から「おまえは違う」とぴしゃりと言われました。

自分が考えていることを主張して、「間違っている」と面と向かって指摘されたことは友人以外では初めてでした。その後のやりとりは覚えていませんが、現場に向き合い続けている人の言葉だったからこそ、心に突き刺さったのだと思います。もんもんとしたものを抱えたまま現場を離れました。


現場を知り、見えてきたこと

―それが変わるきっかけになったということですか。

それをきっかけに時々、辺野古の現場にも行くようになりました。新基地建設に反対する集会にも足を運びました。男性から指摘された後は、もんもんとした思いを持ちながら授業などで沖縄の歴史を学ぶことになりました。住民が名護市辺野古に米軍キャンプ・シュワブを誘致したわけではないということにも気づくことができました。

ただ、大学3、4年だったこの時期は、人に指摘されたからといって自分のスタンスを変えるのは嫌だなとも思っていました。その頃、ちょうど、自民党の安倍政権が誕生し、特定秘密保護法集団的自衛権などの政策を次々と進めていきました。それらは日本の国の形を、比喩ではなく、「戦争ができる国」にしてしまうのだろうなと思うようになりました。そして、そのような流れの中にある「沖縄」について考えるようになりました。

それと同時に安倍政権は沖縄県民が強固に反対している米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設について、県民の声を無視する形で強引に推し進めようとしていました。こんなに沖縄の人たちがあらがい続けているのにそれが通らない、県民が反対しても強行するというのはおかしくないか、と思い始めました。この頃になると、自分のスタンスを維持し続けるのが論理的なことだけでなく、精神的にも苦しくなってきました。それなら、考えを変えた方が自分に正直ではないかと思いました。

そんなとき、2014年8月25日に米軍キャンプ・シュワブゲート前で開かれた県民集会(止めよう新基地建設!みんなで行こう、辺野古へ。8・23県民大行動)に足を運びました。琉球大学大学院人文社会科学研究科1年のころでした。その際、琉球新報の記者に取材され、記事として掲載もされました(2014年8月25日付21面)。振り返ると、いわゆる「ネット右翼」というスタンスから完全に離れたのは大学院生時代だったと思います。


「反対」の根底にある沖縄戦

―学生時代に沖縄戦のことを学んでいたんですか?

大学では安全保障などを研究していたので、沖縄戦は教養の講義で学ぶ程度でした。ちょうど高校1年生のころ、文部科学省の高校歴史教科書検定で、沖縄戦における「集団自決」(強制集団死)の日本軍強制の記述削除・修正された問題で、教科書検定意見の撤回を求める県民大会がありました。

当時は大分県の高校生だったので、あまり記憶にはありません。その後の文科省と県内の対立ややりとりにも特段関心はありませんでした。ですが、大会で高校生の代表2人が「この記述をなくそうとしている人たちは、沖縄戦を体験したおじい、おばあがうそをついていると言いたいのだろうか」と言っていたことだけはテレビで見て、鮮明に覚えています。同世代の訴えだったからこそ、沖縄に特段関心のなかった当時の私にも、響いたのかもしれません

沖縄戦のことをきちんと知るようになったのは入社してからです。入社後に教科書検定があり、文化部の教育担当になった私が沖縄戦に関する記述について、記事を書くことになりました。当時の教育担当キャップに原稿を見せたら、「君は安保のことは詳しいかもしれないが、沖縄戦のことは何も分かっていないな」と言われました。がつんときました。

入社二年目には、ちょうど教科書検定の県民大会から10年ということで、「集団自決」(強制集団死)のおきた渡嘉敷島に出向いたり、東京で教科書執筆者や編集者を取材したりして、当時を振り返る記事を書きました。当時の新聞記事や資料を読み込んでから取材をしましたが、その取材の原動力となったのも、当時の教育キャップの言葉だったと思います。

辺野古の現場などに足を運ぶと、座り込んでいる人が沖縄戦について話してくれることがあります。沖縄戦の記憶は、体験した人の記憶だけではなく、ある種世代を超えて共有されているのだろうと思います。それが脈々と残っているということが、私を変えた一因にもつながっているような気がします。


現場でデマだと実感

―「記者ですが」には県民大会に参加した際、「ネット上のデマが現実離れしていると感じた」と書いています。

「反対運動をしているのはお金をもらった人々」というデマです。現場に足を運ぶと、現場を見ていない人が言っているんだなということが分かりました。現場には家族連れも普通の学生も、いろいろな立場や世代の人がいますから。

辺野古のゲート前で一日取材をして記事を出すと、どうしても内容は抗議行動をしている市民らが警察に排除されるというようなことを伝える内容になりがちです。ですが実は現場はずっと緊迫している訳ではありません。大学の講義で「座り込みの時間の多くは暇だ」と言われたことを思い出しました。楽しげに歌を歌ったり、踊りを踊ったりして楽しげな雰囲気に包まれることもあります。


中国の人に会ったことない

―お金をもらっているから反対運動をしている、というネット上の言説に対しては間違いだと思いますか。

はい。むしろ現場に来るためにガソリン代やバス代などの負担は大きいと思います。ネットではよく中国などの勢力がお金を出して運動を扇動し、日米安全保障体制を崩そうとしている、とか、現場には中国人や韓国人がいっぱいだ、という記述をよく目にします。実は私もそのように思っていた時期もありました。でも、私自身は辺野古や高江の現場に足を運んで中国の人に会ったことは一度もありません。もし、いたとしても一市民として、この状況が問題だと思って参加しているんだと思います。

ニュース女子」(東京MXの番組)で高江の現場について「中国人はいるわ、韓国人はいるわ」と伝えていました。番組を見て「本当に現場に行ったことがあるのか」と怒りを感じました。ただ、昔だったら信じてしまっていたのではないか、もしかしたら喜んでその主張に飛びついていたのではないか、とも思います。

両論併記についても昔は双方の意見をしっかり書くべきだと思っていました。でも今は、圧倒的に力の差がある中で両者の中間に立つということが本当に公平なのか、ということだと考えるようになりました。


批判は真摯に受け止める

―今回の「記者ですが」はかなり反響がありますね。どのように感じましたか。

「記者ですが」について意見が書いてあるツイッターなどSNSを数多く見ました。「こいつは何も反省していない」「自分は変わることができて良かったね」などという批判もたくさんありました。「ネット右翼で多くの人を傷つけていたことについての反省はないのか」という内容の指摘もありました。

確かに私は「ネット右翼」だった当時、特定の個人を「極左だ」とかレッテルを貼って周りの人に話をしていたことがありました。人を殴ったり、お金を盗ったりした訳ではないので、コラムが紙面に掲載されて、そうした指摘があるまで、私に罪の意識は正直ありませんでした。人を傷つけたという意識もありませんでした。だからこそ、「反省はないのか」などの批判は真摯(しんし)に受け止め、胸に刻みつけておかなければいけないと思っています。

ただ今回、批判も予測しながらも「ネット右翼でした」というタイトルでコラムを書いたのは、こんな私だからこそ、伝えられることがあるのではないかと思ったからです。

―「ネット右翼」と呼ばれる人たちからの反応もあったとか。

「『ネット右翼』だったと言っているのは嘘だろう」というような批判もありました。それに対しては「はい。ネット右翼でした」と答えます。「シールズの元メンバーだ」というような指摘もあります。私は大学院生時代、「ゆんたくるー」(若い世代に基地問題の現状を知ってもらおうと活動している県内の大学生らでつくるグループ)の集まりに参加したことはありますが、メンバーではなかったし、シールズのメンバーになったこともありません。ただ、もしシールズの元メンバーだったとしても特に問題はないと思います。

「実名を書いて言うことは勇気のいることだと思う」という内容の反応もあり、救われた思いもしました。いろいろな反応の中で、「『対話は意味がないものではない』と気付かせてくれたのはありがたい」という内容のものもありました。

人の思想を「左」「右」にレッテルを貼って分けることには違和感を覚えています。自分と違うスタンスにいる人に対しても意見を言ったり、意見を聞いたりすることは意味のあることだということを感じてくれた人もいたようです。


互いの〝レッテル〟を乗り越えたい

―「記者ですが」掲載後の反響などを踏まえ、今どう感じていますか。

批判はあると思いますが、書いたことを後悔はしていませんし、別の題材で書けば良かったとも思っていません。4月から北部報道部に配属されますが、北部に行くに当たっての決意表明でもありました。

―「記者ですが」では、「かつて私のような人たちに現場の状況を理解してもらえるか、考え続けている」と結んでいます。

どんな立場や考えの人であっても、事実に基づいた力ある記事なら、人の心にちゃんと届くと思います。記事をきっかけに、例えば「一度ぐらいは辺野古の現場に足を運んでみようか」とか「現場に行った人に話を聞いてみようか」など、少しでも何かしらの行動につながればいいと思っています。

