ソウルヨガ

主流秩序、DV,加害者プログラム、スピシン主義、フェミ、あれこれ

ありゃりゃの10月4日

2022年10月4日 また、おそか過ぎる日

 

 

J アラートを鳴らし全部のテレビ局で警報を出し続け、国民に戦争の危機が迫ってるかのような錯覚を与え、軍事費増強・軍備増強の風潮を作ろうとする自民党政治

こんな策動に協力するマスコミでいいのか。

総理は「最大限の警戒をする」などと言っている。ばかか。

この程度の、日本に全く影響しないミサイルで「最大限」なのか。今は戦時下か?開戦したのか? ミサイルが次々飛んで日本の人々を殺しているのか?

まったくそうでないのに、大げさに政府が言う、それに無批判になって、戦時下のような報道。あほというしかない。

ウクライナの人に笑われる。

米国も、韓国も冷静で、浮足立ってない。当たり前だ。

北朝鮮が、いつも通り、空威張りをし、ただの実験しているだけだから。北朝鮮が日本本土を攻撃するはずがない。ただ、政治的に、こうしたミサイルの実験で、攻めてこられたらこっちは戦うぞと威張っているだけの戦略だ。

北朝鮮が日本を先制的に攻撃するはずがない、という真実を言わないで、すべての番組を止めて、長時間、「警戒してください、たってものに隠れてください」というテレビでアラートを言うのは、つまり必要なのに大騒ぎするのは、うそ報道であり、ロシアのメディアと同じ程度の、国の言いなりの報道ということ。

大政翼賛会的メディアになっているのではないのか。

日本本土に落ちないと分かったから、迎撃もしないのが自衛隊の実際。

迎撃もしないし、はるか上空を通り越し、もうはるか向こうの海に落ちても、いつまでもアラートを出しテレビで報道し続けていた。

北朝鮮や韓国や中国やとの対立を煽り軍事化を正当化する風潮を作ろうとする勢力の、作戦に完全に協力する人々。あるいは簡単に操される大多数の国民。馬鹿な人が多数になっている。

こころある人は苦々しくこの事態を思っているだろう。

 

自衛隊勢力、軍拡路線派、右派、ナショナリストたちは、軍需産業で儲けたい人々、産軍複合体と重なって、こうした策動を続けるだろう。危機を煽り、政治的にも勝利し、経済的に裏で大儲けする人々。軍事費拡大もその一環。

そんなことを考えもせず、歴史から学ばず、簡単に操られるメディアと大衆。

歴史を忘れる人が多数。

トランプ的な極右ポピュリストたちは 排外主義、自国第一主義民族主義的に人を煽っている。そうした策動が世界で広がり、極右的な勢力が伸びて、、世界的な右派と左派の対立・分断が進んでいる。

 

日本国憲法の精神など全く忘れて、「敵がこうならこっちも軍事力だ、先制攻撃能力だ、核武装だ」というような好戦的な態度思考が簡単に広がっていく。思想的な退行現象

愚かすぎる。

戦争の実相を知れば絶対に戦争しないという姿勢が必要だ。そのためにどう努力するのかという憲法のあの精神が全く理解されていない。

おろかな多くの多数派日本人には平和憲法はもはやふさわしくない。

だから愚かな多くの日本人は憲法の崇高な精神を捨てて愚かな国国民になるであろう。

中国の軍事化も、ロシアももちろんおかしいナショナリズム国家だが、日本も同類ということ。それさえ自覚出来ない思考停止。

 

しかしどんな国にも、そのような指導部・政治家、国民の多数に反して、まともに考える人々がいる。

そういう人は軍隊に参加しない。逃げる。徴兵拒否する。

私もそのような世界の平和主義者・人権主義者と連帯しできることをしていく。

戦争に加担しない道を歩んでいきたい。

少数派であっても。

 

それにしてもこのメディアの無批判性。全テレビ局、大多数の新聞で、政府の姿勢に無批判という状況。(まだ確認していないが、たぶん沖縄などの地方新聞や大衆紙の一部はきっとこの状況に批判的な意見も出すだろうし、ネットでも日刊ゲンダイやリテラなどもそのうち批判記事を出すだろうが。(私はまだ見てない)

 

こうしたときに、共産党立憲民主党も含めて、政党が明確な批判をすぐに出さないのが、選挙もある中での現状で、困ったものだ。

ウクライナ問題でも、自民と類似的な政治家が多い現状。

全体主義国家のメディアや政治家とどう違うのか疑わしい。

 

まともなメディアなら、直ちに、生放送時点において、政府の押し付けに対し抗議し、自主的な判断で批判的な意見も入れてミサイル報道もすべきではないのか。

 

しかも笑える自体が、Jアラートに関する「間違い」の報道。私は朝にどうして東京都の南の方の島もJアラートの対象なのか、おかしいなと思ったら、やはり間違いだった。

だが、各テレビ局は、「この警報はおかしいですね」とは誰も言わない。疑問くらい提起してもいいだろうに。

それどころか、ミサイルが遠くに落ちた後も、電車はとまったまま、ヘルメットをかぶったり、頑丈な建物から報告しますと地方の報道者が話をしている。

あほか。

 

 松野官房長官が4日午後、記者会見で、北朝鮮弾道ミサイル発射に関するJアラートなどの情報伝達について、「ミサイルに注意が必要となる地域でないにもかかわらず、東京都の島しょ部の9つの町と村に、ミサイルが発射された旨の情報伝達が行われた」とようやく述べて、メディアはそれを報ずるも、政府への批判も、自己批判もなし。

中国やロシアや北朝鮮のメディアと同じじゃないか。

 

東京都の島にJ アラートが間違いというのは素人でもすぐにわかるじゃないか。

それを無批判に流すメディアは、まったく自分の頭で考えられないということで、

これで権力チェックができるのか。

権力の監視など全く考えてない馬鹿メディアということが露呈。

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それは玉川氏を処分する朝日テレビ問題についても、同じような思考停止、全体主義国家化が見て取れる。

玉川は安倍晋三元首相の国葬菅義偉前首相が読んだ弔辞について、「これこそが国葬の政治的意図」とコメント。続けて「僕は演出側の人間として、テレビのディレクターをやってきましたから、そういうふうに作りますよ。政治的意図がにおわないように制作者としては考えます。当然これ、電通が入ってますからね」などと演出だったと主張した。

 

これに対し、ネトウヨが騒ぎ、非派が多くあったので、

玉川は9月29日の同番組の放送で「昨日、私が安倍元総理の国葬電通が関与しているとコメントしたんですが、この発言は事実ではありませんでした」と誤りを認め、謝罪した。そして10日の謹慎処分とされた。

保守・右翼系のテレビ言論人が、目立とうと思って、これにかみつく。橋下徹氏が別の番組で「許せない」と発言。アルピニスト野口健氏がSNSで「退場処分を検討すべき」とし、お笑いタレントのほんこんも「菅前首相に謝ったんか」と怒りのコメント。ネトウヨが大さわぎ。まあ予定通り、でもそれに負けて朝日テレビが処分するとは。

そしてこの処分をおかしいという人がいないのがおかしい。

プチン批判した人が処分されれて当然というロシア国内の状況と重なる。

 

私は、この玉川批判、玉川処分動きはおかしいと思う。

 

玉川が言ったことは「電通がかかわっていた」という部分がおかしいだけ。

裏で電通がかかわっていたかかどうか私は分からないが、だれかによって演出があったということ自体はおおむね間違っていないと言える。したがって、謝罪するとしても一部のみであり、それほど大きな問題ではない。

政治家が一定の配慮や計算で様々な発表をするのは当然のこと。其れは安倍国葬という、自民党、右翼保守勢力が政治的に設定した茶番劇であったのであるから、そこでの発言も計算されているのは当然。

そうでなく、純粋な菅の思いと見るのが間違い。

例えばス少しでも政治を本気で学べば、そしてせめてテレビドラマである程度の政治の裏を知れば、当たり前の話である。

韓国やアメリカの大統領を扱った「サバイバー」を思い出せば良い。

大統領が、全ての場面でどのような発表するのか。それはそれ自体が政治であり配慮であり、言い方も話の内容も、服装も、すべて計算してなされる。修辞的な表現も当然考える。スピーチライターがいるのも当然であり、どのように人々の気持ちを掴むのか、どのように政治的な危機を脱出するのか、真実を隠したり、一定公表したりどこまで言うのか、すべて、状況に対する政治的な判断だ。対メディア対策も、だますのも隠すのも、政治だ。感動的に話す力は政治家個人の資質もあるが、それも含めて、政治的能力であり計算である。

全て計算づくである。其れが政治家だ。

博報堂電通でなくても、スピーチの原稿を書くのがうまい人物を身近に置くのが政治である。

今回、菅の弔辞など私には、陳腐で、何ら感動などしないが、あれで感動する人がいるのもわかる。それはどういう小説やドラマや歌や映画やアニメ・マンガで感動するか、人それぞであるからだ。

問題は、菅が一人で書いたとしても計算があるし、身近なスタッフにみて貰ったりチェックしたりした可能性はかなり高い。話し方の練習もしただろう。周りから、そこはもう少しゆっくりとか、こういう表現にしたほうがいいとか、指導された可能性は高い。そうしてできたあの弔事に「演出がある」と指摘した玉川の指摘は、あながち間違いでないので、すなおに「感動した」という人に、計算もあるよと指摘するのはあってもいだろう。「感動した」というだけでは全体主義国家の、テレビ局と同じだからだ。

 

裏をとれてないなら、「演出が多くの場合あるので、今回も、周りと相談したり、練習して、作り上げただろう。どうしたら効果的か、相談した可能性は高い」とでもいえば、間違いではなった。

それを「電通が入っている」と断定的に言った点だけがおかしかったのである。

 

つまり、菅、本人以外のかかわりがあって、そうした演出があるのは当然であり。そのことを指摘したこと自体は間違いではないということである。

 

それに対し「菅さんの純朴な友人としての心のこもった弔辞を批判した」と言ってネットではネトウヨ及び右派言論人が騒ぐ。驚くことに、「刺さった、感動した」という人もかなり板ということ。

なんだかなあ。あんな程度の文章に感動するのか。

「操るのが簡単な人」が多いんだなあと思う。

ドラマでも映画でも、小説でも、もっと深く、繊細で、素晴らしものが多くあるというのに。

たとえば、つい最近、身近にでも、「初恋の悪魔」のような作品があった。「ドライブ・マイ・カー」もあった。

そしてもっともっとすごい作品はあまたあった。

愛が、ひとつだけあげるなら「あなたになら言える秘密のこと」、のような。「マイディアミスター、わのおじさん」のような。

そうしたレベルで私たちは人の痛みや人権を考えようとしてきたし、戦争に反対してきたのだ。

 

メディアが権力をチェックするなら、玉川の発言で、権力やネトウヨに少し批判されて、すぐに処分することをおかしいと言うべきなのに、誰も言わない。(まだ私はなにも見ていない)

いい加減なファクトに基づかない報道をこれから発言したものは、では今後どうするのか。産経や読売や、テレビでの、橋下など 皆の発言に対する、テレビ局などの姿勢を見ていきたい。

 

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国葬に加担するな

国葬などいらない。法的に国葬ができるようにしてはならない。国葬というときに、国の指示通り、国葬イベントに加担してはならない。個人的な葬式はすんでいるので、安倍の死亡を悼むかどうかの問題ではない。

安倍の国葬は、安倍のためでなく、安倍の死亡を利用した政治勢力の道具でしかないのは明らかであり、そんなものに踊らされたり騙される愚かな国民であってはならない。

公文書改ざん問題で亡くなった財務省の赤木さんの死に対してこそ、国を挙げて、政権の政治がゆがみ、不正なことを強要して苦しめて申し訳なかったと謝罪して「国葬」的なものをすべきだろう。それをせずになぜ安倍だけするのか。

命を懸けて国葬反対と言って焼身自殺しようとした人の思いを軽視していいのか。その思いを聞かずに無視する空気(迷惑、事件・テロ扱い)は何なのか。同じ命の重みに対してのこの差別には愕然とする。一時はコロナで毎日250人以上が死んだ。ウィズコロナだ、経済だと言っての、命の軽視である。

自分で考えないから、人の死亡にも、メディアによって重みを示されないと痛ましいと感じることができなくなっている。戦争で敵が死ぬことに鈍感になるのと類似して。メディアが騒げば悲しみ、メディアが言わなければ悲しまない。

そんな中で安倍の死だけ重いものとし、美化し特権化するこの愚かさ。人間の格差付け。天皇→超上級国民(安倍はこのトップ)→上級国民→中級国民→下級国民→在日外国人→韓国、中国、北朝鮮 というような身分制的排外主義的ナショナリズム的主流秩序。

民主主義をつぶした安倍が、死んでもまた民主主義をつぶすことに貢献している。

国葬的な発想は、今後、戦争してそこで「殉死」した兵士を国をあげて美化し弔うような政治にも使われる。

朝鮮学校を差別して恥じない国のこの愚かさが国葬でも現れ出ている。

国葬の時にどういう態度をとるかは、主流秩序への向かい方ということでまた各人が問われる。安倍だけを特権化する猿芝居に加担することを無自覚に行うなと言いたい。

個人的に安倍の死亡を悼むなら個人的に悼むべきである。みんなで赤信号渡れば怖くないとばかりに、みながしているからと言って政治的芝居の演出家の思惑通りに舞台に上って踊るな、と思う。

付け足せば、国旗国歌に従属するかどうかと同じ問題。

 

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「慰安婦」問題解決全国行動の声明

 

慰安婦」問題解決全国行動の声明です。安倍のしたことを客観的に羅列した、まったくまともな視点と思います。

 

声 明

岸田首相は、安倍元首相の国葬を直ちに中止せよ!

