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岸田政権の人権感覚のおかしさーー杉田議員を「総務政務官」に任命

岸田政権の人権感覚のおかしさーー杉田議員を「総務政務官」に任命

 

2022年8月18日 

 

岸田政権の人権感覚のおかしさが杉田議員を「総務政務官」に任命したこと、簗和生氏を文部科学副大臣にしたことであらわになった。

特に、杉田議員、この自民党内でも最も極右で差別主義者の議員を自民党から除名すべきであるのに、しないどころかいっていの評価を与え仕事を与えるとはとんでもない。岸田首相は、なぜこのような人物をあえて登用したのか、説明すべきである。

 

以下のように、平気で「統一教会と関係ない」とのべているが、そのうち問題がいろいろばれて馬脚を現してしまうであろう。岸田首相は、こんな人物を任命した責任を問われるべきである。

 

杉田議員がこれまでいかにひどく差別的なことを積み重ねてきたかは、他の記事でも示されているので省略。

 

ここでは安倍氏のお抱えであったことを再確認しておく。

 

自民党杉田水脈議員は、LGBTの人は生産性がないから、行政として特に何かする必要はないと言って、LGBTQの権利を認めていくこと、同性婚などに反対している。その発言が問題になったあとも、新潮社「新潮45」は保守派論客を集めて杉田議員をさらに擁護した。そのため廃刊に追い込まれた。

杉田議員がどういう人かについては、ネットでもさまざまにまとめられているが、彼女は明確な極右的思想の持ち主で、安倍首相が議員にした人物である。その思想に沿って、慰安婦問題などでもヘイトスピーチ的スタンスを取り、2020年には「女はいくらでも嘘をつく」といって性暴力被害への無知も支援した人である。

このような人物であり批判も多いのに、2021年御選挙においても、安倍氏は彼女を中国地方比例1位にしたため、なんなく当選した。つまり自民党はこうした明確な差別主義者を、まともな政治家として選挙リストに挙げて仲間として迎え入れているのである。この行動のどこに、多様性への理解が見えるであろうか。

 

以下、関連記事3つだけ紹介

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杉田水脈議員 総務政務官就任で早くも過去発言が続々問題視「統一教会の支援問題ない」

2022 8/15(月) 18:36配信 女性自身

総務大臣政務官を拝命いたしました。身が引き締まる思いです。担当する業務は行政管理、行政評価、統計等となります。18年の地方公務員としての現場の経験を活かし、国の諸課題に対応して参ります》 【写真あり】国会開会式に和服姿で登場した杉田議員 8月13日、Twitterにこうつづったのは自民党杉田水脈議員(55)だ。その前日、岸田文雄総理大臣(65)が臨時閣議副大臣政務官を決定。そこで杉田議員は総務大臣政務官に任命されることとなった。 しかし、この“要職就任”が早くも波紋を呼ぶことにーー。これまで杉田議員が、数々の“問題発言”で波紋を呼んできたためだ。 「杉田議員は’15年6月に配信されたネット番組で『生産性がない同性愛の人たちに、皆さんの税金を使って支援をする。どこにそういう大義名分があるんですか』とコメントしていました。 その3年後には、“新潮45騒動”が社会問題に。雑誌『新潮45』’18年8月号で、LGBTに対して《彼ら彼女らは子供を作らない、つまり『生産性』がないのです》として、《LGBTだからといって、実際そんなに差別されているものでしょうか》と書きました。 人間を生産性ではかることは優生思想につながるものだとして、LGBTの当事者だけでなく障害者支援団体からも非難が殺到。杉田議員の寄稿は国外からも非難されることとなり、『新潮45』は休刊に追い込まれることとなりました。 そのいっぽう安部晋三元首相(享年67)は当時、『まだ若いから』との理由で杉田議員を擁護。また自民党の対応も“指導のみ”にとどまっています」(前出・全国紙記者)

 

■「女として落ち度がある」「女性はいくらでもうそをつく」 また元TBS記者の山口敬之氏から性行為を強要されたというジャーナリストの伊藤詩織氏に対しての“暴言”も、物議を醸してきた。 「杉田議員はBBCの番組で、伊藤氏に対して『男性の前で記憶がなくなるまでお酒を飲んだのは、女として落ち度がある』などと発言。この発言は『セカンドレイプだ』と批判されました。 さらに‘20年9月、女性への性暴力などに関連して『女性はいくらでもうそをつけますから』と自民党の部会の合同会議で発言していました」(前出・全国紙記者)

 

■旧統一教会からの支援は「何の問題ない」 杉田議員の“問題”はこれだけではない。安倍元首相の銃撃事件以降、世間から厳しい視線が注がれている旧統一教会について’16年8月、Twitterで《幸福の科学統一教会の信者の方にご支援、ご協力いただくのは何の問題もない》と投稿しているのだ。そのツイートが、今回の“要職就任”を受けて改めて波紋を呼んでいる。 「現在、旧統一教会と関係をもつことで、政治家が教団の広告塔になっているとの指摘が相次いでいます。そこで松野博一官房長官(59)は、今回の内閣改造の人事は『旧統一教会との今後の関係を見直すことを求め了承した人のみ任命した』と強調しました。しかし、『問題ない』とまで言い切っている杉田議員がどこまで“見直し”できるのかと、懐疑的な声が上がっています」(スポーツ紙記者) 数々の問題発言をしてきた杉田議員。

 

そのため、Twitterでは「#杉田水脈氏の総務政務官起用に抗議します」というハッシュタグがトレンド入り。さらに、こんな厳しい声が上がっている。 《女性や性的マイノリティを貶め、差別を助長する発言を連発してきた杉田氏が、これまで何ら処分も受けずに国会議員をつづけていること自体が異常なのだが、挙げ句、政務官にまで抜擢するとは》 《杉田を政務官にするという事は、岸田政権も差別を容認するという事、あり得ません》 《岸田総理はもっと市民の声を聞いて下さい》 《「幸福の科学統一教会の信者の方にご支援、ご協力いただくのは何の問題もない。」この様な方を総務大臣政務官に就任させて大丈夫なんですかね・・・??》

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同性カップル「生産性ない」、杉田水脈氏が政務官 抗議や批判広がる

朝日 塩入彩2022年8月16日 5時00分

 

 第2次岸田改造内閣で、過去に性的少数者をめぐる発言などが問題となった杉田水脈氏が総務政務官に、簗和生氏が文部科学副大臣にそれぞれ起用され、ネット上などで抗議の声が上がっている。当事者は政策への影響を懸念し、「差別を許さない姿勢を明確にしてほしい」と話している。

同性カップルは「生産性なし」 杉田水脈氏の寄稿に批判

杉田水脈政務官、旧統一協会との関わりを否定 「誰が定義するのか」

 政府は12日、副大臣26人と政務官28人の人事を発表した。杉田氏は2018年7月発売の月刊誌「新潮45」で、同性カップルを念頭に「彼ら彼女らは子供を作らない、つまり『生産性』がない。そこに税金を投入することが果たしていいのかどうか」と行政による支援を疑問視する寄稿をし、批判を浴びた。

 

過去の発言へ「コメントは差し控えたい」

 杉田氏は15日、朝日新聞の取材に対し、記事について「当事者を差し置いてLGBTを政治利用すべきでないという思いや、政策の優先順位について私見を述べる目的であった」と釈明しつつ、「不用意に『生産性』という表現を用いたことで誤解や論争を招き、結果として不快と感じ、傷付いた方々がいらっしゃることを重く受け止めております」と回答。今後は、「当事者の方々の声もお聞きしながら、LGBTの方々への理解増進はもとより、差別やいじめのない社会の実現に向けて努力する所存です」とコメントした。

 

「種の保存にあらがう」 自民議員のLGBT差別相次ぐ

 一方、簗氏は昨年5月の自民党の会合で、「生物学的に自然に備わっている『種の保存』にあらがってやっている感じだ」と述べたと報じられている。簗氏は15日の事務引き継ぎの後、報道陣に対し、「いまは副大臣で行政に身を置く立場なので、コメントは差し控えたい」と述べた。今後について、「啓発資料や支援事例の提供などの取り組みを引き続き進めていきたい」とした。

 両氏の起用に、ゲイであると公表し、性的少数者の情報を発信する一般社団法人「fair」代表理事の松岡宗嗣さんは「過去に具体的に差別的な発言をした議員が起用されたことは、非常に残念で、憤りを覚える。政権が『問題ではない』と判断したと評価せざるを得ない」と話す。

 松岡さんは公教育など政策への影響も懸念する。「ジェンダーセクシュアリティーに関する権利保障は、安倍・菅政権下ではほとんど進まなかった。岸田政権は、旧統一教会(世界平和統一家庭連合)との接点を含め、性に関する差別や偏見が放置されている状況を一刻も早く改善してほしい」と語った。「岸田首相には、両氏の登用をやめてほしいし、差別を許さない姿勢を明確に示してほしい」と訴えた。(塩入彩)

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杉田水脈氏、旧統一教会関連団体「定義が分からない」

8/15(月) 20:24配信 毎日

 

 杉田水脈総務政務官は15日の就任記者会見で、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)との関係について「統一教会と知った上で関係を持ったことは一切ない」と改めて否定し、教団関連団体との関係については「(関連団体の)定義が分からない」と述べるにとどめた。  杉田氏を巡っては、2016年8月に米ニューヨークの教団施設で講演し、19年4月に熊本県内であった関連団体主催のシンポジウムでも講演したとの指摘がある。  杉田氏は会見で、19年の講演について「主催団体が関連団体とは知らず、現在も確認できていない。(主催団体の)役員の1人が教団関係者との指摘はあるが、講演当時は知らなかった」と説明。「(役員がいることで)関連団体というのかどうかは誰も確認できない。(関連団体の)定義が分からないので、これ以上のことは申し上げられない」と述べた。  会見では、18年にLGBTなど性的少数者は「生産性がない」と月刊誌に寄稿したことについても問われ、「私は過去に多様性を否定したこともなく、性的マイノリティーを差別したこともない」と釈明した。その上で「寄稿を読んで、私の支援者になったLGBT当事者もたくさんいる。(個性や多様性を尊重するという)岸田政権が目指す方向性と何一つずれている部分はない」と語った。【源馬のぞみ】

高須氏のいいかげん告訴を報道したまま そのあとは総括なしの報道でいいのか

この数年、右翼活動が著しい高須医院長が委員長がやったリベラル派に対する不当な刑事告訴

その行動に報道機関は加担しているのではないかということです。

刑事告訴民事訴訟は自由ですが、それが正当なものか、不起訴になったのか、あるいは裁判で有罪になったのか無罪になったのか、ケースバイケースです。

不起訴でも黒に近いが政治的な判断で不起訴ということもあります。逆に嫌がらせ訴訟、スラップ訴訟もあります。

だからこそ、メディアはちゃんと責任を持って判断して報道すべきです。ましてデジタルタトゥー問題もあるので。

警察発表をうのみにする報道でいいのか。結果責任を取るべき問題です。自分で調べて、アフターも調べていくなどが重要です。

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犯罪者を雇うのか」 不起訴になって感じた報道と捜査の問題点

香山リカ・精神科医

毎日新聞 2022年6月13日

 

香山リカ氏=平野幸久撮影

 愛知県の大村秀章知事のリコール(解職請求)運動を主導した会の会長である著名な医師に刑事告発され、警察が検察に書類を送り、不起訴処分(容疑不十分)となった。

 告発は受理されれば全件が検察に書類が送られる。私の場合は警察が書類を送る際に起訴を求める意見を付けず、当初から不起訴となる見込みだった。書類を送られた時点でそのように報道もされた。

 にもかかわらず、勤務先には「犯罪者を雇うのか」などの嫌がらせの電話がかかり、決定していたテレビ出演や講演などのキャンセルがいくつもあった。負担感は大きく、実害もあった。

署名偽造事件と一緒なのか

 昨年9月に検察に書類が送られた際に取材を受けてコメントを求められ、「すべて送られるものなのにコメントが必要ですか」と問い返したが、「手続きの節目なので」という答えだった。「不起訴になったら取材します」とも言っていたが、不起訴になった時にはその記者からの取材はなかった。

 テレビの出演キャンセルも「香山さんを疑うわけではないが、規定として送検された方の出演はできない」と説明された。

 今年3月に不起訴になった際の手順や報道にも疑問がある。リコール運動の署名偽造事件の関係者の不起訴と同時に報道された。検察からの連絡はなく報道で初めて知ったが、署名偽造事件の記事だと思って読んでいたら、突然自分の名前が出てきた。同じ記事で書かれるのか、と驚いた。

 署名偽造事件と、私への刑事告発は全く別の問題なのに、同時に報道され、あたかも検察が両側のバランスをとったかのような印象を与えた。署名偽造事件と一緒にくくられることには非常に疑問がある。

 書類を送られた後、検察からの呼び出しがあると思い、弁護士を通じてなんどか問い合わせもしたが、返答はなかった。結局、呼び出しがないまま不起訴になった。警察が起訴を求める意見を付けなかった時点で、不起訴はほぼ決まっていたはずなのに、なぜ半年以上引き延ばして他の事件と同時に発表したのかも疑問だ。

ベルトコンベヤーに載せられたよう

 ある刑事事件で起訴はされたが無罪になった方が、判決を伝える記事で「無罪になったから良かったということでは全くない。自分の業界での信用を失い、仕事ができなくなった。報道もよく考えてほしい」とコメントしていて、その通りだと思った。

 ネットでは「まともに生活していれば告発されることなどない」とか「普通にしていれば警察とは無縁だ」などと言われた。警察から事情を聴かれ、書類を検察に送られただけで、もうまっとうな人ではないという扱いだった。ベルトコンベヤーに載せられた感じだった。

検証を

 不起訴になってもこれだけ社会的なダメージがある。警察に行き容疑者として扱われるだけでも大きなストレスになる。取り調べの可視化などが課題になっているが、私は本当にその一部、かけらに触れただけだけれども、いかに大変かということを実感した。

 報道機関にとっては不起訴は「つまらないこと」なのかもしれない。しかし、不起訴になったら、刑事告発はどうだったのか、書類を検察に送られた時の報道はどうだったかなどをもう一度検証してもらいたい。

 

関連

香山リカ氏、津田大介氏らの「書類送付」が意味するものとは 愛知県知事リコール妨害容疑 

東京新聞 2021年9月9日 16時55分

 愛知県の大村秀章知事のリコール(解職請求)を求めた署名運動を巡り、「署名者の個人情報は県広報で公開される」などと虚偽の情報をツイッターに載せて運動を妨害したとして、愛知県警が地方自治法違反(署名運動妨害)の疑いで、精神科医香山リカ氏やジャーナリストの津田大介氏ら4人を名古屋地検に書類送付したと8日報じられ、ツイッターのトレンド入りした。「書類送付」とは一般になじみが薄い言葉だが、どんな意味なのか?警察は違法性をどう判断したのか?(デジタル編集部)