〝現場〟に行くことなど考えてもいなかった人や、「ちょっと怖そう」と思って敬遠している人も多いかもしれません。私が現場に行ったのは逆に、座り込みしている人を論破しようと思っていたということもあります。残念ながら、「琉球新報は左だ」などというレッテルが貼られているのも事実です。そのレッテルに邪魔されて、書いたことが真っすぐに届いていないと感じて苦しくなることもあります。

そんなレッテルは、私たちから打ち破る必要もあるかもしれません。そして、もしかしたら異なる立場から打ち破ってくれる人もいるかもしれません。

今さらですが「ネット右翼」という表現も、一つのレッテル貼りなのでしょう。そんな言葉こそが、対話の機会を遠ざけている要因の一つなのかもしれません。私が『ネット右翼だった』と自認すること自体も、過去の私にレッテルを貼る行為なのかもしれません。いつの間にかつくりあげてしまった〝レッテルの亡霊〟に邪魔されて、対話ができないような事態を飛び越えられるような記事を書いていくことができれば、と考えています。

そのためには私自身も、レッテルの亡霊から解き放たれる必要があるのだと考えます。今回のコラムがいろいろな論議を呼んだことも含めて、私自身がレッテルの亡霊から離れる一歩になったと考えています。


~ プロフィル ~

塚崎 昇平(つかざき・しょうへい) 琉球新報社北部報道部記者。1991年、大分県生まれ。大分県内の高校から沖縄県琉球大学に進学。2016年に琉球大学の大学院を修了し同年琉球新報社に入社。2018年3月まで文化部で教育を担当。同年4月1日から米軍普天間飛行場の移設問題などを抱える名護市を管轄する北部支社に配属となった。

 

〈インタビューを終えて〉

同僚に1時間30分近くインタビューするなんて約20年の記者生活の中で初めての経験でした。日米安保に詳しいことは入社当時から聞いていましたが、かつて「ネット右翼」だったということは最近初めて知りました。

新聞記者も一人一人、いろいろな考え方を持っています。細かい点では言い合いになるほど考え方は多種多様です。そのような記者が取材相手と向き合うことでいろいろなことを学びます。塚崎記者は入社2年目。私も同じですが、沖縄戦基地問題だけでなく、まだまだ取材などを通して知らなければいけないことが山積みです。

自分の考え方が変わってしまうような瞬間に接することが、記者には幾度となくあります。「ネット右翼」だったと自認する塚崎記者だからこそ、異なる立場や考えの人々と語らい、多くの人の心に届く記事を書いていけるはずだと信じています。


~ 聞き手 ~

宮城 久緒(みやぎ・ひさお) 1996年琉球新報社に入社。編集局付。写真部、社会部、運動部、政治部、北部報道部、東京報道部などを経て4月からデジタル編集担当。

 

2018年3月25日 オピニオン面掲載

北朝鮮報道の偏りを見直すことを求める署名

 

紹介しておきます。

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

 マスメディアによってつくられたステレオタイプの差別的「北朝鮮像」が、在日朝
鮮人に対する迫害を当然視するような社会の風潮を生み出す大きな原因となっている
と私たちは考え、以下のキャンペーンを始めました。
 是非、以下のchange.org(チェンジ)から、インターネット賛同署名をお願い致し
ます。
 
 リンク(短縮URL)→ https://goo.gl/Q2SG7J

 

えひめ教科書裁判を支える会
メールアドレス:taka_omoshiro@yahoo.co.jp

 

……………… 以下 要請書(要約)です。

 

 

 在日朝鮮人に対する迫害の原因となる差別的「北朝鮮」報道を止め、
 公正で客観的な報道を求める 要請書 

●政府やマスメディアによって つくりだされた「北朝鮮」イメージ

 去る2月23日、在日本朝鮮人総連合会朝鮮総連)中央本部への銃撃がなされまし
た。実行犯は「北朝鮮のミサイル発射が許せなかった」と供述したといいます。
 在日朝鮮人に対する差別・迫害はこれまでも恥ずべきものでしたが、近年、それ
は、社会の前面で公然と行われるようになってしまっています。
 さらにその言動は暴力化し、街頭で「堂々と」「朝鮮人を殺せ」と叫び、朝鮮学校
を襲撃する・・・、このような行為の多くは「北朝鮮」―朝鮮民主主義人民共和国(以
下朝鮮)を理由として行われています。それが誰の目にも明らかな差別・暴力行為で
あっても、「朝鮮(の核・ミサイル問題)」と関係づけたならば許されてしまうよう
な状況が、この社会でつくり出されているのです。人の生命まで奪う可能性のあった
朝鮮総連への銃撃は、このような状況の中で引き起こされました。

 


 一方、政府による、 「高校無償化法における就学支援金支給措置」から朝鮮学校
生のみを排除するという公然とした差別を、政府は、朝鮮や朝鮮総連に関わることを
理由にして正当化 しています。

 

 

 植民地時代以来続いていた朝鮮人差別が上記のような状況にまで到った大きな原因
に、政府やマスコミがつくり出したステレオタイプな「北朝鮮」像(イメージ)があ
ります。その、朝鮮に関する報道の多くは、事実や資料に基づく客観的な内容ではな
く、「日本を攻撃しようとしている危険な国」・・・等のイメージ、先入観を前提にし
たものとなっています。その結果、それが、朝鮮に対する憎悪や脅威を煽るものとな
り、在日朝鮮人が迫害されやすい社会状況をつくり出す大きな原因になったのではな
いでしょうか。

 

 

● 「北朝鮮」をめぐる 核・ミサイル問題の実態

 

 

 90年代から始まるいわゆる「朝鮮半島核危機」以降、米朝の間では大きな合意が二
度、成立しています。「朝米基本合意書」(1994)と「第四回六者協議共同声明」
(2005)です。どちらの場合も、朝鮮の核開発の中止とアメリカが朝鮮を核攻撃(侵
略)しないことがセットの形で妥結しています。このことからわかるのは、互いに攻
撃の可能性があるのではなく、アメリカの側にその可能性があり、朝鮮の側がその
「脅し」を受けているということです。朝鮮の核開発がアメリカからの攻撃を防ぐた
めの「抑止」的なものであるということです。

 


 これまで朝鮮は一度も他国を攻撃(侵略)したことはありません。一方、アメリカ
は絶えずそれを行って来ているという事実も、私たちは想い起こすべきでしょう。
 現在、アメリカと朝鮮は、1953年の朝鮮戦争「休戦協定」による休戦状況にあっ
て、敵国同士の関係のままにあります。アメリカはその「協定」の規定を守らぬま
ま、韓国に軍隊を置き続け、朝鮮を攻撃する意図があることを公式に表明しながら、
朝鮮に対する核攻撃を前提にした米韓合同軍事演習を繰り返しています。一方、朝鮮
は、これらへの対抗措置をとりながら、「休戦協定」以降一貫して、これを平和条約
に変え、国交を正常化することを求め続けていますが、アメリカは応じて来ませんで
した。

 


 つまり、いま、「北朝鮮の脅威」として騒がれている問題は、アメリカが朝鮮を決
して攻撃しないという確実な保証があれば解決される問題なのです。東アジアの状況
を平和へと転換していく道は、休戦協定を平和条約にかえ、米朝国交正常化を行うこ
との中にこそあります。

 そもそも朝鮮半島の南北分断―対立は、日本の朝鮮植民地支配にその歴史的原因が
あるのですが、政府は、首脳会談などの南北友好への動きを敵視し、それを逆行させ
ようとしています。報道も、「北朝鮮の『ほほえみ外交』に騙されるな」が基本トー
ンです。

 


 また政府は、朝鮮に対し植民地支配の清算をいまだ行っていませんが、そのような
責任などまるで存在していないかのように朝鮮に対し、戦争というゴールしか持たな
い「圧力と制裁」のみを行ってきました。政府がすべきは、植民地支配の清算とそれ
に基づく国交正常化です。それを行えば、日朝の危機・対立関係は自ずと解消される
のです。

 


●暴力・迫害を正当化しない社会に向けて

 

 

 上記の「米朝・日朝関係」の実像は、簡単に入手できる公式文書を読み、歴史的経
緯を調べれば見えて来るものです。しかし、ほとんどの報道姿勢は、朝鮮を「理性の
通用しない何をするかわからない国、対話に値しない国」とする差別的「立ち位置」
からの報道でした。そうした朝鮮イメージが、在日朝鮮人に対する暴力―迫害を正当
化し、当然視するようなこの社会の風潮を生み出したのではないでしょうか。

 