 

私たちは、安倍元首相の国葬に、断固反対する! 安倍元首相は、1993 年に憲法改正と戦争のできる国を目指して議員になった。同年、「慰 安婦」制度への日本軍の関与と強制性を認めた河野談話が発表されたが、安倍元首相がこ の河野談話の見直しに執念を燃やしたことはよく知られている。都合の悪い歴史的事実を なかったことにするため、国会で虚偽答弁を繰り返し、公文書の破棄・改ざんなど、やっ てはならない行為を重ねた。

2000 年の「女性国際戦犯法廷」を取りあげた番組「問われる 戦時性暴力」を改ざんさせるため、NHK に恫喝をかけたことは象徴的だ。

安倍元首相は 1997 年、「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」の事務局長に就 任し、教科書検定制度を利用しながら教科書攻撃を強めた

。2006 年首相に就任すると教育 基本法を改定し、2007 年には日本軍「慰安婦」問題について「強制連行を直接示す証拠は ない」と発言し、閣議決定を行った。

 安倍元首相は、2012 年に再度首相に就任。中学歴史教科書から「慰安婦」記述がすべて 消された。河野談話を傷つけるために、その作成過程を検証した。2014 年、メディア支配 を意図して、朝日新聞を激しくバッシング。過去に産経新聞なども取りあげた吉田清治氏 の証言報道を理由に、朝日新聞こそが「慰安婦」問題を捏造、世界に広めて日本を貶めた 元凶と右派論壇を使って喧伝。現在もメディアは「慰安婦」問題報道をタブー視し、右派 論壇が幅を利かせている。

安倍元首相は、2015 年 8 月に戦後 70 年談話を発表したが「慰安婦」の言葉は一つもな く、「子や孫に謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」とした。人々の記憶から都合の 悪い歴史を消し去ろうとすることは、次世代への責任の放棄だ。同年 12 月、「日韓合意」 が発表され、「慰安婦」問題の「最終的かつ不可逆的解決」を宣言。この時安倍元首相は朴 槿惠大統領に電話で謝罪したと言いながら、国会で被害者への謝罪の言葉を何度促されて も拒否し、謝罪の手紙について問われると「毛頭ない」とすかさず応答した。

 日本軍性奴隷として人生を奪われながらも、勇気をもって名のり出たアジア各国の被害者 の声に一度として耳を傾けることなく、事実を否定し、被害者を侮辱した。

安倍元首相は、「家族の絆」「家族の助け合い」を掲げてジェンダーフリー性教育に対 する攻撃を続け、女性の人権を踏みにじった。その背景に旧統一教会自民党が一体とな ったジェンダーバッシングがあったことが明らかになってきた。

失われたものはあまりに も大きく、必ず検証されなければならない。 安倍元首相と旧統一教会の結びつきが明らかになっている今、岸田首相は徹底した調査 を通じて安倍政治の過ちをすべて明らかにし、糾していかなければならない。

 岸田首相は、国葬を止めて、市民の声に耳を傾けよ。 岸田首相が国葬を強行するなら、残された道は辞任しかない。

 2022 年 9 月 21 日

 

軍「慰安婦」問題解決全国行動

 共同代表 梁澄子 柴洋子

 

 

プレカリアートユニオンのババカヲルコさんの歌

プレカリアートユニオンのババカヲルコさんの歌

 

プレカリアートユニオンのステキな集会の動画の情報をお知らせします。

「LGBTQ+労働相談応援ライブ&トーク第2弾」(2022年8月11日)

https://youtu.be/Q12h0-0i1XA

ブログの記事はこちら→

https://precariatunion.hateblo.jp/?page=1660909765

 

その中の、ミュージシャンのババカヲルコさん(組合員)の歌、フェミで良かったです。

「安い給料でニコニコ笑っていろだなんて一体どんな仏さまに要求してるの? 私は人間 私は人間 女の形をしてるけど人間なんです」(作詞・作曲ババカヲルコ『人間ですから』)、

そして「フェミサイドバラード」「ひな祭り」「みんなのCOOL JAPAN」「COOL JAPAN」どれもよいので、これだけでも聞いてみてください。

 

セクシュアリティに関わらず誰もが安心して働ける職場にしよう、を合い言葉に、プレカリアートユニオンは6年ほど前から相談活動をしています。

第2部のトークでは、「解決できる!LGBTQ+が直面する職場の困りごと」をテーマに、組合員で看護師/映画監督の浅沼智也さん、SOGIハラにより休職し団体交渉を経て復職を実現したトランス女性の組合員と、hirano taichiさんも登壇。トランスジェンダーが職場で直面しがちなこと、プレカリアートユニオンに加入、交渉して解決できたことなどを共有し、意見交換がなされました。

 

他の地域の方も地元の、LGBTQ+やジェンダーにちゃんと理解あるユニオンを見つけて相談してくださいね。

 

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性教育・ジェンダーフリーバッシングと[統一教会・日本会議」  ソクさんの研究も参照のこと

性教育ジェンダーフリーバッシングと統一教会

統一教会性教育」ということで、当時性教育バッシングをしていた中に統一教会の動きがあり、そことつながった山谷えり子議員や安倍晋三議員が国会で性教育やジェンダフリー攻撃をしていたことをまとめた放送が、KNB北日本放送)で流されました。ようやく、こうした報道が出ました。選挙のためだけではなく、まさに思想的な一致で一緒にひどいことをしてきたのです。

https://www.knb.ne.jp/bangumi/news/article_detail.html?sid=8515&date=20220902&rid=18

 

これと似たことを、以下のソク・ヒャンさんの著作では、大阪で性教育していた教員への攻撃に対するインタビュー調査として詳細に記されています。

 

石 楿(そく・ひゃん、Seok Hyang)
ジェンダーバックラッシュとは何だったのかーー史的総括と未来へ向けて』
インパクト出版、2016年2月)

 

じつは私がこのバッシングの被害にあった先生と著者をつないだこともあり、私はこのインタビューに同席しました。

ぜひ見ていただきたいとおもいます。性教育ジェンダーフリー攻撃は、安倍さんを中心とした右翼勢力、日本会議などと一体になって行われたものです。安倍議員と山谷議員が、統一教会のイチオシであったことはすでに資料によって示されています。

週刊金曜日の2016年8月5日号では、「特集 日本会議憲法」でジェンダー平等へのバックラッシュのことも編集部がまとめています。

日本会議統一教会の関係、重なりを今後はもっと報道すべきです。

なお、ジェンダーフリー攻撃のさなかに一部フェミニストジェンダーフリー概念を批判した問題の総括も課題として残っています。

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ソクさんの博士論文 一部参考までに「目次」紹介

 (性教育バッシングは5章)

この博論をベースに、簡略化して上記出版物となりました。

 

日本女性政策の変化と「ジェンダー・バックラッシュ」に関する歴史的研究

 

石 楿

 

【目次】

 

序 章 ……………………………………………………………………………………

 第1節 研究の目的と問題提起

 第2節 先行研究と本研究の着目点

 第3節 研究方法と論文の構成

 

第1章 現代日本社会の「ジェンダーバックラッシュ」現象 …………………

 第1節 はじめに

 第2節 「ジェンダー」「ジェンダーフリー」の概念と意義

  1.用語の概念と使い方

  2.用語の導入の歴史

  3.「ジェンダーフリー」をめぐる混乱

  4.政府の用語に対する見解

 第3節 「ジェンダーバックラッシュ」の概観

  1.バックラッシュの背景と意味

  2.バックラッシュの背景としての右傾化

  3.バックラッシュの具体的な内容と事例

 第4節 おわりに

 

第2章 戦後日本の女性政策の変遷―「バックラッシュ」以前 …………………

 第1節 はじめに

 第2節 戦後から1960年代の民主化政策 …………………………………………

  1.1945年から1960年代の社会状況

  2.重要な女性政策・制度

    (1) 婦人参政権の実現

    (2) 日本国憲法の制定

    (3) 民法改正と「戦後家族」の形成

    (4) 労働基準法の制定

  3.小活

 第3節 高度経済成長期から1970年代の女性政策 …………………………………

  1.1970年代の社会状況と女性労働

   1.1 高度経済成長期から1970年代の社会状況

   1.2 高度経済成長期の女性労働の実態

  2.1970年代の重要な女性政策・制度

    (1) 日本企業の雇用管理

    (2) 勤労婦人福祉法の制定

    (3) 社会保障社会福祉体制の整備

    (4) 女性差別撤廃条約の署名

  3.小活

 第4節 1980年代の日本の女性政策 …………………………………………………

  1.はじめに 

  2.1980年代の社会状況と女性労働

   2.1 1980年代の社会状況

   2.2 1980年代の女性労働の状況

  3.1980年代の重要な女性政策・制度

   3.1 男女雇用機会均等法の制定

   3.2 女性差別撤廃条約の批准

        (1) 国籍法の改正

        (2) 家庭科の男女共修

   3.3 被扶養の女性を前提とする社会保障

        (1) 日本型福祉社会

        (2) 年金改革と国民年金第3号被保険者制度

        (3) 配偶者特別控除の創設

(4) 保育政策と育児休業制度

  4.小活

 

第3章 バックラッシュ」登場の時代の女性政策―1990年代以降 ……………

 第1節 はじめに 

 第2節 1990年代以降の社会状況と女性労働

  1.1990年代以降の社会状況 

  2.1990年代以降の女性労働の状況 

 第3節 1990年代以降の重要な女性政策・制度 

  1.少子化の進展と育児休業法の成立

    (1) 少子化の衝撃「1.57ショック」

    (2) 育児休業法の成立と改正

  2.男女雇用機会均等法の改正

    (1) 男女雇用機会均等法の改正

    (2) 女性の非正規雇用の激増

  3.男女共同参画社会基本法の制定

    (1) 国連の勧告と国内本部機構の設置

    (2) 男女共同参画社会基本法の制定

    (3) 基本法の名称をめぐる議論

  4.ストーカー規制法とDV防止法の制定

    (1) DV防止法の制定

    (2) DV実態調査の状況、犯罪被害の実態

  5.日本型福祉社会の行きづまり

 第4節 まとめにかえて―右翼の動きとバックラッシュ

 

第4章 地方自治体のジェンダー行政とバックラッシュの流れ 

    ―4つの時期を中心に(1996~2009)― ……………………………………

 第1節 はじめに

 第2節 バックラッシュの流れに関する時期区分

  1.4つの時期とその区分理由

  2.バックラッシの時期区分(年表)

  3.バックラッシュ派の「主体」はだれか

 第3節 バックラッシュの主要内容

  1.バックラッシュの発芽期(1996~2001年)

  2.バックラッシュの加速化期(2002~2004年)

  3.バックラッシュの最盛期(2005~2007年)

  4.バックラッシュの小康状態期(2008~2009年)

 第4節 おわりに

 

第5章 大阪府A市立B中学校における「性教育バッシング」の事例 …………

 第1節 はじめに

 第2節 事件の概要

  1.N先生が攻撃のターゲットになった理由

  2.A市立B中学校「性教育バッシング」の経過

 第3節 N先生への聞き取り調査

  1.外部団体の人物からの攻撃、校長の反応

  2.職員会議での反応と組合の反応

  3.市教育委員会の反応

  4.保護者と生徒たちの反応

 第4節 性教育の授業実践

 第5節 考察

 

第6章 ジェンダーバックラッシュ勢力の言説とその思想的特性

    ―性と家族・伝統を中心に― ………………………………………………

 第1節 はじめに

 第2節 性(性別・性の多様性)

  1.男女二分法と「男らしさ・女らしさ」論

  2.ジェンダージェンダーフリー

 第3節 家族と家庭科教科書

  1.家族と伝統

  2.家庭科教科書

 第4節 おわりに

 

終 章 ……………………………………………………………………………………

 第1節 ジェンダーバックラッシュとは何であったのか

 第2節 バックラッシュを軽視してしまう日本社会の病理

 第3節 おわりに

 

論文初出リスト ……………………………………………………………………………

 

在日外国人(在日コリアン、在日朝鮮人)を差別する主流秩序

 

日本社会で朝鮮学校在日朝鮮人を差別する政策が続いています。それを分かりやすくまとめた記事が出たので紹介します。

こんなあからさまな差別に鈍感な日本社会を私【伊田】は恥ずかしいと思います。どう思いますか。

 

コロナ下で朝鮮学校の排除拡大、国連の是正勧告に従わない日本政府  マスク支給でも格差、「非人道的」批判受けたさいたま市は撤回 在日朝鮮人差別問題・前編

2022/08/29

https://nordot.app/927736446480662528

 

「官民一体」の在日朝鮮人バッシング、安倍元首相銃撃でも飛び交ったヘイト 各種学校口実の排除、幼保無償化からコロナ対策支援にも拡大 在日朝鮮人差別問題・後編

https://news.yahoo.co.jp/articles/aec592df2ce68c462a8c28f2adb50272788496f5

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NOVOより連絡――大阪市HPで加害者プログラム開始情報

NOVOより連絡――大阪市HPで加害者プログラム開始情報

申し込みは9月末まで

 

