ソウルヨガ

主流秩序、DV,加害者プログラム、スピシン主義、フェミ、あれこれ

日本マスメディアで初めて、ウクラナ国内の「異論」を紹介!?

日本マスメディアで初めて、ウクライナ国内の「男子出国禁止への 異論」を紹介!?

 

  •  今日(6月9日)の朝日新聞で、ウクライナ国内で、男性が国外に行けないことに反対の動きが一般庶民の中にあること紹介された。

一般論とか一部論者の意見はとどいていたが、一般庶民の中の「異論」を具体的に取材で紹介したのは、日本マスメディアで初めてではないか。

私には、ようやくこうした報道が出てきたかという思いがある。そうであるはずなのに、そうした「異論」を言う声が聞こえてこないことがおかしいし、そうしたことを取材しない、報道しないことが、初めから「ウクライナ政府、ゼリンスキーは英雄で正しい」という視点にたった偏向報道だと感じていたかrらだ。ウクライナ国内の少数派、政権批判派、戦争(武力抗戦主義)反対派、ナショナリズム反対派などがいるという視点で取材していないという問題だ。

 

  • 2022年6月9日朝日記事

「前線に立たない自由」は ウクライナ出国は「恥」、届いた中傷:朝日新聞デジタル https://digital.asahi.com/sp/articles/DA3S15319443.html?iref=sp_ss_date_article 

ウクライナ侵攻)出国禁止に異議、2.7万人署名 「前線、男性すべて役立つわけでは」:朝日新聞デジタル

https://digital.asahi.com/sp/articles/DA3S15319458.html?iref=sp_ss_date_article 

 

  • 上記・記事からの情報のポイント。

 

 戦禍のウクライナで、出国する自由や「前線に立たない自由」を求める市民たちがいる。ロシア軍の侵攻後、18~60歳のウクライナ人男性の出国が原則禁じられていることは、「自由や民主主義の原則に反する」と訴える。

ウクライナ国籍のオレクサンドル・ディウバノフさん(30)は、ラトビアの家具製造会社に3年勤めていたが、息子(2)がラトビアに住み続けるための行政手続きをするために、2月20日、がウクライナに一時帰国した。その4日後、ロシアが侵攻したため翌25日のラトビア行きの便はキャンセルされ、男性の出国が制限されたため、ラトビアに戻れなくなった。

ウクライナでは総動員令が発令され、18~60歳の男性国民は招集の可能性に備え、国を離れることができなくされた。

ディウバノフさんは出国しようと、30時間かけ西部のポーランド国境の検問所へいって、出国しようとしたが、出国を許されなかった。もともとラトビアで住んでいたのだということを説明し、他とビアでの雇用契約マンションの購入証明書、滞在許可証などを示したが、考慮されなかった。国境警備隊は個人的事情に一切興味を示さず、一律に男性の出国を制限した。

それ以来、中西部ビニツァ州の田舎に安アパートを借りて暮らし、戦争が終わるのを待っている。ラトビアの勤め先からは、6月まで給料を7割カットすると通告された。仕事は、製品に使う木材などに不適切な化学物質が含まれていないか、検査すること。テレワークはできない。このままでは解雇され、滞在許可証も失効し、ラトビアの妻子もラトビアにいられなくなることを心配している。

ディウバノフさんは、自身は鉄砲を撃ったこともないため、志願して前線に行くつもりはない。なぜウクライナに残らなければならないのか、と取材に答えた。

 2年前から米フロリダ州のIT企業に勤めるアドレイさん(36)も事情は同じで、2月上旬、キーウ近郊に暮らす父が亡くなり、18日に一時帰国した。以来、出国がかなわず、キーウで友人のアパートに暮らす。「これではまるで奴隷だ」という。

 SNSで苦境を訴えたところ、寄せられたのは、「兵士として戦え」「恥を知れ」という意見だった。

また、南部オデーサの弁護士アレクサンデル・グミロフさん(42)は、男性の出国が原則禁じられていることはおかしいと考えたため、5月下旬、男性の出国を認めるよう求める請願書を、ゼレンスキー大統領あてに提出した。「全員が銃を持って塹壕(ざんごう)にこもるべきではない」「出国禁止の解除を」などとつづり、ネットで2万7千人以上の署名を集めた。グミロフさんは、軍事訓練を受けたことのない市民もいるため「すべての男性が前線で役に立つわけではない」、「道路にバリケードを築くとか、医療や補給をサポートするとか、個人の特性にあわせた貢献の方法がある。そもそも、戦争にはお金がかかるのだから、稼げる人を働かせることだって大事だ」という。

 それにたいして、ゼレンスキー氏は請願書について、「地元を守るために命を落とした息子を持つ親たちに、この請願書を示せるのか」と批判したという。(地元メディアによる)

 

 4年前からポーランドに暮らしていたオレクシさん(28)は、3月上旬、自国を救おうと、英国の友人とともに、車で入国した。2014年に親ロ派勢力がウクライナ東部で武装蜂起した際も、志願入隊していた。入国後、給料は受け取らない代わりに、いつでも除隊できるという契約書にサインした。軍医らを保護するのが任務で、首都キーウ(キエフ)郊外のイルピンなどに派遣された。ロシア軍が制圧をめざす東部に派遣された夜は「到着してからの4時間で3人が死んだ」。 5月上旬、「仕事に戻るときだ」と除隊した。

 勤務先のポーランドのIT会社は、休暇扱いになっていた。息子(7)と専業主婦の妻が待つ。 だが、出国を禁じられた。当局から出国許可が下りるのを待つ以外に、残された道は二つ。

 一つは賄賂だと明かした。相場は1人当たり1万~2万ドル(約130万~約260万円)で、国境警備隊を仲介する人物に支払う慣行が横行しているという。「払えなくはないが、あまりにばかばかしい」

 もう一つは、ロシアの支配地域に入り、ロシア経由でジョージアなどへ抜けること。だが、「2回も従軍した私を、ロシア軍が通すとは思えない」。

 「自由のウクライナ」のために戦ったはずが、戦時下の人権制限に翻弄(ほんろう)された。「もうウクライナに戻ることはない。国籍はいずれ手放すと思う」

 

***

以上の記事の紹介を受けての私のコメント。

 

この記事で、一般国民の中に、今のゼレンスキー政権の「国を挙げての武力抗戦路線、そのために男子の出国禁止」に異論があることが支援された。この意義は大きい。

日本社会(政治家、メディア、多くの国民)は完全に「ゼリンスキー応援、武力抵抗こそ唯一の正しい道、妥協してでも停戦などありえない、軍事力でしか解決しないというスタンスで凝り固まっていたからだ。日本の平和主義者、反戦主義、左翼の中にも、ウクライナの抗戦は正義だとして、ゼリンスキー政権の方針を支持する人がいたからだ。

それにたいして、今回、男性の出国を認めるよう求める請願書がでて2万7千人以上の署名が集まった、それに対してゼレンスキーが「地元を守るために命を落とした息子を持つ親たちに、この請願書を示せるのか」と批判した、SNSに、国外で働いていたのに戻れない等から出国の自由があるべきという意見を書いたら「兵士として戦え」「恥を知れ」と非難が来ているということが紹介されたのである。

 

つまり、ロシア軍の脅威を前に、ウクライナ国民は一致団結して戦うべきだ、志願兵の組織「領土防衛軍」に参加すべきだ、そうしないのは非国民だ、裏切り者だ、団結を乱すものだというレッテルを張られ非難を受ける状態ということだ。

それは戦争を続ける道であり、敵を殺し味方が殺されることが続く道であり、町が破壊され死者が増える道である。それが唯一正しい道とは言えないのに、ゼリンスキー政権は押し付け、そうでない道を選ぶ自由を認めない。それは全体主義的であるが、戦時というのはそうなりがちだ。

だからこそ、戦争はよくないし、国を挙げての戦時体制になってはならないと思う。「国というものを熱狂的に愛する道」以外の生き方を認めること、逃げる自由を保障すべきである。

ナショナリズム同調圧力、異論を認めない排外主義の問題、裏切り者というレッテルの危険性の問題である。

 

******

  • ゼリンスキー大統領のかたくなさ

以下の情報にあるように、ゼレンスキーはますます、意地になっているのか、もともと強いナショナリズム思想の持ち主なのかはわからないが、平和を目指すよりも「領土を取り返す勝利」しか目に入らないような感じになっている。「全ての占領地域の解放を達成しなければならない」「各国は武器をもっと提供しろ」「ロシアと妥協などありえない」と言い続けている。

「領土をやすやすと譲るには、既にあまりに多くの人々が犠牲となっている」というが、さらなる犠牲を増やす道を行っているし、そもそも早い段階で「外交的努力、ロシアと妥協してでも停戦にいたる道」、「国をあげて皆で逃げる道」を選んでいたならば、ここまで犠牲は増えなかった。

 

******

情報:

ウクライナのゼレンスキー大統領は7日、ロシア軍の侵攻に対して「私たちは全ての占領地域の解放を達成しなければならない」と改めて強調し、欧米に対して更なる武器支援や対露制裁の継続を求めた。英紙フィナンシャル・タイムズのオンラインイベントに出演して語った。徹底抗戦を支持する国内世論を背景に、ロシアに融和的な姿勢を見せるフランスなどをけん制する発言とみられる。 ゼレンスキー氏は「領土をやすやすと譲るには、既にあまりに多くの人々が犠牲となっている」と述べ、戦場での足踏み状態は「選択肢ではない」と強調した。ウクライナ側によると、露軍は領土の20%を占領しているとされる。

 侵攻が長期化する中、ウクライナを支援する欧米諸国の間では温度差が表れている。軍事支援を強化する米英両国に対し、フランスなどは慎重姿勢も見せる。独仏首脳はプーチン露大統領との電話協議を断続的に続け、停戦仲介の可能性を模索している模様だ。  こうした中、マクロン仏大統領は地元紙の最近のインタビューで「停戦時に外交を通じて出口を構築できるよう、ロシアに屈辱を与えるべきではない」とプーチン政権への一定の配慮をにおわせる発言をした。  これに関し、ゼレンスキー氏はオンラインイベントで「私たちは誰にも屈辱を与えない。同じやり方で応じるだけだ」と語り、「ウクライナを除外した話し合いも合意もあり得ない」とくぎを刺した。

 

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

ロシアのウクライナ侵攻戦争についての覚書(6月7日)

「私は祖国を熱狂的に愛することはできない。なぜならそれはナチスのような国をつくることになるからだ」――ロシアのウクライナ侵攻戦争についての覚書(6月7日)

 

  • 私は軍隊が嫌い。

私はこれまで多くの映画や著作やドキュメント番組などを見て、歴史も学び、軍隊というものを知っている。軍隊自体が嫌いである。

軍隊のドキュメントなどを見て、それが殺し合いの訓練であることを知った。銃やナイフだけでなく、取っ組み合いでもなんでも相手を殺せるかどうか。そのために体力をつけ、武闘の力をつけ、武器を使う訓練をする。さらに軍事的な思想を植え付けられ、上官の命令には従えと言われ、敵か味方かの単純思想を身に着け、そもそも民主主義的でない。軍事法廷自体が、普通の法廷より歪んでいる。

軍隊内でのいじめ、不要なしごきがあることは幾百もの作品で示されてきた。

最近では、韓国ドラマ「DP」(注)がある。見ていない人は必見。

 

軍隊というものには、かならずこういうことが起こりうる。 

水木しげるの戦争漫画での体験談でも二等兵はビンタをうけまくり、不条理ないじめを受ける。

私のような「インテリ」もかっこうのいじめ対象になるだろう。日本軍でも、日常生活の上下関係が変わる軍隊では、軍隊外での鬱憤を軍隊内の下位のもの、二等兵などに向ける。

民主的な軍隊には抗命権があるとされているが、そうした軍隊は少ない。

私は、もし軍隊にいったら最初にいじめられ殺されるであろう。納得できないことには不満を持つし、口答えするからである。命令は絶対とかとおもえず、命令が合理的かどうかを問題にするからである。

映画「プラトーン」でもあったように、うっとうしがられたら後(仲間)から殺されるかもしれない。危ない最前線や偵察に送られ、敵や味方に殺されるであろう。イジメやリンチで殺されるであろう。

 

そういう軍隊が、敵を倒すということで、殺人の武器を持って、個人的になんの憎しみもない、相手の国の人と闘う。相手国の兵士も、徴兵義務や経済的理由で来ざるを得なかったものであり、だまされ、ナショナリズムを植え付けられ、戦争に駆り出された無知な兵士である。そんな、憎くもない相手に、命を懸けてなんで戦う必要があるのか。

そして戦場ではだれもがおかしくなり、略奪もレイプもある。個人では止められない。

私には軍隊も戦争もあり得ない。

 

(注)韓国ドラマ「D.P. -脱走兵追跡官-」は、脱走兵を捕まえる軍離脱逮捕組織(D.P.)の青年が様々なエピソードを持つ彼らを追いながら全く分からなかった現実にぶつかる様子を描いた作品。大人気ウェブトゥーン「D.P犬の日」が原作。全6話。

今、シーズン2が作成中。

  • 8割がどう言おうと自分で考えて行動すべき

朝日新聞2022年6月4日記事「ウクライナ侵攻)抗戦か、停戦か、揺れる市民」で、東部ドネツク州から国内避難して西部リビウに移り住んだイエホル・キリチェクさん(20)が「ロシアに奪われた領土はもちろん、できる限り取り返すべきです。でも、人命がこれ以上失われるのは耐えられません」「ドネツク人民共和国」と呼称する地域に父方の祖父母や親戚が暮らしており、簡単に行き来できなくなった」「そんな毎日が続くのはおかしい。とにかく暴力を止めるべきです」と話している声が紹介された。ロシアが撤退するまで戦うか、停戦か。揺れ動く気持ちを語った。

 

ウクライナ国内の世論調査では8割以上がロシアへの妥協を拒否しているというが、それは1-2割の人は妥協してでも停戦を望むと考えている可能性を示している。多数が正しいわけでもないし、個人の判断は自由なはずだ。その1―2割の人は、多数派によってしたくもない戦争に巻き込まれ命を危険にさらされているということではないのか。男性が国外への移動が制限されているのもおかしい。

 

また約8割が「ロシアへの妥協を拒否」しているというのは、素朴に「粉不条理なことをするロシアが許せない」という思いに加えて、大統領も含め、メディアが、「ロシアは許せない、国を守ろう、ウクライナの文化、人民を団結して守ろう」「命がけで闘っているウクライナ軍の戦士に感謝」と宣伝するから、当然、感情的にゆすぶられ、愛国心がたかまり、ロシアと戦うという士気が高まっているのだろう。

 