【関連記事】香山リカ氏、津田大介氏ら書類送付 起訴求める意見は付けずか 愛知知事リコール妨害容疑

香山リカさんのツイッター

◆「起訴求める意見付けず」

 この記事を配信したのは共同通信。記事などによると、この問題は、運動を主導した美容外科高須クリニック」の高須克弥院長が昨年8~9月に刑事告発。告発状によると香山氏は、署名者の個人情報が県の広報で公開されるなどとうその投稿をし、津田氏はこれらの投稿を拡散させたとしている。ほかに映画評論家町山智浩氏らも書類送付された。この書類送付の際、愛知県警は起訴を求める意見は付けなかったとみられる、とも報じている。

ツイッターのトレンド

 この報道に対し、ツイッターでは多くのリツイートが拡散し、香山氏や津田氏らに対し「デマで騙す手法、悪質ですね」「こいつらがやったのか、厳罰に処すべきだ」といった非難の書き込みも多数見られる。

◆捜査したら「必ず送付」

 だが、本当に愛知県警は「デマで騙す手法」と判断したと言えるのか。

 今回の愛知県警の書類送付は刑事訴訟法の246条に基づく。同条では「司法警察員は、犯罪の捜査をしたときは、この法律に特別の定のある場合を除いては、速やかに書類及び証拠物とともに事件を検察官に送致しなければならない」としている。

 この際、事件を捜査した警察は起訴を求めるかどうかについて、▽厳重処分(起訴を求める)▽相当処分(警察としては起訴・不起訴の判断を検察官の判断に委ねる)▽寛大処分(起訴猶予を求める)▽しかるべき処分(起訴を求めない)ーの4段階に分けた意見をつけることができる。

 元東京地検特捜部副部長の若狭勝弁護士は「警察は告発を受理するとその後、必ず書類を送付することになる。捜査しただけで嫌疑の疑いがないという認識の時でも検察庁には書類を送付する」と説明する。

 つまり、愛知県警は高須氏から行われた告発に対する捜査の結果について必ず検察庁に報告せねばならず、捜査した書類を検察庁に「送付」する手続きを取ったことになる。

◆「妨害に当たらぬ」と評価か

 若狭氏は、今回は起訴を求める意見は付けなかったとみられると報じられていることを受け、「警察は香山氏らがリコールの妨害に当たると法的評価はできないと考えたのではないか」とみる。今後、香山氏や津田氏らがどのように処分されるかは、検察官の判断となるが「一般的には検察官の判断は警察の意見と同じになることは多い」と話す。

 報道機関も警察が検察庁に書類を送る際にどのような意見を付けたかによって、言葉を使い分けて報道しているケースが多い。取材結果に基づき、警察が起訴を求めているようなケースでは「書類送検」、逆に警察が起訴を求めていない時は「書類送付」とする書き方だ。書類送付には、警察としては嫌疑の疑いは薄いとみており、法的手続きとして書類を検察庁に送ったとする意味合いが込められている。

 今回の件について、香山氏はツイッターで「高須克弥氏に地方自治法で告発された件についてですが、このような案件はすべて警察から検察に送致されることになってます。今回の“書類送検”はその手続き上のことと考え、必要があれば今後も捜査に協力するつもりです。警察は『起訴を求める意見は付けなかった』とのこと」とコメント。

津田大介さんのツイッター

 津田さんはツイッターに「書類送致(一般的には書類送検)とは、警察が必要な捜査を終え、検察に関係書類を送ったという意味でしかないので、特にコメントはありませんが、被疑者として捜査の対象になった場合たとえ不起訴になっても『前歴(前科ではない)』が付くので、理不尽だなと思います」とつづっている。

 

佐藤文香さんの重要な指摘――「戦時の女性利用」と「マッチョへの抵抗感」

佐藤文香さんの重要な指摘――「戦時の女性利用」と「マッチョへの抵抗感」

2022年8月17日

 

悪い侵略国家ロシアと戦うウクライナの一面的肯定への認識的抑制として、以下の佐藤文香さんの指摘は重要と思います。

女性が戦争体制に利用される構図を見抜くこと、女性が軍隊に参加するのがジェンダー平等という単純理解ではだめという指摘は全く同感です。

 

私が「軍事的勝利、停戦などの上から視点の解決」でなく、「戦争になった国の一庶民の立場で、逃げることがいかに大事な選択肢か」という主張、そこを制限するウクライナの男性への脱出禁止、ナショナリズムを煽って軍事力による勝利を目指す一面性への批判意識の重要性が分かっていない人が多すぎると思います。

むかしの武装闘争、暴力革命、新左翼のゲバなど左派でも武闘派がいる(いた)のは分かりますが、やはりマッチョへの反省/嫌悪感が日ごろからどれだけあるか、ジェンダーフェミニズムへの従来からの接している程度、DV などの暴力への感性が反映している感じがします。

ウクライナの民衆は「戦わされている」のでなく、主体的に侵略と戦っている、侵略する国とされる国を区別しないとだめ、という構図で、ロシア批判だけを言うのは、昔の第二次世界大戦時の戦争イメージで語っている面があり、また、防衛相防衛研究所などの路線と非常に近いことを認識すべきと思います【注】。

 

【注】その典型のひとつが千々和泰明のような意見。これは中立を装いながら非常に好戦的な見解で、軍事力で有利になること、『妥協的和平』は禍根を残すので『紛争原因の根本的解決』をすべき、つまり悪い相手国を徹底的につぶすのがいいという非常に自国中心主義、自分は正しい側、暴力主義的な立場。私は危険なスタンスと思い嫌悪感を覚える。

(インタビュー)戦争はどう終わるのか 政治学者・千々和泰明さん:朝日新聞デジタル https://www.asahi.com/sp/articles/DA3S15386161.html?iref=sp_ss_date_article 

 

 

プーチンが悪いからウクライナの徹底抗戦を支持するというのは、血みどろの犠牲が積み重なっても戦争を続ける道である。

ロシア、プーチンがひどいのは当然ですが、ミャンマーの軍事政権もチベットウイグルを弾圧する中国政権もひどく、それらに対して軍事力で攻撃してそこだけつぶせるならそれも、政治的な選択の一つと思います。

しかし、私はそういう政治家の立場で、ロシアやミャンマーを攻撃する立場には立たない。なぜ為政者の立場で考えるのか。ロシアが悪いとしても、軍隊の一兵士として(国内の右派、民族主義者、ナショナリストなどと一緒に)ロシアにたいして武力で戦うことを選ぶのが当然、とはならないと思います。逃げる選択肢、軍事的闘いをやめるよう求める道があるべきです。

軍隊に入らない、武器を持たないという「戦い方」「抵抗の仕方」が想像できない人が、「ロシア・プーチンを止めるには武力しかない」と言います。昔からの同じ土俵にのったうえでのリアリズムの政治の発想です。それ以外の位相があるということが理解できない人が、軍事的対応にこだわるのです。すぐに「降伏したらレイプ、虐殺」を言うのは第二次大戦の日本などと同じく、一面的で、だから逃げることも、交渉の質も大事です。

尚、私は、戦争時に労働運動や女性の権利運動が進展した歴史を学んだので、国家総動員体制である戦時には、交渉して、戦争に協力する代わりに、組み合や女性運動団体が「権利」を一定獲得できることを知っています。部落解放運動もそうで、融和主義が出ました。

私は、戦争の総括から、そういう戦争に協力して権利を拡大することに反対する立場です。

そういう事も私のスタンスに反映しています。一番は、多くの戦争の体験、歴史、などを学び映画や小説、などからも学び、戦場というものの非人間性を見てきたからこそ、人が死ぬ重みを思うからこそ、「正義の戦争」でさえできるだけしないような志向になったのです。それが「マッチョへの抵抗感」であり、フェミ的感覚への親和性です。佐藤さんとは、そのあたりを共有していると感じています。

私の主流秩序論を知らない人にはわかりにくいと思いますが、ロシアと戦うというのは、世界的な暴力主義の主流秩序に対しては、そこと戦うのは、主流秩序への抵抗です。一方、ウクライナ国内における主流秩序は、ロシアと軍事的に戦う事であり、それに協力しない者は非国民的な扱いをされる。とするなら、ウクライナ国内において多様性を求めるならば、軍事的戦争に参加しないで逃げるのも大事な非暴力非協力的的抵抗路線としていくことでしょう。

この2つの主流秩序野観点を総合して考えなくてはならないと言っているのに、前者しか見ない人が、論点を単純に「ロシアが悪いというか、米ロシアの代理戦争とみるか」としているのです。ロシアが悪し、米ロの代理戦争の面もあるし、ナショナリストなどが戦争する中でそれに動員される面も見ないといけないのです。

 

以下、佐藤さんインタビュー記事

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「女らしさ」の利用、為政者が始めたら 戦火の前に気づくべきこと

朝日新聞 2022年8月15日 10時00分

ライフル銃の木造模型を手に軍事訓練をする女性ら=2022年1月、金成隆一撮影

 

 77年前まで続いた第2次世界大戦では、日本をはじめ多くの国が女性の戦闘参加を制限した。一方、ロシアの侵攻を受けるウクライナ軍に占める女性の割合は15%以上とされ、女性兵士に注目が集まる。日本でも女性自衛官は年々増加。この流れは、男女平等と歓迎していいのか。背景には何があるのか。戦争とジェンダーの関係を研究する一橋大学大学院の佐藤文香教授(50)にきいた。

 ――7月に著書「女性兵士という難問」(慶応義塾大学出版会)を出版されました。ロシア軍と戦うウクライナの女性兵士の姿をどう見ていますか。

 「他国による侵攻から国を守るために立ち上がる人々がおり、その中に女性も多く含まれるというのは、当然ありうることです。現在、ウクライナだけでなく世界中で女性兵士は増えています」

 「研究者としては、彼女たちの存在が戦争遂行にどういう効果をもっているのかに着目しています。ウクライナでは、ゼレンスキー大統領が18~60歳の男性を徴兵に備えて出国禁止とし、賛否両論が巻き起こりました。男性差別だという批判の声も少なからずありましたよね。一方で、命令されたわけではない女性たちが国に残り戦う姿をみせることは、国内と国外に対して、それぞれ大きな意味を持ったと思います」

 ――どういう意味でしょうか。

連載「ゆらぐ『平和』のかたち」一覧

戦争や軍隊をジェンダーの観点から長年研究してきた佐藤文香教授。軍隊で女性の姿が盛んに取り上げられるようになっても、単純に「ジェンダー平等」と捉えない方がいいと指摘します。

 「国内では、男性に対して、国を守るために戦うのは当たり前だ、というプレッシャーを与えたでしょう。戦争で女性はチアリーダーとして男性たちを戦場に『行きなさい』と鼓舞する役割を果たすのが常ですが、その変種ですね。国外に逃げようとする男性に対して、女性ですら国のために立ち上がっているのに、逃亡するなんてひきょうだと暗に責めたり、自責の念にからせたりする効果です」

 「一方、国外に対してはどうか。多くの国や人々は今回、ロシアに共感を寄せてはいません。それに輪をかけて、戦争に縁遠いと思われている女性たちが戦う姿をアピールすることで、ウクライナへの同情を国際的に喚起する役割を担っていると言えるのではないでしょうか」

 ――プロパガンダということでしょうか。

 「そういう側面もあるかもしれませんが、今回は政治家らによる意図に加えて、女性たちのボランタリーな参加がそのように機能したという印象を持ちます。自分の意思で兵士となり、その姿をSNSに投稿する女性たちが、世界にウクライナの窮状を知らせようとしていますよね。そうした行動がうまい形でイメージ操作のサイクルにのせられて、結果的に戦意高揚に利用されているのではないでしょうか」

戦意高揚に利用される女性の「意外性」

 ――なぜ、女性は戦意高揚に利用されやすいのでしょうか。

 「まずは意外性です。女性が男性と違って戦争や軍隊とかけ離れた存在と思われているからこそ、先ほど申し上げたような、男性へのチアリーダー的な効果と、侵略が不当なものであるというイメージをつくることができます」

 「もう一つ、戦時性暴力との関連があります。自国の女性の被害は、『許せない』と男性たちのあいだに復讐(ふくしゅう)心をつくりだします。歴史的にも、これが非常によく国威発揚に使われてきました」

 「ただし今回、ウクライナの女性副首相がNHKのインタビューで、ロシア兵による女性への性暴力はあると断言した上で、『センシティブな問題で被害者をこれ以上傷つけたくない』と内容をほとんど語らぬ姿をみました。これまでにないパターンだと思いました。戦時性暴力は、敵の残虐性を訴えることにも利用されてきた側面がありますが、今回は抑制がかかっています。これは、副首相が女性であったからかもしれない、と思います」

 ――戦争でジェンダーが利用されるのはなぜですか。

 「戦争を首尾よく遂行するには、戦う兵士として健康で体力のある男性が必要です。多くの男性に国外逃亡されたら戦争はできなくなるため、『男たるもの国のために生命をかけて戦うものだ』という観念をつくりあげていくことが不可欠です。もしウクライナで多くの男性が逃亡していたら、ここまで徹底抗戦はできていないはずです」

 「ただ、そうした観念を戦争になってから浸透させようとしても間に合わず、平時から国民に植え付ける必要があります。その際、女性との差異化が力をもちます。『男らしさ』とは『女らしくない』こと。例えば、普段の会話で『女々しい男だな』とか『女みたいに軟弱な男になるな』といった言葉にあらわれている価値観ですね。こうしたジェンダー観は、戦争を首尾よく遂行したい為政者にとって利用しやすいのです」

 ――日本でも、女性自衛官は増えています。その背景は。

 「日本は戦前、敗戦間際まで女性を戦闘に参加させることもなく、戦後に生まれた自衛隊にも参加する女性は多くありませんでした。女性自衛官は当初、看護職や会計などの事務職だけでしたが、職域開放を進めて、最近は戦闘職に広がり戦闘機にも乗れるようになりました。防衛省は、2030年度までに女性自衛官の割合を12%以上に引き上げることを目指しています」

 「背景にあるのは、少子高齢化による隊員不足です。人材を枯渇させないための策として、女性に目が向けられているんです。防衛省幹部の話では、隊員不足をおぎなうための『四人の活用』として、婦人(女性)、老人(高年齢層)、省人(業務省略化)、無人(AI、ロボット)がうたわれている。その中でも、女性の登用は、男女平等を推進する組織というイメージ向上の戦略も見込まれ、積極的に行われています」

戦闘参加を求める女性団体

 ――世界的なジェンダー平等の意識の広がりも関係しているのでしょうか。

 「そうですね。1979年に国連で女性差別撤廃条約が採択され、あらゆる分野で男女平等の実現が目指されることになりました。米国では1991年の湾岸戦争時、(米国最大の女性団体の)全米女性機構が、女性の戦闘参加を求めました。男性の徴兵制がある韓国では近年、『女性にも兵役を』という議論が活発化しています」

 「ただ、『ジェンダー平等』という表向きの理由の背後には、日本と同じように少子化が進み軍を維持するのが困難になっている、という事情を抱えた国が少なくないと思います」

