ソウルヨガ

主流秩序、DV,スピシン主義、フェミ、あれこれ

認識のゆがみ―――米朝会談と拉致問題とナショナリズム

 


米朝首脳会談がらみの報道での、日本のメディアの認識のがみがはなはだしい。


緊張が緩和し戦争が遠のくのがいいのは明らかだ。だからウォ―ゲームをやめるといった先に、米軍が韓国との主要な合同軍事演習を無期限に停止したことは歓迎すべきことなのに、まるでよくないことのように報道がなされている。

 

もちろん、米国も北朝鮮も人権問題ではひどい側面があるが、それは日本も中国もロシアも同じだ。何もかもを全部一挙に解決できない中で、戦争したがるやつらが悔しがるようなことは、ましな状況といえる。

 

 

さて、認識のゆがみが典型的に出ているのが拉致問題なので、それについて簡単にふれておこう。


米朝首脳会談で日本人拉致問題が解決するはずがないのに、日本のメディアでは事前にも会談後にも、「最大で最後のチャンス」「トランプが北朝鮮トップに言ってくれたことが奇跡だ」「大きく進展する」「日朝会談をもって今年中に解決」といった、楽観的主観的報道が相次いだ。

 

会談でトランプが一言「拉致」と話題に出して相手から拉致について何の反応もなかったことを前進だと喜び、まるで解決が目の前に来たかのような報道である。それはそのようにいう政治家などがいるからである。

妄想的希望的観測の典型というしかない。

そして拉致被害者家族の会いたいという気持ちが今回もナショナリストたちに利用されている。

 

「解決するはずがない」というのは、まず第一にこれまでも現在も日本が北朝鮮に敵対的な対応だけを続けてきたからであり、

第二に、米朝会談の主目的は非核化(という演出)であって、拉致問題など両首脳とも関心がないからである。

安倍が一方的に言及するように頼みこんだだけで、客観的に見ててなんら「全員生きて帰国」といったことが実現する見込みがないからである。

今後、日朝協議が持たれたとしても、日本が「まずは拉致問題の解決、それがないなら交渉には応じず、制裁も緩めない」といった今までの姿勢を改めない限り、拉致問題御交渉、解決の前進はないだろう。

一切妥協なく、経済支援もなく(――米朝会談後も「「拉致問題が解決されなければ経済援助は行わない」と首相発言――)、 まずは帰国の確約だといっている限り、妄想的願望するような「全員、生きて帰国という致問題の解決」といったものがあるはずがない。日本の側が勝手なことだけ言っていれば日朝会議でさえもてないだろう。

冷静に見ればそれが事実だ。

 

 

少し振り返れば、小泉政権時の2002年に拉致被害者が日本に一時帰国したときに、その約束を反故にして5人を北朝鮮に帰国させなかった。難しい判断の側面もあったが、あれによってその後の道が閉ざされるということは予想できたことだった(それでもいい、この5人だけでも助ける、というならその判断もあるが、それならその後も拉致問題を言い続けるのは無理がある)。


6か国協議の際にも、日本は「拉致問題」を持ち出して協議の進展を妨害した。その後、再調査をするということだったがその結果は解決済みというものだった。そして日本は対話や関係改善を拒否し経済制裁など圧力だけをかけ、北朝鮮制裁を日本だけ国際的制裁基準以上に独自に強化し、ほかの国にもそれを求めてまわった。Jアラートを広げ、ミサイル避難訓練もした。朝鮮学校補助金で差別したり、朝鮮総連関係へ嫌がらせをしたりもした。そういうことを続けたために、米国と並んで北朝鮮から最も反発される国となった。

 

たとえば北朝鮮は、2017年11月に「主人(米国)の北朝鮮敵視政策の実現御先頭に立つ忠犬(日本)のこざかしいふるまい」と言われたりしていた。このように緊張を激化させる方向ばかりで動いて来た。


トランプが首脳会談キャンセルを突然言ったときに、日本だけが「トランプ大統領の決断を支持する」と表明した(世界の恥さらし)。

日本は今でもこうした緊張激化の姿勢を変えていない。だから日本は自ら拉致問題の解決を閉ざしてきたのだ。

 

 

少し基本構図を整理しておこう。


軍備増強拡大願望派にとっては、拉致問題北朝鮮との対立)は解決してほしくない問題だ。

いつまでも対立して、こんな国叩き潰せという考えの人が増えて、自衛隊予算が増えて自衛隊が肥大化し武器が売れて儲かり、自民党支持が増えればいい。

 

同じ意味で非核化や緊張緩和が進むのがいやである。北朝鮮がドンドンICBM・ミサイルの発射実験してほしいのである。そうすれば脅威が高まっているといって軍備増強を言えるからである。


領土問題も同じ。だから尖閣諸島を国有化したり竹島の日を制定したり、教科書に領土問題を書き込んだり、北方領土問題を宣伝したり、朝鮮学校を差別したり、北朝鮮制裁を日本だけ国際的制裁基準以上に独自に強化したり、靖国参拝を強行したりして、韓国、中国、北朝鮮北方領土ではロシアと対立だったが、プーチンになって安倍はなかよし)と対立し続けるよう挑発してきた。その中心が安倍内閣だ。

 

 

そうして日本から挑発すれは韓中朝の中の、ナショナリストや右翼や軍人が呼応して極端な反日活動をする。中国との尖閣列島でのつばぜり合いなどその典型。日本側はまたそれを口実に、日本国民に「尖閣列島が奪われるぞ」「ミサイル攻撃や核攻撃されるぞ」といって軍事化と憲法9条改悪を進められる。「北朝鮮はスパイを送り込んでいるし、信頼できないからあんな国の指導者は殺すしかないぞ」「戦争をしかけられるぞ、領土を侵略されるぞ」といった恐怖心を植え付け、韓中朝を嫌うよう誘導し、敵国のように思わせる。


倍首相の拉致被害者救済の言葉は、いつも口先だけで、国内政治用のポーズ。本当は解決してほしくないから実際には解決に向けては何も動かず、北朝鮮に圧力をかけて対立を激化させるだけ

「全員、生きて帰国」ということを言い続ければ、解決せず対立が続くので、本当に家族のことを考えずに政治利用する人は「強硬ポーズ」「全員生きて帰らないと絶対にダメ」という主張を言い続けるだろう。拉致の現実の状況を認識するために調査をすすめるといった現実策を進める気などないままだろう。

 

 

半分はこの流れに乗せられて(気持ちを利用されて)、また半分は主体的に(長年の恨みから)、拉致被害者家族たちは北朝鮮憎悪の世論ムードつくりの旗振り役を担い担わされている

結果、その願望とは裏腹に北朝鮮との対立だけが高まって拉致問題の解決をみずからとおのかせている。

 

その絶望の気分から、一部家族会メンバーはこんな国には軍事攻撃を仕掛けての拉致被害者を軍事的に救出すればいいという妄想まで持っている人もいる。それが無理ならせめて恨みのあるこの国をつぶし、その指導者・金正恩を殺害してほしいと思っている。
そうした絶望的敵対心と軍事偏重志向が、拉致問題という話を通じて日本中に広げ続けられてきた。

その結果、明らかに日本だけが、「韓国や米国などを中心とした対北朝鮮との緊張緩和、戦争回避、非核化」への動きの外に置かれ、

北朝鮮から「日本はすでに解決した『拉致問題』を持ち出して朝鮮半島の平和の流れを阻もうとしている」

「日本の反動層がすでに解決した拉致問題を再び持ち出し世論化するのは、稚拙でおろかな醜態」「全世界が近く行われる米朝首脳会談を歓迎しているときに、日本だけがゆがんだ動きをし、『拉致問題』をもって再び騒いでいる

「日本は、拉致問題を持ち出して国際社会の同情を引き出し、過去の清算を回避しようとしているが、日本は朝鮮に対して過去の清算(賠償)を行うべきだ

拉致問題は解決ずみだが、言いたいことがあるならトランプや文在寅大統領に言わせるのでなく直接言ってこい」などと言われる始末である。

 

日朝協議というなら、当然、過去の戦争、慰安婦問題をはじめとして、日朝国交正常化、過去についての謝罪や賠償が問題になるだろう。国交正常化の際に韓国に経済支援したような経済支援が賠償として課題になるだろうが、それをする気が日本にあるかどうかだ。今は、まったくする気がないといっている。


「圧力と対話」といいながら国内政治と軍備拡大のために、「圧力一辺倒路線」をとってきた。それは政治的にも「リベラル/平和憲法維持派」を追いやり、右派改憲勢力を拡大する路線

 

国際的に見れば、イスラエルとならんで、プーチンやトランプにすりよる右翼国家の道を突き進む日本。(G7でも環境問題でも、ILOセクハラ条約でも、日本だけが米国追随)
今日は米国が国際的な人権機関からも離脱という暴挙。それでも安倍はトランプに媚び続ける。

 

そうした世界での特異な「米国のポチ」「人権問題環境問題軽視の国」と笑われている位置が見えない日本。北朝鮮の人権問題をいえる資格がない状況だ。


他の国に通じない歪んた内向き認識にとらわれ、歪んでいるとも自覚できない病理状況に陥っている。(一部は、ネットなどでたたかれるのが怖くて、真実を言えないという、戦前と似た心理状況)

 

それが今回もまた、浮き彫りになった。もはや喜劇である。

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セクハラを目撃した時にできること

 

以下の2つの記事を偶然目にした。

 

●コップを倒すだけでも大丈夫。セクハラを目撃した時にできる「3つのD」とは

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180608-00010000-bfj-soci


●セクハラ、もう見て見ぬ振りをしたくない。誰にでもできる3つのこと

https://www.buzzfeed.com/jp/saoriibuki/sexual-consent-handbook?utm_term=.pvWn2VX0zd#.ctqvqnwoyW

 


いずれもその内容はいいものと思うが、できることとして紹介しているセクハラを目撃した時にできる「3つのD」というのが狭いなと思ったので、先ほどのブログ記事関連でここに少し書いておく。

 

 

『主流秩序にいかに囚われているか―――学生たちの実態と本音、そして少しの突破』(電子書籍、2016年3月発行)に紹介したように、カツアゲとかセクハラとか、何か問題を目撃したときにできることはたくさんある。