メディアで、町が破壊され、市民が殺され、兵士が殺される映像が流れる。団結して悪い奴らと戦おうと呼びかけられ、仲間が殺され、郷土を追われる人びとをみて、国歌が流れ、死亡した戦士を悼む儀式がなされる。

そりゃ、多くの人は気持ちが高ぶり、戸惑いと憤りと悲しみが怒りに変わるだろう。ナショナリズムが強くなるのは明らかだ。

素朴な人々は、そうなる。

ふつうの生活を取り戻したい、死ぬのは嫌だ、という素朴な思いが今は「ロシアは酷いから力で対抗するしかない」と言われて、とにかく「ウクライナ軍が勝って以前の平和な情生活に戻ってほしい」と思っているのが多くの人々なのだろう。

それが「ロシアに妥協しない」という世論の正体だ。

 

だが、世界の歴史から学んだものは、その素朴な思いの人々が地獄への道を進んでいることをしっている。ウクライナ軍が勝って誰も死なずに、すぐに平和な生活が戻ってくるというようなことはない。

多くの兵士が死ぬ。ウクライナ側だけでなく、ロシア兵も。かれらにも家族や友人がいる。町は破壊され、多くの市民が死ぬ。家族を失う。郷土に戻れない人も多くなる。職を失う。なんのためか意味が分からないまま、時間が流れ、ようやく戦争が終わる。そこには目指した理想状態はなく、もとの生活もなく、ただただ死と破壊、犯罪、壊された生活があるだけ。長引いた戦争によって、そうならなくていい多くの人が、死んだり大けがを負ったり愛する人を失ったりすることになる。

 

だから、ウクライナ軍が闘って勝って平和を取り戻すというようなことにすがらないで、早めに逃げるのが庶民の生き延びる知恵だ。戦争自体・武力対応自体に反対(非協力、不服従)し、妥協してでも交渉して停戦しろと訴え、その後で政治的にも反撃すべきである。

歴史から学んだわたしたちは、国と国、国民と国民が憎しみあって戦うことの愚かさを知っている。ロシアにも北朝鮮にも、中国にも、シリアにも、イスラエルにも、心優しき、平和を望む庶民がいる。たたかう必要などない。相手国を憎んで戦うことにつながるような「自国を愛する気持ち」など必要ない。必要なのは、皆を愛する気持ち(愛地球心)だ。

その人々が連帯して、自分たちの国の政治家の戦争に反対することである。まずは逃げることである。逃げたうえでの非暴力主義での抵抗にこそ希望がある。

 

生き延びて、何とか「幸せに」生きることこそが悪魔(犯罪者たち、武力信奉者)への復讐である。領土を取り戻すまで戦うなど、愚の骨頂である。領土より、命である

。国というような「幻想」「イデオロギー」にとらわれる悪夢から脱出する知性と視野をもつことこそ、平和への道である。国というものに情動的に支配され、ナショナリズム思想に洗脳される状態から脱出する人々が増えてほしい。家族やコミュニティを愛する気持ちを相手国にまで拡張する知性が我々の対案である。

 

******

  • レイプがある、だからこそ早く逃げる必要、早く戦争を止める必要

国連で紛争下の性的暴力担当事務総長特別代表を務めるプラミラ・パッテン氏が6月6日、ロシアが侵攻したウクライナで、性的暴力が疑われる事例が124件報告されたと明らかにした。報告されていない犯罪も殺人も膨大にあるだろう。

レイプは許されない犯罪行為である。戦争を止めないとこうなる。ウクライナも、「学校や病院が攻撃された」「民間児が殺された」「子供が殺され、女性がレイプされた」といった非難だけでなく、戦争を止める努力をすべきである。「もっと武器を我々に提供しろ、ロシアを追い詰めろ」というだけの政府でいいのかと思う。

一市民、国民は、政治家に任せず、「戦おう」という政治家の言うことなど聞かず、逃げるべきである。

 

******∞

  • ロシアの兵士も悲惨

ウクライナ東部で、ロシアの戦況が苦しくなる中、ロシア軍の内部で銃撃戦起りそうな状況。 前線に行けと強要する隊長が銃を撃ち、それに対抗などがあった模様。

ロシアの兵士がたくさん死んでいる。大義もなくたたかわされている。

誰のためにもならない戦争。

 

私は主流秩序に加担する責任というものがあると思っているので、ロシア兵をたんなる犠牲者だと擁護する気持ちはない。私は加担者には末端でも、責任を問うべきと思っている。何処の国でも、内部から、どう生きるかを問うべきである。戦争に加担するのかどうか、各人がその問いの前に立たされている。

 

*****

  • 今の状況、アメリカにとってはとてもいい状態。 

自分(米国)は戦争せず、ロシアを弱体化、プラス 軍需産業大儲け、で、アメリカには都合がいい状態。 軍需産業に支えられている産軍複合体の政治家や研究者など皆が利益。

ただしバイデン大統領は、世界戦争は望んでいないし、落としどころを探してはいる。

 

 

落としどころを提起したキシンジャーの提言。それも一つの道なのに、ウクライナ(ゼリンスキー大統領)はまったく受け付けない。きつく非難するだけ。

 

同じことは フランス大統領の言葉(注)に対して示されている。

酷いことをされてきた中で命がけで、ある種崇高な精神で必死に抵抗しているという面はあるだろうが、それは一面であって、もう一面は、やはりマッチョ思想ゆえの面があると思われる。ウクライナの政権は、心底、一人でも命や被害者を助けようとするのではなく、停戦を何としても勝ち取ろうとしているのでなく、ナショナリスト的な勝利を目指していて、そのためには国民の命、けがやレイプ被害、略奪などの犠牲、があってもしかたない、「それは向こうが悪いのだ」、と思って思考停止しているように思う。

人命よりも「政治目標、プライド、イデオロギー」重視の状態になっている。ロシアだけでなく、ウクライナ政府・軍も、マッチョ思考、戦争大好き主義者、ナショナリスト、「軍事解決」至上主義になっている。

 

(注:フランスのマクロン大統領は6月4日掲載の新聞インビューで「ロシアに屈辱を与えない」ことが大事だと呼びかけた、それに対して、ウクライナのドミトロ・クレバ外相は同日、「ロシアに屈辱を与えるなと言うのは、そう呼びかけるフランスをはじめ全ての国に屈辱を与えるだけだ」と反発した。ウクライナ政府は、和平実現のための領土割譲はあり得ないという立場を強調している。

マクロン大統領は「戦いが止まった日には外交を通じて出口が築けるよう、私たちはロシアに屈辱を与えてはならない」、「仲介者になるのがフランスの役割だと確信している」プーチン大統領が自らの「根本的な間違い」から抜け出す道筋を残すのが、何より大事だ、ウクライナ侵攻という「歴史的で根本的な間違いを犯した」せいで、今ではロシアが「孤立」してしまっているとプーチンに伝えた、などと言っている。5月初めにも、ロシアとウクライナの停戦を呼びかけ、西側諸国は「(ロシアに)屈辱を与えたいという誘惑や、報復したいという気持ちに屈してはならない」と強調していた。 【注おわり】

******

  • ゼリンスキー大統領のスタンス

ゼリンスキーは、危機の中で強いリーダーシップをとれるというプラス面を持っていると思うが、マイナス面として、非暴力主義などへの思想的深みがなく、フェミニズム的な感覚もないとことがあるようにおもう。

彼は、イスラエルのガザ侵攻を支持しているという。ウクライナの大使館をエルサレムに移転することを決定した。ゼリンスキーは、国連のパレスチナ人の人権に関する委員会から引き揚げているという。つまりアラブへの攻撃をしてきて不当に領土を占領してきたイスラエルについては甘い評価をしているのではないか。ウクライナの領土を奪うロシアを非難しながら、イスラエルには甘い。こうした矛盾は米国でもどこにでもある。

西側諸国の多くはイスラエルの攻撃、アラブ側の抵抗への軍事力による過剰な反撃、領土の拡張などを非難してこなかった。

ウクライナ国家主義グループや右翼や極右の中には、ウクライナの中のLGBTQ攻撃、ロマ人への攻撃など、があり、対ロシアで戦う仲間として、そうした人権侵害をすr極右的な勢力に甘い人がいて、今のウクライナの主流がある。ウクライナ政府の禁書命令、戦時中のナチ協力者を国家英雄としている点などの問題もあったようだ。

意見が分かれる問題は多くあるが、ゼリンスキーを正義の側として美化だけしているのは間違いであろう。私は国内の少数派、反体制派を尊重する民主主義が好ましいと考えている。その点で、中国もウクライナも、ロシアと通じるところがあるのではないか。

 

*****

 

これまで指摘した高橋氏など2人に加えて、防衛省防衛研究所 主任研究官 山添博史という人物も出ている。3人目だ。各局、各メディアに出ている。

メディアが防衛省防衛研究所の人物を出しつづけるのはおかしい。 一面的すぎる。

異なる立場の人を出すべきではないか。なぜそうした意見が組織内部から出ないのか。

 ロシアや中国と同じで独裁国家的に情報を一元化し、国民を洗脳、国民の誘導をしている。

 

******

  • この言葉を忘れないーー 「祖国を熱狂的に愛することはできない」

 

「私は祖国を熱狂的に愛することはできない。なぜならそれはナチスのような国をつくることになるからだ」(チャップリン

 

「いまこそ闘おう! 世界の解放のために。国と国との壁を取り除き、貪欲、憎悪、不寛容を追放するために、理性ある世界のために闘おう!」

『独裁者』(チャップリン)より

 

「熱狂的に国を愛せない」のは健全だ。オルテガ「大衆の反逆」は教えてくれる。

。熱狂を疑うこと。複雑に人間をとらえること。私は、「私の環境」の産物であって、自分の努力で作った『自分』だけではない。「多数者の専制」(高度大衆社会)のやばさ。・・・・・これらはブルデューやル・ボン『群衆心理』につながる思想。懐疑の精神を常にもって、異論に耳を傾けろ、理性ある少数者であれ、主流秩序に従属するなという思想である。

個人は集まると簡単に群衆になる。群衆は騙されやすい。だから群れないこと、熱狂しないこと、単純化しないこと。 断言するやつ、反復するやつを疑うこと。そもそも指導者やメディアを疑うこと。

皆が言っているとか、メディアとか、熱狂に騙されず、主流秩序を見抜き、自分の頭で冷静に考える個人になるということだろう。

 

*****

これを歌い続けるような前後の日本の、戦争を反省し、平和を希求する営みを、いま、多くの人は忘れてきている状態。

 

「 生前 この頭を かけがえなく いとおしいものとして 搔抱いた女が きっと居たに違いない」という茨木のり子

その想像力を世界中に、相手国、敵国にも広げられる人が増えますように。

 

 

「木の実 」  茨木のり子

髙い梢に

青い大きな果実が ひとつ

現地の若者は するする登り

手を伸ばそうとして転がり落ちた

木の実と見えたのは 苔むした一個の髑髏(ドクロ)である

ミンダナオ島 26年の歳月

ジャングルのちっぽけな木の枝は

戦死した日本兵のどくろを

はずみで ちょいと引掛けて

それが眼蒿であったか

鼻孔であったかはしらず

若く逞しい1本の木に

ぐんぐん成長していったのだ

生前 この頭を かけがえもなく いとおしいものとして

搔抱いた女が

きっと居たに違いない

小さな顳顬(コメカミ)のひよめきを

じっと視ていたのはどんな母

この髪に指からませて

やさしく引き寄せたのは

どんな女(ヒト)

もし それが

わたしだったら・・・・

絶句し そのまま1年の歳月は流れた

ふたたび草稿を取り出して

嵌めるべき終行 見出せず

さらに幾年かが 逝く

もし それが わたしだったら

に続く1行を

遂に立たせられないまま

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

参考

ロシア・ウクライナ戦争について書いたこれまでのブログ記事

 

2022-03-04  命を守るために逃げろ!  ロシア・プーチンによるウクライナへの戦争について

2:

2022-03-11  ウクライナのナショナリストに騙されるな 踊らされるな 命を捨てさせられるな

3:

2022-03-13  いつからあなたは軍の司令部になったのか

4:

2022-03-23  ロシア侵攻に関するスタンスで、いくつかのまともな意見を知った

5:

2022-03-23 1中は2中が怖いからナイフで自衛?--防衛、憲法をめぐる議論について

6:

2022-03-24  ロシアのウクライナ侵攻に関する日本の報道 小倉の意見

7:

2022-03-25  〈国境〉を肯定するか否か

8:

2022-03-31 細谷雄一氏の問題の立て方にゆがみ

9:

2022-04-01  ウクライナもロシアも一つではない

10:

2022-04-01  私の反戦論とジェンダー 

11:

2022-04-06 ウクライナの非武装主義者ユーリ・シェリアジェンコ氏からの情報

12:

2022-04-10「あなたの中の最良のものを」

13:

2022-04-11「憲法9条で日本が守れるのか?」への返答の一つ

14;

 2022-04-27 ロシアのウクライナ侵攻の問題 追記

15;

022-05-06 小泉悠氏の意見を批判する

16;

2022-05-18 白川真澄「ウクライナ戦争にどう向合うべきか」への私の3つの異論点

 

 

 

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

小倉利丸さんの 「『戦争放棄』を構築するために」

 

小倉利丸さんがまとめた意見を読み、私はおおむね同じ考えと思いました。私がHPやブログで言っていたことと重なる点が多くあります。

この考えのような人が増えればいいのですが‥。

 

 戦争放棄」を再構築するために(小倉利丸)

 

> http://www.peoples-plan.org/jp/modules/article/index.php?content_id=244

 

 

 

 

ドラマ『アンビリーバブル たった1の真実』

 

 

アメリカのネット配信ドラマ『アンビリーバブル たった1つの真実』(原題: Unbelievable)が非常に良かった。(ネットフリックスで見れる。)

 

『私の解放日誌』や『グッドファイト(第3・第4シーズン)』に匹敵する最も良質的な作品だ。

 

『アンビリーバブル たった1つの真実』は、2019年に配信された米国のドラマで、実話を基にしたレイプ事件を描き、性暴力被害者に対して、警察を筆頭にいかに世間が無理解かということを暴いた作品である。2008年に米ワシントン州リンウッドで発生したレイプ事件とその後の顛末を綴った記事「An Unbelievable Story of Rape」がベースになっている。

 

警察官だけでなく、弁護士、ケースワーカー、カウンセラー、養父母、養子相談員、学校、職場の上司や同僚、近くの友人たちが、いかに簡単に、無理解、避難者、差別者、いじめ加担者になるかが描かれる。

 