 各報道関係者には、このことの責任を痛感され、これまでの朝鮮関係の報道が差別
や偏見に基づくものではなかったか、ダブルスタンダード的なものでなかったか、客
観的事実に依拠してその検証を行っていただきたい。そして、平和へと大きく動き出
した東アジアの状況に対して、ステレオタイプの「北朝鮮像」に依拠することなく、
また、偏狭な自国中心的立場に陥ることのないよう、歴史と客観的事実に基づく公正
な報道をしていただくよう、要請いたします。

以上   

***************
Okumura Etuo
kimagure53998@yahoo.co.jp

大相撲での「女人禁制」についての抗議声明

 


大峰山女人禁制」の開放を求める会の人たちが、
大相撲での「女人禁制」についての抗議声明を出しました。

 

私も知人達とともに、昔、大峰山に対して、性的マイノリティのひとたちの場合はどうなるのかも含めて考えてほしいという趣旨で、女人禁制への質問状を出し、その見直しを求める活動をしたことがあります。皆で現場にも行ってそこで話し合いをし、できれば山に登ろうというころまでいきましたが、無理やり登るのはやめたという経緯がありました。

 

 

大相撲でも過去いくつかの動きがありました。内館牧子氏などが伝統を守るべきというようなことも言ってきましたが、伝統といえば何でも残せばいいというわけではないので、屁理屈ヲいつまでもつけてこだわるのではなく、見直す時期にきているのは明らかです。

リベラルといってもこの問題では理解しない人もいます。フェミ嫌いという体質の人もいます。

 

 

ただ今回はメディアの状況は、大衆的なワイドショーの傾向も、あまり根拠のない伝統への個室への批判的な意見が多くなっています。

しかし安倍政権を支える右翼勢力がネトウヨなど新しい草の根的な保守勢力・ナショナリズム的見解の人たちを広げている現在、バックラッシュも根深く、今後、直に改革が進むのではなく、反動が大きく出るだろうとも思われる。

 

 

********

日本相撲協会八角理事長 様

日本相撲協会「土俵の女人禁制」に抗議し要望します!

 

各メデイアの報道によると、4月4日午後2時過ぎ、京都府舞鶴市で開かれていた大相撲の春巡業「大相撲舞鶴場所」で、土俵上で挨拶をしていた多々見良三舞鶴市長が倒れた。そのとき、二人の女性が土俵に上がり、心臓マッサージをしていたところ、少なくとも3回にわたって「女性の方は土俵から降りてください」という場内アナウンスがあったという。
その後、救急隊員が土俵に上がり、女性に代わって救命措置を始めた。その間にも複数回、「女性は降りてください」と場内アナウンスがあったという。市長は救急車で病院に運ばれ、くも膜下出血の手術を受け、一命をとりとめた。

 

アナウンスをしたのが、行司だったことは、当日夜、日本相撲協会八角理事長が「行司が動転して呼びかけたものでしたが、人命にかかわる状況には不適切な対応でした。深くお詫び申し上げます」とのコメントを出したことでわかった。
人命より「女人禁制」を優先した行司の態度に多くの人が怒りをもったし、わたしたち「大峰山女人禁制」の開放を求める会も同様である。行司自身のなかに「女人禁制」が染み込んでいる体質の恐さを感じる。さらに、女性を含む救護にあたった人たちが土俵から降りた後、相撲協会関係者が大量の塩をまいていたと報道された。


大相撲では力士がけがをしたときなど、塩をまくことがよくあるが、「女性は降りてください」の発言のあとにまかれた塩は、女性に向けられたものであり、「女人禁制」の名のもと、救助にあたった女性をはじめ、すべての女性を貶める行為である。日本相撲協会の「土俵女人禁制」にわたしたちは強く抗議する。

 

大相撲の土俵上に女性が上がることができない問題は、「女人禁制」として、こ
れまでにも問題になった。
1978年5月、小学生の「わんぱく相撲」東京場所・荒川区予選で小学5年の女児が優勝したが、蔵前国技館で開かれる決勝出場を日本相撲協会が拒否した。1991年には徳島県美馬郡予選で小学5年の女児が優勝したが、決勝へ進んだのは予選2位の男児だった。1990年、官房長官森山真弓氏が初土俵の優勝力士に内閣総理大臣杯を手渡したいと申し出たが、日本相撲協会は遠慮してほしいと拒否した。

 

2000年から8年間、3月の大阪春場所で当時の太田房江大阪府知事が府知事賞を手渡そうとしたが、これも拒否された。また、直近では、大相撲地方巡業「宝塚場所」で中川智子市長が、日本相撲協会実行委員会に「土俵上であいさつしたい」と申し出たが、日本相撲協会は「土俵下でのあいさつをしてほしい」と断った。

いずれも日本相撲協会が「土俵上は女人禁制」という考えから、拒否したものである。土俵上の「女人禁制」は、そのときどき「伝統」か「差別」かとの物議を醸し出している。土俵上の「女人禁制」は、「女性は穢れた存在」という理由が大きい。しかし、日本相撲協会は、そのことを伏して、「伝統」「文化」として標榜している。

 

今回の「女性は降りてください」事件を、わたしたちはけっして見過ごすことができない。男女共同参画社会をめざす日本で、「女人禁制」が人命より大切といったことが許されていいはずがない。

日本相撲協会はこの事件を機に、科学的な根拠がない女性蔑視の「女人禁制」を根本から見直すことを抗議するとともに要望する。

 

 2018年4月6日   
                 「大峰山女人禁制」の開放を求める会
                        共同代表   畑 三千代
                               源  淳子
                      連絡先 TEL:0774-71-3590

 

「ユニオンぼちぼち」が立命館大学で、雇用継続を勝ち取る


私の仲間たちが頑張った結果以下の報告が来ました。ご紹介しておきます。


***

 


この間ユニオンぼちぼちで取り組んできた立命館大学との交渉で、「授業担当講師」なるものに一方的にさせられ、昨年度(2017年度)末の雇い止めを通告された組合員の雇用継続が決まったので、ご報告いたします。

 

 

立命館関連のまとめ(2015年9月25日〜2018年2月16日)


 http://rootless.org/botiboti/blog/blog-entry-2557

 

ただ、通算5年で無期雇用に転換できる権利を行使させないために導入したとしか思えない「授業担当講師」制度について、法人は運用面で問題があったことを認め制度の見直しをすると言ったものの、制度の廃止までは認めませんでした。

 

 

このままでは、いずれ立命館大学の講師は全員、無期転換できず5年で雇い止めをされるという異常な事態を生み出してしまいます。
そのようなことは絶対許されないので、ユニオンぼちぼち立命館分会は、制度の廃止まで闘い続けたいと思います。

今後ともよろしくお願いします。
ユニオンぼちぼち

佐川証人喚問2

森議員――具体的なやりとりを確認しないで、なぜ昭恵夫人が関わっていないと断言できるのか。

「室長からの報告に安倍昭恵夫人の話はなかった」

 

→ →それなら「その程度の根拠で言っていた」から、「政治家の関与はない」という話は説得力がないものとわかった。自民党の丸山議員などが「首相や政治家の関与がないと明確になった」というのが間違いということが明らかになった。

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森友 佐川証人喚問

 

 

●文書廃棄

「文書破棄した」といったのはルールをいったただけで誤解を受けるようなことで丁寧さを欠いていたというように説明していた。

ではなぜ質問に対して、ルールだけをいって、それ以外のところに答えなかったのかが問題。質問に適切に答えないのはおかしい。だから「ではルールでなく、資料はあったのにあるといわなかったのか」と聞くべき。答弁時点で資料を見ていたか、資料があるとしっていたかという話。だから資料は破棄したといったのは虚偽答弁だという話。

丁寧さを欠いていたという話で説明が終わる話ではない。もっと突っ込めるのに追及しなかった自民党丸山議員。

 

●役所が寝る間もなくてんやわんやだったというが、なぜてんやわんやなのか。正当に手続していたなら、答弁も簡単なはなしで徹夜で答弁準備しないといけない、答弁が整理できないような話ではない。

事実の隠蔽・でっちげがあるなら、どういうふうにに隠していくか、どう答えるかということで、んやわんやだったろう。

 

●「ひるおび」で、コメンテーター 八代弁護士が、無理やり佐川を擁護して小池共産党議員の質問を批判。笑えるほど、安倍寄りの姿勢ミエミエ。

 

財務省、政府、全体で、文書書き換えは佐川の答弁の後だとなっている。だから佐川の答弁は、書き換え前の決裁文書をもとにしているからそれを見たときの感想を小池が聞くと、答えられないといった。