 ――著書では、女性兵士の増加は「ジェンダー平等」というより、軍隊が意図的に女性を組み込む「ジェンダー統合」であり、単純に捉えるべきでないと指摘します。

 「私たちはつい軍隊にもいよいよ平等が押し寄せてきたと考えたくなりますが、背景に隠れている個別の事情を注視していないと、実態を見誤ります。自衛隊で女性隊員が増えてきたのも、深刻な人材不足を背景にしています。自衛官募集のポスターは過剰なぐらい女性を登場させてきましたが、そのことによって、自衛隊を平和で愛される組織だとアピールできた側面もあるでしょう」

 「また、男女平等の思想であるフェミニズムは、軍隊や戦争にも平等を訴えるべきだとの主張もありますが、フェミニズムはそれほど単純なものではないと考えています」

 ――どういうことでしょうか。

 「軍隊での平等を求めるフェミニズムが存在するのは確かですが、それを批判するフェミニズムもあり、相互に議論を積み重ねてきた歴史があります。例えば、女性兵士の増加にあわせて国が軍事費を増強し、代わりに社会福祉費が削減されるなら、それによって影響を受ける女性が出てくることになります。そうした広い視野でみたときに、はたして女性兵士の増加は、ジェンダー平等を進展させることになるでしょうか。女性兵士に注目が集まったこの機会に、日本でも丁寧に議論すべきだと思います」(聞き手・伊藤和行

 

【声明】私たちは農と食が国家主義・排外主義の枠内で語られることを拒否します

 

以下の声明が出ました。「参政党」批判がもっともと思うので紹介しておきます。

 

(以下転載、拡散歓迎)

 

【声明】私たちは農と食が国家主義・排外主義の枠内で語られることを拒否します

 

私たちは農民です。農民として、自分の身の丈に合わせ、自然と相談しながら営農を持続し、ある者は有機農業に挑戦し、地域の農業を維持してきました。自由に、思いや行動や知恵や技術を発揮できることに誇りをもって食を作ってきました。

私たちは消費者であり生活者です。私たちは食べる者として、自身と将来世代の誰もが健康で幸せに生きることができるように、安心して食べ続けられるように、消費者生活者としての運動をつみあげてきました。

 

それこそが農と食の民主主義だと私たちは考えます。

 

7月の参院選は食と農をめぐって、排外主義的な農業でも良しとするのかという問いを私たちに突き付けました。

はじめて選挙に登場した参政党が、大量の候補者を立て、当選者を出し政党要件を獲得するという出来事がありました

同党は三つの主要公約の一つに「化学的な物資に依存しない食と医療の実現と、それを支える循環型の環境の追求」を掲げ、有機農業や食の安全に関心をもつ人たちの中に小さなブームを巻き起こし票を集めたのです。

 

同党は綱領の第一に「天皇を中心に一つにまとまる平和な国をつくる」を唱え、主要公約の一つに、「日本の舵取りに外国勢力が関与できない体制づくり」「外国人労働者の増加を抑制し、外国人参政権を認めない」を掲げています。国家主義・排外主義の色彩が極めて濃い政党です

 

有機農業運動はこれまで一貫して国際交流を大事にし、海外の実践に学び、日本の経験を分かち合いながらその思想や技術を発展させてきました。食の安全を求めて運動している消費者生活者は、世界中誰もが安心して食べられる世界をめざしています。国家主義・排外主義は私たちのこうした思いや実践と相いれません。

 

いま日本では、国民の危機意識を煽りながら軍備の大拡張に動き出しています。そのために邪魔になる憲法の改定が具体的な政治日程に上がっています。あらゆる分野で「安保優先」の動きが強まり、国家による監視と統制、排外主義が持ち込まれようとしています。農と食という生命の再生産をつかさどるもっとも人間的で自由でなければならない分野も、例外ではあり得ないと私たちは懸念します。

 

『私たちは、農民、消費者生活者が取り組む農業生産活動、有機農業や食の安全をめざす運動が、国家主義・排外主義の枠内で語られることを拒否します。』そのことを言いたくて、この声明を発します。

 

世界人権宣言や国際人権規約に明示されている「食料への権利」は、人は誰でも、いつでも、どこに住んでいても、心も体も健康で生きていくために必要な食料を作り、手に入れることができる、すべての人が生まれながらにもっている権利として位置づけられています。私たちは、この声明の出発点を「食料への権利」に置きたいと考えます。

 

この声明に賛同いただける個人・団体を募ります。ぜひご一緒に

2022年8月11日

<呼びかけ人>

天笠啓祐(ジャーナリスト)

伊藤幸蔵(山形 米沢郷グループ代表 百姓)

大野和興(農業記者)(事務局)

菅野芳秀(アジア農民交流センター代表 百姓)

纐纈美千世(特定非営利活動法人日本消費者連盟事務局長)

小関恭弘(置賜百姓交流会世話人 百姓)

近藤康男(TPPに反対する人々の運動世話人

坂本華祥(僧侶)

榊田みどり(ジャーナリスト)

﨏川宏子(歌人

佐藤藤三郎(山形、百姓)

鴫谷幸彦(新潟、上越有機農業研究会)

菅原庄市(置賜百姓交流会世話人 百姓)

西沢江美子(秩父雑穀自由学校主宰、ジャーナリスト)

土本満智子(北海道 農民)

高橋寛山形大学名誉教授)

谷山博史(沖縄 日本国際ボランティアセンター顧問)

天明伸浩(新潟、百姓)(事務局)

徳野貞雄(熊本大学名誉教授、九州小農学会副代表)

中村易世(『土と健康』編集委員

長里昭一(秋田 百姓)

原村政樹(映画監督)

疋田美津子(しらたかノラの会)

堀井修(新潟、百姓)

堀純司(国際有機農業映画祭運営委員)

牧野時夫(北海道 有機農園えこふぁーむ代表)

村上真平(三重 自然農法実践、農の学びの場づくり)

八重樫真純(岩手、百姓)

山岸素子(特定非営利活動法人移住者と連帯する全国ネットワーク事務局長)

吉岡香・照充(神奈川 百姓)

山本伸司(鹿児島、パルシステム生協連合会顧問)

渡部務・美佐子(高畠 有機農業実践者)

 

◆事務局担当 ・大野和興 ・天明伸浩

◆お問い合わせ・連絡先

(賛同いただける個人・団体は下記にご連絡ください。)

メールアドレス rural@kind.ocn.ne.jp

電話 050-3569-8757

FAX 0494-25-4781

 

個人・

バックラッシュの時のジェンダーフリー攻撃に関して

バックラッシュの時のジェンダーフリー攻撃に関して

 

宗教右派右翼団体自民党、その政策との関係が取りざたされています。

それに関連して、ジェンダー攻撃(バックラッシュ)があった頃のことをまとめた2007年の拙稿があったので、HPにアップしました。

今から見ると不十分な点もありますが、当時、フェミニストの中で、右派からの攻撃の中でジェンダーフリー男女共同参画に関して意見の相違がありました。この拙稿では、上野千鶴子さんや山口智美さんは敵を見誤っているのではないかと主張しました。

当時のことを知らない人もいるかと思うのでご参考までに。

 

   拙稿「『ジェンダー概念の整理』の進展と課題」(大阪経済大学『人間科学研究』第1号、2007年) 

HP :https://henoru-ida.amebaownd.com/

その中の「シングル単位・フェミのページ(1)」と「フェミニズム(その2)」に掲載

 

 

にまともな意見とそうでない意見

朝日新聞にまともな意見とそうでない意見

 

本日、8月12日、朝日新聞「抗戦ウクライナへの称賛、そして続く人間の破壊」という豊永郁子さんの寄稿文が掲載された。

個人の生存は国に先行する価値とし、戦争の悲惨さをベースにした豊永さんの意見はまともと思う。

この意見を載せたこと自体、朝日新聞の成果と言える。豊永は和平派と正義派のことをちゃんと書いている。日本のメディアはこの世論調査さえしない。

 

政治家もメディア人も一般国民も、そして豊永さんの記事にコメントした江川紹子さんも、防衛省防衛研究所の思想に洗脳されている状態だ。

「できるだけ早く停戦すること、たとえウクライナが領土を失っても」か、それとも「侵略したロシアを罰すること、たとえより多くのウクライナ人が犠牲になっても」かが、議論されているヨーロッパ諸国との差は大きい。

思考が停止しているので「ウクライナ人が犠牲になっても」という条件を認識することを避けて『正義派』だらけに日本はなっている。

 

豊永さんの論考がすぐれて大事な視点を提起しているのに対して、コメントしている江川さんは日本のメディアのダメさと同じく、為政者の視点、防衛省の視点にとらわれ間違っている。ものを庶民の目から見る視点をもちきれていない。

今日8月12日の朝日新聞には、別の記事で、キーウ(キエフ)で友人になったウクライナの男性(25)から「徴兵されて前線で死ぬのは怖い」と打ち明けられたという話も載せている。

 

政治家、為政者は停戦が可能か、どうしたら停戦できるか、どうしたら停戦後西側が有利な世界の力関係になるかと考え、プーチンには軍事的に優位になるしかないという。だが私は、一貫して「停戦の方法などわからない」「それは庶民の課題ではない」と思うからこそ、ただの庶民の一人として、「戦争が起こったなら逃げる」といっている。

 

大きな「停戦」という課題をどうしたらできるかではなく、自分の命を守ること(戦争に参加して相手を殺す/殺しあうという、したくないことを避ける)を優先する。

 

どうして国家や領土や西側諸国のために自分が命がけで戦わないといけないのか。軍隊にも参加したくないし、敵を殺したくもない。

もちろん、住み慣れたところで知り合いの人たちと住み続けられたらいいが、そんなことを言ってられないほど戦争というのは根底から何もかもをひっくり返し破壊するのだ。死ぬか生きるかを迫られる。死や徴兵を待ってられない。だから逃げ出す。

 

だから男性が出国することを禁止するゼリンスキー大統領のやり方は酷いと思う。一億総火の玉となって鬼畜米英と最後の一平まで戦え、本土決戦だ、玉砕しろ、自決しろといっていたむかしの日本と重なる。

侵略側と抵抗側・自衛側は違うというのは、上から目線であり、戦場に駆り出される兵士の目線からは、無駄な戦いに消耗品として使われているだけだという視点こそが必要だ。

 

死ぬくらいなら、外国に逃げて貧困でも生き延び、そこから生きていく権利を求めて活動していけばいい。それしかない。それはもちろん苦しい道だが、そもそも戦争が起これば理不尽にもそうならざるを得ない。殺されそうなら逃げる。

 

江川さんには、自分が戦地に駆り出される兵士やその家族の視点がないのだ。戦争に自分が参加することへの徹底した忌避感と非暴力思想がないのだ。だから停戦をどうするか などといってしまう。

停戦できたらいいがウクライナが軍事的に優位に立ってロシアを屈服させないとなかなか停戦にはならない。しかしそれはむつかしい。

あるいはウクライナが敗北してロシアの勝利でも終わるだろう。それはウクライナもロシアもかなりの犠牲の上で、数か月後に来るかもしれない。だがそれも望ましいものではない。江川さんも望まない。

 

で、どちらも私には関係ない。私はそのために生きているのではない。ウクライナが勝つのはむつかしいし勝つまで多くが犠牲になる。そんな道を支持するのか。自分も参加するのか。

そうした感覚を言わない人が多すぎる。過去の戦争の実体・実相・体験談・諸作品から学んでいないと思う。

 

自分抜きに考えれば、今回のロシアや人権侵害する中国、パレスチナを攻撃するイスラエル、その他独裁国で多くの人民を抑圧する国、今ならミャンマーの国軍など、などひどい国を制裁するように西側諸国が軍事力で屈服させるのはあり得る政治と思う。リアルな政治はそういうものだろう。

だが私はそれには関わらないと言っているのだ。そのための兵士として戦いたくないと言っているのだ。

そして軍事的な政治は、必ず敵味方に多くの死者・負傷者をもたらす。一般庶民も巻き込まれ犠牲になる。戦場は悲惨である。核戦争、世界戦争になるかもしれない。だから為政者なら軍事力による解決も考える必要があるが、皆がそれに賛成し加担する必要はない。

しかもいままでパレスチナが攻撃されようと、ミャンマ-の民主派が攻撃されようと助けなかった西側諸国が、なぜウクライナには加担するのか。それは代理戦争をさせているからだ。そういうものに加担する必要はない。

 

 「国のため」なんていう言葉が簡単に使われている。ナショナリズムをチャンと批判する教育・社会運動が世界的に勝利していないということを意味する。

江川さんも、リベラル系の人で今回ウクライナの抗戦を支持する人も、「国のため」を批判していたはずなのに簡単に足元をすくわれるほどだった。

 

豊永郁子さんの論考を称賛できずに、批判した江川さんに、今の日本のダメさが如実に出ていると感じた次第である。私は、憲法9条を守り、非武装路線にすべきで、日米軍事同盟も破棄し、軍事費は低下させるべきと思う。集団的自衛権だと言って、米国とともに戦争に加担することに反対する。ロシアや中国や韓国や北朝鮮と軍事的に戦うことを拒否する。大きな政治を動かすのはむつかしい。だが自分がどうするかだけは考えられる。もし自分ならと考えて、ウクライナのことも考えるし、日本で何かが起こっても、ひとりの庶民の側から生き延びる視点で考える。

***

 

「抗戦ウクライナへの称賛、そして続く人間の破壊」 寄稿・豊永郁子さん

朝日2022年8月12日 6時30分

 

寄稿 政治学者・豊永郁子さん

 2022年7月8日の安倍晋三元首相の射殺事件によって、私たちは少なくとも一つのことを知った。銃器がいかにむごたらしく人間の体を破壊し、命を奪うかということだ。そのときウクライナのことをふと思った。このような銃撃、さらには砲撃による人間の破壊が日々起こっている。これはそれ自体がとてもよくない、恐ろしいことではないか。

とよなが・いくこ 早稲田大学教授。著書に「新版 サッチャリズムの世紀」「新保守主義の作用」。2017年5月~22年2月に本紙「政治季評」を連載。

 ウクライナ戦争に関しては、2月24日のロシアの侵攻当初より釈然としないことが多々あった。むしろロシアのプーチン大統領の行動は独裁者の行動として見ればわかりやすく、わからなかったのがウクライナ側の行動だ。まず侵攻初日にウクライナのゼレンスキー大統領が、一般市民への武器提供を表明し、総動員令によって18歳から60歳までのウクライナ人男性の出国を原則禁止したことに驚いた。武力の一元管理を政府が早くも放棄していると見えたし(もっともウクライナにはこれまでも多くの私兵組織が存在していた)、後者に至っては市民の最も基本的な自由を奪うことを意味する。

 

 