このドラマが示すように、被害者への鈍感な、二次加害的なかかわりは徹底して反省されるべきである。世間の無意識の思い込みに批判的になり、ジェンダー構造を学び、被害者の複雑な心理を理解し、被害者に寄り添い、被害者は多様であることを理解し、慎重にアプローチすべきという、このスタンスを被害者支援としては忘れてはならないことは言うまでもない。

 

だが、今の社会で、こうしたドラマを見て、警察などその登場人物たちを最低だと憤っているだけでは、それこそだめだろう。というのは、そうした「被害者の心理の無理解」「弱者への自己責任論的な冷たさ」はまさに日本社会でも主流なのであるから。

このドラマに出てくる人々は、米国のそれなりに進んだ制度を体現している。養父母もそれなりにやっている。カウンセラーも、弁護士も、裁判官も、警察も、決められたルールや手順にそって、それなりにやっている。今の日本よりもかなり、制度的なものは整っている。

言葉かけもそれなりに、愛しているとか、責めているわけじゃないとか、うそと言っているわけではないとか、自己決定を尊重したりしている。配慮すべき言葉としての言い方を、皆がある程度マスターしている。そもそも、米国では日本に先んじて、被害者が何度もつらいことを証言しなくて済むような工夫がなされている【それが十分機能しているかというと、ケースによるだろうが】。

だが、それでも、決定的に足りない。それは一人一人の質の問題だ。

だから、まして日本で、このドラマの登場人物を上から目線で批判できようか。日本でも一部改善はあるが、被害者の人権はまだまだ尊重されていない。配慮などなされず、ずかずかと鈍感に警察が取り調べしたりしている。だから性暴力被害者の多くは警察に被害を訴えていない。役所でも水際作戦的な排除が存在している。ぎゃくたいやDV→いじめにたいしての、学校や児相や行政の対応の不十分さは目に余ることが少なくない。

間違った情報をうのみにし、誰かひとりを標的にして叩く。それは教室でも職場でも地域でも存在し、そしてネット空間で、日々大きくなっている。

他人ごとではないのだ。

 

だがこのドラマには希望がある。二人の女性刑事、グレースとカレンがあきらめずに捜査を頑張り続けるのだ。そしてその周りの同僚も。

とくにグレースとカレンは年齢的地位的にはいわゆる「中年的な女性」あたりだが、日本での「女性の盛りを過ぎた、容姿も衰えた、権力がなく、無力的な存在」のようすではない。そういうジェンダー秩序を内面化して自らつまらなくなっている感じではないのだ。

もう年だし、かわいくないし、おばさんだし、戸板自虐的で無力的な感じではないのだ。

若い人から見てどうかというと、二人は“強い”。

自分のキャリアの中で得てきたものを身にまとい、媚びず、なよなよしていない。思ったことを言う。怒ったら怒りを表現する。いっぱい批判されてきたが、批判されてもめげない。相手の批判も、クールに受け止める。相手に気に入られようとしてソワソワしたりするようなこともない。人目とか気にして、好かれようとかしない。ただ、一生懸命仕事をする。酷い奴を逮捕するという目標に向かってがむしゃらに仕事をする。それだけ。

だがそこに、その人の人間性が出ている。何を大事にしているか、何にとらわれていないか。

私の言葉でいうと、主流秩序・ジェンダー秩序にとらわれていない。

そして過去の失敗や悔いをちゃんと身体に組み込んで生きている。

そういう二人だからこそ、二人の関係も、言うことは言う、べとべとしない、しかし、その活動の積み重ねを通じて、性暴力加害者への怒り、被害者への思いを感じ、尊敬と友情をかんじていくというようになっている。そのクールさが素敵だ。

そしてその努力が報われた時、仲間も、その仕事ぶりをほめる。

こんな仕事をしているから家庭にもしわ寄せがいく。だが、そこに歯まあまあ理解あるパートナーがいる。底もべたべたはしてないが、理解がある、応援がある。そして逮捕してほっとしたとき、体を休められる肩がある。

 

この社会はなかなか全体としてはよくならない。ロシアのウクライナ侵攻があるし、中国も人権弾圧するし、日本もひどいことはいっぱいある。だが、世界のあちこちで、ちゃんと仕事をして誰かを助けている人がいる。

それだけが希望だ。

そしてそれで充分だ。

 

そのことをうまく描いた作品だった。作ることに意志を感じられる作品だった。

(2022年5月)

 

「岸田首相によるドイツの「平和の(少女像)」撤去要請に関する公開質問状」

 

日本軍「慰安婦」問題解決ひろしまネットワークの「岸田首相によるドイツの「平和の碑(少女像)」撤去要請に関する公開質問状」が、田中利幸さんのブログに掲載されました。

私はまともな意見と思いますが、日本ではこのようにみる人は非常に少なく、簡単にフェイク情報にだまされ(洗脳され)ています。ロシアでプーチンを支持している人を笑えない状況です。

http://yjtanaka.blogspot.com/2022/05/blog-post_25.html

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

禅 Yuki Tanaka 田中利幸

2022年5月25日水曜日

岸田首相によるドイツの「平和の碑(少女像)」撤去要請に関する公開質問状

総理大臣 岸田文雄さま

 

去る4月28日、あなたが、訪日したドイツのオラフ・ショルツ首相に「慰安婦像が引き続き設置されているのは残念だ。日本政府の立場とは全く違う」と述べて、撤去のための協力を要請した事実を、松野官房長官が5月11日の記者会見で認めました。この件に関して、私たちは公開質問をさせていただきます。

ベルリンのミッテ区に設置された「平和の碑(少女像)」


 

 

質問に入る前に、あなたが外務大臣として安倍政権時代に深く関わられたいわゆる「2015日韓合意」問題について、もう一度ここで思い起こしておきたいと思います。なぜなら、「平和の碑(少女像)」撤去要請問題は、「日韓合意」問題とも深く関わっているからです。

 

悪意に満ちた政治的意図での「河野談話」否定

 

以前から歴史問題で日本の戦争責任否定の言動を強めていた安倍晋三首相は、2014年初頭からは、「河野談話」検証要求の強い声を安倍支持派の自民党議員から出させ、同年6月20日には検討委員会による結果報告『慰安婦問題を巡る日韓間のやりとり経緯:河野談話作成からアジア女性基金まで』を発表しました。しかし、検討委員会は、談話作成のために使われた肝心の資料そのものに関する調査・検討は一切行わず、「河野談話」は、韓国側からの一方的な強い要求を最終的には受け入れざるをえなくなり、日本側が不本意ながら「強制」を認める形で作成されたという印象を強くあたえようという、悪意に満ちた政治的意図でこの報告書を作成しました。

 

 ご承知のように、「河野談話」は、日本政府(宮澤喜一内閣)が行った調査の結果を1993年8月4日に公表し、日本軍が「慰安所」設置に直接関与していたことをはっきりと認めると同時に、当時の河野洋平内閣官房長官が「談話」として日本政府の責任を認めたものです。この調査では、1948年にオランダが行った戦犯裁判である「バタビア裁判」記録や戦時中に米軍が作成した関連報告書など、合計260点以上の資料を参考にすると同時に、実際に16名の被害女性と「軍慰安所」関係者約15名からの聞き取り調査が行われました。すでに述べましたように、上記の「河野談話」検討委員会は、これらの調査資料の信憑性については一切言及していません。それもそのはず、なぜなら、これらの資料には疑わしいものが全くないからです。(ちなみに、その後も、「慰安婦」が日本軍性奴隷であったことを証拠づける数多くの資料 – その中には東京裁判検察局に提出されたものもあります – が発見されています。)

 

こうした一連の安倍内閣による「慰安婦バッシング」に深く憂慮した国連の拷問禁止委員会や自由権規約委員会などが、日本政府に対して、元「慰安婦」に対する人権侵害的言動を改め、国家責任を認め、彼女たちに公的謝罪を表明し且つ十分な賠償を与えること、さらには「この問題に関して学生ならびに一般市民を教育し、その教育には教科書による適切な参考書を含むこと」などの勧告を、再三にわたって発してきました。しかし安倍内閣は、破廉恥にもこうした勧告を一切無視しました。

 

 結局、歴史事実を否定しようとするこうしたさまざまな陰険な画策によってもなんら功をおさめることができなかった安倍内閣は、「河野談話をこれからも継承していく」と表面では言いながら、実際には、「河野談話」があたかも歴史事実に基づいていない虚偽の報告書であるかのような発言や欺瞞的な画策を引き続き行い、韓国政府をはじめ関係各国政府の政治的信頼を失う結果をもたらしてきたのです。

 

何ら解決に繋がらなかった「日韓合意」による「不可逆的解決」

安倍内閣の「慰安婦」問題へのこうした欺瞞的な対処の仕方に国内外から批判がやまなかったため、安倍首相は、2015年12月末に、「日韓合意」という形でこの問題に決着をつけようと考えました。

2015年末、日韓外相会議を開き、あなたは外務大臣として、「慰安婦問題」での「最終的かつ不可逆的に解決」で日韓両政府が合意したと発表されました。しかし、この「合意」の内実は、日本軍性奴隷の被害者の思いは完全に無視する一方で、日本の法的責任は認めず、「賠償」ではないと主張する10億円という金を出すことで、今後はこの問題を再び日韓間で問題にはしない約束をとるという、甚だしい被害者人権侵害以外の何物でもないものでした。しかも、本来なら加害国である日本が賠償責任をとるべきであるにもかかわらず、財団を韓国政府に設立・運営させることで、責任を被害国におしつけるという破廉恥な要求でした。さらには、ソウル日本大使館前に置かれている「平和の碑(少女像)」も移転させるという日本側の要求も、その「合意」の内容に含まれていました。

 「責任を痛感している」はずの安倍政権が、本来の被害者である高齢のハルモニたちに対しては直接に「謝罪」表明は全くしないどころか、結局は「10億円出すから今後はこの問題については黙れ」、「その歴史的象徴である『平和の碑』も人目につかないところに移転させろ」と言ったわけです。つまり、「最終的かつ不可逆的に解決」とは、結局、10億円という金で日本軍性奴隷の存在という歴史事実に関する記憶を買い取り、その記憶を抹消することを目的とするものだったのです。さらには、「責任を痛感している」と言いながら、2016年2月に開かれた国連女性差別撤廃委員会の対日審査では、日本政府代表の杉山晋輔外務審議官が、「慰安婦強制」を証明する資料は見当たらないし、朝日新聞誤報のせいで全く間違った情報が行き渡ってしまったと、相変わらず、世界中から失笑を買うような虚妄発言を続けました。日本にとって絶望的なのは、安倍首相自身をはじめ、外務大臣であったあなたを含む安倍政権閣僚たちや安倍支持者たちが、自分たちがやっていることが、どれほど失笑を買う低劣な行為と海外から見られているのかを全く認識していなかったことです。

 

 さらに問題なのは、日本軍性奴隷制の被害者は韓国人だけではなく、アジア太平洋全域にわたっているにもかかわらず、「日韓合意」では韓国以外の被害者の存在は完全に無視されてしまったことです。安倍首相や外務大臣であったあなたが本当に「責任を痛感している」ならば、韓国以外の被害者に対する「謝罪」についても具体的にどのような形で「謝罪」するのか説明をするのが当然なわけです。ところが、この「日韓合意」発表があった数日後には、台湾政府が、台湾の元日本軍性奴隷に対して日本政府が謝罪と賠償を行うことを要求する方針を発表しましたが、菅義偉官房長官は、日本政府はこの台湾の要求には応じないと答えました。「責任を痛感している」というのは、いつもの安倍流の真っ赤な嘘であることがこれで判明したわけです。 

 

日本軍性奴隷制問題は「人権問題」であって、「政治決着」など不可能

 

 日本軍性奴隷問題は「政治決着」できるような性質のものではなく、由々しい「人権問題」であり、いかにすれば被害者の「人権回復」につながるのかという視点からのアプローチが必要であるという根本的認識が、安倍元首相やあなたをはじめ自民党のほとんどの政治家には最初から欠落しています。

結論的に言えることは、日本の法的責任も認めない、10億円での被害者記憶抹消を狙った「最終的かつ不可逆的に解決」とは、実にあさましい、人間として恥ずべき、低劣な政治行為です。したがって、こんな欺瞞的な「日韓合意」が、結局は失敗に終わってしまったことも、全く不思議ではありません。それどころか、被害者に対するこのような不誠実な対応は、さらに韓国民衆の怒りを掻き立て、「強制労働(いわゆる「徴用工」)」問題での安倍政権批判を一挙に高めてしまいました。

 

 確かに、こんな酷い「政治決着」提案を、主として米韓日の軍事同盟の利害に基づき、基本的には被害者を無視してそのまま受け入れてしまった当時の韓国の朴槿恵政権にも責任の一端はあります。

しかし、被害者の人権を全く無視して、自国に都合のいいような欺瞞的な「政治決着」をはかろうとした加害国である日本の政府に最も重い責任があることはいうまでもないことです。にもかかわらず、失敗を一方的に韓国政府のせいにし、今度は韓国への輸出禁止という愚策でさらに日韓関係を悪化させるという、本当に情けない状況を安倍政権は繰り返しました。

 

こうして「日韓合意」前後の状況をふりかえってみますと、その安倍政権で長く外務大臣を務め、この問題に直接関わってきたあなたが、自国の責任の重大さを認識することもなく、多くの戦争被害者の痛みを無視するような政治決着ばかりに頭を使ってこられたあなたの責任も、きわめて重いと言わざるをえません。

 

「平和の碑(少女像)」が象徴する「性暴力拒否」という人道思想

 

 日本軍性奴隷という由々しい「人道に対する罪」の被害者にはアジア太平洋のさまざまな地域の女性たちが含まれていますが、最も多くが韓国・朝鮮人であったことから、「平和の碑(少女像)」の多くが朝鮮民族衣装を身につけた姿となっています。

しかし、中には朝鮮民族衣装ではない像もあります。この「少女像」は、今や、韓国だけではなく、台湾やフィリッピン、米国、カナダ、オーストラリア、ドイツなどの国々の諸都市にも設置されて「Statue of Peace(平和の碑)」と呼ばれており、「慰安婦像」とは呼ばれていません。この像は、もちろん日本軍性奴隷被害者を悼み、日本政府が明確にその責任を認めることを求めていますが、それだけではありません。サンフランシスコに設置された「平和の碑」には「この記念碑は、これらの女性たちの記憶のために捧げられており、世界中での性暴力や性的人身売買を根絶するために建てられたものです」という文字が刻まれているように、あらゆる性暴力を防止・根絶したいという多くの人々の願いが込められているのです。

 

また、あなたが、今回、ドイツのショルツ首相に撤去を要請したベルリン市内ミッテ区の「平和の碑」は、2020年9月に設置されたものですが、設置されて間もなく、あなたに説明するまでもなく、日本政府からの撤去要請がありました。その要請が、独外務省を通してミッテ区長に伝えられ、政治圧力に屈した区長が一方的に認可を取り消してしまいました。ところが、それに対する強い批判がドイツの幾つかの政党や市民から起き、認可取消撤回要求を求める議案が出されました。その結果、区議会が像の設置支持を宣言し、結局、「像の区内での恒久設置に向けて、区は設置者とともに解決策を見出し、区議会はこれに関与すべき」という決議が出され、像は今もそのまま維持されています。その認可取消撤回要求を求める議案では、「『平和の像』を、我々は、武力紛争時の、また平和時の性的暴力に関する議論を喚起するものとみる」と書かれているように、「平和の碑」には、あらゆる性暴力を拒否する力が込められているとみなすべきなのです。

 

 したがって、「平和の碑(少女像)」は、日本軍性奴隷の被害者の痛みだけではなく、あらゆる性暴力被害者の痛みを象徴するものとして、その像を見る人々の心を強く打ちます。つまり、性暴力被害者の痛みを、自分の痛みとして内面化し共有することを、この像は人々に求めているのです。それゆえにこそ、この像は今や世界各地に広がりつつあるのです。MeToo運動が世界各地に広がっているのと同じように、この像の設置・拡散運動は、性暴力被害者の「痛みの共有」を通して、性暴力根絶を目指そうという世界各地の大勢の人々の強い願いが込められているのです。

 

ベルリンのミッテ区に設置された「平和の碑(少女像)」


 

 

首相と同時に一人の人間としてのあなたに対する質問

 

1)「平和の像」を撤去せよというあなたの要請は、人々のこのような普遍的で人道的な強い想いを、あなたは一国の首相として、政治的圧力で崩そうとしているのだということを、どれだけ深く認識されているのでしょうか?そのような人々の想いを、あなたは政治的圧力で崩せるとお考えなのでしょうか?