 

「カツアゲ目撃」で書いたのは以下のような事であった。


直接節介入以外の間接介入のいろいろ

 

間接介入とは、自分は直接介入しないが他の人の力を動員することで介入するというものである。この間接介入にはいろいろあり、これをすることは現実的に可能である(一種の「社会化する対応」という言い方もできる)。これをして逃げるのも「一歩前に行ってから逃げる」の一つといえる。
間接介入の例
A:自分で救援を頼みにいく。(警察、駅員などに)走っていく、電話する。
B:近くの人に言う。近くの人を見つける。その人にAを頼む。分業する。
C:非常ベルを鳴らす
D:大声を出す。遠くから「誰か助けてくださーい」「どうしたんだー」「大丈夫かー」「やめろ」「警察来るぞー」「警察を呼んで―」と叫ぶ、等
E:写真を撮る、録音する、映像を撮る。
F:(犯人たちが逃げる時に)追いかける、どこに行くかをみておく、逃げる車[種類、色、ナンバー]を見る、写真を撮る、特徴を覚えるなど
G:周りの人を集め、その人たちと一緒になって近づく
H:注意をそらす。たとえば「どうしたんですかー」とのん気な感じで聞く。ただ近づく、間に入る、唄を歌う、大声で笑う、こんにちわーというなど。何かを投げて注意をそらす手もある。


これを使って「セクハラを見たとき」のことを書けば

 

直接介入 「今のはセクハラです」と言ってその場でセクハラ行為をした人に言う。すぐに止める。謝らせる。
すぐに録音し、証拠をとりましたという、など。

 

 

間接介入の例 目の前でセクハラ的行為がある、あったという場合

 

●自分で誰かセクハラ対応力がある人を探して、相談し、そのひとにセクハラ対応をしてもらう。引き継ぐ。


●セクハラ被害者の相談に乗る。一緒に記録を作る。そして一緒に相談先に行く。(職場関係の場合、コミュニティユニオンが一番実践的でよい)場合によっては、信頼できる人、警察、行政関係、弁護士などに一緒に相談にいく労働局とかはそのあとの一つの選択肢。


●被害者の希望で、気持ちを聞くだけで終わる場合もある。その場合も共感的に聴く。被害者とともに、その人なりの解決策を一緒に考える。

 


●次回同じ様なシチュエーションの時に何をなしうるかを被害者と一緒に考えたり、相談いいって聞いて決めていく。

●近くの人に小さな声で「これってセクハラだよね」と言う。
●近くの人に、「誰か呼んできて」と言ってしっかりした人、頼りになる人を呼んできてもらう。あるいは自分で呼びに行く。


●誰か証人になるとか、目撃者を増やすように、ほかの人を呼んでくる。

 


:●証拠を残す。ひっそりと録音する/映像を撮る。メモをとる。


●その場を離れた後すぐに、記憶でセクハラ状況のメモを作る。

 


●周りの人と一緒に、少しセクハラ状況を変えるように、正面からセクハラだと批判するのではなく、ずらす、ごまかす、冗談のように「奥さんがしっとしますよ」とか「ちょっとやりすぎですよー」とか「それをぼくがやったらなぐられますよー」とかへらへらという。

 


●何かを別の話を被害者あるいは加害者にはなしかけて、セクハラ状況を変える。加害者と被害者の間に物理的に入っていく。そしてお酒くださーいとか、まったく違う話をするとか、急に歌いだすとか、意表を突いた行動をとる。その中に、加害者にお酒をつぐとか、コーヒーいれるとか、お酒をこぼして素っ頓狂な声で謝るとか、テレビをつけるとか、サッカーの話をしだすとかトイレに誘うとか、もある。

 


●そっと電話をして、どうしたらいいか誰かに相談する。


●「不愉快なので帰ります」という。


●あるいはそこまで言えないので「あの、ちょっと、なんかしんどい感じなので、帰りますけど、●さんも帰りません?」という


●その場にいる人(加害者や被害者含む)に聞こえるように、「違うかもしれないけど、これってビミョーにセクハラっぽいような感じもしますけど・・・ね違うとは思うんですけど。。私、そのあたり詳しい人を知っているので、相談してみようと思うんですけど。会社の人事にも聞いてみようかな」という。


●「さあさあ、仕事しましょう」「さあさあ、食べましょう、乾杯しましょう」という。

 

 

などなどいろいろある。ケースごとにできることはいろいろあると思う。

 

というようなことで、上記記事の「3つのD」というだけではないなと思いました。

 

この話、主流秩序にどうむかうかという大きな話の一部です。

 

日本の教育で足りないのは、権利を守るために戦う主体になるための「身を守るノウハウ教育」です。ユニオンに入って交渉するということを教えない、証拠を残すということを教えない、相談するということの重要さを教えないのが大問題です。

 

 

 

新幹線内無差別攻撃事件  助けに入った人がいたという希望

●新幹線内無差別攻撃事件  

助けに入った人がいたという希望、

「とにかく逃げろ」が唯一の教訓ではないという話

 

 

このブログを読んでくださっている人は知っているかもしれないが、世間的には、私が主流秩序論とからめて「カツアゲなど事件を見たときの時の介入の在り方」を大学の講義で話し、以下の電子書籍でも紹介していることをしらない。


参考:伊田広行編著『主流秩序にいかに囚われているか―――学生たちの実態と本音、そして少しの突破』(電子書籍、2016年3月発行)

 

 

今回、新幹線無差別攻撃事件に絡めて少し書いておく。

 

小島一朗容疑者(22)が隣席の女性を切り付け、通路を挟んで向かい側の女性にも襲いかかり、それを見た2列後ろにいた会社員の男性・梅田耕太郎さん(38)が逃げるのではなく、自分が止めに入った。逃げた人を批判しないなどの配慮から、メディアでも、ほかの人は何をしていたのかという指摘はほとんどない。

それどころか「梅田さんは容疑者に立ち向かった結果、刺激して「最悪の事態」を招いてしまったかもしれない」という見方を紹介する報道まであった。

 

 

 

しかし、この状況を振り返るならば、みなが逃げれば被害者がゼロということはあり得ない。梅田さんが逃げていたら、最初二人の女性やそのほかの近くにいた人が切りつけられていて被害者はさらに多くなったろう。

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ということは、梅田さんがいたから、最初の二人の女性が助かり、ほかの被害にあう可能性の高かった近くにいた女性や子供や老人などが助かったといえる。梅田さんが身を挺してほかの人を守ったということになる。

 

だから、こういう事件を振り返るときに、「下手に介入したら危険だ、とにかく逃げるのがいい」というような総括をしてその情報を広めるのはおかしいと思う。

 

もちろん、やみくもに自分の命の危険を顧みずに必ず直接介入すべきだといっているのではない。

 

 


まず結果から見てもとっさに助けに入った梅田さんは素晴らしい勇気ある人というべきである。
今回は刃物を持った加害者だし、多くの人は事情も分からないので、直接介入はむつかしいケースといえる。逃げる人がいるのは当然で、それは非難されることではない。

 

 

が、できれば何かできたことがあったら「したらよかった」という教訓は得られる。

まず、一般論は、誰か一人目が勇気をもって介入したら、2人目、3人目という介入があることが望ましい。直接介入でなくても間接介入でも、できることをするのがよい。それが望ましい。

 

事情が分からなければ、ある程度距離をとったうえで、周りの人に、何が起こっているのか、状況を聞く。そして今回ならだれが加害者で、だれが被害者かを把握できたら理想的。
ある程度距離をとって、誰か事情が分かっている人が、「止めに入ったある男性(梅田さん)がやられているので、男の人数人で助けに行ってください」ということもできるだろう。

 

今回は加害者が刃物を持っているし狭いし、防具などもシートしかないからむつかしいが、助けに入った人が孤立して殺されたのは痛ましい。とても残念だ。ご家族はつらいだろう。

 

できれば、止めに入った人が一人いたらすぐに二人目も入って、周りの人が分業して、乗務員を呼びに行ったり、周りに声をかけて「数人で行こう、協力よろしく」と言って男性数人人を集めて助けに行く、また離れたところから大声で話しかける手もある。

 

助けられる人を増やすことができれば、梅田さんは助かったかもしれない。被害を増やさないために、ドアのところでロックをかけて閉じ込めるということができればいいが、構造上そういうことはできないようだ。

 

 

繰り返すが今回は誰にもどうしようもなかったと思う。むつかしかったと思うが、今後に教訓を残す必要はある。

もう少し状況が介入しやすいものならばできることを即座に判断できる人が多いほうがいい。もう少し状況が分かるときには、勇気ある一人目を孤立させないような対応を回りが取れたらいいと思う。


だから「とにかく逃げなさい」ということを教訓にするのは間違いと思う。

 

 

即座に、自分の身を守りながらも、なにかできることを判断できる(考える)ような人が増えてほしい。そういう社会になってほしい。

 

考えていないと迷ってしまうはず。考えておくことで行動に結びつきやすくなる。
それが、今回亡くなった梅田さんをはじめ、過去、突入して亡くなったり怪我した人の勇気を受け継いでいく道と思う。

 

「関係ない人のためにかかわっていくのは馬鹿だ」というような人が多くなっているので、そうしたことを言っておきたい。

 

簡単に書いたが、スーパーマンでなくても、間接介入がいろいろ出来うるんだよという話である。

一人目が行くときも、できれば複数で行く、遠くから声をかけなにかを投げる、非常ボタンを押す、何か壁を作って防御する、老人や子供を優先的に逃がすよう誘導係を引き受けるなど、やれることを日頃から考えておく人が増えてほしい。

 

 

「カツアゲ場面」を見たときの例で、そういうことをひごろから考えておくと、職場でいじめやセクハラ上がったときとか、電車で痴漢だという声が上がった時とか、痴漢で苦しんでいる人がいるときとか、学校でいじめがあるときとか、いろいろ、応用が利くという話である。

 

職場で組合【ユニオン】が存在価値を失っているという場合があるがそれは御用組合になって活動しない場合である。
むしろいま問題なのは、組合という形での連帯意識が非常に低下していることである。誰かが頑張って個人の苦境を問題とする、支援するようなユニオン活動をしているときに、自分がユニオンに加入しないのが当然というような人が多いが、一人目二人目が頑張っているときに、どうしてそれを放置して自分は加入しないで、冷たく見ているのかと思う。