NOVOは今、定員満杯のため新規募集を停止しています。申し訳ございません。

 

そんな中、大阪市とNOVOの連携による「新規の方向け DV 加害者プログラム」が10月から1月まで低価格で開始されます。(今回のみ)

詳しい情報は以下のHPに掲載されています。

https://www.city.osaka.lg.jp/shimin/page/0000573002.html

 

チラシ(PDF形式, 867.99KB)

9月中に申し込む1回だけの機会です。10月から毎週参加で16回。非常に低価格となってます。

募集資格が大阪市在住、あるいは通勤・通学などの方となっていましたが、

其の後、大阪市の人優先、しかし人数が十分多くなければ、大阪市以外の方も受け入れうとなりました。

ですからどなたでも申し込んでください。

 

 

DV加害者プログラム 受講者募集

2022年8月26日

 

大阪市では、内閣府の「令和4年度配偶者暴力加害者プログラムに関する調査研究事業」の一環として、民間支援団体と連携して「DV加害者プログラム」を試行的に実施します。

「DV加害者プログラム」とは、DVをしてしまった参加者がグループで互いに話を聞き合うことで、暴力がもたらす影響や力と支配の関係などを学び、暴力の責任は自分にあることを認め、暴力の再発を防ぐためにはどうすればよいのか等を考え、日々、生活の中で「非暴力」を実践するためのプログラムです。

DVをやめること、非暴力的で適切なコミュニケーションについて、学んでみませんか。

対象者

 

大阪市在住、在勤、在学の男性(定員に達しない場合、それ以外の方も参加可能なのでとりあえず申しこんで下さい)
・DV行動をやめたい、DVを真摯に反省し変わりたい、パートナーとDVではない良い関係を築きたいという方
・全16回のプログラムに参加可能な方

日程

2022年10月~2023年1月(全16回) 

各回 10:00~12:00

詳細はこちら

プログラム内容

ポイントとすること

 ① DV支配の多様なあり方を知る

 ② 社会や自分の中にある暴力容認意識やジェンダーのしばりなどDVにつながる「ゆがんだ考え方」に気づく

 ③ パートナーや子どもとのDVや虐待ではない良い関係について学ぶ

 ④ 自分の過去や、感情とも向き合いながら、これからの自分をイメージする

   ※ プログラムはオンライン(ZOOM)による少人数のグループワークで実施します。
      面談は大阪市内の事務所で行います。
     ZOOMの練習にも対応しますので、お気軽にお問い合わせください。

プログラム一覧はこちら

申込方法

メールで申し込みしてください。

件名:加害者プログラム参加希望

本文:氏名、連絡先

送信先:NOVO「非暴力ルーム・大阪」
     novo_osaka@yahoo.co.jp

※ 事前に対面により個人面接(2回)、パートナーの方との個人面接(1回)を実施します。

※ プログラムの申込の受付締切は9月末を予定しています。申込状況により早まる可能性があります。

受講料

5,000円(プログラム16回分)

 ※ 一部参加できなかった場合でも受講料の返金はできません

注意事項

  • 本プログラムは内閣府の調査研究の一環として、大阪市が市内の民間団体(NOVO)と連携して実施するものです。
  • 受講者には、アンケート調査等への協力をお願いします。また、受講の様子を見学させていただく事があります。(個人を特定されるようなことはありません。)
  • 面接の内容や申し込み状況によって、ご参加いただけない場合があります。
  • 被害者支援を目的としていますので、必要な場合はパートナーと連絡を取ることがあります。  

共催

内閣府 男女共同参画局 男女間暴力対策課

大阪市 市民局 ダイバーシティ推進室 男女共同参画

 

日程表 / プログラム

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「それが真実の力です」―――『新米史官ク・ヘリョン』

「それが真実の力です」―――『新米史官ク・ヘリョン』:日本の政治家・官僚・メディア人に、この”史官”の気概がわかるのか

 

2022年8月19日

 

朝鮮史には、王宮で起こる出来事や発言のすべてを公平な目線で記録して後世に残す役割を担った”史官”がいた。正確には時代によっていろいろあるようだが、おおむね以下のようなもの。

(出所:OC90.歴史の記録者?(サグァン史官) | 韓国朝鮮 歴史のトリビア (ameblo.jp)

https://ameblo.jp/ichigayasongho/entry-12640992134.html

 

高麗時代には藝文春秋館、春秋館、史館などの名称だったが、1401年(太宗1)に春秋館と改称された後、朝鮮末期まで継続され、1894年(高宗31)甲午改革のとき議政府所のピョンサグク編史局に改編された。 

 

記録するものを「史草」という。国王や世子(せじゃ:次の王)の動向を始め、重臣会議などを同行・参加して記録した。発言だけでなく各種見聞・秘密・百官の人物評なども書いた。

 

その「史草」をベースに、編集して『春秋館時政記』や王が死んだ後に王の時代をまとめた「朝鮮王朝実録」など、上位の記録書となった。

 

基本的に国王のいるところや会議などどこにでも参加し記録するのであるからそれ自体がすごい。

そして歴史について残る大事なものであったので、史官が記録する史草と春秋館書類の質・量を保証するために、

文書の抹消・漏洩・翻案を行った者は厳罰とする、

国王の史草・実録閲覧禁止、

史草者の名前不記載(もしくは記載)など、

史官を守るルールが設定されたという。

 

特に注目されるのは、国王が「史草の中身をみることができない」というところだ。本当のことを書けるように、あとで文句を言われたり書き換えさせられないために、公平に記録するための処置だ。

改ざんも変更も認められない。どんな内容か、外部に漏洩してもだめ。

 

 もちろん現実には、それが権力者によって守られなかったこともあるというが、この原則自体がすごいし、そのやぶられた記録が残っているというだけでも、すごい。

 

上記ブログによると、

実際には、これらのルールを破る以下のような事例があったという。

 

①史官の直筆を好まない国王・大臣・承旨らによる史官の弾圧、

②国王の横暴で断続的に入侍が停止される事態の発生、

③1393年(太宗2)都合の悪い史草を提出した史官が罪に問われる事件が発生、

④1393年太祖が史料を閲覧、

⑤1468年(睿宗1)「世祖実録」の編纂時に悪筆した大臣の報復を恐れて史官が史草を改竄し罪を負う事件が発生、

 

⑥1498年(燕山君4)キムイルソン(金馹孫)が、金宗直が書いた「弔義帝文」史草を納入したことで朝鮮王朝屈指の大事件『士禍』が発生、

⑦1545年(明宗1)乙巳士禍に言及した史官が犠牲になった事件、
⑧党争に関連して宣祖実録,憲宗実録,景宗実録の編纂で士官が弾圧を受けた件、
など。

 

当然、政治家、権力者はすべてを聞かれたり書かれたり、陰謀や不正を書かれたくないので、どの時代も、すごい圧力があったりルール破りもあっただろうが、施政の善し悪し、人物評価、不正も横暴も何もかも書く、公正に事実を残すという上記原則がいちおう確立していたことがすごい。

 

だから国王・執権官僚の専横、不正を密かに牽制して儒教が標榜する仁徳政治の実現に貢献した部分も有るということだ。

 高麗•朝鮮王朝は豊富な歴史研究史料を残しており、世界随一の『記録国家』としての異名があるという。

 

****

さて、私はこの事実を知らなかったが、韓国ドラマ『新米史官ク・ヘリョン』をみて、そういう職務・組織・ルールがあったのだと知った。

ブコメ仕立てのよくできた話で、歴史的事実と異なる「女性が初めて史官になった」設定なので、創作物(フィクション)なのだが、その中で、王宮で起こる出来事や発言のすべてを公平な目線で記録して後世に残す役割を担った”史官”の心意気というのも大事なテーマとなっていた。

 

それは現代政治に対する、製作者たちの心意気が出ているものであった。

 

だから、このドラマを見て思ったことを以下メモっておく。

朝鮮史の現実は決してこの理想通りではなかったにせよ、制度としてそういう志向があったことは誇るべきことだろう。

そしてその精神は、実は、現代における公的文書管理の法律の精神につながっている。

 

 

「史草」を残す史官たちが所属する組織=芸文館は、権力から独立したものという気概で、王様にさえ文書は見せないし、内容も公平に事実を書く。王などが出て行けと言っても出ていかない。ヘギョンをはじめとして、史官たちは、濃淡はありつつも、そこに誇りを持って勇気をもって、歴史の史官・先輩たちに恥じぬようがんばっている。

だから内容記録の内容を見せろとか、部屋に入るな(同席するな)とか言われても抵抗する。

 

これを見て、直ぐに、日本の公的文書への態度との差を思った。「公文書などの管理に関する法律」があっても法律自体が全く不十分だし、しかも驚くべきことに守られない。

安倍政権では改ざん、破棄、隠ぺい、などが平気でなされた。

 

  宮廷の政治など記録は王様でも見られないということとの何という差か。権力に都合よく使われないよう、圧力がかからず公平に記録されるように必死で守る朝鮮の史官たちに比べて、日本では権力におもねったり、自分たちの責任を問われることを恐れて、どれほど多くの文書を隠蔽や破棄している事か。記録を残さないというようなことがオリンピック関係でもコロナ関係でも多く見られた。

 

全ての文書を電子データで保管するようにすべきなのに、破棄していいルールを多く作りしかもそれも守らず早めに破棄している。

 

いま米国のトランプ元大統領が機密文書を持ち出した問題で、てんやわんやであるが、

米国には、それなりの法律があり、今までそれなりに守られてきた。日本より制度が整っているので、30年後は公開されるし、そのためにかなり保存されている。

今回知ったが、ホワイトハウスにはシュレッダーがおかれていないという。

日本ではシュレダーでどんどん破棄するが、米国ではそれが安易にできないように、大統領の関係はメモでもなんでもすべて持ち出せない。シュレッダーがおかれない。それほど公文書を残すことに努力が積み重ねられている。

 

公文書問題の基本理念は、公文書は国民の財産だということだ。トランプは特異な異常者だから無茶苦茶するが、これまで他の大統領はそれなりに表立ってはルールを守ってきた。 トランプは機密解除をしたというが、大統領でなくなってからとかもう無茶苦茶である。機密解除できない文書も持ち出しているようだ。

トランプと安倍元首相とプーチンはは平気でうそをつく点で非常に似ている。

公文書管理の思想は、うそを言うかどうかにもかかわる。平気で文書を破棄したりうそを言えるのは、歴史に判断を任せようという大きな政治の観点がない。

なにをしても勝てばいい、まずいことは隠せばいいというこざかしい政治家や軍人、役人には、過去m全て燃やしたりシュレッダーにかけてきた。抑々記録を作らなかったり、作っても「ない」と言ったりした。第二次大戦末期、どれだけ戦争犯罪になるような記録が燃やされたことか。

恥ずかしい限りである。

まともな右翼で日本の国を愛する誇りある人なら、そうした行動を非難すべきであろう。歴史に恥じない行いをするならば右翼でも左翼でもまともだが、人に知られてはまずい証拠を消してばかりの政治家や軍人にはあきれる。

しかしそうした人が多くなり、官僚までそれに毒されている。

安倍・菅政権でその腐敗は頂点に達している。

 

再度いう。右翼でも保守でもいい。歴史に恥じないことをすればいい。だがトランプにもプーチンにも安倍にもそうした人格者の面がない。むしろKGB的な、なんでも汚いことをし、隠し、破棄し、うそをつけばいいというような感覚だ。ヒトラーと同質のレベルの人物たちだ。

 

だから国会を開かないし、まともに論戦しないし、相手の意見に耳を傾けていい意見をとりいれようともしない。民主主義を一番破壊したのは安倍であり近年の自民党だ。

自分の仕事への誇りという観点がない。

そうした米国や朝鮮に比べて、日本はあまりにお粗末だと思える。 

 

現代に至っても、安倍政権以降は文書の違法な廃棄、改ざんがなされ続けている。赤木さんがそれに苦しんで死んでも、それに続いて真実を語るものが出てこない。

其れは腐っているとしか言いようがない。

どこかの国を独裁国家だ(でも日本は民主国家だ)という資格などまったくない。

***

ドラマでは、史官が言う。

「絶大な権力も数十年で衰退するが、筆の力は1000年後も生き続ける」

その観点で、「原本を残す」。どれは後世に判断を委ねるためだ。

 

これを聞いて、「たかが数十年の権力」という視点を安倍政権に思いあてた。

私たちは、私は、目の前の政権におもねるのでなく、100年、1000年の思いで、自分のなすべきことを考えることのできる存在なのだ。歴史に判断をゆだねれば、文書の改ざんや破棄や嘘答弁など、犯罪者レベルの事だとわかるであろう。

だがそれが全く分からないような人たちが跋扈している。

腐っている。

***

以下、ドラマの内容をフォローする(ネタバレ的になる)ので、まだドラマを見ていない人は注意。

 

正しく書くべきところ、時の権力者が記録を書き換えさせた。

20年前の前の王が変わった時期に関する記録が誤りだということ。

だから、今、心あるものは、修正実録を作ろうと目指す。つまり、記録するのは史官だが、史局を治める官僚は時流や党派に影響されることがある。だから実録の内容に誤りがあると王命を受けて修正実録が作られるのだ。

其れができるかどうかの闘いのドラマである。

 