 

2)一国の首相であるという以前に、一人の人間として、激しい性暴力に数年にわたって苦しめられた多くの女性たちの「身体と心の痛み」に、あなたはどう応えようとされるのでしょうか? 

 

3)また同時に、15年という長期にわたるアジア太平洋戦争中、アジア太平洋各地で軍が様々な残虐行為を犯した日本国の首相として、あなたは国の責任ということをどのように考えておられるのでしょうか?10億円という金を出せば、それで責任は抹消されると考えておられるのでしょうか?

 

4)ドイツの基本法1条には「人間の尊厳は不可侵」であると書かれています。この崇高な思想に基づいて、ドイツはナチスの蛮行の全ての犠牲者に対して、出来るだけの補償をしようと戦後長年にわたって努力してきました。あなたは、そのドイツの首相に対して、日本軍が犯した人権侵害の犠牲者を悼む「平和の碑」の撤去を要求されたのです。そのことに対して、あなたは一国の首相として、また一人の人間として、恥ずかしいとは思われないのでしょうか?もし思われないのなら、その根拠について説明してください。

 

以上の質問に、速やかにお答えいただければありがたく存じます。

 

2022年5月26日

日本軍「慰安婦」問題解決ひろしまネットワーク

共同代表 足立修一 田中利幸 土井桂子

連絡先:〒730-0036 広島市中区袋町6-36

合人社ひと・まちプラザ まちづくり市民交流プラザ気付 mb132

 

 

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

「が」と続けないで「。」で言い切る。戦争はいけない。

以下の高橋純子さんのエッセイ―もいいところをついている。

私たちの立つタンスは明らかだ。

***** 

 

(多事奏論)ブレーキが弱い国 戦争はいけない。臆病者で結構 高橋純

朝日新聞2022年 2022年5月18日 5時00分

シェア

ツイートlist

ブックマーク1

スクラップ

メール

印刷

 ――戦争はなぜ起きるの?

 「人間が愚かだからだよ」

 ――どうしたら愚かじゃなくなるの?

 「ちゃんと考えることだよ」

 そんな絵本を読んだ記憶がおぼろになるのもむべなるかな、この世に生まれてはや半世紀、鼻で笑われた経験は星の数ほどあるのだけれど、なかでも時折思い出してしまうのは外務省幹部によるものだ。

 「『唯一の被爆国として』だなんて、世界で言ったら笑われますよ」

 だって日本は米国の核の傘に入っているんですから――。なるほど、それが本音か。しかし人にも、国にも、立ち返るべき原点というものがあるはずだ。愚かな戦争に突き進んだ敗戦国であり、被爆国であること。そこから足を放して、どうやって日本外交なるものに背骨を通すのだろう?

 そんな問いを携えて当の官僚と食事を共にしたこともあるけれど、憲法9条は殴られている友人を助けられない、恥ずかしいという、いささか素朴な熱弁をふるわれたくらいで、深い話は聞き出せなかった。

     *

 一事が万事そんなふうで、外務省担当としてまるっきり使い物にならない私は省内をぶらぶら散歩して時間を潰し、時に、敷地内にある陸奥宗光銅像と向き合った。

 戦争がまだ「合法」だった時代を生きた陸奥は若かりし頃、しょっちゅう東京・浅草に出向き、雑踏を人の流れと逆に歩いたと伝えられる。やせっぽちで腕力がないから、けんかをすれば必ず負ける。雑踏に逆らって歩き、逃げる練習をしているんだ――それを実践したのが、伊藤博文内閣の外相として対応した日清戦争、三国干渉の受諾だったと哲学者の鶴見俊輔は言う(「言い残しておくこと」)。

 陸奥の日記「蹇蹇(けんけん)録」を読むと、当時の日本社会の様子が垣間見える。以下大要。

 「妥当中庸の説を唱えれば卑怯(ひきょう)未練、愛国心がない者と見られるので声をのんで蟄息(ちっそく)閉居するほかない」

 「国民の熱情は主観的判断のみで客観的考察を入れず、内を主として外を顧みず、進むだけで止まることを知らない」

     *

 ロシアのウクライナ侵攻を受けて、敵基地攻撃能力を持つのだ、核共有も議論しろ、防衛費を増大するぞ、憲法9条を改正すべきだなどと、勇ましい政治家がクイズ番組よろしく「早押しボタン」を連打していてやかましい。

 核の脅威が高まっているこのときに、それこそ「唯一の戦争被爆国」としてやれること、やるべきことは多々あるはずだ。なのにただ他国の不幸に便乗してひとびとの不安感をあおり、進むだけで止まることを知らぬ粗雑な議論で性急に「答え」を出そうとする政治家を、私は信用しない。

 彼らは往々にして、戦争はいけないが……、と前置きしてのち語り出す。しかし、「戦争はいけない」に「が」や「けれど」を接続させるから、つるり戦争の方へと滑ってしまう。「戦争はいけない。」。まずはそう言い切ること。小さな「。」の上にかじりついてでも考え抜くことができるか否か。そこがいま、問われていると思う。

 歴史を振り返っても当世を見渡しても、この国のブレーキは大変に利きが悪い。答えを急がず、歴史を参照し、異なる意見を聞きながら迷ったり悩んだりする姿勢こそがブレーキの役割を果たす。大事が起きてもその姿勢を崩さぬ人はきっと、愚鈍な臆病者とそしりを受けるのだろう。結構毛だらけ、私はそんな臆病者として生きたい。

 

 たとえ誤りにみちていても、/世界は正解でできているのでなく、/競争でできているのでもなく、/こころを持ちこたえさせてゆくものは、/むしろ、躊躇(ちゅうちょ)や逡巡(しゅんじゅん)のなかにあるのでないか。

 何だって正しければ正しいのでない。

  (長田弘「誰も気づかなかった」)

 鼻で笑って頂けたら本望である。

 (編集委員

連載多事奏論

 

 

 

斉加尚代さん インタビュー

主流秩序に従属しない姿勢   

こんなまともなジャーナリストもいる

一方、橋下の横暴に沈黙し、さいかさんが攻撃されているときに 助けない、根性なし、あるいは、「くそバエ記者」が多いことが問題です。

*********

 

インタビュー)萎縮するメディア 毎日放送ディレクター・斉加尚代さん

朝日新聞2022年5月19日 5時00分

「MBSのドキュメンタリーチームはこれぐらいの仕事ができるんだ、と示し続けたいんです」=西畑志朗撮影

 

 政治家の記者会見で、激しいやりとりが減ったと感じる。そんな中、著書「何が記者を殺すのか」を出し、上映中のドキュメンタリー映画「教育と愛国」で監督を務めた毎日放送MBS)ディレクターの斉加尚代さん。「萎縮するメディア」の背景には何があるのか。足を使って現場を回り続ける記者の先輩に、話を聞いた。

 

――映画「教育と愛国」では、政治の力で変化させられていく教育現場が描かれていますね。

 「この映画は、2017年に放送したドキュメンタリーを元に追加取材を加えたものです。私は大阪で長く教育現場を取材してきましたが、10年に大阪維新の会ができて以降、政治主導の教育改革が進みました。その変化が思いのほか速いなと感じていたころ、国が道徳を教科化することになった。そして戦後初めて作られた小学校の道徳教科書で、『パン屋』を『和菓子屋』に書き換える、ということが起きました」

 

 「一見、滑稽な書き換えですが、06年度の高校日本史教科書検定を受け、沖縄戦の集団自決について『軍の強制』との記述が削られた問題とつながると感じました(その後、『軍の関与』などとする記述が復活)。それで教科書会社へ取材を申し込みました」

 

 ――どのような反応でしたか?

 「ほとんどの社から断られました。そんな中、『新しい歴史教科書をつくる会』系の育鵬社で歴史教科書の代表執筆者を務める歴史学者伊藤隆さんが取材を受けてくれました。話が熱を帯びてきたところで、育鵬社の教科書が目指すものを尋ねると、伊藤さんは『ちゃんとした日本人を作ること』とおっしゃいました」

 ――ちゃんとした、ですか。

 「『左翼ではない』と断言されました。歴史から何を学んだらよいかと聞いた時には『学ぶ必要はない』と歴史学者がここまで言い切ることに衝撃を受けました。育鵬社の教科書は『歴史を学ぶ』のではなく、歴史を通じて一部の政治家にとって歓迎すべき『道徳』を学ばせることを意図しているのではないか、と感じました。これでは、子どもたちの内面に踏み込む恐れがあります」

 「それでも、伊藤さんが学者の矜持(きょうじ)を持って取材に応じてくれたことは実はありがたかったのです。『あなたとは立場は違うけれども、また会いましょう』と言ってくれました。相手との垣根を超えていかないと、分断や閉塞(へいそく)感は超えられません」

     ■     ■

 ――17年には沖縄で基地反対運動をする市民に対するネットバッシングも取材されましたが、斉加さん自身、取材を機にバッシングを受けたことがありましたね。

 「12年に大阪府立高校の卒業式で教職員が国歌斉唱をしているか口元チェックをされたことがあり、当時の橋下徹大阪市長へ会見で『一律に歌わせるのはどうか』と尋ねました。当然の質問をしたつもりでしたが、約30分にわたる言い合いになってしまいました」

 「このやりとりが動画で出回り、3カ月ほど『反日記者』とネットでたたかれました。非難メールが会社に1千件以上届き、大半は匿名だった。『勉強不足』『とんちんかん』という橋下さんの言葉を引用した内容が目立ちました。政治家の言葉に乗っかり、相手をたたくことに嬉々(きき)としている。そんな印象でした。この現実を直視しなければと思い、全部読みましたが、苦しかったですね。自分自身の原体験としてはこの出来事がありました」

 

 ――なぜメディアはバッシングを受けるのでしょうか。

 「メディアも事実をちゃんと見極め、提示できているか。メディア企業の経営側もネットに押され、足元の経営を重視するあまり、戦前から失敗を繰り返しつつ作り上げてきた報道倫理を見失っている。それがメディア不信の一因になっていると思います」

 

――沖縄の件では、「基地反対派が患者を乗せた救急車を無理やり止めた」というデマに基づいて、バッシングが広がりました。

 「東京ローカルの『ニュース女子』という番組はそれをそのまま放送しました。私たちはデマの発信者のところまで行って事実でないと確認し、『沖縄 さまよう木霊』という番組で、デマを地上波で流したことを批判しました」

 「後日、放送倫理違反が認定されて『ニュース女子』は打ち切りになりましたが、日々、限界を感じています。デマはその気になれば30秒で作れ、SNSでたちまち拡散する。でも、救急車のデマをデマだと取材で確認するのには3日間かかりました。デマに対して検証が追いつかないのです。それでも私たちは、デマが政治利用されないために根気よくやり続けるほかないのです」

     ■     ■

 ――昔から政治に厳しい態度で向き合う記者だったのですか。

 「政治と向き合いたいと思って向き合ったのではありませんよ。学校の日常風景、子どもの生き生きとした様子の取材が好きでしたし、今も好きです。でも、こんなことがありました。12年に大阪府の教育改革の一環で、入試で3年連続定員割れとなった府立学校が再編対象とされた。対象となったいわゆる『困難校』の府立高校を私が取材した時、ある一人の生徒が言ったのです。『俺たちの学校をいらんってことは、俺たちもいらんってことやろ』と」

 「彼は、政治家が思う『役に立つ人材』から自分が外れている、と敏感に感じとったのでしょう。一人ひとりが自分を大切にし、違いを認め合うことを学ぶ。そんな教育から大きく外れた教育施策が政治主導で進んでいた。こうした流れが教育現場に与える影響を報じ続けることで、『教育とは誰のためにあるのか』を視聴者に問いかけてきたつもりです」

 

 ――斉加さんが作ったドキュメンタリーは多くの賞を取っていますが、通常は深夜枠の放送です。これは仕方ないのでしょうか。

 「番組編成の決定権を持つ編成局は、40年以上続くドキュメンタリーシリーズが局のブランドになっていると言います。でも、視聴率は取れない。だからゴールデンタイムなどには放送されません」

 反原発運動を支えた物理学者・水戸巌さんの番組を撮ったとき、会社は通常通りの広報をしてくれなかった。放送後に、ある役員から『経済からは自由になれない』と言われました。放送局にとって電力会社は大スポンサーです。現実として経済からの自由はないのだと思います。それでも、作り手としては自由があると思って作らなければなりません」

 ――MBSは今年のお正月のバラエティー番組で橋下さん、松井一郎大阪市長、吉村洋文大阪府知事をそろって出演させ、「政治的中立性を欠く」と指摘されました。これも経済原理が背景に?