そういう人が「ユニオンに入っても意味ない」などというのを聞くのは悲しい。

 

今回の新幹線事件のような事件とユニオンの話は別と思うかもしれないが、深いところでつながっている。


一人目の勇気ある行動を見て「私やあなた」は何を感じるかだ。「馬鹿なことをしているといって冷笑して逃げて自分の身を守る」ような人の言葉はもう聞き飽きた。

 

それが主流秩序を意識して生きるということの一例である。


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MBSの斎加さんが「教育と愛国~教科書でいま何が起きているのか」で、ギャラクシー賞を受賞

 


毎日放送TVディレクターの斎加尚代さんの「教育と愛国~教科書でいま何が起きているのか」が、ギャラクシー賞を受賞したということです。


前には、ジャーナリスト会議(JCJ)賞も受賞していたそうです。

 

斎加さんは、橋下(大阪維新等)に対して果敢にちゃんと批判的に取材をした数少ないメディア人です。多くのメディアが維新になびいた時に、ちゃんと国旗国歌強制問題などでもそのおかしさを指摘する質問をして、ぶら下がりの記者会見で橋下が怒り狂って攻撃した、その対象者です。ネトウヨは橋下が勝ったといっていますが、安倍と同じく論点はぐらかしで威圧的に抑え込んでいるだけで、明らかに橋下の異常さが分かる対決でした。あの橋下ブチギレ会見の映像は、未来永劫、橋下の正体を示すものとして残るでしょう。

 

 

彼女は、沖縄への攻撃問題も取材し、AIBOの動きも取材し、「館長雇止め・バックラッシュ裁判」も取材し、フェイクニュース的なものやバックラッシュに対抗する報道をしてきました。


MXテレビのDHC「ニュース女子」が沖縄の運動をヘイト的に批判したことに対して、「ニュース女子」がいかに歪んでいるかを取材したMBSドキュメンタリー映像'17「沖縄 さまよう木霊~基地反対運動の素顔~」を作ったのも、斉加ディレクターです。

 

斉加尚代ディレクターは「学校の先生たちがここ数年、とても息苦しさを感じているとの声を聞き、教育現場で何が起きているのかという問題意識から取材を始めた」とし、「『反日』という言葉がいつのまにか私たちの暮らしの奥まで来ているということを取材で痛感した」と述べています。

 

彼女は、バックラッシュを取材し、日本会議系の北川悟司市議会議員や西村眞悟衆議院議員からその本音を引き出して、右翼の正体をあぶりだしました。

 

参考
■おめでとう斉加尚代TVディレクター!

https://frihet.exblog.jp/29528604/

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「野党がふがいない」という決まり文句が間違いという指摘

 

マスメディアではいまだに中立公平的ということで、野党もダメという評価で国民をミスリードすることが多いが、以下の記事のような指摘が一部あることに、希望がある。

 

主流秩序に加担するメディアということがわかっていないメディア人が多いなかで。

 


NHK録画して、党首討論見た。なんという時間の短さ。安倍が馬鹿らしい言い訳して時間をつぶす。茶番。

アメフト関東学生連盟が、一歩踏み込んで判断したのは珍しい。多くは、中立を気どり、相手側から批判されるのを恐れて、あのように一方の側に立つような判断をしない。
そんな中、メディア(コメンテーターという人たちも)は、旧態依然のまま。訴えられて大丈夫かとか、言った言わないになっているとか、どちもどっちとか言っている感覚の人が実はいる。

今回のアメフト関東学生連盟的なスタンスの取り方=ユニオン的 な事の意義が見えていない。
アメフト関東学生連盟と自分の違いが判らないという愚かさ。
日大批判しているけど、主流秩序に乗っかっている「あなた」も日大的な存在なのだということが分かっていない。

内田監督より、安倍首相のほうが悪いでしょ。働き方改革法案も強行採決だよ。嘘を平気でいい、周りにも嘘を言わせてるよ。

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党首討論、議論は本当に「平行線」だったのか? 論点ずらしで逃げる安倍答弁を書き起こしてみた
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180531-00167078-hbolz-soci
5/31(木) 16:00配信

 


 党首討論の開催は一年半ぶりとのこともあり高い関心がよせられたが、安倍首相は論点をすり替えたり、時間稼ぎのために関係ないことを延々としたり陳述、野党側の野次をことさらに取り上げたりといつもどおりの不誠実な答弁を繰り返した。

 首相によるこの種の不誠実な答弁には毎回各方面からの批判が寄せられるが、昨日の党首討論で目立ったのはその様子を伝えるメディア各社の「報道のありかた」への批判だろう。

 

 なにせ、議論から逃げ、まともな答弁を拒否する安倍晋三首相のあの醜悪な姿を目撃しながら、各紙とも「議論は平行線」との論調で報道したのだ。論点をすりかえ逃げ回る安倍晋三の姿勢にこそ問題があるにも関わらず、「決め手に欠ける野党」「議論は深まらない」と嘆いてみせているにだから、痛烈な批判の声があがるは当然ともいえよう。

 例えば、本サイトにも寄稿していただいている千葉商科大学特別客員准教授の田中信一郎氏は次のようにツイートしている。

“「議論は平行線」との見出しを付けた記者は、議院内閣制の原則を知らないと思われます。議院内閣制は、閣僚が国会での質問に、誠実な答弁をすることが前提です。首相に誠実な答弁の責任があります。よって「議論は平行線」は間違いで、正確には「首相は誠実に答弁せず」です。”

 また、朝日新聞Twitterアカウントは「国会で約1年半ぶりとなる党首討論があり、森友学園加計学園などについて論戦が交わされました」とツイートしたが、そこに厳しい目を向けたのは同社OBでもあるジャーナリストの富永格氏。

“いや「論戦」は交わされていない。慣用表現に流れるのはやめましょう。”とお灸をすえている。

 実際に報道された紙面を見ても、限られた紙面ゆえに仕方ないのであるが、安倍首相の答弁は「文章で読んでもわかるように」上手に編集されており、あたかも野党党首陣の質問に当意即妙で答えているかのように見える。NHKに至っては野党党首の質問部分がカットされており、安倍首相が何に答えているのすらわからない始末。

 これでは怒りの声が出るのも無理はなかろう。

 そこで本サイトでは、昨日の党首討論の中から、立憲民主党枝野幸男代表と日本共産党志位和夫委員長の質問及び安倍総理の回答を全文書き起こしをしてみた。

 いったいどのような点で、論点ずらしや時間稼ぎが行われたと批判されたのか、文字で改めて確認してみたい。

◆持ち時間19分の内、12分近く首相が話した枝野質問

以下略

続き
◆「野党は不甲斐ない」という人は国会論戦を見ていない

 この党首討論のやり取りをリアルタイムで確認していた著述家の菅野完氏はこう語る。

「ここ最近、国会論戦をみると、体調を崩すんです。あまりにも明らかなミス、ごまかし、不正に対する指摘でも、『誠実に対応していく』だけで弁明が済んだと押し通してしまう。『野党は不甲斐ない』という声をよく聞きますが、おそらくそういう人は国会論戦を見ていないのでしょう。予算委員会や本会議などNHKのカメラが入る時はまだマシ。テレビ中継のない財政金融委員会や厚生労働委員会での政府側答弁は、不誠実どころか『議論を拒否する』といったもの。ワイドショーや報道番組で紹介される断片的な映像ではなく、生の国会論戦は、それはもう実にひどいものです。昨日の党首討論は、安倍さんもだいぶいれこんでいたのか覇気はありました。しかし安倍さんにあるのは覇気だけ。野党各党首からの指摘への論理的反論など一切ない。あれじゃ、子供が駄々をこねているのと一緒です。森友問題や加計問題を真剣に調べている人なら、あの総理の姿を見て『議論は平行線』などとは表現しないはずです。『逃げ回る安倍晋三』としか表現のしようがないのですから」

 しかし、菅野氏はそうして逃げ回る安倍首相のコメントの中に、見逃せない「失言」があったと指摘する。

「安倍さん、逃げ回るなかでもともと乏しい理性と知性を完全に失っていたのでしょう。ありえない大失言をやらかしています。それは『森友学園の問題の本質というのは、なぜあの値段で籠池氏側に引き渡されたのか、国有地がですね。引き渡されたのかということを、あるいはなぜ小学校として認可されるのかということ』と、『森友問題の本質』とやらを安倍晋三本人が解説してしまった点です。この発言を見ればわかるように、安倍晋三は『国有地売却に、疑義がある』と言ってしまっているのです。これは『確かに、虚偽答弁、文書改竄など事後の対応に問題はあったが、土地取引そのものは問題がない』とこれまで財務省が一貫して主張してきた内容を真っ向から否定するものです。『私や私の妻が関係していたら総理も議員もやめる』答弁に匹敵する、最低の答弁。安倍さんは大きな墓穴を掘ったといえるでしょう」

<文/HBO取材班>

国会からの資料提出要請に、今治市がどういう態度とるかがカギ

 


加計学園」の獣医学部新設を巡り、愛媛県今治市の職員らが2015年4月に首相官邸を訪れ、愛媛県は資料を出しているが、菅良二今治市長は、安倍政権を擁護して資料を出すことを拒否している。

 

加計学園が、「県と市に誤った情報を与えた」と、無茶苦茶なコメントを出したことについて、今治市の菅良二市長は「学園と県、市は一体で取り組んできた。(実際は面会がなかったという)学園の言うことを信じたい」と述べ擁護した。

 

それに対して、国会(参議院予算委員会)が、5月29日に、今治市加計学園との面会の資料を提出するよう要請した。
これにどう対応するかが注目される。


出さないのは絶対におかしい。

 

アメフト問題で、珍しく、ただしい対応が進む中、もっと大きな巨悪の政治では、隠蔽側、ウソを言う側が居座り続けている。

 

 今治市は昨年度から3年間で総額約93億円を学園に補助し、県はうち約30億円を市に支援する予定。
虚偽報告を受けて補助金を出すことも再検討すべきだ。市民は今ア市長の隠ぺいを許してはいけない。もっと声を上げる人がいないといけない。
正直になり真実を語り始めた学生たちに見習うべきことだらけ。