佐川は事実を隠したわけだが、八代弁護士は、共産党の小池議員の質問が誤導だといって、ほかの人のの印象が間違いだ、悪いのは小池の質問のほうだと批判して佐川を擁護。

八代が間違っている。小池質問は誤導ではなく、大事な矛盾点を引き出す良い質問をしたということ。

 

●根拠も説明もなく、「政治家の関与はない」といった。それ以外は答えないというところに、自分が関与していたこと、政治家や日本会議などの影響があったこと、不正な取引だったことなどを間接的に語っている。

実は文書改ざんは2017年の早い段階(朝日報道があってすぐ)、あるいは2016年段階で行われていた可能性が高い。安倍首相発言の前の可能性がある。首相の「関与していたら辞める」発言を受けて改ざんとは限らない。

だから狭川の答弁があって、それに合わせてぞの後に改ざんしたという説明自体が嘘の可能性が高い。だから、答弁の根拠の文書は何か、いつどの文書を見たかも答えられない。

朝日報道があってすぐに、どうこの森友学園不正取引全体を隠ぺいするかが動き出して文書の書き換えは絶対に必要だった。そもそも佐川の答弁自体が、事実を隠ぺいする策動の一部だった。

 

 

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「韓国と日本の差は、人権意識、という点で大きく大きく、差が開いた。」

 

 

北原さんが慰安婦問題でちゃんとしたことを書いておられます。日本ではあまりに慰安婦問題でトンチンカンなひとが多いので、ここに共有しておきます。フェミニストと言われる人の一部にもちゃんと苦言を呈しておられます。

 

なお1990年以前から慰安婦と名乗り出た人はいます。

 

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180309-00000032-sasahi-kr

 

北原みのり「『慰安婦』問題は人権問題」週刊朝日

3/13(火) 16:00配信

 

北原みのり(きたはら・みのり)/1970年生まれ。作家、女性のためのセックスグッズショップ「ラブピースクラブ」代表

 

 

 作家・北原みのり氏の週刊朝日連載「ニッポンスッポンポンNEO」。今回は、「『慰安婦』問題」について。 *  *  *  今年の「3.1独立運動記念式典」で韓国の文在寅大統領は演説の中で「慰安婦」問題に触れ、「加害者である日本が『終わった』と言うべきではない」と話した。

これはお金で解決する問題ではない、永遠に考えなければいけない人権問題なのよ、というまともさが眩しかった。

 

 とはいえ案の定、この発言を受けた日本は荒れている。政府間の約束の意味がわかってんのか!? 終わらせるって約束しただろ?と非難する声は官房長官はじめ、ネットでも大きい。同じ調子でTPP反故にしたトランプ批判もどうぞと言いたいところだが、いったいなぜ、対韓国、こと「慰安婦」問題で日本は冷静になれないのだろう。

 

 その理由を私は、「慰安婦」問題に羞恥を持つ人が多いからだと考えていた。性暴力で告発されるなど(男として)恥ずかしい。早く忘れろ、声出すな、俺の名誉を守れ、という意識なのだろう、と。  ところが、“みんなが言えない本音を俺が率先して言ってやる”みたいな人がもてはやされるようなネット社会を生きていると、そんな羞恥すらないのだと感じる。むしろ「男ならば誰でもやること。なんで俺らだけ非難されなきゃいけないの?」という本気の被害者意識が見え隠れする。だからこそ声をあげる被害者を叩き、これは人権問題だと訴える声を「金払ったのに」と嘲笑う。もはや性暴力問題など、誰の頭にもない。そんな状況なのではないか。

 

 平昌オリンピックのセレモニーに元「慰安婦」被害者の女性が招かれたりなど、国家行事に「慰安婦」女性たちが招待されることは、近年の韓国では珍しいことではない。それは韓国社会が彼女たちの戦いに敬意を示しているからだという。

 最近は、若者たちの間で「慰安婦」女性たちを「かっこいい」と考える傾向もある。彼女たちの人生をモチーフにしたグッズ販売の会社を若者が起業し、大成功を収めるなど(収益は人権活動や「慰安婦」運動に還元される)、「慰安婦」問題に関心を持つ若者の層が広がっているのを、韓国にいると実感する。

 

 と、こんな話をすると「韓国はベトナムで、日本軍と同じことしたのを知っているか?」と得意げな顔で言いたがる人もいる。得意げになっている時点で人権感覚ゼロすぎるのだが、そういう人は知っているだろうか。ベトナム戦争時の韓国軍の性暴力加害を、韓国社会で告発したのは、「慰安婦」女性たちであり、その支援者だったことを。その声によって、タブーだった加害国としてのベトナム戦争の語りが、新たに韓国社会で生まれはじめていることを。

 

 そう。女たちにとって「慰安婦」問題は、日韓政治問題ではなく、最初からずっと人権問題だったのだ。そしてその一歩も動かないその強さが、韓国社会、国際社会を変えてきたのだ。  1991年、金学順さんが声をあげてから約30年。韓国と日本の差は、人権意識、という点で大きく大きく、差が開いた。週刊朝日 2018年3月16日号

 

関連記事】

 

最終更新:3/13(火) 18:27

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原みのり「『日韓合意』と『慰安婦』」

 

連載「ニッポン スッポンポンNEO

2018.1.18 11:30週刊朝日#北原みのり

 

 

北原みのり(きたはら・みのり)/1970年生まれ。作家、女性のためのセックスグッズショップ「ラブピースクラブ」代表

 

 

 作家・北原みのり氏の週刊朝日連載「ニッポンスッポンポンNEO」。今回は、慰安婦問題にについて。

*  *  *

 

 韓国の文在寅大統領が「『日韓合意』は真実と正義の原則に反する」と、元「慰安婦」の女性たちに謝罪した。

 

 さっそく産経新聞は「新方針などありえない」と韓国批判をしてるけど、2015年の合意の時は、妥協すべきでない、と一番苛立っていたのに一貫性がないというものよ。一方、合意を「新しい日韓関係」と好意的に語っていた人は一様に沈黙していて、メディアも「国どうしの正式な合意は守られるべき」みたいな政府方針をそのまま伝えている。それを言うなら安保法だって、違憲だという専門家の声をねじ伏せ、大規模なデモを無視して強引に成立した「正式な法律」でしょ。

問題は、国の「正式」に対し、自浄作用があるかどうかだ。文在寅は大統領就任直後から慎重に日韓合意を精査してきた。この問題は、日韓関係どころか日米韓同盟に響く問題だなんて韓国政府が一番分かってる。

それでも「内容、手続き、いずれも間違った(合意)」という決断を出すしかなかったことの意味は重たい。  いつまで謝ればいいのか。そんなふうに「慰安婦」問題を煙たがる人がいる。

中には、将校と恋愛したり、お金を貯めたりと、逞しく生き抜いた「慰安婦」もいた、だいたい当時「日本人」だった朝鮮人慰安婦」は、他の国の「慰安婦」より高く値段がつけられ、「帝国の慰安婦」として誇りがあったと主張する人もいる。

 

産経新聞系だけでなく、フェミニストも言う。

産経系とフェミが違うのはその先で、「だから『慰安婦』はお商売だった、日本に責任なし」と言うのが産経系で、

「だから、多様な『慰安婦』像を認めるべきだ。

韓国の『支援団体』は被害だけを強調し、『慰安婦』を政治利用するナショナリストだ」と韓国の女性団体を批判するのが日本のフェミだ。

 

 

慰安婦」問題がここまでこじれたのは、決して安倍さんをはじめとする保守なオッサンたちのせいだけでなく、日本のフェミのダメさもある。

 

慰安婦」にも楽しい時間があった、笑いもあった、待ち遠しく感じる軍人もいただろう。だって、生きていたのだから。でも……。  ここでも何度も書いているけれど、1991年に金学順さんが声をあげた時、それは本当に小さな最初の一歩だった。

韓国国内でも「恥」「売春婦のくせに」という批判の声があがり、日本大使館前で行われるデモは本当に小さいものだった。その声を大きな声、性暴力を受けた女性たち全ての声にしていき、国際社会まで動かしてきたのが当事者の女性と支援者たちだ。

日韓合意は、そんな彼女たちの頭越しに交わされた。

正式な文書がない合意や、電話での謝罪を見直す力が日本社会にないのだとしたら、国際社会的に終わっているのは日本のほうだ。

 

 産経新聞によれば、安倍さんは「お金を払っておいてよかった」ともらしたそうだ。札束を投げつけた「合意」だったことを自ら暴露したことになる。性暴力問題にどう向き合うか、日本社会が問われている。

 

週刊朝日 2018年1月26日号

 

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朝鮮学校を「高校無償化」の適用外としていることに反対するの声明 への署名 

 

朝鮮学校を「高校無償化」の適用外としていることに反対するカナダ市民・住民の声明 

 

以下の動きがあります。まったくまともな主張です。

 

賛同の方は

name, occupation/affiliation, location

(名前、職業・所属、在住地)

をメールで 

article9canada@gmail.com 

に送ればいいそうです。

職業・所属はなくても可能だそうです。

 

 

【署名・賛同・拡散をお願いします】

 

朝鮮学校を「高校無償化」の適用外としていることに反対するカナダ市民・住民の声明

 

http://peacephilosophy.blogspot.ca/2018/03/canadians-statement-of-opposition-to.html

 

Please sign, support, and share! Canadians and non-Canadians, both welcome to sign on!