20年前、歴史を書き換えることに抵抗したキム奉教は殺された。正しい方の記録を出せと言われたが命をかけて隠した。後の時代に真実を伝えるために。

その思いを受けて今の史官達も命がけで権力に対抗して真実を残そうとする。過去の不正を暴こうとする。命を危険にさらしても。

 

歴史の現実では、実際どこまでできたかわからないが、そのような気概を持つ者たちがいたというのは、一面、事実だろう。それをベースにしたフイクション物だ。その史官たちの勇気に感銘を受けて作られている。

 

この気概が現代の日本の官僚にあるか。メディア人や政治家に、100年後を考えて真実のために命をかけるものがどれほどいるか。

野党は情報にアクセスできないので仕方ない。しかし自民党政治家や官僚は真実の情報にアクセスできる。だが、隠す方に加担している。安倍万歳、国葬だと騒いでいる。まさに韓国歴史ドラマの悪徳官僚と同じではないか。

大谷ではないが、「マンガや!」である。

安倍政権のもとモリカケ桜文書を破棄したり改ざんする官僚、口をつぐむ官僚。嘘を言う者たち。

この汚物にまみれた者たちはこの物語を見て恥じるがいい。恥じる「良心」の軸さえないだろうが。 このドラマを見ないだろうし見ても感じないだろう。

スピリチュアリティ・生き方の問題だ。主流秩序に対する生き方の問題だ。

 

ドラマでは、佐議政(ミン・イクヒョン)の謀略・陰謀・謀反で、無実の人たちが殺され権力交代が行われた。王も、王が進めた、曙来院(ソレウォン)という、身分関係なく皆が外国の学問を平等に学ぶ場もつぶされた。

 

20年前の不正を今さら蒸し返すなとおもうひとも、今の主流秩序に合わせる人ももちろんいる。

だが、真実を前に黙ることができない人たちがいる。キム奉教の遺志を受け継ぎたい、またたとえ自分が死んでもまた後に続く人がいると思って生きる人たちがいる。

  佐議政の息子である史官・ミン奉教(ミン・ウォン)は、史官の任務・公正を重んじる人だが、自分の父を断罪するかどうかで悩む。父の不正を明らかにするのか、口をつぐむのか、立場が問われる。迷うが決心してヘリョンの所に行く。

 

そのミン奉教がいう。

「昔、読んだ本がある。『絶大な権力も数十年で衰退するが 筆の力は1000年後も生き続ける』とあった。それを読み史官をめざした。すぐには何も変わらぬが、いつか私も筆誅を加えられたらと。そんな情熱があったのだ」

そう言って史官としてせねばならぬことをすると決意する。

 

一緒に史官の先輩のところに話をしに行く。

不正に関わっていた先輩も仕官たちの心からの話を聞き心が動きその後、史官たちの行動に賛成していく。

謀略、文書書き換えによって、前の王は「朝鮮を天主教(キリスト教)の国にしようとした」「宣教師を朝鮮に送れ」という密書を書いた、芸文館イェムンガンという売国的な場所を作った、ということで反逆者に仕立てられた。

 今の王様は、そうした謀略と謀反によって権力の座に就いた。この陰謀を暴くのか、歴史に蓋をするのか。 

ク・ヘリョンたちは、元史官で、今大臣になっている者に訴える。

「あなたは、今は高級官僚だが、当時十数年間は史官で、王も権力も恐れぬ覚悟で筆を握られていたはずです。当時の気概はもうお持ちではないのですか。キム奉教様は死罪になる前夜、死をもって真実を守りたいとおっしゃいました。我々はその信念に恥じぬ史官でありたいのです。どうか力をお貸しください」

 

***

ヘリョンは王に、歴史を調べ正しく書き換えてくださいとの上疏(上訴)をだした。最初は退けられる。

20年前に提出された史草は書き換えられたもので、それを証明する正しい史草が見つかりました。真実を伝えようとした史官は死罪となりましたが、私たちが誤った歴史を正しく後世に伝えます。歴史を使えるように命じたのは誰か、信念を曲げ権力に屈した史官は誰か、お調べください」

 

***

最終的な戦いの場でのやり取り。

 

在位20周年の祝いの場で、王に、真実をいうものが出てくる。

「私が前の王を陥れる偽文書を書きました。陰謀を起こした悪人は佐議政ミン・イクヒョンです」と。

王は怒って、黙れ、それ以上言う首を切り落とすと脅す。

 王が「史官は筆を止めよ」という。

 だが言うことを聞かず記録し続ける史官たち。

王は命令に背くものを切り捨てろという

そういう王に対しヘリョンは前にでていう。

 

「私を斬っても 筆は止まりません。

私が死ねば 次の史官が座ります。

その史官を殺せば また次の史官が座ります。

ここの史官を皆殺しにし、紙と筆を奪ったとしても

とめられません。

 話は人から人へ

師匠から弟子へ

老人から子へ伝わるのです。

それが真実の力です。」

 

 そして他の史官たちも王の前に進み出て訴える。

「王様 私達史官は引き下がりません!」

 

そして皆が「誤りを正して下さい」と懇願する。

それをまた記録する史官たち・・・

 

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

 

物語としてもラブコメで楽しくみられる。しかし、この史官たちの気概には心打たれる。それから女性たちの自立、仕事への誇りがあるという設定は、フェミ的だ。

だからラブコメだが、トウォン大君(前の王の実子)が王様になって、ヘリョンが仕事を辞めて結婚して「はい、お妃様として上がり」ではないところが良い。最後まで結婚せず、それぞれが好きなことをして交際している。

 

***

。歴史の事実はいろいろだろうが、先にも書いたように、朝鮮史において、こうした「王様もチェックできない、公平に歴史を記録する職務」があったということには感服する。史官は正しい事実を後世に遺すことであった。

 

安倍と菅が、官僚の人事を握り、自分の思想に近い右派を官僚でも警察でも司法でも登用し、皆が政権に忖度や屈服する状況を作ってしまったことに照らし合わせると、うらやましい。

米国でさえ、大統領が変われば、すべては歴史的資料として持ち出せない。シュレッダーにかけられない。そういうルールで職員は働いている。

理想通りではないが、日本とは雲泥の差である。

記録し、資料を残し、後で歴史の判断材料とするということ、その長いスパンでものをみて自分の仕事に誇りを持つということ。

現代の公文書管理原則への、そうした歴史的出発点を見た思いだった。

実際、命を懸けてそうした職務を遂行した人が過去、世界にいた。

 

だが日本では モリカケサクラでも、コロナ対策でも、オリンピックでも、IR万博でも、国葬決定でも、統一教会の名称変更でも、そのプロセスが隠されたまま。官僚は資料を出さない。権力の犬である。恥を知れと言いたい。

日本では、特に安倍政権以降、意思決定のプロセスがどんどん隠される。

まさにドラマに出てくる「悪い政治家」のやりかたどおり。

マンガや!

***

『新米史官ク・ヘリョン』おすすめです。

 

ドラマ「新米史官クヘリョン」

 

コロナで毎日大量の死者—-認識がゆがむ人だらけ

コロナで毎日大量の死者—-認識がゆがむ人だらけ

2022年8月19日

 

先日も「コロナ問題の基本視点」で書いたが、かんたんに認識がゆがむ人だらけと感じる。

 

毎日、100人以上の人が死に、それが200人になり、ついにこの数日は300人前後(「第6波」のピーク時と同水準)にまで増えている。凄い数だ。その当人や家族にとってはどれだけ悲しいことだろう。悔しいことだろう。適切な入院も治療も受けられないことに怒りの気持ちが出てもおかしくない。私の身近な人が亡くなったらなら怒る。

安倍元首相が亡くなったら献花に来た多くの人が泣いた。心から手を合わせて悲しむ人が多くいた。

安倍さんの家族の悲しみはいかほどか。(安倍の政治的評価や国葬問題は横に置く)

詰まり人が一人死ぬとはそれほど重いこと。

 

それなのに、コロナで毎日、すごい数の人があちこちでむざむざ死んでいているのに、国民の大多数が「行動制限しろ!」と言わない。テレビにでている人では玉川一人を除いて私は知らない。

 

私の家族がコロナの中で死んだら必ず裁判するだろう。行動制限せず大流行を作り出した責任を政治家たちに問う。裁判は負けるかもしれないが、怒りはあって当然だ。施設高齢者は治療してくれる適切な病院にも行けず、そこで死ぬのを待てと言われている。自宅にいても救急車が来なかったり来ても移送先の病院がなく、家にいろと言われ、多くが死んでいる。

だが、『行動制限しないのがおかしい』「それは弱者の命の軽視だ」という報道がない。

国民で怒っているという動きも知らない。おとなしい人が多いのだろう。もし一部怒っている人がいても報道されないのだろう。野党もメディアも、主流の空気を読んで、あるいは洗脳されて、「今年は行動制限はしない」で思考停止。

 

コロナで死んだ人はわかっているだけでも通算3万6千人を超えている。

無差別殺人事件で数人が殺されても大事件だ。飛行機事故で100人死んでも大事件だ。災害で人が死んでも大事件だ。

もし国際紛争的なところで自衛隊員が戦闘で死んだら一人でも大問題になるだろう。それをもって国民が手怒りを持ち、(持つように報道される)報復だ、戦争だとなるであろう。

 

なのに1日300人が死んでも気にも留めない。命の重みに差別を平気でつける社会なのだ。メディアによって大衆の感覚は簡単に操作される社会なのだ。

 

コロナで病人や高齢者が死んでも他人事。

1日に300人という人が死ぬと聞いてもピンとこない人たち。(ピンと来て怒っている人が周りにいますか?)

これを思考停止、被洗脳状態、人間らしさの喪失、と言わずして何というのか。

 

テレビやネットでは発言力ある人が平気で、経済も回さないといけない、風邪・インフルエンザなみの扱いをしろ、病院に行くな、家でじっとしていろ、行動制限なしのままでいいといっている。

工小津制限自体の有無を全く問題にしていない。

東京都では9月から旅行援助を出すなどと言っている。

人が死ぬことを過小評価している。

これを一種のトリアージ状態と言ってもおかしくはない。命に軽重をつけ、死ぬ人は仕方ないと見捨てる。

自分は死なない、死ぬのはババアやジジだろというわけだ。

くした空気を私は主流秩序状態と言ってきた。

 

医者達も、現場が大変だ、医療崩壊だと言いながら、『行動制限を直ちにしろ』とは誰一人言わない(言っている医者はいるだろうがそういう人はメディアは出さない)。

医者でありながら、それを言わないのは、批判をおそれ、主流秩序に従属し、あるいは思考停止、馬鹿、あるいは、傲慢で優生思想的な人だからである。

 

ロシアの軍事侵略、ウクライナの武力抵抗によって毎日人が死んでいる。そこに対しても、政治的視点で語る人が多すぎる。ウクライナの抗戦を美化する人が多すぎる。

地面の虫の視点から、ひとりから、ものを見ることができなくなっている。

これをプロパガンダにのせられているという。

正義の戦争だ、正義の政策だ、だから犠牲は仕方ない、犠牲者を奉り、さらなる戦いに人を動員する。

国のために戦争で死んだ人には過剰な「悲しみのセレモニー」をする。安倍元首相の命はは特別のモミがあるとして、「国を挙げて税金を使って、戦後最大の扱い」をする。

だが毎日コロナで死ぬ人はその悲しみを大事にして葬られない。ただの数字として見向きもしないで、アナウンサーは平気で数字を読み上げて終わる。泣くことも怒りを持つこともなく。感性や想像力の欠如。

統一教会霊感商法したことに目をつぶり「信仰の自由だ」という洗脳された信者とどこが違うのか。

 

岸田政権の人権感覚のおかしさーー杉田議員を「総務政務官」に任命

岸田政権の人権感覚のおかしさーー杉田議員を「総務政務官」に任命

 

2022年8月18日 

 

岸田政権の人権感覚のおかしさが杉田議員を「総務政務官」に任命したこと、簗和生氏を文部科学副大臣にしたことであらわになった。

特に、杉田議員、この自民党内でも最も極右で差別主義者の議員を自民党から除名すべきであるのに、しないどころかいっていの評価を与え仕事を与えるとはとんでもない。岸田首相は、なぜこのような人物をあえて登用したのか、説明すべきである。

 

以下のように、平気で「統一教会と関係ない」とのべているが、そのうち問題がいろいろばれて馬脚を現してしまうであろう。岸田首相は、こんな人物を任命した責任を問われるべきである。

 

杉田議員がこれまでいかにひどく差別的なことを積み重ねてきたかは、他の記事でも示されているので省略。

 

ここでは安倍氏のお抱えであったことを再確認しておく。

 

自民党杉田水脈議員は、LGBTの人は生産性がないから、行政として特に何かする必要はないと言って、LGBTQの権利を認めていくこと、同性婚などに反対している。その発言が問題になったあとも、新潮社「新潮45」は保守派論客を集めて杉田議員をさらに擁護した。そのため廃刊に追い込まれた。

杉田議員がどういう人かについては、ネットでもさまざまにまとめられているが、彼女は明確な極右的思想の持ち主で、安倍首相が議員にした人物である。その思想に沿って、慰安婦問題などでもヘイトスピーチ的スタンスを取り、2020年には「女はいくらでも嘘をつく」といって性暴力被害への無知も支援した人である。

このような人物であり批判も多いのに、2021年御選挙においても、安倍氏は彼女を中国地方比例1位にしたため、なんなく当選した。つまり自民党はこうした明確な差別主義者を、まともな政治家として選挙リストに挙げて仲間として迎え入れているのである。この行動のどこに、多様性への理解が見えるであろうか。