 

 

●森友問題で責任追及 まともなうごき

 

 学校法人「森友学園」への国有地売却に関する交渉記録が廃棄されていた問題で、神戸学院大の上脇博之教授が30日、佐川宣寿・前国税庁長官(60)と財務省職員らに対する公用文書毀棄(きき)容疑での告発状を、大阪地検特捜部に提出した。
 告発状によると、同省理財局長だった佐川氏や職員らは昨年2月以降、学園への国有地の貸し付けや売却に安倍晋三首相の妻昭恵氏が関与したことを隠すため、保管していた学園側との交渉記録を廃棄した疑いがあるとしている。
 廃棄を指示したとして、氏名不詳の政府職員も告発対象とした。上脇教授は「立件されないと公文書の廃棄や改ざんが繰り返され、民主主義が成り立たなくなる」と話した。

 

映画『沈黙−立ち上がる慰安婦』が各地域で上映

映画『沈黙−立ち上がる慰安婦』の情報をお伝えします。ぜひ見ておくべき映画です。

 

UPDATE by アリランのうた製作委員会  

 


全国各地で上映します!
vol.36 05月29日 
全国上映情報
ドキュメンタリー映画『沈黙−立ち上がる慰安婦』が各地域で上映されています。
<2017年/ 117分 /HD /カラー/日本・韓国合同制作/Blu-ray
監督:朴 壽南(パク・スナム) 製作:アリランのうた製作委員会
2016年韓国DMZ国際ドキュメンタリー映画祭特別賞<勇敢な雁賞>受賞
2017年第91回キネマ旬報ベストテン<文化映画>第6位

12月に公開したアップリンク渋谷では3回目のアンコール上映が決まりました。
アップリンク渋谷 6月10日(日)16:00
http://www.uplink.co.jp/movie/2017/49392

※劇場ではクラウドファンディングにご支援いただいた特典チケットがご利用いただけます。
さらに!
映画を見た人が、各地で自主上映会を企画、開催に奔走中です。
ぜひ、お近くの上映会場で本作をご鑑賞ください!

予約・問い合わせ
アリランのうた製作委員会
メール nutigafu@gmail.com
TEL 090-6867-3843

 

●6月16日(土) 13:30開場 14:00上映
会場:北九州市生涯学習総合センターホール/JR西小倉
主催:現代教育研究会・「沈黙」上映実行委員会
問合せ chieko-yes@owa.bbiq.jp 電話090-6635-5919 (野口)
後援:北九州市教育委員会朝日新聞毎日新聞
入場料:前売り1000円/ 当日1300円/学生500円

 

 

●6月24日(日) 13:30開場 14:00上映
会場:ふじみ野市・上福岡西公民館ホール/東武東上線上福岡駅
主催 スペース・ブランチ 
問合せ 090-1609-6251(鈴木)
入場料:前売り1000円/当日1100円/学生500円兵庫県

 

 

 

●元町映画館 http://www.motoei.com/ 7月7日(土)〜13日(金)連日10:00
神戸映画資料館 7月7日(土)〜朴壽南(パク スナム)特集 http://kobe-eiga.net/program/2018/07/4026/

 

 

 

●7月22日(日)10:00/14:00 会場:平塚市ひらつか市民活動センター
広島県横川シネマ http://yokogawacinema.com/ 8月15日(水)〜21日(火)
【沈黙―立ち上がる慰安婦 公式サイト】
https://tinmoku.wixsite.com/docu

 

 

    

 

 

 

 

主流秩序と日大アメフト問題

 

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日大アメフト部の悪質タックル加害生徒は、真実を語るという形で責任をとる(説明責任を果たす)という態度を選択した。

 

 

日大監督や大学、コーチ、口をつぐんできた人々と真逆の対応。

これこそが、未来に向かって自分が誇りをもって生きていく姿勢。

 

 

安倍政権でも政治家や官僚や加計学園理事長など嘘を言う生き方をする人々とは、真逆。


不正をする会社、収賄にかかわる人、文書を偽造したり廃棄して証拠を消す人、謀略に加担する人、フェイク情報を流して平気なひと、ヘイト発言をして平気な奴ら、そんな人ばかりを見せつけられる日々で、非常に珍しく、《たましい》がみえる瞬間があらわれた。そこには、スピリチュアルなものがあった。

 

 

学生の皆さんに、主流秩序のなかでどう生きるかを問いかけるときに、素晴らしい事例となった。

 

誰もが、逆境、苦境においても、自分の失敗においても、態度価値を生み出せる、主流秩序に抵抗する生き方が可能という事例である。

 

私は、この日大の加害学生に敬意を表したい。

 

*****


説明責任とは何か。私ははるか昔に、歴史における個人の役割や自由、必然性と自由、必然性と責任という問題として整理したことがある。

 


そんな基本がわかっていな人が多くて、安倍のような、「最高責任者であるので、すべての責任は私にある」「誠心誠意していく」「調査し説明する」と言いながら何も具体的にしない、口先だけの嘘男をゆるし続ける人が多い。阿部は結果責任も取っていないし、調査もしないし、真実も言わず、平気でうそを言い続けている。ヒトラーと同じである。

 

日大監督も同じ。

「私に責任がある、弁解しない」といいながらなにも言わないのは、まったく説責任を果たしていない。結果責任も取らない。

 

「責任をとる(説明責任を果たす)」ということの一般的内容を簡単に書いておく。

*社会は様々な個人の選択の中で動いているがそれも含めて大きくは社会の必然性という流れもある。
過去に何か問題Aがあったことをすべて正直に明らかにし、別の選択肢Bもあったのに、自分が選択肢A´を選んでしまったところ自分の責任がある。
*そうなったのは自分の思想や考えにこういう問題Xがあったためである。
*そこをYという考え・スタンス・生き方(アドラー心理学でいうライフスタイル)に変えることで、今後、前ととは違う選択をとることができる。
*未来に向けて、いま、これまでの真実を示し、そこから目をそらさず、謝罪し、償い・賠償を行い、日々、改善した態度をとっていくこと、それが、責任をとるということである。


過去、慰安婦問題、戦争問題でも書いてきたことだが、取りあえず、この程度のことを書いておく。

 

 

シンポジウム「大学におけるハラスメントとダイバーシティ」

シンポジウム「大学におけるハラスメントとダイバーシティ

 

紹介しておきます。

 

 

シンポジウム「大学におけるハラスメントとダイバーシティ


日時:6月3日(日) 13:30−16:30


場所:京都テルサ「東館3階D会議室」


http://www.kyoto-terrsa.or.jp/parking/


JR京都駅より南へ徒歩15分

 


地下鉄烏丸線「九条」より西へ徒歩5分 近鉄「東寺」より東へ徒歩5分

 

主催:大谷いづみさんの職場復帰を支援する会

 

趣旨:


女性や障害者や外国人などへの抑圧的、差別的態度がなかなか減らないところか、新たに増幅されているように感じられる。欧米諸国でも新たにハラスメントの認知を求める動きがある。日本では、財務大臣や財務事務次官がハラスメントの事実を認識できないことが明らかになっている。

しかし、良識の府であるはずの大学においても、似たような事態が起こっている。京都の大学で起こったそうした事例にふれながら、なぜ、このような事態が改善されないのか、いや、むしろ事態が悪化しているようにさえ見えるのかについて問うていきたい。

発題者:順序、話題のテーマは仮です。

 


大谷いづみ(立命館大学)「大学におけるハラスメントと被害回復・加害者更生――トラウマ/ジェンダー/障害」


松波めぐみ(龍谷大学等)「障害を持つ教員」と複合差別」


立岩真也立命館大学)「障害者差別とハラスメント」


島薗進上智大学)「大学の変容、力による支配の変容」


司会:
橋口昌治(団体職員)


コメンテーター:
小原克博(同志社大学

小島慶子さんの気合のこもった文章

 

主流秩序、ジェンダー秩序、美の秩序にどうむかうかと投げかけをしている授業をしているなか、それに真正面から答えている小島慶子さんの文章があったので、紹介しておきます。
《たましい》を感じるいい文章です。


https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180507-38032507-nkdualz-life

小島慶子 この社会で、女でいるということの難儀
5/7(月)

 


 吹き荒れるセクハラスキャンダルの嵐のあおりをくって、家庭の中にも隙間風が吹いていないだろうか。何気なく言った一言に妻や娘が「それ、セクハラだよ!」なんて反応するようになって、窮屈な思いをしている男性もいるだろう。でも靴と同じで、最初はきついけどそのうち慣れる。慣れてしまえば歩くのになんの苦もなくなるのだから、「#MeToo 反対!」とか、不毛な行動に出ないでほしい。

 

 

●息子になんてことしてくれるんだ!