 

Canadians’ Statement of Opposition to the Japanese Government’s Exclusion of Korean Schools from the High School Tuition Waiver Program http://peacephilosophy.blogspot.ca/2018/03/canadians-statement-of-opposition-to.html

 

> 朝鮮学校を「高校無償化」の適用外としていることに反対するカナダ市民・住民の声明

>

> 2018年3月25日

>

> 内閣総理大臣 安倍晋三殿

> 文部科学大臣 林芳正殿

>

>  2010年に施行された「公立高等学校に係る授業料の不徴収及び高等学校等就学支援金の支給に関する法律(以下「高校無償化法」と言う)」により、私立高校はもとより、各種学校の認可を受けた外国人学校の高校生も就学支援金を支給されるようになった。

それは、その法の第一条に、高等学校等における教育に係る経済的負担の軽減を図り、もって教育の機会均等などに寄与することを目的とすると書かれているからである。

 

しかるに、外国人学校の中の朝鮮学校のみが、この制度の適用から外されたまま今日に至っている。この処分を違法として、朝鮮学校の卒業生や経営母体の学校法人が日本国を相手取って、全国5か所で裁判を起こしているが、今までのところ、大阪地裁が全面的に原告の訴えを認めて、日本国の処分を違法とし、処分取り消しを言い渡した一方で、広島地裁東京地裁では、同処分が文科相の裁量の範囲内として、適法としている。

>

>       朝鮮学校のみを「高校無償化」から外しているこの問題について、私たち、日本に多大の関心を抱くカナダ市民・住民(日系カナダ市民であったり、日本を研究対象とする研究者であったり、その他さまざまな理由による)は、憂慮し続けてきた。そして、カナダ市民・住民であるからこそ言える、この問題に関する意見があるのではないかと気付き、声明を出すことにした。

>

 

>  カナダは世界各地からの移民、難民を受け入れてきて、多民族、多文化、多言語などの多様性を国の豊かさと認めている国である。しかし、この国の歴史を見れば、始めからそうだった訳ではない。例えば、日系カナダ人は第二次世界大戦時に「敵性外国人」として強制収容され、終戦後まで収容所生活を余儀なくされた。カナダ先住民は1870年代から100年以上に亘って、子どもを家族から離して、寄宿学校に送られ、先住民の文化から切り離し、キリスト教系カナダの文化、言語を学ぶことを強制された。

 

このような、ある人種、民族グループに対する 国家による組織的差別がいかに被害者の尊厳を根底から傷つけ、その人生を後々にいたるまで、崩壊させ、家族やコミュニティーに修復不可能なほどの被害をもたらすかは、カナダの場合、公的な資料館が膨大な資料、証言を保存し、公開しているので、私たちはつぶさに知ることができる。

>

> また、このような差別が存在することで、その社会全体の道義が著しく歪められることも資料から読み取ることができる。学校でも、まだ不十分ではあるが、これらの負の歴史は教えられている。そして、遅すぎたとは言え、日系カナダ人の強制収容については、1988年に、カナダ先住民の寄宿学校については、2008年に、それぞれ当時の首相が、それぞれのコミュニティーの代表を前にして、正式な謝罪をし、象徴的なものとはいえ、個人とコミュニティーの両方に対する賠償も行った。カナダ先住民の場合、被害を受けた期間があまりに長かったために、その深く、大きな傷はまだ到底、癒えるところまでは行っていないし、社会の歪みが完全に消えたわけでもない。

 

しかし、カナダ人が先住民を見る目は、確実に変わりつつある。先住民出身の大臣、国会議員、州議会議員もいるし、先住民について学べる機会も増えている。日系カナダ人については、実際に収容所生活を経験した一世、二世世代には、その影響は今も残っているが、若い世代に、負の歴史の傷痕を見つけるのは難しい。人間の社会は、どこでも、克服すべき差別問題を抱えていると思う。 しかし、政府が間違いを認め、謝罪することで、社会全体が少しずつでも公正な方向に行くことを、私たちは見てきたと言える。

>

> カナダ市民・住民である私たちからは、朝鮮学校のみを無償化適用から外している今の日本は、政府自らが、民族差別を公然と行っているとしか見えない。2012年末に、発足直後の第二次安倍内閣下村博文文部科学相(当時)が、「拉致問題に進展がないことや、朝鮮総連との密接な関係があり、現時点で、無償化を適用することは国民の理解を得られない」と朝鮮学校を制度から除外する理由を記者会見で説明していることから、この処分が政治問題と関連付けて決定されたことは明らかである

 

阪地裁判決は教育の機会均等とは無関係な、外交的、政治的意見に基づき、朝鮮高級学校を無償化法の対象から外すために、、、、”と、政治的判断であることを認めた上で、処分を違法、無効としている。私たちは、この大阪地裁判決を全面的に支持する。

 

 

>  また、この一連の朝鮮学校無償化適用外しの問題の報道の中で、私たちが、一つ奇異に感じることは、在日朝鮮、韓国人の歴史的背景、朝鮮学校の成り立ちなどに関して、あまり触れられていないことだ。大阪地裁は、この点でも優れていて、歴史的なことと、朝鮮学校で言語教育、民族教育をする必要性について言及しているが、広島、東京地裁の判決は、その点について、全く触れていない1910年の韓国併合条約の強要で、朝鮮半島を植民地支配した日本は、朝鮮人から土地を奪い、同化政策で言語を奪い、創氏改名で、名前まで奪った。この政策は1945年の日本の敗戦まで続いた。この為、自国での生活手段を失ったりした人たちが、大量に日本に入った。1939年からは、朝鮮人の強制徴用が始まった。アジアへの侵略戦争に全面的にのり出した日本が、戦争に因る労働力不足を徴用で補うために連行したのだ。

>

 

> 敗戦までに徴用された人は100万人を超えるが、過酷な労働と待遇で、命を落とした人も多い。このようにして、敗戦時に、日本に暮らしていた朝鮮の人は230万人以上いた。日本の敗戦で、解放された祖国に怒涛のように帰国する人が続いたが、約50万人は日本に残った。その人たちとその子孫が、現在の在日韓国、朝鮮人である。その人たちが、失った言語や民族の尊厳や歴史を子どもたちに教えるために、寺子屋のような学校を各地で作ったのが、朝鮮学校の始まりである。この歴史を考えれば、外国人学校にも就学支援金支給が決まった段階で、真っ先に適用対象とすべきだったのは、各地の朝鮮学校だったはずだ。また、政府は朝鮮半島植民地支配の歴史資料全てを誰でもが読める場所に公開すべきである。それを知った上で、朝鮮学校のみ適用外を支持するほど、日本の人びとが愚かだとは思えない。

>

 

> 国連の社会権規約委員会、人種差別撤廃委員会等がこの朝鮮学校無償化適用外問題や、これに誘発されて始まった、地方自治体の朝鮮学校への助成金の停止などついて、繰り返し、是正勧告を発したり、日本政府の行為を懸念する所見を出している。これが世界の常識である。政府が数ある外国人学校の中から、朝鮮学校の生徒のみに就学支援金を支給しない、自治体が朝鮮学校のみ、教育助成金を停止する、一部のメディアが朝鮮学校に関する、虚偽に満ちたネガティブキャンペーンを堂々としている、街中で、朝鮮学校朝鮮人に対するヘイトデモが行われる、小学生の通う朝鮮学校への襲撃事件さえ起きる。これらは、世界の人権感覚からすれば、公権力による人種差別と、それによって道義を歪められた社会の姿以外の何ものでもない。日本の人は、この問題を他人事と思って傍観していてはいけない。自分達の社会の在り方自体を問われている問題なのだ。

>

> 朝鮮学校の生徒たちは、既に四世の世代で、朝鮮籍韓国籍、日本籍と様々だそうだ。籍がどこにあっても、この子たちは、紛う方ない日本社会の子どもで

> ある。この人たちが安心して暮らし、自分の望む教育を受けられるようにするのは、日本政府の義務であるが、この当然のことが当然として通る社会を作るのは、そこに住む全ての大人の責任である。公正で、世界に通用する人権感覚の社会に育つことができるかどうかは、日本に住む、全ての子どもに関わる問題であるのだから。