 

以下、関連記事3つだけ紹介

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杉田水脈議員 総務政務官就任で早くも過去発言が続々問題視「統一教会の支援問題ない」

2022 8/15(月) 18:36配信 女性自身

総務大臣政務官を拝命いたしました。身が引き締まる思いです。担当する業務は行政管理、行政評価、統計等となります。18年の地方公務員としての現場の経験を活かし、国の諸課題に対応して参ります》 【写真あり】国会開会式に和服姿で登場した杉田議員 8月13日、Twitterにこうつづったのは自民党杉田水脈議員(55)だ。その前日、岸田文雄総理大臣(65)が臨時閣議副大臣政務官を決定。そこで杉田議員は総務大臣政務官に任命されることとなった。 しかし、この“要職就任”が早くも波紋を呼ぶことにーー。これまで杉田議員が、数々の“問題発言”で波紋を呼んできたためだ。 「杉田議員は’15年6月に配信されたネット番組で『生産性がない同性愛の人たちに、皆さんの税金を使って支援をする。どこにそういう大義名分があるんですか』とコメントしていました。 その3年後には、“新潮45騒動”が社会問題に。雑誌『新潮45』’18年8月号で、LGBTに対して《彼ら彼女らは子供を作らない、つまり『生産性』がないのです》として、《LGBTだからといって、実際そんなに差別されているものでしょうか》と書きました。 人間を生産性ではかることは優生思想につながるものだとして、LGBTの当事者だけでなく障害者支援団体からも非難が殺到。杉田議員の寄稿は国外からも非難されることとなり、『新潮45』は休刊に追い込まれることとなりました。 そのいっぽう安部晋三元首相(享年67)は当時、『まだ若いから』との理由で杉田議員を擁護。また自民党の対応も“指導のみ”にとどまっています」(前出・全国紙記者)

 

■「女として落ち度がある」「女性はいくらでもうそをつく」 また元TBS記者の山口敬之氏から性行為を強要されたというジャーナリストの伊藤詩織氏に対しての“暴言”も、物議を醸してきた。 「杉田議員はBBCの番組で、伊藤氏に対して『男性の前で記憶がなくなるまでお酒を飲んだのは、女として落ち度がある』などと発言。この発言は『セカンドレイプだ』と批判されました。 さらに‘20年9月、女性への性暴力などに関連して『女性はいくらでもうそをつけますから』と自民党の部会の合同会議で発言していました」(前出・全国紙記者)

 

■旧統一教会からの支援は「何の問題ない」 杉田議員の“問題”はこれだけではない。安倍元首相の銃撃事件以降、世間から厳しい視線が注がれている旧統一教会について’16年8月、Twitterで《幸福の科学統一教会の信者の方にご支援、ご協力いただくのは何の問題もない》と投稿しているのだ。そのツイートが、今回の“要職就任”を受けて改めて波紋を呼んでいる。 「現在、旧統一教会と関係をもつことで、政治家が教団の広告塔になっているとの指摘が相次いでいます。そこで松野博一官房長官(59)は、今回の内閣改造の人事は『旧統一教会との今後の関係を見直すことを求め了承した人のみ任命した』と強調しました。しかし、『問題ない』とまで言い切っている杉田議員がどこまで“見直し”できるのかと、懐疑的な声が上がっています」(スポーツ紙記者) 数々の問題発言をしてきた杉田議員。

 

そのため、Twitterでは「#杉田水脈氏の総務政務官起用に抗議します」というハッシュタグがトレンド入り。さらに、こんな厳しい声が上がっている。 《女性や性的マイノリティを貶め、差別を助長する発言を連発してきた杉田氏が、これまで何ら処分も受けずに国会議員をつづけていること自体が異常なのだが、挙げ句、政務官にまで抜擢するとは》 《杉田を政務官にするという事は、岸田政権も差別を容認するという事、あり得ません》 《岸田総理はもっと市民の声を聞いて下さい》 《「幸福の科学統一教会の信者の方にご支援、ご協力いただくのは何の問題もない。」この様な方を総務大臣政務官に就任させて大丈夫なんですかね・・・??》

****

 

同性カップル「生産性ない」、杉田水脈氏が政務官 抗議や批判広がる

朝日 塩入彩2022年8月16日 5時00分

 

 第2次岸田改造内閣で、過去に性的少数者をめぐる発言などが問題となった杉田水脈氏が総務政務官に、簗和生氏が文部科学副大臣にそれぞれ起用され、ネット上などで抗議の声が上がっている。当事者は政策への影響を懸念し、「差別を許さない姿勢を明確にしてほしい」と話している。

同性カップルは「生産性なし」 杉田水脈氏の寄稿に批判

杉田水脈政務官、旧統一協会との関わりを否定 「誰が定義するのか」

 政府は12日、副大臣26人と政務官28人の人事を発表した。杉田氏は2018年7月発売の月刊誌「新潮45」で、同性カップルを念頭に「彼ら彼女らは子供を作らない、つまり『生産性』がない。そこに税金を投入することが果たしていいのかどうか」と行政による支援を疑問視する寄稿をし、批判を浴びた。

 

過去の発言へ「コメントは差し控えたい」

 杉田氏は15日、朝日新聞の取材に対し、記事について「当事者を差し置いてLGBTを政治利用すべきでないという思いや、政策の優先順位について私見を述べる目的であった」と釈明しつつ、「不用意に『生産性』という表現を用いたことで誤解や論争を招き、結果として不快と感じ、傷付いた方々がいらっしゃることを重く受け止めております」と回答。今後は、「当事者の方々の声もお聞きしながら、LGBTの方々への理解増進はもとより、差別やいじめのない社会の実現に向けて努力する所存です」とコメントした。

 

「種の保存にあらがう」 自民議員のLGBT差別相次ぐ

 一方、簗氏は昨年5月の自民党の会合で、「生物学的に自然に備わっている『種の保存』にあらがってやっている感じだ」と述べたと報じられている。簗氏は15日の事務引き継ぎの後、報道陣に対し、「いまは副大臣で行政に身を置く立場なので、コメントは差し控えたい」と述べた。今後について、「啓発資料や支援事例の提供などの取り組みを引き続き進めていきたい」とした。

 両氏の起用に、ゲイであると公表し、性的少数者の情報を発信する一般社団法人「fair」代表理事の松岡宗嗣さんは「過去に具体的に差別的な発言をした議員が起用されたことは、非常に残念で、憤りを覚える。政権が『問題ではない』と判断したと評価せざるを得ない」と話す。

 松岡さんは公教育など政策への影響も懸念する。「ジェンダーセクシュアリティーに関する権利保障は、安倍・菅政権下ではほとんど進まなかった。岸田政権は、旧統一教会(世界平和統一家庭連合)との接点を含め、性に関する差別や偏見が放置されている状況を一刻も早く改善してほしい」と語った。「岸田首相には、両氏の登用をやめてほしいし、差別を許さない姿勢を明確に示してほしい」と訴えた。(塩入彩)

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杉田水脈氏、旧統一教会関連団体「定義が分からない」

8/15(月) 20:24配信 毎日

 

 杉田水脈総務政務官は15日の就任記者会見で、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)との関係について「統一教会と知った上で関係を持ったことは一切ない」と改めて否定し、教団関連団体との関係については「(関連団体の)定義が分からない」と述べるにとどめた。  杉田氏を巡っては、2016年8月に米ニューヨークの教団施設で講演し、19年4月に熊本県内であった関連団体主催のシンポジウムでも講演したとの指摘がある。  杉田氏は会見で、19年の講演について「主催団体が関連団体とは知らず、現在も確認できていない。(主催団体の)役員の1人が教団関係者との指摘はあるが、講演当時は知らなかった」と説明。「(役員がいることで)関連団体というのかどうかは誰も確認できない。(関連団体の)定義が分からないので、これ以上のことは申し上げられない」と述べた。  会見では、18年にLGBTなど性的少数者は「生産性がない」と月刊誌に寄稿したことについても問われ、「私は過去に多様性を否定したこともなく、性的マイノリティーを差別したこともない」と釈明した。その上で「寄稿を読んで、私の支援者になったLGBT当事者もたくさんいる。(個性や多様性を尊重するという)岸田政権が目指す方向性と何一つずれている部分はない」と語った。【源馬のぞみ】

高須氏のいいかげん告訴を報道したまま そのあとは総括なしの報道でいいのか

この数年、右翼活動が著しい高須医院長が委員長がやったリベラル派に対する不当な刑事告訴

その行動に報道機関は加担しているのではないかということです。

刑事告訴民事訴訟は自由ですが、それが正当なものか、不起訴になったのか、あるいは裁判で有罪になったのか無罪になったのか、ケースバイケースです。

不起訴でも黒に近いが政治的な判断で不起訴ということもあります。逆に嫌がらせ訴訟、スラップ訴訟もあります。

だからこそ、メディアはちゃんと責任を持って判断して報道すべきです。ましてデジタルタトゥー問題もあるので。

警察発表をうのみにする報道でいいのか。結果責任を取るべき問題です。自分で調べて、アフターも調べていくなどが重要です。

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犯罪者を雇うのか」 不起訴になって感じた報道と捜査の問題点

香山リカ・精神科医

毎日新聞 2022年6月13日

 

香山リカ氏=平野幸久撮影

 愛知県の大村秀章知事のリコール(解職請求)運動を主導した会の会長である著名な医師に刑事告発され、警察が検察に書類を送り、不起訴処分(容疑不十分)となった。

 告発は受理されれば全件が検察に書類が送られる。私の場合は警察が書類を送る際に起訴を求める意見を付けず、当初から不起訴となる見込みだった。書類を送られた時点でそのように報道もされた。

 にもかかわらず、勤務先には「犯罪者を雇うのか」などの嫌がらせの電話がかかり、決定していたテレビ出演や講演などのキャンセルがいくつもあった。負担感は大きく、実害もあった。

署名偽造事件と一緒なのか

 昨年9月に検察に書類が送られた際に取材を受けてコメントを求められ、「すべて送られるものなのにコメントが必要ですか」と問い返したが、「手続きの節目なので」という答えだった。「不起訴になったら取材します」とも言っていたが、不起訴になった時にはその記者からの取材はなかった。

 テレビの出演キャンセルも「香山さんを疑うわけではないが、規定として送検された方の出演はできない」と説明された。

 今年3月に不起訴になった際の手順や報道にも疑問がある。リコール運動の署名偽造事件の関係者の不起訴と同時に報道された。検察からの連絡はなく報道で初めて知ったが、署名偽造事件の記事だと思って読んでいたら、突然自分の名前が出てきた。同じ記事で書かれるのか、と驚いた。

 署名偽造事件と、私への刑事告発は全く別の問題なのに、同時に報道され、あたかも検察が両側のバランスをとったかのような印象を与えた。署名偽造事件と一緒にくくられることには非常に疑問がある。

 書類を送られた後、検察からの呼び出しがあると思い、弁護士を通じてなんどか問い合わせもしたが、返答はなかった。結局、呼び出しがないまま不起訴になった。警察が起訴を求める意見を付けなかった時点で、不起訴はほぼ決まっていたはずなのに、なぜ半年以上引き延ばして他の事件と同時に発表したのかも疑問だ。

ベルトコンベヤーに載せられたよう

 ある刑事事件で起訴はされたが無罪になった方が、判決を伝える記事で「無罪になったから良かったということでは全くない。自分の業界での信用を失い、仕事ができなくなった。報道もよく考えてほしい」とコメントしていて、その通りだと思った。

 ネットでは「まともに生活していれば告発されることなどない」とか「普通にしていれば警察とは無縁だ」などと言われた。警察から事情を聴かれ、書類を検察に送られただけで、もうまっとうな人ではないという扱いだった。ベルトコンベヤーに載せられた感じだった。

検証を

 不起訴になってもこれだけ社会的なダメージがある。警察に行き容疑者として扱われるだけでも大きなストレスになる。取り調べの可視化などが課題になっているが、私は本当にその一部、かけらに触れただけだけれども、いかに大変かということを実感した。

 報道機関にとっては不起訴は「つまらないこと」なのかもしれない。しかし、不起訴になったら、刑事告発はどうだったのか、書類を検察に送られた時の報道はどうだったかなどをもう一度検証してもらいたい。

 

関連

香山リカ氏、津田大介氏らの「書類送付」が意味するものとは 愛知県知事リコール妨害容疑 

東京新聞 2021年9月9日 16時55分

 愛知県の大村秀章知事のリコール(解職請求)を求めた署名運動を巡り、「署名者の個人情報は県広報で公開される」などと虚偽の情報をツイッターに載せて運動を妨害したとして、愛知県警が地方自治法違反(署名運動妨害)の疑いで、精神科医香山リカ氏やジャーナリストの津田大介氏ら4人を名古屋地検に書類送付したと8日報じられ、ツイッターのトレンド入りした。「書類送付」とは一般になじみが薄い言葉だが、どんな意味なのか?警察は違法性をどう判断したのか?(デジタル編集部)