 


 以前、こんなことがあった。次男が小学生だったころ、仲のいい女の子ができた。クラスで公認のカップルだ。集合写真を見せながら次男がそのことを夫に告げると、夫はこう言った。


 「そうか、さすがだなあ。その子はクラスで一番可愛いと、パパは最初に写真を見たときから思っていたんだよ」


 次男はキョトンとしている。私はサイレンを鳴らしながら全速力で出動し、すぐさま警告した。
 「ちょっと!なんで息子のガールフレンドについての最初のコメントが外見についてなのよ? 集合写真見てどの子が可愛いか品定めするのは最悪だからやめてくれない?」

 

 夫は、息子のモテぶりを褒めたのに何がいけないの? と心外そうだ。
 緊急出動の理由はこうだ。夫の言葉には、“一番モテそうな女子をゲットする男が偉い”という価値観が滲んでいる。その前提になっているのは“一番可愛い子が一番価値がある”という思い込みだ。写真を見て、女子の容貌をすぐさまチェックし、ははあ、定めしこの子がクラスのアイドルだな、などと値踏みしていたとは実に浅ましい。

 

 

 まあ、目は意識よりも先に動くから、顔立ちの整った子に目が行くのは仕方ないとしても、それをもってクラスの女子を格付けし、あろうことか、彼女ができた息子を祝福するときに「一番可愛い女子をゲットするなんてお前さすがだな」的なコメントをするのは愚の骨頂。大事な息子にいきなりルッキズムとセクシズムを仕込むとは、なんてことしてくれるんだアホ。

 

 

 私の怒りは、しかし伝わらない。夫に限らず、こういうときの大抵の男性の反応は「なんで褒めたのに怒るの?」なのである。
異常に見た目に敏感な環境
 母親のけんまくを前に事態を飲み込めずにいる次男に、彼女のどんなところが好きかを尋ねると、答えは「面白いところ」だった。見た目だってもちろん人を好きになるときの要素の一つだが、面白さに惹かれるのは脳みそに惹かれるということだから、息子にはぜひそちらの文脈で恋愛を語れる人になってほしいと思う。誰かの恋人を褒めるときにも「クラスで一番可愛いね」じゃない言い方をできるようになってほしい。

 

 

 以前この連載でも書いたが、女性でも自分の娘の見た目を貶めるようなことを言う人がいる。「うちの子ブスでしょ、だからうんと勉強させて自立させなきゃ」とか。そう言っている母親がどちらかと言うと美人の部類に入るときの凄まじさと言ったらない。そして「うちの子イケメンじゃないでしょ。だからうんと勉強させなきゃ」とは言わないのである。

 

 

 ある女性は、息子に「とにかくリレーの選手になりなさい」と異常なまでにプレッシャーをかけていた。理由を尋ねたら、足が速いとモテるし、自信につながるからと力説された。いや、息子に刻まれるのは「足が早くないと女性に認めてもらえない」という恐怖だろう。

 人は何をもって評価されるのかという価値基準は、親との何気ない会話の中で刷り込まれる。今思えば、私の育った家庭の人々は異常に見た目に敏感であった。そしてそれはいつも私を怯えさせた。

 

 

 幼稚園の年少の時に描いた運動会の絵が上出来だったので、園の展覧会で母に見てもらうのを楽しみにしていた。園児がくす玉割りだったか玉入れだかをしているシーンを描いたもので、背景には応援している両親も描かれている。構図も細部もよく描けており、先生に褒められた。しかし母の第一声は「やだ、ママはこんなにクルクルパーマじゃないわよ」であった。そこじゃねえよ、という思いと、申し訳ないという思いで言葉もなかった。

 爾来40年あまり、母は一貫している。孫とのテレビ電話でも、画面に映った自分の容姿をやたら気にする。孫の話よりも、孫の服装や髪型に気を取られる。娘に対しても褒め言葉は大抵見た目のことだ。服が良かった髪型が良かったメイクが良かった……。逆もまた然り。そして割れ鍋に綴じ蓋と言おうか、父もまた外見にコメントすることが多い人である。成長期の子供にしつこく「どうしてそんなにひょろひょろ痩せているんだ」とか、思春期の娘に「随分腕にたくさん毛が生えているな」とか平気で言う。

 


そしてやはり誰も気にしていないのに、自分の見てくれを卑下したり気にしたりが忙しい。姉もまた妹に対して「あんたは腿の間に隙間があるからモデルにはなれない」とか(私はなりたいとは一言も言っていない)、「顔が大きい」とか執拗に言い続ける人だった。

 

 

 多分彼らは皆、幼少期に容姿についてあれこれ言われることが多かったのではないかと思う。そして、内面についての賞賛を浴びた経験が少なかったのではないか。だから外見以外に人を評価する基準を持たなかったのだろう。

 

 

 母はいわゆる美人の部類であったが、それを理由にいじめられたと本人は語っていた。父は目鼻立ちが女の子のようだとからかわれたらしい。姉は見た目コンシャスな両親に育てられたのでそうならざるを得なかったのだろう。私はそんな3人の元に最後に生まれてきたものだから、頼んでもいないのに毎日のように見た目についてのコメントを浴びせられて育った。その結果、自意識過剰で人と接するのが怖くてたまらない子どもになった。そりゃそうだよ、気を抜くと何を言われるかわからないし、いつも大抵どこかがみっともないと笑われるに決まっているのだから。

 

 

 そういうものから自由になりたくて、高校時代は随分勉強した。でも私の学力とやる気は勉強だけで身を立てられるほど高くはなかった。ずるっと付属の大学に上がり、就職が見えてきたときに、当時王道だった「数年働いて寿退社」が自分に可能かを考えたら、稼ぎのいい男を奪い合う恋の野戦場で勝ち残れる自信がなかった。だから経済的に自立しようと考え、しかし成績は至って平凡で、90年代前半にそんな私が狙える総合職と言ったらマスコミ、しかも面接重視のアナウンサーしかなかった。

 


見た目から逃れるために、見た目が選考基準の仕事を目指したのだから皮肉としか言いようがない。でもそうやって世間から「美人アナ」と認められたら、見た目を気にしなくても良くなるかもしれないと考えたのだ。なんとおめでたい子どもだったのだろう。
今は女性が見てきた地獄に付き合ってほしい


 当然だが、その仕事は私をさらに苛烈に追い詰めることになった。今まで以上に人に見た目をあれこれ言われ、しかもそれが「好きで人前に出ているのだから何を言われても仕方がない」という容赦ない空気の中で行われた。心底おじさんになりたかった。同じことを言ったりやったりしても、私が若い女じゃなくておじさんだったら、ブスとかデカいとか生意気とか、言われずに済むだろうと思った。

 

 けれど「若くて多少は見た目のいい女子」であることによって、同年代の男性に比べて、はるかに優遇されたのも事実だった。同じ待遇で雇われているにもかかわらず、評価の基準は男女で全然違った。若いうちは断然、女が有利だった。ただ若い女であるというだけで。

 

 

 人は見た目で評価されるという恐怖に加えて、女は女であるというだけで生鮮品のように値がつけられることを知って、私はつくづく生きるのをやめたくなった。15年にも及んだ摂食障害はそうしたしんどさから逃れるための自傷行為だったし、その後の不安障害は、結婚して唯一の理解者だと思っていた夫がやはり女性の性をモノのように扱うことに抵抗のない人物だと知ったことがきっかけだった。女であることは、どうしてこうも絶望と隣り合わせなのか。

 

 

 で、はじめに戻る。もしもあなたの妻がここ最近急にセクハラに敏感になり、ちょっとした言葉の端々にも目くじらを立てるようになったのなら、影響されやすい女だなどと侮ってはいけない。この社会で女をやるということは、セクシズムやルッキズムやエイジズムにさらされ続けることであり、長年蓄積された悔しさがあるのだ。まして男性が多数派を占める職場で働いてきた女たちには、その価値観に適応せざるを得なかった「汚れちまったあたし」の負い目がある。幾重にも引き裂かれ、憎むべき価値観に同化することでしか生き残れなかった女たちの怨嗟が、今ようやく言葉を得て表出しようとしている。

 

 

 ふとした一言にキッとなるときの妻は、あなたの発言に、過去に出会った男たちの片鱗を感じている。夫は、復讐のための憑座(よりまし)である。あのとき、あいつに言ってやりたかったことや、ずっとため込んできた思いをぶつけるために、妻はあなたに「男」を降ろしているのである。

 

 

 とんだ濡れ衣だよと思うかもしれない。実際難儀なことだろう。でも、話を聞いてみてほしい。彼女が見てきた風景を、今もその目に映っているこの世の有様を、あなたは知らない。もちろん男には男のつらさがあろう、それを軽んじるつもりは毛頭ない。だから、今は女性の見てきた地獄にじっくり付き合ってほしいのだ。

 

 

 そして想像してほしい。この社会で、女をやるってことの負荷の高さを。もしも娘がいるのなら、それを彼女にも強いたいだろうか? 答えがNOなら、今まで「そんなことくらい」「そういうものでしょ」で済まされてきた、女性への敬意を欠いたあしらいに対して「それはおかしい。もうやめよう」と、どうか一緒に言ってほしい。半径2メートルから、世界を変えることはできるのだから。
 
以上

 

慰安婦問題集会

 

慰安婦問題でねつ造記者とされた植村記者の裁判についての、報告集会の動画がアップされました。


参加したかったので、見れてよかったです。おすすめです。

 

 

「動画紹介-植村裁判報告集会(2018年4月25日)」

https://blog.goo.ne.jp/01780606/e/82ba66091c669d95de46542ffb8996a2

 

 

動画紹介-植村裁判報告集会(2018年4月25日)


2018-05-01 15:04:21 | 慰安婦公娼制・人身売買など



また「札幌第11回■詳報」(http://sasaerukai.blogspot.jp/2018/03/11_25.html)も参照してください。

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慰安婦
従軍慰安婦 (岩波新書)
吉見 義明
岩波書店
慰安婦」問題と未来への責任 : 日韓「合意」に抗して
リエーター情報なし
大月書店
慰安婦問題」を子どもにどう教えるか
平井 美津子
高文研
海を渡る「慰安婦」問題――右派の「歴史戦」を問う
山口 智美,能川 元一,テッサ・モーリス‐スズキ,小山 エミ
岩波書店
日本軍「慰安婦」制度とは何か (岩波ブックレット 784)
吉見 義明
岩波書店
慰安婦」問題の現在―「朴裕河現象」と知識人
前田 朗,徐 京植,今田 真人,鈴木 裕子,能川 元一,早尾 貴紀,金 富子,キャロライン・ノーマ,許 仁碩,金 優綺,李 在承,李 娜榮
三一書房
司法が認定した日本軍「慰安婦」―被害・加害事実は消せない! (かもがわブックレット)
坪川 宏子,大森 典子
かもがわ出版
台湾総督府慰安婦
朱 徳蘭
明石書店
慰安婦」・強制・性奴隷: あなたの疑問に答えます (Fight for Justice・ブックレット)
リエーター情報なし
御茶の水書房
日本人「慰安婦」―愛国心と人身売買と
リエーター情報なし
現代書館
日本軍「慰安婦」にされた少女たち (岩波ジュニア新書)
石川 逸子
岩波書店
慰安婦」問題と戦後責任―女性史を拓く〈4〉 (国立市公民館女性問題講座「歴史」)
鈴木 裕子
未来社
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労働運動の崇高な精神と悲哀を描いた「錐(きり)」