 さらに英米の勧める亡命をゼレンスキー氏が拒否し、「キーウに残る、最後まで戦う」と宣言した際には耳を疑った。彼自身と家族を標的とするロシアの暗殺計画も存在する中、ゼレンスキー氏の勇気には確かに胸を打つものがあり、世界中が喝采した。これによってウクライナの戦意は高揚し、NATO諸国のウクライナ支援の姿勢も明確化する。だが一体その先にあるのは何なのだろう。

 市民に銃を配り、すべての成人男性を戦力とし、さらに自ら英雄的な勇敢さを示して徹底抗戦を遂行するというのだから、ロシアの勝利は遠のく。だがどれだけのウクライナ人が死に、心身に傷を負い、家族がバラバラとなり、どれだけの家や村や都市が破壊されるのだろう。どれだけの老人が穏やかな老後を、子供が健やかな子供時代を奪われ、障害者や病人は命綱を失うのだろう。大統領はテレビのスターであったカリスマそのままに世界の大スターとなり、歴史に残る英雄となった。だが政治家としてはどうか。まさにマックス・ウェーバーのいう、信念だけで行動して結果を顧みない「心情倫理」の人であって、あらゆる結果を慮(おもんぱか)る「責任倫理」の政治家ではないのではないか。

 

 日本には今、ウクライナの徹底抗戦を讃(たた)え、日本の防衛力の増強を支持する風潮が存在するが、私はむしろウクライナ戦争を通じて、多くの日本人が憲法9条の下に奉じてきた平和主義の意義がわかった気がした。ああそうか、それはウクライナで今起こっていることが日本に起こることを拒否していたのだ。

 冷戦時代、平和主義者たちは、ソ連が攻めてきたら白旗を掲げるのか、と問われたが、まさにこれこそ彼らの平和主義の核心にあった立場なのだろう。本来、この立場は、彼らが旗印とした軍備の否定と同じではない。だが彼らは政府と軍の「敗北」を認める能力をそもそも信用していなかったに違いない。その懸念は、政府と軍が無益な犠牲を国民に強い、一億玉砕さえ説いた第2次世界大戦の体験があまりにすさまじかったから理解できる。同じ懸念を今、ウクライナを見て覚えるのだ。

 

 人々が現に居住する地域で行われる地上戦は、凄惨(せいさん)を極め得る。4人に1人の住民の命が失われた沖縄の地上戦を思うとよい。第2次大戦中、独ソ戦の戦場となったウクライナは住民の5人に1人を、隣のベラルーシは4人に1人を失ったという。今、ウクライナはロシアの周辺国への侵攻を止める防波堤となって戦っているとか、民主主義を奉じるすべての国のために独裁国家と戦っているとか言われるが――ともにウクライナも述べている理屈だ――再びウクライナで地上戦が行われることを私たちがそうした理屈で容認するのは、何かとても非人道的なことに思える。米国などは、徹底抗戦も停戦もウクライナ自身が決めることとうそぶくが、ウクライナに住む人々の人権はどこに行ってしまったのだろう。

 

 20世紀を通じ、とくに2度の世界大戦を経て、私たちの間には国境を越えて人権の擁護が果たされなければならないという規範が形成され、冷戦が終わった1990年代以降はこれがいよいよ揺るぎないものになったと見えた。だがそうでもなかった。欧米諸国の政府は、間断なくウクライナに武器を供給し、ロシアへの制裁における一致団結ぶりを誇示することで和平の調停を困難にし、戦争の長期化、すなわち更なる人的犠牲の拡大とウクライナ国土の破壊を促している格好にある。そしてこれが主権、つまりは自己決定権をもつウクライナが望み、ウクライナ人が求めることなのだからそれでよいのだとする。また、国際秩序を乱したロシアに代償を払わせるという主張も繰り返される。しかし国際秩序の正義のためにウクライナ1国が血を流し、自らの国土で戦闘を続けよというのは、正義でも何でもないように思う。

 

 色々なことが少しずつおかしい。米国連邦議会で演説したゼレンスキー大統領は、誰もが知るキング師の言葉、「私には夢がある」を引いて軍事支援を求め、喝采を浴びた。だがキング師といえば、戦後の世界の最良の獲得物の一つである「非暴力主義」の指導者だ。この引用は果たして適切なのだろうか。

英国議会では「いかなる犠牲を払っても領土を守るために戦う」というチャーチルの言葉を引用する。その「戦い」はチャーチルにおいては主として自国の外での戦闘を意味したが、ウクライナにとっては自国の領域内での戦闘だ。「いかなる犠牲を払っても」と言ってよいのだろうか。

 犠牲を問わない戦争は、かつての日本や旧ソ連にはなじみ深いものだ。だが個人の生存は国に先行する価値である、国は個人のために存在する、という今日の欧米の国家観からは出てきにくいものだ。この国家観の下では、国が国民に及ぼし得る犠牲には限度がある。そしてそうした個々人の命の重みの上にこそ民主主義も成り立つ。この国家観を有する人々が勇敢でないとか利己的であるというわけではない。むしろ自己犠牲の精神には富むのかもしれない。だが自己犠牲を他の国民に無理強いすることはしないのだろう。

 実際、結束を強調する欧米の指導者にも温度差がある。英米や中東欧諸国ウクライナがロシアの敗退まで戦うことを望み、独仏伊は交渉による解決を望むという。さらに世論は総じて厭戦(えんせん)的だ。たとえば英独仏伊にスペインポルトガルスウェーデンフィンランドポーランドルーマニアを加えた欧州10カ国における世論調査が、次のどちらの考えに近いかを回答者に尋ねている。今最も重要なのは「できるだけ早く停戦すること、たとえウクライナが領土を失っても」か、それとも「侵略したロシアを罰すること、たとえより多くのウクライナ人が犠牲になっても」か。全体では前者を選んだ「和平派」が35%で最大の声をなし、これに対し後者を選んだ「正義派」は22%であった。

 国別では、和平派はイタリアドイツで50%前後を占め、フランスルーマニアでも40%を超える。実際、正義派が和平派を上回ったのはポーランドだけであり、その他の国では正義派は15%から25%を占めるにすぎない。いち早くウクライナに戦車を提供したチェコでも、すでに世論調査では、支援はもう十分だとする回答が79%に上っていた。米国では、ニューヨーク・タイムズの社説が和平派に相当する立場を宣明し、現実主義外交の泰斗、キッシンジャー氏が停戦を促す。現在の状況を、世界がそれと知らずに大戦に突入した第1次大戦前の状況にたとえる議論も散見される。

 さて和平派の立場は、戦争がもたらしたエネルギーや食料の不足などの経済問題、核兵器の使用も含む戦争のエスカレーションへの懸念から説明されることが多い。だが、これらにあわせて戦争による犠牲の拡大について道義的な疑念が広く存在することを忘れてはならない。また、ロシアを、プーチン氏を敗退させることが現実的にどこまで可能かも疑問だ。

 そもそも戦闘はロシアの外で行われている。かつて中国大陸に侵攻した日本が、欧米諸国による経済制裁や膠着(こうちゃく)する戦線に苦しみながらも、決して軍事的に譲歩しなかったことが思い浮かびはしないか。結局、日本が大陸を諦めるのには日本本土の焦土化を要した。さらに戦争の長期化は、ロシア国内におけるプーチン氏の権力を弱体化するのではなく、強化する可能性があることも留意すべきだ。戦時体制を通じて全体主義体制が成立する可能性すらある。

 最近よく考えるのは、プラハとパリの運命だ。中世以来つづく2都市は科学、芸術、学問に秀でた美しい都であり、誰もが恋に落ちる。ともに第2次世界大戦の際、ナチスドイツの支配を受けた。プラハプラハ空爆の脅しにより、大統領がドイツへの併合に合意することによって。パリは間近に迫るドイツ軍を前に無防備都市宣言を行い、無血開城することによって(大戦末期にドイツの司令官がヒトラーのパリ破壊命令に従わなかったエピソードも有名だ)。

 両都市は屈辱とひきかえに大規模な破壊を免れた。プラハはその後、ソ連の支配にも耐え抜くこととなる。これらの都市に滞在すると、過去の様々な時代の息づかいを感じ、破壊を免れた意義を実感する。同時に大勢の命と暮らしが守られた事実にも思いが至る。

 2都市に訪れた暗い時代にもやがて終わりは来た。だがその終わりもそれぞれの国が自力でもたらし得たものではない。とりわけチェコのような小国は大国に翻弄(ほんろう)され続け、冷戦の終結によりようやく自由を得る。プラハで滞在した下宿の女主人は、お茶の時間に、共産主義時代、このテーブルで友達とタイプライターを打って地下出版をしていたのよ、といたずらっぽく語った。モスクワ批判と教会史の本だったそうだ。私は彼女がいつ果てるともわからない夜に小さな希望の明かりを灯(とも)し続けていたことに深い感動を覚えた。

江川紹子

 

(ジャーナリスト・神奈川大学特任教授)

2022年8月12日10時58分 投稿

【視点】

 降伏推奨派(で、いいんですよね)の意見をじっくり読む機会が持てたのはよかった。  ただ、どうも釈然としない。今、「いいんですよね」と確認したのは、この論考では「できるだけ早くの停戦」を求めるけれど、そのためにはどうすればいいか、という具体的方法に言及されないからだ。読み返してみても、結局のところ「ウクライナは早くロシアに降伏すべき」と述べているようにしか受け取れないのだが、違うのだろうか。  「和平」とか「停戦」という言葉は心地よく響くが、この論者は実際に「降伏」した後、本当に「ウクライナに住む人々の人権」は守られる確信があるのだろうか。ブチャで起きたことを知った今、私には、そういう楽観はどうしてもできない。「降伏」によって救われる命もあるだろうが、逆に奪われる命や人権を無視していいとは思えない。  また、ナチスドイツに占拠されたプラハやパリを、降伏してよかった例に挙げているが、両都市ともドイツ軍の占領から解放されたのは、赤軍や米軍などによる軍事力の行使の結果だ。しかも、チェコの場合、長くソ連支配下に置かれ、そのために少なからぬ命が失われ、人々の人権は制約された。  そのうえ、ウクライナの場合、プーチン大統領歴史観からすると、他国を侵略するのではなく、本来の領土を奪還する、という認識のようなので、一度降伏すれば、半永久的にロシアの一部とされる可能性が高い。  もちろん、戦争の長期化はあってはならない。私も、一刻も早い停戦を望んでやまない。ゼレンスキー大統領の言葉に「正義」の基準を求めるかのような風潮に、違和感を覚えることもある。それでも、ロシアに降伏するとはどういうことかを考えると、安易にそれを口にできない自分がいる。停戦は、まずはロシア側に求めたい。

 

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安倍銃撃前に統一教会イチオシの井上議員のLGBT差別の演説があり、安倍がそれを無批判に拡散・応援

安倍銃撃前に統一教会イチオシの井上議員のLGBT差別の演説があり、安倍がそれを無批判に拡散・応援

〈2022年8月11日〉

 

 

8月2日にこのブログで、「非暴力主義しか、今回の安倍氏襲撃「テロ」を批判できない」という記事を書いたが、特にその4(なぜ自民党は「こんな反社会的勢力とは今後一切関係を断つ」と言えないのかーーー 統一教会安倍氏・政権・自民党の関係は単に「選挙で支援を受けたいから」ではない)の補足として、以下のことをまとめておく。

 

事件の前の段階で、この右翼組織と自民党ジェンダー問題の関連(癒着)のわかりやすい例が出ていた。それが、自民党の井上議員が2022年参議院選挙で、安倍銃撃事件の前に同性愛差別の演説をしていたという問題である。

 

前回ブログで書いたように、過去は統一教会は山谷議員を応援するなど、その時々に安倍首相の差配で、メインの応援相手を変えてきた。安倍の周りには、杉田議員、山谷議員、また「LGBTは『種の保存』にあらがっている」と発言した簗和生(やなかずお)氏などがいて、ジェンダー問題でバックラッシュを繰り返してきていた。

そういう事と統一教会と安倍銃撃事件がつながっているという話である。統一教会だけでなく、全国各地の8万社の神社が参加する宗教法人「神社本庁」を母体とする政治団体神道政治連盟」があり、そこも統一教会と同じく、反ジェンダー平等の主張であった。そしてそこと深くむすびつき、その趣旨に賛同する国会議員により構成される「議員連盟」などがあり、そこの懇談会でLGBTQが全く分かっていない差別文書が配られていたのである。この懇談会には、262名もの国会議員が会員として名を連ねており、自民党議員の多くが参加している。

神道政治連盟国会議員懇談会」の会長を務めているのが、安倍元首相であった。ジェフリーバッシングでも中心は安倍であった。

 

こうした宗教右派・右派政治団体自民党が、特に安倍とその仲間の右翼勢力が、反ジェンダーの観点で一致している中、2022年の参議院選挙で統一教会が組織をあげて応援したのが、安倍首相の元秘書の井上義行参院議員だった。

 

詰まり、元秘書という子飼いの井上を応援する安倍と統一教会ということ。井上の主張が「同性愛者は家族ができない」というような同性愛批判であったこと。その差別演説を安倍が無批判に拡散しているということ応援依頼)。

安倍が最も応援したい人を統一教会が全力で応援する。両者がいかに一体化していたかということである。

 

この井上氏が、同性愛差別的な演説をしていたという記事が事件前に出ていた(以下に紹介)。安倍氏も井上議員のこうした演説をイチオシしていた。この後、安倍氏銃撃事件が起こるのである。この記事では、統一教会が井上を組織的に選挙で応援していることまではつかんでいなかった。

 

以下の記事にもあるように、安倍はこうした右翼勢力と一体となって「左派」と戦っていたのである。「LGBT理解増進法案」について、安倍氏は「これは闘争だ」と言い、〈(議連がまとめた修正案を)絶対に通すなと総務会役員に直接、攻勢をかけていたという。そして霊感商法などをしてきた反社会勢力を、仲間として放任してきたために、山上などインチキ宗教の犠牲者の反発をかって凶弾に倒れた。因果応報である

 

自民党が単に選挙の票欲しさに統一教会や神社系とつながっていたというのではなく、反共・反ジェンダー平等などで思想的に一致して右翼政治運動をしていた、だから統一教会を解散させなかった(名称変更にも協力)ということを、井上氏の演説と安倍氏の応援は反映している。

 

以下の記事が安倍氏銃撃事件の前であること確認していただきたい統一教会の問題は、統一教会だけの問題ではなく、自民党の反ジェンダー平等という体質そのものの問題だったのである。

なお、この記事の後に、杉田、山谷、井上議員と同類の右翼系・簗和生(やなかずお)議員の情報、および神道政治連盟問題に関する署名活動の文章も付け加えておく。露骨な差別意識のバラマキとして山谷えり子もでてくる。

***

自民党LGBT差別は冊子配布だけでない! 安倍元首相の子飼い候補が街頭演説で「同性愛者」攻撃、なんと安倍がその動画を拡散」

リテラ 2022.07.04 11:00

 