 「大阪では今、維新の首長たちは視聴率が取れる。ビジネスとジャーナリズムの切り分けができにくくなっている状況にあります」

 「色々問題がある番組でしたが、橋下さんの知事時代について、松井市長が『女子高生も泣かせたし』と笑いのネタにした場面がありました。08年の高校生たちとの討論会を指していると思います。経済的に困窮し私学助成削減に反対する彼女らに、橋下さんは激しく反論し、『あなたが政治家になってそういう活動をやってください』と言った。強者が、声を上げる弱者を『ひっぱたく政治』の象徴のように見えました。それを『討論会で女子高生を泣かせた』というテロップまでつけて流したのには、目を疑いました」

 

 「昨年、私は局内に全員メールを送り、良心に基づく『個』の視点を持つのが大事だ、と書きました。この件も、それぞれのポストにいる人間が『一線を越えてます』って言えば止まったかもしれない。そう言えないこの空気は何だろうと思えてなりません」

     ■     ■

 ――メディアは萎縮してしまったのでしょうか。

 「萎縮しそうな状況が生まれたら、逆にはね返さなきゃいけない。それがメディアの役割です。政治家の声は力があり、しかも今はSNSで拡散される。政治家が『表現の自由』を言い出した時点で、私は世の中おかしくなったと思いました。表現の自由が必要なのは、意見をたたかれたり黙らされたりする人たちです。なのに政治やSNSを前に、今はメディアが自ら縮こまっています」

 「橋下さんと私が言い合いをした時、会見場にはパソコンでメモを打つ音ばかりが響いていた。『あの取材を否定する記者は記者じゃない』と声をかけてくれた人もいましたが、『早く質問をやめれば炎上しなかったのに』という同業者の反応は、その後のバッシングよりもショックでした」

 

 ――記者はどうすべきだと考えますか。

 「ある沖縄の人が、デマを大阪のテレビが暴いてくれて希望を感じたと言ってくれました。民主的な社会を維持する土台として、市民と学校、メディアには、信頼や対話が必要です。メディアは、強い言葉を発せられない人の言葉のスペースを確保する役割がある。失った信頼を築き直さないといけません」(聞き手・宮崎亮

     *

 さいかひさよ 1987年に毎日放送入社。報道記者を経て2015年から現職。テレビ版「教育と愛国」でギャラクシー賞テレビ部門大賞。

白川真澄「ウクライナ戦争にどう向合うべきか」への私の3つの異論点

 

白川真澄「ウクライナ戦争にどう向き合うべきか」への私の3つの異論点

 

白川真澄さんが4月に「ウクライナ戦争にどう向き合うべきか」というメモ的文章で、ロシア侵攻についての見解をバランスよくまとめられている。大きくは同じ感覚のところも多くあるが、日本で論じるときに、日本社会への影響を考える必要もあることや、非暴力主義のスタンスの温度差的違いから、白川さんのまとめ方と私の考えには異なるところもあるので、私の立場から、白川さんの意見へのコメントを「3つの異論点」として述べておきたい。

(私は、表舞台で議論を展開して自説が正しいと言って論争したいと思っていないが、自分のスタンスの確立、そして、一部読者が自分の考えを整理することに役立つならいいなと思って書いているので、興味ある方は、今回のコメントの前提については、私の過去の「ロシア侵攻」に関するブログ記事を見ていただきたい。メディアに出ている学者や防衛省関連の人への批判を書いている。)

 

まず、1点目の異論点は、今回の戦争には2つでなく3つの性質があるという点である。白川は「ウクライナ戦争は、(1)ウクライナの民衆自身の侵略に対する抵抗戦争、(2)NATOとロシアの間の代理戦争(米国の武器支援を受けた戦争)、という二重の性質・側面を持っている」というが、私は、そう見ていること自体が不十分で、「3つ目の性質」が見えていないと考える。

私が最初から考えているのが、一つの国の中には多様な人がいるということであり、ウクライナの政権側とは異なる思想や生き方のひとがウクライナの中にいるということである。私は、ロシアの侵攻に対する抵抗・自衛の中にも、権力側のナショナリズム・軍事的思考からのものと、民衆側の自発的なもの(ナショナリズムにはあまり囚われていないが自らの自発的な意思で銃を握って抗戦に参加した人)があるとみており、この区分は重要と思っている。

したがって、この視点からは、「ウクライナ戦争の3つ目の側面・性質」として「ウクライナの政権・主流体制と一体化しない人々が「ウクライナとロシアの対立」戦争に巻き込まれているという側面」があるということを指摘したい。

 

  ロシア侵攻がひどいのは自明だが、ゼレンスキーをはじめとして、ウクライナ国内・政権内には、「ナショナリスト民族主義者」的な思考の人がかなりいると思われる(右派もいるが右派とあえていわなくても)。すくなくとも、「国・領土・国民を守るために、武力で対抗するのだ」というマッチョな「軍事的思考」の人が主流で、日本国憲法のような「非暴力・非武装で、平和的な存在なっていこう」「ナショナリズムは危険なので捨てよう」「人を殺したくない」という思考は政権内では力を持っていないようだ。見解は別れるが、ウクライナの政治・政権が、ナショナリスティックであったことが今回のロシア侵攻の背景にある、その意味で、ウクライナの政治にも責任があると思っている。

私は、過去の戦争でのナチスユダヤ人などの収容所虐殺を含め諸経験を学ぶなかから、とにかく早い段階から逃げることに重要性を見るスタンスを形成してきた。その感覚から、なぜ権力者の闘いの中に巻き込まれないといけないのか、死にたくないという感覚がある。本来もちろん、郷土を捨てて逃げなくてはならないことが不条理だが、馬鹿な政治家を隣及び自国に持った国にいる中で、運命的に不条理に巻き込まれることはある。その中で、最悪よりは少しマシな選択として、郷土を捨ててでもとにかく逃げて、命を守るという選択が、私が考える「私がこういう状況になったとき」のリアルな対応である。

 だから私は、とにかくできるだけ皆が逃げるのがいいとおもっている。非暴力・平和教育を受けたうえで、ナショナリズムに煽られてではなく、洗脳ではない中で、本当に闘いたい人が闘うのはいいが、男性、軍人も含めて、誰でもが安全に逃げられるような道を保証する政治こそがウクライナには必要と思う。

 

その点で、戦争になったときに最初からウクライナ政権が、人命を第一に、とにかく皆を逃がすことを政治的目標の第一に置いたかというと、ウクライナはそうではなかった。ゼリンスキーは、非常時のリーダーらしく、武器を持って戦うことを国民に“雄々しく”呼びかけ、愛国心を煽り、男性は国内から逃げるなと制限した。フェミ的ニュアンス・非暴力主義者のニュアンスは見られなかった。

白川は、後半で日本の話と絡めたときには「民衆の抵抗権、個人の正当防衛権を認めるが、国家の自衛権をフィクションとして否認する立場に立つ」といっているのに、「ウクライナ戦争の性質を2側面に限定している点」ではこの3点目を忘れてしまっていると感じる。

 

私は、以上の「政権と国民各人の生き方にはギャップがある場合がある」「馬鹿な政治家によって戦争に巻き込まれてしまった」という視点を前提として――ここから異論点の第2になるのだが――白川さんが、「障がいを持つ人や高齢者など逃げることのできない人も多くいる。」「自分たちが住んでいる町や村から逃げることのできない人は大勢いる。逃げるという方法は、多くの人にとって可能な選択肢というよりも特定の人びとにとって可能な方法である。」というように、逃げる路線への積極性が見られない記述をしていることに反対する。

ウクライナ政府は必死で、全力で、国民を逃がそうとしたか。していないだろう。病人、障害を持つ人や高齢者、子どもなど、「社会的弱者」こそ逃がすことを戦争開始直後から第一優先課題として本気でやろうとすれば、かなりできるはずである。ロシアと交渉して、ロシアの「協力」も使って戦場から逃がすことをやろうとしたかというと、「ロシアに捕まると殺されたりレイプされる」ということで、ロシアに投降したり逃げることも制限してきた。人道回廊の議論でも、ロシア側への選択肢は排除していた。選択肢を狭めていた。病院などへの攻撃を非難はするが、本当に病人や施設高齢者・障碍者を助けたいと思うなら、それを第一課題としてロシアと交渉すべきであるがしなかった。

だから白川が「逃げることができない人がいるのが必然」のように書くのは間違いと考える。それは政治による変化を見ずに、運命のように認識している間違いである。この「弱者は逃げられない」というのが2点目の異論点である。

 

私が、以上のような点で白川の主張に違和感を感じるのは、日本で万が一外国からの本格的な侵攻があったときに(私は尖閣列島など遠隔の島以外では侵攻はないと考えている)、私は政府の軍隊(自衛隊)と一体となって武器をもって戦うことはないと思うからで、その感覚は大事だと思っている。

白川さんもそういう感覚は日本では考えているようだが、ウクライナでは、ウクライナ国内が一枚岩でないという視点が欠如し、「雄々しくロシアと戦い続けると宣言する政権」と反体制(非暴力)の民衆、戦争で巻き込まれて命が危なくなる人々との区分が甘くなっていると感じた。そこに、ウクライナの政権を含む、ナショナリズムへの批判性(嫌悪感)や、非暴力主義への深い共感の面(軍隊・武力的なものへの嫌悪感・拒否感)での私との温度差を感じた。

 

 

次に、第3の異論点であるが、白川は「日本における軍事力強化の大合唱に屈服することにはならない。いまこそ、非軍事・非武装を積極的に主張すべき時である。」「国家の自衛権をフィクションとして否認する立場」と後半でのべている。

私はそれに賛成であるが、今ウクライナ戦争への意見を日本で言うことは、日本国内の各人の思想的スタンスを醸成する契機になるので、だからこそ、自分の言説の、日本での影響も考えなくてはならないと考える。

日本で主流の言説は、「ロシアが悪くて、ウクライナの抵抗戦は全面的に正しい」として、「政治判断して、妥協・降伏してでも国民の命を守れ」「ウクライナにも悪いところがあった」というような意見をつるし上げて叩くようになっている。また「現実政治は武力で決まる」「ロシアを交渉テーブルにつかせるためには、軍事的にロシアを追い詰めるしかない」「武力には武力でという思想で、日本は今こそ軍事力を高め、台湾有事などにも備えていかなくてはならない」「敵基地を先制攻撃してでも自衛しないといけない」というようになっている中で、白川のように「ウクライナの抵抗戦を支持する」というニュアンスが強い主張は、「非軍事・非武装を積極的に主張し、その理解を広げる」に資するよりも、足を引っ張るのではないか。

テレビで防衛省防衛研究所なるところの人物が何人も出て、武力主義(戦術発想)の思想を振りまいているのである。そのなかで、白川のスタンスは、そうした「ロシアを交渉のテーブルにつかせるためにもウクライナが戦争で反撃し優位な状況を作るしかない」という防衛研究所のスタンスと重なるところが結果的に多くなっている。

私は、今こそ、非暴力の思想が問われていると思うので、防衛研究所のスタンスとは全く異なる思想もあるのだとし、『逃げること』をもっと前に出すことが大事ではないか、それを「お花畑」と嘲笑する空気と対抗することが必要ではないかと思っている。「武力的に攻撃されても武力的に対抗する以外を考える」という思想を深めることが大事と思っている。

そうした視点で、これまでも、今回も、自説を書いてきたし、自分の生き方としてきたし、DV論・ジェンダー論を展開してきた。この観点から、白川さんの後半の主張は、前半のウクライナ支持の主張と後半の左翼的主張の間に、「実際に日本社会・読者個人に与える影響」を考えると矛盾した面があると感じた。

DV加害者は「相手が襲ってきたら暴力的に対抗する」「相手がメンチ切ってくるとか偉そうに言ってくるとか、肩がぶつかるなど、調子乗ってきたら「はぁ?」という感じで対抗する」ような人が多い。その延長に「妻が攻撃的なので我慢しきれずキレた」というような人がプログラム参加初期には多い。それに対して、そういう時に暴力を選ばずに、非暴力的に生きるということを考えていくのが、「DV加害者プログラム」である。そうしたことの積み重ねの上に、もし「尖閣列島が占領されたら」「台湾有事が起こったら」にも、平和的な対応を考えられる力が醸成されなくてはならない。

以上が、白川さんの4月メモを一読したコメントである。

 

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

ウクライナ戦争をめぐる論点(メモ風に)」

http://www.peoples-plan.org/jp/modules/article/index.php?content_id=240

 

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

 

ウクライナ戦争にどう向き合うべきか

2022年4月24日      白川真澄

続きを読む

ながい窖 - 手塚治虫 (日本語版)

ながい窖 - 手塚治虫 (日本語版)

 

手塚治虫さんがこんな漫画を描いていたということを、

WAM のMLで教えてもらいました。

ながい窖 - 手塚治虫 (日本語版)

https://trashbag.tistory.com/209?fbclid=IwAR2ts6c_JTE-13FMxxfxEaSFGY9TWc9PC9

5PK4rk0oviQPSeX7Qffm-tgx

0

 

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

AV出演被害防止・救済法の実現を求める会  声明

「AV出演被害防止・救済法の実現を求める会」から声明が出ました。

 

https://sites.google.com/view/astatement/%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0

 

声明                       

                                        AV出演被害防止・救済法の実現を求める会

                                                

1 5月13日に 与野党実務担当者会議においてAV出演被害防止・救済法法案の素案がまとまったとの報道に接しました。

私たちは、与野党実務者が取りまとめた法案を、被害者の尊厳や人権を守り、被害の予防や救済を実現するために必要な法律であると評価し、一日も早い全会一致での成立を望みます。

 

2 AVをめぐっては、出演による甚大な被害が発生しています。密室で行われる制作AVプロセスにおいて出演者が脆弱な立場に置かれ、意に反する性行為をさせられる危険性が高いうえ、自らが被写体となった性行為の映像がインターネット等を通じて販売・配信・拡散されて不特定多数の者に視聴され、半永久的に残ることに対する精神的苦痛が極めて深刻です。ところが、AV を直接の対象とした監督官庁や法規制は存在せず、被害を受けたことの立証責任を被害者が負うため、警察や裁判所による救済も十分に機能せず、被害者はPTSD罹患・自死など深刻な状況に苦しんできました。

性行為動画の拡散を止めるほぼ唯一の確実な救済手段であった18歳、19歳の未成年者取消権が、成人年齢引き下げによって奪われることになり、新たな被害の増大が懸念される中、私たちは、未成年者取消権と同等の被害者保護の存続を求めてきました。

全年齢を対象とする法案検討が始まった後は、支援団体等6団体が5 月 9 日に提出した要望書の実現を中心に、法案の課題解決を粘り強く求め、国会議員と対話を重ねてきました。

 

3 私たちの働きかけの結果は真剣に受け止められ、格段の前進があったことを評価することができます。法案は、AVの被害がいかに甚大かを十分に踏まえ、通常の契約法理を越えて、被害者に寄り添った被害救済を規定しています。