労働運動の崇高な精神と悲哀を描いた「錐(きり)」

 

 

韓国テレビドラマ『錐(きり)』をみた。ウェブマンガを原作とした韓国Ttvドラマで、2015年制作で、素晴らしい作品だ。

 

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る大型スーパーマーケット”プルミ・イルドン”で、経営側は、リストラのために、中間管理職たちに、労働者いじめめをさせる。


抵抗する者たちは労働組合を作り戦うが、事は簡単ではない。それは人間的な崇高な精神の面もあるが現実の前で立ちすくむ場面がたくさんある。

 

中間管理職のスインは、労働者いじめ、リストラに加担することを拒む。主流秩序への抵抗のスタンスだ。

 

彼は素人ながら労働組合を組織し、労働相談所長ク・コシンと共に、不当なリストラ攻撃に戦いを挑んでいくが。

 

けっして弱者が勝つ、分かりやすくスカッとする話ではない。現実をベースにしているので、むしろ、こんなに苦しいなら労働組合などで戦わずに、逃げたり、積極的に従属したり、あきらめたほうがいいとおもえるような状況だ。負けの連続。


きれいごとが通じない世界。

 

主流秩序に抵抗するより従属したほうがいい、それが弱者のリアルだという側面もあるという話。

 

それでも・・・、という、この暗黒社会での人の在り方を見つめた作品だ。

 

先端となって戦うもの。それは”錐”のようにとんがった部分だ。それは社会に風穴を開けることができるのだろうか。むしろたたかれて折れる部分なのか。

 

戦う労働者に過度に清廉潔白を求めるな
情けない弱者が情けない強者と闘うのだ。
完ぺきな弱者を助けるんじゃない


エリートでない人々をみくびるな。

エリートが手助けしなくても戦える。
信じろ

 

負けたとき、怖いのは誰もいないこと
そのときそばにいてやれ

 

人は裏切る。逃げる。


いや、「いいところに行けばいい人になれる」
それは本当か?

 

みな、必死で生きている。会社、主流秩序に加担するひどい中間管理職の人たちも。
それは拷問に加担した末端役人と似ている。

 

過去に自分を拷問した人を許せるか。どう接すればいいか。

加害者行為をしたものを許せるか。

 


韓国の、マルクス主義的左翼的な「古い」労働運動の側面と、素晴らしい精神の側面の両方がないまぜになっての、過渡期の苦悩の中での闘いの記録。

こんな作品がつくられる社会と、まったく見えない日本社会との差が浮き彫りになる。


もちろん、日本でも、個人加盟ユニオンなどは同じようなことをしているが、テレビドラマには絶対にならない。

この作品を見て、感じるところがある人がどれだけ日本にいるだろうか。

 

財務省官僚にも自民党政治家にもわからない世界。

彼らにはみえない。

財務省トップ セクハラ事件で、被害女性記者は名乗り出れないか

 

財務省のトップがセクハラしたとされる件で、財務省が被害女性記者に名乗り出てほしい、調査に協力してほしいといったことに対し批判が相次いでいる。

 

セクハラが分かっていない、記者の立場をわかっていない、財務省と会社の関係が分かっていない、個人攻撃される、守られないということでその批判はおおむね正当だ。

財務省側が名乗り出れないとみて攻撃した、恫喝だというのはそのとおりと思う。

 

 

そのうえでの意見。


記者・ジャーナリストが、取材中に財務省トップの相手に殴られたとしよう。この件を被害届を出して裁判にしたり、記事にして批判することは、無理だろうか。間違いだろうか。

 


取材源を明かしたということで記者生命は終わるか。いや終わらない。取材であろうとおかしなことは訴えてもいい。それでこの記者は信頼できないとなるか。会社は財務省にいじめられるか。ネットなどでたたかれ個人攻撃されるか。


様々な可能性はあるが、ここは東京新聞の望月衣塑子(いそこ)記者のように、立場を決めて、戦う記者になってほしいと思う。名前がさらされてたたかれるのは今の時代、避けられない。皆がそれができるとは思わないが、そうする記者がいてもいい。

 


被害を名乗り出れない人がいるのはわかるが、名乗り出て裁判してもいい。
今回は別のルートで、完全に名乗り出る以外の形で裁判したり、調査にかかわってもいい。もちろん、中立公正な第3者機関の調査で。


無理だというのは、一面的な決めつけと思う。

 

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「ネット右翼でした」

 

以下のエッセイ、今の若者の右傾化が分かる面がある記事。


https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180402-00000003-ryu-oki


ネット右翼でした」 沖縄に暮らし、記者になって思うこと

 

4/2(月) 11:19配信
 

編集局内にある文化部教育班のブースで原稿を書く塚崎昇平記者=3月27日午後、那覇市天久の琉球新報社


ネット右翼でも変わることができるんだということを示したかった」と話す塚崎昇平記者=3月27日午後、那覇市天久の琉球新報社

工事資材を搬入する車両にプラカードを掲げ抗議する市民ら=2018年2月16日午前、名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブゲート前(塚崎昇平撮影)

「止めよう新基地建設!みんなで行こう、辺野古へ。8・23県民大行動」に参加した琉球大学大学院在籍当時の塚崎昇平記者=2014年8月23日午後、名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブゲート前

ヘリコプター発着場(ヘリパッド)建設に反対し、抗議の座り込みをする市民らを囲む機動隊員=2016年10月20日、東村高江の米軍北部訓練場メーンゲート前(塚崎昇平撮影)(画像の一部を処理しています)

資材搬入を阻止しようと座り込み、警察に強制的に移動させられる市民ら=2017年6月7日、名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブゲート前(塚崎昇平撮影)(画像の一部を処理しています)

飛来したオスプレイにプラカードを掲げて抗議する市民=2016年12月23日、東村高江の米軍北部訓練場メーンゲート前(塚崎昇平撮影)

(写真:琉球新報社) 2018年3月25日、琉球新報に掲載された1本の記事がインターネット上で話題を集めました。公式サイトに掲載された訳ではありませんが、新聞記事の写真がツイッターフェイスブックで拡散され、個人ブログなどで紹介する人も続出し、賛否両論を巻き起こしたのです。


話題となった記事は、入社2年目の塚崎昇平記者(26)が書いた「ネット右翼でした」というタイトルのコラム。琉球新報の記者が「ネット右翼」だった過去を告白する内容は、ネットでの反応を見る限り大きな関心を呼んだようです。「記者ですが」というコーナーは2017年6月4日から毎週日曜日に掲載している記者のコラムです。記者たちの素顔を垣間見ることができると好評で、開始以来42回を数えます。

なぜ「ネット右翼」だった彼が琉球新報の記者になったのでしょうか。どのような心境の変化、葛藤があったのでしょうか。「伝えきれなかった思いがまだあるはずだ」と思い、塚崎記者にインタビューしました。


ネットで考えを固めていた高校時代

―なぜコラムに「ネット右翼だった」ということを書こうと思ったのですか。

題材については教育担当(当時)として教科書問題のことなど幾つか候補がありました。その中で自分にしか書けないことは何だろうと考えました。そういえば、琉球新報社内で「自分はネット右翼だった」と公言しているのは私ぐらいだなと思ったんです。であれば、なぜ自分が「ネット右翼」だったのか、そして、考えが変わったのはどうしてなのか、ということを伝えたいと考えました。

―「記者ですが」は冒頭、「学生時代、私は『ネット右翼』だった」と書き出しています。なぜ、自分を「ネット右翼」と定義したんですか。

ネット右翼」という言葉も定義はきちっと定まっているものではないと思います。ただ私が思う「ネット右翼」の定義としては、現場に行かないで、例えばインターネット上の情報で自分の考えを固め、「右」的な考えをネットで発信するというものではないかと考えました。そういう意味で、自分は「ネット右翼」だったと思っています。例えば、ネット上などでよく言われているように「中国や北朝鮮を抑えるため、沖縄には基地が必要だ」という意見などです。日本政府はそう説明しますが、私も過去、それを無批判に受け入れていました。


ファクトチェックされていない情報うのみに

―影響されたネット上の情報というのはどのような内容ですか。

ファクトチェックを受けていない根拠のない情報や、個人の考えがそのまま載ってしまっているブログなどです。ある意味、事実と反する情報でもネットではそれなりに影響力を持つ場合があります。ネットだけでなく、本を読む際にも自分に都合のいい情報だけを集めていたように思います。

防衛大学校の方が書いた本や防衛省が発行している防衛白書なども読んで、自分の考えをまとめていました。ネットだけで情報を得ていたわけではありませんが、自分の考えを補強するために本なども読んで「私の意見は論文に基づいた考え方だ」と誇示していた、ということに近いかもしれません。


「ミリタリー好き」が入り口に

―自分が「ネット右翼」だと感じたのはいつごろからですか。

小学生のころはイラク戦争に反対していた覚えがあります。明確なきっかけはありません。高校時代までは大分県で暮らしましたが、今考えると高校の後半ぐらいからいわゆる「ネット右翼」のようなことをしていたと思います。自衛隊の航空ショーに出向くなど戦闘機や戦車などミリタリー(軍事)に関するものに興味がありました。いわば「ミリタリーおたく」です。「ミリタリー好き」から安保への興味につながりました。「ネット右翼」になったのも、自分の場合はミリタリー好きが関係していたのかと思います。

―「沖縄には基地は必要だ」という考え方を持っていたと言っていましたが、「沖縄に基地は必要ない」という意見があることは知っていましたか。

それはもちろん把握していました。私が琉球大学に入学するために沖縄に来たのは2010年4月で、現在8年目になります。米軍普天間飛行場の県内移設に反対する県民大会(2010年4月25日)の前後だったと思います。その当時は民主党政権で、いったん白紙にされた米軍普天間飛行場の移設先について、数日ごとに新たな候補地が示されていくような時期でした。

せっかく自民党政権が苦労して名護市辺野古に移設先を決めたのに、なぜひっくり返すようなことをするんだろうと感じていました。


「沖縄には米軍基地が必要だ」を確かめるため

―進学を機に沖縄へ。琉球大学に進学した理由は何ですか。

「沖縄には米軍基地が必要だ」と思っていたので、それを自分の目で確認したいという気持ちがありました。政治や国際関係を専攻し、最初は「ネット右翼」のスタンスを維持していました。自分なりに正しいと思っていた国家論を振りかざしていましたね。