安倍晋三Twitterの画像


 参院選を控えたなか、自民党国会議員が参加する「神道政治連盟国会議員懇談会」の会合で「同性愛は後天的な精神の障害、または依存症」「LGBTはさまざまな面で葛藤を持っていることが多く、それが悩みとなり自殺につながることが考えられる」などと書かれた差別冊子が配布されていた問題が批判を浴びている。

 

俳優・モデルの三吉彩花Instagramのストーリーズで〈なぜこうなってしまう?〉〈まだこんなこと言ってる人がいるのかと思うと残念すぎる〉と思いを綴り、モデル・タレントのkemioは〈とても怖すぎる言葉が飛び交っている〉〈同性愛は依存症でも 自殺は本人のせいでも そんなことないよ〉と投稿。元プロ野球選手・桑田真澄の次男でアーティストのMattも〈同性愛が依存症って 何の話? この大馬鹿者〉と批判をおこなった。

 

 当然の批判だろう。あらためて言うまでもなく、同性愛は病気や障害、依存症などではなく、治療可能だとする主張はまったくの誤りだ。その上、この冊子では〈同性愛者を擁護する教育をすれば同性愛者は増える〉〈同性愛の原因について、家庭環境、特に親子関係に問題がある〉〈性的少数者の性的ライフスタイルが正当化されるべきでないのは、家庭と社会を崩壊させる社会問題となるから〉などとも記述していたという。

つまり、“同性愛は病気だ”“同性愛者に権利を与えれば家庭と社会が崩壊する”などと差別を扇動する文書が、自民党国会議員が参加する会合で堂々と配られていたのである。

 だが、問題はこれだけではない。じつは、現在おこなわれている参院選選挙運動においても、ある自民党公認候補者が杉田水脈衆院議員とそっくりな同性愛差別をがなり立てているとして、ネット上で問題視されているのだ。

 その自民党公認候補者とは、比例代表で出馬している井上義行・元参院議員。井上氏は総理府(現・内閣府)勤務時代の2000年に安倍晋三氏が内閣官房副長官となった際に秘書官に抜擢され、2006年の第一次安倍政権では安倍首相の首相秘書官に。首相秘書官を退任したあとは学校法人加計学園千葉科学大学客員教授を務めるなど、完全に安倍元首相の子飼いだ。

 

子飼い候補の「同性愛者は家族ができない」演説動画を拡散させた安倍元首相

 では、井上候補はどんな差別発言をしたのか。いまネット上で拡散され、問題になっているのは、井上氏が参院選公示日の6月22日におこなった街頭演説での動画。井上氏はその演説のなかで、「親学」がベースとなった家庭教育支援法の必要性を訴え、「いま私は分岐点だというふうに思っています。なぜ分岐点か。それはいままで2000年培った家族のかたちがだんだんとほかの外国からの勢力によって変えられようとしているんです」と語ったあと、このような話をはじめている。

「昔はみなさん、考えてみてください。おじいちゃん・おばあちゃんやお孫さんと住んだ三世代を。そのときは社会保障そんなに増えてこなかった。でも、家族だ核家族保護主義だ、こういうことを言っている。そして、どんどんどんどん、僕、あえて言いますよ。同性愛とか、いろんなことで、どんどんかわいそうだと言って、じゃあ家族ができないで家庭ができないで、子どもたちは本当に日本に引き継いでいけるんですか? しっかりと家族を生み出し、そして子どもたちが多く、日本にしっかりと生み育てる環境を、私たちがいま、つくっていかなくてはいけないと思いませんか、みなさん!」

 

 社会保障費の増加や少子化の原因を核家族化に結びつけている時点でどうかしているのだが、言うに事欠いて井上氏は“同性愛者は家族ができない”という文脈で批判しはじめたのだ。

これは2018年に自民党杉田水脈衆院議員が“LGBTは子供をつくらない、つまり生産性がない”と主張して大きな批判を浴びたのと同じ差別的主張にほかならないものではないか。しかも、井上氏はこの差別的言辞を、自身が出馬する選挙戦の街頭演説において大声で繰り広げたのだ。

 しかし、さらに絶句させられたのは、この差別的演説の動画を、安倍元首相が拡散させていたことだ。

 井上氏が問題となっている街頭演説の模様をおさめた動画をTwitterに投稿すると、6月23日に安倍元首相はそれを引用リツイート。このようにメッセージを寄せていた。

 

〈高校を卒業後国鉄に就職。現場で働きながら大学を卒業し内閣府へ。第一次政権で総理秘書官を務めてくれた井上義行さん。どうか宜しくお願いします。〉

 

 よりにもよって、元首相が差別的演説の動画を拡散させるとは──。だが、こうした演説が繰り広げられることも、自民党議員の会合で差別冊子が配布されるといったことも、安倍元首相が絶大な影響力を持つ自民党では、ある意味、当然のことだ。

 

自民党・安倍一派がやってきたLGBT敵視政策、差別発言の数々

 前述したように、差別文書が配られたのは「神道政治連盟国会議員懇談会」の会合だが、「神道政治連盟国会議員懇談会」は神社本庁政治団体神道政治連盟」の理念に賛同する議員連盟で、「神道政治連盟」は同性婚夫婦別姓が「伝統的な家族の在り方の崩壊に繋がりかねない」として一貫して反対しつづけている。この「神道政治連盟国会議員懇談会」の会長を務めているのが、ほかならぬ安倍元首相。差別冊子が配布された日の会合にも安倍元首相は出席しており、議員らに向けて挨拶する模様がTBSのニュース番組でも放送されている。

 

 そして、安倍元首相といえば、首相在任中の2019年におこなわれた日本記者クラブでの党首討論会でも「LGBTの法的な権利を与えることを認める人は挙手を」という質問で手を挙げなかったが、そればかりか、首相退任後の2021年には同性婚などを敵視している統一教会系の団体が開催したイベントに送ったビデオメッセージのなかで「家庭は社会の自然かつ基礎的集団単位としての普遍的価値を持っている」とし、同性婚夫婦別姓を求める動きを「偏った価値観を社会革命運動として展開する動きに警戒を」などと攻撃するスピーチをおこなった

また、同じく昨年に超党派の議連で合意された「LGBT理解増進法案」についても、安倍氏は「これは闘争だ」と言い、〈(議連がまとめた修正案を)絶対に通すなと総務会役員に直接、攻勢をかけた〉と報じられている(「AERA」2021年6月21日号/朝日新聞出版)。

 

 そもそも「LGBT理解増進法案」は当初、野党は行政や企業などにおける差別的な取り扱いを禁止する「LGBT差別解消法」を打ち出したのだが、自民党は努力義務でしかない「理解増進法案」にとどまり、挙げ句、自民党内の会合では“安倍チルドレン”でネトウヨ議員の簗和生・衆院議員が「人間は生物学上、種の保存をしなければならず、LGBTはそれに背くもの」などと差別発言をおこない問題に。

 

これほどの直球差別発言が繰り広げられたというのに、それでも自民党は簗議員に処分を下すこともなく、さらには法案自体を店晒しにしてしまった。つまり、結局、安倍元首相の圧力のもと、ヘイトスピーチを撒き散らかしただけになってしまったのだ。

 

「伝統的な家族観が崩れる」などと振りかざし、個人として尊重されるべき性的マイノリティや女性の権利を認めようとせず、差別を助長させる言説を垂れ流す──。ようするに、自民党内での安倍元首相の影響力が、性的マイノリティへの差別をなくすどころか、差別を煽る体質を蔓延させているのだ。

 

 しかも、今回の参院選では、一見するとこうした差別とは無縁そうに見えても、差別に加担しかねない候補者が自民党には山ほどいる。事実、東京選挙区から出馬している元おニャン子クラブ生稲晃子氏は、同性婚には明確に「反対」だと表明。ちなみに本サイトでも既報のとおり、生稲氏を担ぎ出したのは、自民都連会長を務める萩生田光一経産相世耕弘成・自民参院幹事長という安倍元首相の側近連中。安倍派中堅も「安倍、世耕両氏に恥をかかせるわけにはいかない。安倍派は一丸となって生稲氏をやる」(毎日新聞4月29日付)と話しているとおり、公示日の生稲氏の街頭演説に安倍氏が直々に駆けつける力の入れようだ。

 

 政権与党の為政者が差別発言をおこなうことは、公的にその差別は肯定されるものとして捉えられ、差別をより強く助長・扇動する。また、選挙運動にかこつけて候補者が公然と差別的言辞を垂れ流すのは「表現の自由」を悪用した“選挙ヘイト”であり、けっして許されない行為である。今回の参院選は、こうして差別をまかり通らせる極右、安倍派の人物を国会からシャットアウトするための選挙でもあるのだ。

編集部

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◆「LGBTは『種の保存』にあらがっている」と発言した右翼議員 簗和生(やなかずお)氏に関する情報

 

選択的夫婦別姓制度の導入について「反対」

同性婚を可能とする法改正について反対

2021年5月20日LGBTに対する理解を増進する法案を議論した自由民主党の会合にて、「生物学的に自然に備わっている『種の保存』に抗ってやっている感じだ」、「こうした主張を口に出来なくなる社会はおかしい」などと発言

特定秘密保護法は日本に必要と主張

アベノミクスを評価

原発は日本に必要と主張

村山談話河野談話を見直すべきと主張。

ヘイトスピーチを法律で規制することに反対。

 

***

「差別発言の自民・簗氏から下村氏に謝罪「お騒がせして」」

朝日新聞 岡村夏樹2021年5月26日 21時52分

 

 自民党下村博文政調会長は26日の記者会見で、LGBTなど性的少数者をめぐる「理解増進」法案を議論した自民党会合で差別発言をした簗和生(やなかずお)・元国土交通政務官=衆院栃木3区=から「お騒がせして申し訳ありません」と謝罪があったことを明らかにした。

 複数の出席者によると、簗氏は20日の党会合で「生物学的に自然に備わっている『種の保存』にあらがってやっている感じだ」と述べた。その後、簗氏は朝日新聞の取材に書面で「ご照会頂いた会議は非公開のため、発言についてお答えすることは差し控えさせて頂く」とコメントしていた。

 下村氏は会見で「どんな発言をどうしたかということは本人にも言われていないし、私も聞いていない」と発言内容は確認していないと説明した。

 また、下村氏は「理解増進」法案の件ではないと前置きしたうえで、26日にあった党の政調全体会議で「マスコミ非公開の会議での議員発言を、他の議員が(会議の)外でこう言った、ああ言ったと(表に出すと)いうことは控えるべきだ」との意見が出たと紹介。それを受け、下村氏が「(非公開会議での)ほかの方の意見を言うことは、議会人としてはルール違反になるのではないか」と注意喚起をしたことも明かし、「意見が萎縮する」と語った。(岡村夏樹)

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参考資料 宗教右派自民党の問題

署名活動

初詣に行く神社を選びたいので、多様な家族への立場を表明してください

 

 

発信者:#私のお賽銭のゆくえ プロジェクト 宛先:明治神宮 、31人の別の宛先

 

私たちのお賽銭が、多様な家族を否定する政治活動に投じられている

日本に暮らすほとんどの人が神社でお賽銭を投げてお願いごとをした経験があると思います。その私たちが投げたお金が、同性婚や選択的夫婦別姓を否定する運動に使われている場合があることを、ご存じでしょうか。

 

全国各地の多くの神社が加盟している神社本庁による政治組織、神道政治連盟263人もの国会議員が加盟している巨大な政治勢力です。この神道政治連盟夫婦別姓同性婚に反対の立場をとり「選択的夫婦別姓ってほんとうに必要なの?―答えは「ノー」です!」という冊子や「日本で同性婚を合法化すればさまざまな社会的影響を必ず及ぼします」「同性愛は環境によって影響され生じたものであり、世界には回復セラピーや信仰的体験、あるいは自然に同性愛から離脱できた元同性愛者が多く存在しています」などと書かれた発行物を作っています。このような発行物は2022年6月に自民党議員の勉強会で配られたことでも批判が大きく寄せられました

 

神道政治連盟機関誌「意」での、同性婚/選択的夫婦別姓への言及例

「弱くリーダーシップがない父あるいは家庭に愛がない父をもつ息子の、男らしさに無関心で落胆させる母、あるいは夫から愛されず無視され、息子を過剰保護し、愛の対象とする母の影響が子どもが同性愛者になる原因であると考えられています」(No.215  P.5/弘前学院大学教授・楊尚眞氏寄稿​​)

 

LGBTQ活動家には、同性婚の権利化は単なる方便に過ぎず、結婚、家族、宗教といった伝統的枠組みを解体し、極左コミューンを作るのが最終目的といった人々も多い。(No.215  P.14/福井県立大学教授・島田洋一氏寄稿​​)

 

神社本庁では平成八年に「祖先祭祀の継承」 「家庭の役割」「わが国の伝統文化」を重視する観点から夫婦別姓に反対するという基本見解を発表されました。神社界では以前から夫婦別姓は必然的に、親子別姓になることであり、家族の一体感を損なうだけでなく、子供の姓を巡る争いの原因ともなって、家族の崩壊を招きかねないと考えてきたと承知しております。(No.213  P.6 /山谷えり子参議院議員寄稿)

____

これらの主張は、史実や科学的データからもエビデンスに乏しい偏見と言わざるを得ません。

日本は歴史的に同性愛に寛容な国でした。他の東アジアの国々同様に結婚改姓の文化・風習もなく、近代民法制定後も明治30年までは夫婦別姓を基本としていた国です。

G7で同性カップルに結婚や国レベルでの法的保障を認めない国はなく、世界広しと言えど改姓しなければ結婚できない国は日本だけです。同性婚や選択的夫婦別姓を認めた国々で、神社本庁神道政治連盟が指摘するような社会混乱は生じていません。

何より私たちを傷つけるのは、このような私たちの基本的人権を否定する政治活動の資金源が、人々が幸せを願って投じた賽銭や御祈祷料、寄付、御朱印・お守りやお札などの授与品の初穂料などである点です。

 

NHKによる2021年の世論調査によれば、夫婦別姓に賛成する人、同性婚に賛成する人はともに57%、朝日新聞の同年調査では同性婚65%選択的夫婦別姓67%過半数を大きく超えています。過半数が賛成意見でも、法律が変わらないのは政治家の背後にいる政治団体の存在です。

初詣や七五三、厄払いや結婚式…差別をしない「#フレンドリー神社」を選びたい!