【関連記事】香山リカ氏、津田大介氏ら書類送付 起訴求める意見は付けずか 愛知知事リコール妨害容疑

香山リカさんのツイッター

◆「起訴求める意見付けず」

 この記事を配信したのは共同通信。記事などによると、この問題は、運動を主導した美容外科高須クリニック」の高須克弥院長が昨年8~9月に刑事告発。告発状によると香山氏は、署名者の個人情報が県の広報で公開されるなどとうその投稿をし、津田氏はこれらの投稿を拡散させたとしている。ほかに映画評論家町山智浩氏らも書類送付された。この書類送付の際、愛知県警は起訴を求める意見は付けなかったとみられる、とも報じている。

ツイッターのトレンド

 この報道に対し、ツイッターでは多くのリツイートが拡散し、香山氏や津田氏らに対し「デマで騙す手法、悪質ですね」「こいつらがやったのか、厳罰に処すべきだ」といった非難の書き込みも多数見られる。

◆捜査したら「必ず送付」

 だが、本当に愛知県警は「デマで騙す手法」と判断したと言えるのか。

 今回の愛知県警の書類送付は刑事訴訟法の246条に基づく。同条では「司法警察員は、犯罪の捜査をしたときは、この法律に特別の定のある場合を除いては、速やかに書類及び証拠物とともに事件を検察官に送致しなければならない」としている。

 この際、事件を捜査した警察は起訴を求めるかどうかについて、▽厳重処分(起訴を求める)▽相当処分(警察としては起訴・不起訴の判断を検察官の判断に委ねる)▽寛大処分(起訴猶予を求める)▽しかるべき処分(起訴を求めない)ーの4段階に分けた意見をつけることができる。

 元東京地検特捜部副部長の若狭勝弁護士は「警察は告発を受理するとその後、必ず書類を送付することになる。捜査しただけで嫌疑の疑いがないという認識の時でも検察庁には書類を送付する」と説明する。

 つまり、愛知県警は高須氏から行われた告発に対する捜査の結果について必ず検察庁に報告せねばならず、捜査した書類を検察庁に「送付」する手続きを取ったことになる。

◆「妨害に当たらぬ」と評価か

 若狭氏は、今回は起訴を求める意見は付けなかったとみられると報じられていることを受け、「警察は香山氏らがリコールの妨害に当たると法的評価はできないと考えたのではないか」とみる。今後、香山氏や津田氏らがどのように処分されるかは、検察官の判断となるが「一般的には検察官の判断は警察の意見と同じになることは多い」と話す。

 報道機関も警察が検察庁に書類を送る際にどのような意見を付けたかによって、言葉を使い分けて報道しているケースが多い。取材結果に基づき、警察が起訴を求めているようなケースでは「書類送検」、逆に警察が起訴を求めていない時は「書類送付」とする書き方だ。書類送付には、警察としては嫌疑の疑いは薄いとみており、法的手続きとして書類を検察庁に送ったとする意味合いが込められている。

 今回の件について、香山氏はツイッターで「高須克弥氏に地方自治法で告発された件についてですが、このような案件はすべて警察から検察に送致されることになってます。今回の“書類送検”はその手続き上のことと考え、必要があれば今後も捜査に協力するつもりです。警察は『起訴を求める意見は付けなかった』とのこと」とコメント。

津田大介さんのツイッター

 津田さんはツイッターに「書類送致(一般的には書類送検)とは、警察が必要な捜査を終え、検察に関係書類を送ったという意味でしかないので、特にコメントはありませんが、被疑者として捜査の対象になった場合たとえ不起訴になっても『前歴(前科ではない)』が付くので、理不尽だなと思います」とつづっている。

 

佐藤文香さんの重要な指摘――「戦時の女性利用」と「マッチョへの抵抗感」

佐藤文香さんの重要な指摘――「戦時の女性利用」と「マッチョへの抵抗感」

2022年8月17日

 

悪い侵略国家ロシアと戦うウクライナの一面的肯定への認識的抑制として、以下の佐藤文香さんの指摘は重要と思います。

女性が戦争体制に利用される構図を見抜くこと、女性が軍隊に参加するのがジェンダー平等という単純理解ではだめという指摘は全く同感です。

 

私が「軍事的勝利、停戦などの上から視点の解決」でなく、「戦争になった国の一庶民の立場で、逃げることがいかに大事な選択肢か」という主張、そこを制限するウクライナの男性への脱出禁止、ナショナリズムを煽って軍事力による勝利を目指す一面性への批判意識の重要性が分かっていない人が多すぎると思います。

むかしの武装闘争、暴力革命、新左翼のゲバなど左派でも武闘派がいる(いた)のは分かりますが、やはりマッチョへの反省/嫌悪感が日ごろからどれだけあるか、ジェンダーフェミニズムへの従来からの接している程度、DV などの暴力への感性が反映している感じがします。

ウクライナの民衆は「戦わされている」のでなく、主体的に侵略と戦っている、侵略する国とされる国を区別しないとだめ、という構図で、ロシア批判だけを言うのは、昔の第二次世界大戦時の戦争イメージで語っている面があり、また、防衛相防衛研究所などの路線と非常に近いことを認識すべきと思います【注】。

 

【注】その典型のひとつが千々和泰明のような意見。これは中立を装いながら非常に好戦的な見解で、軍事力で有利になること、『妥協的和平』は禍根を残すので『紛争原因の根本的解決』をすべき、つまり悪い相手国を徹底的につぶすのがいいという非常に自国中心主義、自分は正しい側、暴力主義的な立場。私は危険なスタンスと思い嫌悪感を覚える。

(インタビュー)戦争はどう終わるのか 政治学者・千々和泰明さん:朝日新聞デジタル https://www.asahi.com/sp/articles/DA3S15386161.html?iref=sp_ss_date_article 

 

 

プーチンが悪いからウクライナの徹底抗戦を支持するというのは、血みどろの犠牲が積み重なっても戦争を続ける道である。

ロシア、プーチンがひどいのは当然ですが、ミャンマーの軍事政権もチベットウイグルを弾圧する中国政権もひどく、それらに対して軍事力で攻撃してそこだけつぶせるならそれも、政治的な選択の一つと思います。

しかし、私はそういう政治家の立場で、ロシアやミャンマーを攻撃する立場には立たない。なぜ為政者の立場で考えるのか。ロシアが悪いとしても、軍隊の一兵士として(国内の右派、民族主義者、ナショナリストなどと一緒に)ロシアにたいして武力で戦うことを選ぶのが当然、とはならないと思います。逃げる選択肢、軍事的闘いをやめるよう求める道があるべきです。

軍隊に入らない、武器を持たないという「戦い方」「抵抗の仕方」が想像できない人が、「ロシア・プーチンを止めるには武力しかない」と言います。昔からの同じ土俵にのったうえでのリアリズムの政治の発想です。それ以外の位相があるということが理解できない人が、軍事的対応にこだわるのです。すぐに「降伏したらレイプ、虐殺」を言うのは第二次大戦の日本などと同じく、一面的で、だから逃げることも、交渉の質も大事です。

尚、私は、戦争時に労働運動や女性の権利運動が進展した歴史を学んだので、国家総動員体制である戦時には、交渉して、戦争に協力する代わりに、組み合や女性運動団体が「権利」を一定獲得できることを知っています。部落解放運動もそうで、融和主義が出ました。

私は、戦争の総括から、そういう戦争に協力して権利を拡大することに反対する立場です。

そういう事も私のスタンスに反映しています。一番は、多くの戦争の体験、歴史、などを学び映画や小説、などからも学び、戦場というものの非人間性を見てきたからこそ、人が死ぬ重みを思うからこそ、「正義の戦争」でさえできるだけしないような志向になったのです。それが「マッチョへの抵抗感」であり、フェミ的感覚への親和性です。佐藤さんとは、そのあたりを共有していると感じています。

私の主流秩序論を知らない人にはわかりにくいと思いますが、ロシアと戦うというのは、世界的な暴力主義の主流秩序に対しては、そこと戦うのは、主流秩序への抵抗です。一方、ウクライナ国内における主流秩序は、ロシアと軍事的に戦う事であり、それに協力しない者は非国民的な扱いをされる。とするなら、ウクライナ国内において多様性を求めるならば、軍事的戦争に参加しないで逃げるのも大事な非暴力非協力的的抵抗路線としていくことでしょう。

この2つの主流秩序野観点を総合して考えなくてはならないと言っているのに、前者しか見ない人が、論点を単純に「ロシアが悪いというか、米ロシアの代理戦争とみるか」としているのです。ロシアが悪し、米ロの代理戦争の面もあるし、ナショナリストなどが戦争する中でそれに動員される面も見ないといけないのです。

 

以下、佐藤さんインタビュー記事

*****

 

「女らしさ」の利用、為政者が始めたら 戦火の前に気づくべきこと

朝日新聞 2022年8月15日 10時00分

ライフル銃の木造模型を手に軍事訓練をする女性ら=2022年1月、金成隆一撮影

 

 77年前まで続いた第2次世界大戦では、日本をはじめ多くの国が女性の戦闘参加を制限した。一方、ロシアの侵攻を受けるウクライナ軍に占める女性の割合は15%以上とされ、女性兵士に注目が集まる。日本でも女性自衛官は年々増加。この流れは、男女平等と歓迎していいのか。背景には何があるのか。戦争とジェンダーの関係を研究する一橋大学大学院の佐藤文香教授(50)にきいた。

 ――7月に著書「女性兵士という難問」(慶応義塾大学出版会)を出版されました。ロシア軍と戦うウクライナの女性兵士の姿をどう見ていますか。

 「他国による侵攻から国を守るために立ち上がる人々がおり、その中に女性も多く含まれるというのは、当然ありうることです。現在、ウクライナだけでなく世界中で女性兵士は増えています」

 「研究者としては、彼女たちの存在が戦争遂行にどういう効果をもっているのかに着目しています。ウクライナでは、ゼレンスキー大統領が18~60歳の男性を徴兵に備えて出国禁止とし、賛否両論が巻き起こりました。男性差別だという批判の声も少なからずありましたよね。一方で、命令されたわけではない女性たちが国に残り戦う姿をみせることは、国内と国外に対して、それぞれ大きな意味を持ったと思います」

 ――どういう意味でしょうか。

連載「ゆらぐ『平和』のかたち」一覧

戦争や軍隊をジェンダーの観点から長年研究してきた佐藤文香教授。軍隊で女性の姿が盛んに取り上げられるようになっても、単純に「ジェンダー平等」と捉えない方がいいと指摘します。

 「国内では、男性に対して、国を守るために戦うのは当たり前だ、というプレッシャーを与えたでしょう。戦争で女性はチアリーダーとして男性たちを戦場に『行きなさい』と鼓舞する役割を果たすのが常ですが、その変種ですね。国外に逃げようとする男性に対して、女性ですら国のために立ち上がっているのに、逃亡するなんてひきょうだと暗に責めたり、自責の念にからせたりする効果です」

 「一方、国外に対してはどうか。多くの国や人々は今回、ロシアに共感を寄せてはいません。それに輪をかけて、戦争に縁遠いと思われている女性たちが戦う姿をアピールすることで、ウクライナへの同情を国際的に喚起する役割を担っていると言えるのではないでしょうか」

 ――プロパガンダということでしょうか。

 「そういう側面もあるかもしれませんが、今回は政治家らによる意図に加えて、女性たちのボランタリーな参加がそのように機能したという印象を持ちます。自分の意思で兵士となり、その姿をSNSに投稿する女性たちが、世界にウクライナの窮状を知らせようとしていますよね。そうした行動がうまい形でイメージ操作のサイクルにのせられて、結果的に戦意高揚に利用されているのではないでしょうか」

戦意高揚に利用される女性の「意外性」

 ――なぜ、女性は戦意高揚に利用されやすいのでしょうか。

 「まずは意外性です。女性が男性と違って戦争や軍隊とかけ離れた存在と思われているからこそ、先ほど申し上げたような、男性へのチアリーダー的な効果と、侵略が不当なものであるというイメージをつくることができます」

 「もう一つ、戦時性暴力との関連があります。自国の女性の被害は、『許せない』と男性たちのあいだに復讐(ふくしゅう)心をつくりだします。歴史的にも、これが非常によく国威発揚に使われてきました」

 「ただし今回、ウクライナの女性副首相がNHKのインタビューで、ロシア兵による女性への性暴力はあると断言した上で、『センシティブな問題で被害者をこれ以上傷つけたくない』と内容をほとんど語らぬ姿をみました。これまでにないパターンだと思いました。戦時性暴力は、敵の残虐性を訴えることにも利用されてきた側面がありますが、今回は抑制がかかっています。これは、副首相が女性であったからかもしれない、と思います」

 ――戦争でジェンダーが利用されるのはなぜですか。

 「戦争を首尾よく遂行するには、戦う兵士として健康で体力のある男性が必要です。多くの男性に国外逃亡されたら戦争はできなくなるため、『男たるもの国のために生命をかけて戦うものだ』という観念をつくりあげていくことが不可欠です。もしウクライナで多くの男性が逃亡していたら、ここまで徹底抗戦はできていないはずです」

 「ただ、そうした観念を戦争になってから浸透させようとしても間に合わず、平時から国民に植え付ける必要があります。その際、女性との差異化が力をもちます。『男らしさ』とは『女らしくない』こと。例えば、普段の会話で『女々しい男だな』とか『女みたいに軟弱な男になるな』といった言葉にあらわれている価値観ですね。こうしたジェンダー観は、戦争を首尾よく遂行したい為政者にとって利用しやすいのです」