友人からは「地に足が付いていない」とよく言われていました。「おまえは沖縄に根ざしていない。沖縄にいる意味はないのではないか」というような内容のことを言われた記憶もあります。大学時代の友達に会うと今もからかわれますね。「あのおまえが琉球新報に?」と言われることも少なくありません。


琉球新報の論調に怒りさえあった

琉球新報に入社しましたがメディア志望だったんですか。

なんとなくマスコミに入りたいと思っていました。イラク戦争の時、米軍と共に行動しながら取材している記者のテレビ番組を見た時に、マスコミに興味を持つようになりました。いろいろな人に話を聞くことは楽しいだろうなと思い、新聞記者になりたいと考えるようになりましたが、直接のきっかけは思い出せません。ただ当時、琉球新報への入社は考えてもいませんでした。

―当時、琉球新報についてはどのように思っていましたか。

ちょうど大学時代に東日本大震災があり、米軍の「トモダチ作戦」に共感を覚えていました。琉球新報は「トモダチ作戦」について米軍が自分たちの宣伝活動に使っているのではないか、と思われるような論調で報道していると受け止めていました。「現場の人たちは頑張っているのに何を考えているんだ」と怒り、そういう思いを自分のツイッターに書き込んだ記憶があります。


「論破してやろう」と辺野古・高江へ

―「記者ですが」に、「考えが変わり始めたのは友人と訪ねた辺野古や東村高江の現場を目の当たりにしてからだ」とあります。大学時代には辺野古や高江の現場をよく訪ねたんですか。

はい。大学3年だった2012年の夏、ヘリパッド(ヘリコプター発着場)造成に対する反対運動が行われている東村高江の現場に足を運びました。座り込んで反対運動をしている人たちが何を考えているんだろう、ということに興味がありました。ただ、あわよくば、座り込みをしている人たちの考えを論破してやろうという思いもありました。

座り込んでいる人に声をかけ、活動をしている理由について尋ねると「生活を守るためにヘリパッドを造らせない」ということでした。米軍が沖縄に駐留していることについて、座り込んでいる人が「米軍の力に頼るのは疑問がある」と言ってきました、それに対して私は「中国の公船が尖閣諸島の近くに入ってきているし、北朝鮮もミサイルを打ち上げている。米軍の力があるからこの程度で済んでいるのではないか」と反論しました。そうしたら、後方で話を聞いていた高江に住む男性から「おまえは違う」とぴしゃりと言われました。

自分が考えていることを主張して、「間違っている」と面と向かって指摘されたことは友人以外では初めてでした。その後のやりとりは覚えていませんが、現場に向き合い続けている人の言葉だったからこそ、心に突き刺さったのだと思います。もんもんとしたものを抱えたまま現場を離れました。


現場を知り、見えてきたこと

―それが変わるきっかけになったということですか。

それをきっかけに時々、辺野古の現場にも行くようになりました。新基地建設に反対する集会にも足を運びました。男性から指摘された後は、もんもんとした思いを持ちながら授業などで沖縄の歴史を学ぶことになりました。住民が名護市辺野古に米軍キャンプ・シュワブを誘致したわけではないということにも気づくことができました。

ただ、大学3、4年だったこの時期は、人に指摘されたからといって自分のスタンスを変えるのは嫌だなとも思っていました。その頃、ちょうど、自民党の安倍政権が誕生し、特定秘密保護法集団的自衛権などの政策を次々と進めていきました。それらは日本の国の形を、比喩ではなく、「戦争ができる国」にしてしまうのだろうなと思うようになりました。そして、そのような流れの中にある「沖縄」について考えるようになりました。

それと同時に安倍政権は沖縄県民が強固に反対している米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設について、県民の声を無視する形で強引に推し進めようとしていました。こんなに沖縄の人たちがあらがい続けているのにそれが通らない、県民が反対しても強行するというのはおかしくないか、と思い始めました。この頃になると、自分のスタンスを維持し続けるのが論理的なことだけでなく、精神的にも苦しくなってきました。それなら、考えを変えた方が自分に正直ではないかと思いました。

そんなとき、2014年8月25日に米軍キャンプ・シュワブゲート前で開かれた県民集会(止めよう新基地建設!みんなで行こう、辺野古へ。8・23県民大行動)に足を運びました。琉球大学大学院人文社会科学研究科1年のころでした。その際、琉球新報の記者に取材され、記事として掲載もされました(2014年8月25日付21面)。振り返ると、いわゆる「ネット右翼」というスタンスから完全に離れたのは大学院生時代だったと思います。


「反対」の根底にある沖縄戦

―学生時代に沖縄戦のことを学んでいたんですか?

大学では安全保障などを研究していたので、沖縄戦は教養の講義で学ぶ程度でした。ちょうど高校1年生のころ、文部科学省の高校歴史教科書検定で、沖縄戦における「集団自決」(強制集団死)の日本軍強制の記述削除・修正された問題で、教科書検定意見の撤回を求める県民大会がありました。

当時は大分県の高校生だったので、あまり記憶にはありません。その後の文科省と県内の対立ややりとりにも特段関心はありませんでした。ですが、大会で高校生の代表2人が「この記述をなくそうとしている人たちは、沖縄戦を体験したおじい、おばあがうそをついていると言いたいのだろうか」と言っていたことだけはテレビで見て、鮮明に覚えています。同世代の訴えだったからこそ、沖縄に特段関心のなかった当時の私にも、響いたのかもしれません

沖縄戦のことをきちんと知るようになったのは入社してからです。入社後に教科書検定があり、文化部の教育担当になった私が沖縄戦に関する記述について、記事を書くことになりました。当時の教育担当キャップに原稿を見せたら、「君は安保のことは詳しいかもしれないが、沖縄戦のことは何も分かっていないな」と言われました。がつんときました。

入社二年目には、ちょうど教科書検定の県民大会から10年ということで、「集団自決」(強制集団死)のおきた渡嘉敷島に出向いたり、東京で教科書執筆者や編集者を取材したりして、当時を振り返る記事を書きました。当時の新聞記事や資料を読み込んでから取材をしましたが、その取材の原動力となったのも、当時の教育キャップの言葉だったと思います。

辺野古の現場などに足を運ぶと、座り込んでいる人が沖縄戦について話してくれることがあります。沖縄戦の記憶は、体験した人の記憶だけではなく、ある種世代を超えて共有されているのだろうと思います。それが脈々と残っているということが、私を変えた一因にもつながっているような気がします。


現場でデマだと実感

―「記者ですが」には県民大会に参加した際、「ネット上のデマが現実離れしていると感じた」と書いています。

「反対運動をしているのはお金をもらった人々」というデマです。現場に足を運ぶと、現場を見ていない人が言っているんだなということが分かりました。現場には家族連れも普通の学生も、いろいろな立場や世代の人がいますから。

辺野古のゲート前で一日取材をして記事を出すと、どうしても内容は抗議行動をしている市民らが警察に排除されるというようなことを伝える内容になりがちです。ですが実は現場はずっと緊迫している訳ではありません。大学の講義で「座り込みの時間の多くは暇だ」と言われたことを思い出しました。楽しげに歌を歌ったり、踊りを踊ったりして楽しげな雰囲気に包まれることもあります。


中国の人に会ったことない

―お金をもらっているから反対運動をしている、というネット上の言説に対しては間違いだと思いますか。

はい。むしろ現場に来るためにガソリン代やバス代などの負担は大きいと思います。ネットではよく中国などの勢力がお金を出して運動を扇動し、日米安全保障体制を崩そうとしている、とか、現場には中国人や韓国人がいっぱいだ、という記述をよく目にします。実は私もそのように思っていた時期もありました。でも、私自身は辺野古や高江の現場に足を運んで中国の人に会ったことは一度もありません。もし、いたとしても一市民として、この状況が問題だと思って参加しているんだと思います。

ニュース女子」(東京MXの番組)で高江の現場について「中国人はいるわ、韓国人はいるわ」と伝えていました。番組を見て「本当に現場に行ったことがあるのか」と怒りを感じました。ただ、昔だったら信じてしまっていたのではないか、もしかしたら喜んでその主張に飛びついていたのではないか、とも思います。

両論併記についても昔は双方の意見をしっかり書くべきだと思っていました。でも今は、圧倒的に力の差がある中で両者の中間に立つということが本当に公平なのか、ということだと考えるようになりました。


批判は真摯に受け止める

―今回の「記者ですが」はかなり反響がありますね。どのように感じましたか。

「記者ですが」について意見が書いてあるツイッターなどSNSを数多く見ました。「こいつは何も反省していない」「自分は変わることができて良かったね」などという批判もたくさんありました。「ネット右翼で多くの人を傷つけていたことについての反省はないのか」という内容の指摘もありました。

確かに私は「ネット右翼」だった当時、特定の個人を「極左だ」とかレッテルを貼って周りの人に話をしていたことがありました。人を殴ったり、お金を盗ったりした訳ではないので、コラムが紙面に掲載されて、そうした指摘があるまで、私に罪の意識は正直ありませんでした。人を傷つけたという意識もありませんでした。だからこそ、「反省はないのか」などの批判は真摯(しんし)に受け止め、胸に刻みつけておかなければいけないと思っています。

ただ今回、批判も予測しながらも「ネット右翼でした」というタイトルでコラムを書いたのは、こんな私だからこそ、伝えられることがあるのではないかと思ったからです。

―「ネット右翼」と呼ばれる人たちからの反応もあったとか。

「『ネット右翼』だったと言っているのは嘘だろう」というような批判もありました。それに対しては「はい。ネット右翼でした」と答えます。「シールズの元メンバーだ」というような指摘もあります。私は大学院生時代、「ゆんたくるー」(若い世代に基地問題の現状を知ってもらおうと活動している県内の大学生らでつくるグループ)の集まりに参加したことはありますが、メンバーではなかったし、シールズのメンバーになったこともありません。ただ、もしシールズの元メンバーだったとしても特に問題はないと思います。