「出演者に対して性行為を強制してはならない」(3条)ことを前提に、契約締結段階で事業者に詳細な説明義務・契約書交付義務を課し(4~6条)、撮影は契約書・説明文書の提供から1か月経過後と定め、出演契約に定めた行為でも全部又は一部を拒絶できるとしています(7条)。撮影終了後、出演者に対し、撮影された映像を確認する機会を与えなければならないとされ(8条)、撮影終了後公表までの間に4か月を空けなければないとし(9条)、幾重にも出演者に対する保護を定めています。

事業者の義務に反する場合、出演者は無効、解除・取消が可能であり(10~12条)、さらに重要なことは、出演者は、公表後1年間(但し、施行後2年間は2年間)はいつでも無条件で何らの違約金も課されずに解除することができ(13条)、その結果、事業者は回収を含めた原状回復義務を負い(14条)、出演者は公表の差し止め請求ができ(15条)、さらに拡散防止に関する規定も導入されています(16条)。さらに実効性確保のため、規定に違反した事業者に対する罰則規定が定められ重い法人処罰も規定されています(20~22条)。

こうした法案の規定は、被害者に対し、人権と尊厳の回復を実現できる強力な法的手段を付与するものであり、被害防止と被害救済にとって画期的なものと言えます。

とはいえ、これら規定が適切に運用され実効的な救済が図られるかは早期に検証され不断に見直されるべきです。その意味で2年以内に見直すとの規定を設けたことも評価できます(経過措置第4条)

 

4 本法案をめぐっては、性交及び性交類似行為他性行為と称される行為が全て合意によって合法とされてしまう懸念が指摘されました。

 与野党はこの懸念に応え、①「性行為を行う人の姿態」の表現は「性行為に係る人の姿態」と改め(2条2項、3項、4条3項4号、7条2項、3項、4項)、②第1条に「性行為の強制の禁止並びに他の法令による契約の無効および性行為その他の行為の禁止または制限をいささかも変更するものではないとのこの法律の実施及び解釈の基本原則」が示され、第3条に「売春防止法その他の法令において禁止され又は制限されている性行為その他の行為を行うことができることとなるものではない」と規定されています。

本法の罰則規定や、関連する刑事法規定を厳格に運用することにより、上記懸念を払しょくする努力を進める必要があります。

法制審議会では、刑法性犯罪規定の改正、性的姿態の撮影罪の導入に関する議論が進んでいます。出演者が意に反する性的行為および撮影の被害にあった場合に、加害者を確実に処罰する規定を実現することも重要な課題です。

以上見てきた通り、画期的な意義を有するこの法案を葬り去ることにより、再び被害救済が否定される状態を生むことは許されないと私たちは考えます。法律の制定が遅れれば遅れるほど新たな被害者が生まれる現実に私たちは責任を負うべきです。

この法案について現在議論されている課題は、法制定後2年の見直しにむかってさらに議論を重ね、より良い改正をはかっていくこと、この法律の制定を第一段階として、速やかにAV等における性的搾取や人身売買の根絶のために取り組んでいくことを、この問題に心を寄せる全ての人に呼びかけます。

                         

  2022年5月15日

AV出演被害防止・救済法の実現を求める会

 

伊藤和子 内田絵梨 岡恵 大谷恭子 納田さおり 金尻カズナ 北仲千里 後藤弘子 近藤恵子 周藤由美子 寺町東子 橘ジュン 皆川満寿美 山崎菊乃 山崎友記子 雪田樹理 (アイウエオ順)

 

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

労働問題への対応の知恵――プレリアートユニオンのYoutub

 

労働問題についての基礎を以下、分かりやすく説明する動画などの紹介です。

プレカリアートユニオンの清水直子さんからの情報です。

 

****************

 

プレカリアートユニオンのYoutubeちゃんねる、プレカリちゃんねるで動画を公開しました。

https://youtu.be/DmO5Uovd4BU

なぜ、労働組合の団体交渉で問題を解決できるの?

 

前回は、団結権を使って、労働組合を作れる(加入できる)ことをご説明しました。

労働組合って何? 個人加盟の労働組合(ユニオン)はなぜ(組合員個人の待遇も含め)職場の問題を解決できるの?

https://youtu.be/bA7XAuf-0Rg

 

今回は、私たちプレカリアートユニオンのような労働組合は、団体交渉によって、なぜ問題を解決できるのか、をお話しました。

 

プレカリアートユニオンは、誰でも1人でも加入できる労働組合です。

職場のあらゆる問題の相談に対応しています。

労働組合は、働く人どうしの助け合いの組織です。

 

雇う人と雇われる人では、どうしても雇う人の方が力が強くなりがち。そこで、憲法労働組合法で、労働組合を作る権利、団体交渉をする権利、団体行動(争議行動・直接行動)をする権利などが認められており、労働条件をもっとよくしたり、「クビ」「給料が払われない」「職場でいじめられる」など働く上でのトラブルや権利侵害を解決するために力を発揮することができます。

 

憲法28条「勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、これを保障する。」

 

労働者が2人いれば労働組合を作ることができますし、どんな職場で働いていても、私たちのような個人加盟の労働組合に1人から加入することができます。

もしあなたが1人で、会社に問題解決のための話し合いを求めても、会社側は、応じる義務まではありません。

しかし、労働組合に加入し、労働組合が正式に団体交渉という協議を申し入れたら、会社は拒否することができません。

 

労働組合は、話し合いで問題を解決し、利害を調整することを目指しています。

 

しかし、下手に出てお願いをするような話し合いをするわけではありません。いざということきは、争議権を行使し、直接行動を行います。在職であれば、仕事をしないという「ストライキ」、それ以外にも、会社の前でビラまきをしたり、拡声器を使ってアピールしたりしながら、問題を社会的に訴え、会社に圧力をかけます。

 

これを個人でやってしまうと、営業妨害などとして、損害賠償を請求されたり、刑事罰を科されたりします。しかし、労働組合が、争議権の行使として行う場合は、刑事上も民事上も免責されるという特徴があります。

 

プレカリアートユニオンは、1人から加入できる(個人加盟の)合同労組とよばれる労働組合です。労働組合は、働く人どうしの助け合いの組織。

会社や行政からお金をもらったりしないで、自分たちの力で運営し、労働条件を守ったり、よくしたり、働く上でのトラブルを解決するために活動します。

 

労働組合とは何か→https://www.precariat-union.or.jp/information/method.html

 

こちらの動画もぜひご覧ください。

【(6)LGBTQ+暮らしに役立つ情報シリーズ12選】労働組合ならLGBTQの職場の問題を解決できる

https://youtu.be/jwjkhssMzwE

【(7)LGBTQ+暮らしに役立つ情報シリーズ12選】誰でも1人から加入できる労働組合とは「解決できた具体例」

https://youtu.be/-MWA70niB8A

 

 

【2022春闘のテーマソング「賃金を上げよう」公開しました】

https://youtu.be/C5Vine3IprM

 

【労働相談は】

誰でも1人から加入できる労働組合

プレカリアートユニオン

〒160-0004東京都新宿区四谷4-28-14パレ・ウルー5F

ユニオン運動センター内

TEL03-6273-0699 FAX03-4335-0971

メール info@precariat-union.or.jp

ウェブサイト https://www.precariat-union.or.jp/

ブログ https://precariatunion.hateblo.jp/

Facebook https://www.facebook.com/precariat.union

twitter https://twitter.com/precariatunion

YouTube https://www.youtube.com/channel/UCAwL8-THt4i8NI5u0y-0FuA/videos

LINE労働相談 https://page.line.me/340sctrx?openQrModal=true

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

 

AV業界に有利なAV新法に反対する急アクション

 

 

AV業界に有利なAV新法に反対する緊急アクション

 

以下のようになっているということです。いつもながら自民党、何しとるんや です。

**************

みなさま

 

【緊急拡散!】AV業界に有利なAV新法に反対する緊急アクションへの呼びかけ

 

AVに関する新法が、今国会でとんでもないスケジュールで通されようとしています。

自民党による骨子案では、その内容が業者にとって大変都合がよく、このままでは売春防止法にも反する「性交」を金銭取引の対象にすることを法的に認め、国家的に認められた AVが誕生することになります。

もともとは成人年齢引き下げに伴い、1819歳の契約の取消権を求める被害当事者や支援団体の声に応えて検討が始まったものですが、いつのまにか業者側に都合の良いものになり、通されようとしています。

 

この動きに気づいた民間支援団体につながる方がヒアリングの場を設けるように働きかけ、5月9日に与党と各党の実務者会議に民間団体が呼ばれました。これが、最初で最後のヒアリングでした。

ヒアリングには AV業界団体も呼ばれており、「AV出演強要は一件もなか った」など、被害当事者や支援団体の見ている現実とは全く違う主張をしていました。

また、「AV は 3000 億円の市場であり、厳しい法規制がかかると、AV 業界がつぶれ、それだけの市場が海外に流れることになるかもしれない。AV は大企業でありビジネスとしてやっている。業界で「稼げた」という人は最低でも1 億円は稼いでおり、スカウトも2千万円 は稼いでいる」などとAV 業界の実態を紹介し、「人権」ではなく「ビジネス」の問題として主張しています。

AV業界団体は、性搾取をビジネスとして正当化するための「自主規制」を行っており、この新法は、それを参考にして作られています。

 

民間支援団体 6 団体で要望書を届け、このままでは到底受け入れられないことを伝えましたが、世論の後押しがなければこのまま新法が成立してしまいそうです。 被害の実態もよく知られないまま、ほとんど議論されないままに突然でてきたこの法律では、さまざまな点で、業者や消費者たちに都合の良いものとなっています。

私たちは、この法案のまま新法ができることのメリットは一つもなく、ますます性搾取を深刻化させると考えています。 このまま新法が成立しても、被害者救済につながらないどころか、被害を拡大し、さらなる女性差別や人権侵害が生じることにつながります。

このように性搾取を正当化する法律の強行を止めるためには、私たち市民が反対の声をあげることが必要です。 なんと、今月中には衆議院を通過させるスケジュールで動いています。時間がありません。

以下の緊急アクションを有志で企画しました。

一緒に声をあげましょう!

 

AV 業界に有利な AV 新法に反対する緊急アクション】

  5 22 () 17 時半〜新宿東口広場にて

  当日は紫のものを身に着けて集まりましょう!

#AV新法に反対します」で、SNS でも反対の声をあげましょう!

AV 業界に有利なAV 新法に反対する緊急アクションTwitter → @StopAVlaw

https://twitter.com/stopavla

 

【呼びかけ人(順不同)】

北原 みのり(NPO 法人ぱっぷす 副理事長)

仁藤 夢乃(一般社団法人 Colabo 代表理事)

角田 由紀子(弁護士)

石川 優実(俳優・アクティビスト)

小川 たまか(ライター)

菱山 南帆子(市民運動家)

太田 啓子(弁護士)

辛 淑玉(人材育成コンサルタント)

山田 不二子(認定 NPO 法人チャイルドファーストジャパン 理事長)

郡司 真子(AV 出演対策委員会)

宮子 あずさ(看護師・コラムニスト)

小野沢 あかね(立教大学教員)

阿部 真紀(認定 NPO 法人エンパワメントかながわ 理事長)

金 富子(東京外国語大学)

黒澤 いつき(明日の自由を守る若手弁護士の会)

梁 澄子(希望のたね基金 代表理事)

甲斐田 万智子(認定 NPO 法人国際子ども権利センター(シーライツ ) 代表理事)

 

 

小泉悠氏の意見を批判する

小泉悠氏の意見を批判する

2022年5月5日

前回は高橋氏を批判したが、よく似た論理の小泉氏を今回は取り上げる。小泉悠氏(以下、敬称略)はテレビや新聞によくでている人物であり、ネットでも以下のようなことを語っている。

小泉悠「ウクライナ戦争、終結のジレンマ」 https://youtu.be/Cn4c7X2w7Eg

小泉悠×池内恵×千々和泰明「戦争の終わらせ方」 #国際政治ch 119

https://www.youtube.com/watch?v=Nl8D8gsJ3nA

 

この種の意見が幅をきかせていると思うので、批判しておきたい。

私は彼の感覚、意見、考え方に反対だ。自分の意見だけが正しいという姿勢はおかしいと思うが、小泉は視野(思考の枠)が狭くなって自分の正しさに閉じこもっている。「ジレンマ」という言葉でごまかしている。そのことに自覚がない。自分と異なる意見を見くびっている、その意味で無知である。

以下、いかに視野が狭くなっているかを指摘しておきたい。

 

小泉だけでなく、ロシア侵攻問題での意見の違いで、相手を馬鹿にするような風潮が一層激化している。それ自体が問題と思う。

****

小泉らの主張は単純で同じ視点で1つの主張を繰り返している。

それは「ウクライナは軍事的に、徹底抗戦し、一定勝たないと、ひどいことになる!ほかに選択肢はない。」という主旨である。

その主張だと、チキンレース状態になって戦争が拡大していくこと(大規模戦争、第3次世界大戦、核戦争)については、ジレンマといって、思考停止しているだけである。主観的な希望的観測でそうはならないだろうと思い込んで「徹底抗戦しかない」と主張している。

 

以下、それを、まず確認しておく。

小泉および千々和泰明等の主張

停戦はテーブルの上でおこなわれるのでなく、戦場の力関係で決まる。だからウクライナが抵抗し、一定の勝利を収めないと、まともな停戦にならない。

闘って交渉条件を有利にしないと、停戦にならない。戦うことが停戦には必須の条件。

ウクライナが「支配されていいですよ」というなら外野の我々が言うことはないが、一定のまともな停戦になるには闘いが絶対に必要。

占領された後、虐殺されているので、負けたら拷問、虐殺、レイプが行われる。領土が奪われ、祖国が亡くなる。その意味でウクライナはロシアに降伏できない。してはならない。ウクライナにしたら抗戦しかない。 

米国も支援しているし、一方的に負けるとは限らない。核戦争になるかもしれないのはジレンマ。でもロシアとしてもNATOが参戦するのは困る(から、ムチャをしないだろう)。

核を使っても、その後、ロシアは優勢でなくなるから(使わないだろう) 

核を使っても戦争は終わらないで、ロシアが終わる(だから使わないだろう)

政治的目的の達成にならない(だから核を使わないだろう)

(だからウクライナの徹底抗戦はしてもいいだろう) 

「戦争終結なら何でもいい」のでなく、どのような条件によってもたらされた終結かが大事だ。

「平和の回復にとって重要なのは それがどのような条件によってもたらされた戦争終結であり、それによって交戦勢力同士が、お互いに何が得られ、何が失われるかということである。ここに戦争終結のジレンマを問う意味がある。」千々和泰明著「戦争は以下に集結したか」p275

 