信仰や教義によって同性婚や選択的夫婦別姓を否定することをやめろとまではいいません。

でも、私たちも自分がお賽銭を投げる場所は選びたいのです。結婚式や七五三、厄払いなど、大切な家族の行事に、自分たちを差別する神社にうっかり祈祷料を払いたくないのです。

だってすべての神社が否定的なのではなく、同性婚も別姓婚もウェルカムだよ!と歓迎してくれる神社もあるのですから。

この署名活動は、初詣ランキング上位の神社のみなさまを宛先にしていますが、全国の神社に対しても意見表明を求めていく予定です。集めた回答はマップで見える化していきます。ぜひ回答お待ちしています。

#私のお賽銭のゆくえ プロジェクト

https://jinja-welcome.jimdofree.com/

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安倍晋三元首相国葬差止等請求事件訴状

安倍晋三元首相国葬差止等請求事件訴状

 

8月9日、安倍国葬に反対する私たち231名の市民は、元首相安倍晋三国葬差止等を請求して、東京地裁民事部に提訴しました。

その訴状が、以下で紹介されています。

 

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前田朗Blog: 安倍晋三元首相国葬差止等請求事件訴状 (maeda-akira.blogspot.com)

https://maeda-akira.blogspot.com/2022/08/blog-post_9.html

 

デニー知事再選を 支援する募金活動

以下の情報をここに載せておきます。
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激戦、接戦確実の25日告示沖縄県知事選挙で
沖縄の痛みをわが痛みとすることを願う私たち
「すわ=沖縄ゆいネット(石川文洋氏ほか共同代表)」は、
辺野古新基地建設反対を明示する現職デニー知事再選を
支援する募金活動に取り組むことに決めました。
会員でない方も、募金をいただけるととても嬉しいです。
お問い合わせは毛利まで。アピール文は、以下にも
貼り付けました。
==========
会員の皆様へ  
沖縄県知事選挙・玉城デニー候補勝利支援カンパのお願い
私たち“すわ=沖縄ゆいネット”は「沖縄の痛みは私たちの痛み』をモットーに、長年沖縄の人たちに寄り添う活動を行い、先日の沖縄慰霊の日(6月23日)には沖縄タイムズ記者 阿部岳さんによるオンライン講演会「復帰50年、沖縄戦はいつ終わるのか」を開きました。
さて、沖縄県は今年、“本土復帰50年”を迎えました。復帰前、当時の屋良主席は政府に出した「復帰に関する建議書」で平和憲法の下での基本的人権の保障、基地のない平和な沖縄への復帰を強く訴えましたが、その後改善は遅々として進まず、基本的人権は侵され、米軍基地の重圧は続きました。
そんな中、辺野古新基地建設断念などを求めた「建白書」(2013年)が保革を越えた「オール沖縄」によって作られたデニー知事に引き継がれ、「復帰50年」の今年、デニー知事は新たな「建議書」を発表し、
1. 復帰において「沖縄を平和の島にする」ことが、沖縄県と政府の共通目標である
2. 米軍基地の整理・縮小、日米地位協定の抜本的見直し、辺野古新基地の建設断念など
3. 憲法が保障する民主主義、地方自治についての民意の尊重など
4. 武力によることなく、平和外交・対話での緊張緩和、地域の平和構築を図るなど
を建議しています。
沖縄県では知事選挙が8月25日公示、9月11日投開票で行われます。玉城デニー知事は2期目を目指し、「建議書」の実現をベースに「誰一人取り残さない社会を、平和で真に豊かな沖縄の現実を」を目指すと健闘しています。“すわ=沖縄ゆいネット”はデニー「建議書」の精神を完全に支持し、心からデニー候補の再選を期待するものです。
沖縄から遠い諏訪の地にあっての支持の一環として、ここに皆様方に沖縄県知事選挙における玉城デニー候補への支援カンパをお願い致します。カンパ金は、全額をデニー候補選挙事務所にお届けします。
・送金先  名義はいずれも「すわ=沖縄ゆいネット」 
(送金手数料はご負担ください)
ゆうちょ銀行 払込取扱票(窓口にあり)による場合  
           00550-5-103333
ゆうちょ銀行総合口座
   御自身のゆうちょ口座から振り込む場合  
    記号11190 番号42437121 
   他銀行から振込む場合 
    店名一一八店番118普通預金口座番号4243712
・締切  8月25日(公示日)
・各種お問い合わせ  上記ニュース発行者欄記載のとおりです
 
 
 
 
 
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HPなど紹介

HP 

私の考え、過去に書いたものなど少しまとめました。まだ途中です

 

 メインHP 

https://idahiro-web-1.jimdosite.com

 

ブログ 「ソウルヨガ」  

https://hiroponkun.hatenablog.com/ 


FB (伊田広行
 https://www.facebook.com/hiroyuki.ida.752/ 


 

HP :D VについてのHP   ・・・・まだ構築途中

https://henoru3.wixsite.com/website


HP :伊田の過去に書いたもの (主に、いまネットで見れないものを中心に)・・・まだ構築途中

https://henoru-ida.amebaownd.com/

 

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日本軍慰安婦問題  映画と本の紹介 「雪道」「日本軍「慰安婦」、教育に介入する政府の対応を問い質

日本軍慰安婦問題  映画と本の紹介

 

東京でロードショー これも見ておきたいと思う映画。

『雪道』
2015年にKBS韓国放送公社が製作した光復70周年特集ドラマを再編集した劇場版。慰安婦を題材に過酷な運命を耐え抜く2人の少女の友情を描いた。

太平洋戦争末期、朝鮮が日本の統治下にあった1944年。忠清南道の江景(カンギョン)という村に、2人の15歳の少女がいた。ひとりは貧しい家で母と弟と暮らすチョンブン、もうひとりは裕福な地主の家に生まれ育ったヨンエ。ある時、ヨンエは女子勤労挺身隊に選抜され、日本の工場に行くことになる。そんなヨンエをうらやましく思うチョンブンの前に、ひとりの男が現れ、日本に行きたいかと尋ねてくる。そして夜中に何者かによって家から連れ去られたチョンブンは、移送される列車の中で日本に行ったはずのヨンエと出会い、2人はそのまま満州へと連れていかれる。

現在のチョンブンをベテラン女優のキム・ヨンオク、少女時代のチョンブンを「神と共に」「無垢なる証人」のキム・ヒャンギ、ヨンエを「アジョシ」「冬の小鳥」のキム・セロンがそれぞれ演じた。

2015年製作/121分/韓国
原題:Snowy Road

オフィシャルサイト

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  • 柏尾安希子『日本軍「慰安婦」、教育に介入する政府の対応を問い質す』世織書房、2022年)

よさそうな本です。

 

歴史の「私物化」を撃つ。

目次 : 1 はじめに=歴史認識を問う/

2 「従軍慰安婦」から「慰安婦」、その変転を見る/

3 日本政府の姿勢を追う/

4 河野談話への政府の態度を検証する/

5 教育への対応を検証する/

6 教科書訂正強要への抗議声明、談話/

7 ラムザイヤーに反論する/

8 「歴史戦」を検証する/

 9 資料・文献案内/

10 あとがき=教育への政治介入は許されない

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東京新聞とFLASHのまともな記事

 

 

FLASH」の8月4日の記事から、

東京新聞が8月2日に以下のような記事を出していると知りました。私の感覚と近かったです。大枠はとてもまともと思いました。

 

ただし「教義に基づく家族観は、自民草案のうたう家族とは似て非なるもの」というくだりは間違いと思います。

「似て非なるもの」ではなく、「ほぼ同一」というべきです。同性婚に反対したり、まともな性教育を否定したり、ジェンダーフリーを目の敵にした点は全く同じ考えなのです。自民党統一教会日本会議も「家族を単位とする」といいますが、ジェンダーフリーバッシングの時から、反フェミの中心的な主張なのです。私のシングル単位論(個人単位論)に対して、批判してきた「主婦の復権」という本に関して、1998年に私は『論座』で言及しましたが、そのころからずっと家族単位か個人単位かは、反フェミの右派のこだわりなのです。

伊田広行「『主婦の復権』をめぐって:ジェンダーを誤解し家族単位思考に毒されている」(『論座』98年8月号、朝日新聞社

 

また「復古的な家族観、夫婦別姓反対などだ。そうした『雑念』が自民草案には入っている」

という部分も間違いです。

それは「雑念」というような、<主たる部分(骨格的中心部分)に付け加えられた、自民党改憲案の本質的な本筋から外れた、それとは無関係な細かい付けたし>のようなものではなく、現行憲法の中の変えたい中心部分だからです。

ジェンダー問題を重視できない学者の間違った見解と思います。ジェンダーと国家観とナショナリズムと軍事的思考と右翼思考の関連を見抜けないから「雑念」などと言ってしまうのです。家族単位か個人単位かは、社会システムをどう設計するかの根幹的な問題です。そこが分かっていない人がまだまだ多い。

さらに、『子ども庁』が『子ども家庭庁』に名称変更された時、中心的かつ積極的に動いたのは、統一教会イチオシの山谷えり子議員でした。そのことも書くべきでしょう。

両方の記事を以下に貼り付けておきます。

***

統一教会側と自民党改憲案が「一致」 緊急事態条項、家族条項…濃厚な関係が影響?

東京新聞 2022年8月2日 06時00分

旧統一教会側と自民党、改憲案が「一致」 緊急事態条項、家族条項…濃厚な関係が影響?:東京新聞 TOKYO Web (tokyo-np.co.jp)

 

安倍晋三元首相銃撃事件を契機に、自民党との深い関係が露呈した世界平和統一家庭連合(旧統一教会)。その旧統一教会の政治部門とされる国際勝共連合勝共連合)の改憲案と、自民党改憲草案が、「緊急事態条項」や「家族条項」などで一致していることが、注目を集めている。

被害者弁護団から「反社会的勢力」とも指摘される旧統一教会側の主張が、関係の濃い自民党改憲草案にも反映されていたのか。(特別報道部・山田祐一郎、中山岳)

 

◆中国の覇権的行動、北の核・ミサイル、大地震原発事故の対応が最優先

改憲案を説明する国際勝共連合の動画=同連合のホームページから

 国際勝共連合の関連サイトでは、安全保障や憲法、家族政策などについての同団体の考えが動画で紹介されている。その一つに、「憲法改正」がある。2017年4月に公開された長さ約17分の動画で、渡辺芳雄副会長が同団体独自の改憲案を解説している。

 渡辺氏は「個人においても組織、国家においても変化に対応できなければ存続できない。滅びるのであります」と改憲の必要性をこう訴えかける。

 日本を取り巻く状況の変化について、「中国の覇権的行動」「北朝鮮の核・ミサイル開発や挑発的行動」「大規模地震原発事故」などを指摘した渡辺氏。改憲の優先順位として「緊急事態条項の新設」を真っ先に挙げた。

 災害時を想定して「政府の権限を強化して、所有権を一時的に制限したり、食料や燃料の価格などをしっかり規制したりして命を守る」とした上で、こう述べる。「早く憲法で明記して憲法を守りながら国民の生命と財産を守る状況を作らないといけない」

 自民党は、12年にまとめた改憲草案の中で、外部からの武力攻撃や大規模災害時に、首相が緊急事態の宣言を行い、緊急政令を制定できるなど首相や内閣の権限を強化、国会議員の任期を延長できるなどと定めた。その後の議論を踏まえ、18年に公表した「たたき台素案」では、大規模災害時の対応として同様の緊急事態対応を規定。対象に「外部からの武力攻撃や大規模テロ・内乱」を含めるかについては、「対象にすべきだとの意見がある」と付け加えた。

 

◆旧統一教会との関係は改憲にもマイナスに働く?

 岸田文雄首相は今年5月、改憲派の集会に寄せたビデオメッセージで、改めて緊急事態条項の必要性を訴えた。新型コロナウイルスへの対応やロシアによるウクライナ侵略を挙げて「有事における迅速な対応を確保するため、こうしたことを憲法にどのように位置づけるかは極めて重要な課題」と強調。大規模災害以外の有事にも対象を拡大する印象を与えた。

 「18年の素案で、緊急事態の対象が限定されたような印象を与えたが、現状は12年の草案の考え方に逆戻りしている」と話すのは、愛媛大の井口秀作教授(憲法学)。「一番の懸念は、国会を通すことなく政令によって国民の権利が制限される可能性があるということ。必要な根拠も、新型コロナやウクライナ侵攻など後付けで増えている」と緊急事態条項の問題点を指摘する。

 安倍氏の死去を受け、岸田氏は「思いを受け継ぐ」と改憲への意欲を見せたがその後、霊感商法などで多くの被害者が出ている旧統一教会と自民との関係が次々と明らかになった。勝共連合が緊急事態条項の創設を唱えることに、井口氏は「反共を掲げる団体の素直な主張なのだろうが、自民草案との間に因果関係があるのかは分からない」としつつ、「旧統一教会との関係は改憲派からも反発を呼び、改憲にマイナスに働くのでは。自民が緊急事態条項など改憲の主要項目を戦略的に変更することもあり得る」と話す。

 

◆「教団側に都合の良い自民の改憲草案」

 改憲を巡る自民草案と旧統一教会側との「一致」は、まだある。

 渡辺氏は先の動画で、憲法に「家族保護の文言追加」を主張。「家庭という基本的単位が、最も社会国家に必要。だから保護しなきゃいけないという文言を、何としても憲法にいれなくてはならない」と強調する。

これに対し、自民草案で新設された24条条文には「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される」とある。双方の「家族重視」は、よく似通っている。

 旧統一教会は2015年の改称で家庭連合と名乗っている通り、関連団体を含めて「家庭」「家族」はキーワードだ。創始者の故・文鮮明氏を「真のお父さま」と呼び、「神様の下に人類が一つの家族である世界」を理想に掲げる。

 こうした教団の「家族観」について、北海道大の桜井義秀教授(宗教社会学)は「目指しているのは文氏を中心にした『真の』家族。自由恋愛や婚前交渉は論外で、信者には合同結婚式で相手が選ばれる」と解説する。

 こうした教義に基づく家族観は、自民草案のうたう家族とは似て非なるものだ。ただ、桜井氏は、勝共連合が教義に基づく家族観を前面に出さず自民草案に同調していると指摘。その思惑について「教義を真正面から説くだけでは、多くの人々は受け入れず信者も増えない。だから教団側に都合の良い自民の改憲草案に乗っかり、利用しようとしている。実際に関連団体は『家庭づくり国民運動』などの講座を開き、旧統一教会の名を出さずに布教につなげてきた」と述べる。

今年6月に開かれた衆院憲法審査会=国会で

 

◆類似するのは「個人の尊重を退け、父権主義的家族の中に埋没させる危うさ」

 自民草案は、現憲法20条にある「いかなる宗教団体も政治上の権力を行使してはならない」の文言を削除。さらに、国とその機関の宗教活動を禁じた点も変え、「社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超えないものについては、この限りでない」とする。政教分離の原則を緩めるとの批判はかねてあったが、旧統一教会自民党との関係が問われている今、これを許していいのか。

 恵泉女学園大の斉藤小百合教授(憲法学)は「自民草案にはもともと、政治家による靖国神社参拝の違憲性を払拭(ふっしょく)し、国家神道復権させるもくろみがあるとみていた。さらに旧統一教会との関係も浮き彫りになり、政教分離のハードルを下げる方向で改憲が進むならば、憂慮すべき事態だ」と警鐘を鳴らす。

 斉藤氏は、自民草案と旧統一教会の考えに類似するのは「個人の尊重を退け、父権主義的家族の中に埋没させる危うさ」とみる。「立憲主義の柱となる個人の尊重をないがしろにするかのような改憲に、自民と旧統一教会が足並みをそろえているように見える」と問題視する。