>

> 朝鮮高級学校にも、「高校無償化」制度を直ちに適用することを強く訴え、その為に日本で闘っている全ての人に連帯する。

 

Satoko Oka Norimatsu

Vancouver, BC, Canada/Tokyo, Japan

Director, Peace Philosophy Centre http://peacephilosophy.com Editor, Asia-Pacific Journal: Japan Focus http://apjjf.org/-Norimatsu-Satoko

Article 9 Canada/Vancouver Save Article 9 http://vsa9.org

Facebook: Peace Philosophy Centre/Satoko Oka Norimatsu

Twitter: @PeacePhilosophy

 

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簡単に語る「金のために働く」「組織人だから」

 

 

「人のため社会のためというのは偽善臭いが、金のために働くということはいい」、という感覚の人がいる。

 

 

其れへの違和感は、私の主流秩序論で展開しているが、急にいっても伝わらないだろうなとはおもう。

 

 

これは「会社は慈善事業じゃない」というような決まり文句を言う鈍感さと同じ。

思考停止していることに気づかない人が多い今の社会。

 

じぶんが主流秩序にからみ取られていることを自覚する人が増えてほしいなと思う。少しでも「どこかで聞いたようなこと」を躊躇して語るような深みがほしい。

 

ビットコインなど儲ける話に無批判な人がいて、財務省の役人の様に文書改ざんを、命令だからとする人が多いこの世において。

 

拙著の以下の文章を、載せておく。

 

 

 

テーゼ35

○資産運用(株や為替、土地・マンション売買)で儲けることを躊躇なく発言するような人にならない。基本的に、汗を流して働かずに大金を儲けることは恥であると知る。世の中に働いても働いても苦しい人や貧困で苦しんでいる人がいるときに、厚顔無恥にも金儲けで喜ぶなど恥ずかしいことである。

 

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財務省文書改ざんで消された内容

 

 

  • 10年間の貸し付け後に売り払う契約について、「特例的な内容となることから」、「理財局長の承認を得て処理を行う」といった、財務省本省の関与をうかがわせる部分があったが、削られた。

 

  • 5か所で昭恵夫人の名前があったが全て消された。

 

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平成26年4月に安倍総理大臣夫人の昭恵氏が森友学園を訪れ講演や視察を行ったとの記載が削除

「打合せの際、「本年4月25日、安倍昭恵総理夫人を現地に案内し、夫人からは『いい土地ですから前に進めてください』とのお言葉をいただいた」との発言あり(森友学園籠池理事長と夫人が現地の前で並んで写っている写真を提示)」

 

  • 「価格等について協議した結果、学園が買い受けることで合意した」という記述が削除された。
  • 土地取引の経緯が時系列でまとめられた「事案の経緯」という項目がほとんど消された。改ざん前は3ページだったものが、2ページ半分が削除されて、改ざん後は数十行になった。

 

  • 2014年4月28日に近畿財務局と森友側が打ち合わせした以下の部分が削除。

「打合せの際、「本年4月25日、安倍昭恵総理夫人を現地に案内し、夫人からは『いい土地ですから、前に進めてください。』とのお言葉をいただいた。」との発言あり(森友学園籠池理事長と夫人が現地の前で並んで写っている写真を提示)。」

 

  • 2015年1月8日の箇所も削除。

産経新聞社のインターネット記事(産経WEST産経オンライン【関西の議論】)に森友学園が小学校運営に乗り出している旨の記事が掲載。  記事の中で、安部首相夫人が森友学園に訪問した際に、学園の教育方針に感涙した旨が記載される。」

 

 

 

  • 「事案の経緯」という項目での政治家の関与なども消された。

近畿財務局に森友学園から寄せられた要請も削除。

近畿財務局と森友学園の交渉経緯も削除。

国会議員からの陳情などの具体的な事実も削除。

 

  • 籠池氏が日本会議日本会議大阪代表・運営委員であるということ。その日本会議が安倍首相、麻生財務相、などがトップとなっていること、などが書かれていたが削除された。

「国会においては、日本会議と連携する組織として、超党派による「日本会議国会議員懇談会」が平成9年5月に設立され、現在、役員には特別顧問として麻生太郎財務大臣、会長に平沼赳夫議員、副会長に安倍晋三総理らが就任」という部分が削除された。

 

 

  • 上記のような、首相夫人と首相を含む日本会議系右翼大物政治家の関与がある特別重要な首相マターであるということを示す「本件の特殊性」という言葉が消された。

 

  • 当初、10年間の貸し付け後に売り払う契約になっていたことについて「特例的な内容となることから」、「理財局長の承認を得て処理を行う」といった、財務省本省の関与をうかがわせる部分が削られた。
  • 近畿財務局などが「学園の提案に応じて鑑定評価を行い、売払価格の通知を行うこととした。学園から買い受ける意思表示がなされたため、売り払い手続きを進めることとした」という、森友学園と事前交渉を行っていたことを示す記述が消された。

 

 

  • かかわった国会議員などの名前が消された。

平成20年から25年にかけて学園を訪れた5人の議員の名前と、昭恵氏がも平成26年4月に講演や視察を行ったことが記されていたが、その部分が削除された。

 

中山成彬・元文部科学相平沼赳夫・元経済産業相北川イッセイ議員の記述も消された。

また日本維新の会女性局の衆院議員3人(2013年12月に森友学園の関係先を視察した杉田水脈衆院議員、三木圭恵衆院議員など)の名前があったがすべて消された。

 

  • 鴻池元防災担当大臣については「本件は、鴻池祥肇議員から近畿局への陳情案件」とも書かれていたが削除。

「本件は、平成25年8月、鴻池祥肇議員(参・自・兵庫)から近畿局への陳情案件」

か平成25年8月13日に「鴻池祥肇議員秘書から近畿局へ照会(受電)。籠池理事長が、本件土地について購入するまでの間、貸付けを受けることを希望しており、大阪航空局に直接相談したいとの相談を受ける」などの記載があったが削除。

「H27.1.29平沼赳夫衆議院議員秘書から財務省に『近畿財務局から森友学園に示された概算貸付料が高額であり、何とかならないか』と相談。財務省は『法律に基づき適正な時価を算出する必要があるため、価格についてはどうにもならないこと、本件については学校の設立趣旨を理解し、これまで出来るだけの支援をしていること』を説明」という記述が削除された。

 

「H27.2.17鳩山邦夫衆議院議員秘書が近畿財務局に来局し『近畿財務局から森友学園に示された概算貸付料が高額であり、何とかならないか』と相談。近畿財務局はH27.1.29の財務省対応と同様な説明を行う」と記載されていたが削除された。

 

  • 北川イッセイ元国土交通副大臣については「H27.1.15森友学園国土交通省北川イッセイ副大臣秘書官に『近畿財務局から示された概算貸付料が高額であり、副大臣に面会したい』と要請。国土交通省は『貸付料は近畿財務局において決定する内容であるため、面会しても意味はなさない』旨回答」という記述があったが削除された。
  • 8日後の8月21日に近畿財務局の担当者が同席する形で籠池前理事長が大阪航空局を訪れたことも書かれていたが、これも削除


国際的に慰安婦問題でのバックラッシュを行っている根っからの右翼。

みんなの党、維新、次世代の党など渡り歩き自民党へ。

日本会議系女性右翼団体なでしこアクション」や極右のテキサス親父日本事務局等と一緒に、女子差別撤廃委員会にいって、慰安婦問題での日本を擁護し、国際常識を批判するなどの活動。日本批判をすべては二千翔津dふぉうとみて、産経新聞。右翼が言う歴史戦を行う右翼政治家・右翼活動家。

2017年9月の衆議院選挙で自民党から出馬して当選。

 

今回の文書改ざん暴露で、維新系、杉田氏も籠池の右翼学校建設を財務省に強く押し込んでいたことが判明した。

 

*●事前交渉の記録も削除

近畿財務局などが「学園の提案に応じて鑑定評価を行い、売払価格の通知を行うこととした。学園から買い受ける意思表示がなされたため、売り払い手続きを進めることとした」という記述が削除された。

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財務省が主導・独断で文書を改ざんしたのではない

2017年2月17日の衆院予算委員会の首相発言

「私や妻が関係していたということになれば、これは、まさに私は間違いなく、総理大臣も国会議員も辞めるということははっきりと申し上げておきたい」

 

これがあって、そうなっては困るから、そこから文書を改ざんして明恵夫人のかかわりや首相の関係を消したのだ。

 

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首相よ、妻とお前の仲間の右翼が無茶をして、そのために官僚が犯罪をせざるを得なくなったんだよ