ウクライナが屈服すれば戦争は終わるが、それは本当の解決ではない。

すぐに終わらせたいのはやまやまだが、どういう形での終結かが、戦後の世界の政治、世界のあり方を決めるから、今、ウクライナが闘うことには意味がある。戦ってもらわないと困る。

第二次世界大戦でも、ドイツが勝った後の世界をどうするのか、ということで、第二次大戦は、下手に集結させずにドイツと徹底的に戦った。今回、ロシアが勝ったら、たいへんなことになる。だから世界(日本や西側諸国など)は、とにかく戦争を終わらせるためにウクライナに降伏しろとは言うべきでなく、徹底抗戦させて、ロシアをやっつけないといけない。(戦後のよき世界のためにも、ロシアを勝たして、自由にさせてはいけない)

小泉らの主張、終わり

注:「( )」の中は、明確には言わないが文脈上、それを言っているという内容

 

「小泉悠×池内恵×千々和泰明」の3人は、こうしたことを繰り返して言うだけ。

この程度の話で、「なるほどそうだ」と思う人がいるのが現実だ。

私とは大きく、「今まで何を考えて生きてきたか」が違うと感じる。

これは、私(伊田)から見れば、同意できない意見だ。どっちが正しいではなく、少なくともいえることは、意見の違いがあり、どちらかだけが正しいと言えるものではないということだと思う。私を含め、非暴力主義の側の意見を理解していないという意味で、視野が狭い意見をいっているが、エラそうに自分が一番わかっているというように論じ、「降伏すべき」「停戦すべき」というような傾向の意見を、よく知らないで、浅い意見と見下して批判している。

小泉らの思想、政治路線があることは私は当然、承知するし、それもあるということは分かる。リアリズムということで、多くの人がそれに囚われている。歴史はほとんどパワー・暴力武力・陰謀・買収で動いてきた。私の言葉でいうと、主流秩序に沿った思考の人が多いことは分かる。だがそれは、正しいということではないし、私もその意見に同意しないといけないということにもならない。伊田の考え方が間違っているといわれるものでもない。

小泉らの思想・路線は、「力で正義を実現させようという思想」であり、それがリアリズムだということで、そうでないものを「お花畑」「空論」とレッテルを張って馬鹿にするスタンスだ。

私は、それも一つの現実主義と認識するが、しかしそうでない道が見えているので、見えていない人のくちぶりには困ったものだと思う。ウクライナの政治家や軍人や一般庶民も、多くは、「戦争を経験して、非戦・非暴力のような思想と格闘して到達した」というのでなく、いまだ素朴に、武力には武力で、そしてナショナリズム的なものに引っ張られているなと思う。

小泉や高橋、それと類似のインテリやメディアたちの発想は、単純だなと思う。そこに悩みや迷いや複雑さがない。政治だけでなく、一人の命の重みの前で悩む姿勢、過去にいかに暴力と非暴力で悩んだのかの深みが感じられない。

言っているのは

「今回は、プーチンは、ウクライナを屈服させて支配するまで戦争を辞めないだろう、そういう場合、話し合いでは落としどころは見えないから、プーチンは話し合いに応じない、パワーで抑えないといけない、それしかない」

ということだけだ。

しかし、矛盾がある。もし「プーチンウクライナを屈服させて支配するまで戦争を辞めない」としたら、ロシアが勝つまでは終わらないということにもなる。それに対して、そういう「暴漢」「悪魔」を力で抑える以外に、そういうものから逃げるというのが現実的な選択肢としてある。小泉たちはそこの選択肢を考えず、チキンゲームに応じて相手を屈服させるしかないという。馬鹿相手に、こっちの強さを見せつけてやるというチキンゲームで勝とうとしているのだ。相手に勝てるのか。チキンゲームの結果はどうなるのか、ということを考えないといけない。以下そのあたりを、伝えていきたい。

 

小泉的な人たちは、リアリストだということで「リアルなパワーが必要」といっているだけ。単純な頭の持ち主の考え方である。そういうひとは、理想主義、ユートピア主義は空論で意味がないというし、そうとしか思えない。其れは視野が狭く、軍事的にしか世界を見ておらず、知性の欠如だと思う。

愚かである。それならば、戦国時代と同じである。

小泉の言うようにロシアが絶対にひかないなら、ゲーム理論が示すように、妥協したほうが自分の利益になる。だが小泉たちは、そんな事をしたら世界(の勢力関係)がひどくなるので、ならず者の横暴を許さないようにしないといけないという。だが、ロシアは屈服しないので、小泉たちの議論は矛盾にぶち当たる。ウクライナがロシアに戦争で勝利するのはなかなかむつかしいので、実は小泉の路線に展望はない。非合理的かつ主観的に、何とか、ロシアが戦争で不利になる中で停戦に応じてほしいと思っている。願望的には軍事的に勝ちたいと思っている。とにかく力でロシアを抑えるしかないという発想だ。つまり、結局は「パワー、それしかない」という昔ながらの暴力主義のままで、しかし、ロシアには勝てないし、プーチンは妥協しないので、小泉たちは展望を示せない。米国の武器でロシアに勝ちたいという方向ばかりに目を向けている。とにかく軍事的にしか考えない。

それなのに、何か真実を言っているような口ぶりで、結局、「抗戦しかない」と繰り返すだけだ。あとはウクライナの抵抗する人への共感の気持ちという精神主義での、「戦い・戦争の美化」だ。戦争映画を見て感動するあれだ【それは右翼も、左翼も、ヒトラーも好きなもの。戦意高揚はいつも為政者が考えるもの】。それがリアリズムだと言っているだけ。

この理屈だと、相手が絶対的な武力主義者だと、こっちも力で抑えるしかないということになり、戦争はエスカレートするしかない。核戦争の危機も出る。プーチンが絶対にひかないおかしな奴というのが小泉の主張の出発点だから、デッドエンドまでいくしかない。小泉のプーチン観だと、小泉に答えは出ない。

***

それに対し、いくら相手がプーチン(暴力主義・ひどい奴)であろうと、何とか「話し合い」をしていこうとするのが、交渉による政治なのではないか。 

それでもうまくいかないかもしれない。しかし、交渉しかない。 そしてその中では、妥協、敗北、がある。 敗北しても、無限の戦争のエスカレートよりもマシということを選択肢に入れる必要があるのは当然である。ゼリンスキーの言うように「最後まで戦う」というのは、まさに日本が言っていた精神主義であり、命の軽視である。ゼリンスキーは「とにかく武器をくれ」と言っている。ウクライナの中で、どの路線で行くかの話し合いを重ねようとしていない。戦うみちしかないということを国民に押し付けている。

「逃げる、負ける」という選択肢を理解する人が少なすぎる。それは、世界中で積み重ねられてきた、非戦の努力、紛争解決の努力、和平プロセス、そして日本国憲法の精神が忘れられている。知らない無知。

それは「戦争はもうこりごりだ」というところから生み出された多くの経験値が、忘れられているということ。「国が亡くなる、郷土が奪われる、こんなひどいことをしたやつらが憎い、ゆるせない、死んでもいいから相手と戦いたい」などという、過去にあった感情の動員によるナショナリズム的な戦争の思想でとどまっている。

 

だが、その結果はいつも悲惨である。ひとりの人間にとって人生は一回きりであり、愛する家族や知人を失ったり大けが・障害に至らせる戦争は、とにかくしないこと、減らすこと、早く止めることである。

暴漢にナイフや銃をちらつかせられて「金出せ」と言われたら金を出すのも生き残りの方法である。レイプされそうになったら、「命を懸けて貞操を守れ」ではなく、レイプされても生き延びる道もあるという選択肢を残すのは当然である。もちろんレイプなど許せない、ひどいことである。加害者は許せない、殺したいほど憎い。でも、現実的には、悪いのは加害者であり被害者は抵抗しない選択で生き延びてもいいのである。

そんな中で死刑制度も論じられ、徐々に死刑制度は廃止されてきている。個人の復讐・リンチも禁止されている。「目には目を」ではない、修復的司法の視点での刑法の改革も、囚人への教育的かかわりも進みつつある。

そんな時代にそういうことなどないかのように、リアリズムは、銃を持ってロシアと闘うことだという。武器は異常に発達し、戦争のレベルは高度化している。最新化され組織された軍隊に武力で勝つのは昔以上にむつかしくなっている。だから政治闘争も武力革命ではなく非暴力的な政治闘争が指向されている。 

***

今の日本でも差別する人がいるし、ひどい政治が無数にあり、それに怒りがある。今、日本でも不当弾圧、不当逮捕などもある。だがそれが許せないからこちらも銃を持って反政府勢力となって戦うか、ゲリラをするかというと、それはしないという立場だ。昔と違って今はそういう戦いで社会を変える、革命するということが適さない時代と思う。つまり今でもひどいことをされる人はたくさんいるが、それでもだから爆弾やナイフを持って戦えとはならない。言葉によるいじめ、集団いじめが「ロシアの侵攻」よりも軽いと言える感性に私は反対である。もちろん、戦争、爆弾・爆撃で人を殺すなど絶対に許せない。しかし、命を奪わなくとも、殴ったり、皆に笑われたり、リンチされたり、無視されたり、誹謗中傷されるなどひどい人権侵害はある。性暴力、いじめ、DV,パワハラ、セクハラで許せないレベルのものがある。それを軽視することなどできない。加害者に対しては、デスノートに名前を書いて抹殺したいと思う人は多いだろう。拷問して苦しめたい、同じ苦しみを味わわせたい、と思う人は多いだろう。当然だ。

だが、しかし、でも、今の時代、そうした犯罪者や加害者、悪質なものに対して、殺すとかリンチするとか、武器で抹殺する、拷問するような戦い・報復という解決策を私たちはとらないはずだ。そうした加害者を死刑にも処さないというのが、私の、そして死刑反対派のスタンスだ。

そこには、深い、暴力への「忌避する感覚」がある。動物の「と殺」にさえ、今やアニマルライツとして、その命をとることを見直そうという人が増えている。

殺すことには痛みがあるのだ。人を殺すこと、動物を殺すことへの躊躇がないことへの違和感を持つかどうか。

戦争の経験は、そして、軍人・兵士は、徐々に殺人や死体に慣れていく。軍隊内の暴力や理不尽な命令やいじめにも慣れていく。軍隊とはそもそも、相手を倒す訓練をするのだ。銃だけでなく様ざまな武器の使い方を訓練する。標的を破壊する訓練。爆弾投下、ミサイル発射、ドローン攻撃。街を破壊し、人を殺す訓練…。

そういうことに違和感、忌避感、おぞましいとおもう感覚、怖い感覚、できない感覚、そういうことを大事にしたいとおもう人が、人権やフェミや非暴力や反戦争、死刑制度見直し、入管制度の改善を語っている。軍隊があるとしても、不当な命令には従わないための「兵士の抗命権」の確立を求めている。

そこでいのち、人権を大事にするからこそ、暴力・軍事・攻撃を忌避するからこそ、人権抑圧にも、武力・暴力ではない形で対抗しようとしている。「新撰組」的有り様を気持ち良いとは思わない。

映画やドラマだから何とかヒーロー/ヒロインが相手をばったばったと殴り倒したり、銃を乱射したりするのを娯楽としてみているが、敏感な人はそういうものにも少しずつ違和感を感じている。そういう「目には目を」「武力にはより強い武力でやり返す」ではない物語を好むようになっていく人は多い。

過去は、それでも負ける闘いでも身を投じるしかない時代もあった。私はそれは素晴らしいとおもうし、美しいと思うし、その犠牲の上に今の社会があると思うので、闘いを引き継ぎたいと思う。

だが、2022年の現在、ひどいことに対して、こちらが銃や武器を持って戦うことは選ばない。加害者と同じような感性では、戦わない、戦いたくない。同じ世界に堕ちたくない。それは暴力への従属であり敗北だ。軍人的世界観への堕落だ。私たちは、その「戦い方」に違いを見出すだろう。

いま、暴力には、非暴力で戦おうとするのだ。たとえば、軍事力・武器を放棄し、無防備地域宣言をだすことで。兵役拒否をすることで。

昨日、テレビドラマ『悪女』で わかりやすく女性差別問題を扱っていた。1980年代のこのマンガが、今ほぼ同じ内容でドラマになっても古びないという、この40年の停滞。そこに怒りを感じるのは私だけではない。こうした差別・抑圧には腹の底から怒る人がいてもいい。私もその側だからフェミニストだ。

 だがだからといって差別するやつを殴るかと言うとそういう戦い方を選ばないのが私たちのスタンスだ。

そうした基本に関わるのが、「外国から侵攻されたときどうするか」であり、「尖閣などの領土問題や台湾有事で、軍隊での戦争参加に賛成するかどうか」である。それは奴隷になるということではない。ロシアと戦わないと、レイプされ、虐殺され、シベリア送りだという単純な言い方で、あれかこれかを決めつけるのは、和平プロセスや交渉の丁寧なあり方(それによる結果の多様性)を無視した、議論の仕方だ。その発想だと、どんな戦い・争いも「勝つしかない、負けたら終わりだ」となる。そういう人は「勝った」ときに傲慢になるだろう。勝ったこと(武力を行使したこと)への反省が生まれにくいだろう。

どこまでも同じ単純な論理だけ。それを防衛省の下部機関の人間たちがテレビで広めまくっている。日本国憲法など全く無視して。

戦争の経験を忘れている日本になってしまった。

***

ミスチルの「タガタメ」(アルバム 『シフクノオト』2004年 所収)は言う。

 

この星を見てるのは

君と僕と あと何人いるかな

ある人は泣いてるだろう

ある人はキスでもしてるんだろう

子供らを被害者に 加害者にもせずに

この街で暮らすため まず何をすべきだろう?

でももしも被害者に 加害者になったとき

出来ることと言えば

涙を流し 瞼を腫らし

祈るほかにないのか?

 

タダタダダキアッテ (ただただ抱き合って)

カタタキダキアッテ (肩たたき抱き合って)

テヲトッテダキアッテ (手を取って抱き合って)

 

左の人 右の人 

ふとした場所できっと繋がってるから

片一方を裁けないよな

僕らは連鎖する生き物だよ

 

この世界に潜む 怒りや悲しみに

あと何度出会うだろう それを許せるかな?

明日 もし晴れたら広い公園へ行こう

そしてブラブラ歩こう

手をつないで 犬も連れて

何も考えないで行こう

 

タタカッテ タタカッテ (戦って戦って)

タガタメ タタカッテ (誰がため 戦って)

タタカッテ ダレ カッタ (戦って 誰 勝った?)

タガタメダ タガタメダ(誰がためだ?誰がためだ?)

タガタメ タタカッタ (誰がため 戦った?)

 

子供らを被害者に 加害者にもせずに

この街で暮らすため まず何をすべきだろう?