「実名を書いて言うことは勇気のいることだと思う」という内容の反応もあり、救われた思いもしました。いろいろな反応の中で、「『対話は意味がないものではない』と気付かせてくれたのはありがたい」という内容のものもありました。

人の思想を「左」「右」にレッテルを貼って分けることには違和感を覚えています。自分と違うスタンスにいる人に対しても意見を言ったり、意見を聞いたりすることは意味のあることだということを感じてくれた人もいたようです。


互いの〝レッテル〟を乗り越えたい

―「記者ですが」掲載後の反響などを踏まえ、今どう感じていますか。

批判はあると思いますが、書いたことを後悔はしていませんし、別の題材で書けば良かったとも思っていません。4月から北部報道部に配属されますが、北部に行くに当たっての決意表明でもありました。

―「記者ですが」では、「かつて私のような人たちに現場の状況を理解してもらえるか、考え続けている」と結んでいます。

どんな立場や考えの人であっても、事実に基づいた力ある記事なら、人の心にちゃんと届くと思います。記事をきっかけに、例えば「一度ぐらいは辺野古の現場に足を運んでみようか」とか「現場に行った人に話を聞いてみようか」など、少しでも何かしらの行動につながればいいと思っています。

〝現場〟に行くことなど考えてもいなかった人や、「ちょっと怖そう」と思って敬遠している人も多いかもしれません。私が現場に行ったのは逆に、座り込みしている人を論破しようと思っていたということもあります。残念ながら、「琉球新報は左だ」などというレッテルが貼られているのも事実です。そのレッテルに邪魔されて、書いたことが真っすぐに届いていないと感じて苦しくなることもあります。

そんなレッテルは、私たちから打ち破る必要もあるかもしれません。そして、もしかしたら異なる立場から打ち破ってくれる人もいるかもしれません。

今さらですが「ネット右翼」という表現も、一つのレッテル貼りなのでしょう。そんな言葉こそが、対話の機会を遠ざけている要因の一つなのかもしれません。私が『ネット右翼だった』と自認すること自体も、過去の私にレッテルを貼る行為なのかもしれません。いつの間にかつくりあげてしまった〝レッテルの亡霊〟に邪魔されて、対話ができないような事態を飛び越えられるような記事を書いていくことができれば、と考えています。

そのためには私自身も、レッテルの亡霊から解き放たれる必要があるのだと考えます。今回のコラムがいろいろな論議を呼んだことも含めて、私自身がレッテルの亡霊から離れる一歩になったと考えています。


~ プロフィル ~

塚崎 昇平(つかざき・しょうへい) 琉球新報社北部報道部記者。1991年、大分県生まれ。大分県内の高校から沖縄県琉球大学に進学。2016年に琉球大学の大学院を修了し同年琉球新報社に入社。2018年3月まで文化部で教育を担当。同年4月1日から米軍普天間飛行場の移設問題などを抱える名護市を管轄する北部支社に配属となった。

 

〈インタビューを終えて〉

同僚に1時間30分近くインタビューするなんて約20年の記者生活の中で初めての経験でした。日米安保に詳しいことは入社当時から聞いていましたが、かつて「ネット右翼」だったということは最近初めて知りました。

新聞記者も一人一人、いろいろな考え方を持っています。細かい点では言い合いになるほど考え方は多種多様です。そのような記者が取材相手と向き合うことでいろいろなことを学びます。塚崎記者は入社2年目。私も同じですが、沖縄戦基地問題だけでなく、まだまだ取材などを通して知らなければいけないことが山積みです。

自分の考え方が変わってしまうような瞬間に接することが、記者には幾度となくあります。「ネット右翼」だったと自認する塚崎記者だからこそ、異なる立場や考えの人々と語らい、多くの人の心に届く記事を書いていけるはずだと信じています。


~ 聞き手 ~

宮城 久緒(みやぎ・ひさお) 1996年琉球新報社に入社。編集局付。写真部、社会部、運動部、政治部、北部報道部、東京報道部などを経て4月からデジタル編集担当。

 

2018年3月25日 オピニオン面掲載

北朝鮮報道の偏りを見直すことを求める署名

 

紹介しておきます。

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 マスメディアによってつくられたステレオタイプの差別的「北朝鮮像」が、在日朝
鮮人に対する迫害を当然視するような社会の風潮を生み出す大きな原因となっている
と私たちは考え、以下のキャンペーンを始めました。
 是非、以下のchange.org(チェンジ)から、インターネット賛同署名をお願い致し
ます。
 
 リンク(短縮URL)→ https://goo.gl/Q2SG7J

 

えひめ教科書裁判を支える会
メールアドレス:taka_omoshiro@yahoo.co.jp

 

……………… 以下 要請書(要約)です。

 

 

 在日朝鮮人に対する迫害の原因となる差別的「北朝鮮」報道を止め、
 公正で客観的な報道を求める 要請書 

●政府やマスメディアによって つくりだされた「北朝鮮」イメージ

 去る2月23日、在日本朝鮮人総連合会朝鮮総連)中央本部への銃撃がなされまし
た。実行犯は「北朝鮮のミサイル発射が許せなかった」と供述したといいます。
 在日朝鮮人に対する差別・迫害はこれまでも恥ずべきものでしたが、近年、それ
は、社会の前面で公然と行われるようになってしまっています。
 さらにその言動は暴力化し、街頭で「堂々と」「朝鮮人を殺せ」と叫び、朝鮮学校
を襲撃する・・・、このような行為の多くは「北朝鮮」―朝鮮民主主義人民共和国(以
下朝鮮)を理由として行われています。それが誰の目にも明らかな差別・暴力行為で
あっても、「朝鮮(の核・ミサイル問題)」と関係づけたならば許されてしまうよう
な状況が、この社会でつくり出されているのです。人の生命まで奪う可能性のあった
朝鮮総連への銃撃は、このような状況の中で引き起こされました。

 


 一方、政府による、 「高校無償化法における就学支援金支給措置」から朝鮮学校
生のみを排除するという公然とした差別を、政府は、朝鮮や朝鮮総連に関わることを
理由にして正当化 しています。

 

 

 植民地時代以来続いていた朝鮮人差別が上記のような状況にまで到った大きな原因
に、政府やマスコミがつくり出したステレオタイプな「北朝鮮」像(イメージ)があ
ります。その、朝鮮に関する報道の多くは、事実や資料に基づく客観的な内容ではな
く、「日本を攻撃しようとしている危険な国」・・・等のイメージ、先入観を前提にし
たものとなっています。その結果、それが、朝鮮に対する憎悪や脅威を煽るものとな
り、在日朝鮮人が迫害されやすい社会状況をつくり出す大きな原因になったのではな
いでしょうか。

 

 

● 「北朝鮮」をめぐる 核・ミサイル問題の実態

 

 

 90年代から始まるいわゆる「朝鮮半島核危機」以降、米朝の間では大きな合意が二
度、成立しています。「朝米基本合意書」(1994)と「第四回六者協議共同声明」
(2005)です。どちらの場合も、朝鮮の核開発の中止とアメリカが朝鮮を核攻撃(侵
略)しないことがセットの形で妥結しています。このことからわかるのは、互いに攻
撃の可能性があるのではなく、アメリカの側にその可能性があり、朝鮮の側がその
「脅し」を受けているということです。朝鮮の核開発がアメリカからの攻撃を防ぐた
めの「抑止」的なものであるということです。

 


 これまで朝鮮は一度も他国を攻撃(侵略)したことはありません。一方、アメリカ
は絶えずそれを行って来ているという事実も、私たちは想い起こすべきでしょう。
 現在、アメリカと朝鮮は、1953年の朝鮮戦争「休戦協定」による休戦状況にあっ
て、敵国同士の関係のままにあります。アメリカはその「協定」の規定を守らぬま
ま、韓国に軍隊を置き続け、朝鮮を攻撃する意図があることを公式に表明しながら、
朝鮮に対する核攻撃を前提にした米韓合同軍事演習を繰り返しています。一方、朝鮮
は、これらへの対抗措置をとりながら、「休戦協定」以降一貫して、これを平和条約
に変え、国交を正常化することを求め続けていますが、アメリカは応じて来ませんで
した。

 


 つまり、いま、「北朝鮮の脅威」として騒がれている問題は、アメリカが朝鮮を決
して攻撃しないという確実な保証があれば解決される問題なのです。東アジアの状況
を平和へと転換していく道は、休戦協定を平和条約にかえ、米朝国交正常化を行うこ
との中にこそあります。

 そもそも朝鮮半島の南北分断―対立は、日本の朝鮮植民地支配にその歴史的原因が
あるのですが、政府は、首脳会談などの南北友好への動きを敵視し、それを逆行させ
ようとしています。報道も、「北朝鮮の『ほほえみ外交』に騙されるな」が基本トー
ンです。

 


 また政府は、朝鮮に対し植民地支配の清算をいまだ行っていませんが、そのような
責任などまるで存在していないかのように朝鮮に対し、戦争というゴールしか持たな
い「圧力と制裁」のみを行ってきました。政府がすべきは、植民地支配の清算とそれ
に基づく国交正常化です。それを行えば、日朝の危機・対立関係は自ずと解消される
のです。

 


●暴力・迫害を正当化しない社会に向けて

 

 

 上記の「米朝・日朝関係」の実像は、簡単に入手できる公式文書を読み、歴史的経
緯を調べれば見えて来るものです。しかし、ほとんどの報道姿勢は、朝鮮を「理性の
通用しない何をするかわからない国、対話に値しない国」とする差別的「立ち位置」
からの報道でした。そうした朝鮮イメージが、在日朝鮮人に対する暴力―迫害を正当
化し、当然視するようなこの社会の風潮を生み出したのではないでしょうか。

 

 各報道関係者には、このことの責任を痛感され、これまでの朝鮮関係の報道が差別
や偏見に基づくものではなかったか、ダブルスタンダード的なものでなかったか、客
観的事実に依拠してその検証を行っていただきたい。そして、平和へと大きく動き出
した東アジアの状況に対して、ステレオタイプの「北朝鮮像」に依拠することなく、
また、偏狭な自国中心的立場に陥ることのないよう、歴史と客観的事実に基づく公正
な報道をしていただくよう、要請いたします。

以上   

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Okumura Etuo
kimagure53998@yahoo.co.jp