 ――日本でも、女性自衛官は増えています。その背景は。

 「日本は戦前、敗戦間際まで女性を戦闘に参加させることもなく、戦後に生まれた自衛隊にも参加する女性は多くありませんでした。女性自衛官は当初、看護職や会計などの事務職だけでしたが、職域開放を進めて、最近は戦闘職に広がり戦闘機にも乗れるようになりました。防衛省は、2030年度までに女性自衛官の割合を12%以上に引き上げることを目指しています」

 「背景にあるのは、少子高齢化による隊員不足です。人材を枯渇させないための策として、女性に目が向けられているんです。防衛省幹部の話では、隊員不足をおぎなうための『四人の活用』として、婦人(女性)、老人(高年齢層)、省人(業務省略化)、無人(AI、ロボット)がうたわれている。その中でも、女性の登用は、男女平等を推進する組織というイメージ向上の戦略も見込まれ、積極的に行われています」

戦闘参加を求める女性団体

 ――世界的なジェンダー平等の意識の広がりも関係しているのでしょうか。

 「そうですね。1979年に国連で女性差別撤廃条約が採択され、あらゆる分野で男女平等の実現が目指されることになりました。米国では1991年の湾岸戦争時、(米国最大の女性団体の)全米女性機構が、女性の戦闘参加を求めました。男性の徴兵制がある韓国では近年、『女性にも兵役を』という議論が活発化しています」

 「ただ、『ジェンダー平等』という表向きの理由の背後には、日本と同じように少子化が進み軍を維持するのが困難になっている、という事情を抱えた国が少なくないと思います」

 ――著書では、女性兵士の増加は「ジェンダー平等」というより、軍隊が意図的に女性を組み込む「ジェンダー統合」であり、単純に捉えるべきでないと指摘します。

 「私たちはつい軍隊にもいよいよ平等が押し寄せてきたと考えたくなりますが、背景に隠れている個別の事情を注視していないと、実態を見誤ります。自衛隊で女性隊員が増えてきたのも、深刻な人材不足を背景にしています。自衛官募集のポスターは過剰なぐらい女性を登場させてきましたが、そのことによって、自衛隊を平和で愛される組織だとアピールできた側面もあるでしょう」

 「また、男女平等の思想であるフェミニズムは、軍隊や戦争にも平等を訴えるべきだとの主張もありますが、フェミニズムはそれほど単純なものではないと考えています」

 ――どういうことでしょうか。

 「軍隊での平等を求めるフェミニズムが存在するのは確かですが、それを批判するフェミニズムもあり、相互に議論を積み重ねてきた歴史があります。例えば、女性兵士の増加にあわせて国が軍事費を増強し、代わりに社会福祉費が削減されるなら、それによって影響を受ける女性が出てくることになります。そうした広い視野でみたときに、はたして女性兵士の増加は、ジェンダー平等を進展させることになるでしょうか。女性兵士に注目が集まったこの機会に、日本でも丁寧に議論すべきだと思います」(聞き手・伊藤和行

 

【声明】私たちは農と食が国家主義・排外主義の枠内で語られることを拒否します

 

以下の声明が出ました。「参政党」批判がもっともと思うので紹介しておきます。

 

(以下転載、拡散歓迎)

 

【声明】私たちは農と食が国家主義・排外主義の枠内で語られることを拒否します

 

私たちは農民です。農民として、自分の身の丈に合わせ、自然と相談しながら営農を持続し、ある者は有機農業に挑戦し、地域の農業を維持してきました。自由に、思いや行動や知恵や技術を発揮できることに誇りをもって食を作ってきました。

私たちは消費者であり生活者です。私たちは食べる者として、自身と将来世代の誰もが健康で幸せに生きることができるように、安心して食べ続けられるように、消費者生活者としての運動をつみあげてきました。

 

それこそが農と食の民主主義だと私たちは考えます。

 

7月の参院選は食と農をめぐって、排外主義的な農業でも良しとするのかという問いを私たちに突き付けました。

はじめて選挙に登場した参政党が、大量の候補者を立て、当選者を出し政党要件を獲得するという出来事がありました

同党は三つの主要公約の一つに「化学的な物資に依存しない食と医療の実現と、それを支える循環型の環境の追求」を掲げ、有機農業や食の安全に関心をもつ人たちの中に小さなブームを巻き起こし票を集めたのです。

 

同党は綱領の第一に「天皇を中心に一つにまとまる平和な国をつくる」を唱え、主要公約の一つに、「日本の舵取りに外国勢力が関与できない体制づくり」「外国人労働者の増加を抑制し、外国人参政権を認めない」を掲げています。国家主義・排外主義の色彩が極めて濃い政党です

 

有機農業運動はこれまで一貫して国際交流を大事にし、海外の実践に学び、日本の経験を分かち合いながらその思想や技術を発展させてきました。食の安全を求めて運動している消費者生活者は、世界中誰もが安心して食べられる世界をめざしています。国家主義・排外主義は私たちのこうした思いや実践と相いれません。

 

いま日本では、国民の危機意識を煽りながら軍備の大拡張に動き出しています。そのために邪魔になる憲法の改定が具体的な政治日程に上がっています。あらゆる分野で「安保優先」の動きが強まり、国家による監視と統制、排外主義が持ち込まれようとしています。農と食という生命の再生産をつかさどるもっとも人間的で自由でなければならない分野も、例外ではあり得ないと私たちは懸念します。

 

『私たちは、農民、消費者生活者が取り組む農業生産活動、有機農業や食の安全をめざす運動が、国家主義・排外主義の枠内で語られることを拒否します。』そのことを言いたくて、この声明を発します。

 

世界人権宣言や国際人権規約に明示されている「食料への権利」は、人は誰でも、いつでも、どこに住んでいても、心も体も健康で生きていくために必要な食料を作り、手に入れることができる、すべての人が生まれながらにもっている権利として位置づけられています。私たちは、この声明の出発点を「食料への権利」に置きたいと考えます。

 

この声明に賛同いただける個人・団体を募ります。ぜひご一緒に

2022年8月11日

<呼びかけ人>

天笠啓祐(ジャーナリスト)

伊藤幸蔵(山形 米沢郷グループ代表 百姓)

大野和興(農業記者)(事務局)

菅野芳秀(アジア農民交流センター代表 百姓)

纐纈美千世(特定非営利活動法人日本消費者連盟事務局長)

小関恭弘(置賜百姓交流会世話人 百姓)

近藤康男(TPPに反対する人々の運動世話人

坂本華祥(僧侶)

榊田みどり(ジャーナリスト)

﨏川宏子(歌人

佐藤藤三郎(山形、百姓)

鴫谷幸彦(新潟、上越有機農業研究会)

菅原庄市(置賜百姓交流会世話人 百姓)

西沢江美子(秩父雑穀自由学校主宰、ジャーナリスト)

土本満智子(北海道 農民)

高橋寛山形大学名誉教授)

谷山博史(沖縄 日本国際ボランティアセンター顧問)

天明伸浩(新潟、百姓)(事務局)

徳野貞雄(熊本大学名誉教授、九州小農学会副代表)

中村易世(『土と健康』編集委員

長里昭一(秋田 百姓)

原村政樹(映画監督)

疋田美津子(しらたかノラの会)

堀井修(新潟、百姓)

堀純司(国際有機農業映画祭運営委員)

牧野時夫(北海道 有機農園えこふぁーむ代表)

村上真平(三重 自然農法実践、農の学びの場づくり)

八重樫真純(岩手、百姓)

山岸素子(特定非営利活動法人移住者と連帯する全国ネットワーク事務局長)

吉岡香・照充(神奈川 百姓)

山本伸司(鹿児島、パルシステム生協連合会顧問)

渡部務・美佐子(高畠 有機農業実践者)

 

◆事務局担当 ・大野和興 ・天明伸浩

◆お問い合わせ・連絡先

(賛同いただける個人・団体は下記にご連絡ください。)

メールアドレス rural@kind.ocn.ne.jp

電話 050-3569-8757

FAX 0494-25-4781

 

個人・

バックラッシュの時のジェンダーフリー攻撃に関して

バックラッシュの時のジェンダーフリー攻撃に関して

 

宗教右派右翼団体自民党、その政策との関係が取りざたされています。

それに関連して、ジェンダー攻撃(バックラッシュ)があった頃のことをまとめた2007年の拙稿があったので、HPにアップしました。

今から見ると不十分な点もありますが、当時、フェミニストの中で、右派からの攻撃の中でジェンダーフリー男女共同参画に関して意見の相違がありました。この拙稿では、上野千鶴子さんや山口智美さんは敵を見誤っているのではないかと主張しました。

当時のことを知らない人もいるかと思うのでご参考までに。

 

   拙稿「『ジェンダー概念の整理』の進展と課題」(大阪経済大学『人間科学研究』第1号、2007年) 

HP :https://henoru-ida.amebaownd.com/

その中の「シングル単位・フェミのページ(1)」と「フェミニズム(その2)」に掲載

 

 

にまともな意見とそうでない意見

朝日新聞にまともな意見とそうでない意見

 

本日、8月12日、朝日新聞「抗戦ウクライナへの称賛、そして続く人間の破壊」という豊永郁子さんの寄稿文が掲載された。

個人の生存は国に先行する価値とし、戦争の悲惨さをベースにした豊永さんの意見はまともと思う。

この意見を載せたこと自体、朝日新聞の成果と言える。豊永は和平派と正義派のことをちゃんと書いている。日本のメディアはこの世論調査さえしない。

 

政治家もメディア人も一般国民も、そして豊永さんの記事にコメントした江川紹子さんも、防衛省防衛研究所の思想に洗脳されている状態だ。

「できるだけ早く停戦すること、たとえウクライナが領土を失っても」か、それとも「侵略したロシアを罰すること、たとえより多くのウクライナ人が犠牲になっても」かが、議論されているヨーロッパ諸国との差は大きい。

思考が停止しているので「ウクライナ人が犠牲になっても」という条件を認識することを避けて『正義派』だらけに日本はなっている。

 

豊永さんの論考がすぐれて大事な視点を提起しているのに対して、コメントしている江川さんは日本のメディアのダメさと同じく、為政者の視点、防衛省の視点にとらわれ間違っている。ものを庶民の目から見る視点をもちきれていない。

今日8月12日の朝日新聞には、別の記事で、キーウ(キエフ)で友人になったウクライナの男性(25)から「徴兵されて前線で死ぬのは怖い」と打ち明けられたという話も載せている。

 

政治家、為政者は停戦が可能か、どうしたら停戦できるか、どうしたら停戦後西側が有利な世界の力関係になるかと考え、プーチンには軍事的に優位になるしかないという。だが私は、一貫して「停戦の方法などわからない」「それは庶民の課題ではない」と思うからこそ、ただの庶民の一人として、「戦争が起こったなら逃げる」といっている。

 

大きな「停戦」という課題をどうしたらできるかではなく、自分の命を守ること(戦争に参加して相手を殺す/殺しあうという、したくないことを避ける)を優先する。

 

どうして国家や領土や西側諸国のために自分が命がけで戦わないといけないのか。軍隊にも参加したくないし、敵を殺したくもない。

もちろん、住み慣れたところで知り合いの人たちと住み続けられたらいいが、そんなことを言ってられないほど戦争というのは根底から何もかもをひっくり返し破壊するのだ。死ぬか生きるかを迫られる。死や徴兵を待ってられない。だから逃げ出す。

 

だから男性が出国することを禁止するゼリンスキー大統領のやり方は酷いと思う。一億総火の玉となって鬼畜米英と最後の一平まで戦え、本土決戦だ、玉砕しろ、自決しろといっていたむかしの日本と重なる。

侵略側と抵抗側・自衛側は違うというのは、上から目線であり、戦場に駆り出される兵士の目線からは、無駄な戦いに消耗品として使われているだけだという視点こそが必要だ。

 

死ぬくらいなら、外国に逃げて貧困でも生き延び、そこから生きていく権利を求めて活動していけばいい。それしかない。それはもちろん苦しい道だが、そもそも戦争が起これば理不尽にもそうならざるを得ない。殺されそうなら逃げる。

 

江川さんには、自分が戦地に駆り出される兵士やその家族の視点がないのだ。戦争に自分が参加することへの徹底した忌避感と非暴力思想がないのだ。だから停戦をどうするか などといってしまう。

停戦できたらいいがウクライナが軍事的に優位に立ってロシアを屈服させないとなかなか停戦にはならない。しかしそれはむつかしい。

あるいはウクライナが敗北してロシアの勝利でも終わるだろう。それはウクライナもロシアもかなりの犠牲の上で、数か月後に来るかもしれない。だがそれも望ましいものではない。江川さんも望まない。

 

で、どちらも私には関係ない。私はそのために生きているのではない。ウクライナが勝つのはむつかしいし勝つまで多くが犠牲になる。そんな道を支持するのか。自分も参加するのか。

そうした感覚を言わない人が多すぎる。過去の戦争の実体・実相・体験談・諸作品から学んでいないと思う。

 

自分抜きに考えれば、今回のロシアや人権侵害する中国、パレスチナを攻撃するイスラエル、その他独裁国で多くの人民を抑圧する国、今ならミャンマーの国軍など、などひどい国を制裁するように西側諸国が軍事力で屈服させるのはあり得る政治と思う。リアルな政治はそういうものだろう。

だが私はそれには関わらないと言っているのだ。そのための兵士として戦いたくないと言っているのだ。

そして軍事的な政治は、必ず敵味方に多くの死者・負傷者をもたらす。一般庶民も巻き込まれ犠牲になる。戦場は悲惨である。核戦争、世界戦争になるかもしれない。だから為政者なら軍事力による解決も考える必要があるが、皆がそれに賛成し加担する必要はない。