 

森友問題とは  右翼勢力が安倍政権を使って好き勝手しているという問題の一部とみるべき

 

文書改ざんで一層明白になったことが指摘されていない。

 

「文書改ざんで消したのは、総理明恵夫人の関与隠蔽と 右翼勢力への屈服隠蔽」 という本質が指摘されていない。

 

 

森友問題が「一部官僚の文書「書き換え」の問題」に矮小化されているが、文書管理や文書改ざん、嘘情報を流すという国民・メディア・国会軽視、会計検査院だまし、官僚と政権ぐるみの隠ぺい工作という大問題に加えて、そもそも日本会議など右翼の威力を受けて、官僚が国歌財産をタダ同然で売ったという右翼への屈服犯罪だから問題なのである。

 

そして事実を隠蔽してうそをつき続けている、その中心が安倍夫婦であるので、安倍は首相だけでなく国会議員も直ちにやめる責任があるという大事件ということ。戦後政治史の中でロッキード事件並みに記録に残る首相がかかわった大犯罪事件である。

 

それを見失ったような報道が多いことがこれまたおかしい。そして簡単に操作されて、安倍政権を批判しない国民の大多数、特にいまだ安倍自民党を支持するような人によって、この国はますます腐りつつある。安倍やめろと怒って当然なのに。

 

 

文書改ざんで隠されていた内容が大問題。そこに杉田水脈の名があることにほとんどのメディアも言及してないが、杉田のような極右を安倍政権は抱えているということ、森友問題はこうした右翼が総力を挙げて推進していたということが本質的問題である。そこにプラスして、首相の妻が右翼に異様に利用され加担したという首相の責任問題である(明恵夫人付きの谷査恵子氏が財務省に問い合わせしたり、講演して感涙したり、名誉校長になったり写真をとったりして、官僚が首相案件+右翼案件として処理)。安倍政権で、かけ学園、コンピューター補助金搾取、山口レイプ事件もみ消しなど、安倍首相に近い右翼勢力が好き勝手している、森友もその一部ということを本質的問題と見ないといけない。

 

安倍首相が「なぜこんなことが起きたのか」と他人事の発言。

お前の妻とお前の仲間の右翼が無茶をして、そのために官僚が十数億円の国家財産をタダ同然で売り渡すという犯罪を犯し、さらに文書改ざんという犯罪をせざるを得なくなったんだよ。

 

 

●つけたし

トンデモ学者になっている三浦瑠麗氏が、北朝鮮のスリーパー・セル発言に次いで、

「常識が壊れた」と言って自殺した近畿財務局職員事件についても暴言を吐いた。

て三浦氏は「この問題っていうのは人が死ぬほどの問題じゃない」「最初は、本当に小さな事件から始まったこと」などと述べて、森友問題を小さな事件に矮小化し、安倍政権を擁護したのだ。真実を見抜けず、権力に媚びてしまい、人が死んでも遺族に思いをはせない鈍感発言してしまう、この感性の鈍感さ。

 

 

経済評論家・三橋貴明氏のDV事件反論の問題点

経済評論家・三橋貴明氏のDV事件反論の問題点

 

ネットでの「デイリー新潮」2/20(火)の記事「経済評論家・三橋貴明氏が自らの“夫婦喧嘩で逮捕”の顛末を語る」(以下、記事と略)で、三橋貴明氏が自分のDV事件について反論/言い訳を書いている(インタビューで語っている)。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180220-00538101-shincho-soci&pos=3

 

カウンセリングに行って少しDVについて学び始めているようだが、都合よく自分を正当化してDV理解の点で多くの誤りがあるので、ここでふれておきたい。

目的は、有名人の事件を通じて、DVについての正しい認識が広がる契機としたいと考えての、正しい情報提供である。

 

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  • 事件の概要

2018年1月、東京都港区で、経済評論家の三橋貴明(本名・中村貴司)(48)が妻を殴るなどしてけがをさせたため傷害の疑いで逮捕された。

 高輪署によると、逮捕容疑は2018年1月5日午後7~9時ごろ、自宅で10代の妻を転倒させて腕にかみついたり、顔を平手で殴ったりして約1週間のけがを負わせたというもの。口論が発端になったといい、妻が110番通報して発覚した。

警察沙汰は今回が初めてではなく、2017年、妻からの2度の通報を受け、警察は三橋氏に暴力をやめるよう警告していた。三橋貴明容疑者は離婚を2回しており、いまは3人目の妻。

元妻の女性作家は、2015年6月に「DV加害者の二枚舌と“共犯者の存在”」と題した記事を掲載し、「DV・虐待について勉強することを、私はライフワークのひとつとしている」「(DVは)家庭内のいざこざ」というよりも「殺人未遂」という方がより真実に近い、DVをする人の特徴を「少なからずのサディスト」などと書いていた。

三橋容疑者は釈放された8日にブログで、大々的に事件を報じたマスコミに対し「わたくし共の『夫婦喧嘩』が、それほど凄い事件なのでしょうか そんなに目くじら立てて追っかけるようなネタかよ!」などと書いていた。

逮捕後、三橋氏の妻が被害届を取り下げ、夫婦間で示談が成立した。東京地検は2月6日、三橋氏を不起訴とした。

 

参考 伊田の加害者の分類

 

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  • 2月20日のインタビュー記事での、三橋貴明氏の反論とその問題点

 

三橋氏は記事内で、「1月5日の夜、私は妻に一方的に暴力を振るっていたわけではありません。また、恒常的なDV(夫婦間暴力)でもなく、文字通りの夫婦喧嘩がエスカレートし、私と妻は取っ組み合う有様でした。非常に愚かで、馬鹿なことです。そのことを今では充分に理解しています」と述べている。

 

→ ここにつけられた「恒常的な」ものではないという言い分は、DV理解の間違いの第1点目である。DVは別に恒常的なものだけがダメというものではなく、恒常的でないものもあり、恒常的でなくともDVといえる場合があるし、人権侵害行為である。また昨年も2回も妻が警察に通報しており、十分、恒常的といえる。この記事の中でも「私が19歳の妻と喧嘩を繰り返し、警察に逮捕されるような馬鹿男」と自ら述べているように、ケンカは繰り返している。元妻がDVについて述べていることから、元妻との間でもDV的なことがあったと推測できる状況である。

 

 

次に「一方的に暴力をふるっていたわけではない」という言い分も、DV理解の不十分さを表しておりこれが第2の問題点である。よく加害者は。あいてもわるい、だから夫婦ケンカに過ぎないというが、そこにはDVは一方的に攻撃するときにのみいえるという考えがある。しかし、相手の言動に対して自分が身体暴力的なことや大声などDV 的な態度で対応すれば、それは誤った行動を選択したことを意味しており、その点で加害者の責任である。 DVではないという言い訳はできない。したがって、取っ組み合い的になっていて一方的に殴っていたわけではないとしても、十分DVといえる場合があるので、「一方的絵はない」ということをもってDVでないという理解は間違いである。

 

以上より、「DV(夫婦間暴力)でもなく、文字通りの夫婦喧嘩がエスカレート」したものだという三橋氏の決めつけには説得力がない。DVでないということが何ら証明されていない。一方的でないとか恒常的でないことはDVの否定説明要因にはならないということである。それなのにこのように言い切っているのは、DV理解がまだ全くできていないことの証左といえる。DVを真摯に学び。自分のしたDVを認めていくことが加害者が変化するうえでの第一歩だが、それさえクリアできていない段階であるということが分かる。これが第3の問題点である。

 

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次に記事では、 1月17日に、YouTubeでも閲覧できる“保守系ニュース番組”「真相はこうだ! 桜便り」(日本文化チャンネル桜)に三橋氏の妻が出演したこと、そこで「110番した時は逮捕など考えていなかった」、「逮捕がマスメディアに載るとは思っていなかった」、「離婚を考えたことはない」などといったことを伝えて、「被害者である妻もDVとして逮捕されることを望んでいるのではない」という印象を出して、DV と報道したメディアが間違いであるという主張へとつなげている。

 

しかし被害者が、離婚を考えてないことや逮捕を考えていなかったことは何ら「DVではない」という説明にはならない。しかも、こうした妻の言い分がそのような趣旨で話すように説得されるなど、こうした番組で発言させられたという非自発性や誘導性の可能性も考えられる。加害者それを誘導(/強制)すればそれはまたまたDV行為といえる。少なくともそうした場で被害者にそのように語らせること自体が非常に危うい行為と思われる。そこに鈍感すぎる。

ここが第4の問題点である。

付け加えると、この日本文化チャンネル桜というメディアが、ネトウヨ系であり、フェミニスト攻撃、DVをでっち上げだなどと攻撃する傾向を持もったものであることにも注意を要する。三橋氏がDVに真摯に向き合うならば、こうしたメディアではないところで主張すべきであろう。ほかのところで通じる話かどうかも問われる。