でももしも被害者に 加害者になったとき

かろうじてできることは

相変らず 性懲りもなく

愛すること以外ない

 

タダタダ ダキアッテ (ただただ抱き合って)

カタタタキダキアッテ (肩たたき抱き合って)

テヲトッテダキアッテ (手を取って抱き合って)

タダタダタダ (ただただただ)

タダタダタダ (ただただただ)

タダ ダキアッテイコウ (ただ抱き合っていこう)

 

タタカッテ タタカッテ (戦って戦って)

タガタメ タタカッテ (誰がため 戦って)

タタカッテ ダレ カッタ (戦って 誰 勝った?)

タガタメダ タガタメダ(誰がためだ?誰がためだ?)

タガタメ タタカッタ (誰がため 戦った?)

 

***

ミスチルの歌を含め、そこで格闘されている水準に立ちたいと思う。

こうしたことにかかわるので、非暴力主義のそうした点を考慮しないで、ユートピア主義、空論だと馬鹿にする人たちこそ、愚かだなと思う。

たとえばネット記事で見たが、伊藤千尋というジャーナリストは、「周囲の人が侵略者と戦っているときに逃げるのは、はっきり言って卑怯だ」「抵抗もせず手をあげて相手の言うなりになるのは「奴隷の平和」であり、「悪」を認めることです。人類の歴史を後退させることだ」という。上記と同類である。あまりに浅くて、言葉を失う。

 

またMLで岡林さんが、非暴力主義派を批判しているが、その内容も、口調も相手を見下す感じで、すこし暴力的だなと感じる。

岡林は、「丸腰で抵抗しろと言っているようでは日本の平和運動は誰も相手にされず壊滅していく」「国家権力を獲得することを目標にした政党の見解やその選挙政策では、徹底したリアリズムで妥協もした政策を示して支持を得なければならない」「どうやって具体的に現実的な国民合意にできるか」「観念的な非戦論では今の日本では選挙で多数派になれない」というように、とにかく国民の多数の支持を得ないといけないという考えにとらわれている。

それは政治や運動の一部の話であって、暴力にどう自分は向き合うのか、スタンスをとるのかという話のすべてではない。それなのに岡林は、政党の話や選挙の話こそが中心課題かのように決めつけている。「政治的に勝たないと実現しないでしょ」という発想だろう。

ある種の人が、政治的にどう影響力を持つか、選挙でどう勝つか、いかに多数派になって権力を握るかに関心があるのは分かる。でも、私が今、暴力にどう向かうかという話をするのはそれとは違う次元なのだということ。政治的に勝つのはむつかしいという現実というところから出発し、それでもどうするかが大事で、それが市民国民一人一人には大事なことだということが岡林には見えていないのだと思う。

だから言い方が、「違う分野の話をしているという謙虚さ」や優しい伝え方がなく、何でも自分の土俵でないとだめという切り捨て方になっている感じがある。

言い換えれば、選挙に勝つかどうかの話だけが大事と思うのはそれは一つの政治的なスタンスであって、生き方としても思想としても私とは異なるスタンスだ。私が言っているのは多数派になるための戦いのことではなく、自分の生き方のことなのだ。それは常に主流秩序にどう向かうかという問いがあるという感覚。

 

他の人に理解されなくてもいい、賛成されなくても、それはそれであって、自分の生き方が揺らぐ問題ではない。私はそうした生き方はしないし嫌いだということ。

このように言うと、「ああそうですか、それならご自由に」、と言って、自分たちはまた政治の話をするのだろうけれど、話はもう少し入り組んでいて、私は、政治にそのように期待したり中心化すること自体に問題があるんじゃないかと思っている。

 

そこを 伝えるために、分かりやすく言えば「私に政治的な答えはない。そのなかでどうするのか」ということ。

どうすれば選挙に勝ってこんなクソみたいな自民党政治を止められるのか、私にはわからない。現実的に考えて、難しいなと思う。自民党のやりかたのような、主流秩序にのって勝つ方法は分かるが、そうではないスタイルの勢力が勝つのはむつかしいと思う。だから「私たちが選挙で勝つ道がわからない」。それが私のスタンスなのだ。(それに対して、敗北主義だ、厭世的だ、そうではなくこうすれば展望が持てる、という、その展望について、話し合うならわかるが、それが、政治的に選挙で勝つ話だと、私は、展望を持てない。その背景には、主流秩序にかかわる深い問題があると思っているから。)

多くの人が自民党に投票したり主流秩序に流されており、安易にナショナリズムに流されたりし、自分はそうはなりたくないと思い、そういう人の生き方に嫌悪感を持つが、それをどう変えたらいいかは分からない。難しいと思う。(フィリピンの大統領選を見ても、トランプ支持と同じものをみる)

 

歴史的に人々は、絞首刑をショーのように喜んで見てきたが、そして戦争に勝ったと喜ぶようなところがあるが、そうした群衆の熱狂を私は嫌うが、群衆とはそういうものだろうと思う。これをどうしたらいいか、わからない。それはトランプや、プーチンや、安倍・菅・橋下(維新)、マルコスの息子を支持する人がいるという、その“どうしようもない感じの”大衆をどうしたらいいか、わからない。

そもそも、「戦争に勝った」と喜ぶことがおぞましいと思う。愛国心の多くを怪しいと思う。

 

企業では不正がしばしば起こっている。多くの人は長いものに巻かれて犯罪的行為にたいし見て見ぬふりをする。これをどうしたらいいか、わからない。内部告発の制度とかの話はできるが、あまりに多くの人が口をつぐんできたことに対して、ひとの多くはそういうものだと思ってしまう。情けなくて嫌になる。

核兵器を持ち、軍事力を持ち国際政治をパワーゲームで行う人たちがいるのは分かるがそれを現実的にどう止めるかは分からない。

野党を批判する人は多いが、私は、自分が政治家になっても、今の野党以上のことができるとは思えない。リベラル・野党のような理想に近い方の主張を通すのはむつかしいのだ。与党もダメだが野党もダメというような奴らこそ、自分はしていないのにと思う。自分が政治家になれば、今の時代、いかに、この「悲惨な状況」を変えるのがむつかしいかがわかるだろう。悪い政治ならいくらでもできるが。

 

つまり、主流秩序にそって生きている人がいるのはよくわかる。だがそれを止めるなんてことがどうしたらできるか、わからない。

(ちなみに、小泉さんたちに、「私が分かりたいこと」がわかっているとか実現能力があるとも思っていない。ほとんどの学者は語って仕事にして金儲けしているだけである。テレビに出ている、言い切れるような学者は主流秩序にべったりで見ぐるしく胡散臭いと思う。)

 

分かっているのは、教育とか、素晴らしい作品とか、個人的かかわりとか、良質な治療とか、社会運動などで少しは、変わる人がいるということ。でもそれは少数だろうなと思う。静かに一人一人が内省的に変わっていくようなことが大事と思うが、それは静かで、個別で、小数であって、大きな政治的な熱狂とはかけ離れていると思う。

そして、もうひとつ、わかっているのは、こちらも相手に対抗して武力やその他「様々な現実的な手段」で戦えば解決するというのではないということ。

このあたり、意見は分かれると思う。『グッド・ファイト』第3シーズンでは、トランプを再選させないために、汚い手使ってでも勝たねばならないという人たちが出てくる。相手がやっているんだから、コッチはいつまでも「きれいな手」でやっていては勝てないというスタンスだ。

そのように考える人が出てくるのは分かる。リアルに勝つには、基本、そっちだろう。だから実際に政治に携わっていると、米国民主党のようになるだろう。だが、私は、緑の党も、市民運動NPOも、少数意見の反体制の思想家もいてこそ、民主党などもましな政策を徐々に取り入れていくだろう、と思っていて、私は、そういう民主党の外側の役割で良いと思っている。

共和党に対して、民主党的とか、汚い手を使って現実的に勝っていく、というような、そういう現実主義もいるが、私は、そういうことに興味を持てず、自分は違うところで生きたいと思う。私は、自分の生き方としても、自分が周りに伝えたいこととしても、それとは違う道を選んでいる。そういう話だ。

 

長期的には矛盾が大きくなって変わっていくと思う。でも少なくとも当面の勝ち方はわからない。当面、「答え」がみえない中で、悩みながらそれでもやれることをしていくという生き方があると思う。それは身近なところで丁寧に、非暴力的に、生きていくことにつながる。

そういう世界観であるので、「これが正解でしょ」と言って、その「正解」に賛成しない人を見下すような言い方をする人が「暴力的」に見えて嫌いという話だ。

ロシアの侵攻の中で、銃を持って国を守るという徹底抗戦路線をとり、各国が軍事武器や経済的支援を続けて戦争が続く、犠牲者も増える中で、私は自分ならどうするかと考えているのである。私は、銃をとってロシアと戦わないだろう。みんなに逃げようと呼びかける。逃げることは卑怯なことではないというだろう。逃げたうえでの生きかたが問われていると思うというだろう。

 この感覚が分かるかどうか。小泉や高橋らと、違う水準で生きているというのはそういうことだ。

「答えがあるかのような水準」で生きている人とは話が合わない。

若くて愚かだと、勇んでいろいろ言えるだろう。でも、年齢をとると、大きな話で何かできるというようには思えなくなる。若さのメリットもあるが、欠点もある。私は、自分の認識の変化に見合ったスタンスをとるということだ。

 

当面、政治的に「勝てない」としても、私は、投げやりや絶望になるのでなく、今ここから未来社会を先取りするようなことはできるし、自分の生き方も変えていけるというスタンスで生きている。社会全体のDVを全部なくすようなことはできないが、目の前の一つのDVカップルの状況を変えることを、当事者とともに考えて行くことはできる。

死刑にも戦争にも暴力にも反対で、できるだけのことを今ここからしたい。そのためにまず自分が加害者的な面を見直すこと。エラそうな支配的なことをしないようにしたいと思う。主流秩序の上位で幸せと感じるような生き方をやめようと思う。

だから銃はとらないという。「抗戦が当然だ、一択だ、ほかに道はない、勝つまで武器は置くな」等とは言えない。 そうではなく、「一緒に逃げよう」というだろう。

主流秩序の世界も変えられないし、戦争もとめられない。それでも自分の道で生きていく。とにかく戦争は嫌だ。後の世界地図(世界の政治状況)のことなど関係ないと思う人がいてもいい。庶民に、そんなことまで変える力はない。先ずはじぶんと身近なところだ。

それを政治学者や防衛省の宣伝マンや政治家たちが、見下す。だがそんなことは関係ない。自分の道は自分で決めていくだけだ。

抗戦するしかないと息巻いている人は、命をもてあそんでいると私は感じる。正しいかどうかではなく、感覚の問題だ。

死刑制度に反対、ということとつながる。だが「死刑制度」について迷ったり考えたりしないで躊躇なく、受け入れるような人、そこまで考えていない人とは、話が合わない。

私のような異物、主流秩序への抵抗物を、嫌がる人がいる。私は、私の自由を抑圧する人と戦うだろう。でも銃・暴力は使わない。

米国の中で銃規制に反対する人もいるが私は銃規制に賛成の立場である。

トランプ支持派で銃社会肯定の人が銃を持つことは、私には鬱陶しいが、だからといって自分もいつも銃を持って対抗するかというと、それはしない。

***

ということで「どういう方針をとるかは国家の専権事項」なので他国が口出しすべきではない、などという発想自体を、私は批判しているのである。家族の中に個人の領域があるとみるのがシングル単位なので、国家(家族)を一つとみて、他国(家族以外のひと) が口を出すなというのはまさに古臭いという主張だ。私は、家族内の人権侵害に介入するように、他国の国家・社会にも、口を出す。人権侵害には口を出す。自決権だ、他国は口出すな、内政干渉だというのは、Dv加害者の思考感覚に過ぎない。自決権は、各個人にある。

誰もが、おかしなことには口を出していいのである。

犠牲者を数字でとらえるのでなく、一人から見ていくのである。為政者の視点をなぜあなたはもつのか。地面の虫の視点で生きたいと思う。

(5月9日に字の変換ミスなど修正のうえ、加筆)

中島みゆきさんはやっぱり・・・

 

 

大学の講義でのスピリチュアリティの理解の参考に中島みゆきさんの「誕生」

を紹介しようと準備。

その他、シングル単位的感覚で「二隻の舟」

 

「世情」や「ファイト!」も。

 

また最近、NHK中島みゆき特集があって、そこであらためて、弱きものにやさしいなと。

 

「命の別名」

最後まで覚えられない  言葉もきっとある

何かの足しにもなれずに生きて  何にもなれずに消えて行く

僕がいることを喜ぶ人が  どこかにいてほしい

石よ樹よ水よ ささやかな者たちよ 僕と生きてくれ

 

命につく名前を「心」と呼ぶ  名もなき君にも 名もなき僕にも

 

けれどもひとには 笑顔のままで泣いてるときもある

 

石よ樹よ水よ  僕よりも誰も傷つけぬ者たちよ

繰り返すあやまちを 照らす灯をかざせ

**************

「空と君とのあいだに」

君が涙のときには 僕はポプラの枝になる 孤独な人につけこむようなことは言えなくて

君を泣かせたあいつの正体を僕は知ってた ひきとめた僕を君は振りはらった遠い夜

ここにいるよ 愛はまだ  ここにいるよ いつまでも

空と君とのあいだには今日も冷たい雨が降る

君が笑ってくれるなら僕は悪にでもなる

 

憎むことでいつまでもあいつに縛られないで

ここにいるよ 愛はまだ  ここにいるよ うつむかないで

空と君とのあいだには今日も冷たい雨が降る

君が笑ってくれるなら僕は悪にでもなる

 

 

*********

で、「誕生」

 

ひとりでも私は生きられるけど でもだれかとならば人生ははるかに違う

強気で強気で生きてる人ほど 些細な寂しさでつまずくものよ

呼んでも呼んでもとどかぬ恋でも むなしい恋なんて ある筈がないと言ってよ

待っても待っても戻らぬ恋でも 無駄な月日なんてないと言ってよ

めぐり来る季節をかぞえながら めぐり逢う命をかぞえながら・・・

 

けれどもしも思い出せないなら

私いつでもあなたに言う 生まれてくれて welcome

 

******

「二隻の舟」

時よ最後に残してくれるなら

寂しさの分だけ愚かさをください

おまえとわたしは たとえば二隻の舟

暗い海を渡ってゆくひとつひとつの舟

 

風は強く 波は高く 闇は深く 星も見えない
風は強く 波は高く 闇は深く 暗い海は果てるともなく
風の中で 闇の中で たかが愛は木の葉のように

わたしたちは二隻の舟
ひとつずつのそしてひとつの”

 

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