しかもいままでパレスチナが攻撃されようと、ミャンマ-の民主派が攻撃されようと助けなかった西側諸国が、なぜウクライナには加担するのか。それは代理戦争をさせているからだ。そういうものに加担する必要はない。

 

 「国のため」なんていう言葉が簡単に使われている。ナショナリズムをチャンと批判する教育・社会運動が世界的に勝利していないということを意味する。

江川さんも、リベラル系の人で今回ウクライナの抗戦を支持する人も、「国のため」を批判していたはずなのに簡単に足元をすくわれるほどだった。

 

豊永郁子さんの論考を称賛できずに、批判した江川さんに、今の日本のダメさが如実に出ていると感じた次第である。私は、憲法9条を守り、非武装路線にすべきで、日米軍事同盟も破棄し、軍事費は低下させるべきと思う。集団的自衛権だと言って、米国とともに戦争に加担することに反対する。ロシアや中国や韓国や北朝鮮と軍事的に戦うことを拒否する。大きな政治を動かすのはむつかしい。だが自分がどうするかだけは考えられる。もし自分ならと考えて、ウクライナのことも考えるし、日本で何かが起こっても、ひとりの庶民の側から生き延びる視点で考える。

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「抗戦ウクライナへの称賛、そして続く人間の破壊」 寄稿・豊永郁子さん

朝日2022年8月12日 6時30分

 

寄稿 政治学者・豊永郁子さん

 2022年7月8日の安倍晋三元首相の射殺事件によって、私たちは少なくとも一つのことを知った。銃器がいかにむごたらしく人間の体を破壊し、命を奪うかということだ。そのときウクライナのことをふと思った。このような銃撃、さらには砲撃による人間の破壊が日々起こっている。これはそれ自体がとてもよくない、恐ろしいことではないか。

とよなが・いくこ 早稲田大学教授。著書に「新版 サッチャリズムの世紀」「新保守主義の作用」。2017年5月~22年2月に本紙「政治季評」を連載。

 ウクライナ戦争に関しては、2月24日のロシアの侵攻当初より釈然としないことが多々あった。むしろロシアのプーチン大統領の行動は独裁者の行動として見ればわかりやすく、わからなかったのがウクライナ側の行動だ。まず侵攻初日にウクライナのゼレンスキー大統領が、一般市民への武器提供を表明し、総動員令によって18歳から60歳までのウクライナ人男性の出国を原則禁止したことに驚いた。武力の一元管理を政府が早くも放棄していると見えたし(もっともウクライナにはこれまでも多くの私兵組織が存在していた)、後者に至っては市民の最も基本的な自由を奪うことを意味する。

 

 

 さらに英米の勧める亡命をゼレンスキー氏が拒否し、「キーウに残る、最後まで戦う」と宣言した際には耳を疑った。彼自身と家族を標的とするロシアの暗殺計画も存在する中、ゼレンスキー氏の勇気には確かに胸を打つものがあり、世界中が喝采した。これによってウクライナの戦意は高揚し、NATO諸国のウクライナ支援の姿勢も明確化する。だが一体その先にあるのは何なのだろう。

 市民に銃を配り、すべての成人男性を戦力とし、さらに自ら英雄的な勇敢さを示して徹底抗戦を遂行するというのだから、ロシアの勝利は遠のく。だがどれだけのウクライナ人が死に、心身に傷を負い、家族がバラバラとなり、どれだけの家や村や都市が破壊されるのだろう。どれだけの老人が穏やかな老後を、子供が健やかな子供時代を奪われ、障害者や病人は命綱を失うのだろう。大統領はテレビのスターであったカリスマそのままに世界の大スターとなり、歴史に残る英雄となった。だが政治家としてはどうか。まさにマックス・ウェーバーのいう、信念だけで行動して結果を顧みない「心情倫理」の人であって、あらゆる結果を慮(おもんぱか)る「責任倫理」の政治家ではないのではないか。

 

 日本には今、ウクライナの徹底抗戦を讃(たた)え、日本の防衛力の増強を支持する風潮が存在するが、私はむしろウクライナ戦争を通じて、多くの日本人が憲法9条の下に奉じてきた平和主義の意義がわかった気がした。ああそうか、それはウクライナで今起こっていることが日本に起こることを拒否していたのだ。

 冷戦時代、平和主義者たちは、ソ連が攻めてきたら白旗を掲げるのか、と問われたが、まさにこれこそ彼らの平和主義の核心にあった立場なのだろう。本来、この立場は、彼らが旗印とした軍備の否定と同じではない。だが彼らは政府と軍の「敗北」を認める能力をそもそも信用していなかったに違いない。その懸念は、政府と軍が無益な犠牲を国民に強い、一億玉砕さえ説いた第2次世界大戦の体験があまりにすさまじかったから理解できる。同じ懸念を今、ウクライナを見て覚えるのだ。

 

 人々が現に居住する地域で行われる地上戦は、凄惨(せいさん)を極め得る。4人に1人の住民の命が失われた沖縄の地上戦を思うとよい。第2次大戦中、独ソ戦の戦場となったウクライナは住民の5人に1人を、隣のベラルーシは4人に1人を失ったという。今、ウクライナはロシアの周辺国への侵攻を止める防波堤となって戦っているとか、民主主義を奉じるすべての国のために独裁国家と戦っているとか言われるが――ともにウクライナも述べている理屈だ――再びウクライナで地上戦が行われることを私たちがそうした理屈で容認するのは、何かとても非人道的なことに思える。米国などは、徹底抗戦も停戦もウクライナ自身が決めることとうそぶくが、ウクライナに住む人々の人権はどこに行ってしまったのだろう。

 

 20世紀を通じ、とくに2度の世界大戦を経て、私たちの間には国境を越えて人権の擁護が果たされなければならないという規範が形成され、冷戦が終わった1990年代以降はこれがいよいよ揺るぎないものになったと見えた。だがそうでもなかった。欧米諸国の政府は、間断なくウクライナに武器を供給し、ロシアへの制裁における一致団結ぶりを誇示することで和平の調停を困難にし、戦争の長期化、すなわち更なる人的犠牲の拡大とウクライナ国土の破壊を促している格好にある。そしてこれが主権、つまりは自己決定権をもつウクライナが望み、ウクライナ人が求めることなのだからそれでよいのだとする。また、国際秩序を乱したロシアに代償を払わせるという主張も繰り返される。しかし国際秩序の正義のためにウクライナ1国が血を流し、自らの国土で戦闘を続けよというのは、正義でも何でもないように思う。

 

 色々なことが少しずつおかしい。米国連邦議会で演説したゼレンスキー大統領は、誰もが知るキング師の言葉、「私には夢がある」を引いて軍事支援を求め、喝采を浴びた。だがキング師といえば、戦後の世界の最良の獲得物の一つである「非暴力主義」の指導者だ。この引用は果たして適切なのだろうか。

英国議会では「いかなる犠牲を払っても領土を守るために戦う」というチャーチルの言葉を引用する。その「戦い」はチャーチルにおいては主として自国の外での戦闘を意味したが、ウクライナにとっては自国の領域内での戦闘だ。「いかなる犠牲を払っても」と言ってよいのだろうか。

 犠牲を問わない戦争は、かつての日本や旧ソ連にはなじみ深いものだ。だが個人の生存は国に先行する価値である、国は個人のために存在する、という今日の欧米の国家観からは出てきにくいものだ。この国家観の下では、国が国民に及ぼし得る犠牲には限度がある。そしてそうした個々人の命の重みの上にこそ民主主義も成り立つ。この国家観を有する人々が勇敢でないとか利己的であるというわけではない。むしろ自己犠牲の精神には富むのかもしれない。だが自己犠牲を他の国民に無理強いすることはしないのだろう。

 実際、結束を強調する欧米の指導者にも温度差がある。英米や中東欧諸国ウクライナがロシアの敗退まで戦うことを望み、独仏伊は交渉による解決を望むという。さらに世論は総じて厭戦(えんせん)的だ。たとえば英独仏伊にスペインポルトガルスウェーデンフィンランドポーランドルーマニアを加えた欧州10カ国における世論調査が、次のどちらの考えに近いかを回答者に尋ねている。今最も重要なのは「できるだけ早く停戦すること、たとえウクライナが領土を失っても」か、それとも「侵略したロシアを罰すること、たとえより多くのウクライナ人が犠牲になっても」か。全体では前者を選んだ「和平派」が35%で最大の声をなし、これに対し後者を選んだ「正義派」は22%であった。

 国別では、和平派はイタリアドイツで50%前後を占め、フランスルーマニアでも40%を超える。実際、正義派が和平派を上回ったのはポーランドだけであり、その他の国では正義派は15%から25%を占めるにすぎない。いち早くウクライナに戦車を提供したチェコでも、すでに世論調査では、支援はもう十分だとする回答が79%に上っていた。米国では、ニューヨーク・タイムズの社説が和平派に相当する立場を宣明し、現実主義外交の泰斗、キッシンジャー氏が停戦を促す。現在の状況を、世界がそれと知らずに大戦に突入した第1次大戦前の状況にたとえる議論も散見される。

 さて和平派の立場は、戦争がもたらしたエネルギーや食料の不足などの経済問題、核兵器の使用も含む戦争のエスカレーションへの懸念から説明されることが多い。だが、これらにあわせて戦争による犠牲の拡大について道義的な疑念が広く存在することを忘れてはならない。また、ロシアを、プーチン氏を敗退させることが現実的にどこまで可能かも疑問だ。

 そもそも戦闘はロシアの外で行われている。かつて中国大陸に侵攻した日本が、欧米諸国による経済制裁や膠着(こうちゃく)する戦線に苦しみながらも、決して軍事的に譲歩しなかったことが思い浮かびはしないか。結局、日本が大陸を諦めるのには日本本土の焦土化を要した。さらに戦争の長期化は、ロシア国内におけるプーチン氏の権力を弱体化するのではなく、強化する可能性があることも留意すべきだ。戦時体制を通じて全体主義体制が成立する可能性すらある。

 最近よく考えるのは、プラハとパリの運命だ。中世以来つづく2都市は科学、芸術、学問に秀でた美しい都であり、誰もが恋に落ちる。ともに第2次世界大戦の際、ナチスドイツの支配を受けた。プラハプラハ空爆の脅しにより、大統領がドイツへの併合に合意することによって。パリは間近に迫るドイツ軍を前に無防備都市宣言を行い、無血開城することによって(大戦末期にドイツの司令官がヒトラーのパリ破壊命令に従わなかったエピソードも有名だ)。

 両都市は屈辱とひきかえに大規模な破壊を免れた。プラハはその後、ソ連の支配にも耐え抜くこととなる。これらの都市に滞在すると、過去の様々な時代の息づかいを感じ、破壊を免れた意義を実感する。同時に大勢の命と暮らしが守られた事実にも思いが至る。

 2都市に訪れた暗い時代にもやがて終わりは来た。だがその終わりもそれぞれの国が自力でもたらし得たものではない。とりわけチェコのような小国は大国に翻弄(ほんろう)され続け、冷戦の終結によりようやく自由を得る。プラハで滞在した下宿の女主人は、お茶の時間に、共産主義時代、このテーブルで友達とタイプライターを打って地下出版をしていたのよ、といたずらっぽく語った。モスクワ批判と教会史の本だったそうだ。私は彼女がいつ果てるともわからない夜に小さな希望の明かりを灯(とも)し続けていたことに深い感動を覚えた。

江川紹子

 

(ジャーナリスト・神奈川大学特任教授)

2022年8月12日10時58分 投稿

【視点】

 降伏推奨派(で、いいんですよね)の意見をじっくり読む機会が持てたのはよかった。  ただ、どうも釈然としない。今、「いいんですよね」と確認したのは、この論考では「できるだけ早くの停戦」を求めるけれど、そのためにはどうすればいいか、という具体的方法に言及されないからだ。読み返してみても、結局のところ「ウクライナは早くロシアに降伏すべき」と述べているようにしか受け取れないのだが、違うのだろうか。  「和平」とか「停戦」という言葉は心地よく響くが、この論者は実際に「降伏」した後、本当に「ウクライナに住む人々の人権」は守られる確信があるのだろうか。ブチャで起きたことを知った今、私には、そういう楽観はどうしてもできない。「降伏」によって救われる命もあるだろうが、逆に奪われる命や人権を無視していいとは思えない。  また、ナチスドイツに占拠されたプラハやパリを、降伏してよかった例に挙げているが、両都市ともドイツ軍の占領から解放されたのは、赤軍や米軍などによる軍事力の行使の結果だ。しかも、チェコの場合、長くソ連支配下に置かれ、そのために少なからぬ命が失われ、人々の人権は制約された。  そのうえ、ウクライナの場合、プーチン大統領歴史観からすると、他国を侵略するのではなく、本来の領土を奪還する、という認識のようなので、一度降伏すれば、半永久的にロシアの一部とされる可能性が高い。  もちろん、戦争の長期化はあってはならない。私も、一刻も早い停戦を望んでやまない。ゼレンスキー大統領の言葉に「正義」の基準を求めるかのような風潮に、違和感を覚えることもある。それでも、ロシアに降伏するとはどういうことかを考えると、安易にそれを口にできない自分がいる。停戦は、まずはロシア側に求めたい。

 

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