 

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映画『リービング・ラスベガス』批判 

 

 

共依存との関係で、この映画を見た。この映画を評価する立場で、共依存関係でもいいものもあるという意見があるので、そうは思えないという立場で、この映画の感想を書いたので載せておきます。

 

映画『リービング・ラスベガス』批判 

 

弱きもの似た者同士が寄り添うという話はよくある。小西はこの映画のことを本書の各所で取り上げ、共依存関係の肯定性の一例としている。

 

この映画を見て、中島みゆきの歌「ふたりは」 を思い出した。私はこの歌が好きだが、共依存の美化としてこの歌や「リービング・ラスベガス」を見ることには反対。

 

 

「ふたりは」は、街のはみ出し者2人、ごろつきと遊び女のよりそいあいの歌

 

二人は凍えきって巡り会った/誰からも聞こえない胸の奥のため息が 互いには聞こえた

与えあう何物も二人には残ってないけれど/もう二度と傷つかないで

二人が出会ったこと他人は喜んでいた/「まとめて片付く 早く旅立つがいい」

 

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共依存と、映画「リービング・ラスベガス」について

 

 

ニコラス・ケイジの演技はうまいし、人生の悲哀、哀愁とか、吹き溜まり愛情を描くから映画としては成り立っている。サラは優しい人と思うし嫌いではない。

 

だが、映画として、大した内容はないと思う。恋愛とか関係性の在り方としてなんら評価できなかった。だましの構造があるから

 

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●もし余命1ヶ月のひとなら→何でもきいてあげたらいい。共依存ではない。

 

●もしとても孤独なひとがいたら→友人や恋人としてそばにいるのは悪くない

 

●もし目の前に病気で治療が必要な人がいれば→治療に持っていくべき。病気の悪化を促進しない

 

●出会う彼氏がもし健康で性格のいいひとなら→つきあったらいい。でも彼女はしばらくおちつかなかったり不安、過剰な気遣い、過剰な感謝、で、対等になりにくい。好きになってもらいにくい。自尊感情低いのでなんで私?と思いがち。だがいい人に出会うこともある。あんな男である必然はない。「弱いものどおし」が近づきやすいというのはあるが、そのほうがいい関係ということはない

 

●もしDV男で元気なら→離れるべき。加害者プログラムにいかせる、いかないなら離れるべき。離れないという選択も本人の自由だが、それを美化する必要はない。必要なのは共依存の工程ではなく、相談体制の充実、加害者プログラムや実際的な被害者の居場所つくりなどだろう。

 

 

つまりこの映画では、ベンが彼女を傷つける問題やまわりに迷惑をかける犯罪性、加害者性DV性があるのに、また治療を要する病気であるのに、死ぬ間近で孤独という要素で問題を隠蔽。

 

 

彼女が幸せになるには、この道しかないのではなく、別の道もあるのに、ほかの要素があって仕方ないように思わせる構造。傷つけられる環境から離れて、支援してくれる人、適切に愛してくれる人、エンパワーメントしてくれるひととかかわるべき。それが現実的には難しいということと、ベンのような人でしか幸せになれない、ということは別。

 


真の対等性、非暴力(安全、自由、自信、成長)が無理という前提(条件設定)がおかしい。偶然性や不幸性、同情を入れ込ませてごまかし。むつかしいことと方向性として正しいことを区別すべき。


目の前にすこしの安心、必要とされること、求められる感覚があってそこに行く話。
総合プラスマイナスでは、大きくマイナス。それを美化する意義はない。

 

 

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だめな男 それに付き合う女の良くある話。傷ついている人だから、ダメなところがある人だから、気を許せた 正直になれたというよくある構図 

よく似たもの通しというパターン

 

 

こういう天使が表れて、ベンにとっては都合がいい。理想を描いた勝手な男の物語

 

一人ぼっちの彼女。そりゃそばに誰かがいたらいいとおもうだろう。だが、このダメ男である必要はない。

 

最初に約束させる「酒はよせというな」の問題

 

彼女の家に来た時から酔払い。無責任。これも愛だが、そんなのはごろごろあって、美化できない。悲しい物語とはいえる。しかし称賛するな、共依存もいいというなと思う

金を預けられて喜ぶ彼女。今まで搾取されてきたから。信頼されてなかったから。でもそれも普通のこと。これまでのひどさとのギャップ。彼女は客観的には そういう普通の人ならだれでもよかった。共依存になる必要はない。

 

死ぬということを背景にしての特別な時間。普通の恋愛でも1,2か月など楽しくいられる安易な時期。だれでも盛り上がる。

 

 最初の楽しいカジノでのデートで、また酒を飲んであばれてしまう。彼女を大切にできてない。これで離れないのは弱い愛。離れないことを美化しても何ら積極的なものは出てこないのになぜ擁護するか。最初にカジノで暴れたときに、ここで離れるべきなのだ。どちらからも。

 

 その後、つらい状況が続く。ひどいアルコール依存の状況のそばにいるしんどさ。

こういうのは施設に行くしかない。なのにそばにいる彼女は不安不幸になるだけ。彼が彼女を大切にと思うなら離れるべき。愛に飢えた彼女を利用し迷惑をかけている暴力

その暴力に耐えて「愛にしがみついてしまう優しい彼女」

映画だからアルコール依存の苦しみの状況描写を30秒ほどにまとめるが現実は長く厳しい 何時間も異常な緊張にさらされる 離れるしかない。 

 

カジノで暴れたことを覚えていない彼 彼女は、ここへは二度とこない、私が連れて帰るということでその場をしのぐ。

 感謝する彼、彼を支える彼女 間違った道に入っていき始める

 

「貴方が必要であなたを利用している」という彼女  こういう人を世話するという道にはまっていく 

その心理はわかるが、それは美化できない 

 

彼は、こんな彼女をやさしいと思う 天使という 手放さない、愛してるという、感謝する でも酒をやめない 

客観的には都合よく甘えている

 

サラの傷つけられた体を見て、いとおしくなるベン。この不幸な彼女を幸せにしたい よくある感情

売春という仕事に行く彼女を認める彼 切なさの利用 

 

ベンは、酒を全く辞めず、バーに寄り道してそこの客とケンカ。彼女を心配させるが反省なし 

ピアスのプレゼント 嫉妬の気持ちを伝える それで内心感動する彼女

 

せっかくの旅行でも酒浸りでセックスしかけてもガラスをわってそのうえに倒れこんで怪我して台無し。ホテルからみじめに追い出される。傷つき続ける彼女。

 

だめな奴のそばにいる彼女 まともな男なら彼女を手放す。 だが彼は手放さない。それは暴力。

 

食欲もなくなって病人になっていくベン。びくびくして世話するサラ。

ついにサラは「医者に行って」という。 最初に結ばされた「酒はやめろを言わない約束」がある中でびくびくして。

でも彼は「医者は嫌だ、ホテルに帰る」という。

ここでも離れればいいのに、彼が離れるのが嫌なサラは彼をそのまま認める。脱出できない袋小路。

 

「たったひとつぐらい私の望みを聞いて、ここにいて 一人で死なないで」 

彼をかわいそうと思って離れられなくなっている。彼を愛している優しいサラ。

 

その後も破綻へ向けてまっしぐらの生活。酒を飲んでその時だけは生き生きとしてギャンブルをしてキスをして生きているベン。 それに同行する彼女。 

 

ある時、酒に酔ってほかの女性と部屋で寝ているところにサラが帰ってそれを目撃する。傷つくサラ。

そのあとサラは仕事中に3人組にレイプされる。住んでいた家からも追い出される。 ボロボロになるサラ。自暴自棄になり、もうろうとして ベンを探すサラ。

 

 

ついにベンから電話がかかってきて、飛んでいくサラ。

優しい音楽が流れている。 美化される再会。 カーテンを閉めた暗い部屋、そこには死ぬ直前のやつれた男。もう起き上がる力もない。終末の症状。

そんな彼に「愛している」というサラ

 

このシーン、人が孤独に死にそうな最期の時、誰かがそばにいて安心させるという普遍性はあるが、それはまた別の話。

 

最期、エレクとした彼の上にまたがって最初で最後のセックス 男の幸せな最期の願望のシーン。

 

いい感じの音楽でごまかす場面が多い映画。

 

「フェミを意識しない」古臭い、男のロマンを描くような作品

 

伊田の映画評としては評価は低い。

 

愛の現実は多様。それと、それが素晴らしいとか肯定性があるということは別。主観的瞬間的に思っていることですべてがOkではない。

 

以上