 ただ、自民草案への影響が取り沙汰される主張を展開してきたのは、旧統一教会勝共連合に限らない。宗教団体の言説に詳しい評論家の古谷経衡氏は「日本会議神社本庁などの『宗教右派団体』は、自民草案に一定の影響を与えてきた。旧統一教会とも共通するのは、復古的な家族観、夫婦別姓反対などだ。そうした『雑念』が自民草案には入っているといえる」と説く。

 古谷氏は「旧統一教会については、かつて霊感商法で多く被害者を生み、今も宗教二世たちは苦しんでいる。そうした団体のエッセンスが含まれる自民草案に沿う改憲は政治倫理上、許されないだろう」と述べ、こう強調する。「このまま改憲の議論が進み国会で発議され、国民投票にかけられるならば一部の宗教団体を利する面がある。国民は一度、立ち止まって考える必要があるのではないか」

◆デスクメモ

 安倍氏が2006年に上梓し、改憲を訴えたのは「美しい国へ」。その2年前、勝共連合初代会長久保木修己氏の遺稿集として出た本が「美しい国 日本の使命」。偶然か、思想の一致か。今となっては2人とも故人だから確かめられないが、こんな縁が感じられる改憲は不気味だ。(歩)

 

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憲法改正はもはや絶望的」自民党が頭を抱える “統一教会とズブズブ” 露呈の痛すぎる代償

8/4(木) 11:01配信 FLASH

自民党はポスターも作って改憲を訴えたが…(写真・時事通信)

 

 安倍晋三元首相の悲願だった憲法改正への動きに強烈なブレーキがかかっている。  自民党は7月の参院選で圧勝し、憲法改正に前向きな勢力が参院で3分の2を超えた。7月11日の記者会見で、岸田首相は「安倍元総理の思いを受け継ぎ、特に情熱を傾けていた拉致問題憲法改正など、自身の手で果たすことができなかった難題に取り組む」との意向を表明している。

【画像あり】「旧統一教会」関係議員101人、全リスト  

だが、7月30日と31日に共同通信社が実施した全国電世論調査で、岸田内閣の支持率は51.0%と前回調査から12.2ポイントも急落。2021年10月の内閣発足以来、最低となった。  また、旧統一教会(現・世界平和統一家庭連合)と政界の関わりについて、実態解明の「必要がある」との回答は80.6%にのぼった。  旧統一教会との関係で注目されているのが、自民党が2012年にまとめた「憲法改正草案」だ。

8月2日、東京新聞は《旧統一教会側と自民党改憲案が「一致」 緊急事態条項、家族条項…濃厚な関係が影響?》という記事を掲載。  

統一教会の政治部門とされる国際勝共連合勝共連合)の改憲案と、自民党改憲草案が、「緊急事態条項」や「家族条項」などで一致していることを指摘している。

 たとえば、自民草案では、現憲法20条にある《いかなる宗教団体も政治上の権力を行使してはならない》の文言を削除。さらに、国とその機関の宗教活動を禁じた点も変え、《社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超えないものについては、この限りでない》としている。自民党改憲草案では、信教の自由への制限と政教分離の原則が緩和されているのだ。  この報道を受け、SNSには《自民党改憲草案、統一教会の教義にそっくり》といった声が数多くあがっている。

 政治ジャーナリストの角谷浩一氏は、「いまのままの自民党改憲草案では、憲法改正は絶望的」と言う。

 「選挙を手伝ってもらったぐらいなら、他の宗教団体と変わらないでしょう。ただ、これだけ、旧統一教会の考え方と自民党の改正草案が一致してしまうと、旧統一教会が自分たちの理想を実現しようと憲法に手を突っ込んだと見られかねません。

 自民党同性婚LGBT平等法に反対。さらに、旧統一教会の影響で、『子ども庁』が『子ども家庭庁』に名称変更されたと思わせてしまった。  これでは、政教分離の原則から逸脱するだけでなく、政治が宗教に支配されているという印象を与えてしまう。もはや、自民党憲法改正草案を、『旧統一教会とは関係ない、私たちが考えたもの』と言い続けるには無理があります」  

現実問題として、憲法改正を発議できても、国民投票過半数を得るのは難しいだろう。 「本当に憲法を改正したいのなら、一度、自民党改憲草案を引っ込めて、宗教に影響を受けたと思わせない新たな草案を出し直すしかないですよ。そうしないと、いつまでも旧統一教会改憲案に自民党が乗っかったと思われてしまいます。  

国民投票で、『旧統一教会が作った改憲案は認められない』と反対キャンペーンをやられたら終わりですよ。いまの草案で突き進む限り、憲法改正は絶望的です」(同)  

安倍元首相の悲願だった憲法改正を成し遂げるには、自民党は旧統一教会との関係性を徹底的に調査し、見直すところから始めるべきだろう。

 

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コロナ対策 頻回検査体制と行動制限をなぜ言わないのか

コロナ問題の基本視点

 

世の中、思考停止しておかしなことをのたまう人だらけになっている。

救急車を呼んでもなかなか来ない、来ても搬送先がなかなか見つからず、先日は救急隊が100件以上電話しても搬送先がみつからないといって帰ってしまい、患者は自宅に放置、そして死亡という事例が出た。7月25日から31日の間で、救急搬送困難事案は6307件と過去最高になっている。

新型コロナ第7波による医療ひっ迫に、あたふたしているが、「徹底して外出などを制限することと検査の頻回保障」を言わない。そうではなく専門家たちが「病院に行くな」「もう検査するな」「救急車を安易に呼ぶな」「全数把握しない」など間違った対症療法を言っている。おかしい。

関連学会のものたちや尾身氏ら政府文科会関係者が政府や国民にコロナ対策の変更提言を言っているが、今まで政府と一緒になってまちがった対策をしてきた責任を取らず、今回も根本対策を言わずマヌケな提言になっている。病院がいっぱいだから来ないでねと言っているだけだ。

三浦瑠麗は、新型コロナ第7波による医療ひっ迫に「メディアがやってきたことの当然の帰結」と非論理的なことを言い、怖い病気ではないと言い続けている。

それらに影響される人が多い状況。メディア含め、大多数が、「経済との両立大事で、ウィズコロナで、外出・行動制限しないのは当然」と思考停止している。

 

ワクチン接種がかなり広がって死亡率などが何とか低く抑えられているが、それでも感染者総数が増えて死亡者が増えてきている。それなのに、死ぬ人が1日に100人超えているのは仕方ないと考えている。酷い社会だ。

 

改めて確認。

全体の感染者数を減らすことが一番大事で、そのためには行動制限をするのが必要である。そこを考えず思考停止し経済との両立だという決まり文句で感染者が増えることを止めないことが問題。

感染者が増えて熱中症患者も増え、医療現場が危機的状況になっていることに対し、尾身などは、もう病院に来ないでくれ、といいだし、事実上一部人が死んでも仕方ないと言い出している。国見の意識を変えていけと責任逃れをしようとしている。

高齢者の施設での感染者を、治療できる病院に搬送するのではなく、その場に残して、それで死ぬのを待つしかないと言っているのだ。事実上トリアージをしている。それは緊急事態で災害的で、あってはならない異常な事態なのであるが、その自覚がない。

 

病気で苦しんでいるものを見捨てるようなことは社会的にトリアージしている事だという自覚がない。人によるとトリアージは仕方ないとか言っている。人が死ぬこと、苦しむことを容認していることであり、自分や身近な人がそうなったらという想像力を持てない世界観の人だ。そんなひとは罹患して苦しめばいいとおもう。

 

これは結局、体力や力の強いものの発想である。病気で死ぬかもしれない人など自分には関係ないと思うひとたち。一定数が死ぬのは仕方ないと言い放てる感性。経済というカネを優先し高齢者や弱者・病人の命を軽視しているということ。

 

徹底してあちこちで何度も(無料あるいは安価で)検査ができるようにし、それによって陽性だと分かったものは症状がなくてもとにかく行動を制限することが必要。これを増やすことが一番大事。そのためにも検査がどんどん簡単にできるようにすることが大事。

 次にとにかく全体に行動制限をかけ最大の注意をうながし、危機的状況だ、コロナは怖い病気だと伝え、軽視するなと言い、飲食をはじめとし様々な人の交流を制限することが必要である。だがそれをしないで、どんどん出てもいいですよと言って、スポーツ観戦も祭りも学校行事も無制限にさせている。感染者が増え死者が増えるのは当然である。

 

緊急事態制限など政府が行動制限をすると、経済が止まって困る人が出て、補助金も多く出さなくてはならないので、したくないという発想で、思考がとまってしまっている。

痛みを伴わない簡単な解決策はないのであるから、経済が停滞しても、補助金額を低くしてでも、今は感染者を抑える努力をすべきである。

「行動制限するな」「するなら金よこせ」と文句が出るだろうが命を重視するならそうすべきである。不正も含め、補助金依存の者たちがいるが、痛みを分け合うためにも無制限には税金が出せない。補助金的な経済保障の額は減らしてでも、今は感染者を抑える施策をとるべきである。

 

「コロナは怖い病気ではない」「風邪やインフルエンザと同じだから二類を五類分類にすれば解決する」「コロナは弱毒化している」『ゼロコロナでなく、ウィズコロナだ』という話では全くない。

尾身など「専門家」と自称する者たちの責任は大きいのに、まるで政府がダメで自分たちがいいかのような欺瞞的態度をとっている。

政府も専門家もメディアも、誰もが毎週調べられるほどに検査を簡単に出来るように増やすと同時に、社会的な行動制限をするということをちゃんと言わない。

結局は弱者の命よりも金カネ重視。強者の論理がまかり通っているが、その自覚がない。主流秩序に毒されて自分で考えない人が多くなっていることの一現象である。

 

非暴力主義しか、今回の安倍氏襲撃「テロ」を批判できない、その他あまり言われてないこと

◆非暴力主義しか、今回の安倍氏襲撃「テロ」を批判できない

2022年8月2日記録

 

世界平和統一家庭連合(旧統一教会)」を恨み、その広告塔となっていた安倍元首相を銃撃した山上容疑者の事件について、政権中枢、自民党など多くの政治家と宗教右派や「反社会的集団」との関係がマスメディアなどでもようやく取り上げられるようになったことは、結果的にはよかった側面と言える。また秋葉原事件との共通性などのコメントも散見される。

 

だがほかの人が述べていないが、私が重要と思うことがあるので、ここで簡単にメモっておきたい。

そのひとつは今回の「テロ」を批判できる人とは誰なのかという問題である。

2つめは、テロといっていいかという問題である。

3つめは、「テロ等の暴力が横行する暗黒時代」のドアが開くかもしれないという予感と心配の問題である。

4つ目は、統一教会安倍氏・政権・自民党の関係は単に「選挙で支援を受けたいから」ではないという点である。これは、なぜ自民党は「こんな反社会的勢力とは今後一切関係を断つ」と言えないのかという問題にかかわる

 

 

  • 1 非暴力主義しか今回の「テロ」を批判できない

 

安倍元首相を銃撃という暴力で抹殺したことはもちろん認められない。しかしそういえるのは、私が「非暴力主義」の立場をとるからである。

安倍氏など既存の政治家の多くは、政治闘争の中を泳ぎ、そこは力の勝負であると自覚している。安倍・菅政権で人事の権力を使って官僚を脅し、安倍の息のかかった人物・仲間を重用した。嘘を平気で言いつのり、相手をこき下ろし、文書を改ざんしたり破棄したりもした。慰安婦問題などでも示されたように、敵と味方を作りフェイクニュースで人々を誤った方向に信じ込ませた。オリンピック・万博、アベノミクスなどのスローガンを含め金の力で後の事にも責任もとらずに短期的に大衆を動員して自分たちの政治的支配を強化した。

つまり、安倍氏は謀略・陰謀・捏造などの手法もいとわず、すべては「力の闘い」であり、勝てばいいという世界観であった。だからこそ、軍事的にも強大になって相手を力で抑えればいいという路線となり、安全保障とは軍拡・戦争ができる状態にすることであるという路線をとり、教育にも復古主義を持ち込み、9条破棄含む憲法改悪までめざした。

安倍政権の中心であった安倍氏は暴力信奉者であり、そういう世界をつくって来た。その結果、地域のつながりや弱者救済の網の目をずたずたにした中での、自己責任論に洗脳された人物が、個人的恨みを暴力的に安倍氏に向けたのである。ある意味、安倍は「戦争状態の中で敵に暴力で殺された」ようなものである。安倍の世界観とその結果の社会とその犠牲者の中において、安倍が「敵」にやられたのである。それは安倍氏の生き方の結果的現れであった。安倍自身が武力・軍事力・暴力を「リアルな政治には必要」と選び取っていたのであるから、その敵が暴力を選ぶことは織り込み済みであった。其れが戦争というものであろう。それが安倍の生きる世界であった。したがって思想的に見て、安倍自身に、山上の暴力自体を批判することはできないだろう。核兵器もミサイルも持つべきという安倍に、「銃を持つな、銃で意思を示すな」という資格はない。

 

その意味で、この山上容疑者の蛮行を非難することができるのは非暴力主義者だけである。

憲法9条を守れ、非武装中立だ、自衛隊をなくせ」というような非暴力主義の主張に対して、お花畑だといい、現実政治には力が大事だといってきたのが、自民党や右派勢力のスタンスであった。安倍は選挙演説で「安倍帰れ!」といった者たちに対して、「こんな奴らに負けるわけにはいかない」と言ったように、トランプやプーチンばりに敵と味方に分け、敵をぶっ潰せとがなり立ててきたのである。安倍は自分が好んだ「暴力の世界」の結果に倒れたのである。

また統一教会の一分派であるサンクチュアリティ教会は、銃を聖なる道具とする信仰をもち、アメリカや韓国では合同結婚式をはじめ行事には全員銃を携えて参加するというような側面を持っていたという。

だから軍事力拡大を主張したり、「政治は権力闘争だから昔からそうであったように、金バラマキや謀略含め“汚い戦い方”をするものだ」という世界観で生きてきた人には、山上の蛮行を批判することはできないと思う。

暴力を肯定してきたものに、山上を批判できない。批判できるのは、非暴力を主張し、非武装を求める者だけではないのか。これが私の提起したい1点目である。

 

  • 2 山上容疑者の蛮行を「テロ」といっていいかという問題

 

山上容疑者は安倍と同じく暴力信奉者であった。彼の計算がどこまで深かったかはわからないが――彼の言葉では、安倍を倒した後の政治的影響など考える余裕はないと書いていた――、安倍を殺害したことで統一協会勢力がこれだけ追い詰められるのだから結果的に効果があったと言うべきである。

テロを政治的目的がある場合の暗殺のようにとらえる向きからは、山上は個人的な恨みだから「テロではない」という見方もあるようだが、統一教会の組織的な悪行を批判し、その団体にダメージを与えたいという社会的目的を持った攻撃であるので、テロリズムの一つとみて差し支えないだろう。

またテロという手法を認めたくないという視点から、「効果があった」と認めたくない、だから安倍襲撃と統一教会問題をつなげるな、深堀りするなという右派・保守側からの「くさいものにふた」論も出ている。だが、安倍をトップとする右派は、まさにテロと思想土壌を同じくする暴力主義を自ら広め、敵を倒すことに血眼(ちまなこ)になったのである。自らの言動を振り返りたくない者たちの逃げとして「テロではない」といっているだけである。

 

テロリズムとは「政治的目的を達成するために、暗殺殺害破壊監禁拉致による自由束縛など過酷な手段で、敵対する当事者、さらには無関係な一般市民や建造物などを攻撃し、攻撃の物理的な成果よりもそこで生ずる心理的威圧や恐怖心を通して、譲歩や抑圧などを図るもの」という一つの説明に照らしても、山上の行動はおおむね当てはまっている。

山上がどこまで理解・認識・計算していたかは不明だが、家族から金をむしり取り家族を破滅させた統一教会がおかしい、その勢力に打撃を与えたいとみていたことは、広くは政治的なまなざしと言えるからである。

目的達成のためには暴力的手法もありという世界観に立つならば――安倍氏もそうであった――、結果から見て、山上の方法は、戦略的には間違ってなかったとなる。暴力主義者ならそう考える。右でも左でもテロでも戦争でも同じである。

私は非暴力主義者であるから、目的達成のためになんでもあり、と思わず、だからこそ、山上の主観的感情や意図がどうであろうと、暗殺襲撃を批判できる。

非暴力主義への理解が、時に日本では無理解や偏見、浅い理解が多いが、そのことはここでは横に置いておく。

短期的には、暴力に対抗する手立てはなく、非暴力主義はなかなか勝てないと思うが、だからこそ非協力や逃げるのがせいぜいであるが、非暴力主義は長期的には戦い続ける。

最近では、ロシアの侵攻に対して、民族の自決権があるなどと言ってゼレンスキー大統領の路線を賛美するものは暴力肯定主義者の面があるが、これは非暴力主義などの理解が進んでいないことの一例である。だから日本ではマスネディアで「原理派」か「和平派」かの世論調査さえない。

以上、テロとして山上の行動は効果があった。それを批判できるのはだれかにかかわって、山上の行動をテロと認識したという話であった。テロを認めないためには、何がいるのかが考えられなくてはならない。

 

  • 3 テロが続く暗黒社会になるのではないかという予感?

 

今回のテロに効果があったということから、過去の歴史と同じく、同様のテロが続くのではないかと心配する人がいる。安倍元首相銃撃後の日本は、「テロ等の暴力が横行する暗黒時代」のドアが開くかもしれないという予感と心配である。

それにたいしての私のスタンスを簡単に記しておく。

私は、20世紀の最後あたり〈1997年ごろ〉から、「これからは暗黒社会化」が進むとみて、そのなかでいかに生きるかを考えていかねばならないということで「スピリチュアル・シングル主義」を提唱し、その後「主流秩序論」を展開してきた。グローバルな新自由義化・市場化の中でバラバラにされた個人が自己責任論で競争に駆り立てられるような社会では、人間不信・社会システム不信の絶望的な世界観がひろがり、暴力が蔓延すると見たのである。その中で自分はどう生きるか、どのような社会運動が求められているかを考えてきたのが、「スピシン主義」であり、『主流秩序論』であった。

つまり、ロシアのウクライナ侵攻がなくても、山上の安倍襲撃がなくても、すでに世界は酷いものになっていたと考える。秋葉原無差別殺傷事件も主流秩序に囚われつつその中で上位に行けない恨みを暴発させたものであった。

そうした人が大量に生産され続けている世界であるので、今後も様々な暴力的暴発が起こるであろう。今回の山上のテロはその一つであり、それに刺激されて、今後、同種のことは続き、それに対して、体制側がそれを口実に管理社会化を進めるであろう。

私は、この流れに対して、全体的政治的にはなかなか対抗して止める展望を持てない。しかし、社会の一部(片隅、はしっこ)において、短期的・中長期的に理想と信念を持って幸せに生き延びていくことは可能であるとみている。

ユニオンで個別の対抗をしていくとか、パワハラ・DVなどの身近な暴力に対して、当事者や支援者が暴力を減らす営みを行っていくことは可能であり、そこに希望があるとみている。すぐに選挙での勝利とか制度的な改革にまではいかないが、大きな意味で、人権・民主主義を地域のコミュニティの中で根付かせる営みである。

主流秩序の下位の者たち(違和感を持つ者たち)による、主流秩序に囚われない空間の創設といったものである。ユニオン・NPO・弁護士・メディアなどをつかって法的社会的公的に闘うことによって民主主義は屹立すると思ってきた。私は一貫して、闘いかた・サバイバルの仕方を具体的に教える教育が必要といってきたし、その一部を実践してきた。

つまり結論は、「いまさら、暗黒社会化を恐れてどうする?」と思う。ずっと前から暗黒社会化は進んできた。当面それは続く。その中で、きれいな精神を持って生きる、生き延びるということが追求されるべきだし、それはできるということである。古いマルクス主義を超えて、アナーキズムユートピアアニマルライツ観点を再生・豊富化して、新たなニューレフト」を作って行くことが展望である。

この展望から見て、宮台真司中島岳志など有名社会学者などの処方箋は生ぬるく、非実践的であると考えている。むしろ、暗黒社会・主流秩序の社会へのスタンスを示したものとして、キム・スヒョン著『私は わのままで生きることにした』(ワニブックス。2019年)が最近読んだもので一番希望を与えるものであった。山上の事件に対抗するのは、このキム・スヒョンの世界観である。そして私もかかわっている、ユニオンぼちぼちやDV 加害者更生プログラムのような実践である。

 

  • 4 なぜ自民党は「こんな反社会的勢力とは今後一切関係を断つ」と言えないのかーーー 統一教会安倍氏・政権・自民党の関係は単に「選挙で支援を受けたいから」ではない

 

自民党議員と統一教会との深い関係はかなり暴かれて来ているが、その多くは「選挙で支援を受けたいから」という表面的な理解で終わっている。そして統一教会との関係がよくないのは、霊感商法などをしたよくない団体だからという理解である。

だがそれはことの半分でしかない。

なぜ、なかなか、自民党議員は、「こんな反社会的勢力とは今後一切関係を断つ」と言えないのか。

お笑いコンビ「雨上がり決死隊」の宮迫博之や「ロンドンブーツ1号2号」の田村亮が、直接反社会勢力とのつながりはなかったが、その宴席に呼ばれて金を受けとったことが強く批判されたことに比べて、安倍氏やその他の政治家が統一教会の事実上の広告塔となったり関係を深く持っていたり、名称変更に加担したりしたことの方がはるかに社会的責任は大きいはずであるのに、どうして、反社会的勢力と手を切れないのか。

 

それは、まさに、統一教会の主張する世界観と、自分たち「政治的右翼勢力」の世界観が同一だからである統一教会を否定することは、自らの右翼的主張の自己否定につながるからである。

統一教会なるものはたんなる「集票の団体」ではなく、その思想が、自分と同じく、ナショナリズム民族主義血統主義、家父長制(ジェンダー秩序)、非科学的世界観に基づいて、反左翼、反共産主義、反フェミニズム、反人権、反平和主義、反個人(単位)主義(反夫婦別姓)、反LGBTQ(反同性婚)の団体であった。

それはほかの宗教右派、そして日本会議などの右翼組織と重なるものであり、それに沿って安倍を中心として、1990年代から、慰安婦問題での右翼からの攻撃、歴史教科書をつくる会などによる教科書問題での歴史修正主義的攻撃(侵略記述削除)、ジェンダーフリー性教育へのバックラッシュ攻撃、教育基本法を改悪して道徳主義・国家主義的思想の復活、韓国・中国・北朝鮮へのヘイト醸成をもくろんできた。まさに、その政治に内容において一緒になって右翼的な運動を展開してきたのである。その集大成が安倍政権であった。

 

たとえば安倍氏は、統一教会系の団体へのビデオメッセージで、「UPFの平和ビジョンにおいて家庭の価値を強調する点を高く評価します」といった。「家庭は世界の自然かつ基礎的集団単位としての普遍的価値を持っています」と述べて、個人を社会の単位とするフェミニズム的・ダイバーシティ的な世界観とそれに基づく政策、社会民主主義的制度に明確に反対の姿勢を示している。それは自民党憲法改革案でも如実である。

安倍が自分の国家主義的価値観を示すために「美しい国」という言葉を生み出し、主張し、著作を出したが、本のその言葉は、元は、安倍の著作出版の2年前に統一教会の人物が「美しい国」という言葉を使ったことを契機としていた。「美しい国」という言葉を使うことは、統一教会を含め右翼的世界観感を同一にもった仲間ということを示す記号だったのである。

2010年の参議院選挙において、統一教会の内部文書では、山谷えり子を応援するとしている。2010年の参議院選統一協会の文書で、「山谷えり子先生、安倍先生なくして私たちのみ旨は成就できません」「一番重要なことですがくれぐれも個人名山谷えり子と2枚目の投票用紙に記入することを何度も何度も徹底して下さい。自民党党名ではだめです」と書かれていた。

LGBT法案や同性婚法案に反対し、ジェンダーフリー攻撃をおこなって来た、悪名高きバックラッシャー山谷えり子を最も応援する団体こそが統一教会などの右翼組織であった。

 

安倍は、山谷だけでなく、杉田水脈など自分と同じく過激な右翼思想を持つ人物を立候補させ、自民党内で自分の派閥を大きくし力を増してきた。ネトウヨは、こうした流れのネットでの仲間・支持勢力であり、その価値観は日本会議統一教会とほぼ同一である。

ジェンダー・バッシングの際、フェミニズム批判に最も活発だったメディアのひとつは、『世界日報』という右翼宗教新聞だったがこれは統一教会系の新聞媒体であった。

組織名を変えて「家庭連合」というのも、その価値観を表している。

 

こうしてみると、どうして自民党右派が、統一教会やむちゃなバックラッシュやヘイトをしてきた日本会議や馬鹿なネトウヨを切ることができようか。根本から批判できるだろうか。反社会的勢力とみなすことができるだろうか。そんなことをしたら自分自身の否定である。だから、「何が問題かわからない」のである。関係を切ると宣言できないのである。選挙のためだけでは全くない。

自民党の保守・右派勢力は、統一教会を否定も関係断絶もできない。それはまさにそこは自分自身の基盤であるからである。(今後言葉上でごまかしても本質的には関係を切らないという意味)

 

 維新もその世界観において、こうした宗教右派自民党右派と近いものを持っており、同じ穴のムジナである。また公明党も、宗教を悪用し、真面目な創価学会員を利用してきて、戦後最悪の安倍政権を、ただ権力欲しさに支持し続け、大阪では維新とも妥協し、俗物のきわみとなっている。

 

 安倍氏銃撃事件、統一教会問題があぶりだしたものは大きいが、マスメディアはまだその一部にしか触れていない。

今回の私のメモが、より多くの人に共有されることを期待したい。

戦争と平和: 未だ「醜い世界」を問うために 中村文則

(ひもとく)戦争と平和:1 未だ「醜い世界」を問うために 中村文則

朝日新聞2022年7月30日 5時00分

 

本は私達(たち)に、様々な「気づき」を与えてくれる。

 『戦争プロパガンダ10の法則』(アンヌ・モレリ著)は有名な本だ。戦争プロパガンダのその「10の法則」が、そのまま各章のタイトルになっている。並べるだけでも興味深い。

 第1章「われわれは戦争をしたくはない」

 第2章「しかし敵側が一方的に戦争を望んだ」

 第3章「敵の指導者は悪魔のような人間だ」

 第4章「われわれは領土や覇権のためではなく、偉大な使命のために戦う」

 第5章「われわれも意図せざる犠牲を出すことがある。だが敵はわざと残虐行為におよんでいる」

 第6章「敵は卑劣な兵器や戦略を用いている」

 第7章「われわれの受けた被害は小さく、敵に与えた被害は甚大」

 第8章「芸術家や知識人も正義の戦いを支持している」

 第9章「われわれの大義は神聖なものである」

 第10章「この正義に疑問を投げかける者は裏切り者である」

 戦争がどう宣伝され、世を煽(あお)るのかがよくわかる。湾岸戦争時、ナイラと呼ばれた少女がイラク兵の蛮行を証言し、世界は怒り戦争に流れたが、後にPR会社作成の嘘(うそ)だったと判明し、大問題になったこともあった。

 ほぼ全ての戦争の背後に大国達の思惑と、資源や軍需産業の莫大(ばくだい)な利権があるのは言うまでもない。世界は未(いま)だに醜い。

 ■熱狂・無残・虚無

 その戦争の無益さを見事に描いたのが『戦争と平和』(トルストイ著)だと思う。

 ロシア人のトルストイは自身も戦地に行った。戦争に向かう人々の熱狂と、無残な実際の戦闘と、和平の虚無が描かれる。戦争で得たものと、その戦争で死んだ人々の命は釣り合うのか、という痛烈な問いがある。人々の死と釣り合う和平条約など存在しない。だから戦争は、始まる前にやめなければならない。

 指導者も歯車の一つに過ぎず、事柄の発生は全ての人が原因とトルストイは書く。だが僕はそれには濃淡があり、指導者達の責任は重いと思う。ロシアとウクライナの戦争で言えば、ロシアの大統領とその周辺を僕は許せないし、例えば米大統領とその周辺も許せない(既に指摘されている通り、オバマ政権の副大統領時代も含め、彼のロシアとウクライナへの関わり方を辿〈たど〉れば、争いを煽ったとしか僕には思えない)。

 この戦争は避けられなかった、と本気で言う専門家はいないのではないか。ウクライナの人々が気の毒でならない。

 本は危険な現実を進む私達に、ブレーキを踏む感覚を促してくれる。トルストイは、出来事の発生過程を丹念に描く。前述の戦争で言えば、抑止のためNATO加盟を望み、逆に戦争に結びついてしまう悲劇もあった。日本も煽られ「抑止」を強化し過ぎれば、周辺国との緊張を生み、ウクライナと似たことが起こるだろう。

 ■私は殺すのか?

 そしてそもそもの戦争の本質を描いたのが『俘虜記』(大岡昇平著)である。徴兵され、著者の大岡も戦地に行っている。

 部隊からはぐれた主人公は、密林で一人の若い米兵を発見する。相手は自分に気づいていない。今なら撃てる。今なら相手を殺せる。しかし――。

 私は殺すのか。

 私は殺さないのか。

 これは、人類の究極の問いになる。戦争犯罪は絶対に駄目だ。だがそもそも兵が兵を撃ち、弾丸が肉体をえぐりその命を奪うのはいいことなのか。戦争は長引く程人が死ぬ。今もである。

 ◇なかむら・ふみのり 作家 77年生まれ。『カード師』など多数。

 

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